円徳寺 (岐阜市)
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円徳寺 | |
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円徳寺(岐阜市) | |
所在地 | 岐阜県岐阜市神田町6-24 |
位置 | 北緯35度24分56.0秒 東経136度45分33.7秒 / 北緯35.415556度 東経136.759361度座標: 北緯35度24分56.0秒 東経136度45分33.7秒 / 北緯35.415556度 東経136.759361度 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | 真宗本願寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 寿永2年(1183年) |
開基 | 寂円 |
文化財 |
楽市楽座制札(重要文化財) 伝織田塚改葬地 |
法人番号 | 3200005000501 |
円徳寺(えんとくじ)は岐阜県岐阜市にある浄土真宗本願寺派の寺院。織田氏ゆかりの寺として知られる。
沿革
[編集]寿永2年(1183年)に比叡山延暦寺の僧・寂円により天台宗の寺院、法泉寺として現在の岐阜市長旗に開創される。2世寂世が親鸞に帰依して浄土真宗の寺となり、寺号を常泉坊に改めた。
天文16年(1547年)に織田信秀が加納口の戦いに敗北し、多くの敗死者を出すとそれを弔うための塚が寺内に設けられた。この塚は現在でも残っており、織田塚として岐阜市の文化財に指定されている。
永禄7年(1564年)に織田信長が岐阜城主となると土地を寄進されて現在地に移った。その際門前に市が開かれる。
永禄10年(1567年)と永禄11年(1568年)に織田信長が楽市楽座の制札を発給した。
その後岐阜城主となった池田輝政も楽市楽座の制札を掲げ、織田信長の制札と共に平成5年(1993年)に国の重要文化財に指定された。
慶長5年(1600年)、岐阜城の戦いで敗北した織田秀信は当寺で剃髪し、高野山へ入った。
文化財
[編集]重要文化財(国指定)
[編集]脚注
[編集]- ^ 平成5年6月10日文部省告示第81号