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利用者‐会話:Earthbound1960/workplace6

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整理すべき事(作業が終わりましたら一番下へ持っていきますのでご容赦ください)[編集]

経済学史[1]

  • スミス以前の経済学
  • イギリス古典派経済学
  • 古典派経済学とフランス
  • リストとドイツ歴史学派
  • マルクス経済学
  • 限界革命と新古典派経済学の形勢
  • ケンブリッジ学派の展開とケインズ革命
  • アメリカと制度経済学
  • 新古典派経済学の成熟と新古典派経済学批判
  • 現代経済学の展開

人物


Earthbound1960会話2016年5月18日 (水) 09:41 (UTC)[返信]

労働経済学[編集]

労働経済学は公共政策部門だと思うんですが--以上の署名のないコメントは、202.162.140.185会話/Whois)さんが 2005年5月6日 (金) 14:10‎ (UTC) に投稿したものです(KurodaSho会話)による付記)。[返信]

マルクス経済学の扱いについて[編集]

経済思想との結びつきが強い等と理由でマルクス経済学を別枠扱いにしている点について、異議あって投稿させていただきます。もとより私はマルクス主義を信奉するものでもありませんし、それをかばうつもりもありません。しかし読んでいて気になったのは、古典派・新古典派が経済思想などイデオロギーとほぼ無縁な存在のように記述されている点です。経済学に詳しいわけでもありませんが、あらゆる学問の学派は、一定の価値観とセットになっている、これは現代科学の大前提と思います。現在我々がマルクス経済学についてイデオロギー的色彩が強いと感じるのは、ごく単純化して例えれば、
(古典)ー(新古典)ー我々ーーーーーーーーーーーーーーー(マル)
という価値観がひろく共有されているからなのではないかと。
また「強い」「弱い」に関してですが、wikipediaではそうした価値判断を留保すべきと思います。難しいとは思いますが、あえていえば価値相対主義的な記述をしたほうがいいんではないかと主張します。皆様、いかがお考えでしょうか。アズンチャ 2005年11月3日 (木) 14:35 (UTC)[返信]

マル経の扱いについて(提案者に賛成)[編集]

私も、マル経だけがイデオロギーを持つとは思えません。

自由貿易だってケインズだってイデオロギーを持たないわけではないですからね。

基盤になる経済学派は木構造で表現できるので、よりよい形式が可能だと思います。--以上の署名のないコメントは、Nikka会話投稿記録)さんが 2005年11月4日 (金) 06:26‎, 2005年11月24日 (木) 07:31‎ (UTC) に投稿したものです(KurodaSho会話)による付記)。[返信]

マル経の扱いについて(提案者に反対)[編集]

>経済学に詳しいわけでもありませんが >自由貿易だってケインズだってイデオロギー

少しは経済学を勉強してから書いて欲しいですね。 マルクス経済学は近代経済学よりはるかにイデオロギックな側面と政治思想的な側面をもっています。 統計・計量データを駆使しはじめた近代経済学と比べれば明らかだと思います。統計的に自由貿易の益は統計により確認されています。

時代別2つに分けてみてはどうでしょう?

  • スミスの流れを汲む古典的経済学・ケインズ革命・マルクス経済学
  • サミュエルソンによる数理形式の登場を起因とした近代経済学の時代~現代

--以上の署名のないコメントは、219.15.219.180会話投稿記録)さんが 2006-10-25 23:48 JST に投稿したものです。

経済学に詳しい方の執筆は歓迎されます。現状でいうと経済学#経済学の特徴が時代別に分けて記述するには適当な場所だと思います。ただ、規範的分析と事実解明的分析に気をつけることが必要です。統計とイデオロギーは別次元の話です。「事実は一緒だが、とるべき政策は別」という話でもあります。そして経済学が政策提言に携わる限り、イデオロギーとは不可分です。--Nikka 2006年10月26日 (木) 03:39 (UTC)[返信]
Sollen(shall)、Wollen(will)、Sein(be)。--Yuu6676 2006年11月14日 (火) 22:28 (UTC)[返信]

僕が言ってるのはマルクス経済学と近代経済学を比べているわけです。マルクス経済学は理想の経済体制を目標とし事実自身にもたってない点が重要です。ケインジアン・マネタリスト・新古典派・新しい古典派・ニューケインジアンなどは事実からの演繹で成り立っていますが、マル経は理想からの帰納で成り立っているというべきでしょう。

それと「統計とイデオロキーは別次元」と言われていますが、統計データからの演繹で成り立つ近代経済学はその学問自体の特性としてイデオロギーが経験・統計データに制限されているわけです、すなわちまったく事実と異なる事を主張はできません。それに対しマルクス経済学は理想の体制からの帰納で成り立つので自分のイデオロギーだけで主張できるわけです。近代経済学にイデオロギーは存在しないと僕は思っていません、しかしマルクス経済学のイデオロギーと比べると比べ物にならないほど薄いはずです。

-- --以上の署名のないコメントは、219.15.219.180会話投稿記録)さんが 2006-10-26T16:05:15 に投稿したものです。

  • コメント幾つかの出典について、脚注を作成させて頂きました。イデオロギーが「政治的・宗教的」な意味が込められているのであれば、マルクス経済学も近代経済学もイデオロギーと不可分だと思います。「演繹的」な近代経済学と「帰納的」なマルクス経済学と表現されていますが、演繹的で有ろうと帰納的であろうと、それは、論理的推論の方法論であってイデオロギーの入り込む余地は同様にあると考えるべきでは無いでしょうか?Earthbound1960会話2016年5月15日 (日) 07:03 (UTC)[返信]

出典頁加筆しました。[編集]

  • 以下の部分

「経済学は、最も広い意味では、人間社会における物質的な生活資料の生産と交換とを支配する諸法則についての科学である。経済学は、本質上一つの歴史的科学である。それは、歴史的な素材、すなわち、たえず変化してゆく素材を取り扱う。」の出典頁を記載しました。Earthbound1960会話2016年5月15日 (日) 01:23 (UTC)[返信]

  • 以下の部分

「経済学は「社会科学の女王」と呼ばれることがある」の出典を明らかにしました。Earthbound1960会話2016年5月15日 (日) 02:49 (UTC)[返信]

  • 以下の部分

「陰鬱な学問」の出典を明らかにしました。Earthbound1960会話2016年5月15日 (日) 03:44 (UTC)[返信]

  • 以下の部分

「問題なのは、資本主義的生産の自然諸法則そのものであり、鉄の必然性をもって作用し、自己を貫徹するこれらの傾向である。」の出典を明らかにしました。Earthbound1960会話2016年5月15日 (日) 06:47 (UTC)[返信]

  • 以下の部分

「政治家や議員にとっての科学分野と看做されているいる経済学は、2つの違ったものを提示する。ひとつは、人々に豊富な利益ないしは製品を供給し、更には利益や必需品がキチンと人々に益を齎す(もたらす)ようにする方法を。あとひとつは、そうした収益を国ないしは社会にサービスとして提供し、結果として人々と統治者を豊かにする手立てである。」の出典を明らかにしましたが、私が参照した翻訳書では「政治家あるいは立法者の科学の一部門としてみた、政治経済学は二つの違った目標を目指している。第一に、人民に豊富な収入または生活資料を提供すること、もっと適切には、かれらが自分たちでそういう収入または生活資料を調達できるようにすること、そして第二に、国家または共同社会に、公共の業務に十分な収入を、供給することである。」と翻訳されております。Earthbound1960会話2016年5月16日 (月) 07:24 (UTC)[返信]

数理的理論 について[編集]

  1. ^ 喜多見洋 他19名『経済学史』(初版)ミネルヴァ書房、2012年2月20日。ISBN 978-4-623-05936-2