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利用者‐会話:小川尚明

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* なにかご指摘あれば、いつでもどうぞ~

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ウィキペディアにようこそ!

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こんにちは、小川尚明さん、はじめまして!Suisuiと申します。ウィキペディアへようこそ!

  • ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
  • よろしければ自己紹介してみてください。
  • お隣の利用者ページは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。
  • 執筆の際には中立的な観点および著作権にご留意ください。
  • 何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。

あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。--Suisui 2006年12月18日 (月) 01:45 (UTC)[返信]

>>いろいろ、ご教示していただき、ありがとうございます!--小川尚明 2007年3月3日 (土) 15:42 (UTC)[返信]

中国の諸王朝の元号カテゴリについて

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はじめまして。Novoと申します。突然メッセージを差し上げる失礼をお許しください。

Category:呉の元号Category:五代十国時代の元号を作成されているのを確認したためご連絡を差し上げました。元号、紀年法に関しては、現在、Wikipedia:ウィキプロジェクト 紀年法で総合方針を策定中で、中国の分裂時代の元号のカテゴリについては、Wikipedia:カテゴリの方針#カテゴリ内の記事数の方針に従い、設定記事総数が20を超えない個別王朝単位のカテゴリは作成せず、Category:三国時代の元号Category:五胡十六国の元号Category:南北朝時代の元号Category:五代十国の元号のみを作成する方針で合意が形成されております。方針策定前に作成されたカテゴリがあるため現状では不整合が生じており、分かりにくくなっておりますが、いずれ既存のカテゴリについても対処を検討する方針ですので、ご理解をいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。--Novo 2007年5月14日 (月) 20:09 (UTC)[返信]

>>了解しました。わざわざのご連絡、ありがとうございます。--小川尚明 2007年5月15日 (火) 13:32 (UTC)[返信]

メッセージをいただき、恐縮です。「作成が望まれているカテゴリー」から作成されたとのこと、プロジェクトの方針策定以前に、未作成のカテゴリを先に設定してしまったため、そちらに名前が出てしまいましたが、私も気がつきませんでした。ご心配をおかけし、こちらこそ申し訳なく存じます。作成済みのカテゴリをどうするかについてはまだ決まっておりませんので、さしあたりそのままでも問題はないかと存じます。ただCategory:五代十国の元号Category:五代十国時代の元号は重複してしまっているので、どちらかを削除依頼にだす必要はあると思いますが、こちらで検討のうえ対処いたしますので、ご放念いただいて差し支えございません。何かあればまたご連絡を差し上げますので、よろしくお願いいたします。--Novo 2007年5月15日 (火) 17:02 (UTC)[返信]

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突然、このような場ですみません。ふとしたことからたどりつきました。--omusubi 2008年4月29日 (火) 07:47 (UTC)[返信]

こんにちは。

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エチェルの投稿ありがとうございます。しかしながら、この記事は、英語版の記事Ecserからの部分的な翻訳のようにも見えますが、いかがでしょうか。もし、翻訳であるならば、翻訳に必要な手続きがとられていませんでした。その場合、英語版の記事の著者に対する著作権侵害となってしまいますので、いったん削除が必要となります。お手数をおかけいたしますが、お手元のパソコンに記事の内容を保存していただき、削除された後に翻訳のガイドラインに従った方法で再投稿していただければ幸いです。今後翻訳作業をしてくださる際には、必要事項を要約欄に記入していただくよう、お願いいたします。

翻訳の際の要約欄の記入例
要約欄の記入がされた項目の履歴

せっかくのご寄稿を単に消してしまうのはもったいないので、是非以下の順番で再投稿願えますでしょうか。

  1. まず、エチェルの冒頭に「{{sd|投稿者依頼}}」という一文を入れてください。記事への関与が初版投稿者お一人である場合、これだけで管理者は記事を即決で削除できます。
  2. ご寄稿を、「必要事項の要約欄への記入」とともに再投稿してください。投稿ボタンの少し上にある要約欄に「[[:en:Ecser]] 2009年8月23日 (日) 08:40 からの部分訳」のように記入していただければ結構です。

更に詳しく知りたい場合は、Wikipedia:翻訳のガイドラインをご参照ください。不明な点がございましたら、またなんなりとどうぞ。--Peccafly 2009年9月26日 (土) 06:34 (UTC)[返信]

>>わざわざのご指摘、恐縮です。不勉強ゆえ、申し訳ありませんでした。取り急ぎ、削除依頼いたしますので、よろしくお取り計らいください。--小川尚明 2009年9月26日 (土) 15:05 (UTC)[返信]

お手数をおかけいたします。記事は削除いたしましたので、再投稿をお願いいたします。ご理解に感謝申し上げます。--Peccafly 2009年9月26日 (土) 15:08 (UTC)[返信]
もし、削除された記事の中身を参照されたい場合は、その旨言いつけ下されば、記事を一時的に復活させることもできます。ぜひ「要約欄への記述」とともに再投稿していただければと思います。--Peccafly 2009年9月26日 (土) 21:54 (UTC)[返信]

「海軍三長官」について

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はじめまして。記事「海軍三長官」を見て、2009年に初版を投稿なさった小川尚明さんにご連絡を差し上げました。8年前の初版投稿者に質問できるというのも凄いことで、小川尚明さんに敬意を表します。

私はそれなりに戦史についての本を読んでいるつもりですが、「陸軍三長官」については様々な本で言及されているのを知っております。帝国海軍では「三長官会議」というものが存在し、機能していたのが史実でしょう。

例えば「陸軍三長官」を「アジ歴」で検索すると、白川義則陸軍大将が、天津軍司令官であった時に作成した文書があり、「陸軍三長官」と明記してあります。これだけで、「陸軍三長官」という言葉が、帝国陸軍で実際に使われていたと示す出典になるでしょう。

一方、「海軍三長官」という言葉は、このウィキペディアの記事以外では見たことがないように思います。もちろん、海軍大臣・軍令部総長・連合艦隊司令長官が、海軍兵科将校の憧れのポストであったのは事実と思いますが、帝国海軍が存在した時代、帝国海軍が消滅した戦後を通じて「海軍三長官」という言葉は一般的なものになってはいないと思われます。

「海軍三長官」を「アジ歴」で検索すると、1件だけ検索結果がありましたが(レファレンスコード B11090476300)、どうも、米国の国務長官・陸軍長官・海軍長官の3つを「三長官」と表現した文書のようです。

上記のような次第で、「海軍三長官」という言葉には、出典がそもそも存在しないのではないか? という疑問を感じ、質問をさせて頂いた次第です。8年も前のことをお伺いして恐縮ですが、ご記憶のある範囲でご教示を頂ければ幸いです。--Pooh456会話2017年10月30日 (月) 13:11 (UTC)[返信]

記事「海軍三長官」のノートにおける議論参加のお願い

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(このご連絡は、記事「海軍三長官」を編集なさった履歴のある登録ユーザーさま全員にお送りしております。)

お忙しいところを誠に恐縮ですが、「ノート:海軍三長官#「海軍三長官」という言葉は独自研究ではないか?」の議論に対し、ご意見をお寄せいただければ幸いでございます。それでは失礼いたします。--Pooh456会話2018年1月10日 (水) 11:36 (UTC)[返信]