切石 (身延町)
切石 | |
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北緯35度27分56.01秒 東経138度26分27.24秒 / 北緯35.4655583度 東経138.4409000度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 山梨県 |
郡 | 南巨摩郡 |
市町村 | 身延町 |
人口 | |
• 合計 | 173人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
409-3304[2] |
市外局番 | 0556 (鰍沢青柳MA)[3] |
ナンバープレート | 山梨 |
切石(きりいし)は、山梨県南巨摩郡身延町の地名である。郵便番号は409-3304[2]。
地理
[編集]富士川と赤石山脈の間にあり、縦に細長い街並みが続いている。古くから甲斐国と駿河国を結ぶ駿州往還の宿場が設けられ、現在では身延町の役場が設けられている。川と山脈の間にあり、特に南側の八日市場へ続く道は日下り道(ひさがりみち)と言われ当地区は昔から交通の難所とされている。
また当地区には気象庁のアメダスが設けられており、山梨県内の天気予報では当地区の名前が頻繁に出てくる。
歴史
[編集]江戸時代の『甲斐国志』によると鰍沢宿から二里二六町、下山宿から一里二三町にあると記述されている。戦国時代の河内領主・穴山信君の発給文書には当宿場町の名前はなく、寛永の頃に切石宿(きりいししゅく)という宿場が設けられたとされている。北側から上宿、中宿、下宿と縦に細長い宿場町であり、中宿には名主宅を兼ねた本陣が設けられていた。[4]また、中宿と下宿の間に夜子沢川(よごさわかわ)が流れ、江戸時代は「切石の渡し」と呼ばれる渡し船で渡河を行っていたほか、切石河岸は富士川舟運の中継河港としてもその役割を担っていた。[4]
1872年(明治5年)に実施された県内80区制において巨摩郡切石村となり、1889年(明治22年)に周辺の手打沢村、寺沢村、夜子沢村と合併し、「南巨摩郡切石村」と名前が引き継がれたが、1892年(明治25年)に静川村に改称されている。1954年(昭和29年)の「昭和の大合併」で「南巨摩郡中富町切石」となり、さらに2004年(平成16年)には身延町・下部町と合併したことにより「南巨摩郡身延町切石」となり現在に至る。
世帯数と人口
[編集]2015年(平成27年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
切石 | 72世帯 | 173人 |
交通
[編集]- 道路
- 富士川の対岸の下田原地区にある。
- 山梨県と静岡県を結ぶ一般国道。同地区に富士川橋があるが、復員が狭い。中部横断自動車道中富インターチェンジが開通した際大型車通行用に国道52号を通り南へ約1kmの場所に中富橋が架橋されている。
- 以前は山梨県道418号曙静川線であった。なお、山梨県道418号は現在欠番となっている。
- 路線バス
- 高速バス
- 中央高速バス身延線 切石バス停
施設
[編集]脚注
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