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利用者‐会話:アノニ

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署名について[編集]

こんにちは。ノート・会話ページなどでは日時入り署名をする事となっております。詳しくはWikipedia:署名#署名の方法をご覧下さい。--Purple Quartz会話2017年6月9日 (金) 19:49 (UTC)[返信]

Purple Quartz様、ご挨拶くださりどうもありがとうございました。実は署名の仕方がわからなくて困っていました。とても助かりました。--アノニ会話2017年6月9日 (金) 20:05 (UTC)[返信]

警告等について[編集]

編集の前にウィキペディアのルールのご確認を是非ともお願いいたします。編集の前にウィキペディアのルールのご確認を、是非とも、お願いいたします。特に存命人物の伝記にかかわるページにおいては、編集を注意して行って下さい。まず、記事には検証可能な第三者による出典を提示するようにして下さい。提示できない題材は、編集が取り消されることがあります。次に、中立的な観点から、特に慎重かつ保守的な表現を行うようにして下さい。また、名誉毀損やプライバシー尊重の点から、たとえ事実であったとしてもウィキペディアでは、記載できないケースがあることもご理解ください。その他、分からないことがございましたら、Wikipedia:ガイドブックに記載のヒントがございます。今後とも、ウィキペディアへのご協力をよろしくお願いいたします。--Los688会話2017年6月9日 (金) 13:50 (UTC)[返信]

荒らし行為はやめてください。 荒らし行為はやめてください。これ以上続ければ、ウィキペディアの編集ができなくなる投稿ブロックの対象となります。ご注意ください。--Los688会話2017年6月9日 (金) 14:11 (UTC)[返信]

あなたはブロックされました。
あなたはブロックされました。

あなたはブロックされました。しばらくウィキペディアの編集を行うことはできません。ブロックは時間がたつと自動的に解除されます。解除後、基本的な決まりを守って参加するなら、あなたの投稿は歓迎されます。今後の対話ならびに異議申し立て、解除依頼はあなたの会話ページで受け付けます。会話ページも編集できないブロックの場合は、IRC#wikipedia-ja-unblock、もしくはメーリングリストで、会話ページの編集許可を求めてください。(ヘルプ投稿ブロックへの異議申し立て投稿ブロック解除依頼作成の手引き参照) Wikipedia:存命人物の伝記Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかをご確認ください。著名メディアを用いないで批判を書くことは、Wikipediaでは、事実上不可能です。--Los688会話2017年6月9日 (金) 14:18 (UTC)[返信]

最初のTemplateを確認。Template:Test3 を確認前に編集記事を投稿。その後、Template:Test3 および「荒らし行為」に対するTemplate:Test5を確認。現在、Wikipediaの荒らし行為の定義、およびLos688氏がブロック対象とご判断なさった具体的な「荒らし行為」について確認中。権限の行使に関しては、具体的な説明も議論もなく、特定の編集を単純に叩くだけでは不十分であり、権限行使や権限行使手続きの正当性を明示し、編集行為に関するより具体的な情報を提供し、説明責任を果たすことが編集をより良い方向に促すのではないでしょうか。「ブロック対象となった『あらし行為』の具体的詳細」、「Wikipediaで記載できる事実と記載できない事実」、「Wikipediaで利用できる出典」、「Wikipediaで受け入れられる『保守的な表現』」など関する詳細を教えていただきたいと思います。 --アノニ会話2017年6月10日 (土) 10:57 (UTC)[返信]

ノート・会話ページにおいて、上記に関する質問を書きましたが、Los688氏から詳しいご説明、およびご回答をいただけず、氏の考えを深く理解することはできませんでした。問題となった記事の編集について、方針や他のページ等を調べ、検討し、投稿可能なものであると判断いたしました。仮の再編集も行ないましたが、特にご指摘もありませんでしたので、問題ないと判断いたします。一方の当事者に対する記事の編集が「荒らし行為」となり記載できないのであれば、もう一方の当事者に対する編集も「荒らし行為」となり、記載できないはずであり、一方の当事者に対する記事の編集が「荒らし行為」とならず記載できるのであれば、もう一方の当事者に対する記事の編集も「荒らし行為」には該当せず、記載できることになると思います。--アノニ会話2017年6月23日 (金) 13:40 (UTC)[返信]

ブロック等の理由が不明[編集]

方針を読んでいますが、本件に関する荒らし行為の判定がよく分かりません。なぜ「荒らし行為」に関する議論なく、Template:Test4 の警告を提示することもなく、「荒らし行為」と判定し、ブロックされたのでしょうか。

ある利用者から要出典の指摘があり、記事への出典を提示しました。記事には出典にあった事実や発言を書きました。これらの記事に書かれたことはすでに世間に知られている事柄であり、公知の事実を書くことは問題ないと思います。そうではなく、Claw of Slime 氏の言う通りだとすれば、当事者から出された出典も問題になっていると思いますが、実際はそうなっていないと思いますので、これを書いてはいけない理由がわかりません。

中立的な観点の説明として、「ウィキペディアの狙いは論争を記述することであり、論争に加わることではありません。」とあります。日本美術史の問題について、世間に知られた大学側と教員側の論争を記述することは、Claw of Slime 氏の言うように大学側を貶めるような荒らし行為とみなされるのでしょうか。

存命人物、公人、著名人の記述に関して「ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するものであり、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。」とあります。記事は当事者が公表したものが情報源です。Claw of Slime 氏にとって不快なものかもしれませんが、これを記事にすることは荒らし行為とみなされるのでしょうか。

世間に知られた公知の論争(試験問題に関する論争)を記述するのが荒らし行為であるという具体的な理由、ブロックの理由が分かりません。具体的な理由を教えていただきたいと思います。 --アノニ会話2017年6月9日 (金) 20:07 (UTC)[返信]

Wikipedia:存命人物の伝記に全部書いてあります。この方針は、理事会からの指示できつく適用されています。マイナス評価も含まれる文章は、事実上、全国紙かそれと同等レベルの出典を用い、さらに保守的な表現をしない限りは受け入れられません。もし、受け入れられない場合はWikipediaへの参加をご遠慮ください。--Los688会話2017年6月9日 (金) 17:04 (UTC)[返信]

Los688様、ご回答ありとうございました。当然ながら、Wikipedia:存命人物の伝記は読みましたので、公人、著名人のところに、「ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するものであり、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。」と書いてあることを理解いたしました。その上で上記の疑問を抱き、もう少し、日本美術史問題に関する荒らし行為の具体的な詳細について理解できればと思いました。--アノニ会話2017年6月10日 (土) 10:57 (UTC)[返信]

具体的な荒らし行為とは[編集]

  • 日本美術史問題は公知の事件であり、当事者にとって重要なものです。また私が示した出典は当事者本人に直接取材したものであり、「信頼できる公表済みの情報源」だと判断していました。当事者双方の発言がそのまま掲載されているとしても、「著名メディア」に掲載されなかった批判的意見であり、全国紙でなかったため、これを引用し、利用したのが荒らしとみなされる行為だったのでしょうか。
  • この論争は全国紙である毎日新聞(2015年10月20日)や朝日新聞に掲載されましたし、総務省が大学側の法解釈を否定しましたので、この出典を用いることは可能だと思います。(もう1つの記事内容は日経新聞が出典だったと思います。)この記事は双方の立場にたつ意見が掲載されています。毎日新聞に掲載された、教員側にたつ人の意見は以下の通りです。

◇異常な反応だ 服部孝章・立教大名誉教授(メディア法)の話 政権批判がダメならば慰安婦などいろいろな問題が出題できなくなってしまう。削除する必要は全くない。表現の自由以前に学問の自由をどう考えているのか。 放送大学の試験問題の出題が政治的中立性を保たなければならないのならば、講義そのものが成り立たなくなり、多くの授業で放送大学の存在意義が問われる。学問における中立性が何なのかが問われる異常な反応だ。

上記の服部氏の意見の引用は、「異常な反応だ」という表現があるため、Claw of Slime 氏や大学側に立つ立場の考えでは大学側を貶めるものであり、規制や統制、あるいは検閲の対象になるものと判断されるのかもしれませんが、ウィキペディアでは、中立的な観点の説明として、「ウィキペディアの狙いは論争を記述することであり、論争に加わることではありません。」と説明されています。したがって、双方の論争を記述するために、こうした発言の引用をすることが必要だと思うのですが、こうした発言の直接引用は、保守的な表現ではない荒らし行為であり、事実ではあってもWikipediaでは引用できないものと見なされてしまうのでしょうか。

「保守的な表現」に関しましては、絶対的な基準が掴みにくいこともあり、具体的に指摘していただかないと理解しにくいところです。日本美術史問題のところでは、双方の立場による論争を記述したと思うのですが、具体的にはどこが保守的な表現ではない荒らし行為だったのでしょうか。教員側の意見を直接引用することが規制の対象となったのでしょうか。--アノニ会話2017年6月9日 (金) 20:06 (UTC)[返信]

記載できる事実と記載できない事実[編集]

  • 日本美術史問題の記事に関して、この論争は公知の事実ですが、そもそもこの論争を編集すること自体、Wikipediaでは「荒し行為」であり、Wikipediaには記載できないのでしょうか。

Wikipedia:五本の柱のひとつは、「ウィキペディアは中立的な観点に基づきます。」というものです。ここには、複数の観点がある場合、誰の主張であるかを明示することや、出典の明示が求められることが書かれています。また、Wikipediaでは、存命人物、公人、著名人の記述に関して「ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するものであり、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。」とされています。

問題の当事者、Claw of Slime氏や大学側に立つ立場にとって、この論争は知られたくない事実かもしれません。しかしながら、上記の記述を考慮すれば、大学側の立場がかならずしも「最良の観点」とはならず、日本美術史問題なども記載できるように思うのですが、この記事の編集は「荒らし行為」になってしまうのでしょうか。Wikipediaで記述できる事実と記述できない事実について、具体的な詳細が知りたいものです。--アノニ会話2017年6月10日 (土) 11:47 (UTC)[返信]

出典と表現[編集]

  • 地方紙以下の出典

記事の編集に際して、全国紙かそれと同等レベルの出典を用いなければ、出典として認められない合意があるとは知りませんでした。この考えの根拠が明文化されちるのであれば教えていただきたいと思います。Wikipediaでは、暗黙の了解として、地方紙以下の出典は信頼に欠けるものとして差別されているということでしょうか。

単純に、出典の正当性を権威に基づかせることの強制にデメリットは全くないのでしょうか。文学作品にしろ、学術研究にしろ、新聞紙にしろ、単純に、誰が書いた作品であるのか、誰の研究なのか、どこの新聞社の記事なのかだけで判断するよりも、どんな作品であるのか、どんな研究であるのか、どんな記事が書かれているのか、内容の質や真偽について批判的な能力でもって判断し利用する必要はないのでしょうか。

日本美術史問題に関して言えば、「地方紙以下のレベル」とみなされる媒体に、当事者の発言がそのまま掲載されているとしても、これを直接引用してはいけないという規制は、編集行為においてデメリットにはならないのでしょうか。

  • ツイッター

ツイッターを出典として利用できるかどうかに関して、また、その著作権をめぐって対立および規制があるようですが、政治家や著名人などの公人や有名人のツイートも全面的に利用禁止の規制がかかっているのでしょうか。政治家の演説や陳述に関しては、著作権法第40条1項で、その著作権に制限があり、許諾無しに自由に利用ですが、Wikipediaでは、編集の出典として禁止されているのでしょうか。

  • 保守的な表現

記事の編集に際して、「保守的な表現」しか認められない合意があるとは知りませんでした。「保守的な表現」の具体的詳細について理解を深めるにはどこを参照すればよいか教えていただきたいと思います。

「保守的」の辞書的意味は次の通りです。「古くからの制度・習慣などを守ろうとするさま」(明鏡国語辞典)、「新しいものをきらい、旧態を守ろうとするさま」(広辞苑)。対義語は「革新」ですが、革新的な表現は認められないということでしょうか。

Wikipedia:五本の柱のひとつには、「ウィキペディアには行動規範があります。」という文言があります。ここには「他のウィキペディアンと同意できないときにも、彼らに敬意を払い、礼儀正しくしてください。個人攻撃や抽象論を振り回すことは避けて、編集が白熱しても冷静さを維持してください。」と書かれてあります。

「保守的な表現」という語句だけでは抽象的で、具体例がないとわかりにくいように思います。日本美術史問題に関する論争を考えれば、大学側が保守的、教員側が革新的となるように思いますが、この問題の場合、保守的な表現というのは、大学側に立った表現ということになるのでしょうか。しかし、これだと一方的な言論統制になり、中立性の観点と矛盾するように思います。

  • 出典と表現

出典として、事実上、地方紙以下の媒体が禁じられていて、これを利用せずに保守的な表現をすることを受け入れない限り参加を控えなくてはいけないルールがあるようですが、Wikipedia:存命人物の伝記を読んでもよくわかりませんので、出典と保守的な表現について具体的かつ詳細に書いているページがあれば知りたいものです。--アノニ会話2017年6月9日 (金) 22:05 (UTC)[返信]

情報源の吟味[編集]

チャールズ・ラム#日本語訳には、以下の書籍名が記されています。

  • シェークスピア物語 (直読直解アトム英文双書(9)) (西田実訳、学生社 1992)
  • 英語で読むシェイクスピア四大悲劇 (出水田隆文、青木信子、牛原眞弓、田島夏樹、花輪涼子訳、IBCパブリッシング 2013)

上記の書籍に掲載されたテクストは、ラム姉弟によるものではないと思います。そもそも『シェークスピア物語』は注解書であり、日本語訳は掲載されていないと思います。また、『英語で読むシェイクスピア四大悲劇』はラム姉弟を著者として紹介していますが、テクストを見れば、彼らが書いた原文を掲載していないことは明らかだと思います。Wikipedia:信頼できる情報源#信頼性の評価には「オンラインであれ印刷物であれ、出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができません。」と書かれてありますが、編集する際には、情報源や出典の信頼性に関して、権威だけでは不十分であり、内容を吟味して利用する必要があるのではないでしょうか。

  • 『英語で読むシェイクスピア四大悲劇』に記載されたHamletの冒頭

Once in the country of Denmark there lived a noble king named Hamlet. His queen was named Gertrude. They had a grown son, also named Hamlet, who was as noble and good as his father[1].

  • チャールズ・ラムが記述したHamletの冒頭

Gertrude, Queen of Denmark, becoming a widow by the sudden death of King Hamlet, in less than two months after his death married his brother Claudius, which was noted by all people at the time for a strange act of indiscretion, or unfeelingness, or worse: for this Claudius did no ways resemble her late husband in the qualities of his person or his mind, but was as contemptible in outward appearance, as he was base and unworthy in disposition; and suspicions did not fail to arise in the minds of some, that he had privately made away with his brother, the late king, with the view of marrying his widow, and ascending the throne of Denmark, to the exclusion of young Hamlet, the son of the buried king, and lawful successor to the throne[2]. --アノニ会話2017年6月14日 (水) 11:35 (UTC)[返信]

翻訳記事の編集ルール[編集]

Wikipedia:翻訳のガイドライン#訳文の作成」には、以下の記述があります。

「事実の記述をしているのであれば、原文通りであるか否かはそれほど問題にならない場合も多いでしょう。そのようにした場合は、要約欄に『一部訳』『一部訳と改変』などと明記することでそれが全文『翻訳』ではないことを示すとよいでしょう」、「思い切ってその部分を省略するというテクニックもありますが、しかし、あまりにそうした部分が多くなると、記事が曖昧になることもあるでしょう」

翻訳者の要約[編集]

一方、ある利用者は以下のように述べておられます。

「長い引用文は日本語版ウィキペディアではあまり好まれない場合がある。訳す記事に長い英文の引用がある場合は、意味が通るような要約などを行い、省略してもかまわない」(利用者:さえぼー/英日翻訳ウィキペディアン養成セミナー#Wikipediaの利用について

  • 実際、以下のような翻訳記事が存在しています。

'Variety said of the film: "Question of whether a Shakespearean play can be successfully produced on a lavish scale for the films is affirmatively answered by this commendable effort. (...) The fantasy, the ballets of the Oberon and Titania cohorts, and the characters in the eerie sequences are convincing and illusion compelling. Film is replete with enchanting scenes, beautifully photographed and charmingly presented. All Shakespearian devotees will be pleased at the soothing treatment given to the Mendelssohn score. (...) The women are uniformly better than the men. They get more from their lines. The selection of Dick Powell to play Lysander was unfortunate. He never seems to catch the spirit of the play or role. And Mickey Rooney, as Puck, is so intent on being cute that he becomes almost annoying. There are some outstanding performances, however, notably Victor Jory as Oberon. His clear, distinct diction indicates what can be done by careful recitation and good recording; Olivia de Havilland, as Hermia, is a fine artist here; others are Jean Muir, Verree Teasdale and Anita Louise, the latter beautiful as Titania but occasionally indistinct in her lines."', (en:A Midsummer Night's Dream (1935 film)

「『ヴァラエティ』は本作における妖精のバレエや幻想的な撮影、メンデルスゾーンの楽曲の使い方、女優陣の演技などを高く評価し、ディック・パウエルがミスキャストであるなどの欠点はあるものの、シェイクスピアの映画化としては成功例であると述べた[要出典]」 (真夏の夜の夢 (1935年の映画)#評価

  • 原文では雑誌の重要な評価を抜粋した編集になっており、雑誌が個々の役者について、どのように評価したかは重要であり、だからこそ、原文を編集した人は、その箇所を抜粋して引用したのだと思います。しかしながら、翻訳記事では、雑誌の評価として、Mickey Rooney、Victor Jory、Anita Louise などの役者に対する評価は取り上げられていません。翻訳でない記事なら問題ないかもしれませんが、翻訳したものであることを明記した記事の場合には、この編集を無断で、Wikipediaでは長いのは好まれないから、省略してよい、要約してよいということにはならないのではないでしょうか。少なくとも、この箇所が翻訳者の要約になっていることを、分かりやすいところに明示する必要があると思いますが、その必要はないのでしょうか。また、この要約に関して言えば、「シェイクスピアの映画化としては成功例であると述べた」とありますが、翻訳者の考えは介在しておらず、原文に忠実なもの、雑誌の主張を正確に反映したものになっているのでしょうか。
  • Wikipediaのガイドランでは、部分訳や抄訳については書かれてありますが、このような要約については書かれていないと思います。ある利用者は、こうしたルールを明示し、実際に運用しておられるようですが、これは、独自の翻訳ルールではなく、Wikipediaの翻訳記事の編集に際して合意されたルールなのでしょうか。このルールは、他の利用者もこのルールに従ってよいと、断定的に述べられており、促されておりますが、原文の記事に対して「荒らし行為」とみなされる可能性のある翻訳記事を生み出す可能性は全くないと言えるでしょうか。

翻訳者の加筆・見解[編集]

  • 以下は、翻訳した記事であると明確に示された記事を原文と比べたものです。利用者が翻訳した記事とお示しになった記事には、原文にはない翻訳者独自の加筆があったり、原文の文章の一部を抜き出し、新たな項目を設けて、原文にはない加筆がなされたりしています。このような編集は、Wikipediaにおける翻訳では許される編集なのでしょうか。

"Ophelia is a character in William Shakespeare's play Hamlet. She is a young noblewoman of Denmark, the daughter of Polonius, sister of Laertes, and potential wife of Prince Hamlet. She is one of only two female characters in the play."(en:Ophelia)

オフィーリア英語: Ophelia)は、ウィリアム・シェイクスピア戯曲ハムレット』の登場人物である。デンマークの若い貴婦人で、ポローニアスの娘、レアティーズの妹、ハムレット王子の妃候補でもある。王妃ガートルードとならんで、この戯曲に登場する2人の主な女性キャラクターのうちのひとりである。日本語ではオフェリアオフェリヤなどと表記することもある。」(オフィーリア

  • この対応箇所では、原文にはない「日本語ではオフェリアオフェリヤなどと表記することもある」という文が翻訳者の独断で加筆されています。こうした記述は、通常、脚注など、翻訳者の注釈であることが明示されるようにするものだと思いますが、Wikipediaでは、その必要はないのでしょうか。

"Ophelia has been portrayed on screen since the days of early silent films. Dorothy Foster played Ophelia opposite Charles Raymond's Hamlet in the 1912 film Hamlet. Jean Simmons played Ophelia opposite Laurence Olivier's Oscar-winning Hamlet performance in 1948; Simmons was also nominated for the Academy Award for Best Supporting Actress. More recently, Ophelia has been portrayed by Marianne Faithfull (1969), Helena Bonham Carter (1990), Kate Winslet (1996), Julia Stiles (2000) and Gugu Mbatha-Raw (2009). Themes associated with Ophelia have led to movies such as Ophelia Learns to Swim (2000), and Dying Like Ophelia (2002)." (en:Ophelia)

映像化作品 「オフィーリアはサイレント映画の初期から映画で描かれてきた。ドロシー・フォスターがチャールズ・レイモンド演じるハムレットの相手役として1912年の映画『ハムレット』でオフィーリアを演じた。ジーン・シモンズはハムレット役のローレンス・オリヴィエアカデミー主演男優賞を受賞した1948年の『ハムレット』でオフィーリアを演じたが、シモンズもこの時にアカデミー助演女優賞にノミネートされている。もっと新しい映像化では、アナスタシア・ヴェルチンスカヤ(1964年版、ロシア語)、マリアンヌ・フェイスフル(1969年版)、ヘレナ・ボナム=カーター(1990年版)、ケイト・ウィンスレット(1996年版)、ジュリア・スタイルズ(2000年版)、マライア・ゲイル(2009年版、デイヴィッド・テナント主演の舞台のテレビ化)などがオフィーリアを演じている。オフィーリアに関連する映画としては、Ophelia Learns to Swim (2000)やDying Like Ophelia (2002)などがある。

現代の上演や映像化の多くでオフィーリアは狂気の場面において裸足で現れる。映画ではグリゴーリ・コージンツェフ1964年版フランコ・ゼフィレッリ1990年版ケネス・ブラナー1996年版マイケル・アルメレイダ2000年版などがこの演出を用いている。」(オフィーリア#映像化作品

In art

"Ophelia has been a frequent subject in artwork, often in a Romantic or Classical style, as the images on this page show." (en:Ophelia)

美術

「オフィーリアはしばしば美術作品の主題となっており、古典主義ロマン主義ラファエル前派などの画家たちに画題とされた。」(オフィーリア

  • この対応箇所では、「ラファエル前派」の部分が原文にはない翻訳者独自の加筆です。このような記述は、原文と区別し、たとえば脚注で示したりする必要はないのでしょうか。

In non-fiction

"Psychologist Mary Pipher named her non-fiction book, Reviving Ophelia: Saving the Selves of Adolescent Girls (1994), after Shakespeare's Ophelia."(en:Ophelia)

ノンフィクション

「心理学者のメアリ・パイファーはシェイクスピアのオフィーリアにちなんで自著をReviving Ophelia: Saving the Selves of Adolescent Girls (1994、日本語タイトル『オフェリアの生還―傷ついた少女たちはいかにして救われたか?』岡田好恵訳、学習研究社、1997)と命名した。この本の中でパイファーは現代アメリカの思春期の少女たちがおくる問題の多い生活を精査している。」(オフィーリア#ノンフィクション

  • この対応箇所においては、「この本の中でパイファーは現代アメリカの思春期の少女たちがおくる問題の多い生活を精査している。」が翻訳者独自の加筆となっており、原文にはない記述です。
  • この利用者が翻訳された記事を1、2ページ閲覧するだけで、少なくとも以上のような箇所がありました。Wikipediaにおける翻訳では、何の問題もない編集行為なのでしょうか。--アノニ会話2017年6月15日 (木) 11:28 (UTC)[返信]

翻訳記事の加筆および修正[編集]

半反応式」のページには以下の記述があり、加筆や修正が促されていますが、それは、現在の表現をより原文に近づけるように求めるものです。(2017/06/18)

「この項目「半反応式」は翻訳されたばかりのものです。不自然あるいは曖昧な表現などが含まれる可能性があり、このままでは読みづらいかもしれません。(原文:en:Half-reaction)修正、加筆に協力し、現在の表現をより原文に近づけて下さる方を求めています。ノートページや履歴も参照してください」(2016年10月)

そもそも元になった記事は、加筆や出典の改善が求められており、少々問題のある記事と言えるかもしれません。

“This article needs additional or better citations for verification. Please help improve this article by adding citations to reliable sources. Unsourced material may be challenged and removed” (June 2014)

ここでは、オリジナルの記事の問題は別として、翻訳記事の加筆や修正は、より原文の内容を忠実かつ分かりやすくすることが求められているのだろうと思います。Wkipediaにおける翻訳記事の扱いがこのようなものであるならば、翻訳記事において、原文の文章の一部を抜粋して独立させたり、原文にない表現を加えたりする編集は求められるものではないように思われますが、問題が指摘されていないということは、こうした編集行為は事実上問題ないということなんでしょうか。--アノニ会話2017年6月18日 (日) 02:43 (UTC)[返信]

加筆・修正[編集]

ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約」という記事に関して、「31条の条文からなる」という記述が「32条の条文からなる」へと変更されました。思い違いでなければ、この条約は1967年に署名された時点では31条だったと思います[3]。現時点(2017年6月19日)では、内容に関して「32条からなる」とありますので、こうした編集では、署名された時点などで32条あったと読まれる可能性があると思います。条約に関して修正があったのであれば、批准の経過と同じように、その経過を記した方が閲覧する人にとってよりよい記事であるように思いますが、特に問題ないのでしょうか。--アノニ会話2017年6月19日 (月) 13:01 (UTC)[返信]

「荒らし行為」とされ、ブロック対象となった編集[編集]

Claw of Slime 氏が問題とし、Los688氏が「荒らし行為」と判定し、即座にブロックを発動した原因となった記事の一部は以下の通り。(ある利用者の編集行為[4]と同様のご対応です。「荒らし行為」の判定やブロック期間の判定といった権限行使には、合意に基づく明文化された基準はあるのでしょうか。)

日本美術史問題への対応

問題の経緯

3月、佐藤康宏(主任講師)が試験問題を提出し、4月21日には宮本みち子(放送大学試験委員会委員長)は何の言及もせずに了承した。問題は事前に複数の専任教員による校正を受けたが、何の問題にもならなかった。その後、2015年7月26日、日本美術史の試験が実施され、学生から「現政権の批判ともとれる文章があった」という疑義が出されたため、単位認定試験係は問題を作成した佐藤康宏に指示を求めた。[5]

佐藤は試験問題に不備はないと回答したが、8月2日には、宮本みち子(副学長)から佐藤に一方的に問題箇所の文章を削除するという通知が届く。通知には「試験問題として不適切」、「現在審議が続いているテーマに関する自説を述べることは、放送大学の単位認定試験の在り方として認められない」といった文言が含まれていた。佐藤はこの措置に承服しかねるとして、措置を撤回しないのであれば辞めさせてほしいと申し出たところ、9月2日に面談が実施されることになった。佐藤によれば、來生、宮本、田中(学生課長)の3名が佐藤の研究室を訪れ、問題の箇所を削除するか、日本美術史という授業を継続するかを迫り、放送大学としては削除のほうが大事であると告げたという。[6]

岡部洋一(学長)は、大学側の考えを理解してもらえなかったという説明を向上したが、これに関して佐藤は「大学としては削除の措置に決定したという通告が突然きたのであって、それは考え方を伝え理解を求めたといわれても同意できない」と発言している。

來生の見解と批判

副学長であった來生は、毎日新聞で以下のコメントを出したが、朝日新聞や放送法を所管する総務省は「法に触れない」として、來生の見解を否定する立場を示した。「学問や表現の自由には十分配慮しなければいけないが、放送大学は一般の大学と違い、放送法を順守する義務がある。試験問題も放送授業と一体のものと考えており、今回は放送法に照らし公平さを欠くと判断して削除した」

これに対し、佐藤は次のように発言している。「まぁ、過剰防衛だと思いますが私は。放送法で、というんですけどね。試験問題は放送法の規制対象外ですからいってるんですけども、来生副学長はそちらは『一体のものである』」というようなそういうご意見で、どうしてもそれを曲げないのですね。まぁ、総務省も『放送法の対象外だ』ということを言っているようですから。やっぱり過剰防衛だという私の意見は間違いではないと思うんですけれども。」

武田砂鉄氏はNEWSWEEK(日本語版)のコラムで「すんなりとは受け止められない。」[7]と述べており、次のような意見を表明する弁護士もいる。「とても法学者とは思えないコメントであり、来生教授の講義を受講したことのある私としては、まことに残念と言うしかありません。試験問題と放送授業が仮に一体であると認めたところで、試験問題の内容がどうして放送法違反になるのか訳が分かりません。」[8]--アノニ会話2017年6月12日 (月) 14:40 (UTC)[返信]

「荒らし行為」とされず、ブロック対象になっていない編集[編集]

  • 以下は、「佐藤康宏」の記事にあるものですが、「荒らし行為」と判定されず、ブロック対象にされていない編集です。「自説を述べた」、「この疑義を無視した」といった表現は、「中立的」で「保守的な表現」であり容認できるということでしょうか。「自説を述べた」というのは教員側に対する大学側のマイナス表現である可能性があり、大学側はこのように表現したといった書き方をしなくてもよいのでしょうか。そもそも2015年10月20日は毎日新聞がこの問題を報じた日であり、大学側は試験問題を2015年7月26日に公開したわけですから、この日に「自説を述べた」とあるのは不正確であるように思います。
  • また、「試験後に受験者の一人から、現政権への批判、審議中の事案への意見は教育者による思想誘導と取られかねない、との疑義を訴えたメールが来たとの連絡を受けた」という表現ですが、前文の主語が「佐藤康弘」であるにもかかわらず、この文では主語が省かれており、佐藤氏が「連絡を受けた」ような印象を抱く可能性があり、あまり明確ではないように思います。事実としては、佐藤氏は、まず大学の担当事務職員からメールを受け取ったわけで、学生から直接、疑義のメールを受け取ったわけではありません。
  • さらに、この記述は「経歴」の項目の中で書かれています。
  • これらの編集は、2017年6月13日時点で「荒らし行為」ではないものとして認められているものです。「中立」で「保守的な表現」をしているため、編集した人はブロック対象にならないということでしょうか。
  • Claw of Slime 氏は、大学関係者を貶める行為だと批判しておられますが、なぜ「佐藤康宏」の記事については何も言及なさらず、一方の当事者の記事だけを問題視なさるのでしょうか。中立性の観点に基づき、大学関係者のページでこの問題を編集することは、大学関係者を貶めるような、wikipediaでは許可されない編集行為なのでしょうか。

2015年10月20日、放送大学で第一学期単位認定試験に出題した際の冒頭で審議中の政治的テーマに関する自説を述べた[9]。試験後に受験者の一人から、現政権への批判、審議中の事案への意見は教育者による思想誘導と取られかねない、との疑義を訴えたメールが来たとの連絡を受けた。佐藤は問題文の趣旨に賛成でも反対でも回答に差が出る種類の問題ではないと答え、この疑義を無視した。大学側が「現政権批判は公平性に欠き、単位認定試験のあり方として認められない」などを理由に、学内サイトで設問文を公開する際に一部文章の削除を通告した。しかし佐藤は、今回冒頭に記したのは戦前・戦中期の美術について、今に生きる自身の問題として考えてほしいという受験者へのメッセージであり、これは単に警告を呼びかけるに過ぎず、法案への反対や津田青楓のように議会への告発を表明しているわけではないと説明した。[10]。更に試験問題は放送法の適用を受けず、同意なき削除は著作権の侵害などを理由に反論し[11]、2019年度までの契約だった客員教授を15年度限りで辞めた[12]。--アノニ会話2017年6月13日 (火) 14:31 (UTC)[返信]

再編集(仮)[編集]

編集上の注意事項

  • Wikipedia:存命人物の伝記#公人・著名人:「ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するものであり、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。」
  • Wikipedia:信頼できる情報源#信頼性の評価:「オンラインの情報源は、印刷物やほかの伝統的な情報源と同じように信頼性を評価してください。オンラインであれ印刷物であれ、出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができません。」
  • Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは:「ウィキペディアのコミュニティにおいての中立性とは、さまざまな「信頼できる情報源」を注意深く、批判的に分析し、それらの出典に含まれる情報を読者に明確かつ正確に取り次ぐことを意味します。ウィキペディアの狙いは論争を記述することであり、論争に加わることではありません。」
  • 名誉毀損罪#真実性の証明による免責:「刑法230条の2は、名誉毀損行為が公共の利害に関する事実に係るもので、専ら公益を図る目的であった場合に、真実性の証明による免責を認めている。これは、日本国憲法第21条の保障する表現の自由と人の名誉権の保護との調整を図るために設けられた規定である。(最判昭44年6月15日刑集23巻7号975頁)」
  • Wikipedia:五本の柱#ウィキペディアには行動規範があります:「他のウィキペディアンと同意できないときにも、彼らに敬意を払い、礼儀正しくしてください。個人攻撃や抽象論を振り回すことは避けて、編集が白熱しても冷静さを維持してください。」

問題になった箇所の再編集(仮)(再投稿の予定)

2015年度単位認定試験問題への対応

放送大学の単位認定試験をめぐり、大学側は「問題箇所」と認定した部分を削除したうえで問題を公開したことが判明した。これを受け、毎日新聞は、当該記事の冒頭で「一般的に担当教員の裁量があるとされる単位認定試験に対し、今回の大学側の対応は論議を呼びそうだ[13]」と伝えた。

問題の経緯

3月、客員教授の佐藤康宏・東京大学教授が試験問題を提出。4月21日には宮本みち子(副学長、放送大学試験委員会委員長)が了承し、試験問題に関して言及することはなかった。また、問題は事前に複数の専任教員による校正を受けたが、問題になることはなかった。その後、2015年7月26日、日本美術史の試験が実施され、学生から「現政権の批判ともとれる文章があった」という疑義が出された。次に示す問題文の導入部5行が問題とされ、「現在の政権は、日本が再び戦争をするための体制を整えつつある。平和と自国民を守るのが目的というが、ほとんどの戦争はそういう口実で起きる。1931年の満州事変に始まる戦争もそうだった」、「表現の自由を抑圧し情報をコントロールすることは、国民から批判する力を奪う有効な手段だった」などと記述されていた。

これを受け、大学の事務担当者(単位認定試験係)は、問題を作成した佐藤康宏に削除や修正を求めた。担当者からのメールに添付された「学生からの疑義」には「現在審議が続いている事案に対して、このようなことをするのは問題」、「思想誘導と取られかねない愚かな行為」などと書かれていた。佐藤は試験問題に不備はないと回答したところ、8月2日には、宮本から佐藤に問題箇所の文章を削除するという通知が届く。通知には「現政権への批判が書かれているが、設問とは関係なく、試験問題として不適切」、「現在審議が続いているテーマに関する自説を述べることは、放送大学の単位認定試験の在り方として認められない」といった文言が含まれていた。

佐藤はこの措置に承服しかねるとして、措置を撤回しないのであれば辞めさせてほしいと申し出たところ、9月2日に面談が実施されることになった。佐藤によれば、來生新(副学長)、宮本、田中(学生課長)の3名が佐藤の研究室を訪れ、問題の箇所を削除するか、日本美術史という授業を継続するかを迫り、放送大学としては削除のほうが大事であると告げたという。

岡部洋一(学長)は、一連の経緯について「本学としては、科目を担当する教員の学問の自由を基本に大学運営に取り組んでまいりました」、「本学においては、放送による授業と印刷教材及び単位認定試験の相互の補完関 係及び一体性に鑑みて、単位認定試験についても公平性、公正性の確保が必 要と考えてきました」、「本学の考え方を同教授にお伝えしましたが、残念ながらご理解をいただけず、本学の責任において一部削除した上で公表することとしました」[14]と声明を発表した。

これに関して佐藤は、「声明文の後の方に取ってつけたように記されている『学問の自由』とか『様々な意見が存在する解決困難な課題』とかは軽んじられていくことでしょう」、「単位認定試験問題が放送法の規制対象外であることは、総務省のコメントでも明らかですが(『朝日新聞』)、放送大学はそれを放送授業と一体のものととらえ、公平性、公正性を必要と考えるのだそうです」、「大学としては削除の措置に決定したという通告が突然きたのであって、それは考え方を伝え理解を求めたといわれても同意できない」[15][16]と発言している。

來生の見解と批判

副学長であった來生は、毎日新聞で「学問や表現の自由には十分配慮しなければいけないが、放送大学は一般の大学と違い、放送法を順守する義務がある。試験問題も放送授業と一体のものと考えており、今回は放送法に照らし公平さを欠くと判断して削除した[17]」という見解を表明した。來生の見解の根拠は放送法第4条であり、放送局に対し「政治的に公平である」「意見が対立している問題は、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする」ことを求めるものである。

放送法を所管する総務省は「法に触れない」として、來生の見解を否定する立場を示したことを受け、佐藤は次のように発言している。「まぁ、過剰防衛だと思いますが私は。放送法で、というんですけどね。試験問題は放送法の規制対象外ですからいってるんですけども、来生副学長はそちらは『一体のものである』」というようなそういうご意見で、どうしてもそれを曲げないのですね。まぁ、総務省も『放送法の対象外だ』ということを言っているようですから。やっぱり過剰防衛だという私の意見は間違いではないと思うんですけれども[18]

また、服部孝章(立教大名誉教授、メディア法)は毎日新聞紙上で、「異常な反応だ」と述べている。

◇異常な反応だ 服部孝章・立教大名誉教授(メディア法)の話 政権批判がダメならば慰安婦などいろいろな問題が出題できなくなってしまう。削除する必要は全くない。表現の自由以前に学問の自由をどう考えているのか。 放送大学の試験問題の出題が政治的中立性を保たなければならないのならば、講義そのものが成り立たなくなり、多くの授業で放送大学の存在意義が問われる。学問における中立性が何なのかが問われる異常な反応だ[19]

参考文献 [20] [21] [22] [23]--アノニ会話2017年6月12日 (月) 10:38 (UTC)[返信]

ご注意[編集]

とりあえず、

  • 信頼できる情報源を出典としてお使いください。信頼できる情報源の要件を満たさないものは出典として使用しないでください。新聞報道、大手紙・テレビ局会社からのニュースなどは出典として用いることは問題ありませんが、個人ブログ、まとめサイトなどは情報源としては不適切です。
  • 学校内部の問題を針小棒大に書き立てないようにしてください。
  • 「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください。」(Wikipedia:エチケットより) ウィキペディアは基本的にどんな政治的スタンスの方でも受け入れますが、同時に中立的であることも求められます。自らの政治信念的に許せないことを中立的に書くのは難しいと思いますよ。

以上--Muyo会話2017年6月23日 (金) 14:43 (UTC)[返信]

Muyo様、ご連絡ありがとうございました。
  • 情報源として、facebook等が利用可能なのかどうか事前に調べて編集いたしました。全く使えないという規定にはなっておらず、利用可能なケースに当たると判断いたしました。(Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源)問題あるようでしたら、具体的な箇所について教えていただければ幸いです。再編集することになるか、あるいは強制的な削除になると思います。
  • facebook等の情報源に関してですが、これを利用した記述は、たとえば以下の記述です。これを利用しないと争う双方の立場に対する公平な記述にならず方針に反すると思ったのですが、削除すべきでしょうか。この問題に関しまして、大手メディアを通して発言することもでき、東大出版の雑誌でも発言した当事者の見解ですから、大手メディアの媒体を通していないとはいえ、信頼に足る情報源として利用できるケースだと判断いたしました。

これに関して佐藤は、「声明文の後の方に取ってつけたように記されている『学問の自由』とか『様々な意見が存在する解決困難な課題』とかは軽んじられていくことでしょう」、「単位認定試験問題が放送法の規制対象外であることは、総務省のコメントでも明らかですが(『朝日新聞』)、放送大学はそれを放送授業と一体のものととらえ、公平性、公正性を必要と考えるのだそうです」、「大学としては削除の措置に決定したという通告が突然きたのであって、それは考え方を伝え理解を求めたといわれても同意できない」と発言している。

  • 学校内部の問題とはいえ、表現の自由、学問の自由、放送法の解釈や政治的中立性などが問題となっている問題であり、問題を取り上げ、国民に知らせる価値があるからこそ、大手メディアが報じたのだろうと考えております。また、そうした情報源に基づき、誇張なく書いたと思いますが、針小棒大になっているようであれば、具体的な記述箇所をご指摘されたうえで、ご指導くださるようお願い申し上げます。問題あれば再編集いたします。
  • ご指摘くださりありがとうございました。ページを参照し、このルールが「中立的な記事を書くためのもの」であることを理解いたしました。もし、情報源と比べ、政治的に中立公平になっていない箇所があれば、具体的にご指摘くださるようお願い申し上げます。一方の当事者だけにこの問題が編集されていることは不公平に思いました。中立性および公平性に問題があれば、再編集か強制的に削除になると思われます。
  • もう一方の当事者の記事(佐藤康宏)には「この疑義を無視した」などの記述があります。こうした表現に対しては、やや公平性に欠ける、編集者自身による判断といった印象を抱きました。佐藤氏は、無視はしておらず、疑義をふまえたうえで不備はないと回答しており、中立公平に書くのであれば、「疑義にも関わらず、試験問題に不備は無いと回答した」などと書く方がよいのではないでしょうか。この記事は、この問題を経歴の項目のところに書いていたり、不正確な記述もあったりします。私の編集した、一方の当事者に対する記事だけではなく、是非この記事もみていただきたいと思います。

以上--アノニ会話2017年6月23日 (金) 14:56 (UTC)[返信]

攻撃と管理者権限[編集]

攻撃を受けた記事の編集したので、再び攻撃を受ける可能性があるのだが、その際、管理者様には適切なガイド、公平かつ公正な権限行使を願うばかりである。

以前、利用者名240f:65:92c9:1:e54b:4a83:1025:bcaa、240F:65:92C9:1:5D57:7EA:BF62:87C によって理由なき除去による白紙化が行われ、その後対話拒否がなされた。この件について管理者であるアルトクール氏に問うたが、「保護だけでなくブロックの対象になります。編集合戦をしているという自覚をもってください。何事も行き過ぎれば『どちらも荒らし』です。」というご回答であった。編集合戦や保護というものを知らない初心者であり、「掲載に可否について相手方と話し合うなり、議論するなりしてからやってください。」という言葉を受け、そのお言葉どおり対話しようとして完全な対話拒否にあったのだが、そういう利用者と同等という評価であった。その後、対話や議論が促されることは一切なく、問答無用で理由なき除去が行われた状態のまま記事の保護が強行され続けた。これは理由なき除去を行ったものの意志が反映され続けることを意味し、理由なき除去を実行したものを利する状態が継続することを意味するものであった。

また、126.253.195.36という利用者からも、個人攻撃を受けた。このことを管理者であるアルトクール氏に伝えたところ、「Wikipedia:個人攻撃はしないに該当するかは微妙」、「問題を先送りして、自分の書きたいように書く行動をしていた」、「コミュニティを疲弊させるといわれても仕方ない(保護された、ということは言い方を変えれば『ブロックされる可能性も十分にある』ということ)」というメッセージをいただいた。この利用者はアルトクール氏に「コミュニティを疲弊させる利用者」、「全く他の方の指摘を聞き入れずにこうやって自説を語っている」などと述べる一方で、編集行為を無条件に無効にするという個人攻撃を行っており、後に別の管理者様によって約三年間のブロックを受けた利用者であったが、管理者のアルトクール氏は個人攻撃を行ったとして荒らし認定をされることはなかった。むしろこの利用者の言葉に同意を示され、さらには投稿ブロックの可能性が十分にあるとさらなる管理者権限の行使を再度示されたのである。

利用者に対する管理者権限の行使に関しては、私情による恣意的な行使ではなく、利用者に公平となるよう、公正に行使していただきたいと願っている。また初心者には適切な説明やガイドも必要ではないだろうか。(なお、詳細は利用者‐会話:アルトクール/過去ログ9の「68 保護に関して」を見ていただきたい。)--アノニ会話2018年11月17日 (土) 20:56 (UTC)[返信]

脚注[編集]

  1. ^ 『英語で読むシェイクスピア四大悲劇』IBCパブリッシング, p.16
  2. ^ 例えば、Full text and images by William Paget on the University of Florida's Digital Collections
  3. ^ Treaty for the Prohibition of Nuclear Weapons in Latin America and the Caribbean (Treaty of Tlatelolco)
  4. ^ [2017年6月14日 (水) 16:27 (差分 | 履歴) . . (+2,108)‎ . . 大杉勝男 ‎ (→‎引退後) (タグ: モバイル編集、モバイルウェブ編集)]
  5. ^ 放送大学:政権批判を自主規制
  6. ^ 放送大学:政権批判を自主規制
  7. ^ 「政治的中立性」という言葉にビビりすぎている
  8. ^ 放送大学「日本美術史('14)」単位認定試験にかかわる見過ごせない大学の措置について
  9. ^ 問題文の冒頭は次のとおり(放送大学はホームページに公開する際この部分を削除した)。
    現在の政権は、日本が再び戦争をするための体制を整えつつある。
    平和と自国民を守るのが目的というが、ほとんどの戦争はそういう口実で起きる。
    1931年の満州事変に始まる戦争もそうだった。それ以前から政府が言論や報道に対する統制を強めてきた事実も想起して、昨今の風潮には警戒しなければならない。
    表現の自由を抑圧し情報をコントロールすることは、国民から批判する力を奪う有効な手段だった。
  10. ^ 佐藤康宏 「日本美術史不案内78 政治的中立」『UP』2015年10月号(通巻516号)、一般財団法人東京大学出版会、2015年10月5日、pp.44-45。
  11. ^ 放送大学、単位認定試験で“偏向”問題を出題「現政権は再び戦争を始めるための体制…」指摘受けサイトから削除1/22/2産経新聞2015年10月20日
  12. ^ 放送大学:政権批判の問題文削除 単位認定試験「不適切」 毎日新聞2015年10月20日。佐藤康宏「日本美術史不案内80 放送大学で学ぶ『UP』518号、2015年12月。佐藤康宏「放送大学試験問題文削除事件」『法学セミナー』741号、2016年10月
  13. ^ 「放送大学:政権批判の問題文削除 単位認定試験『不適切』」『毎日新聞』2015年10月20日
  14. ^ 単位認定試験問題に関する件について
  15. ^ facebook 2015/10/23
  16. ^ 放送大学:政権批判を自主規制
  17. ^ 「放送大学:政権批判の問題文削除 単位認定試験『不適切』」『毎日新聞』2015年10月20日
  18. ^ 放送大学:政権批判を自主規制
  19. ^ 「放送大学:政権批判の問題文削除 単位認定試験『不適切』」『毎日新聞』2015年10月20日
  20. ^ 「放送大学:政権批判の問題文削除 単位認定試験『不適切』」『毎日新聞』2015年10月20日
  21. ^ 放送大学:政権批判を自主規制
  22. ^ 単位認定試験問題に関する件について
  23. ^ facebook 2015/10/23