利用者‐会話:コータ

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ウィキペディアにようこそ![編集]

こんにちはコータさん、はじめまして!Mint22と申します。ウィキペディアへようこそ!

  • ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
  • よろしければ自己紹介してみてください。
  • お隣の利用者ページは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースといったサブノートを作ることができます。
  • 執筆の際には中立的な観点および著作権にご留意ください。
  • 何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。

あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。

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なお、このメッセージは主に利用者‐会話ページに何も記入されていない方に投稿しておりますので、すでに活動を開始されてから期間が経っていらっしゃるのでしたら、お詫びいたします。--Mint22 2005年5月30日 (月) 20:15 (UTC)[返信]

ローマの発祥と地中海の内海化[編集]

具体的な時代を記して反証してください。


ローマの内海化はポエニ戦争終結の紀元前146年頃、ローマの発祥はちょっと正確な年代を覚えてはいないのですが、帝政の開始よりは前であったかと。どちらにせよ、帝政開始時にはゲルマニアを除き、大方の領域は固まり始めており、「紀元前27年- 476年(西ローマ滅亡)、1453年(東ローマ滅亡)の間に、ローマ市に発祥し、ローマを中心として地中海を取り囲み、その周辺一帯まで及ぶ広大な領域を支配した」という以前の記述には語弊があります。ついでに言いますと、コンスタンティヌス帝以降はローマが中心とは限らなくなってきます。・・・こんな感じでよいですか? コータ 2005年9月4日 (日) 01:29 (UTC)[返信]

イギリスの歴史[編集]

どうもどうも。始めましてJuyukichiと申します。イギリスの歴史における。コータさんによる2005年9月16日(金)15:57の編集を、ご自身の2005年9月16日(金)13:07の編集に差し戻しさせて頂きました。詳細は○○を参照と言う言い回しは極めて便利なのですが、それを一旦許すと、内容が全く無い、ただのガイド項目になってしまう恐れがあります。ただのガイド項目になってしまっている例。逆にある程度文章になっていて、それなりに読めるものとなっているものとしてはアメリカ合衆国の歴史があります。これはja:wpにおける各国史において一つのお手本になる例であると思います。コータさんの利用者ページ及び、投稿記録を拝見いたしました所、イギリス近代史がご専門との事で、大英帝国にも精力的に加筆なされているのも、拝見させていただきました。「○○の歴史」がある程度概説的になるのは許容されると言うか、避けられないと思いますが、是非、コータさんのご見識の下何らかの内容のある書き込みをしてくれるを希望する次第であります。ではでは。--Juyukichi 2005年9月17日 (土) 00:31 (UTC)[返信]

ざっくりと書いてみました。コータ 2005年9月18日 (日) 07:22 (UTC)[返信]
遅くなりましたが、コータさんの適切な編集に感謝申し上げます。ありがとう御座いました。--Juyukichi 2005年9月20日 (火) 01:21 (UTC)[返信]

イギリス革命について[編集]

おっしゃることは分かるのですが、イギリス革命をあの場で清教徒革命に直にリンクしてしまうのは多少乱暴なように思われます。歴史学において一般的に使われる言葉でも、世間一般的にあんまり一般的でない言葉に関しては、それなりの断り、簡単な説明が必要だと思われます。(Wikipdeiaはそれ専門の人ばっかりが読んでいるとは限りません)で、妥協案ですが、

イギリス革命(清教徒革命名誉革命、イギリス革命の概念については清教徒革命の項参照)

とするのじゃ駄目ですか?--Juyukichi 2005年12月7日 (水) 18:17 (UTC)[返信]

良いのでは無いのでしょうか。「市民革命」のノートにも書きましたが、名誉革命がイギリス革命の完結編といった感じですので、名誉革命を参照する方が良いかもしれません。清教徒革命の方にしか、イギリス革命への言及がなかったので、清教徒革命にリンクをしましたが、一応、名誉革命の方にも一言付け加えておきました。どちらを参照先にするかはお任せします。 コータ 2005年12月10日 (土) 18:28 (UTC)[返信]

イギリス革命の定義[編集]

イギリス革命について色々あたってみたのですが、どうもピューリタン革命をさしているように思えるのです(たとえば、岩井淳・大西晴樹編『イギリス革命論の軌跡』蒼天社出版、2005)。私も18世紀が専門のくせに知らなかったんですが…。リダイレクトでピューリタン革命に飛んでも良さそうな気がしてきています。名誉革命は「1688年革命」という呼称が市民権を得つつあるような印象です。ご専門からは少し外れるかもですが、deepなトークができそうな方を他に知らないので、ご相談したく思いました。で、このへんのことを当該諸記事に反映させようかな、とも思ってるんですが、どないなもんでしょうか。アズンチャ 2006年2月15日 (水) 03:12 (UTC)[返信]

転送先についてはピューリタン革命へのリダイレクトで問題は無いかと思います。ですが、「イギリス革命」の意味する所は「ピューリタン革命」と「名誉革命」の両方を合わせたものとするのが一般的かと思います。『西洋近代史研究入門 増補改訂版』(望田幸男、川北稔他編、名古屋大学出版会、2001)では「ピューリタン革命と名誉革命をあわせて『イギリス革命』と捉える」とされていますし(p.6)、『西洋の歴史 近現代編 増補版』(大下尚一他編、ミネルヴァ書房、1998)でも、ピューリタン革命が引き起こした変動が名誉革命で落着したとして二つの革命を合わせてイギリス革命と見做しています。『イギリス革命論の軌跡』は未読なので何とも言えませんが、2005年2月刊行という事なので、内容を記事に盛り込むのは、史学雑誌の、次の「回顧と展望」の評価を待った方が無難かもしれません。
「1688年革命」という呼称ですが、どうやら海外ではこちらの用語の方が一般的の様ですね。「1688年革命」で検索すると中国語ばかりがヒットするのはご愛敬ですが、英語の文献では"Revolution of 1688"という用語が使われている感じです。Oxfordのイギリス史事典では"Glorious Revolution"で出ていますが、通常の文献では"Revolution of 1688"が使われています(例えばThe Cambridge Historical Encyclopedia of Great Britain and Irelandなど)。まあ、それを言ったら「ピューリタン革命」も"Civil War"になってしまうのですが。ただ国内では依然として「名誉革命」が多い様に思われます。日本では良くも悪くも戦後歴史学の積み重ねがあり、イギリス万歳な時期に基礎的な研究が為されているためか、海外の研究とは必ずしも用語の選択がリンクしないかもしれません。いずれにせよ、海外では日本とは異なった用語が使われている、という点を盛り込むのは有意義かと思います。 コータ 2006年2月16日 (木) 17:22 (UTC)[返信]
両論併記という形もあるかも…。もとをただせば、維新以降、イギリス史を近代化の模範と捉えて研究が蓄積されてきたことに端を発するのかも。革命の命名については、本国でも揺れていて、歴史家個々の立場によるみたいですね。お互い、手持ちの文献が食い違うので「ジェントリ論争」みたいになってしまうかもですが、最近みた中では『イギリス革命のセクト運動』(大西晴樹、御茶の水書房、2000)のしょっぱなに「『市民革命』あるいは『ピューリタン革命』といわれる17世紀のイギリス革命において、…」とありました。
その一方で「革命研究」といえば17世紀後半の両革命をさす了解ができている感もあります。一体どうなんだと叫びたくなってきます。ともかく、「回顧と展望」待ちが賢明のようですね。アズンチャ 2006年2月17日 (金) 09:09 (UTC)[返信]

査読:清教徒革命について[編集]

査読依頼の清教徒革命についてコメントしていただき、ありがとうございます。対応遅くてごめんなさい。ちょっと討論?したいことがらもありますので、ノート:清教徒革命までおこしいただけますでしょうか。アズンチャ 2006年1月22日 (日) 19:06 (UTC)[返信]

おめでたうございます[編集]

あなたが(ほぼすべて)かいてゐる「家事使用人」が「新着記事より」にえらばれました。門外漢であるわたしからみれば(エマヴィクトリアンガイドくらいしかしりません)、この記事はほぼ完璧に見えます。ああでも、どういふ24時間をすごしたのか、とかかくと、読み物としておもしろいかもしれませんね。ところで、ひとつ懸念がありまして。引用の形式があることはわかります。((ホーン、2005、pp.3)←これらのことです。)が、この百科事典の性格、よつてたかつてみなが加筆していくことを考えると、これはまづいのではないのでせうか。引用もとの内容とWikiのそれがずれやしないか、加筆したいこともしづらなるのではないか、とおもふのです。どうでせう。--壽日 2006年1月23日 (月) 04:55 (UTC)(訂正)引用→出典--壽日 2006年2月3日 (金) 15:14 (UTC)[返信]

ご心配はごもっともかと思います。確かに<引用の場合は原文の改編を行った場合は著作権の侵害となってしまいます。しかし、この場合、引用はしておりませんので問題は無いかと。文中に記述しました出典は引用ではなく、「この内容はこの本のこの辺に書いてある事を元に書いています」という意味合いの註ですので、もし文章を変えたとしても参照元の著作権には抵触する事はないと思います。
逆に出典が無い場合は信憑性についての確認が取れなくなりますので、もしかしたら私が妄想を書き綴っているだけという可能性も出てきます。そこまで行かなくとも、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかに書かれている「オリジナルの研究成果」を発表しているのではなく、然るべき文献に立脚しているという証明がなくなってしまいます。最悪、参考文献リストの全てを読んでいただければ内容に関する信憑性は確認いて頂けるとは思うのですが、それではあまりに大儀ですので、論文や研究書にある様な形で文献名とページを明記致しました。
ですので、文の意味が変わらない程度の変更ならばそのまま、意味が大きく変わった場合は出典自体を削除して頂ければ良いかと思います。 コータ 2006年1月23日 (月) 15:49 (UTC)[返信]
ああはづかしい、お察しのとほり、引用と出典の用語をとりちがへてをりました。訂正します。まあでも、たしかに出典元の記述は加筆したいひとが消せばよい、といふ單純なはなしなのか、そうなのでせうね。とにかく、すつきりしました。ありがたうございます。--壽日 2006年1月24日 (火) 15:07 (UTC)[返信]

救貧法についてご相談[編集]

救貧法を投稿しましたが、コータさんのご意見をうかがいたいと思いました。私の専門から離れた分野で、付け焼き刃的に調べて書いたものだったので(ていうか、今までなかったのが不思議な気もしますが)。ひとことコメントいただけたらうれしいです。アズンチャ 2006年2月25日 (土) 08:39 (UTC)[返信]

拝見させて頂きました。よく調べられているという印象を受けました。他の時期と比較すると19世紀以降はやや手薄かもしれませんが、必要な内容は押さえられているかと思います。 コータ 2006年3月2日 (木) 15:42 (UTC)[返信]

WASBHにようこそ![編集]

こんにちはコータさん、はじめまして!--S kitahashi(Plé)と申します。WASBHへようこそ!(以下略)

…ご署名ありがとうであります。今後ともよろしくです。--S kitahashi(Plé)2006年4月12日 (水) 16:51 (UTC)[返信]

こちらこそ宜しくお願いします。 コータ 2006年4月14日 (金) 16:50 (UTC)[返信]

(提案)ビュッフェの呼び方の件について[編集]

こんにちはコータさん、はじめまして。ビュッフェでの校正・編集・追加記載作業ありがとうございました。

当方の拙い文章が読み易くなり大変感謝致しております。さて、1点提案したいのですが。

ビュッフェの呼び方の部分の件ですコータさんが削除された「海外での名称~セルフ方式の食事は「ビュッフェ」や「バッフェ」が使われている。 」は当方のミステイクでした。記載削除には同意します、「ビュッフェ」、「バッフェ」、「ブッフェ」の呼び名の件は改めて書き直し、記載したいと思います、以下は予定している草稿です。
  • 国内の高級ホテルでは、「ビュッフェ」、「バッフェ」、「ブッフェ」と言う名称で各レストランで使用されているが、すべて「セルフ方式の食事=ビュッフェの同義語」である。
これはヒルトンの「ワールド・ワールド・バッフェ ヒルトンプラザ ウエスト店」や、京王プラザの「スーパーブッフェグラスコート」など各ホテルの解釈で各レストランでセルフ方式の呼び名はバラバラなので、ウィキペディアの百科事典にブッフェ・バッフェは、「ビュッフェの同義語=セルフ方式の食事」での紹介記事は欠かせないかな…と判断したものです。業界に詳しい、料理通な方とかには「不要」な記載であるのは重々承知しておりますが、これからホテルのレストランを利用して見たい…と言う、初心者の方にも知って置いて頂きたいと思っております。
コータさんが削除された内容と、今回の草稿はまったく意味合いの違う物となっているので、このまま追記しようか…とも、思ったのですが編集合戦とかになってしまったら不本意なのでこちらのノートを使用させて事前に提案とさせて頂きました。
この件に付きましてのご意見お待ちしております、長文となり、乱文失礼しました。Tokotoko 2006年6月17日 (土) 16:11 (UTC)[返信]
ビュッフェのノートの方に書き込みました。ビュッフェ本文の方、修正お願い致します。 コータ 2006年6月17日 (土) 08:03 (UTC)[返信]

Portal:歴史学[編集]

こんにちは。某所で盛り上がって、勢いでPortal:歴史学を作ってみました。今後のありかたなど含め、お知恵を拝借できたらと思います。よろしくお願いします。S kitahashi(Plé)2006年6月17日 (土) 19:47 (UTC)[返信]

仕事の関係でしばらくネットから離れていました。返事が遅くなって申し訳ありません。歴史学を学んだ者として微力ながらお手伝いさせて頂きます。 コータ 2006年6月22日 (木) 14:14 (UTC)[返信]

はじめまして[編集]

利用者:Nevermindは現在、著作権侵害・誹謗中傷行為・反逆罪・多重アカウントによる編纂妨害などに問われています。Wikipedia:投稿ブロック依頼 2007年2月#利用者:Evahpirazziで制裁への賛成票を投じることができます。--VON01 2007年2月6日 (火) 17:07 (UTC)[返信]

ブロック依頼は「制裁」のための手段ではありません。--PeachLover[[利用者民族査読のお願い‐会話:PeachLover| ももがすき。]] 2007年2月7日 (水) 03:00 (UTC)[返信]
拝見致しました。どうやら私も、一方の当事者と見なされている様なので、賛否は控えさせて頂きます。大人げないと言われればその通りなので、両成敗でも良いと言えば良いんですけど。--コータ 2007年2月9日 (金) 16:41 (UTC)[返信]

大英帝国問題というか何というかについて[編集]

こんにちは、ごぶさたしています。ノート:イギリス帝国でまたまた議論が起こっています。私のストライクゾーンから微妙に外れているので、よろしければまたまたコメントいただければと思い参りました。とりいそぎご用件まで。--S kitahashi(Plé)2007年8月8日 (水) 14:36 (UTC)[返信]

遅くなって申し訳ありません。重要なことは既に仰って頂けているようで、繰り返しになってしまいましたが、私からもコメントさせて頂きました。--コータ 2007年8月10日 (金) 15:41 (UTC)[返信]

民族査読のお願い[編集]

ナショナリズムの記事の充実に貢献されたようで、すばらしい記事になっていると思います。さて、民族の記事が、ややまとまりのない状況になっていることと、細かい部分で、書物に当たっていない部分(たとえば英語版からの翻訳由来の部分など)がありますので、よろしければ、ざっとでも見ていただければ幸いです。以上、よろしくお願いします。--Clinamen 2007年10月31日 (水) 01:49 (UTC)[返信]

三点ほど、ちょっと気になる所がありました。一点目は、「エトニ(エスニー)」ではなく「エスニック・グループ」がネイションと対置されていることです。エスニック・グループという場合、特定の国や地域の中における「民族的な」集団を意味するかと思います。複数の国にまたがって居住するような民族は一国の国内だけで見れば「エスニック・グループ」ですが、国境の枠を取り払って民族全体を考えると、これはもう「エスニック・グループ」という概念では捉えきれません。やはりここは政治的枠組みにとらわれない文化的共同体として、「エトニ」を持ってくるべきかと思います。
二点目は翻訳部分かと思いますが、語源についての記述です。日本語の「民族」について解説する際にネイションとエトノスの語源を詳細に説明するのは、ちょっと本筋から外れているのでは、という気がします。ネイションおよびエトニは、それぞれ独自に記事があって良いと思いますので、語源についての細かい説明はそれぞれの記事に譲ることも考えてみてはいかがでしょうか。
三点目は節の名前にある「ネーションとしての民族」、「エトノスとしての民族」という書き方についてです。この表現にやや違和感を感じます。説明し難いのですが、概念として「民族」は政治的共同体「ネイション」と文化的共同体「エトニ」を含む、というか両者を区別しません。「民族」の方が括りとして大きいので「ネイションとして」の様な書き方はおかしい、とそんな感じです。「政治的共同体としての民族」、「文化的共同体としての民族」あるいは単に「ネイション」、「エトニ」といった書き方の方が良いのではないかと思います。
ざっと見たところは以上です。--コータ 2007年11月1日 (木) 17:04 (UTC)[返信]

個別記事に関わる議論について[編集]

個々の記事に関する議論は当該ノートの中で議論されるべきものであって、個人のノートへの書き込みによって展開するのは議論の経過を曖昧にし、避けるべきものと考えています。コータさんが私のノートに書き込まれた「世界システム論」に関するコメントは当該記事の編集に関する意見として有意義であり、私へのお知らせとしてはありがたいことですが、上記の考えにより、当該ノートへ転記の上、私のノートには当該ノートにコメントしたことのみを記され、削除されることを要望します。--ゴンベイ 2008年3月11日 (火) 14:00 (UTC)[返信]

おおやけに間違いを指摘することはあまり望ましくないと考え、あえてゴンベイさんのノートへお知らせしました。ゴンベイさんのノートにつきましては、目を通していただいた以上、除去していただいて結構です。ただ私はノートは法的に問題がある場合などを除き極力残されるべきと考えているため、私自身による除去は控えさせて頂きます。残すか除去するかの判断はゴンベイさんにお任せします。--コータ 2008年3月11日 (火) 14:16 (UTC)[返信]
先のコメントのとおり、私はコータさんが私のノートに書き込まれた「世界システム論」に関するコメントは有意義と認めており、これに対して私の見解表明するためにも当該ノートへ転記したいと思いますが、ご了解いただけませんでしょうか。--ゴンベイ 2008年3月11日 (火) 14:32 (UTC)[返信]
転記自体は構いません。ライセンス上の手続きについてはゴンベイさんの方でお願い致します。が、既に(おそらく入れ違いで)ノート:世界システム論に書きました様に、文献に立脚した根拠について議論する方が建設的かと思います。--コータ 2008年3月11日 (火) 15:34 (UTC)[返信]
コメント転記については結局引用と同義であり、著作権法上の問題は無いと考えます。コータさんのご了解も得られたので転記します。削除といっても白紙化ではなくWikiの仕様上でコータさんが書き込んだ履歴も内容も保存されています。削除という言葉がお気に触ったらお許しください。また、単なる削除ではなくサブページへの退避とします。(退避ページを作るには量が少なすぎて、Wikiサーバー負担を考えると心苦しくもあり、実際の退避はだいぶ先になるでしょう。)--ゴンベイ 2008年3月11日 (火) 17:08 (UTC)[返信]
見解の相違や指摘を受けて、妥当なものは自身の誤りと認めて修正することに私は躊躇いがありません。例え個人を特定した批判であっても、正当な個人攻撃と無礼で不当な人格攻撃とは区別する分別を持ちたいと思いますし、コータさんの意見は私に対する人格攻撃であるとは思っていません。(といっても所詮ネット上の匿名氏に対するものという思いもあります。)--ゴンベイ 2008年3月11日 (火) 17:08 (UTC)[返信]