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利用者‐会話:Baryousan

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「初年」の解釈について[編集]

射援の頁で、献帝の初年を即位した年=189年と解釈されていましたが、『三国志 (歴史書)』等における初年とは「初めの頃」を意味し、元年とはまた異なるはずです。皇甫嵩が太尉になったのは192年、劉璋が劉焉の後を継いだのは194年です。日本の辞書[1]でも初年の語について「ある年代の初めのころ」の意もあると記載しています。ご了承のほど、宜しくお願い申し上げます。--鳴海会話2024年1月4日 (木) 08:10 (UTC)[返信]

大丈夫ですよ。おきになさらず。--Baryousan会話2024年1月4日 (木) 12:28 (UTC)[返信]

劉敏 (蜀漢)の記述について[編集]

杜祺が命令に従わなかった」というのもまた推測です。そう主張するつもりはありません。しかし何らかの事情で配置を変更した可能性だってあります。何より「興勢山に立て籠もり、100余里に渡って旗や幟を押し立てて時を稼」いだというのは劉敏伝の記述でそこに杜祺の名はなく、一方で「100余里に渡って~」は王平伝の記述にはないのです。それを「劉敏と杜祺は」としてしまうのは情報の過剰な合成です。そもそも論としてこれは劉敏のページであり、杜祺の記述にこだわるべき理由が見出だせません。--鳴海会話2024年1月9日 (火) 07:05 (UTC)[返信]

劉敏と共に戦った武将ですし、wikipediaの他の人物でも、大きな戦いで一緒に戦った武将などは併記しているケースは多いと思いますが?
しかしながら「100余里に渡って~」の下りが杜祺にもかかっているのがおかしいというのは理解できます。少し修正を考えます。--Baryousan会話2024年1月9日 (火) 14:53 (UTC)[返信]
その「劉敏と共に戦った」というのが三国志中に書いていないことの推測になってますよ、と申し上げているのですが…。これを私が「劉敏が一人で興勢山に立て籠もり」などと書いたのなら、私の方が「杜祺は参加しなかった」と決めつけてるわけですから勝手な推測だというのは分かりますよ。しかし私は「劉敏伝には杜祺のことは書いてないですし、王平伝にも劉敏と杜祺が共に戦ったとは書いてないのですから、基本は劉敏伝の記述に沿えばいいじゃないですか」と主張しているだけです。少なくともそこに嘘も推測もないです。そして何よりこれは劉敏の頁の話であり、杜祺に執着する必要はないということは理解頂きたいです。(とはいえ杜祺にも触れないよりは触れた方がいいだろうと思い脚注に書いたのですが、あんな記述なら廃する方がいいと仰るならそれはそれで構いません)--鳴海会話2024年1月9日 (火) 15:21 (UTC)[返信]
杜祺が興勢山に入ったからと言って、劉敏と行動を共にしていたかは別ですし、特に「100余里に渡って~」は劉敏にしかかかってない話ですから、ここを一緒にするのはよく無いというのは理解できます。
ただ私が共に戦ったと言っているのは単に二人共王平の指示の下興勢山に入って魏に抵抗したことを指しているのであって、別に一緒に行動したという意味では言って無いですよ。
とかく杜祺についての意図は理解しました。--Baryousan会話2024年1月9日 (火) 15:44 (UTC)[返信]
一定のご理解は頂けたようで、有難うございます。一方で確かに私の書いた脚注は王平の作成立案の後、反語形で杜祺の参加を否定しているようにも取れます。本文から杜祺を削る代わりに、ですが、脚注末尾も削って「-という作戦を立案し、それが実行に移されたとされる。」と結んでも良いかもしれません。いずれにしても修正は考えるとのことですので一旦はお預け致します。--鳴海会話2024年1月9日 (火) 15:59 (UTC)[返信]

Category:三国志の登場人物について[編集]

諸葛恢からCategory:三国志の登場人物を除去されましたが、まずCategory‐ノート:三国志の登場人物#後漢の人物の下位カテゴリ化解消提案等をご参照の上、疑義がありましたら当該ノートで改めて問題提起をお願いします。当該カテゴリには明確な定義がなく、むしろ一番明確な定義は「三国志に登場する」なのですから、始皇帝孔子すら該当し得るのが実情です。さすがにそこまではやっていませんが、現状では後漢霊帝期-西晋時代を対象にしています。--鳴海会話) 2024年1月18日 (木) 04:32 (UTC) ノートのセクション訂正。--鳴海会話2024年1月18日 (木) 04:39 (UTC)[返信]

「三国志に登場する」というのが正史に記載があるというのを対象にするならその意見もわかります。しかしながら鳴海さんも言っている通り、それだと始皇帝のような全然違う時代の人間も入ってしまうため、非常に違和感を感じます。そういった説明が無ければ、私が削除したように、「違う時代なのになんで入ってる?」と疑問に思う人は出てくるのではないでしょうか?単純に『三国志の登場人物』ではなく、史書に登場すると言ったタグを新たに作った方が良いようにも感じます。また、このタグで三国志の登場人物を調べようとした時に、違う時代の人物が引っかかってくることにもなり、資料を調べようとした際、閲覧者に不便を強いる事にもなります。もう一点追記すると、後漢霊帝期はこれから三国時代に向かう時代の為、その時代に影響を与えた人物も多く、理解はできますが、西晋の時代はすでに三国時代が過ぎ去った後であり、これから三国時代に逆行して影響を与えることは無いので、西晋以降の人物を入れるのにはやはり違和感を感じます。該当ページを見たら既に長く議論しているようなので、これ以上は私からこの件について論ずることはありませんが、一つの意見としてここに置いておきます。では。--Baryousan会話2024年3月23日 (土) 06:19 (UTC)[返信]