利用者‐会話:月日に囚われた男
警告(ゴーストップ事件での編集について)
[編集]こんにちは。ご投稿は意味のある文章でお願いします。こうした投稿は荒らし投稿とみなされます。もしテスト投稿がしたければ、テスト専用ページWikipedia:サンドボックスの使用をおすすめします。このほか便利な機能をいろいろ紹介するガイドブックもご参照ください。あなたのウィキペディア・ライフが充実したものでありますように。--ササニシキ(会話) 2023年4月5日 (水) 17:06 (UTC)
- 「意味のある文章で」とありますが、該当記事における陸軍と警察の力関係に着目した表現の編集に意味がないという言外の主張は的外れです。記事自体が陸軍と警察の優劣に言及したものであるが故に、些細で一見意味があるように思われる変更でも両者の関係性の記述において重要な意味を持ちます。--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 00:30 (UTC)
- 「思い上がっており」「プライドにしがみついていた」[1]などの、悪ふざけのような編集を正当化するつもりですか?今後もこのような編集を続けるなら管理者伝言板に報告いたします。--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 00:42 (UTC)
- まず私の主張が悪ふざけであるという肝心の主張が正当化されていませんからね..。--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 02:00 (UTC)
- 今後も同様の編集を続けるつもりだと判断しますが、それでいいんですか?--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 02:02 (UTC)
- 「同様の」というのが余りにも漠然とした表現過ぎてこれはもう答えようがないですね..。--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 02:10 (UTC)
- 今後も同様の編集を続けるつもりだと判断しますが、それでいいんですか?--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 02:02 (UTC)
- まず私の主張が悪ふざけであるという肝心の主張が正当化されていませんからね..。--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 02:00 (UTC)
「マサダ」の記事について
[編集]こんにちは。あなたの編集された「マサダ」の記事はもとに戻したいと思いますが、あなたはなかなか自説にこだわりがあるお方のようですので、ひとことご意見をうかがいたい
あなたは「文学的」な記述を「辞書的」で「客観的」な文章にしたいのですね。 しかし「辞書は客観であるべき」は、はたして正しいのですか?
以下の一文がありますが
https://www.aozora.gr.jp/cards/000218/files/47354_29493.html
私はこの文章、特に「辞書は読み物であり、しかも恐らく最上の読み物の一つであると思つてゐる。仕事に疲れた時、無聊に苦しむ時、辞書を読むのは、なかなか楽しいものである」
「客観的な辞書といふものは、だいいち面白く読めない。即座の必要には間に合ふが、永く続けて読ませるものではない」
を支持する者であります。Wikipediaがそういう楽しい読み物であって、なぜ悪かろうかと思います
またWikipediaの指針ならともかく、そうではない。だれでも自由に書くことができるのがWikipediaである
「正確な事実を伝える」ならば、文体は自由ではないのですか?
ご意見があればどうぞ
上記に関して返信します。 「楽しい読み物」の存在に関しては確かに否定しません。 しかしWikipediaは誰でも書き込める半公共的な百科事典であることを忘れないでください。 人によってその「楽しさ」は異なります。 ある人にとっての「楽しさ」は他の人にとっての「苦痛」になることもあります。 それで、私はWikipediaは誰かを感情を犠牲に、誰かを楽しませるようなものであってはならないと考えます。 「楽しさ」というのは確かに一つの魅力ですが、それは百科事典の根幹を占めるパーツではなく、その上に添加される調味料のようなもので、その調味料が誰かにとって不味いもの、あるいはアレルギーを引き起こすようなものであればそれら人々を踏みにじってまで付け加えられるべきではありません。 この世の全ての「楽しさ」を否定するわけではありません。もちろんマサダに関して文学表現を持たせた文学的な記録が存在することは構いません。 しかしそれは、Wikipediaではなく、私的な媒体で行うべきでしょう。 紹介された三木清の論評ですが、私はこの論評さえをも当然のようにWikipediaは相対化すべきだと考えています。 Wikipediaはあなたのものでも、当然のことながら私のものでもありません。私が三木清の論評にどう考えるかとは無関係に、Wikipediaの記述は客観的で特定の視点に基づいた楽しさを追及する必要はないと考えています。 私はそのような客観的で無機質な情報源に当たること自体を楽しんでいます。 特にユダヤ教やイスラエルに関する言及は昨今の情勢を考えればなおさらセンシティブなものとして扱うべきです。 Wikipediaはマスメディアではありません。 イスラエルを応援したいから、イスラエルに関する全ての記録を肯定的に表現しよう、などという身勝手な行為を黙認しません。 マサダに関して、イスラエル側に偏った記述を志向することは、現在火中にあるモサドやパレスチナ人、一部のムスリムのみならず、イスラエルとマサダの地を巡って実際に争ったローマ帝国に対しても時流に流されて汚名を着せることとなります。 ありとあらゆる観点から考えて、私は編集の客観性を損ねてまで楽しさを追及することがWikipediaに求める在り方だと思いません。 これは、私の私見というだけでなく、Wikipediaの方針としても「Wikipedia:中立的な観点」という形でハッキリと定義づけられているのでこの項目をご覧ください。 また利用者ページに書き込みを行う際は、署名を行うようにしてください。 --月日に囚われた男(会話) 2023年10月17日 (火) 14:39 (UTC)
- 「自分が楽しいと思ったことを、他の人まで楽しいと思うとは限らない」と言うだけの事です--月日に囚われた男(会話) 2023年10月17日 (火) 14:47 (UTC)
- あなた側の状況が分かりませんが、一応確認と通知(通知が届くのか分かりませんが)も兼ねて「@Poppy-Pod 62 」さんと、マサダに関する私の利用者ページの書き込みを行ったあなたの利用者名を記録させていただきます。--月日に囚われた男(会話) 2023年10月17日 (火) 14:52 (UTC)
すでに出典が明記されている箇所の改ざん行為について
[編集]ハーケンクロイツや神道指令において、出典が明記されている加筆箇所に勝手な記載を付け加えたり、意味が違う表現へと変更する編集を行っていますが、これは嘘の出典提示に該当する悪質な行為です。これ以上続けるなら上記の件と同様、管理者伝言板に報告させて頂きます。--ササニシキ(会話) 2023年4月5日 (水) 17:38 (UTC)
- @ササニシキ 「勝手な記載」と申されていますが、私は出典部分を辿って原文を確認した上でより原文に忠実な表現に修正しております。嘘の出典提示と早合点しての取り消し行為であればこれ以上行わないでください。それでもなお出典先との相違を主張するのであれば、取り消しを行う場合、原文との矛盾箇所を具体的に指摘してください。--月日に囚われた男(会話) 2023年4月5日 (水) 22:30 (UTC)
- いいえ、あなたは神道指令でも原文を確認せずに適当な編集を行い、「バンスは日本国内の神道学者・仏教学者の教示を受けつつ」の箇所を「バンスは日本国内の神道学者・仏教学者に意見を出させつつ」と変更したことを春山明哲の論文で確認済みです。--ササニシキ(会話) 2023年4月5日 (水) 22:46 (UTC)
- 春山明哲の論文『靖国神社とはなにか 資料研究の視座からの序論』[2]には、59ページに「バンスは神道指令の作成にあたってホルトムらの著作を参考にしたばかりでなく、 岸本や神道学者の宮地直一 (東京帝国大学教授)、 仏教学者の鈴木大拙らからも教示を受け、 日本政府関係者や神道界、 宗教界の指導者とも会い、 各地の神社も訪問している」とあり、「バンスは日本国内の神道学者・仏教学者に意見を出させつつ」とは書かれていない。これのどこが原文に忠実な表現なんですか?--ササニシキ(会話) 2023年4月5日 (水) 23:37 (UTC)
- ハーケンクロイツにしても、Schliemann, Heinrich (1875), Troy and its remains, London: Murray, の102~103ページ(指定されたページ数は102ページ)には
- 「This winter, I have read in Athens many excellent works of celebrated scholars on Indian antiquities, especially Adalbert Kuhn, Die Herabkunft des Feuers; Max Müller’s Essays; Émile Burnouf, La Science des Religions and Essai sur le Vêda, as well as several works by Eugène Burnouf; and I now perceive that these crosses upon the Trojan terra-cottas are of the highest importance to archæology. I therefore consider it necessary to enter more fully into the subject, all the more so as I am now able to prove that both the block-style cross and the 卐, which I find in Émile Burnouf’s Sanscrit lexicon, under the name of “suastika,” and with the meaning εὖ ἐστι, or as the sign of good wishes, were already regarded, thousands of years before{102} Christ, as religious symbols of the very greatest importance among the early progenitors of the Aryan races in Bactria and in the villages of the Oxus, at a time when Germans, Indians, Pelasgians, Celts, Persians, Slavonians and Iranians still formed one nation and spoke one language. For I recognise at the first glance the “suastika” upon one of those three pot bottoms,[105] which were discovered on Bishop’s Island near Königswalde on the right bank of the Oder, and have given rise to very many learned discussions, while no one recognised the mark as that exceedingly significant religious symbol of our remote ancestors. I find a whole row of these “suastikas” all round the famous pulpit of Saint Ambrose in Milan; I find it occurring a thousand times in the catacombs of Rome.[106] I find it in three rows, and thus repeated sixty times, upon an ancient Celtic funereal urn discovered in Shropham in the county of Norfolk, and now in the British Museum.[107] I find it also upon several Corinthian vases in my own collection, as well as upon two very ancient Attic vases in the possession of Professor Kusopulos at Athens, which are assigned to a date as early, at least, as 1000 years before Christ. I likewise find it upon several ancient coins of Leucas, and in the large mosaic in the royal palace garden in Athens. An English clergyman, the Rev. W. Brown Keer, who visited me here, assures me that he has seen the 卐 innumerable times in the most ancient Hindu temples, and especially in those of Gaïna.[108] I find in the Ramayana that the ships of king{103} Rama—in which he carried his troops across the Ganges on his expedition of conquest to India and Ceylon—bore the 卐 on their prows. Sanscrit scholars believe that this heroic epic (the Ramayana) was composed at the latest 800 years before Christ, and they assign the campaign of Rama at the latest to the thirteenth or fourteenth century B.C., for, as Kiepert points out in his very interesting article in the National-Zeitung, the names of the products mentioned in the 2nd Book of Kings, in the reign of King Solomon, as brought by Phœnician ships from Ophir, as for example, ivory, peacocks, apes and spices, are Sanscrit words with scarcely any alteration. Hence we may surely regard it as certain, that it took at least three or four centuries before the language of the conquerors was generally introduced into the immensely large and densely peopled country of India, especially as the number of the conquerors cannot have been very large. In the myths of the Rigvêda, which were written before the expedition into Northern India (Heptopotamia), the Aryan population is always represented as inconsiderable in numbers.」
- とあり、
- あなたの加筆箇所である「ハーケンクロイツをアーリアン人主義の象徴として用いた代表的な存在であるナチス」「インド人とヨーロッパ人が同祖であるというアーリアン学説」[3]といった記載は書かれていない。一体どこが原文に忠実なのか?
- そもそも、Wikipediaでは「出典を示す責任は掲載を希望する側にある」[4]のであり、私に出典を出せと要求すること自体がおかしい。--ササニシキ(会話) 2023年4月5日 (水) 23:55 (UTC)
- >「インド人とヨーロッパ人が同祖であるというアーリアン学説」[2]といった記載は書かれていない。
- いえ、書かれています。
- the villages of the Oxus, at a time when Germans, Indians, Pelasgians, Celts, Persians, Slavonians and Iranians still formed one nation and spoke one language.
- この部分が「インド人とヨーロッパ人が同祖であるというアーリアン学説」に則った表現になっています。
- そもそもアーリアン学説自体が、インド人とヨーロッパ人の同祖論であるわけで、私の編集は「歩いた」という表現に対して「足を使って歩いた」と言葉を補っているにすぎません。
- 原文の該当箇所及び全体を読んでもアーリアン学説は従来の一般的なインド人とヨーロッパ人の同祖論という意味合いで使われています。
- また、
- >私に出典を出せと要求すること自体がおかしい
- 「出典との相違点を挙げろ」と「出典を出せ」は区別しましょう。誰も「出典を出せ」とは記していません。このような細かな誤読、あるいは作為的なミスリーディングで議論を混乱させるのはやめましょう。
- 神道指令に関しては、引用先の記述と相反しない範囲でより相応しい表現に修正したのであって、私の「原文に忠実な表現に修正」の対象ではありません。--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 00:28 (UTC)
- そもそも、Wikipediaでは「出典を示す責任は掲載を希望する側にある」[4]のであり、私に出典を出せと要求すること自体がおかしい。--ササニシキ(会話) 2023年4月5日 (水) 23:55 (UTC)
- 嘘はお止めください。その箇所は「ドイツ人、インド人、ペラスギ人、ケルト人、ペルシャ人、スラヴォニア人、イラン人がまだ一つの国を形成し、一つの言語を話していた時代のオクサスの村」とあるのであって、「インド人とヨーロッパ人が同祖であるというアーリアン学説」とは書かれていない。
- >「出典との相違点を挙げろ」と「出典を出せ」は区別しましょう。誰も「出典を出せ」とは記していません。このような細かな誤読、あるいは作為的なミスリーディングで議論を混乱させるのはやめましょう。
- これもおかしい。出典に書かれていないことをなぜ私が資料を探し出してやらねばならんのか。その加筆を行ったのはあなたなのだから、本来はあなたが上記の引用箇所を提示する義務があるわけで。
- >神道指令に関しては、引用先の記述と相反しない範囲でより相応しい表現に修正したのであって、私の「原文に忠実な表現に修正」の対象ではありません。
- いいえ。「教示」と「意見を出させつつ」では意味がまるで違います。--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 00:39 (UTC)
- "the villages of the Oxus, at a time when Germans, Indians, Pelasgians, Celts, Persians, Slavonians and Iranians still formed one nation and spoke one language."
- nationには「国家」以外に「民族」という意味があり、「まだ一つの民族を形成し一つの言語を話していた時代」と訳すことが可能ですが。
- 指摘が雑過ぎて、「ああ...この人はゴーストップ事件の表現で私怨を抱いた勢いで、ろくに精読もせず勢いのままで過去の編集に難癖付けたいだけの人なんだろうな...」という疑念を抱かれても文句言えない段階に来ています。
- グーグル翻訳にかけるのではなく、一つ一つの単語の意味を理解してから指摘を行いなさい。--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 01:20 (UTC)
- 「インド人とヨーロッパ人が同祖であるというアーリアン学説」と書かれていないことに変わりありません。また、「ああ...この人はゴーストップ事件の表現で私怨を抱いた勢いで、ろくに精読もせず勢いのままで過去の編集に難癖付けたいだけの人なんだろうな...」とのあなたの発言は聞捨てなりません。「私怨を抱いた勢いで、ろくに精読もせず勢いのままで過去の編集に難癖付けたいだけの人」との表現は自身の悪ふざけの編集を正当化し、私を中傷する発言と判断します。--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 01:26 (UTC)
- 過去に「一つの民族を形成していた」という時点でそれは一般的に用いられているアーリアン学説と同様の同祖論だと思いますが。--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 01:29 (UTC)
- 「私怨」が中傷に当たるのであれば「悪ふざけ」も中傷に該当するはずですが。--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 01:30 (UTC)
- 「インド人とヨーロッパ人が同祖であるというアーリアン学説」と書かれていないことに変わりありません。また、「ああ...この人はゴーストップ事件の表現で私怨を抱いた勢いで、ろくに精読もせず勢いのままで過去の編集に難癖付けたいだけの人なんだろうな...」とのあなたの発言は聞捨てなりません。「私怨を抱いた勢いで、ろくに精読もせず勢いのままで過去の編集に難癖付けたいだけの人」との表現は自身の悪ふざけの編集を正当化し、私を中傷する発言と判断します。--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 01:26 (UTC)
- いいえ違います。「インド人とヨーロッパ人が同祖であるというアーリアン学説」とはどこにも書かれていません。ましてや、「ハーケンクロイツをアーリアン人主義の象徴として用いた代表的な存在であるナチス」とも書かれていません。嘘はおやめください。また、あなたのゴーストップ事件での編集が悪ふざけであることは明らかであり、このような編集を強行するなら管理者伝言板に問題行為として報告いたします。--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 01:43 (UTC)
- 嘘だ嘘だと繰り返されても、あなたが最初にnationの意味を知らずにハーケンクロイツに飛びついてきたのは事実ですよね。
- 誤解だと判明してもなおそこにしがみついているのであれば、「ああ...なんだ難癖付けたいだけの人か」となるのが普通ですけど。
- 最初からハーケンクロイツの記事を修正したいという意図があって、それに合わせて論理をその都度組み立ててるだけですよね。
- Wikipediaは出典に基づいた記述を行うという規約はあっても規約と一言一句同様のコピペをしなくてはいけないという規約はありません。
- その時点で言ってることおかしいです。
- ゴーストップ事件の編集が悪ふざけだというのも主張に難があります。どこら辺が悪ふざけなんですか?そもそも悪ふざけか否かを判断する立場にあるんですか?
- 「自分にとって気に食わない耳障りの悪い意見」と「悪ふざけ」は別のはず..。--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 01:50 (UTC)
- いいえ違います。「インド人とヨーロッパ人が同祖であるというアーリアン学説」とはどこにも書かれていません。ましてや、「ハーケンクロイツをアーリアン人主義の象徴として用いた代表的な存在であるナチス」とも書かれていません。嘘はおやめください。また、あなたのゴーストップ事件での編集が悪ふざけであることは明らかであり、このような編集を強行するなら管理者伝言板に問題行為として報告いたします。--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 01:43 (UTC)
- Wikipediaでは一言一句同様のコピペをしなくてはいけないという規約(そもそも規約ではない)はありませんが、出典に書いていないことを書いてはいけません。また、ゴーストップ事件の編集が悪ふざけではないなら、「思い上がっており」「プライドにしがみついていた」などとどんな意図があって書き換えたんですか?ここは百科事典ですよ。--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 01:57 (UTC)
- 「出典に書いていないことを書いてはいけません」とはWikipediaの規約にありませんね。これはあなたの解釈ですか?
- 出典が大事だと主張しながら、自分自身は規約に書いていないことをツラツラ述べられるってとっても不思議だと思います。
- 規約に書いていないことを規約として述べることは、それがただ嘘であるというだけでなく、あなたが繰り返し振りかざしてきた「規約」に対するリスペクトの欠如、またそれを熟知していないことの証拠になります。
- その場その場で自分が思いついた都合の良い妄想をWikipediaの利用規約として紹介するのはやめましょう。--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 02:08 (UTC)
>Wikipediaにあるのは規約ではなく方針であり、Wikipedia:出典を明記するでは「最低限必要な事柄として、本文内のどの記述が、どの出典の、どの箇所から持ち込まれたのかが判別できるように注意してください」と明記されています。--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 02:15 (UTC)
- >「自分にとって気に食わない耳障りの悪い意見」
- そもそもWikipediaは個人の意見を記事に書く場ではない。--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 01:59 (UTC)
- 揚げ足取りですね。
- 概念は多面的であるため、ある事実が意見としての側面を持つ場合もあります。また、Wikipediaに誰かの意見(例えばゴーストップ事件に対する著名人の評価など)が記載される場合もあります。意見という表現が気に障るなら「事実」と置き換えても構いません。--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 02:04 (UTC)
- 個人というのは編集者のことを指して言っています。Wikipediaでは誰であろうと、個人の意見を記事に記載できません。--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 02:08 (UTC)
- 意見と事実の区別ってとっても難しいことだと思います。
- 誰もがWikipediaに自分が記述する内容は”事実”だと認識しているはずですが、実際に人間が万能ではなくその知性に限界がある限り、やはりどこまで言ってもそれは一つの視点からの一つの捉え方に過ぎません。
- 私も私が書いた内容はそれが事実だと思って記述しましたが、やはり異なる視点からすればそれは単なる意見だと見なされる可能性もあると謙遜して意見という多様な解釈が可能な形で表現したまでで、私自身が編集内容を意見として自覚して記述したのではなく、むしろより客観的な視座から意見という言葉選びが出たにすぎませんよ。--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 02:13 (UTC)
- 個人というのは編集者のことを指して言っています。Wikipediaでは誰であろうと、個人の意見を記事に記載できません。--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 02:08 (UTC)
- >私の編集は「歩いた」という表現に対して「足を使って歩いた」と言葉を補っているにすぎません
- あなたが言うところの「足を使って」の部分も出典は必要です。しかも、あなたの行為は他人が出典を提示して加筆した個所を破壊する行為であり、決してするべきではありません。--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 00:52 (UTC)
- 文章に対して「破壊」とか普通に意味不明です。とりあえず否定したいという感情的動機が先走って、出典の精読すらしないままに自分が知りもしない内容に対して昨日今日調べただけの情報を元に横槍入れても主張に難をきたすだけでは?--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 01:22 (UTC)
- えっと...それがどうやったら「出典に書いていないことを書いてはいけません」に繋がるのでしょうか?--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 02:19 (UTC)
- なおかつ、あなたは、
- >Wikipediaにあるのは規約ではなく方針であり
- と述べられていますが、WikipediaにはしっかりとWikipedia:利用規約が存在しています。
- 編集するならしっかりと規約にも目を通してから編集を行ってください。
- また規約があることを知らなかったということは、利用規約を読まずに他人の編集を精査することなく恣意的に差し戻していたということになります。これはよくないことですよ。むしろ荒らし行為を行っていたとして管理者伝言板に報告されるべきはあなたなのでは?--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 02:23 (UTC)
- Wikipedia:方針とガイドラインを読んでください。利用規約は主にWikipediaを二次利用する際のガイドラインです。--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 02:34 (UTC)
- あなたにとって以下のWikipediaの利用規約は存在しない、あるいは存在していても存在していないかのように扱って良いというお考えなのでしょうか?
- その際、あなたは次の条件を守る必要があります
- 責任—自分の編集に責任を持ってください(私たちはあなたのコンテンツを保管するだけです)。
- 礼儀— 礼儀のある環境を支持し、他の利用者に嫌がらせをしないでください。
- 合法的な行動— 著作権法やその他の法律群に違反しないでください。
- 害を与えない— 技術基盤に害を与えないでください。
- 利用規約と方針— 私たちのサイトを訪れたりコミュニティに参加したりする時には、下記の利用規約とコミュニティーの各方針とを遵守してください。
- --月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 02:48 (UTC)
- Wikipedia:方針とガイドラインを読んでください。利用規約は主にWikipediaを二次利用する際のガイドラインです。--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 02:34 (UTC)
警告しておきますが、ハーケンクロイツで再度差し戻し等の行為を行った場合、虚偽編集の強硬を行ったと判断して管理者伝言板に報告させていただきます。--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 01:00 (UTC)
- 私は明確に出典を提示しました。
- 虚偽編集かどうかを判断する立場にないはずのあなたが、自分の思い込みを根拠に差し戻しを繰り返すのであれば利用規約に違反した差し戻しを繰り返しているのはどちらの方か。
- なおかつあなたの編集履歴を見る限り、あなたは過去にハーケンクロイツに関して編集を行っていないじゃないですか。
- 少なくとも私が「nationには民族という意味がある」という指摘を行うまでは、原文に対して誤解を元にした主張を行っていたわけで、それを指摘されても謝罪するわけでも訂正するわけでもなく、なお新たな虚偽宣言を行うのは「随分、主張に難があるなあ...」と思いますよ。--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 01:39 (UTC)
- 該当箇所には「インド人とヨーロッパ人が同祖であるというアーリアン学説」「ハーケンクロイツをアーリアン人主義の象徴として用いた代表的な存在であるナチス」などと書かれておりません。該当箇所には「アーリアン学説」とも「ナチス」とも書かれていない。--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 01:48 (UTC)
- 「ナチス」表記は私の編集によるものではなく、私の編集前からあった文章です。
- 該当箇所の表記を気にするのであれば、編集前の文章も出典に合わせて修正すべきであって、私の編集だけ差し戻して元の「ナチス」表記が書かれたままの文章は維持しているのはなぜですか?--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 01:54 (UTC)
- そもそもあなたは出典とは無関係の私の編集まで差し戻しています。
- 私が「ナチスによる採用」から「アーリア人主義者による採用」に変更したのは、私の編集前から記事自体に記述されている通り、ナチス以前からハーケンクロイツはドイツを中心とするアーリアン仮説を信奉するナショナリストによって利用されていたからです。
- 以前の記事では「ナチスによる採用」から始めた上で、途中に「しかしナチス以前からも実は採用されていたのだ」と自ら掲げたテーマに対して逆説を打つように文脈を展開しています。これはおかしいですよね。
- なので文脈に沿うように文章を整形しました。
- まだ嘘だの出典だの虚偽だの騒ぎますか?--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 01:58 (UTC)
- 該当箇所には「インド人とヨーロッパ人が同祖であるというアーリアン学説」「ハーケンクロイツをアーリアン人主義の象徴として用いた代表的な存在であるナチス」などと書かれておりません。該当箇所には「アーリアン学説」とも「ナチス」とも書かれていない。--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 01:48 (UTC)
- 出典にないナチス関連の記載は削除しました。--ササニシキ(会話) 2023年4月6日 (木) 02:08 (UTC)
- 月日に囚われた男の変更履歴を見たら誰が見てもこいつはブロック回避アカウントですよ。投稿記録も少ないのに、wikipediaに慣れている。問題ある投稿は多い。最近作成された回避アカウント。--121.2.248.156 2023年4月7日 (金) 00:51 (UTC)
- 投稿記録2件の生IPを使って「最近作成された回避アカウント」発言には正直笑い転げました。
- 問題ある投稿?あんた自分がどんな書き込みをしたか自覚あるか?--月日に囚われた男(会話) 2023年4月7日 (金) 23:35 (UTC)
- 月日に囚われた男の投稿記録を見たら、日本語下手でGoogle 翻訳に頼っていることが分かります。--121.2.248.156 2023年4月7日 (金) 00:58 (UTC)
- ササニシキが黙った完璧なタイミングで入れ替わるように唐突に現れた立場で何を妄想しようが勝手ですが、回避アカウントだのGoogle翻訳だの事実無根の悪質なデマをこれからも流し続けるのであれば、断じて許すつもりはないので荒らしとして管理者伝言板に通報しますよ。これは警告です。利用規約に忠実に判断するように。--月日に囚われた男(会話) 2023年4月7日 (金) 23:27 (UTC)
- 月日に囚われた男の変更履歴を見たら誰が見てもこいつはブロック回避アカウントですよ。投稿記録も少ないのに、wikipediaに慣れている。問題ある投稿は多い。最近作成された回避アカウント。--121.2.248.156 2023年4月7日 (金) 00:51 (UTC)
- 利用規約があることを知らない、つまり利用規約を読まずに編集していたことが発覚した以上、やはり私は利用規約を重んじるユーザーなので、どうしても利用規約を軽んじている人間の編集を認めることはできません。
- またあなたは出典をろくに読むことさえなく他人の編集を差し戻していましたことが発覚しました。これもやはりWikipedia:ウィキペディアでやってはいけないことの「意味のある記述を除去してしまうこと」と「ごり押しをすること」という観点から問題があります。
- 差し戻しました。--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 02:40 (UTC)
- また、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないという方針に基づいて、これ以上の議論無しでの該当記事の編集は行わないようご協力お願いします。--月日に囚われた男(会話) 2023年4月6日 (木) 02:43 (UTC)
「ノート:127」における合意形成のためのコメント依頼のまとめについて
[編集]ノート:127にて提起された合意形成のためのコメント依頼について、現在のところ、最新のコメントから1か月が経過しようとしています。月日に囚われた男さんの求める合意内容は他の議論参加者から否定された状態であり、既に長期間継続しています。また、新たに議論に参加する方はいないようです。
月日に囚われた男さんがコメント依頼を提起したのですから、このような状況を鑑みれば議論の収束を図り、本議論に何らかの結論を示す必要があります。当然ですが、合意すべき提案が提案者以外には否定されていますから、コメント依頼の結論、つまり、コミュニティの合意としては否定的内容になると考えます。
コメント依頼提起者として責任を持って対処されることを望みます。--みそがい(会話) 2024年6月15日 (土) 00:49 (UTC)
- 一カ月という期間は議論を終わらせる理由にはなりません。私としては、ノートページにおける議論はWikipedia記事の品質向上のためにあり、双方の合意を目指して行われるべきものだと考えています。
- Wikipediaは終わりの無いプロジェクトですから、時間を決めて議論を切り上げる理由はどこにもありません。--月日に囚われた男(会話) 2024年6月15日 (土) 04:51 (UTC)
- 特に、反対意見が複数人から出ていることはみそがいさんもお認めになるところなわけで、それに対して一人で返信するとなると、その分時間がかかるのは自然なことです。
- また、現状でみそがいさんの差し戻しの状態で版の更新は停止させているのですから、一定期間の返信が無かったからという理由で返信を催促する必要も無いはずです。
- コメント依頼の提起者としての責任は、該当ページをWikipediaの方針やガイドラインの基準に基づいて、より価値の高いものになるよう議論と提案を深めることにあり、議論そのものを早期に終わらせてしまうことではないと考えております。--月日に囚われた男(会話) 2024年6月15日 (土) 05:01 (UTC)
- 「一カ月という期間は議論を終わらせる理由にはなりません」とのことですが、コメント依頼を提示する際「Wikipedia:コメント依頼#依頼を終了するとき」は確認されていないのでしょうか。私が1か月経過を前にしてお知らせしているのは単にコメント依頼ページから掲示削除されることになるからです。掲示削除されれば、議論していることは周知されないことになりますし、その内容も月日に囚われた男さんにとっては否定的な結論が多数を占めるわけですから、結論がはっきりしないまでもコミュニティの多数意見として残ります。また、反対意見が多いから返信に時間がかかるという理由は、1か月近く実質議論を放置することに対する適切なものとは思えません。それは返信する材料が無いからと判断されても仕方のない行動であるということを認識して下さい。既に述べましたが、月日に囚われた男さんの主張に同意しているコメント依頼参加者は誰一人いません。提示から3か月以上状況は変わっていません。既に複数人から指摘されているようにWP:IDIDNTHEARTHATに該当する編集者と見なされても仕方のない段階です。議論においてはその点も考慮されるようお願いします。--みそがい(会話) 2024年6月20日 (木) 16:28 (UTC)
- 上記の後、ノート:127においてさらに、月日に囚われた男さんの最後の発言から4週間近く、私の発言から3週間経ちました。再びこのような沈黙の期間を作るのは如何なものでしょうか。
- 「コメント依頼の提起者としての責任は、該当ページをWikipediaの方針やガイドラインの基準に基づいて、より価値の高いものになるよう議論と提案を深めること」
- と発言されましたが、どうなさるお積もりなのでしょうか。
- 上記の後、ノート:127においてさらに、月日に囚われた男さんの最後の発言から4週間近く、私の発言から3週間経ちました。再びこのような沈黙の期間を作るのは如何なものでしょうか。
- 少なくとも私は「当該ページをWikipediaの方針やガイドラインの基準に基づいて、より価値の高いものになるよう」にそれらの基準に反する、いわば価値の低い記述を掲載しないという立場で縷々説明してきました。したがって、月日に囚われた男さんは私(とコメント依頼参加者)に対して、それ以上に高い価値が当該加筆文章にあるということを説明し納得させなければなりません。それせずに「WP:NOTDICDEF#2における特筆性は説明できない」が「三大方針を満たす」ならば記載できる、つまり「WP:! に反しても三大方針さえ満たせば記載できる」という提案であれば、Wikipediaの根本を変化させることに外なりません。それはWikipediaの方針文書とそれらの体系を変えることでありWikipedia参加者全員が納得するような更に高いハードルを越える必要が生じます。
- それはともかく、まずはコメント依頼提起者としてノート:127で適切な議論およびコントロールをして下さい。そして月日に囚われた男さんが当該記述文章に対し論ずべき根拠を見いだせないのであれば、責任あるコメント依頼提起者としてすべきことはお分かりだと思います。
- --みそがい(会話) 2024年7月12日 (金) 14:58 (UTC)
- Wikipedia:中立的な観点には、「ウィキペディアでは、これらの方針を合わせて、記事に書き記すことが許される情報の種類と品質を決定しています。」とあり、Wikipedia:五本の柱には「上の4つの原則の他には、ウィキペディアには、確固としたルールはありません。」とあります。
- 「Wikipediaの根本を変化させる」のではなく、最初からずっと長きに渡ってそのルールで運営されてきたのです。みそがいさんはWP:!にのみ着目し、私が示した三大方針やその他のプロジェクト文書との齟齬は指摘されてきておりませんが、これはつまり、私の加筆は「三大方針及び五本の柱に合致する」「WP:!以外のプロジェクト文書には違反しない」という事に合意していただけているということでよろしいのでしょうか。--月日に囚われた男(会話) 2024年7月14日 (日) 01:20 (UTC)
- 「Wikipedia:コメント依頼#依頼を終了するとき」にあるのは、「最終コメント以降他者からの新規コメントがないまま1か月を経過している場合」にコメント依頼が掲載から外れるという内容であり、「コメント依頼したら一カ月以内に返信しなくてはならない」という内容ではありません。
- Wikipediaの利用の仕方は様々であり、返信に時間制限があるわけでもありません。「それは返信する材料が無いから」という臆断も見当違いですし、Wikipedia:礼儀を忘れないで禁止されている「決めつけ語調」に抵する傲慢な行為です。
- みそがいさんが再三に渡って「遵守」すべきと主張してきたプロジェクト文書には、時間制限が記載されていませんし、私は私のタイミングで返信を行いますし、あなたの催促を聞き入れることもありません。
- 加えて、一カ月が経過するたびに催促を行うというあなたの行為は、コミュニティ参加者の意欲を阻害することに繋がります。コメント依頼をしたかどうかと返信のタイミングは無関係であり、返信の制限が無いからこそ、自由に自分の意見を好きなタイミングで述べることができるわけです。それによって幅広いユーザーからの意見が反映されることに繋がります。一カ月でも二か月でも時間の制限を設けて、その時間内に返信を行わなければ勝利宣言という事であれば、Wikipediaに割ける時間が多いユーザーだけがWikipediaの記事内容を独占するような事態に繋がりかねません。
- Wikipediaの閲覧者の多くはそのようなヘビーユーザーではなく、執筆した記事の品質や主張の正当性、貢献度などではなく、どれだけ議論に張り付いて返信を絶え間なく行えるかという点で論争の決着がつくような事態になれば、Wikipediaコミュニティの記事内容は偏向し、議論をユーザーをただ消耗させるだけのものになります。
- 今後、このような催促行為はご遠慮ください。--月日に囚われた男(会話) 2024年7月14日 (日) 01:09 (UTC)
- 「私の加筆は「三大方針及び五本の柱に合致する」「WP:!以外のプロジェクト文書には違反しない」という事に合意していただけているということでよろしいのでしょうか」
- 月日に囚われた男さんは「当該記述はWP:!に反しているという認識である」ということですね。方針を守っていないことを分かっていながらご自分の加筆内容を押し通そうとしていたことを、自らお認めになったということです。
- 私は私の理解するWikipediaの決まり事を説明してきたつもりでしたが、方針という編集者が最も守らなければならない事柄を蔑ろにしていることが明らかになりました。私は「月日に囚われた男さんはWP:!を軽んじている」とコメントしましたが、まさにその通りだったわけです。
- はっきり言えば、方針を守らないと明言された以上、Wikipediaの編集に携わることは他の編集者の迷惑に繋がります。なお「Wikipedia:五本の柱」は方針でもガイドラインでもありませんし、三大方針を満たしていないと主張するコメント依頼参加者はそもそもいません。誰も問題視していないことに議論を誘導することはWP:!から目をそらそうとする意図としか考えられません。再三指摘している通りです。
- 「一カ月が経過するたびに催促を行うというあなたの行為は、コミュニティ参加者の意欲を阻害することに繋がります」
- 既に述べたとおり、コメントの無い状態で1ヶ月経過すればコメント依頼リストから削除されることになります。それは「それによって幅広いユーザーからの意見が反映されることに繋がります」という発言の根拠が無くなることは明らかです。なぜなら「ノート:127」を閲覧した人にしか議論に気がつかないからです。当たり前です。それを敢えて放置し、リスト除外の危険性を犯すのか理解できません。発言と行動がマッチしていません。また、ここでいう「コミュニティの参加者の意欲」とは月日に囚われた男さんだけの感想でしかありません。
- 当事者である月日に囚われた男さんから長期間に亘り説明や反論、問題点の指摘が無いならば、周りの人々は「語るべきことが無い」と当然見なされるでしょう。議論における振る舞いとはそういうものです。
- 「一カ月でも二か月でも時間の制限を設けて、その時間内に返信を行わなければ勝利宣言という事であれば」
- 期限のない議論というものはありません。時間制限という意味では、コメント依頼の1ヶ月もその一つですし、Wikipedia:合意形成における「合理的な期間(通常約1週間)内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります」もそうです。当然のことですが、反対意見に1ヶ月も異論がなければそれが結論になるでしょう。実質的には既にその状態です。月日に囚われた男さん以外が反対する中、そのような時間感覚はまさに「いつまでも納得しない」姿勢そのものでしょう。
- 私の本コメントを「催促」と感じられるのならば、議論の姿勢が根本的に問われることになります。
- --みそがい(会話) 2024年7月17日 (水) 12:34 (UTC)
コメント依頼提出のお知らせ
[編集]「ノート:127」における議論に関し、「Wikipedia:コメント依頼/月日に囚われた男」を提出しました。ご意見がある場合は「Wikipedia:コメント依頼/月日に囚われた男#被依頼者のコメント」節にてお願いします。--みそがい(会話) 2024年9月1日 (日) 14:52 (UTC)