利用者‐会話:ムカイ

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このノートは過去ログ化されています。以前の議論やコメントについては以下を参照されてください。

ノートへコメントをされたい方は、過去ログページではなく、必ずこのページにお願いいたします。--ムカイ 2008年10月24日 (金) 14:46 (UTC)[返信]

日本城郭探訪紀リンクについて[編集]

初めまして。日本城郭探訪紀をリンク追加させていただいた者です。私も編集合戦を望んでおりません。 リンクの主旨としましてはわが国には2万を超える城郭遺構が残されております。 姫路城は世界文化遺産として登録されておりますが、日の目を見ることなく、その存在を忘れ去られようとした城郭が 大多数にのぼります。今そのような城郭には宅地開発や数百年の堆積物が堆積しあと何年見ることができるかわかりません。日本城郭探訪紀はそのような城郭(有名な城もありますが)をぜひ保存、伝えていく為には多くの人に知っていただくしかないと思い投稿いたしました。多くの人がそのような城郭を知っていただき、保存の為、観光目的としたとしても、公的機関(市町村等)をもし動かす力になってくれればと思い多くの人が城郭に行き着けるようにアクセス方法も記載いたしました。そのような城郭は中には史跡としても登録されていないものがあります。ぜひ私はこのような文化遺産を後世まで残していただきたいと思っております。 私のサイトは一切営利目的や私情を満たすだけのサイトとして作成しておりません。そのことを是非ご理解いただきたいと思っております。また(「城」そのものを解説するような項目がありませんでしたので)ということでございましたので、すぐに解説記事を掲載したいと思います。私は城を愛し、ウィキペディアを愛しいつも閲覧させていただいております。ぜひ私の主旨にご理解ご賛同の程をよろしくお願い致します。  「利用者 Miyakemasaru 2008年9月18日(金)9:06

ムカイさん御返事ありがとうございました。私はこれ以上日本城郭探訪紀をリンク追加することをwikipedia上で行う事を行わないように致したいと思います。少しお聞きしたいことがございます。それは現在wikipediaに掲載されていない城の説明をwikipediaに掲載してもよろしいのでしょうか。それと他の人が日本城郭探訪紀をリンクした場合はどうなるのでしょうか。失礼ながらよろしくお願い致します。--Miyakemasaru 2008年9月19日 (金) 22:50 (UTC)[返信]


貴重な資料添付と編集へのお礼[編集]

初めてお邪魔します。先日、小生が既にある妻壁のサイトへ勝手に諸般の事情により加筆した汚れの整理整頓に心より感謝申し上げます。先に加筆されていた方の立派な内容を汚してしまったと気にしていましたが、ムカイ氏の素早い対応に安堵しております。

さて、僭越ながら二つお願いが有ります。

1,もし出来ましたらUPして頂いたトラック画像が斜め写りとなっていますので、真後ろからのショット等が有りました節には一度ご検討願えませんでしょうか?

2,妻壁の別名、妻側にも同じ様な内容の加筆を願いたく思いますがいかがでしょうか?

以上、突然のお願いと、無礼をお許し頂き今後の更なるご活躍をお願い致します。   敬具


--いそう規格 2008年9月22日 (月) 08:07 (UTC)  元、可変IP加筆者より[返信]


小生のノートに態々ご挨拶を頂くも、不慣れな為に大変失礼な放置をしてしまいました。又、突然のご無理を早速叶えていただき心より感謝申し上げます。

この度は大変お世話になりました。今後も又、何かとお手数とご迷惑をお掛けする事とは思いますが、宜しくお願い致します。 略式ながら失礼致します。     敬具

--いそう規格 2008年9月23日 (火) 15:49 (UTC)[返信]

家相でのref作業について[編集]

先ずは、9月に対応していただき大変ありがとうございました。 大変申し訳ないのですが。 あまり歴史的な話や学術的な話に踏み込んだ本というのがあまり無いためだと思うのですが。 脚注にしてしまうと abcdefghi...あるいは、[2][2][2][1][2]...と見難くなってしまうこと。 それと当時からいくつかヌケがあったのですが、出来る限り検証可能性を満たす上でページ番号は必要だろうという判断から本文では「○○によれば、」「○○の著物によれば」と統一しておいて(今のところ1人から複数の著物は用いていません)、編集作業のためにページ番号だけコメントアウトして、「主たる参考文献」で p.2, 5, 7... と纏めて表に表示するように大幅に手を入れてしまいました。 事後連絡となってしまいましたがご意見等がありましたらノート等に残しておいて頂けると幸いです。 --秋月 智絵沙(Chiether) 2008年10月13日 (月) 15:01 (UTC)[返信]

こんにちは[編集]

朝鮮総督府において、これまでの議論は関係ないとし、大量に変化を加えている方がおります。ムカイ氏は当該記事にてずっと議論をされてきた方のひとりであり、ご意見をいただければ幸いです。--Dondokken 2008年11月2日 (日) 12:59 (UTC)[返信]

朝鮮総督府の記事について[編集]

こんにちは。ノートでのこれまでの議論を見てみましたが、あなたは、自分で図書館へ行って、いくつかの本を読む努力さえしていないのに、個人的な思い込みで編集をしていますね。責任を持って編集作業をするならば、2ちゃんねる的ないいかげんな行為でなく、せめて何種類かの百科事典や学術書などを読むくらいの努力はすべきです。しないのに、自分の勝手な思い込みで編集をするのは、周囲に迷惑であり、自分勝手で中立性に反する行為です。ノートに書くまでもないのでここに書きますが、今後、この記事に関して、編集作業に参加しないでいただきたいと思います。もし参加したいならば、きちんと調べた上で参加すべきです。畑違いの内容に勝手な編集を行うのは極めて迷惑ですし、これまでの議論が正しいから同意しろ、という姿勢は滅茶苦茶です。少なくとも、どうしても編集に参加したいならば、以下の内容くらいは熟読し、何冊かの本を読んだ上で編集に参加すべきだと思いますが、いかがでしょうか。あなたの行為が社会の迷惑になっていることを自覚してください。

http://www.geocities.jp/forever_omegatribe/Qanda.html

http://www.han.org/a/half-moon/hm078.html#No.534

http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/kougi/kindai_note/20sKeizai.htm

http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/kougi/note.htm#botsuraku

これらの内容くらいは読んでいますでしょうか?--Seiginow 2008年11月3日 (月) 04:14 (UTC)[返信]

ノート:真宗大谷派における私の発現について[編集]

お詫び
なぜここまでガイドラインに過ぎない「アラビア数字による表記」にこだわるか」の部分を改めて読み返すと、私こそ居丈高な発言でした。今後ノートで議論する際は、注意したいと思います。大変失礼いたしました。--Resto1578 2008年12月20日 (土) 15:08 (UTC)[返信]

ノート:真宗大谷派「外部リンクについて」[編集]

(コメント) 「ノート:真宗大谷派#外部リンクについて」のムカイさんの発言に対しての疑問です。

ムカイさんは、(要約)とされましたが、まだ数日しか経っていないので(修正案)ではないでしょうか?

「これにて、…修正させていただきます。」との意見にも疑問を感じます。

「これにて、」ではなく、期間を提示して修正する予告をされた方が良いと思いますが、いかがでしょうか?

ちなみに「外部リンク」のセクションに対しての私の意見は、Wikipedia上のどのルールを適用すべきか判断しかねるため、ノートページにあるように「保留です」。一定期間すぎて、「削除」の意見のみでしたら、反論する意思は、今のところありません。よろしくお願いします。--Resto1578 2009年1月1日 (木) 15:26 (UTC)[返信]

Sabkakusikaku氏の行為へのコメント依頼[編集]

墨俣城にて一部ご覧になっていると思われますが、手取川の戦いに始まって反論者の履歴を辿って連続リバートを掛けているSabkakusikaku氏の編集行為についてコメント依頼をWikipedia:コメント依頼/Sabkakusikakuで実施しておりますので一報します。よろしくお願いします。--yasumi 2009年3月1日 (日) 11:52 (UTC)[返信]

ご報告頂きありがとうございます。--ムカイ 2009年3月1日 (日) 12:48 (UTC)[返信]

デザイナーバーンスター贈呈[編集]

デザイナーバーンスター
城郭の画像ファイル提供について

私が加筆を行いました高取城坂本城利用者:ムカイ氏が作成されました城郭関係の画像を使用させていただきました。ムカイ氏は家紋、城郭関係に秀逸な画像提供されており、記事充実にこのような画像がある事は有意義で、改めましてこの点感謝申し上げたいと思います。--ブレイズマン 2009年3月10日 (火) 18:03 (UTC)[返信]

お願い[編集]

利用者:ムカイ氏の画像の配置編集後の記事を見ていて気づいたのですが、ムカイ氏は大きなディスプレイでWebをご覧、もしくは編集されていませんでしょうか?といいますのも天守#縄張りを見ますと私のディスプレイでは横がはみ出してしまいます。それ以外も大画面でレイアウトするとすっきりするかもしれませんが、小さいディプレイではレイアウトが崩れているパターンがあります。最近ではiPhoneでもウィキペディアをご覧になっている方もおられるようですので、大きな画面で見れない人にも少し注力して頂けますと助かります。ご検討下さいませ。後もう一点お願いがあるのですが、私は三好氏関係の記事を書く事が多いのですが、「三階菱」紋をお手すきの時にで結構ですので作成して頂けますと大変嬉しいのですが。勝手なお願いなのですが、ご検討下さいませ。--ブレイズマン 2009年3月10日 (火) 18:03 (UTC)[返信]

メッセージありがとうございます。上述のバーンスターのこととともにブレイズマンさんの会話ページへご返事させていただきました。--ムカイ 2009年3月11日 (水) 14:41 (UTC)[返信]
三好氏家紋の件で、早速の素早い対応、正直驚いております。大変嬉しい限りです。ただ、家紋に関しては全く知識がないのですが、こちらの三好氏のホームページを参照しますと、三階菱の下にひし型(釘抜?)をしたものが5つほどあるように思えるのですが、三好氏の家紋はこの「三階菱」のみでもよいのでしょうか?もし私が間違えて依頼したならば、大変申し訳なく思います。ご存知でしたら教えていただければと思います。いずれにしましても、依頼に対して迅速に対応していただき感謝申し上げます。--ブレイズマン 2009年3月11日 (水) 14:58 (UTC)[返信]
三好氏の家紋作成していただきまして、大感謝申し上げます。対応の素早さぶりにも、ただただ驚くかぎりです。天守の方に関しては試行錯誤しておりますので、しばらくお待ちください。いずれにしましても、深い感謝を申し上げます。--ブレイズマン 2009年3月13日 (金) 13:10 (UTC)[返信]

藤巴紋[編集]

三好氏の家紋ではこちらの勝手な要望に対して、真摯に対応していただきまして有難うございます。実は現在「有岡城の戦い」という記事を執筆中なのですが、この戦いで黒田孝高が約1年間牢獄されることになります。その資料を色々と読み解くうちに黒田氏家紋に関する逸話がありました。詳しいことは黒田氏の「黒田氏の家紋を探る」という部分を一読しててほしい(このホームページは紹介用でこの記載がある文献は探しています)のですが、牢獄から見える藤の花が心の支えになり、藤巴を自家の紋として用いるようなったと言われています。家紋というのは代替受け継ぐものとされていますが、自分で作成する事も出来るユニークな逸話で記述しようと思っています。そこでまた勝手なお願いなのですが、お手すきの時で結構ですので、藤巴紋を作成していただくと大変嬉しい限りです。黒田孝高、その息子黒田長政は独自タイトルの小説まである人気の武将で、私以外にも作成していただくと多くの方が使用されるのではないかと思われます。依頼ばかりして心苦しいのですが、よろしければご検討くださいませ。--ブレイズマン 2009年4月3日 (金) 06:32 (UTC)[返信]

私の一方的な依頼に快諾していただばかりでなく、素早さには本当に驚かされます。本来は自分で作成すべきですが技術が無く、感謝申し上げる事しかできませんが、本当に有難うございます。ただ、あまり義務感を持ってしまいますと気軽に依頼出来にくくなりますので、お手すきの時に実施して頂ければ幸いです。--ブレイズマン 2009年4月3日 (金) 15:45 (UTC)[返信]

(コメント)お心遣いありがとうございます。福岡の黒田氏は個人的に好きで(詳しくはありませんが)「藤巴」はいずれ製作しなければならないだろうとは思っておりましたし、今回は週末で、たまたま製作する時間があったということでですので、あまり重く受けなさらないでください。--ムカイ 2009年4月4日 (土) 01:13 (UTC)[返信]

深謝申し上げます[編集]

梶の葉の第一稿を執筆致しました利用者:海衛士と申します。記事加筆及び家紋の図柄を挿入頂きありがとうございました。 もし適うようでしたら、陰紋-黒の背景の白抜き紋様ではなく陽紋でしたらより素晴らしいと思ったのですが、難しいでしょうか。ご無理を申しあげる気はないのですがもし適いましたら陽紋も掲載頂ければ幸いです。 ちなみに、梶の葉は諏訪梶の葉や鬼梶の葉、丸に立ち梶の葉(二種類)などありますがこれの掲載もあるとなおうれしいのですが、適いませんでしょうか。不躾な要望にて失礼致しました。--海衛士2009年6月8日 (月) 16:11 (UTC)[返信]

不躾なお願いにも関わりませず、かくもすばらしい画像を作成頂き、ありがとうございました。再度のお願いでは恐縮の至りですが、掲示頂いた家紋、ひとしく陽紋とした上で、丸に立ち梶の葉(細かく言うと、「丸に立ち梶の葉」も葉の形(太い葉、やや細い葉)に二種類ありますが)も頂戴できましたら幸いなのですが、可能でございますでしょうか。幾度とお願いしてしまい申し訳ありません。--海衛士 2009年6月11日 (木) 15:24 (UTC)[返信]

度々のお願いにもみ関わりませず、まことにありがとうございました。御礼申し上げます。--海衛士 2009年6月13日 (土) 01:22 (UTC)[返信]

「寺院の記事名について」の回答。[編集]

コメントこんにちは、ムカイさん。

寺院の記事名について」に回答を書き込みました。ご一読いただけたらと存じます。--Resto1578 2009年9月19日 (土) 11:19 (UTC)[返信]

家紋の作成依頼[編集]

ムカイさん初めまして、越中掾と申します。ムカイさんの家紋や城郭などへの常日頃の活動には感服いたしました。
唐突で申し訳ないのですが、現行5宮家の家紋の画像を作成して下さりませんでしょうか。黒色の家紋で背景が透明(もしくは白地)のものが希望です。本当は自分でアップロードするべきなのでしょうがそういったことは不得手なので、どうかお暇がある時でよろしいのでお願い致します。--越中掾 平成22年3月14日 (日) 23時13分 (JST)

越中掾さん、はじめまして。家紋作成のご依頼をいただきありがとうございます。

調査などに多少時間がかかりますが、作成させていただきます。ただ、現宮家の家紋の内、新しい桂宮家、高円宮家については資料が少なく、詳細な図案がとれない場合がございます。もし、この2家の家紋の詳しい図案(家紋の図柄)についてご存知でしたらご連絡いただければと思います。--ムカイ 2010年3月15日 (月) 14:23 (UTC)[返信]

ご承諾していただき、本当に有り難うございます。
ちゃんとした書籍の情報については分かりませんが、画像ならばここのページの中盤あたりに載っていました。--越中掾 平成22年3月15日 (月) 23時59分 (JST)
早速ご連絡いただき、ありがとうこざいます。
幾日か、お時間をいただきますが、早速制作に取り掛かりたいと思います。--ムカイ 2010年3月16日 (火) 11:45 (UTC)[返信]
この度は、自分の我侭なお願いをお聞きいただき、ありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。とても良くできていて感嘆いたしました。--越中掾 平成22年3月20日 (土) 19時43分 (JST)

確認[編集]

ムカイさん。初めまして。Taisyoです。広島城この差分でメルアドみたいな物が入っていますが、個人アドレスでしょうか。そうであれば早急に対応します。--Taisyo会話2012年5月19日 (土) 00:48 (UTC)[返信]

家紋作成の依頼[編集]

以前、丸に細立ち梶の葉の家紋の画像作成につきお願いを致しました利用者:海衛士と申します。数年ぶりにお邪魔を致します。 その後、お変わりありませんでしょうか。またも、不躾なお願いとは存じますが、Wikipedia記事充実化の上で私自身どうしても力の及ばぬ部分でありまして、再度家紋画像の作成をお願いできればと思いまして、お邪魔致しました。 お願い致したいのは以下の家紋です。但し、不躾なお願いであります故、すべてではなく、いずれかでもありがたいと考えております。さらに、叶いますならば、黒地に白抜きではなく、白地に黒で描かれた画像があればと考えております。大変恐縮ではございますが、ご検討の程、賜れれば幸いに存じます。

作成頂ければと思う家紋候補

  • 丸に中陰抱き梶の葉
  • 丸に違い鷹の羽(白抜ばございますが、白の背景に黒で描かれた紋葉があればと存じます)
  • 菊に一文字
  • 丸に木瓜

                                              --海衛士会話2012年7月31日 (火) 13:52 (UTC)[返信]

海衛士さんこんにちは、お元気そうで何よりです。こちらは大して変わりはございません。
さて、家紋画像作成のご依頼、承りました。つきましては、家紋の図案について質問させていただきたいと思います。
  • 丸に中陰抱き梶の葉(作成できます。ただし、現物(中陰抱き梶の葉)の詳細な図案資料が手元にないため、図案が不正確になる可能性があります。)
  • 丸に違い鷹の羽(作成できます)
  • 菊に一文字
菊の図案について、丸のままの菊花でよろしいでしょうか。また花弁の枚数に指定がありましたら合わせてお願いします。(指定がない場合は十六菊でお作りします。)
  • 丸に木瓜(作成できます)
質問は、以上1点です。よろしくお願いいたします。いずれも制作可能で、梶紋以外はそう時間はかからないと思います。--ムカイ会話2012年8月4日 (土) 04:57 (UTC)[返信]
質問を取り消します。菊に一文字の図案を確認いたしましたので、通常言われている「菊に一文字」を作成いたします。--ムカイ会話2012年8月4日 (土) 12:04 (UTC)[返信]

ご健勝のご様子にて何よりでございます。まずは、この度は再度の不躾かつ突然なお願いにも関わりませず、かくも早く素晴らしい画像を作成頂き、感謝に堪えません。本当にありがとうございました。いつもご丁寧な対応を頂き、大変恐縮しております。にも関わりませず、ムカイ様ノートを拝見できず、ご質問にすぐにお返事できませんでしたこと。申し訳なくお詫び申し上げます。 ちなみにお返事としては、十六菊でございました。お願いした身でありながら、さほど詳細な仕様を申し上げず、失礼いたしましたが、いささか家紋の知識も精緻な部分については詳しくないもので不勉強を恥じ入るばかりです。

なお、お願いする以上、用途を明らかにするのが礼儀かと思いますが、いささかその説明を欠いておりました。個人的にWikipedia上にて南北朝から戦国までの関東の武家の歴史を編纂しており、そこでどうしても使用したい画像がございました。それがお願いした家紋でございます。さっそくにも画像を活用させて戴きたく存じます。 いささかお話が長くなりましたが、重ねて御礼申し上げたく存じます。素晴らしい作品ですから、今回の件にて重ねてのお願いはないかと思いますが、万一、何かありました折にはご相談申し上げるやもしれません。今後ともよろしくお願い申し上げます。--海衛士会話2012年8月4日 (土) 14:24 (UTC)[返信]

ありがとうございました[編集]

ムカイ様にはこの度、家紋製作のお願いを致しましたところ、快くお引受け頂き、かつ丁寧かつ迅速な形でご提供を頂きましたこと。まずもって御礼申し上げます。

ムカイ様のWikipedia上における家紋画像製作のご労苦に対し、歴史・日本文化・勤労バーンスターを贈呈し敬意と感謝の意を表します。--海衛士会話2012年8月6日 (月) 00:05 (UTC)[返信]

また、重ねてのお願いは大変恐縮ではございますので、特に急いだお願いではございませんが、今後、叶いますようなら、上諏訪梶の葉、丸に鬼梶の葉、丸に安部梶の葉、丸に三つ柏、六星、鶴丸等(いずれも白地に黒の紋葉)の家紋もご製作頂ければ誠に幸いでございます。再度の訪問、お願いにて恐縮でございますが、よろしくお願い申し上げます。--海衛士会話2012年8月4日 (土) 15:07 (UTC)[返信]

再度のお願いでございましたがありがとうございました。--海衛士会話2012年8月6日 (月) 00:05 (UTC)[返信]

Template:日本の城 関連用語について[編集]

  • ご連絡いただきましたterumasaです。テンプレートにつきましては表(最初の表)を各項目に書くのも手間であることや後々の編集も手間である判断した上で、ムカイさんが「日本の城」で書かれていたものを基にして作りました。
  • 表示については手前の複数のブラウザーで確認していますが自分のPC(モニター)では全画面でも縮小しても不具合なく表示されます。しかし以前使っていたPC(モニター)ではムカイさんと同様に横に広がって表示しきれない(横スクロールする)テンプレートもありました。
  • 「日本の城関連用語」のテンプレートは既存のテンプレートを参考にして(おそらく)初めて作った物で、表示に関してPCやモニターの設定が関係しているのか、テンプレート記述がどこかが間違っているのかまでは分かりません。またテンプレートが展開されている状態になっている場合、閉じている状態がありますが自動でなっているのか設定があるのかも分かりません。
  • 項目の追加・削除についてはムカイさん含め他の方の編集を制限できるものではありませんので不具合などがある場合は訂正していただけますとありがたいです。城のみに限定したものか、城にも関係することなのか、城にどこまで関わりを求めるのか、人物もどこまで加えればいいのか、項目の分類や表示順(五十音順・年代順・項目別)なども基準を作ってに整理したいのですが推敲すればするほどまとめ切れていません。
  • 関連作品の城全般に関わりそうなもの以外の城個々の項目は省いておきました。この編集における表示については編集前と変わりありません。

以上よろしくお願い申し上げます。--Terumasa会話2014年6月29日 (日) 12:53 (UTC)[返信]

家紋製作依頼[編集]

こんにちは。はじめまして、正親町三条と申します。私は今、日本の氏族の一つ・内ヶ島氏についてページを作ろうと考えているのですが、家紋が特徴的でWikimediaコモンズで探しても見つかりません。そこでムカイ様に作って頂きたいと思い書き込ませて頂きました。 作って頂きたい家紋は、二本松です。どうか一つ宜しくお願いいたします。--正親町三条 2015年1月8日 (木) 17:01 (UTC)[返信]

正親町三条さん、こんにちは。このたびは、家紋画像製作のご依頼をいただきありがとうございます。
ご依頼の画像を作って差し上げたいのですが、ひとつ問題があります。添付画像の掲載元の解説では、系図での「二本松」という家紋の名称の記載はあるが「実形不詳」、とのこと、またご参考のサイトに掲載されている家紋は、『見聞諸家紋』掲載の松田丹後守秀興の丸輪なしのもののようです(参考リンク:武家家伝 - 丹後松田氏)。
このままですと、3方針の「独自研究は載せない」に抵触するかもしれません。
恐れ入りますが、もう少し史料をいただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。--ムカイ会話2015年1月9日 (金) 14:00 (UTC)[返信]
申し訳ありません、調査不足でした。急ぎ白川郷の内ヶ島氏研究会に聞いてみると、家紋については菊水説、二本松(やはり形は不詳との事)説などいくつかあり定まっていないとの事でした。確実な史料が未だ見つかっていないまま依頼してしまい申し訳御座いません。以降気を付けます。。。--正親町三条 2015年1月10日 (土) 12:04 (UTC)[返信]
お返事遅れまして、すみません。
左様こころえました。またご用がありましたら、どうぞお気軽にメッセージをくださいませ。--ムカイ会話2015年1月11日 (日) 04:29 (UTC)[返信]

ファイル:日本丸館.JPGには著作権上の問題があります[編集]

警告 著作権の状態が不明です

こんにちは。ファイル:日本丸館.JPGをアップロードして頂き、ありがとうございます。しかし、この画像(ファイル)には著作権の状態またはライセンスが明記されていないため、著作権上の問題があります。出典とライセンスのないファイルは、1週間後に削除されますので御注意ください。

ウィキペディアにアップロードされるすべてのファイルは、画像利用の方針に従っており、かつ詳細な出典とライセンスが明記されている必要があります。ファイルの著作権表示タグを参照し、適切なライセンスを表すタグを貼付してください。どうぞよろしくお願いします。

出典とライセンスを明記する際はファイルページにアクセスし「編集」タブをクリックして記載してください。同ファイルを再アップロードしても記入した内容は反映されません。

重要: あなたがこのファイルの他にもファイルをアップロードされているならば、あなたのアップロード記録を見て、他のファイルにも同様に出典とライセンスが明記されているかどうか今すぐ確認してください。それらのファイルや、今後あなたがアップロードされたファイルに出典やライセンスが記載されていなければ、同様に削除されます。 どうみても{{PD-ineligible}}ではありません。ファイル:日田城跡(現慈眼山公園).pngファイル:日田祇園山鉾川原町山鉾.jpgファイル:永山城三の丸跡石垣と水堀.pngも同じです。hyolee2/H.L.LEE 2015年8月22日 (土) 23:21 (UTC)[返信]

hyolee2さん、こんにちは。はじめまして。
報告上記の件について著作権情報のテンプレートを変更いたしました。確かにどう見ても{{PD-ineligible}}ではありませんでした。私もなぜ、これを貼ったのか理解できません。ご指摘に感謝いたします。--ムカイ会話2015年8月24日 (月) 13:31 (UTC)[返信]

姫街道の件[編集]

返信をしました。ご確認ください。また、このほかに根拠となる情報を求めるのであれば、用意はできておりますので連絡ください。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年12月4日 (日) 07:35 (UTC)[返信]

 追記 ただ、ムカイさんの考えに疑問はあります。姫街道の俗称を持つ東海道付属街道は、本坂通、佐屋路があります。したがって、曖昧さの問題があります。また、本坂通の本道「東海道」であることに注意するのならば、「東海道」も同様に正式名称です。「姫街道(本坂通)」を否定した考えでは、「姫街道(東海道)」も同様に認められないとなります。

ところで、現在、一般的にこの路線の通称は「姫街道(本坂通)」、「本坂通(姫街道)」、「姫街道」、「本坂通」が使用されている現状があります。

あくまでもウィキペディア内の曖昧さ回避のための名称で「記事名 (事柄が属するもの)」という関係で付けられているものであるとしているのであれば、現状使用されいない用語を使用することで曖昧性の問題を生み出す「姫街道(東海道)」を選び、現状利用されている「姫街道(本坂通)」、「本坂通(姫街道)」は認められないとする考えは、一貫性のあるご意見とは思えません。

この点について、どのようにお考えなのでしょうか。説明を求めるところです。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年12月4日 (日) 09:00 (UTC)[返信]

コメント コメントありがとうございます。現在は議論も終了へと向かっていることから、姫街道のノートで書くには今の議論が混乱すると思えたため、こちらに書かせていただきます。

  • 「本坂通」を正式名称であり、あくまで東海道の付属街道となることに留意すれば「東海道」も正式名称という理論です。「東海道」を本道とし、一方「東海道本坂越」との語に留意するとあるのであればです。したがって「記事名(別称)」が成り立たないことを基本とされるムカイさんの話では、「姫街道(○○○)」は基本認められないとなるのが筋です。その点にて十分な検討があるのか疑問を持ちます。あり得る記事名としては「姫街道(愛知-静岡)」、「姫街道(静岡-愛知)」などとなります。
  • また、道路名、一概に一つの名前としにくいものがあります。したがって、「下街道」における「下街道 (善光寺道)」の実例があることも留意する点ではあるでしょう。
  • ただし、先の議論にて、妥協案の提出とその中に「姫街道(東海道)」についてはひとまず譲ることとしたため、議論の論点とは離れたため、その点の返信は求めていないため、コメントはいりません。必要とあれば、ムカイさんの会話ページあるいは私の会話ページにてお願いします。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年12月5日 (月) 12:24 (UTC)[返信]

コメント 湖紫陽さん、おつかれさまです。

宇井木辺出夫さんに「姫街道 (東海道)」の出典を求めていらした当時も今でもですが、あまり必要ないであろう水掛け論に割って入ってしまった?ようで、余計に混乱させてしまったのでは?と反省しています。
ご返信でなんとなくですが、東海道の付属街道も東海道という理屈で、ということがわかりました。
“「記事名(別称)」が成り立たないことを基本とされるムカイさんの話では、「姫街道(○○○)」は基本認められないとなるのが筋です。”
「記事名 (別名)」と「記事名 (事柄が属するもの)」の二面性がうかがえるものであることは共有認識だと思います。ではなぜ私が「姫街道 (東海道)」を前者ではないと思うのかといいますと、当該区間の姫街道は東海道に属していて、正式名称は「本坂通」と、うかがっているからです。また、ガイドラインの記事名の付け方にも括弧内は別名でなきことというルールがあるので、これらからの検討から「姫街道 (東海道)」の括弧内は、単純に解釈すれば「記事名 (事柄が属するもの)」となります。しかも、私は街道等地理学や民俗学は専門ではないため、一般読者の視点と解釈していいと思います。また、本議論にもコメントいたしましたが、「姫街道 (東海道)」が「記事名 (別名)」という観点によって名付けられたものだとする場合は、まず記事名に疑問を持たれた湖紫陽さんが、そうした事実があることを証明をする必要があります。それがない限りは、どれだけ筋の通った理屈があったとしてもあくまでも想像上の理由付けに過ぎず、記事名をつけた執筆者にそうした意図がなかった場合は、その観点で名付けたとはいえないということになります。勿論、私の認識も同様に証明できないため、あくまでも状況としてそういうことだろう…という程度のものです。
(本坂通の正式名称としての東海道という見解について)本坂通を江戸時代の口語では東海道中とか呼んでいたのかもしれませんけど、史料(なるべく二次資料)にどのように登場するかというのが判断する上での材料になるのではないかと思います。出典の示し方にもよるとは思いますが、現時点では、本坂通の正式名称は東海道、というのは独自研究とくに情報の合成によって解釈が行われているのではないかと疑われることもあると思います。
本議論とは別離してもはや必要なくなった議論とはいっても、各々が示した見解が後々大きなきっかけとなったりもしますので、必要ではなくても無駄だとは私は思いません。ですが、この議論はこれでもう十分かと思います。このような議論は疲弊しやすいので、本議論で早い時期に切りあげたのは正しいかったと思います。
お気遣いに感謝いたします。--ムカイ会話2016年12月7日 (水) 15:05 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。ただ、東海道は口語ではなく、呼ばれていた時期もあり「東海道本坂越」と名付けられたことからも言えることをお伝えします。ただ、これまでの議論に貴重なコメントに感謝し、失礼させていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。--湖紫陽会話2016年12月7日 (水) 16:39 (UTC)[返信]
報告 分割の完成となり議論の終了としました。貴重なご意見ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。--湖紫陽会話2016年12月7日 (水) 20:39 (UTC)[返信]

姫街道関連記事の再編について。[編集]

姫街道関連記事の再編案を再提出しました。前回、議論参加者であったことからご意見いただければ幸いです。ノート:姫街道 (東海道)#再提案の提出。にて議論をお待ちしております。--湖紫陽会話2017年1月5日 (木) 05:49 (UTC)[返信]

返信 湖紫陽さん、ご無沙汰しておりました。謹んで初春のお慶びを申しあげます。今回の件につきまして、お誘いありがとうございます。
なお、宇井木辺出夫さんの件には驚きました。私も襟を正してまいりたい所存です。--ムカイ会話2017年1月6日 (金) 13:43 (UTC)[返信]