利用者‐会話:Christina Tris/過去ログ1
表示
ウィキペディア日本語版へようこそ! | |||
---|---|---|---|
こんにちは、Christina Trisさん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!
|
土佐乾氏(宇多源氏流)について
[編集]- こんにちは。影綱と申します。Christina Trisさんは先程来 乾正行、乾正聰など、土佐乾氏について加筆していますが、正行から正成までは板垣氏ではない(宇多源氏板垣氏は退助が初代)事、また、一藩士に「当主」を冠するのは相応しくない事、の二点から、修正を加えさせていただいております。ご一考をお願い致します。--影綱 2010年5月26日 (水) 03:08 (UTC)
- メッセージありがとうございます。土佐板垣氏は、宇多源氏ではなく、系譜上は清和源氏義光流にあたります。(血のつながりだけで言えば宇多源氏の系統と言えなくもないですが…) 正行から正成までは板垣氏を名乗っていないことは勿論存じてますが、一般的に「乾和信・和三」流が、「土佐乾氏」として扱われているため、「土佐乾氏(板垣)」とする方が適切であると考えます。影綱さまの説もごもっともですが、あのスタブ自体は、こまごま書く事ができないので、あくまで検索の便をはかるためであるとご理解頂ければと思います。--Christina Tris 2010年5月26日 (水) 03:32 (UTC)
- ご返答を頂き、有難う御座います。系譜上では、確かに正信が初代ですので、清和分流甲斐源氏の系とも言えなくはありませんが、記事を閲覧するユーザーに誤解をさせる表現は、出来る限り避けた方が良いのではないか、と思います。和信流との混同が問題であれば、「土佐乾氏(正信流)」とすれば混乱も起きないのではないでしょうか。また、編集合戦となりかねないので時間を置きますが、やはり藩主や老職でない藩士に「当主」を冠するのは、少々疑問に思う次第です。--影綱 2010年5月26日 (水) 03:46 (UTC)
- 早速のご返答ありがとうございます。「当主を冠するのは藩主や老職でない限り少々疑問」とされていますが、「当主」とは「家督を継承した者」の事で、身分の上下を意味する言葉ではありません。「第●代」と表記したとしても、意味するところは「第●代(の当主)」というのと同じです。また、乾家は藩主や老職ではありませんが、それに次ぐ中老職であり、家老家との婚姻もあるため一介の平侍という訳ではありません。つぎに「閲覧するユーザーに対する誤解」として一番考え得ることは、「土佐の乾氏」と一括りに言っても、出自の違う数流派があるわけで、むしろ第一にそちらとの混乱を避けなければなりません。「土佐乾氏(●●流)」という記入方法も一案ですが、これでは「土佐乾氏(和信流)」と「土佐乾氏(正信流)」が同一始祖から分流したかのような誤解をあたえかねません。(特に、和信と正信は名前が似ています)実際には「土佐乾氏(土岐流)」も「土佐乾氏(板垣流)」もさらに分流しており、「土佐乾氏(●●流)」と安易に使うのは適切では無いと思われます。私も「正行から正成までは板垣氏を名乗っていない」ことを深く考慮した上で「土佐 乾・板垣氏」とはせずに「土佐乾氏(板垣)」としたもので、ご理解頂ければ幸いです。--Christina Tris 2010年5月26日 (水) 05:06 (UTC)
- お返事有難う御座います。まず、こちらの勉強不足をお詫びいたします。老職であるなら、家老、中老どちらであっても「当主」を称する事に納得は出来ます。さて、「誤解」についてですが、最も危惧しているのは、現行の記事により、「板垣退助が乾正信の嫡流である、従って駿河守信方の末裔(血族子孫)である」と誤解される事です。各記事にて注釈を入れていますし、Christina Trisさんもご存知とは思いますが、退助は正信(から正行を介して)の家督相続者であり、血族子孫ではない訳です(僕は手を出せませんが、残念ながら他言語版の「板垣退助」では、血族子孫だと書かれています)。この点、誤解を生まないような記述をお願いしたいと思うのです。--影綱 2010年5月26日 (水) 06:03 (UTC)
- 丁寧なご指摘ありがとうございます。影綱さまの危惧とは具体的には「板垣退助が駿河守信方の末裔」と表記されることを拒絶しておられるように思えるのですが(見当ちがいであればすいません)。板垣退助は乾正信の嫡流の末裔であることは間違いないですし、乾正信と乾正行が血縁関係に無いことも当時の文書に「養子無縁続の者」と書かれているため事実だと思います。系譜上の「末裔」や、「嫡流」という言葉は、家督権の相承を意味する訳で、「血族子孫」である必要は全くありません。韓国などの場合は養子は、血縁続きからしか認めませんが、日本の武家社会の場合は養子相続で成り立っていると言って過言ではありません。たとえば、乾正信と同じ甲州浪人で山内一豊に同時期に召抱えられた孕石元成家も、一代で血縁は絶えて「無縁続養子」が家を継いでますが、その家が孕石元成の末裔と称することは何の間違いでもありません。信方の末裔という家は他にも何軒か旗本家にあり、夫々由緒を伝えている訳ですが、正信は改易された板垣信憲の系流であると思われるので、板垣信方の嫡流とはなりませんし、私の作ったスタブもそういう目的のものではありません。誤解の無いようご理解頂ければと思います。--Christina Tris 2010年5月26日 (水) 12:57 (UTC)
- ご説明を頂き、有難う御座います。僕の危惧するところはおおよそご指摘の通りです。「末裔」の語が養子の系を含むことは承知しておりますが、それ故に「血縁子孫」と混同される事に危惧を抱いております。また、信憲は甲斐源氏板垣氏の血縁子孫である事は事実ですので、その系統を称することは、信方の系を称する事となります。その点もご留意頂ければと思います。なお、件の「系譜」について、「初代」正信の「先代」が存在するのは矛盾する(乾家は甲斐板垣氏の分流ではない)ので、修正しておきました。--影綱 2010年5月26日 (水) 23:06 (UTC)
- ご指摘の通り、板垣信憲は乾正信が山内一豊仕官した頃は既に死没しており、信憲自身が山内家に仕官した訳ではないので、彼の時点ではまだ継承すべき家禄は存在しておらず、先代の欄は「-」で、信憲は単に「初代正信の父」という扱いでよろしいかと思います。--Christina Tris 2010年5月26日 (水) 23:41 (UTC)
- 遅くなりましたが、ご了承を戴けたことに感謝いたします。--影綱 2010年5月27日 (木) 02:28 (UTC)
- ご指摘の通り、板垣信憲は乾正信が山内一豊仕官した頃は既に死没しており、信憲自身が山内家に仕官した訳ではないので、彼の時点ではまだ継承すべき家禄は存在しておらず、先代の欄は「-」で、信憲は単に「初代正信の父」という扱いでよろしいかと思います。--Christina Tris 2010年5月26日 (水) 23:41 (UTC)
- ご説明を頂き、有難う御座います。僕の危惧するところはおおよそご指摘の通りです。「末裔」の語が養子の系を含むことは承知しておりますが、それ故に「血縁子孫」と混同される事に危惧を抱いております。また、信憲は甲斐源氏板垣氏の血縁子孫である事は事実ですので、その系統を称することは、信方の系を称する事となります。その点もご留意頂ければと思います。なお、件の「系譜」について、「初代」正信の「先代」が存在するのは矛盾する(乾家は甲斐板垣氏の分流ではない)ので、修正しておきました。--影綱 2010年5月26日 (水) 23:06 (UTC)
- 丁寧なご指摘ありがとうございます。影綱さまの危惧とは具体的には「板垣退助が駿河守信方の末裔」と表記されることを拒絶しておられるように思えるのですが(見当ちがいであればすいません)。板垣退助は乾正信の嫡流の末裔であることは間違いないですし、乾正信と乾正行が血縁関係に無いことも当時の文書に「養子無縁続の者」と書かれているため事実だと思います。系譜上の「末裔」や、「嫡流」という言葉は、家督権の相承を意味する訳で、「血族子孫」である必要は全くありません。韓国などの場合は養子は、血縁続きからしか認めませんが、日本の武家社会の場合は養子相続で成り立っていると言って過言ではありません。たとえば、乾正信と同じ甲州浪人で山内一豊に同時期に召抱えられた孕石元成家も、一代で血縁は絶えて「無縁続養子」が家を継いでますが、その家が孕石元成の末裔と称することは何の間違いでもありません。信方の末裔という家は他にも何軒か旗本家にあり、夫々由緒を伝えている訳ですが、正信は改易された板垣信憲の系流であると思われるので、板垣信方の嫡流とはなりませんし、私の作ったスタブもそういう目的のものではありません。誤解の無いようご理解頂ければと思います。--Christina Tris 2010年5月26日 (水) 12:57 (UTC)
- お返事有難う御座います。まず、こちらの勉強不足をお詫びいたします。老職であるなら、家老、中老どちらであっても「当主」を称する事に納得は出来ます。さて、「誤解」についてですが、最も危惧しているのは、現行の記事により、「板垣退助が乾正信の嫡流である、従って駿河守信方の末裔(血族子孫)である」と誤解される事です。各記事にて注釈を入れていますし、Christina Trisさんもご存知とは思いますが、退助は正信(から正行を介して)の家督相続者であり、血族子孫ではない訳です(僕は手を出せませんが、残念ながら他言語版の「板垣退助」では、血族子孫だと書かれています)。この点、誤解を生まないような記述をお願いしたいと思うのです。--影綱 2010年5月26日 (水) 06:03 (UTC)
- 早速のご返答ありがとうございます。「当主を冠するのは藩主や老職でない限り少々疑問」とされていますが、「当主」とは「家督を継承した者」の事で、身分の上下を意味する言葉ではありません。「第●代」と表記したとしても、意味するところは「第●代(の当主)」というのと同じです。また、乾家は藩主や老職ではありませんが、それに次ぐ中老職であり、家老家との婚姻もあるため一介の平侍という訳ではありません。つぎに「閲覧するユーザーに対する誤解」として一番考え得ることは、「土佐の乾氏」と一括りに言っても、出自の違う数流派があるわけで、むしろ第一にそちらとの混乱を避けなければなりません。「土佐乾氏(●●流)」という記入方法も一案ですが、これでは「土佐乾氏(和信流)」と「土佐乾氏(正信流)」が同一始祖から分流したかのような誤解をあたえかねません。(特に、和信と正信は名前が似ています)実際には「土佐乾氏(土岐流)」も「土佐乾氏(板垣流)」もさらに分流しており、「土佐乾氏(●●流)」と安易に使うのは適切では無いと思われます。私も「正行から正成までは板垣氏を名乗っていない」ことを深く考慮した上で「土佐 乾・板垣氏」とはせずに「土佐乾氏(板垣)」としたもので、ご理解頂ければ幸いです。--Christina Tris 2010年5月26日 (水) 05:06 (UTC)
- ご返答を頂き、有難う御座います。系譜上では、確かに正信が初代ですので、清和分流甲斐源氏の系とも言えなくはありませんが、記事を閲覧するユーザーに誤解をさせる表現は、出来る限り避けた方が良いのではないか、と思います。和信流との混同が問題であれば、「土佐乾氏(正信流)」とすれば混乱も起きないのではないでしょうか。また、編集合戦となりかねないので時間を置きますが、やはり藩主や老職でない藩士に「当主」を冠するのは、少々疑問に思う次第です。--影綱 2010年5月26日 (水) 03:46 (UTC)
- メッセージありがとうございます。土佐板垣氏は、宇多源氏ではなく、系譜上は清和源氏義光流にあたります。(血のつながりだけで言えば宇多源氏の系統と言えなくもないですが…) 正行から正成までは板垣氏を名乗っていないことは勿論存じてますが、一般的に「乾和信・和三」流が、「土佐乾氏」として扱われているため、「土佐乾氏(板垣)」とする方が適切であると考えます。影綱さまの説もごもっともですが、あのスタブ自体は、こまごま書く事ができないので、あくまで検索の便をはかるためであるとご理解頂ければと思います。--Christina Tris 2010年5月26日 (水) 03:32 (UTC)