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内藤明人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

内藤 明人(ないとう あきと、本名・内藤 進、ないとう すすむ、1926年3月29日 - 2017年3月20日)は、日本の経営者、リンナイ株式会社社長、会長や、社団法人日本ガス石油機器工業会会長、中部経済同友会代表幹事、名古屋商工会議所副会頭などを歴任した[1]

経歴

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愛知県名古屋市生まれ[2]。父は、林兼吉とともに林内商会(後の林内製作所〜リンナイ)を創業した内藤秀次郎[2]、その三男として生まれた[3]。旧制明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)、旧制第八高等学校から東京大学工学部に進んで[3]機械工学を学び、村田一山口開生石川六郎らと交わる[4]。卒業後は大企業へ就職するつもりだったが、兄が第二次世界大戦で戦死したため事業の後継者と期待され[2]1948年に大学を卒業し、林内商会に入社した[1][5]

林内商会が株式会社化された1950年[6]に副社長となり、1966年に社長、2001年に会長となって終身その座にあった[1]

赤外線ガスストーブの日本への導入などで業績を伸ばし、リンナイを有力な企業に成長させるとともに、中部経済界を代表する論客としても知られ、経済団体の要職を歴任した[2][4]。さらに、日本青年会議所副会頭を務め[3]2005年愛知万博の際には国際ロータリー国際博委員会委員長として「ロータリー館(友愛の家)」の開設にあたったほか、名古屋日豪ニュージーランド協会会長[7]金城学院維持協力会会長[8]など、様々な社会的活動にも関わった。

著書

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脚注

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  1. ^ a b c ニュースリリース (訃報)弊社代表取締役会長 内藤明人 逝去のお知らせ”. リンナイ (2017年3月24日). 2017年3月24日閲覧。
  2. ^ a b c d “[グローカル・中部最前線](25)内藤明人さんの経営哲学(連載)”. 読売新聞・中部朝刊: p. 7. (2004年2月4日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  3. ^ a b c 内藤明人氏死去、90歳 リンナイ会長、元名商副会頭”. 中日新聞社 (2017年3月24日). 2017年3月24日閲覧。
  4. ^ a b “[人物点描]リンナイ・内藤明人会長 町工場から世界企業に”. 読売新聞・中部朝刊: p. 13. (2001年6月30日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  5. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『内藤明人』 - コトバンク
  6. ^ 沿革”. リンナイ. 2017年3月25日閲覧。
  7. ^ 内藤明人 (2013年1月1日). “2013 迎春” (PDF). 名古屋日豪ニュージーランド協会会報 (106): p. 1. http://www.nagoya-janz.jp/pdf/106.pdf 2017年3月24日閲覧。 
  8. ^ 金城学院維持協力会”. 金城学院. 2017年3月24日閲覧。


先代
三木邦男
中部経済同友会筆頭代表幹事
第16代:1976年 - 1977年
次代
長澤孝一