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利用者‐会話:118.19.224.99

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ムーンライト仙台・東京における文章表現について[編集]

セクション「沿革」におけるあなたの編集について問題点を報告いたします

①第2段落 「には」→「に」
「には」と「に」という双方の接続詞における差異を考えてみると、前者の方が若干強調のニュアンスを含んでいる事が挙げられ、今の場合結果的に、東北本線の定期急行列車が全廃されたことを強調しています。これらの「には」を「に」に変えてしまうと、強調のニュアンスが失われて文章が平板になってしまいます。この変更から得られるプラス要素は全くないといっていいでしょう。
②第3段落 「車両手配の点から計画が実行されることはなかった」
ノート:ムーンライト仙台・東京を参照すれば分かる通り、1988年頃に「ムーンライト仙台」が運転されていたという情報があり、現在確認中です。「車両の手配が難しかった」というのは、それを踏まえた包括的な表現なのです。
③第4段落 「そんな中」→「ところが」
「そんな中」と「ところが」に共通していることは、双方とも状況の変化を示しているということですが、後者はその変化がネガティブなものであるという点で違いがあります。今の場合、「車両の手配が難しかったが、やっとこさ車両の都合がついた」のですから、その変化はポジティブなものであり、「ところが」は不適切です。代わりとしては、元から使われていた「そんな中」や、「しかしながら」といった言葉を使うことができ、特に前者については「583系が転属してくるまで車両不足の状態が続いていた」ということを強調できます。
④第4段落 「はつかり」・「はくつる」が廃止されたことから、これらの列車で運用されていた青森運転所(現・青森車両センター)所属の583系電車…
完全に誤りです。「はつかり」・「はくつる」のうち、583系が使われていたのは臨時便のみです。今の文章ではそれが説明されていません。
⑤第4段落 「してきた」→「となった」
これはきわどいですが、使い分ける際に考慮に入れるべき事と言えば、今の場合「青森運転所の話をしているのか」、それとも「仙台運転所の話をしているのか」ということだと思います。もちろん今は仙台運転所における話をしています。となると、使う動詞は必然的に「してきた」となります。
⑥第5段落 …2004~2005年運転の…
~という記号を数字の省略で使う際の一般的な条件としては、2つの数字(今の場合2004と2005)が隣り合ったものでないことが挙げられます。
⑦第5段落 東京ディズニーリゾート利用者の便宜を図り、京葉線・武蔵野線経由で舞浜停車も行ったが…
東京ディズニーリゾートが舞浜にあるということを知っている人であれば、「京葉線〜」以下で「東京ディズニーリゾートの便宜を図る」ことの具体的な説明をしていることが分かります。しかしそうでない人にとっては、「東京ディズニーリゾート利用者の便宜を図る」ことと、「京葉線・武蔵野線経由で舞浜停車も行う」ということがそれぞれ別のことなのだと誤解しかねません。これについては、文章の前後を入れ替えるだけでなく、「便宜を図り」の部分を「便宜を図って」とし、句読点を省略しても解消する事ができます。
⑧第5段落 「後述の貸切列車を除き、2005年を最後に運転されていない。2005年以降も583系を使用した同趣向の臨時列車が散発的に設定されていたが…」→「2005年以降も583系を使用した同趣向の臨時列車・貸切列車が散発的に設定されたものの…」
この変更では、「『ムーンライト仙台』と『ムーンライト東京』が2005年を最後に運転されていない」ということを説明した記述が無くなってしまっています。
⑨第5段落 「2008年度においては」→「2008年度は」
この変更では、「2008年度に入ってからまだ一切583系を使用した臨時列車が設定されていない」というニュアンスが失われます。「2008年度は」だと、後ろの文章の関係から「2008年9月においては」という意味合いに近くなります。

これらのうち、記事の正確性を考慮するなら②、③、④、⑥、⑦、⑧、⑨については早急に修正する必要があります。どうかご理解頂きたい。

また、重複リンクに関する私の考えが「個人的」とおっしゃいましたが、あなたの重複リンクを解消すべきという意見がどうして「個人的でない」と言えるのでしょうか?それに、リンクというのはページ間のジャンプを円滑にする物ですから、リンクを張れば「便宜性を考慮する事になる」ということには間違いはなく、ましてや使用車両について説明しているのにその車両のページにすぐにジャンプできないというのはおかしいでしょう?まあとりあえずノート:ムーンライト仙台・東京で意見を募れば、どちらが「個人的」かがはっきりするでしょうね。他の人が気づいてくれればの話ですけど。

私は当該項目の文章を手直ししたことがあり、それゆえに文章が変えられたことを私の編集に対する否定と感じます。私は自分の文章に自信を持っていますからなおさらです。しかし、議論なしに互いの編集を取り消し合うのは編集合戦につながるためにここまでにも長ったらしく書いたのです。返答頂けない場合は再び差し戻し、それが繰り返されるようであれば東海項目の半保護(IPユーザーが編集できないようにする)を依頼します。--もんじゃ 2008年9月13日 (土) 15:20 (UTC)[返信]

意見が対立している重複リンクの問題については放置し、上記の文法的問題のみ修正しました。また、昨日書き忘れていたことがあったので補足します。

補1 セクション「沿革」 第5段落「9月現在583系を使用した臨時快速列車の設定はされていない。」→「9月現在臨時快速列車の設定はされていない。」
右の文章では臨時快速列車全体を指すことになってしまいますから、明らかに不適切です。
補2 セクション「運転状況」/サブセクション「年度別運転状況」/「2008年」「同種の列車は設定されていない」→「運転なし」
「運転なし」では「何が」運転されていないのかはっきりしません。--もんじゃ 2008年9月14日 (日) 13:47 (UTC)[返信]

意図は理解できましたが… こちらからの問題点についての回答をさせていただきます。ただ、その前にふたつだけ本論からズレた部分での指摘をさせていただきます。  

私は当該項目の文章を手直ししたことがあり、それゆえに文章が変えられたことを私の編集に対する否定と感じます。私は自分の文章に自信を持っていますからなおさらです。

申し訳ありませんが、この考えは捨てていただけませんか?それは一歩間違えると他の第三者の編集権をも否定する意味合いに取れますよ。言い方を変えれば、どんなに優れた文章や構成でも編集される可能性を持っているのです。また、ウィキでは悪意のある編集と善意からの編集では意味合いが違ってきますが、絶対的な権威があるものではないということだけご理解いただきたい。

編集を取り消し合うのは編集合戦につながる

これは私も大人気ないことをして申し訳なかったです。ただ、問題となった当該部分を復帰させるのに便利なためにわりと簡単にこのモードを発動させてしまう方が多いのも事実です。むしろ、合致点を探すべきじゃないかと再認識いたしました。

では、本論の部分についてです。

①第2段落 「には」→「に」
貴殿は強調ということを言われてますが、この部分で主観的要素があるのでは?と思われます。ウィキ的には主観的要素よりも客観的要素での視点も必要という点で「に」で十分だと思われます。
②第3段落 「車両手配の点から計画が実行されることはなかった」
指摘部分は尤もな点でもありますが、文意が伝えるという部分ではより簡略化してもいいのではないか?理由は後述しますが、すでにこの部分は過去形の話なので、その点も含めての考慮です。
③第4段落 「そんな中」→「ところが」
感性の違いですかな?(笑)ですから、客観的視点から考えれば「そこまで強調」する必要はないのですよ。ネガティブとかポジティブというのも理解はできますが、ウィキは文芸作品の発表の場ではないというのも理由のひとつです。
④第4段落 「はつかり」・「はくつる」が廃止されたことから、これらの列車で運用されていた青森運転所(現・青森車両センター)所属の583系電車…
⑤第4段落 「してきた」→「となった」
この部分はまとめて。確かに「臨時」の部分を校正したのは、どうかな?という点があったのは事実ですが、青森時代最後の583系の運用という点で「はくつる」「はつかり」に投入されていたことは事実ですから、あえて集約させたのも事実です。貴殿は文章に絶対的自信と言われていましたが、その理想を追求するあまりに逆にまどろっこしくなってしまい、わかりにくいという点からの編集をいたしました。本来、こういう「より正確に」をコンセプトに記載しようとするならば、自分も気がつけばよかったのですが、「脚注」設定を行った方がよりベターではないかと現時点では思いますが、如何でしょうか?
「してきた」と「となった」ですが、文意の強調や仙台からの視点ではなく、鉄道車両の擬人化という視点から「してきた」という着任視点はいかがなものか?ですね。「してきた」ですと鉄道車両が自発的に動いたという文意を持ってしまいますので不適切ではないかという次第です。また583系が、一連の列車に投入されるきっかけのひとつに青森時代にATS-Pが装着されており、対首都圏の波動輸送対応がなされていた視点もあります。さらに当初は正式な転属ではなく、廃車前提であったものの検査切れまでの期間が比較的長く、青森から仙台への貸し渡し名義であって仙台で上記列車を含めた臨時列車への投入が行われた結果、使い勝手の良さから正式に転属になった背景もあります。これは脚注化した方がいいかもしれませんね。
⑥第5段落 …2004~2005年運転の…
意味合いとして2004年シーズンから2005年シーズンという点で、本来の用法としてはズレるもののこちらの方が適切ではないかという判断です。必ずしも通常のルールを常に当て嵌めないほうがいいという矛盾点でもあるのですが、このような視点があるということもご理解ください。
⑦第5段落 東京ディズニーリゾート利用者の便宜を図り、京葉線・武蔵野線経由で舞浜停車も行ったが…
京葉線経由ありきなのか?TDRありきなのか?そこから考えると「TDR利用者の便宜を図るために京葉線経由舞浜停車」にしたのか?「京葉線経由にしたのはTDR利用者の存在があり、そのための便宜」なのか?文意的問題だと思いますよ。少なくと京葉線経由にした理由を明確にするには、TDRを主語にする必要があるという判断です。逆にいえば、わざわざ長距離迂回する意味合いがないというか、対首都圏視点でいえば新宿や上野発着で十分なわけですし、わざわざ不便な京葉線東京駅に発着する必要性もTDR以外の何者でもないわけではと考えるのが自然ではないかと。それと「舞浜駅」→「舞浜」としたのは、他の部分の表記(駅名の駅がすべて省略されている)との整合性ですので、その点もご理解いただきたい。
⑧第5段落 「後述の貸切列車を除き、2005年を最後に運転されていない。2005年以降も583系を使用した同趣向の臨時列車が散発的に設定されていたが…」→「2005年以降も583系を使用した同趣向の臨時列車・貸切列車が散発的に設定されたものの…」
⑨第5段落 「2008年度においては」→「2008年度は」
補1 セクション「沿革」 第5段落「9月現在583系を使用した臨時快速列車の設定はされていない。」→「9月現在臨時快速列車の設定はされていない。」
補2 セクション「運転状況」/サブセクション「年度別運転状況」/「2008年」「同種の列車は設定されていない」→「運転なし」
これは、まとめて回答というか論点がまったく同じなのです。この項目というか、ムーンライト仙台・東京は何についての解説ですか?『本項では、2006年まで快速列車として運転されていたゲレンデ蔵王(げれんでざおう)、およびその他の583系を使用した東北対関東間の臨時夜行快速列車についても解説する。』これが大前提になってますよね。そういう部分で主語の省略的表現は無問題ではないでしょうか?

重複リンクの問題も含めての視点ですが、ウィキが百科辞典であるとともにサーバ容量というか負荷問題も同時に考える必要があると思います。確かにより正確な解説が必要なことも事実ですが、文意的にも文章的にも長くなったり、却ってわかりにくくなるケースも多々あります。ある意味で相反する部分でもあるのですが、その点を含めて時には見直しをする必要もあるのではないでしょうか?たとえば、私も提案しましたが場合によっては「脚注」設定をして、補足や直接本論以外での解説を行うという方法もあるのではないか?という視点です。

重複リンクについてもまったく同じです。便宜上という視点と限りあるサーバ容量という相反する部分なんでしょうか?結局、最初の段階で個人的と書いたのは容量問題もあったわけで、そのために大きな誤解を生んだことにはお詫びいたしますが、必要以上な情報という点で考えなくてはいけない部分だと考えています。

容量的にもまだ当該項目は絶対的容量から見れば微々たる物かもしれませんが、「塵も積もれば山となる」はすべての項目に言えることなのです。例としてあげれば、あまりにも細かく編集がなされたために細分化された「水曜どうでしょう」な例もあるわけですし、やはり同様な意味合いから大鉈的編集が下された項目も多数ありますから。

矛盾というか相反する部分もあって、それとの戦いでもあるのがウィキの持つもうひとつの側面という点も考えていただければ幸いです。--118.19.224.99 2008年9月15日 (月) 04:05 (UTC)[返信]

(インデントをこのままにさせて頂きます)お返事ありがとうございます。まずは、「本論からズレた部分」について。

  • 自分が加えた加筆が変更されたとき、それを自分に対する否定と感じる事は誰にでもあることではないでしょうか?例えば、私があなたの編集をリバートした時にそう感じたのではなかったかと思います(私が手間を惜しんであなたの編集をリバートしてしまったのは、あなたがこれといった意図を持たず、ただ気まぐれに編集したのではないかと感じた事が主な理由です。それについてはお詫びいたします。)。問題はその後です。自分の編集が変更されたとき、冷静に判断してどちらの文章(あるいは写真)が適切なのか考えることができるか、それが重要であると私は考えており、自分では一応それを実行したつもりです。「芳しくなかった」という表現を残した事がその証拠です。「私は当該項目の編集を…」と書いたのは、文章を変えることはその文章を書いた人の否定につながるという意識があなたには不足しているのではないか、と考えたからです。

次に、本文について。

  •  「には」がどうして主観的要素を強めることになるのかいまひとつ分かりません。分かりやすく、例えば例文を用いるなどして説明して下さいませんか?
  •  あなたの文が私のものより簡略された物であるようには思えません。
  •  これは好みや感性の問題ではなく、恐れながら文法的に間違っていると思います。「ところが」という語は、1.以後の文章に変化が示されており、2.なおかつその変化が意外性を持ち、3.さらにはマイナス要素を持ったものである時に一般的に用いられます。例えば、
「東北本線には『十和田』や『八甲田』といった急行が運行されていた。ところが、それらは全て廃止となってしまった。」
という文章は正しいですよね。しかし、
「智頭線の工事は凍結された。ところが、運営主体を第三セクターとして工事が再開されることとなった。」
では間違っているのが分かってもらえるでしょうか?下の文章は「以後の文章に変化が示されている」ことしかクリアしておらず、この場合は「しかし」などを使うか、いっそのこと文章を「。」で区切らないほうが適切です。これは問題となっている文章でも同じですが、該当箇所が段落を分けたすぐ後であることから前後の文章をつなげることができないので、問題となっている文章で使用する接続助詞は一度文章を区切っても使えるものに限定されます。
さらに、「ところが」を使う際には後の文章が意外性を持つかという筆者の判断が伴うことから、筆者による主観の介入が生じます。個人のブログなどであればそれを逆手に取って筆者の意見を遠回しに表現することもできます。しかし、だからといって中立性を重んじるWikipediaで使用できないというわけではなく、後の文章が一般に意外性を持つものと言えれば問題ないでしょう。例えば、「僕は彼女の鉛筆を拾ってあげた。ところが、彼女は礼の一つも言わなかった。」では、後ろの文章は一般に意外性を持ったものかきわどいところがあります。しかし、「僕は1年もの間彼女に1000万円貸していたのだ。ところが、彼女は礼の一つも言わなかった。」ですと、大抵の人は意外性があると言っても文句はありませんよね。
また、私は「『そんな中』を使えば『583系が転属してくるまで車両不足の状態が続いていた』ということを強調できる」と言っただけで、この節においては強調の必要は主張しておりませんし、「そんな中」を使うよう強要もしていません。
  •  「青森時代最後の583系の運用という点で『はくつる』『はつかり』に投入されていたことは事実」はもっともな意見ですが、今はムーンライト仙台・東京の話をしていますから、「ムーンライト東京に使われる前にはどのような使われ方をしていたのか」に重点が置かれるべきと考えます。また、脚注を使うべきとおっしゃいますが、私にはそちらのほうがまどろっこしいのではないかと感じます。何しろ、わざわざ脚注部分まで飛ばなければならず、それによって読むほうはその度に文章を読むのを中断しなければいけないのですから。
  •  人間でない物を主語に置いたら「擬人化」とは少々極端です。例えば、「リンゴが転がってきた」と書いたらリンゴを擬人化したことになるのですか?
  •  おっしゃりたいことは分かります。しかし、「ムーンライト仙台」が運転されているのは2004年と2005年の夏のみで、その間の多客期全てに運転されていたわけではありません。
  •  「読者に誤解される可能性がある」と申しております。また、「文末を少々変えるだけでこの点は解消できる」とも書きました。

また、⑧、⑨、補1、補2を一括りにして捉えていますが、これらは個別に考える必要があります。

  •  あなたの文では省略を通り越して文意が変わってしまっていますし、接続もおかしいです。
  •  「2008年度は団体列車である『ゲレンデ蔵王』を除き、9月現在臨時快速列車の設定はされていない。」だと、2008年の9月のみにおける話のように捉えられる可能性があります。
  • 補1、補2 冒頭の定義文でこの記事が何を説明しているか示しているからといって、文意の把握に難を生ずるほど省略することを保証するものではありません。読者が常にこの記事で何を説明しているか意識しているとも思えませんから、それらの読者にとってこれらの省略は理解を妨げるものであるように思います。

あと最後のまとめ部分において「脚注を活用すればサーバ容量を軽減できる」と読める箇所があるのですが、もしそう考えているとしたらそれは明らかな誤りですからご注意下さい。またその「まとめ」の2段落目、「便宜上という視点と限りあるサーバ容量という相反する部分なんでしょうか?」とのことですが、未だにリンクについて決着が付いていない以上そう考えるしかありません。最後に3段落目について、ムーンライト仙台・東京はこれから大幅に加筆されることや、文章量が増えることはないものと思われます。つまり、ほぼ記事が完成しています。よって、容量の問題はこの項目においてはあまり考慮する必要はないように思われます。--もんじゃ 2008年9月15日 (月) 15:46 (UTC)[返信]

インディントはそのまま続けます。

再度のご意見ありがとうございます。どうも根本的な考え方やウィキに対しての見方が違うのではないか?というポイントを感じてきたのも事実ですが、それぞれに対してこちらからの返答をさせていただきます。

まず最初に… 冷静に判断してどちらの文章(あるいは写真)が適切なのか考えることができるか、それが重要であると私は考えており、自分では一応それを実行したつもりです。「芳しくなかった」という表現を残した事がその証拠です。「私は当該項目の編集を…」と書いたのは、文章を変えることはその文章を書いた人の否定につながるという意識があなたには不足しているのではないか、と考えたからです。

視点がまったく異なります。なぜ編集ではなく差し戻したのか?それは否定ではありません。当方は『一考を』という一文を付け加えた理由をお考えになっていただけてないようです。つまり、貴殿の「否定につながるという意識 」が優先されたということを当方にも当て嵌めようとしていたのも誤解のひとつではないでしょうか?
こちらにはそういう意図はないのです。比較検討すべきだと言われてますが、そこには貴殿の「自分の文章には自信がある」という意識が左右されていたからこそのご発言だと思われます。
そういった自信に対して、こちらからどうこう言う筋合いはありませんが、失礼な言い方ではあるもののそれは傲慢でもないでしょうか?確かに自身が作成・構成した文章はかわいいものであるし、他と比較して優れているものならばどちらを優先すべき以上に愛着があるのも否定はいたしません。しかし、客観的に判断する目を必要だということです。そういう点で一考すべきという視点から差し戻したという点はご理解いただきたい。
正直、これも失礼になることかもしれませんが、貴殿の人となりを確認させていただくノートも拝見させていただきました。特に「なは・あかつき」の画像論争(他に的確な言い方が思いつかなくあえてこの言い方で失礼します)で感じたことは、(これまた失礼な言い方になりますが)持論を正当化させるためにはいかなる理論武装をしても戦う方と判断させていただきました。論点から大きくズレてしまい恐縮ですが、そのために熱くなりすぎる部分もあるのでは?冷静に判断するという点ではどうかなと思ったのも事実です。
確かに高い文章構成能力をお持ちであり、ご自身でもそれを自覚なされているのも十分に理解はできます。ただし、ただしですよ。冷静な目で編集できるかとなると疑問符をつけざるを得ないというのが私の印象なのです。個人攻撃的な失礼・無礼は百も承知で私自身も人のことは言えた身分ではありませんけれど、次の点だけはハッキリといえることがあります。
どんなに優れた文章や内容であっても、きちんと全体で構成されてなければそれが正しい編集をされたといえるものではない。
申し訳ないのですが、もっと細かいところにも目を配って編集されていただきたい部分があったからこそ感じた部分です。そう、編集とは、単に優れた文章をつなぐだけではなく、前後や全体のバランスを見ることも必要な作業です。これが欠落してしまいますと「木を見て森を見ず」な状況になってしまうのではないでしょうか?たとえば、揚げ足取りみたいになってしまいますが、前回指摘した「舞浜」のみ「舞浜駅」となって他と整合性が取れてないといった部分もそのひとつなのです。つまり、「文章ひとつひとつを取り上げてみれば無問題であっても、トータルで見た時のことも考える必要がある」ということなのです。
最初に論点から大きくズレた部分と貴殿に対して失礼な内容から導入させていただいたこと。この2点についてはお詫びならびに気分を害された可能性も高いと思いますが、後々に絡んでくる部分もあるのであえて先述させていただいたことをご理解いただければという次第です。では、本論にいたします。
①・②の問題について
  • 言われてる意図は理解できてます。ただし、この「ただし」がつきます。これがもし、貴殿がいずれかのレンタルサーバを月額いくらで契約し、自身が主宰するホームページであれば私自身も何もいうつもりはありませんし、介入すべき問題でもないと考えます。むしろ、持論を完全な正論にすべくの理論武装にも解釈できるという感が否めないのも事実で、貴殿の絶対的自信というものからもあると判断せざるを得ないのもまた事実です。
  • こちらが言いたいのは、文意が伝わるのであれば簡潔かつ的確でな表現でも十分だということなのです。
  • これは、サーバ容量云々という部分にも直結していく問題だと考えています。貴殿は、「ムーンライト仙台・東京はこれから大幅に加筆されることや、文章量が増えることはないものと思われます。つまり、ほぼ記事が完成しています。よって、容量の問題はこの項目においてはあまり考慮する必要はないように思われます。」と発言されてますが、これはなぜそう言い切れるのですか?もしかしたら、大きな変化がある可能性も否定できないわけですよね?未来永劫に渡って保証されることなど何ひとつないわけで、もしかしたらいつの日か大鉈的編集が行われる可能性もあるわけですよ。そうなると、やはりたとえ1バイトでも考慮する必要があるのではないかと言いたいのです。
  • サーバ容量は無尽蔵ではないのです。これが書込みされることが目的な存在であるBBSや2ちゃんねるなどであれば話は別ですが、ウィキの場合はネットによる百科辞典という点も考慮する必要があると考えます。勿論、より的確かつわかりやすいという部分で解説の文章量が増えるという上記問題も含めて相反する部分との兼ね合いもありますがね。私が相反する部分と書いたのはこういう部分です。
  • ですから、重複リンクの問題もこの延長線上に存在してきます。わずか数バイトの問題かもしれませんが、便宜上という言葉の上に同一リンクをいくつも同項目でするのも相反する部分だということです。たぶん、これはウィキの読み方というか、使い方というか、ユーザー次第だと思いますよ。注意深く読んでいれば、「あれ?このリンク前にも出ていたよな?」と気がつくだろうし、逆に何度も出て初めて気がつくナナメ読みしている人間もいるだろうし…(笑)。ただ、便宜上という言葉の上に何度も同一リンクを乱発させる必要はないと思います。
  • 本線からズレてばかりで、申し訳ありません。ただ、エコの精神ではありませんが、こういう意識を持つことは編集する上でも必要ではないかという視点ですから。たぶん、貴殿との考え方にこれは現時点でいい落し所が見つからないと感じているのも事実です。
③の問題について
  • 1.以後の文章に変化が示されており、2.なおかつその変化が意外性を持ち、この2点に関してはまったく否定はいたしません。というより、正にそのとおりでしょう。しかし、3.さらにはマイナス要素を持ったものである時に一般的に用いられます。これの方が間違いなのではないでしょうか?
  • 何を出展にされているのかはわかりませんが、かつては貴殿の言われてるような使われ方が本来の使われ方であったのでしょう。ところが(笑)、言葉っていうのは時代とともに使われ方や文意が変化していく生き物でもあるということなのです。
  • つまり、それまでの概念というか流れを大きく想定外な方向に持って行くという意味合いで「ところが」に違和感がなければ無問題ではないでしょうか?
  • その点では、貴殿も例として出されている「Wikipediaで使用できないというわけではなく、後の文章が一般に意外性を持つものと言えれば問題ないでしょう。」でも意見の一致は見られたと判断しています。
  • 要は強調という点を言われたのは理解できますが、中立性という視点やあえて使う必要性がない言葉を使う不自然さなどから差し換えたという視点です。
④の問題について
  • どうも視点が違いすぎると感じます。当該解説項目から考えれば583系の動きじゃないかということなのですが、これを少々乱暴かつ最も簡潔に説明すると『東北新幹線八戸開業で「はくつる」や「はつかり」で使用されていた583系の運用が廃止となったために余剰となった1編成6両が仙台に転属となった』っていうことですよね?
  • …となると最低限必要な情報をどう選別するかかがカギになると考えます。そうなると項目テーマと内容から、主語は583系になるわけです。そこから、必要な情報と直接影響のない情報に分類・整理してやった方がいいのではないでしょうか?貴殿の文章はパーフェクトに近い説明だとは思いますが、同様な言葉が繰り返されるためにまどろっこしさを感じたのも事実です。そのために直接関係ない部分をオブラートに包んでおいた方が読みやすいという配慮もできるのではないでしょうか?
  • 極論でいえば、一連の臨時列車は何も仙台の583系じゃなくても秋田のそれで運転しようとすればできるというカナリ屈折した理論立てもできるわけですけどね(笑)。つまり、よりわかりやすくするために脚注を導入すべきでもあるということです。詳しくは583系の項目でも解説されている細かい転属の経緯は2次的な部分ですから、本文に導入するより脚注の方が的確と判断し、場合によっては583系の当該解説部分へのリンクという形でもいいかと思います。
  • 要は、内容的にも583系と記事の重複をどう処理するか?の部分でもあるという視点と詳細な情報を欲しがる読者対応で編集を考えれば導き出せる答えではないでしょうか?
⑤の問題について
  • 言葉足らずだったかもしれません。あの文章では、583系が自ら意思を持って仙台に転属という点で擬人化という表現をしたのですが…
  • それともうひとつ仙台視点というのは納得できない部分でしたね。やはり、ここは583系の問題なので④でも書きましたが、583系視点での解説が必要ということです。
⑥の問題について
  • ですから、予定臨時としてスジが確保され、かつ運転されたという点から、あのような表現を使った方がより的確だということです。
⑦の問題について
  • 前回あえて論調を抑えたのですが、根本には貴殿の『東京ディズニーリゾートが舞浜にあるということを知っている人であれば、「京葉線〜」以下で「東京ディズニーリゾートの便宜を図る」ことの具体的な説明をしていることが分かります。しかしそうでない人にとっては…』この部分に矛盾性を感じたというか、わざわざそのために解説表現をかえてまで、主客転倒になる必要はないという判断です。
  • 突き詰めると「TDRが舞浜にあるのをわからければ、それを調べればいいじゃないか」もっと乱暴な言い方をすれば、何のためにTDRについての項目があるのか?という矛盾点に突き当たることになります。
  • それこそリンクが有効活用される例だとも考えますし、わからなければ次項目を読めばわかることだと考えます。
⑧⑨補1補2の問題について
  • こちらはそれぞれについて貴殿は…と言っておりますが、根本的な視点や考え方が違うところに要因はあると思います。その点は次のそれぞれの言葉にあると考えます。
  • 当方…この項目というか、ムーンライト仙台・東京は何についての解説ですか?『本項では、2006年まで快速列車として運転されていたゲレンデ蔵王(げれんでざおう)、およびその他の583系を使用した東北対関東間の臨時夜行快速列車についても解説する。』これが大前提になってますよね。
  • 貴殿…冒頭の定義文でこの記事が何を説明しているか示しているからといって、文意の把握に難を生ずるほど省略することを保証するものではありません。読者が常にこの記事で何を説明しているか意識しているとも思えませんから、それらの読者にとってこれらの省略は理解を妨げるものであるように思います。
  • この違いが見解の差に広がっているのではないでしょうか?上述のTDR問題についても似たようなところに要因があるとは思いますが、 私は読むというか調べる以上はそれを把握するための準備前提であること。貴殿はそんな部分を意識してない読者も考慮すべきという点。この違いがあるわけで、当方は省略できる部分は省略してもいいのではないか?これが前提にきていることは否定しません。
  • 確かに鉄分少な目(笑)な人に対応する必要性というか、考慮した解説は必要だとは思います。しかし、何について解説している項目なのかは、リンクなり直接調べに来ている以上は当然ある程度は理解したもののとしてみなす必要性はあると思います。
  • ただし、⑧については自分の文章で訂正するならば「2005年以降も583系を使用した同趣向の臨時列車・貸切列車が散発的に設定されたものの、2008年度は団体列車である「ゲレンデ蔵王」を除き、9月現在これらの列車の設定はされていない。」でしょうね。これら=583系を使用した同趣向の臨時列車・貸切列車なわけですから。これは失礼いたしました。

とりあえず、現時点で回答できる点は対応させていただきました。それと、これは個人的なことで理由にならない部分もありますが、仕事の関係で時間が取れないケースも多々あります。そのため以後の返答に少々時間がかかることもありますが、その点はご了承ください。--118.19.224.99 2008年9月17日 (水) 10:15 (UTC)[返信]

当方は今晩から二日ほど家を空けますので、問題のページの編集は控えていただくようお願いいたします。--もんじゃ 2008年9月17日 (水) 12:07 (UTC)[返信]

私はこのページにおいても、「なは」の画像における議論に於いても、自分の考えを素直に言葉に表したつもりで、無理に「正当化」したつもりもありません。そのような態度から「持論を正当化させるためにはいかなる理論武装をしても戦う方」とあなたに判断されてしまったことは、私としては非常にショックです。もしかするとこれまで話をしてきた人全てに同じように認識されているのではないかとも考えられますからね。しかし、あなたの意見が貴重な物であったことは確かです。できればノート:なは (列車)でご意見を賜りたいと存じます。

次にあなたの差し戻しについてです。「一考を」というのは、その前の私の編集の要約欄における発言、「重複リンクは便宜上必要と思ってのことです。」に対するものであって、私の文章に対するものではないですよね、少なくとも要約欄における発言ではそう取れます。それを他の部分にまで押し広げて反論しようとはちょっと都合が良すぎはしやしませんか?それに、客観性が欠けているからといって、なぜ差し戻しとなるのでしょう?私の感覚が一般的でないという意見は理解できます。しかし、客観性を重視しようと言うならば第三者の意見や私の意見をも取り入れるよう対処すべきで、差し戻しでは直接の解決にはならないでしょう?あなたの差し戻しという行為や「ご一考を」という発言からは、「あなたの主観」=「客観」と捉えている部分があるように思われます。ちなみに、私は「ご一考を」を重複リンクに対するものと理解しましたので、ノート:ムーンライト仙台・東京において然るべき対応をしました。

ひょっとすると、あなたはこの場における私の発言も客観性を考慮したものとは言えないとおっしゃるかもしれません。しかし、私は最初に挙げた11の問題点すべてが、人の好みなど個人の主観の介入を伴わない、文法や意味内容における間違いを指摘した物と考えており、今もそれは変わりません。

また、あなたの編集がきちんと全体で構成されているという理由、あるいは私のがそうでない理由が全く理解できません。「『舞浜』のみ『舞浜駅』となって他と整合性が取れてない」とおっしゃっていますけど、私はそれを問題にした覚えはありません。それを変えて気が済むのであれば今すぐにでもどうぞ。ただし、「舞浜停車」という言葉はありませんから、この表現は避けて下さい。

そして、サーバ容量についてですが、容量をちょっと減らすだけのために編集をおこなうというのは、矛盾を孕んだ主張のように思われてなりません。たとえば、サーバの容量を減らすためだけに編集を行っても、それで1回の編集回数に数えられ、保存される「過去の版」が一つ増えてしまいます(Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす参照)。これはどういうことかといえば、「過去の版」が増えるごとにそのページの「変更履歴」が増えていく、つまりそれだけサーバ容量が増えるということです。必要以上に差し戻しを行うことについても同じことがいえます。ただし、このような編集を有用な加筆と共に行うならば文句は言いません。

また、「これが書込みされることが目的な存在であるBBSや2ちゃんねるなどであれば話は別ですが」と言いますが、それはウィキについても言えることではないでしょうか?サーバ容量を憂慮するあなたの意見も一理あります。しかし、そういった考えは新たな項目の立ち上げや、有用な情報の加筆の妨げになるように思われます。まず自分のできる範囲で加筆していって、サーバ容量とかいった問題は、加筆する際に投稿回数が嵩まないように心がける程度でいいように思います。Wikipedia:サイト負荷を気にしすぎないも参照して下さい。重複リンクについても同様の理由で反論します。サーバの容量を気にするのであれば、財団に金銭的寄付をすることも検討されてみては?

そして、「ムーンライト仙台・東京はこれから大幅に加筆されることや、文章量が増えることはない」という私の発言は、このページにどういった情報が必要なのかという具体的なイメージに基づきます。たとえば、現時点における話をしますと、今後「ムーンライト東京」のような列車は設定される可能性が著しく低いですよね。ですからサブセクション「年度別運転状況」における加筆も今後あまり増える事はないと予想がつきます。583系自体も耐用年数が限界を迎えつつありますし。それに加え、「ムーンライト仙台・東京」に今不足している情報と言えば、1988年頃に運転されていた「ムーンライト仙台」についてのみであると私は考えています。これらが、私がこのページについて抱いている具体的イメージです。もっとも、こうした予測は現時点での状況を前提にしたものではありますが、もしそれが覆されたとしても、サーバ容量を気にかけるというのはそれからでも決して遅くはないように思います。

最後に省略について。読者に対して「何について解説している項目なのか当然ある程度は理解したもののとしてみなす必要性がある」とおっしゃいますが、だからといって必ずしも省略をする必要性もあるのでしょうか?「何について解説している項目かを念頭に置いていない」読者に対して考慮する際に増える文章量はほんの僅かです。それを削ってまでして「まどろっこしさ」を解消する必要はあるのでしょうか?言ってしまえば「まどろっこしい」からといって文意の把握に難を生じるものではないでしょう?要は全ての読者が文意を正確に読み取れる事が大前提ではと思います。

以下、私が設定した番号を追って説明していきます。

  •  では結局「には」には主観的要素が無いのですね。前に述べたサーバ容量の問題も踏まえれば、あえて変更する必要はないと思われます。
  •  ですから、あなたの文が私のものより簡略化されていると考える理由が分かりません。
  •  大辞林 第2版によれば、「ところが」は、「予想や期待に反したことを述べはじめようとするときに用いる語」とされています。私の感覚もあながち間違いではないですよね。ところが、今の場合を見てみますと、前にも言った通り状況の変化しか「ところが」の使用条件をクリアしておらず、583系の転属は、それほど「予想や期待に反したこと」とは言えませんよね。「言葉は変化するもの」とあなたはおっしゃいますけど、かといって「変化した状態」にあわせるべきなのでしょうか?ちなみに、私は現在大学生ですけれどもあなたの言う「ところが」の用法にはあきらかに違和感を感じます。しかも、分かりにくかったかもしれませんが、私はこの件において強調の必要性は述べておりません。
  •  「583系が使用されていたのは『はつかり、はくつる』の中の臨時便のみ」という部分をオブラートで包んでしまうと、「583系は『はつかり・はくつる』廃止直前までそれらの列車の定期運用に用いられていた」と誤解する人が現れるのではないかと思います。しかし、それを脚注で解決するというのも、前に言った通り逆にまどろっこしいのではないかと感じています。
  •  私の書き方が擬人化にあたるとは思っておりませんが、今考えると確かに「仙台視点」で話をするのはまずかったかもしれません。前に「きわどい」と書いたように、元々どちらにするか微妙なところなので、「となった」に変えても構いません。
  •  「2004~2005年運転の」という表現で、あなたは2004年の夏と冬、2005年の春、夏すべてにおいて「ムーンライト仙台」が運転されたと意味したいのではと解釈しました。だとしたら間違っているということです。
  •  分かりにくいかもしれませんが、「主客転倒させずに誤解を防ぐこともできる」と言ってます。具体的に示すと、「東京ディズニーリゾート利用者の便宜を図り」を「東京ディズニーリゾート利用者の便宜を図って」にすれば誤解は防げます。
  •  何度も言いますように、「2008年度は団体列車である『ゲレンデ蔵王』を除き、9月現在臨時快速列車の設定はされていない。」だと、2008年の9月のみにおける話のように捉えられる可能性があります。--もんじゃ 2008年9月20日 (土) 05:22 (UTC)[返信]
※インディントは引き続きこのままにします。

停電があったためにIPが変わっていますが、118.19.224.99ですので、その点のご理解をお願いしたいとともにお詫び申し上げます。

どうも返答をいただくたびに考え方そのものにズレがありすぎるのではないか?こう考えるのが一番自然で、落としどころが見つからないのではという気も以前より大きくなっているのは事実です。ただ、どうしてもお互い納得いかない部分は多々あるのと今もって誤解されている部分も多いようなので、もう一度レスさせていただきます。

まず、直接本論とズレる部分からです。

「持論を正当化させるためにはいかなる理論武装をしても戦う方」とあなたに判断されてしまったことは、私としては非常にショックです。もしかするとこれまで話をしてきた人全てに同じように認識されているのではないかとも考えられますからね。

こう言っては失礼ですが、薄々は感じているのではないでしょうか?自身が世間やオーディエンスとズレているということを。「私の感覚が一般的でない」という発言でそれは感じました。別の言い方をすれば『原則やルールにとらわれすぎるのと別の視点から物事を見たり判断することがあまり得意ではない』という感覚を持ったのも事実です。
再び論点がズレますが、「なは」の画像における議論についてから触れますね。結局もこれは、より正確な意味を持った画像なのか?画質的に優先されるのか?双方の主張だけで議論しようとするから、揉めたという解釈もできます。同時にどちらも正論だから、始末が悪い(苦笑)。個人的には、キャプションのつけ方とかで解決できる方法もあったとは思いますが、結局は最初のボタンの掛け違いから始まるケースが殆どだったりもするんですよ。
じゃあ、私もどうかといえば…多少、感情的にはなってる部分がないといえば嘘ではないでしょうね(笑)。私がそう思っているのなら、貴殿も多少なりともそうじゃないか?って…。いや、結局ですね、これが引いた位置で見てると周囲から当事者だけが熱くなってると判断してもおかしくないわけなのです。意外と自分のことを一番わかってないのは自分だったりもするということなのです。
本論から大幅にズレてしまいましたが、ちょっと気になったのでどうしても発言させていただきました。
一考問題
これはこちらが謝らなければいけない部分でもあるのですが、要約欄を要約しすぎました。貴殿は、リンク問題について一考と受け取ってしまった以上は、明らかにこちらに言葉足らずがあるのは事実です。尤もあの要約欄自体の字数制限もあって、カナリ省略しすぎたと言ってもいいわけに過ぎないでしょうけど。
前述の問題点から引き続く部分ですが、ここで貴殿は以下のように発言されてますよね。「他の部分にまで押し広げて反論しようとはちょっと都合が良すぎはしやしませんか?」この時点で喧嘩を売ってると解釈もできますよ。同時に多少なりとも感情的になっているのも文章に見えてきます。なぜなら、言葉足らずなのはこちらのミスではあるけれど、それに対して自身の主観を認める発言をされています。
「あなたはこの場における私の発言も客観性を考慮したものとは言えないとおっしゃるかもしれません。」
つまり、転ばぬ先の杖とでもいうか、先回りして伏線を張られたのが何よりの証拠なのです。同時に自身の正論化というのもここに見え隠れされているわけですから、相塗れることは難しいと判断したのも事実です。
で、本編のノートにおいて然るべき対応という時点ですが、ここで理解できない一句があります。そもそも何を基準にして「然るべき」なのですか?失礼ですが、これは貴殿の感情そのものではないですか?もしかして、IDユーザーの多くに見られ価値なIPユーザーをひとつ格下と見ようとする態度の裏返しですか?それとも持論を正当化したいためにオーディエンスを巻き込みたいのですか?
ええ、これはもちろん主観的判断ですよ。ただ、そう受け取られても仕方ないのも事実ですよね。そして同時に必ずしも建設的でもないですよね。では、どうしたらいいでしょうか?
「サーバ容量を憂慮するあなたの意見も一理あります。」
実は、それこそが相反する問題点のひとつでもあるわけです。同時に「新たな項目の立ち上げや、有用な情報の加筆の妨げ」貴殿はこれを危惧なされているのも理解できます。もちろん、私自身もこれを妨げようとは思わないですし、むしろ新しい項目が増えていくことは歓迎すべきです。
クドイようですが、サーバっていうのは限りある資源です。ですから、貴殿が言うように不用意な差し戻しや編集の繰り返しほど無駄なものはない。同時にこの議論そのものを無駄と言う人もいるでしょう。でも、そこで互いに反論はできませんよね。お互いある意味で「やっちまった」わけですから…(苦笑)
では、寄付してサーバ増設に寄与すればいいじゃないか?貴殿の言うことも納得はできます。しかし、増設すればすべてが解決するかという問題で片付けるには意識を持つという意義が薄れてしまうのではないでしょうか?個人的に金や物で解決できるのは、非常に便利ですし、これほどわかりやすいことはありません。だが、限りある資源を有効に使うという点ではどうかということです。
ウィキ的には、Wikipedia:サイト負荷を気にしすぎないの精神というのも理解できます。ただ、「常に運用資金は不足気味です。したがって、サイト・パフォーマンスは必ずしも常にあるべき姿を保てるとは限りません。」の一文がある限りは利用者としても最低の気遣いをするなどの意識を持つべきではないでしょうか?
私が何度も口にした言葉ですが、「便宜上」という言葉を盾に重複リンクを連発するのは如何なものかというか、貴殿の意見に納得できないというか、正直再反論させていただきます。確かに利便性とかも考慮する必要性はあるのとは思いますが、なぜその項目にたどり着く読者がいるのか?それは調べたいから、もしくは理解したいからというのが一番の理由ではないでしょうか?まあ、中にはリンク辿りでどんな項目に行き着くのかをゲーム感覚でする人もいるでしょうけど(笑)、基本は前記の読者が対象ではないでしょうか?したがって、「何について解説している項目かを念頭に置いていない」読者まで考慮する必要はないと私は考えます。
ですから、以下の提言に関しても私は納得できないのです。
予測は現時点での状況を前提にしたものではありますが、もしそれが覆されたとしても、サーバ容量を気にかけるというのはそれからでも決して遅くはないように思います。
言ってしまえば「まどろっこしい」からといって文意の把握に難を生じるものではないでしょう?
申し訳ないのですが、それは貴殿の主観であって、サーバ容量を気にする必要はないという意識。もしくは、こちらの細かい意識を否定するものとしても解釈できます。なので、当然受け入れられるものではありません。
これは、より正確でわかりやすい解説との相反する部分でもあると思います。で、どちらも大事なことです。そして、貴殿の「なは」画像論議と同じでどちらも正論だという見方がある以上(双方共に一理あるという時点で間違いとも言い難い)は、考えなくてはならず、さらに建設的な着地点を見つけるべきだと考えます。その方法論として文意をかえないで簡潔・的確な文章に整理するのもひとつだということです。ただし、それは一文というか、ひとつひとつを文章でつなぐだけではありません。時として、項目をわけたりするのも手段ではないでしょうか?

次にに私が感じた問題点です。

また、あなたの編集がきちんと全体で構成されているという理由、あるいは私のがそうでない理由が全く理解できません。「『舞浜』のみ『舞浜駅』となって他と整合性が取れてない」とおっしゃっていますけど、私はそれを問題にした覚えはありません。それを変えて気が済むのであれば今すぐにでもどうぞ。ただし、「舞浜停車」という言葉はありませんから、この表現は避けて下さい。
揚げ足取りですか?ご自身への苛立ち?それとも喧嘩を売っているのですか?こちらが指摘した問題点が気に入らなかったのですか?そう取られても仕方ないですよ。むしろですね、「私は最初に挙げた11の問題点すべてが、人の好みなど個人の主観の介入を伴わない、文法や意味内容における間違いを指摘した物と考えており、今もそれは変わりません。」これが原点じゃないですか?貴殿も編集後に問題点を理解されているのだろうと思います。だから、「木を見て森を見ず」という指摘をさせていただいたわけなのです。確かに私自身の編集も完璧とはいえません。ただ、同時にいくら自信があるからと言われてもどうかと?私以外の第三者が指摘し修正する可能性もあるわけですから。だから私はこう発言したはずです。
「文章ひとつひとつを取り上げてみれば無問題であっても、トータルで見た時のことも考える必要がある」
「どんなに優れた文章や構成でも編集される可能性を持っているのです」
これも繰り返しますが、一歩間違えると他の第三者の編集権をも否定する発言ですよ。同時に編集という作業以前に自分を正論化するとしかとらえようがなくなる危険性を感じます。ですから、文章作成能力に長けていても編集に問題があると発言させていただいたわけです。

それでは、それぞれについて再反論させていただきます。

①・②の問題について
ですから「に」でも問題ないわけですよね?サーバ容量の意識も踏まえた上で文意的に伝わるのであればいいわけですから。
同様に②の問題も文意的に問題なければということです。
③の問題について
この返答では、「ところが」でも無問題という解釈ができます。違和感というのは貴殿の主観ですから。それと大辞林を引用されてますが、必ずしも問題となった時点で事典・辞典の類が必ずしも正しくないケースもありますから。
言葉は変化するものです。生き物だと思っています。ですから、編集した時点では適切でも年月を重ねていく上で意味合いや用法が変化したのであれば、それに合わせて校正する必要と宿命があるということです。
④・⑤の問題について
では、なぜ脚注を導入すべきなのか?という切り口に変えましょう。
貴殿は仙台転属以前の583系の状態という部分にこだわっていられると感じます。つまりこれを一文で説明すると貴殿の文章で大筋は理解できますが、次のような疑問も生まれてきます。
  • 東北新幹線八戸開業で「はつかり」「はくつる」が廃止になったのはわかった。でも、いつから臨時運用だけになったんだろう?
この疑問が出てくる可能性はゼロだと否定できないでしょうし、対処の方法も考えてやる必要があると思われます。
しかし、仙台転属もダイヤ改正と同時ではなく一旦貸し渡しという複雑な経緯があり、貴殿の書き方では同時転属という解釈もできるわけです。
では、これを脚注なしで説明するとなると文章を細かくわけたとしてもカナリの長文になることは確かです。また同時に直接「ムーンライト」に関わらなくてもいい部分もありますので、情報を取捨選択して整理してやる必要性がある、もしくは整理した方がいいのではないか?というのが私の視点です。
なぜなら、脚注導入で分類させた方が「文章がまどろっこしくなくなり、大意的な部分と詳細に分割することでよりわかりやすくなる」という効果があるのです。
貴殿は、別項目的に飛ぶ面倒をまどろっこしいと考えているようですが、むしろ情報整理してない方が私にはわかりにくくまどろっこしいというところが本音です。
ひとつお聞きしたいのですが、貴殿が考える「脚注」の意味合いや存在理由。さらに活用方法について。これらをどう考えているのか?これが根本的に違うような気もしたのですが、いかがでしょうか?
⑥の問題について
ですから、用法だけで間違っているという解釈で当て嵌めてしまう危険性を提示しています。
たとえば、これが人間や動物の生存期間だったらどうですか?「~」や「-」を使うほうが正しいし、わかりやすいでしょう。
同様に年度別シーズンで運転されたというか、ダイヤ設定がされた上で実際運転されたということを示すには、「2004年から2005年」と言うのと「2004年2005年」と言うのでは、どちらがわかりやすくて的確かということです。そういう意味合いも考えると、必ずしも用法だけで区切ってしまうことで文意が変わってしまうリスクも考えるべきだと言っているのです。
⑦の問題について
わかりにくい(笑)。
同時に前回指摘した「TDRが舞浜にあるのをわからければ、それを調べればいいじゃないか」もっと乱暴な言い方をすれば、何のためにTDRについての項目があるのか?という点は同意していただいたと解釈できますが、如何でしょうか?
⑧の問題について
要は「9月現在」のかかり位置ではないかと思われます。現時点=9月現在で今年度は「ゲレンデ蔵王」以外の列車は運転されてないことが説明できればいいわけです。
上記内容を書いていて気がついたのですが、節名は「年度別運転状況」なのですが、それぞれの詳細は「年度」ではなく「年」で解説されています。通常「年度」ですと4月1日~3月31日を意味しますから、例として2005年項目に書かれている「ゲレンデ蔵王」の運転日は2004年の項目に書かれてないとおかしいという矛盾が生じます。
この件は節名を変えれば矛盾点を解消できる重箱の隅的な問題なので即時対応すればいいだけのことですけどね。
より細かい解説となると「ゲレンデ蔵王」が運転された日の情報が欲しくなるのも事実ですし、それがあればよりわかりやすくなると思われます。
個人サイト情報ですが、今までの「ゲレンデ蔵王」運転日を以下に示します(団体列車化以前も含む)。
2004年
  • 1月30日~2月27日の金曜日
2005年
  • 1月7日~2月4日の金曜日/2月10・18・25日/3月4日
2006年
  • 1月6日~2月24日の金曜日
2007年
  • 1月5・12・19・26日/2月2・9・16・23日
2008年
  • 1月11・18・25日/2月1・8・15・22日

失礼な発言の数々はお許し願いたいです。ただ、本音というか原点に「貴殿が憎い」からという気持ちはありません。むしろウィキに対して熱意を持ってる方というのは十分に理解しているつもりですから。その点だけは、ご理解いただければ幸いです。--118.19.50.95 2008年9月20日 (土) 09:42 (UTC)[返信]

あなたにまず言いたいのは、自分の言葉に責任を持ってほしいと言うこと。具体的には4つのことがそれに当てはまります。

まず1つ目は、自分の意見の誤りを認める事ができないこと。①における私の意見についてあなたは「主観的要素があるのでは?」と切り返しましたよね。しかし私がその理由を求めても答える事ができないばかりか、「ですから『に』でも問題ないわけですよね?」といって何食わぬ顔をしている。論拠をコロコロと切り替えてくる態度も気に食わないですが、それ以前に自分の主張が間違っていたことを認めることができないのは問題だと思います。脚注云々についても同様。脚注を付ければ分かりやすいと言いますが、あなたの編集がそうなっていなかった以上あなたの編集の該当部分が間違っていたことには変わりはないでしょう?(念のため言っておきますけど、「手を引け!」と言っているのではありません。ただ、自分の非を認める旨を何らかの形で記すべきだということです。これを理由にしてあなたを相手にしないということは決してありません。)

2つ目は、私が自分の意見を正当化しているというあなたの主張について。何度言われても答えは同じです、私は全くそんなつもりはない。しかし、そう言われても私には否定する事しか出来ない、なぜならそういうあなたの主張も元から根拠が無いからです。あなたが「正当化の証拠」として挙げているものもあきらかに見当違いです。それになにより、私が自分の意見を正当化しているからといって、私の意見は全て間違っているとでもいうのですか?あなたの主張は議論に何の進捗ももたらさないばかりか、逆に議論をぎくしゃくさせて解決を遠ざけてしまいます。「熱くなっている」云々についても同様。

3つ目は、「一考」に関する問題。記述に不備があったのはあなたのほうでしょう?あの書き方では、明らかに重複リンクのことを指しているようにしか捉えられません。人によっては「最初から私は客観的に判断する必要があると言っていたのだ」と強引にこじつけようとしているように考えかねませんよ。そうでないのなら、その旨を意見の中で示すべきだったんですよ。こちらとしては、書いてある事を信じるしかないんです。あなたの個人的な事情を慮ったりすることはできないんですよ。不備があんまりはっきりしているものですから、私は馬鹿にされているようにも感じました。それでもあの発言はそういった感情を抑えて、軽く諌める様な調子にしたつもりです。それを挙げて「喧嘩を売っている」と捉えるなんてあんまりじゃないですか?

そしてもっとも重要なのが4つ目、あなたの「主観」という語における認識についてです。私の主張を指して、「アレも主観、コレも主観、だからダメ。」みたいなことを言っておりますが、それは同時に自分の主張を肯定する術を失うことにつながります。なぜなら、もうお分かりかと思いますが、そう判断したのはあなたの主観ですから。なので、私の意見が主観的だからといってあなたの意見を取り入れることはできなくなります。私の主観を排そうとしてあなたの意見を認めればあなたの主観が取り入れられてしまい、自己矛盾してしまいますからね。ではどうすべきか。片方が「お前の意見は主観的だ!」なんて言い始めたらこれはもう第三者に意見を求めるか、自分の考えが何か自分の所属するグループか第三者の考えに基づいていることを示すほかありません。だって「別の視点から物事を見たり判断」するにはこうするほかないでしょう?「然るべき対応」とはこれを指します。この上で「持論を正当化したいためにオーディエンスを巻き込みたいのですか?」なんて言われればもうお手上げですよ、逆に言えばこれは議論を不当化する事で自分の意見を正当化しているんじゃないですか?「別の視点から物事を見たり判断することがあまり得意ではない」のはあなたではないでしょうか?次に、「自身の主観を認める発言をされています」という発言ですが、これは「私が自分の感覚を一般的な物から逸脱していると自分自身で認めている」と言いたいんですよね?(そうだとすればかなり語弊があるんですが)確かに嗜好面では必ずしも間違っていませんけど、ウィキペディアに対する感覚においてはそういうつもりはありませんね。というか、それがウィキペディアで活動する前提条件でしょう?私はそこまでバカじゃありません。では、なぜ反論できないか、それは先ほどの理由と良く似ています。つまり、自分の主張が主観的であることを何の手も借りずに自分で否定する事は不可能だからです。

ちなみに、「私の感覚が一般的でない」と、「あなたはこの場における私の発言も…」を上記の根拠に挙げていますけど、見当違いです。前者について、「あなたの主張からは、私の意見が客観性を考慮していないと言っていることしか分からない」と言っています。私は自分の感覚が一般的でないとは言ってません。それをあなたは前の部分だけ持っていくんですね、正直予想してましたけど。後者について、あなたの対応は客観性を考慮したものとは言えない、といったら次はどう言ってくるかなんて大体想像つきます。そんな取り留めの無い議論をやっているのは嫌気が差しますからね、先手を打っておこうなんて思うのもおかしなことではない。それより、私が自分の感覚を一般的な物よりズレていると認めているとしたら、先回りして伏線を張るような大胆なことできませんよ、根拠に乏しいですから。おそらく相手の意見をひたすら否定することしかできないでしょうよ。あなたの意見は考察も今一つ、そんなものをもっともらしく主張しないで下さい。ほんと馬鹿にされているような気がします。

そしてサーバ云々についての私の主張についてまだ理解されていないようなので再度言っておきます。サーバ容量を軽減しようと編集をすれば、「過去の版」が一つ増えてしまい、結果としてサーバ容量軽減の効果がほとんど得られない、と言っています。また、これについては「貴殿の主観」というのは当てはまりませんね、Wikipedia:サイト負荷を気にしすぎないと意見が一致しているのですから。「建設的な着地点」を見つけることはあなたが自分の意見を「客観的」と言い張っている限り無理です。

次に〈「『舞浜』のみ『舞浜駅』となって他と整合性が取れてない」とおっしゃっていますけど…〉についてです。これは本当に問題にしてないんです。「何のためにTDRについての項目があるのか?」についても同様です。ただし、結果的にあなたにこのように誤解されてしまったことに全く思い当たりが無い訳ではない。というのも、あえてこちらが分かりにくくしていた部分もあるんです。私は最初から問題点を解決するために2通りの方法を示していました。そして、そのうちの一方に従えばあなたの納得がいくようになったんです。それは、あなたの1回目の反論ですでに私には分かっていたんだけれども、あえて言わなかった。それはなぜか?つまり、一度言った事を繰り返したくなかったんですよ。なぜなら、あなたの一回目の反論で、私の意見を全く理解していない事が分かったからです。話し合いをする際に、相手の言っている事を理解しようとすること、これって最も基本的なことだと思うんです。私は十分に自分の意見を分かりやすく書いたつもりで、しかもあなたが理解しようとした様子も無い。だって、分からなければ質問すれば良かったんだから。よって、あなたが私の意見を理解できない理由は、相手を納得させることに頭がいっぱいになってしまって、相手の主張を理解する心理的余裕がないからと判断しました。そうなると、私には同じ事を繰り返し言ってあげる気なんて起こりませんよ。あなたはいままで見当違いの主張をしてたんですよ。したがって私は「揚げ足を取った」わけでもあなたの意見に新たに同意したわけでも、そして編集後に問題点を理解したわけでもないんですよ。よって、「どんなに優れた文章や内容であっても、きちんと全体で構成されてなければそれが正しい編集をされたといえるものではない」、「文章ひとつひとつを取り上げてみれば無問題であっても、トータルで見た時のことも考える必要がある」については、未だにどこの部分を指しておっしゃっているのか私には分かりません。

それでは本題

  •  他者と対立が生じてまでサーバの負担を軽減する事が「最低の気遣い」ですか?
  •  「車両の手配が難しかった」→「車両手配の点から計画が実行されることはなかった」
    • ですからこれのどこが簡略化なんですか?
  •  「違和感というのは貴殿の主観」は完全に誤りです。私の「ところが」に対する感覚は辞書のものと一致していたんですから。つまり「一般性」を持っているということです。「言葉は変化するもの」とは言われるまでもありません。しかし「ところが」の用法に変化が生じているというのは大学生の私でもピンとこない。あなたの言う用法はかなり特殊なのではないでしょうか、そしてウィキペディアがそれに合わせる必要はあるのでしょうか?
  •  >「東北新幹線八戸開業で『はつかり』『はくつる』が廃止になったのはわかった。でも、いつから臨時運用だけになったんだろう?」
    • ここでリンクの出番でしょう。なぜ「はつかり」「はくつる」の項目にたどり着く読者がいるのか、それは調べたいから、でしょう?別に誤解も生じないし問題点はないように感じますが。
  • >しかし、仙台転属もダイヤ改正と同時ではなく一旦貸し渡しという複雑な経緯があり、貴殿の書き方では同時転属という解釈もできるわけです。
    • 前から思うのですが、これは本文に組み込んだらよいのではないでしょうか?具体的にはこうです。(赤字が変更部分)
  • >…6両編成1本が仙台運転所(現・仙台車両センター)に貸し出され、2003年夏より同車両を使用した臨時快速列車が運転されることとなる。当初は貸し出し名義であったものの、ATS-Pが装備されていたために使い勝手が良く、後に正式に転属となっている。
    • これで運転状況の欄で脚注を使わずに済みます。あなたはまどろっこしいというのかもしれないけれども。
  • また、「脚注」の意味合いや存在理由について私の意見を述べさせていただくと、脚注と言うのはあくまでも出典を明記するもので、それ以外の場合には、いわゆる「余談」や、本論から大きく逸れてしまうことを書く際に、これ以外手段が無いと思ったらどうしても使いますけど、そうでなければできるだけ使うべきではないと思っています。英語版なんかを見ればほぼそうです。Help:脚注でもその使用方を前提とした書き方になっています。
  •  たぶんあなたの言っていることは理解できてるんだと思います。私が言っているのは、ムーンライト仙台が運転されたのは2004年と2005年の夏だけで、その間の多客期、たとえば年末、春休みなどには運転されていないということです。「人間や動物の生存期間」とは少々違いますよね、間が空いてしまうんですから。
  •  既に述べました
  •  を飛ばしてます。
  •  「2008年度は団体列車である『ゲレンデ蔵王』を除き、9月現在臨時快速列車の設定はされていない。」だと、じゃあ7月は運転されたのかと読めるようになってしまいます。
    • あと、確かに「年度」だとおかしいですね、失礼しました。「年」に変えて下さい。ゲレンデ蔵王の運転日の情報も加筆して下さったらいいと存じます。ただし、団体列車となってからの運転日を書くかどうかは意見の分かれる所です。
  • 補1、補2 読者に多くを求め過ぎではないでしょうか。
  • >「何について解説している項目なのかは、リンクなり直接調べに来ている以上は当然ある程度は理解したもののとしてみなす必要性はあると思います。」