内田静馬
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内田 静馬(うちだ しずま[1]、1906年4月1日[2] - 2000年4月29日[2])は、日本の版画家。
経歴
[編集]埼玉県生まれ[2]。1924年埼玉県立川越中学校を卒業[2]し、東京高等工芸学校木材工藝科に進学[3]。1927年に同校を卒業[4]。1928年、第6回春陽会展で作品が入選[5][6]し、版画家としてデビューする。1930年には新潟県立高田商工学校に木工教諭[7]として赴任し、教師をしながら創作活動を続け、1932年には日本版画協会会員となる。1939年8月には下関市立下関商工学校教諭に転任する[8]が、戦況が厳しくなると1945年1月には郷里に戻り、埼玉県工芸指導所長に任じられ[2]、1948年まで埼玉県庁職員として勤めた[2]。その後、1968年から1976年まで郷里の桶川町の川田谷地区の公民館長を勤め[9]ながら、1970年代には版画教室を催したり、木版画の制作方法を表した著作を公刊するなど、版画普及活動も行った[10]。
参考文献
[編集]- 折井貴恵 編『木版画家 内田静馬 素朴美へのまなざし』川越市立美術館、2011年。 NCID BB05338796。
- 瀬田良宏「ギャラリー 日本の伝統を守る版画家 内田静馬」『月刊公民館』第252号、全国公民館連合会、1978年、37頁、ISSN 21884900。
脚注
[編集]- ^ “内田, 静馬, 1906-2000(Web NDL Authorities 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)”. 国立国会図書館. 2021年10月1日閲覧。
- ^ a b c d e f 「年譜(未定稿)」(折井貴恵 2011, pp. 170–176)
- ^ 『官報』第3489号、大正13年4月14日、p.258. NDLJP:2955637/12
- ^ 『東京高等工藝學校一覧 昭和2年度』東京高等工藝學校、1928年2月29日、43頁。NDLJP:1448306/30。
- ^ 『日本美術年鑑 1929』東京朝日新聞発行所、1928年、30頁。 NCID BN14825759。
- ^ 時事新報社 編『『時事』年鑑 昭和4年』時事新報社、1928年9月21日、477頁。NDLJP:1076202/242。
- ^ 中等教科書協会 編『中等教育諸学校職員録 昭和5年5月現在(第27版)』中等教科書協会、1930年9月1日、432頁。NDLJP:1448223/300。、中等教科書協会 編『中等教育諸学校職員録 昭和12年5月現在(第34版)』中等教科書協会、1937年9月1日、454頁。NDLJP:1446114/287。
- ^ 山口縣總務部人事課 編『山口縣職員録 昭和15年8月1日現在』山口県庁、1940年10月5日。NDLJP:1080879/145。
- ^ 瀬田良宏 1978
- ^ 折井貴恵「木版画家・内田静馬-その生涯と作品」(折井貴恵 2011, pp. 142–152)