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利用者‐会話:笑太夫

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越後長岡藩の家臣団

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長尾氏の「後に定府藩士」というあなたの補筆について伺います。

長尾氏は忠敬の側近として、長岡に随従してきた家臣ですから、当初は定府であったと考えるのが普通です。藩主の嫡子は江戸定府という掟が柳営にあり、例外的に柳営の許可の下に政事見習い(政治の誤記ではないで)で、在所に行くことも制限付きで可能でありました。それが後に定府藩士とわざわざ補筆を入れたことに、疑問を持っています。

次に越後長岡藩には、江戸定府の多い家(家系)は、たしかに存在しました。 しかし江戸定府の筋目とか、永代定府の家柄とか、一代定府を命じられた家が存在したという文献は見たことがありません。もしあったら教えて下さい。

江戸武鑑に▲があれば定府ということは、周知のことですが、あなたのなした「後に定府藩士」という記述を、ここですることの適格性と、根拠を伺います。

越後長岡藩の家臣団の記事は家系についての説明をしているわけですから、後に定府藩士となったとすると、この家系は定府藩士の家系・筋目・家柄などになったのでしょうか。

個人的には長尾氏は長岡移籍直後には、嫡子の附きの定府藩士であったと想像しています。

      --今泉総一郎 2010年3月31日 (水) 18:39 (UTC)[返信]

そういうことなら削除します。私自身は、今泉氏などの他の記述者と違ってあまり知識がなく、他人が参考文献として紹介している本をそのまんま使っているにすぎません。こういう事例があるとは夢にもおもわなかったので、今後記述するときは気をつけます。初心者故にこういう誤りもありますので、その節はどうぞよろしくお願いします。--笑太夫 2010年4月1日 (木) 13:49 (UTC)[返信]

こちらこそよろしく、お願いします。いろいろな文献から補筆することは、大歓迎です。--今泉総一郎 2010年4月1日 (木) 18:39 (UTC)[返信]

三百藩家臣人名事典というのは、大手出版社のものですが、個人的には、かなりいい加減な内容では、ないかと思っています。出典、根拠は必ずしもつけていないし、原史料を当たると、その記述とかなり異なるように思います。

さて、名児耶氏は本当に200石で仕官したのですか?。 名児耶氏というのは定府藩士であったこともあるようですが、家系を説明している越後長岡藩の家臣団のページで名児耶氏は定府藩士と断言してしまってよろしいのでしょうか? --今泉総一郎 2010年4月6日 (火) 16:04 (UTC)[返信]

自身は他の執筆者と違い、あまり詳しくなく初心者であり、長岡藩関係資料を入手するのも困難な土地柄なので確認しかねますが、かなり専門と思われます今泉さんがいうならそうなのだと思います。大体の百科事典がわりとアバウトな気がするので、「三百藩家臣事典」を否定するのはどうかと思いますが、お詳しい方が指摘するようならば削除した方がいいかもしれませんね。自身が執筆したわけではありませんが代わりに削除しときます。私見ながらこれを削除しても問題はないかと思いますが。--笑太夫 2010年4月6日 (火) 17:43 (UTC)[返信]

と思ったらもうしていましたか。個人的には問題ないと思います。--笑太夫 2010年4月6日 (火) 17:48 (UTC)[返信]

ウィキペディアの記述は何が正しいのかを書くのではなく、所定の要件を満たした出典があれば書けるのです。「三百藩家臣事典」には、~~書いてあるが、同書には原資料の出典の明記はなく、原資料には、これと矛盾する~~という記述があるとするが、望ましい形式だと思っています。ただし、そこまで余裕があるかまた別問題だとは思います。--今泉総一郎 2010年4月7日 (水) 18:49 (UTC)[返信]

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武士の記事に、Template:武士を多数貼り付けておられますが、Template:武士の注意書きにあるようにそのテンプレートは廃止(いずれ削除)されることとなっておりますので、代わりにTemplate:基礎情報 武士を使用していただくようお願いいたします。--松茸 2010年4月17日 (土) 03:29 (UTC)[返信]