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円筒分水

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
音無井路十二号分水(大分県竹田市

円筒分水(えんとうぶんすい)は、農業用水などを一定の割合で正確に分配するために用いられる利水施設。円筒状の設備の中心部に用水を湧き出させ、円筒外周部から越流、落下する際に一定の割合に分割される仕組みとなっている。地域によっては円形分水(えんけいぶんすい)、円筒分水槽(えんとうぶんすいそう)、円筒分水庫(えんとうぶんすいこ)などとも呼ばれる。土木工事分野では「円筒分水工」(えんとうぶんすいこう、: circular tank diversion works[1])と呼ばれる。原義は工事の名称だが、完工した設備についても同様に呼ばれる。

見た目の美しさから、地元が観光資源としてPRしている円筒分水もある。[2]

構造

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円筒分水平面図。
図の例では、(1)、(2)、(3) はそれぞれ 3:2:5 の割合で分配される。

サイフォンの原理などを利用して円筒中心部に水を導き、その水が円筒外縁部を越流する際に外縁部に設けた仕切りで分配するものや、外縁部に設けた穴の数によって分配するものなどがある。

右図は外縁部を越流させる構造の場合を図示したもので、外縁部に設ける仕切りの間隔とその比率で、用水が正確に分配される。 仕切りの間隔がそのまま分水比を示すため、分配される水量が外観から把握でき、流量を勝手に変更するような不正が行われにくい。

歴史

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修復のため、水を抜かれた久地円筒分水

農業用水の厳正な管理と配分、それに伴う係争は三州水利論争英語版のように世界中で見られる。
水田耕作が主体であった日本でも、各地で農業用水の確保にまつわる紛争(水論、水争い)が絶えず、大正年間より正確な配水が可能な分水樋が考案され、各地で似た構造の施設が造られ始めた。第1号の円筒分水工は可知貫一が発明したもので、1914年(大正3年)に小泉村 (岐阜県可児郡)に設置された[3]

当初は高低差を利用して導水する方式のものが造られ、1934年昭和9年)になると福島県長野県などで地下から吹き上げる方式のものが造られるようになった。ただし長野県に造られた施設では円筒を使わず、分水樋の中央に吹き上げられた水が放射状に拡がる原理を利用したもので、流水量に偏りが生じるといった欠点もあった。

上記の欠点を克服するために、円筒状に組んだコンクリート設備の中心にサイフォンの原理で導水し、円筒を越流させて分水する方式が考案された。この方式を採用したのが神奈川県川崎市高津区久地にある久地円筒分水(国の登録有形文化財)で、同地にあった二ヶ領用水の分水樋の改修に際し、1941年昭和16年)に造られたものである。この方式により平地の用水路でも正確な分水を実現できたため、以降、同様の方式のものが全国各地に造られるようになった。

現存する円筒分水

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初期

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横井清水(艶三郎の井)

現代

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  • 貝田新円筒分水槽(片貝川水系、富山県魚津市貝田新)と東山円筒分水槽(片貝川水系、魚津市東山)
    両円筒分水槽は1955年昭和30年)完成。魚津市土地改良区所有。東山円筒分水槽は鉄筋コンクリート造り、直径9.12m、高さ約2.5m、面積317平方メートル[7][8]。片貝川を挟み、上部(左岸)にある貝田新円筒分水槽から湧き出す水は、片貝川の川床を横断する直径1mの2本の地下サイフォン管(地下5.5m)を通じて、下部(右岸)の東山円筒分水槽の出口(直径2.4m)に湧き出し、河岸段丘側の天神野用水、扇状地側の青柳用水、東山用水に分配される。片貝川が急流のため、東山円筒分水槽では湧き出す水の落差が大きく「日本一美しい円筒分水槽」といわれる[7][9]2009年平成21年)に、「とやまの文化財百選(とやまの近代歴史遺産部門)」に選定、また魚津市水循環遺産に登録されているほか、うるおい環境とやま賞「水の賞」を受賞している[7]。東山円筒分水槽は2020年令和2年)4月3日、国の登録有形文化財に登録された[10][9]
  • 今市用水円筒分水井(鬼怒川水系、栃木県日光市 杉並木公園)
    1954年(昭和29年)完成。スリット溢流式。外円筒11.35m。大谷川の右岸、河岸段丘崖に位置する。宇都宮市と今市市の上水需要によりひっ迫していた今市用水を強化するため、大谷川左岸に建設された所野発電所の放流水をサイフォン(直径1.65m)で引き込み、分配・合流させる目的で建設された。サイフォン管は1kmに及び、その湧水のような様子から「分水井」と呼ばれる。2014年に修繕。分配水の一部はポンプで圧送され,より標高の高い円筒分水施設である下瀬川分水井へ送られている。
  • 釈泉寺円筒分水槽(上市川水系、富山県中新川郡上市町釈泉寺)
    1954年(昭和29年)完成。鉄筋コンクリート造り、直径9.3m、面積202平方メートル。分水した水路がウォータースライダーのようになっているのが特徴。2009年(平成21年)に、「とやまの文化財百選(とやまの近代歴史遺産部門)」に選定。国の登録有形文化財[11][12]
  • 南砺市赤祖父円筒分水小矢部川水系赤祖父川、富山県南砺市川上中)
    1949年(昭和24年)完成。鉄筋コンクリート造り、富山県内では最小の直径3.4m、面積29平方メートル。庄川上流用水土地改良区所有。富山県内最古の円筒分水であり、2020年(令和2年)4月3日、国の登録有形文化財に登録された[9][10]
  • 通潤用水小笹円形分水(緑川水系笹原川熊本県上益城郡山都町
    1956年(昭和31年)完成。石橋・水路橋で有名な通潤橋の取水口から数百メートル下流にあり、「野尻用水」と水を分けるために作られた。
  • 胆沢平野の円筒分水工胆沢扇状地岩手県胆沢川流域)
    1957年(昭和32年)完成。石淵ダム建設と平行して開始された農業水利事業の一環として施工。農業用としては日本最大級[13]
  • 安積疏水(白江幹線)(阿武隈川水系、福島県須賀川市泉田)
    完成年不明。安積疏水の末端水路白江幹線の分水施設[注釈 1]
  • 滝の頭円形分水工(滝の頭、秋田県男鹿市五里合)
    1962年昭和37年)完成。コンクリート製、直径約6.0m。滝の頭の湧水を上水道として利用する際に旧男鹿市と旧若美町に水を分配するために作られた。当初は旧男鹿市と旧若美町へ17穴ずつ配分されていたが、現在は旧男鹿市の水道へ7穴、旧若美町の水道へ11穴、農業用水へ20穴配分されている[14][15]
  • 長野堰用水円筒分水堰(群馬県高崎市江木町)
    1962年(昭和37年)設置。

脚注

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注釈

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  1. ^ 農業土木遺産をたずねての挿絵に使用されている。

出典

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  1. ^ 河川・水資源日英用語集編集委員会「EXCEL/PDIC対応 河川・水資源 日英用語集 version 2004/5」より。
  2. ^ 【あんぐる】東山円筒分水槽(富山県魚津市)湧き、流れ、潤す日本農業新聞』2019年8月12日(9面)2019年8月22日閲覧。
  3. ^ 水争いを丸く収める日本生まれの分水装置建設業しんこう、500号、2018
  4. ^ 蔵王町くらしの情報 / 暮らしの案内 / 産業・建設 / 疣岩分水工
  5. ^ 疣岩円形分水工 | 土木学会 選奨土木遺産
  6. ^ 宮城県・蔵王町観光協会 » 疣岩分水工
  7. ^ a b c 『【立山黒部ジオパーク 浪漫紀行】東山円筒分水槽 「美しさ日本一」』北日本新聞 2017年10月27日7面
  8. ^ 『国登録有形文化財に答申 魚津・南砺の円筒分水槽』北日本新聞 2019年11月16日29面
  9. ^ a b c 県内2カ所の円筒分水槽、国登録有形文化財に! 魚津浦の蜃気楼(御旅屋跡)、国登録記念物に富山の今を伝える トヤマ ジャストナウ
  10. ^ a b 令和2年4月3日文部科学省告示第48号
  11. ^ 『釈泉寺円筒分水槽を答申 国登録有形文化財 上市 美しい景観 観光に期待』北日本新聞 2021年11月20日29面
  12. ^ 『釈泉寺円筒分水槽 訪れて 国文化財 上市町 看板設置しアピール』北日本新聞 2022年5月26日20面
  13. ^ 円筒分水工の歴史”. 胆沢平野土地改良区. 2017年4月13日閲覧。
  14. ^ 滝の口湧水”. 秋田総合農林事務所土地改良課. 2018年7月16日閲覧。
  15. ^ 「あきた鳥の目虫の目」円形分水口(男鹿市)『秋田魁新報』2018年7月15日24面

参考文献

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  • 『とやまの文化財百選シリーズ(6) とやまの近代歴史遺産』(富山県教育委員会 生涯学習・文化財室)2010年(平成22年)3月発行

関連項目

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外部リンク

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