利用者‐会話:上坂眞信
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こんにちは、上坂眞信さん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!
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斎藤徳元・生駒騒動のご編集について
[編集]上坂眞信さん、ご編集お疲れ様です。恐縮ですが、ウィキペディアには編集者が留意すべきことがいろいろございますので、まずは上記のご案内に目をお通し下さい。
斎藤徳元におけるご編集ですが、織田信秀家臣→織田信長家臣→豊臣秀吉家臣→浪人(一時京極忠高下に寓居)→俳人の経歴を持つ徳元がいつ讃岐生駒氏の家臣になったのでしょうか。「生駒家家臣分限ノ記」に同名の記載があるだけでは、同一人物かどうかわかりませんし、「同一人ではないだろうか」とウィキペディアの編集者が憶測を述べることはできません(Wikipedia:独自研究は載せない)。その他、Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:信頼できる情報源にもご留意下さい。もし、明確にこの記事における斎藤徳元が、讃岐生駒家家臣になったと書いてある信頼できる情報源があった場合は、出典を明記した上でどうぞご記載下さい。
次に生駒騒動ですが、Wikipedia:自著作物の持ち込み#著作権を侵害していないことの証明方法をクリアしない限り、著作権侵害の虞がありますので、版指定削除される可能性があります。審議が終了するまで、差し戻しやタグの除去をなされないようご注意下さい(Wikipedia:削除依頼、Wikipedia:削除の方針参照)。クリアされたとしても、一個人のブログそのままの内容では、掲載しておくのは難しいと思われます。信頼できる情報源による出典を明記した上で、中立的な観点に留意した記述をすれば、削除や除去されることもなく、歓迎されることでしょう。なにとぞよろしくお願いいたします。--立花左近(会話) 2013年11月2日 (土) 13:53 (UTC)
ブログの内容は、過日、刊行した書冊からの引用であること、明記しているはずです。それよりも、立花左近さんと言うのは本名を名のられているのでしょうか。まあ、どちらにしても、掲載した拙文は、全て刊行物として存在しているものですから、wikiで存続しようが削除されようが構いません。然し、現存の記事を以って、生駒騒動とするならば、後世、謗りを受けることでしょう。 合掌。
齊藤徳元に関しても、生駒藩の侍帳は、参考として残して置いた方が、後世の役に立つのではと思います。此れも見解の相違でしょうが。 合掌。