コンテンツにスキップ

利用者‐会話:210.172.24.54

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

こんにちは。先日のメッセージにつきましてはUser talk:Kouchiumi#それにしても疑問に感じる事に返答を記しましたので、ご覧いただければ幸いに存じます。失礼いたします。--Kouchiumi 2006年8月19日 (土) 00:18 (UTC)[返信]

八代駅について[編集]

まず、貴氏は私の利用者ページに投稿されておりましたが、そのような件はノートのほうへの記載をお願いします。利用者ページはあくまで登録ユーザ本人が自由に使うものであって、他の方が議論や意見を書き込む場合はノートの方をご使用くださるようにお願いします。ウィキペディアを利用する際のマナーですのでご理解ください。

八代駅の件ですが、新富士駅 (北海道)東青森駅弘前駅大館駅横手駅などのJR貨物取扱駅では旅客鉄道の会社を前文に表記し、補足でJR貨物の貨物取扱駅と記しています。これらの駅は旅客鉄道会社に所属する駅でありますので、私は前文から削除させていただきました。私が削除させていただいたのは前文だけであり、駅構造の項にある「JR貨物八代駅を併設し貨物取扱が有り」という表記があれば、貨物取扱駅であることはわかります。貨物取扱駅=JR貨物八代駅長以下の社員がいることも想像できるはずです。なお盛岡貨物ターミナル駅などはJR貨物の施設ですので、「日本貨物鉄道の駅である。」とうのは正しい表現になります。--Hakkouda 2006年8月21日 (月) 04:27 (UTC)[返信]

帝国鉄道庁などのリンク[編集]

こんにちは。さて、帝国鉄道庁などのリンクですが、[[国鉄|帝国鉄道庁]]とは書かずに[[帝国鉄道庁]]と書いていただければ結構です。そのほか、日本国有鉄道の前身の鉄道院鉄道省運輸通信省運輸省もそのまま、[[鉄道院]]、[[鉄道省]]、[[運輸通信省]]、[[運輸省]]と書いていただければ適切な記事にリンクされます。[[国鉄]]にはリンクしないで下さい。日本の国鉄にリンクする場合は[[日本国有鉄道|国鉄]]または[[日本国有鉄道]]と書いてください。お願いします。Rusk 2006年8月22日 (火) 21:33 (UTC)[返信]

広末涼子について[編集]

広末涼子について、8月1日以降に編集された内容をすべてREVERTされましたが、特別な意図があって行われたことなのでしょうか? これにより簡易な文書修正(Link先の修正)などについてもREVERTされています。

そんなことはないと思いますが、もし、ご自身の書いた文書を他人が修正したことに対する対応なのでしたら、Wikipediaの方針に反すると思います。後々、編集合戦になるのもイヤなので、ご意見を伺いたくお願いいたします。

2,3日中にご意見がないようでしたら、REVERTしても問題ないとの意思表示があったとみなし、再REVERTいたします。NoriBeat 2006年8月24日 (木) 11:04 (UTC)[返信]

署名について[編集]

こんにちは。ノートページで発言される際には、コメントの最後に適切な署名をお願いいたします。半角チルダを4つ続けて投稿(~~~~)しますと、自動的に署名に変換されます。編集画面の上に表示されているアイコンの右から二番目()をクリックすると、簡単に『--~~~~』が追加できますのでご活用ください。詳しくは、Wikipedia:ノートのページでは投稿に署名をするをご覧下さい。--PeachLover- ももがすき。 2006年9月1日 (金) 00:05 (UTC)[返信]

対英米協調派の陸海軍軍人[編集]

該カテゴリーの削除提案に就いて「独自の研究」だと記載していますね。では該一件を「削除賛成」とする、根拠と皆さんが納得される貴女の研究結果なる意見をお聞かせ下さい。2006年9月26日 (火) 15:26 (UTC)~

上記の利用者:210.172.24.54さんのお問い合わせについてお答えします。

  • まずWikipediaは、独自の研究を発表する場ではありません。検証可能性が求められます。あの当時の陸海軍軍人は単純に対英米協調派と分けられるのでしょうか?とくに陸軍には皇道派と統制派があったりして、もっと複雑でそのような分類は困難ではないかと思います。もちろん対英米協調派の陸海軍軍人を明確に分けられる論拠等があれば有用な記事として存続されるべきだろうとは思いますが。--Lemon pie 2006年9月26日 (火) 15:39 (UTC)[返信]

対英米協調派の陸海軍軍人存続への提案[編集]

こんにちは。件の削除提案者です。『対英米協調派の陸海軍軍人』を形を変えて存続させる提案です。軍部・軍人の英米に対する姿勢というのは歴史を解説するのに重要であると思います。そこで、カテゴリではなくその内容を『記事』という形でなら反対はでないと思います。そこで、カテゴリは削除という前提(削除の理由は同削除依頼ページと私の会話ページにある通りです。)で提案します。

 ウィキペディアの傾向として、データの羅列にすぎない項目は嫌がられるようです。そこで、文章で解説せねばなりません。なんらかの記事名で国際情勢や、我が国の政治状況を基にその時その時の協調路線を打ち出した軍人を解説するような記事で代替できると思います。

 この記事の場合、『帝国国防方針』か『仮想敵国』またはそれ以外の項目名で解説が出来ると思います。御存知かもしれませんので大変恐縮ですが、帝国国防方針なら明治40年、明治天皇に裁可されてから大正7年・大正12年・昭和11年と3度改訂され、その都度仮想敵国が決定されています。裁可当時は第1位の仮想敵国を陸軍はロシア、海軍はアメリカです。第1回改訂で仮想敵国は陸海統一となり、第1位がロシア、第2位アメリカ、第3位中国でした。大正12年に米中ソの順となり、昭和11年の改訂で米ソ英中の順となりました。この動きを軍人にも目を向けて解説すると大変内容の濃いものとなりそうです。  純粋に仮想敵国のみでも明治40年以前も対象にできるのでこちらもよさそうです。ただし、どちらの場合も『対英米協調派の軍人』は主眼になりません。わたしが思いついていないだけでもっと適切なものもあるかもしれません。--代言人【右】 2006年9月26日 (火) 17:01 (UTC)[返信]

 返事を差し上げるのが遅くなりまして誠に申し訳ございませんでした。貴兄のご意見に従い新項目作成に反映させて頂きたいと思います。それにしても、小生ウィキペディアデ活動を開始して未だ日も浅い状態ですが、他のものを閲覧して某文書の丸写し抜書きだけで作成されたものが余りに多く該項目作成者の著作権の概念の希薄さに少々驚き呆れてます。小生、大学でドイツ語を教えており近代史は趣味の範囲を超えておりませんが、今後とも何卒宜敷くお願い申します。2006年9月27日 (水) 21:46 (UTC)

こんにちは。他者の著作権を侵害している項目がありましたら、転載元の情報とともにWikipedia:削除依頼までお出しいただくか、その項目のノートでご指摘くださいますようお願いします。--miya 2006年10月2日 (月) 11:08 (UTC)[返信]

広末涼子について[編集]

2度にわたって、広末涼子に誹謗中傷と見なされかねない加筆をなさっておられますね。早稲田大学関係者でいらっしゃるのでしょうか。お気持ちはお察ししますが、ウィキペディアに検証不可能な風評を加筆することはおつつしみ下さいますようお願いいたします。--miya 2006年10月2日 (月) 11:08 (UTC)[返信]

お返事拝見いたしました。身に覚えが無く驚かれておられるとのこと。失礼しました。上記コメントは取り消します。
同じIPを別の方もお使いのようですので、混乱や誤解を避けるためログインされることをおすすめします。アカウントを作成してログインすると、ウォッチリストや便利な設定 を利用できます。また「利用者:(アカウント名)」という利用者ページを作成でき、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。 ぜひご一考ください。--miya 2006年10月2日 (月) 11:36 (UTC)[返信]

貴殿のご指摘について[編集]

木梨鷹一での「撃沈」に関する貴殿の指摘について、小生の記述ミスです。貴殿の仰るとおりに、「撃沈」は正確ではないと思います。ご指摘、ありがとうございました。
話は余談になりますが、小生が拝見いたしますところ、貴殿は旧海軍軍人について小生では到底及ばない緻密さで記事を書かれておられるようですが、大変感服いたしております。せっかくですので、アカウント登録を御検討してはいかがでしょうか。
今後ともよろしくお願いいたします。--ひろくん 2006年10月7日 (土) 14:41 (UTC)[返信]

返信を頂きありがとうございました。アカウント登録ですが、漏れて困るような個人情報を登録する必要は全くございません。ただ単に、名前とパスワード、任意でメールアドレスを入力すればいい反面、他のユーザーと明確に区別できるなどメリットもたくさんあります。詳細についてはWikipedia:ログインの仕方を御覧になって見て下さい。--ひろくん 2006年10月7日 (土) 15:44 (UTC)[返信]


木村昌福および醍醐忠重について[編集]

この際はっきりさせておきたいのでこちらにも転載します。

  • 何か勘違いをなさっているようです。当方『明治・大正・昭和華族事件録』の単行本を所有しています。当初「華族の事件録」とされておりましたが、目の前で何度現物を確認しても、「明治・大正・昭和華族事件録」と書いてあります。最近文庫化されたのは知っていますが、題名が変わったということはありません。ご確認ください。

ISBN 4404029764 の書名は「華族の事件録」ではありません。国立国会図書館のデータベースも「明治・大正・昭和 華族事件録」となっております。ネット書店でも一部が「華族事件録 明治・大正・昭和」となっている以外は全て「明治・大正・昭和華族事件録」になっております。ご確認下さい。

http://opac.ndl.go.jp/Process?MODE_10100001=ON&SEARCH_WINDOW_INFO=01&THN=2&INDEX_POSITION=0&DB_HEAD=01&SORT_ORDER=01&SHRS=RUSR&QUERY_FILE=248247540_7309321&TA_LIBRARY_DRP=99&DS=0&CID=000003574926&SS=01&SSI=0&SHN=2&SIP=1&LS=248247540 http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000030998437&Action_id=121&Sza_id=B0 http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/4404029764/i/  http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABA58079167 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4404029764/sr=1-2/qid=1160481304/ref=sr_1_2/503-8272769-3061542?ie=UTF8&s=books http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-ISBN=4404029764


  • 木村昌福の変更部分については、「日本陸海軍総合事典」からの転載ではありません。その本は手にしたことすらないです。私が参考にしたのは、「最前線指揮官の太平洋戦争」岩崎剛二著であり、文言も全くそのままではありません。醍醐忠重の項でも、間違った書名をいくら訂正しても、なぜか強引に間違った書名を復活させようとする210.172.24.54という御仁がいましたが、その人でしょうか。まずは自分が間違っていないかどうか確認してください。

PS 上の人も書いておられますが、紛らわしいのでアカウントを取得されることをおすすめします。--KASAGI 2006年10月17日 (火) 10:43 (UTC)[返信]

「最前線指揮官の太平洋戦争」の著者岩崎剛二氏は「日本陸海軍総合事典」にも執筆しておられ木村昌福の解説は岩崎氏が行ったものですので、当然事ながら「日本陸海軍総合事典」の文章と「最前線」の文章は同一人物のものです。従って何れにせよ貴兄の記述は著作権侵害になる事は紛れない事実です。また、醍醐忠重の一件に就いて貴兄は該書籍のメインタイトルとサブタイトルの区別すら理解していないと思われます。2006年10月17日 (火) 11:08 (UTC)~

そうですか。当方「事典」の方は所持していないので確かめようもありませんが、全く同じ文章ということはあり得ません。ご確認ください。それに私が加筆したのは木村昌福氏が事実に反して鳥取県出身となっていたので、それを静岡県の出身と訂正したこと、実兄弟がともに海軍軍人であるという部分です。それは戸籍上の客観的事実に関するものであり著作権が発生するような性格のものではないと思いますが。

それから、「明治・大正・昭和華族事件録」ですが、国会図書館のデータベースや各種ネット書店でも確認いたしました。あなたの方が間違っています。仮に「明治・大正・昭和」がサブタイトル扱いであるとしても、「華族(の)事件録」と「の」が入ることはあり得ません。それならば「華族事件録」になるはずです。リンク先を確認してください。 --KASAGI 2006年10月17日 (火) 11:37 (UTC)[返信]

貴兄は以前にも日航13便の御遺族の遺書を何ら断りや承認も無くウィキペデアに於いて公表した前歴が存在しますね。要するに他人の著作のものを承認無く此の様なサイトで勝手に公開する事は著作権侵害になります。此れ以上小生の警告を無視するのであれば再三の著作権侵害行為により貴兄の無期限の投稿停止の手配を行使します。2006年10月17日 (火) 11:45 (UTC)~

日航123便の記事については、法務省の見解によれば著作権上問題ありません。ただ、遺族の承諾がある方が望ましい、ということでした。しかしこの件は今回の件とは関係ないことでしょう。こちらは何ら間違ったことをはしておりませんので、何をされようと勝手ですが、今回の木村昌福の件、書名間違いの件、こちらが納得のゆく説明を求めます。とりあえずリンク先の確認くらいは今すぐにでも出来るでしょう。--KASAGI 2006年10月17日 (火) 11:54 (UTC)[返信]

反論がありませんが、どうなっているのでしょうか。転載という証拠を提示して下さい。もっとも、貴殿が「日本陸海軍総合事典」からの転載だと主張されているのに、私の方はそれをみていない、しかし私が参考にした本の著者が「事典」にも執筆しているから転載には間違いない、という論理展開はどう考えてもおかしいですが。あなた本当に司法書士なんですか? そもそも、木村中将の戸籍情報、実兄弟の経歴が岩崎氏の創作だとでもいうのでしょうか。H教授(秦郁彦教授?岩崎氏ではなく)が貴殿の方へ報告したということですが、ちょっと信じ難いことです。

それと「明治・大正・昭和 華族事件録」の書名の確認はまだですか?これだけソースを提示しているのに、まだ疑われるのならば、出版元の新人物往来社に確認してみて下さい。--KASAGI 2006年10月18日 (水) 12:57 (UTC)[返信]

210.172.24.54にも何人かいるみたいだが、軍人を執筆していた210.172.24.54は(広末涼子ではない)ouvertureへアカウントを取得したようなので、案内しておく。