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利用者‐会話:山本山815/過去ログ1(2008/12/13-2009/2/12)

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有吉弘行 にお書きになった削除依頼の案内について[編集]

初めまして、光舟と申します。削除依頼で気が立っていらっしゃるように感じます。広く意見を求めたいというお気持ちは理解できなくもないですが、あれは記事の破壊行為に等しいです。せめてノートでの案内にとどめてください。申し訳ありませんがリバートさせていただきました[1]
なお、私は有吉弘行にはなんの興味もなく、彼が付けたあだ名の一覧があろうとなかろうと関知しません。ただ、現在削除依頼に付されている記事は明らかに GFDL 違犯ですので、内容とは無関係に削除されるべき案件だとは思います。--光舟 2008年12月13日 (土) 17:16 (UTC)[返信]

ノートを活用下さい。[編集]

最初に申し上げますが、これが最後の警告となります(既に再三編集要約欄に同様のことを申し上げているため)。

削除審議の項目はあくまでも削除か存続かを問うための項目であり、それ以外の関係のない個人の自論(出典の付与に関してもそうです)は全てノートを利用して議論下さい。広く意見を求めようとする行為自体に問題はございませんが、議論を削除審議の項目にて展開されますと審議の撹乱につながります。Wikipedia:削除依頼にも「削除依頼は方針について議論する場ではありません。他人のコメントにコメントした物は削除することがあります。」「依頼ページ内で長文の議論になる場合、該当のノートへと移動します。」と明記されています。なので議論を展開なさる場合は該当のノートのページにてお願いいたします。また、あわせてWikipedia:削除依頼/有吉弘行がつけたあだ名の一覧で他の利用者が挙げられた各種方針も熟読下さい。

もし理解できていないようであれば再度ご確認戴くとともに、理解戴けるまでこの件に関して首を突っ込むのはおやめ下さい(議論を展開することも同様です)。上記の事柄は削除審議に参加する上で最低限理解しておくべき方針だと思いますので。もし、お聞きいただけず次回また同様の編集を行った場合、予告なしにWikipedia:コメント依頼およびWikipedia:ブロック依頼へ提出させて戴きますのでそのつもりでいて下さい。--PCH 2008年12月13日 (土) 18:04 (UTC)[返信]

どうもakane700です[編集]

例の削除依頼ですが、節のところは削除依頼ページのノートにリンクさせるものではなく、削除依頼されている記事のノートへリンクさせることになっています。そのため差し戻させて頂きました。申し訳ないです。

2回目になると思いますが、今削除依頼にかけられている有吉弘行からの分離記事はGFDL違反ということで削除は免れません。ただし、今の段階では再作成を禁じているわけではありません。削除されたのちに再作成するかどうかの議論は、ノート:有吉弘行で行われているので議論の場はそちらに絞ってくださるようお願いします。削除依頼にまでこの議論を広げる必要はありません。--akane700 2008年12月13日 (土) 21:21 (UTC)[返信]

専修学校のノートでのご質問に対して[編集]

改めまして、あるふぁるふぁです。ノート:専修学校でのご質問に対して、当該ノートでの議論に直接関係しない(私の蒔いた種でもあるのですが)と考えますのでこちらで回答させていただきます。山本山815さんが当該ノートに記載すべきとお考えであれば、この発言は転記していただいて構いません。

まずガイドラインについてですが、Wikipedia名前空間にある文書は「公式の方針」「考慮すべきガイドライン」「それらの草案」「それら以外」に分類が可能です。「方針」には冒頭に「多くの利用者に支持されており、すべての利用者が従うべきだと考えられています」と明記されています。「ガイドライン」の冒頭には「多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されますが、公式な方針ではありません」とあり、「草案」には「現時点ではまだ拘束力はありません」と記載されています。これら3つのいずれかに含まれる文書はWikipedia:基本方針とガイドラインにまとめられています。一方、Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないことはそのいずれでもなく、Category:ウィキペディアに参加するに分類されており、そのカテゴリは「ウィキペディアの新規参加者のための文書を含むカテゴリです」。

これらから、私は他者に何らかの行動を強いたり注意するには方針かガイドラインを根拠とすべきであり、草案であればお願いにとどまると考えています。そしてそれ以外の文書は、自分がそれに従うことは何ら問題なくむしろ良いことだと思いますが、他者に対して用いるべきではないと考えています(例えが適切かどうか分かりませんが、窃盗犯を罪に問うなら「人のものを盗ってはいけません」という道徳の教科書ではなく刑法を根拠とすべきということ)。

ということで、Wikipediaの目的を他人に説くにはWikipedia:ウィキペディアでやってはいけないことではなくWikipedia:基本方針とガイドラインを根拠とすべきだと、私は考えます。

次に「出典」の件ですが、こちらが編集前であるのは仰る通りです。自分の利用者サブページとして、質を高めてから投稿しようと、ぼちぼち下書きしているものです。

山本山815さんが「膨大な編集の中で、『出典』を示した記述が少なすぎると思う」のは気のせいではありません。利用者ページで述べているように、基本的に記事の質をいくらかでも向上させようと草取りを中心に活動していますので、出典を示す必要を感じること自体が多くありません。最近の編集で言えばこんな編集こんな編集こんな編集に出典は不要ですし、新しく立った著しく内容の足りない記事をホームページを参考に加筆したこちらこちらなどは、外部リンクとして公式ホームページが示されているので、そこからの記述であれば改めて出典として示す必要はあるまいと考えています。他は荒らしに類する投稿の差し戻しや、「要出典」や「特筆性」、「学校記事」等のテンプレートの貼付などがほとんどで、出典を示して行うべき編集自体が少ないからと自分では考えています。--あるふぁるふぁ 2009年2月5日 (木) 18:06 (UTC)[返信]

わかりました。--Wakayada 2009年2月6日 (金) 01:40 (UTC)[返信]

ついでにもう一つ…

Wikipedia:検証可能性には、「百科事典を編纂する際、良い記事を執筆するためには、広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論についてのみ言及すべきです」とあります。もちろん何らかの理由(例えば、私なら「記事内の外部リンクに公式ホームページが記載されており、そこを見れば分かることだから、あえて出典として改めて示す必要はないだろう」という考え)から明示しない場合もありえますが、この方針をきちんと理解した上での加筆であればこの指摘に対するこの回答この指摘に対するこの編集のように、「出典を示すべき」と指摘されたら即座に示しうるはずです。できないとしたら、こういう加筆に対してのこの指摘に対するこの回答のように、出典がないまま加筆した場合ではないかと考えます。そうであるから、指摘を受けてから出典を探さなければならないはめになるのでしょう。そうした方針無理解による加筆に対しての「方針無理解であるという指摘」に対して「こちらばかりに求めず、お互いノートの中で『「出典」を明記して反論されたほうが、「建設的議論」が出来るのでは?』」とか「私はその態度に怒りすら覚えます」とか「一体何様のおつもりなのでしょうか?」と発言することは、はたしてWikipedia:検証可能性に照らして適切でしょうか?本当に方針を理解した上での編集であれば、指摘を受けてから出典を探す必要はなく、加筆した際に参照した資料を示せば済むはずです。

「『信頼のおける出典』を探し出すのは簡単ではなく、時間と労力のいることです」についてはその通りです。私の新規立項が少ないのも、それが簡単なものではないことを理解しているからです。しかし、現実にはそうした下調べをすることなく「簡単に」加筆したり立項したりする人も多くいます。私は、「玉石混交」のWikipediaから「石」を取り除くことで「質も量も史上最大の百科事典」を作るプロジェクトに貢献していきたいと考えています(可能な範囲で新規立項や加筆も行っていきたいとは思っています)。標準名前空間の編集が約23%で新規立項が1つもない人に「『出典』を調べて自ら加筆して行くことはやっておられない」と言われているのも妙な感じがしますが…。--あるふぁるふぁ 2009年2月7日 (土) 16:39 (UTC)[返信]

司書は大学や短期大学、高等専門学校卒が取得でき、専門学校は卒業後でも取得できないので、修正しました。--Wakayada 2009年2月11日 (水) 08:11 (UTC)[返信]

著作権について[編集]

山本山様、ご心配ありがとうございます。大丈夫だと判断します。たとえさらに編集がかかっても(それは出典原文の改竄の指摘ではないはずです)、それは吉本隆明さんにとって、よりよい方向の編集になるんじゃないでしょうか。ここを気にする人が編集・削除するならば。

ちょっと甘いのではと思うのですがいかがでしょうか? 全く知識がない者でも、すぐに検索で分かると思うのですが? --山本山815 2009年2月8日 (日) 02:45 (UTC) [返信]
うーん、そうですねえ。つまりご指摘の通りコピペからの出典が元なんですが、どういう最悪の事態が想定できますか?僕としては、吉本さんに迷惑はかけたくない・足は引っ張りたくないというのが基本ですが、この「試行」の罵倒の仕方も、結構重要だと思っているんですよ。歴史が出ていると思います。柄谷・浅田を吉本さんが想起しただろうデリダやドゥルーズはともかく、ハバーマスといった、社会民主主義者で、もはや社会学で教科書としてさえ使われるものへの、この罵倒の仕方はちょっと考えられない。しかも20年代のルカーチや疎外論者のマルクーゼといった、明確にマルクス・レーニン主義者だったものとごちゃまぜにするというのは、信じられないわけですよ。固有名詞の羅列からだけでも、愕然とする、常識的にいって目を疑うものがあるというのは、見るものが見ればわかるはずです。はっきりって読んでない。翻訳で読めるのに。しかし見るものが見ないとわからない。いつもの吉本さんの罵倒の仕方だな、とスルーするんじゃないですか?だから僕としてはこっそり、入れたつもりなんですが。まあ山本山さんにおまかせしますよ。--118.11.92.235 2009年2月8日 (日) 12:54 (UTC)[返信]
Wikipedia:著作権問題のルールは、厳密に適応する編集者も多いので、吉本に全く興味がない人が編集に携わる可能性もあります。再構成は、やる必要がある(その部分の全削除もあり得る)ので、私自身もやって行きますから、協力して頂ければ幸いです。--山本山815 2009年2月8日 (日) 13:04 (UTC)[返信]
分かりました。調べました。「試行」の発言は1984年5.15日発行の62号・1992年・5・25発行の71号・1995年発行5・25日発行の73号もので、おそらく90パーセント「状況への発言」からです。ちなみに74号で終刊です。そしてこれは2008年度に、# 『「情況への発言」全集成2 1976~1983』(洋泉社, 2008年3月)# 『「情況への発言」全集成3 1984~1997』(洋泉社, 2008年5月)として出版されていますから、ここで調べてみます。山本山さんはお持ちですか?お持ちでしたら助かります。・・・実は今日市立図書館にいって、吉本の本を眺めてきました。# 『吉本隆明が語る戦後55年』全12巻 吉本隆明研究会編(山本哲士、高橋順一ほか)三交社, 2000~2003年とか「わが転向」とか。最近の著作もろもろを。「わが転向」は納得できる文章も数多く載っていたのですが(現実的です)、柄谷・浅田への罵倒の仕方も面白かったです。ただ柄谷がNAM(2000~2003)を結成していたときに「ああいう才能がある人はどんどん運動をやったらよい」と吉本が書いていたとも匿名掲示板に出ていたので、これはどこが出典だろうと気になっているのです。山本山さんはご存知ですか?僕は実は吉本さんと柄谷は似ていると言うか、吉本さんのいいところを引き継いでいると思っています。ですから巷でいわれるように、柄谷と吉本さんを対立させるというイメージのみを書き込むのはよくないなあ、と思っているのです。あの罵倒のし合いはお互いを認めているし、意識しているからですね。宮台がいうように「大衆から遊離している」「ただ大衆じゃないか」という二律背反を定言命令として引きうけるーそしてそれを現実世界で実際実行するのはめちゃくちゃ大変なわけですよーという吉本さんの核心は絶対Wikipedeiaに書き込むべしと思っています。--118.11.92.235 2009年2月8日 (日) 13:47 (UTC)[返信]
『「情況への発言」全集成3 1984~1997』(洋泉社, 2008年5月)は今アマゾンで注文しました。これはお任せください。--118.11.92.235 2009年2月8日 (日) 14:00 (UTC)[返信]
本当にご苦労様です。実は、柄谷氏の文章は1-2冊しか読んでいなく、118.11.92.235さんのように広く把握している方が、中立的に記述されるというのは、素晴らしい事だと思っています。 ごめんなさい。 調べたのですが、『情況へ』(宝島社)ISBN 4-7966-0873-7 が手元にあり、「情況への発言」が、『試行』73号までの分が掲載されていましたので、フォロー出来そうです。 なので、今ならキャンセルできると思うので、アマゾンの購入はお考えください。 中身を調べるのには、少し時間を下さい。--山本山815 2009年2月8日 (日) 14:13 (UTC)[返信]

こんにちは。ちょいとお邪魔します。118.11.92.235 さんの吉本隆明の投稿履歴は、かなり数も多いので、どの版のどの部分に権利侵害の恐れがあるか、教えていただけますか?

ウィキペディアでは、古い版も閲覧できることから、古い版で権利侵害があったものを、新しい版で修正したとしても、その古い版に問題が残るのであれば、これを削除しなければなりません。ライセンスとメディアウィキの関係などから、古い版で削除が必要になると、それ以後の版も失われてしまうことになります。編集で記述を除去するのではなく、管理者による「削除」が必要となります。また、「その部分」だけではなく、版全体が削除されます。このため、早い時期に対処する事が望ましく、とくに、投稿者が活動を続けている間であれば、問題を除去した形での再投稿も可能となります。

なお、『試行』は復刻されているので、入手はそれほど難しくないと思いますよ。--Ks aka 98 2009年2月8日 (日) 14:26 (UTC)[返信]

--Ks aka 98 様、ご指摘ありがとうございます。山本山さん『「情況への発言」全集成3 1984~1997』(洋泉社, 2008年5月)はキャンセルが間に合いませんでした。こちらで調べてみます。時間はかからないはずです。Ks aka 98|Ks aka 98さん、そうですね。 2009年2月7日 (土) 18:14 118.11.92.235 (会話) (63,905 バイト) (「思想と評価」も改定と追加) (取り消し)からを削除しておいてもらえますか。そのほうがいいですね。再編集はそれほど難しい作業ではありません。しかし対応が早いですね。非常に驚きました。なんでですかw
山本山さんにはできれば、「柄谷がNAM(2000~2003)を結成していたときに「ああいう才能がある人はどんどん運動をやったらよい」と吉本が書いていたとも匿名掲示板に出ていたので、これはどこが出典だろうと気になっているのです」をお持ちの本で出ていれば調べていただきたいのですが、おそらく1999~2002くらいの年代です。吉本の本は莫大にあるのでピンときません。--118.11.92.235 2009年2月8日 (日) 14:50 (UTC)[返信]

山本山815さんから、会話ページにメッセージをいただきました。その返事を。差分と、元となるものの比較はまだできていません。古い版から、最新版までの削除が行われた場合、古い記述をローカルに保存して再投稿することは可能ですが、それができるのは、削除された版で、その投稿を行った人が、自分の投稿した分を投稿する場合に限られます。削除は、削除依頼を通して行われるので、依頼が出てから1週間は余裕があります。--Ks aka 98 2009年2月8日 (日) 16:12 (UTC)[返信]

Ks aka 98様、拝読いたしました。お忙しいはずですのに実に面倒くさい仕事を増やしてしまったようで、申し訳ありませんかつ非常にご同情申し上げます ところで、山本山さんの指摘は誤解です。[2]に似ていますがが、この年譜も、明記されているように川上春雄氏が作成した「吉本隆明年譜」(『埴谷雄高・吉本隆明の世界』朝日出版社:1996年所収)を参考にしたというか切り張りしたものです。私自身は、川上春雄氏が作成した「吉本隆明年譜」(『埴谷雄高・吉本隆明の世界』朝日出版社:1996年所収)を参考にしました。私自身がとってきたものは、吉本を読んでいれば、ほぼ常識にぞくするものなので、軽い気持ちになっていました。川上氏の年譜を参考にした、とどこかに一筆いれておけばよいのではと思うのですが、いかがでしょうか?--118.11.92.235 2009年2月8日 (日) 16:53 (UTC)[返信]
山本山さん私に私信を下さっていますが、私も私信を送りたいのですが、どうやればいいですか?--118.11.92.235 2009年2月8日 (日) 17:03 (UTC)[返信]
川上春雄氏が作成した「吉本隆明年譜」についてはよく知りませんでした。申し訳ありません。そうであれば、コピーペーストには当たらないでしょうか? Ks aka 98さんの判断を待ちたいと思います。
私信については、例えばこのページの「履歴」をあけ、 118.11.92.235(会話)の、「会話」の部分をクリックすれば、ユーザーのノートに行き着くことができます。 ところで、118.11.92.235さんは、他のページでも、キチンとした編集者なので、是非ともアカウントを取得されることをお勧めします。 誤解を生んでしまったことは、申し訳ありませんでした。--山本山815 2009年2月8日 (日) 17:37 (UTC) [返信]
川上春雄氏の年譜でオリジナリティが見られるところは、花田・吉本論争のところで、その時代的検証として磯田光一氏の「吉本隆明論」を挙げ、「磯田光一は『吉本隆明論』(1971.審美社刊)で「私自身にとって、この論争が戦後文学史上もっとも重要な論争のひとつであったという確信は少しも揺るがない。そこでは「責任」「転向」「政治」「思想」というような最も根本的な概念が、2つの個性の激突を通じて、いやおうなしに問い直される光景」と論じている」という引用を挙げたところだと思います。したがって、そこのところに脚注として、『この磯田氏の引用は「吉本隆明年譜」(『埴谷雄高・吉本隆明の世界』朝日出版社:1996年所収)』よりの重引(用)』とし、そして、「またこれら伝記的事実自体も川上氏作成年譜などを参考にした。他に年譜としてネット上で最も詳しいものに、[3]がある。それは、「吉本隆明年記」(『吉本隆明の文化学―プレ・アジア的ということ―』文化科学高等研究院出版局:1996年所収)、そして高橋忠 義編「年譜」(『吉本隆明全詩集』思潮社:2003年所収)ならびに「吉本隆明年譜」(『吉本隆明入門;現代詩手帖臨増「吉本隆明」(III)2003』 思潮社:2003年所収)「吉本隆明年譜」(『吉本隆明詩全集 』思潮社:2006~7年「別冊」)」が参考にされている、」と脚注をいれておけばいいのではないでしょうか。
山本山さんには、お手持ちの本の中に「柄谷がNAM(2000~2003)を結成していたときに「ああいう才能がある人はどんどん運動をやったらよい」と吉本が書いていた」というのの出典がもしあれば指摘してもらえればうれしいです。
118.11.92.235さんへの私の誤解についてはKs aka 98さんに伝えました。 もう私達の手を離れているので、私としては、そう急がずに、Ks aka 98さんの判断を待ちたいと思っています。
柄谷さんへの吉本の発言なのですが、私自身は聞いたことがないので、今探すことは困難だと思います。 しかし、機会があれば探してみます。--山本山815 2009年2月9日 (月) 12:11 (UTC)   [返信]
こんにちは。『「情況への発言」全集成3 1984~1997』および宝島社「情況へ」を、手に入れて、検討してみました。文章に間違いはありません。しかし、引用を、『「情況への発言」全集成3 1984~1997』ページ数に入れ替えたほうがいいですね。あまり吉本さんの罵倒文をそのまま引用しても品がないと思い直しました。・・・浅田彰さんには「氏ね」とまで書いていて、公的な文書としてものすごく衝撃を受けましたw。また、デリダ・ドゥルーズ・ハバーマスについて、「海外旅行一年の交通公社の番頭」は意味不明なので、削ります。
「知的スノッブの3馬鹿」に関しては、「知的スターリニスト」は80~90年代の評価で、確かに、2005年の「時代病」では政治的実践に入った、柄谷さんを、評価しているので、80~90年代は・・・で、ただし2000年代に入って、という風にかえます。また「知の密教主義者」という記載はなかく、比叡山の大僧正を目指している、との非難でした、ので差し替えます。密教とはちょっとニュアンスが違う。
「小説TRIPPER」2000年冬号も手に入れました。これの宮台真司氏のインタビューは非常にいいもので、読むことをお勧めします。「方法論的な影響はないが」「吉本的な定言命令は今でも私を拘束しています」「ある時代に登場して、同時代の人間たちにに多大な倫理的な動機付けをほどこした」ことに「非常に尊敬している」を付け加えたほうがいいと思います。
しかし、これだけだとちょっとほめすぎなので、「吉本の意図とは全く無関係に生じたものことですが、大衆から遊離した素朴な党派的政治運動を批判する「自立思想」は、全共闘世代が党派的運動や政治運動一般から離脱し、等身大の生活世界に退却していくことを正当化する口実を与えた」を、「社会的・共同的に何かをしようとする「知的な」ものたちを、論争において、「ファシスト」「スターリニスト」として一括して切り捨てることも多かった。」のあとの小熊栄二の評価のあとに付け加えます。
あと田川建三氏との論争を、論争ではないと山本山さんは削られましたが、基本、吉本さんの論争は、花田・吉本論争から、浅田さんへの「氏ね」にいたるまで、基本こういうスタイルです。両者の議論によって生産的に概念が広がる、というスタイルではありません。また田川さんの吉本批判本は、批判本として古典で、かえって吉本さんへの理解が深まる(田川さんはマチウ試論に深く影響を受けていて、そこから吉本氏は堕落している、と嘆いているわけです)ので、入れておいたほうがいいと思います。
以上いかかでしょうか?Ks aka 98さんがお読みになられていたら、これも判断の一材料としていただければと思います。--118.11.92.235 2009年2月12日 (木) 10:20 (UTC)[返信]

「2005年の「時代病」では政治的実践に入った、柄谷さんを、評価している」と云うのは聞いたことがないので、どの部分か少し説明が欲しいと思いました。 「知の密教主義者」と云う記載はありますので、よくお探し下さい。 田川氏の記述をなくしたのは、おーたさんですのでご確認下さい。(田川氏の吉本批判は、沢山言いたいことがありますが、まだ読み切っていないのでお待ち下さい)  

「両者の議論によって生産的に概念が広がる、というスタイルではありません。」というのは、少し違うなと思いました。 吉本自身は、まず相手の文章を引用し、それについて分析し、その後に批判しているために、そうは言えないように思います。 その点は、「情況への発言」を読めばよく分かるはずです。 私自身は、検証可能で中立であれば、批判も当然載せたほうが良いと思っていますので、118.11.92.235さんが、真摯に文献に当たって編集されることは(好意的であれ、批判的であれ)堂々とやって欲しいと思っています。  もちろん偏りがあれば、私も編集することはお許しください。--山本山815 2009年2月12日 (木) 14:30 (UTC)[返信]

「知の密教主義者」それは失礼しました。もう一度「情況への発言」探してみます。
「2005年の「時代病」では政治的実践に入った、柄谷さんを、評価している」どの部分か・・・、はい。p204後書きで名前を出しています。 「今は、どう動くかを考える段階、考えて具体的なものをだすべき段階」「いつまでもつまらない世代論を論じている場合じゃない。そんなことにはあまり意味がない」として、まだ「若くて政治運動家としての素質もやる気がある」人間がやってほしいこと、やるべきことを挙げ、そのとき、その例として柄谷氏の名前を唯一(比較的・相対的に)肯定的に、突然、出しています。ーただ小泉構造改革と柄谷の構造改革はあまり違わない、ともしています。私の感じでは、結構違うと思うのですが、いずれにせよ以前のスターリン主義者、という規定とは違いますよね。いずれにせよ、以前の罵倒とスターリニスト、という規定は大きく変更されたことになります。--118.11.92.235 2009年2月12日 (木) 20:58 (UTC)[返信]
「知の密教主義者」、確かに1992年のところにありました。失礼いたしました。--118.11.92.235 2009年2月12日 (木) 23:08 (UTC) [返信]