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利用者‐会話:モトカル/過去ログ2

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はじめまして[編集]

はじめまして、Gombertと申します。 モトカルさんが行った相田翔子の項目への編集のうち、「本名同じ」とあるのを編集除去しました。編集内容の要約やノートページに特に理由を明示することなく、一方的に除去してしまい、申し訳ありません。ただ、Wikipediaは非常に公開性の高いサイトですし、また、Wikipediaを利用される方のなかには、残念ながら、いたずらにプライバシーに関わることを書き込もうとする方もいる現状では、ノートページであっても、不用意なコメントは避けたいと私自身が考えたことは、どうかご理解ください。 必要であれば、適切な方法で補足的な説明をしたいと思いますので、モトカルさんのご意見をお聞かせいただけないでしょうか。どうぞよろしくお願いいたします。--Gombert 2007年1月3日 (水) 03:59 (UTC)[返信]

早々にご連絡いただき、ありがとうございます。
相田翔子の本名については、昨年5月31日に放送された「オーラの泉」でもとくに公開していません。モトカルさんが引用されたブロクに記載されている本名は、ブログの管理者が付け加えたものです。
相田翔子の本名は、私がWikipediaに投稿を始める以前から記載があって、私も本名を積極的に隠す理由はないだろうとも思ったので、当初はそのままにしていたのですが、私は本人が直近で本名について語っている事実を知りません。ご存知のとおり、Wikipediaの執筆ルールでは、存命人物の伝記はプライバシーに配慮して書くことが要求されており、とくに本名については、削除の方針にもあるように慎重な取扱いが求められている以上、現状では何も触れないというのがWikipediaで採るべきスタンスなのだろうと思います。
相田翔子の記事については、事実を曲げないように、出典もできるだけ正確に記載しているつもりですが、モトカルさんのように好意的に受け取ってくださる方だけとは限らないので、注意しないといけないようですね。
私はWikipediaでの執筆経験もまだ浅いので、至らない点があればご指摘ください。それから、私の考えにご理解いただけるなら、私のノートページへの書き込みのうち、前記のブログへのリンクは削除してくださるとありがたく思いますので、よろしくお願いいたします。--Gombert 2007年1月3日 (水) 13:42 (UTC)[返信]
ご返事をくださり、ありがとうございました。気持ちよく会話ができて、とても嬉しく思います。今後ともよろしくお願いいたします。--Gombert 2007年1月3日 (水) 14:37 (UTC)[返信]

慰安婦関係について[編集]

ご連絡有り難うございます。慰安婦の内容の充実ありがとうございます。長らく見るに堪えない内容しかなかった時代に比べれば随分充実してきました。なお、要約欄の記入は「従事した」「従事させられた」に関するものですが、一応問題提起までにしております。私が現在感じております懸念は以下のとおりです。

  • 本件を歴史学的視点でみるか、政治的な視点でみるかという大きな問題があります。私個人的には、秦や吉見の研究と同列にジャーナリスト的視点が入り込んで並べられているのには、やや抵抗感もあります。
  • ただし、純粋に歴史学的視点(要するに歴史学者間での一般的な見解)で見た観点でまとめるというのは、昨今の状況をみると、おそらく内容を維持できないと思われます。
  • 学問的見地から考えた場合、慰安婦は強制的な性行為の強要という面に最大の焦点があるので、「強制連行の有無」はあまり大きな論点ではないと思います。しかし、ジャーナリスト的にはこれを取り上げているのが実態です。こういうねじれを伝えたいのですが、これは今後の課題です。
  • その意味で、参考文献を強制連行肯定派、否定派で区別するのは、「素人」には分かりやすいかも知れませんが、適当ではないと思います。肯定派の多くはそこに焦点があるわけではありませんので。
  • 現在は参考文献から内容を引いてくる形が主ですが、どこまでこれを維持するかは問題です。というのは、「引いた分量が多い方が多数派」という錯覚を生み出すからです。しかし、今後も編集合戦等あるのは目に見えているので、こういう方法はもっとも無難なのかもしれません。
  • なお、現在も何のためにあるのか分からない記述も散見されるので、これは時間に余裕があるときに整理していきたいと思います。

--火の鳥 2007年5月4日 (金) 04:25 (UTC)[返信]

火の鳥さん、ありがとうございます。「従事した」、「従事させられた」については、「慰安婦」のノートに書きます。火の鳥さんがたくさんのご意見をお持ちなので、一気には答えられませんが、「ジャーナリスト的視点」というのは考えるべき点かもわかりませんね。実際、中立的な観点で書くというのは、これだという見本を知らないし、誰しも何らかに観点を持っているのでどう書くべきか試行錯誤しますね。その他のテーマについてもいろいろ思うところはありますが、おりを見てノートに書こうかと思います。--モトカル 2007年5月4日 (金) 05:11 (UTC)[返信]
当時の朝鮮半島の人口は慰安婦の記事に必要ですかねえ。特に何かの主張と結びついているというわけでもなさそうですし、あまり関係がないような気がします。--火の鳥 2007年5月7日 (月) 02:27 (UTC)[返信]

モトカルさま、初めまして。ish-kaと申します。初対面で非常に失礼を申し上げるのですが、このたびモトカルさまが坂井泉水で行われた投稿をReversion(差分)させていただいた旨と、お願いがあり、お邪魔いたしました。

ウィキペディアは何でないかにもあるとおり、ウィキペディアはニュースサイトではありません。非常に記事量としては多くなっていて、良かった点もあるとは思うのですが、それ以上にニュースサイト的表現(普通百科事典では「両親やスタッフが見守る中~」という記述はしません)が多く、手を加えるのは困難であると考え、非常に不本意ではありますがReversionをさせていただきました。

モトカルさまの書いた記述は、履歴として残ってはいますので、今一度ウィキペディアは何でないかよくお考えいただいた上で、再度記述していただきますよう、お願い申し上げます。それでは。--ish-ka -s.i.b!- 2007年5月30日 (水) 15:26 (UTC) (リバートの差分のリンクを加筆 ----モトカル(会話) 2008年7月9日 (水) 14:17 (UTC)[返信]

俺のページにてお返事させていただきました。もしよろしければご覧ください。--ish-ka -s.i.b!- 2007年5月31日 (木) 05:42 (UTC)[返信]

投稿ブロックのお知らせ[編集]

ブロックされました。 あなたは慰安婦において、Three-revert ruleに反した過度のリバート(編集の差し戻し)を行ったため、一時的に投稿ブロックされました。いかなる理由であれ、編集合戦はお止めください。

ブロックは時間がたつと自動的に解除されます。解除後、基本的な決まりを守って参加するなら、あなたの投稿は歓迎されます。 --Bellcricket 2007年6月4日 (月) 23:23 (UTC)[返信]

<(。_。)> モウシワケありません! 以後、気をつけます--モトカル 2007年11月18日 (日) 16:58 (UTC)[返信]

カテゴリの改名について[編集]

はじめまして、Rigel と申します。たまたまCategory‐ノート:統一教会(統一協会)を閲覧する機会があったので、そちらにコメントを残しておきました。Rigel 2007年7月17日 (火) 07:58 (UTC)[返信]

保護解除依頼について[編集]

はじめましてPaPaと申します。さて慰安婦の保護解除依頼ですが、依頼文は簡潔な文章でお願いします。議論はノート:慰安婦に記載してください。保護解除の賛否はノートでの議論を見て判断することも多いですので、わざわざ解除依頼にその背景を書く必要はありません。なおモトカルさんがおっしゃっていた過去の版への差し戻しの上の保護は、あらためてノート:慰安婦で提案、合意の上、Wikipedia:管理者伝言板で依頼をしてください(その方が確実だと思われます)。また管理者であるLoniceraさんが終了の判断を致しましたので今回の保護解除は見送りとなります。ご承知置きください。--PaPa 2007年7月26日 (木) 04:06 (UTC)[返信]

PaPaさん、はじめまして。メッセージありがとうございます。実は依頼が見送られたことよりも、依頼の内容をじっくり検討したとは思えない早急な結論と、見送る方針的根拠をきちんと説明しない管理者の対応には大変失望していたのですが、管理者でもないPaPaさんがここにより確実な依頼方法をわざわざ知らせて下さったので、少しは気持ちが晴れました。ただ、このような管理者の対応については井戸端にでも問題提起しようと思っています。たった一人の管理者の判断で早急に結論を出すというのも問題があると思いますね。本当なら最低でも3人のうち2人の判断によるとかすべきと思います。しかし、現実的には管理者自体の数が少な過ぎるという事情があるのかもしれませんが・・・投稿ブロック中の不正な投稿で、自分の好む版にした上で、保護を盾にとって議論を遅延させ保護解除を不当に長引かせているという問題を提起しているのに、こんな対応ではきちんと方針を守って投稿し、方針の規定を根拠に依頼をしているのが馬鹿らしくなり、ウィキペディアへの参加をやめる人が出ても不思議ではないと思います。
>依頼文は簡潔な文章でお願いします。
他の依頼を見ても非常に簡潔であることはわかりましたが、依頼の方針上の根拠や依頼の背景をよく理解してほしいと思い書きました。次回からはノートか自分の利用者ページに議論のまとめを書いてそこにリンクしようと思います。
>議論はノート:慰安婦に記載してください。
ノートでは相手がいるので、書くのははばかられたのですが、既に一度公開したので、如何に保護を盾にとったような姿勢が続いているかを多くの人に知ってもらうために書こうと思います。--モトカル 2007年7月31日 (火) 13:29 (UTC)[返信]

「ルールすべてを無視しなさい」について[編集]

こんにちは、Kanbunです。ノートのほうで述べたとおりですが、もし改名をすべきというお考えが強いようでしたら、「Wikipedia:改名提案」を利用して、井戸端などで告知をして積極的に議論喚起をしてみるのはどうでしょうか。もし手続きの仕方などに自信がないというようなことであれば、私のほうで代行するなりできますのでおっしゃっていただければと思います。現状では議論の進展がそれほど活発ではないですし、参加者も限られており、必ずしもコミュニティの意見が反映されているとは言えない状態ではないかと思います。そこでもしモトカルさんが改名に積極的であるなら、コミュニティにより積極的な形で諮ってみてはどうかと思います。--Kanbun 2007年8月12日 (日) 15:16 (UTC)[返信]

Kanbunさん、わざわざありがとうございます。公式方針にしようという意見が見られたことに危機感を感じて「Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい」での議論に参加したのですが、現在、すぐに合意が得られるという状況でもないように思います。改名はした方がいいと思いますが、草案である現在、「改名提案」を正式にしようという思いにまでは至っていません。それより、文書の内容を改善する方がやはり先かと思うようになりました。「ルールは破られるためにある」などという誤解を生みやすい節もあることですし・・・--モトカル 2007年8月12日 (日) 15:26 (UTC)[返信]
いえ、こちらのほうこそ貴重な議論を喚起していただいたと思っています。内容の検討にあたってはWikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい/意見投票20061209がかなり参考になるかと思います。この意見投票は現在の文面に対するものですので、IARに対するいろいろな懸念とか要望とかそれぞれの方の考え方とかがわかると思いますし、ルールの内容を検討する際に争点になりそうなところがなんとなくわかるのではと思います。どうぞこれからもいろいろ忌憚無く意見を言っていただければ、議論も盛り上がるのではと思います。--Kanbun 2007年8月12日 (日) 15:35 (UTC)[返信]

「渡邉恒雄」の項について[編集]

氏家齊一郎や大野伴睦、中曽根康弘、児玉誉士夫といった人々と渡邉との深い関係は、日本政治や渡邉に関心のある人にはよく知られた部類の話であると思います。また、本項に示されている参考文献(『渡邉恒雄 メディアと権力』『渡邉恒雄回顧録』)は、渡邉を理解するための基本文献というべき本です(他にも、三宅久之との対談本など複数ありますが)。

モトカルさんが「要出典」を貼り付けた事項の大半は、上の2冊を繰れば分かることです。当該部分の加筆者が「参考文献」の欄に2冊の名を挙げたわけではないにせよ、全編にわたって参照している場合には、逐一註を施すのを省略する場合もあるのですから、出典が分からない場合は真っ先にこの2冊に当たるべきです。これらを読まずして「要出典」を貼り付けたことは、怠慢のそしりを免れないと私は思います。

とはいえ、ウィキペディアの記事は1人(もしくは少数)の著者や出版社が文責を負う本とは異なり、不特定多数がそれぞれ好きに投稿できる方式ですから、モトカルさんの懸念は全く的外れというわけでもないでしょう(実際、今の私では出典を示せない箇所が1つ残ってしまいました)。ゆえに、差し当たり私が所有する『渡邉恒雄 メディアと権力』(文庫版)から該当箇所を出典として示しておきました。--Lombroso 2007年11月17日 (土) 01:32 (UTC)[返信]

Lombrosoさん、初めまして。現在ウィキペディアの公式な基本方針には出典の付け方について定めたものはなく、「考慮すべきガイドライン」として、「Wikipedia:出典を明記する」があるだけです。しかし、そこでも、参考文献の節に掲載している文献が出典である場合でも本文中にどの文献であるかを示すことを要請しています。本文中にそれがないと、出典に基いて書いているのかどうかがわかりませんから、逐一でなくとも、少なくとも真偽が問題になりそうな記述にはやはり「註」を付けるべきではないかと思います。私が投稿する直前の「2007年11月8日 (木) 11:21の版」はあれだけの文章の量に対し、註がたった1つしかなく、「記事の正確さについては疑問が上がっている」というテンプレートが貼られているような状態だったということもよく御考慮下さい。
ですから、私が参考文献の節に掲載された”渡邉を理解するための基本文献”を読まないで「要出典」を貼り付けたことを怠慢だと仰るのは、率直に言って心外なことです。
公式な基本方針である「Wikipedia:検証可能性」にも「出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。」とあります。出典に基いているのかどうかは書いた本人が一番知っています。出典に基いて書いているかどうかを問う方が、参考文献の節に掲載された文献を全部読んで、その記述の元となる箇所がないことを確認して初めて、「要出典」の テンプレート張るべきだというのはやはりおかしな話ではないでしょうか? そもそも出典をもって記述するのが執筆者としての責任なのですから、怠慢のそしりを受けるのはむしろ出典を示さずに書いた人の方ではないでしょうか? 現在も出典を明記しないまま書かれている記事がウィキペディアにはまだまだ多いです。このことはやはり改善していかなければならないと日々感じています。どうか御理解下さいますように。該当箇所を出典として示して下さったことには感謝しております。--モトカル 2007年11月17日 (土) 12:09 (UTC)[返信]

編集に関する私的まとめにあった文章について[編集]

サブページじゃなくて、記事空間へのカットアンドペーストになってます。取り急ぎ指摘のみ。--水原怜雅 2008年2月3日 (日) 07:56 (UTC)[返信]

  • 水原怜雅さん、御報告ありがとうござおます。リンクの名前に/(スラッシュ)を付けなかったために、サブページにならなかったのですね。うっかりミスしてしまいまって申し訳ありません。記事空間の記事は早急に削除処理されたようです。管理者の皆さんにもお手数おかけして申し訳ありませんでした。以後気をつけます。--モトカル 2008年2月3日 (日) 08:04 (UTC)[返信]

特筆性 (人物)の草案に関する事実誤認について[編集]

モトカルさま、お初にお目にかかります。Consequenceです。今最も熱い削除依頼のWikipedia:削除依頼/藤川優里でのご発言ですが、いかにもわたしや少数の者らの私案(試案)であるかのように記述しておられますが、この「草案」はそのようなものではありません。

ノート部分をよくご覧になっていただきたいのですが、まず、英語版のガイドラインを翻訳してもってきたものです。次に、各分野のお詳しい方との対論を経て該当箇所の書換えを行ったものです。それらの方々も持論を展開していると言うよりはむしろ、既にその分野のコミュニティで形成された基準を示しておられます。更に、そのような経緯をふまえ、形式上草案ですが、事実上のガイドラインとしてしばしば参照されている性質のものです。

本草案は以上のような性質のもので、個人の試論や正真正銘の草案とは異なるものということをご理解下さい。また、できましたら、誤解を広めないためにもご発言の訂正を行っていただけないでしょうか。お手数おかけしますが何卒お願い申し上げます。--Consequence 2008年3月3日 (月) 17:08 (UTC)[返信]

Consequenceさん、初めまして。英語版のガイドラインを翻訳すれば、即、日本語版のガイドラインとなるわけではないと思うので、日本語版としてはまだ草案という位置づけでしょうが、英語版のガイドラインをベースにしておられるので、Consequenceさん個人の試論というニュアンスのような書き方をしたのは確かに不正確でした。申し訳ありませんでした。早速訂正しました(このコメント投稿したつもりが、されてなかったので時間が前後しますがここに書きます。)--モトカル 2008年3月3日 (月) 20:01 (UTC)[返信]
迅速な対応に感謝申し上げます。なお、Wikipedia:特筆性 (人物)#政治家の基準については、ノートの議論を追っていただければお判り頂けるとおり、これまでの削除依頼における議論を根拠にKodai99さまが主張された内容に沿ったものとなっております。--Consequence 2008年3月3日 (月) 17:28 (UTC)[返信]
承知しました。その基準は新たな利用者を加えて再び論議する必要がありそうですね。--モトカル 2008年3月3日 (月) 20:01 (UTC)[返信]