内藤元友
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時代 | 江戸時代初期 |
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生誕 | 慶長7年(1602年) |
死没 | 寛文4年9月12日(1664年10月30日) |
別名 | 通称:与四郎→雅楽助→清兵衛尉→五郎右衛門尉 |
主君 | 毛利秀就→就隆→秀就→綱広 |
藩 | 下松藩→長州藩 |
氏族 | 藤姓安芸内藤氏 |
父母 | 父:内藤元泰、母:市川元好の娘 |
兄弟 | 広泰、女(児玉元道室)、元幸、元友、恒安、吉盛 |
子 | 友幸 |
内藤 元友(ないとう もととも)は、江戸時代初期の人物。毛利氏の家臣で、長州藩士。
生涯
[編集]慶長7年(1602年)、内藤元泰の三男として生まれる。慶長10年(1605年)毛利輝元から加冠を受け、元の偏諱を与えられた。慶長13年(1608年)に父が死去すると、その隠居料40石を相続した。
毛利秀就の命により毛利就隆の家臣として付けられ、就隆によって慶長18年(1613年)には雅楽助、元和5年(1619年)には清兵衛尉に任じられた。しかしその後、就隆から暇を下されて浪人となったため、秀就に召し返されて知行を与えられ、以後は長州藩士として仕えた。正保2年(1646年)には毛利秀就から五郎右衛門尉の仮名を与えられている。
寛文4年(1664年)に63歳で死去し、子の友幸が跡を継いだ。