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利用者‐会話:Eggoftenrikyotheologian

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Eggoftenrikyotheologianさんがウィキペディアにおいて実り多き執筆・活動をなされることを楽しみにしております。--Trgbot 2011年10月26日 (水) 19:52 (UTC)[返信]

天理教について

[編集]

はじめまして。TENDERASといいます。天理教のページを大幅に編集されましたが、このページは過去何度か論争があり、編集合戦が行われました。大幅に改編される場合は、一度ノートで提案してください。よろしくお願いします。--TENDERAS 2011年10月28日 (金) 03:51 (UTC)[返信]

再度お願いです。天理教のページを大幅に編集される場合は、一度ノートで議論してください。--TENDERAS 2011年10月28日 (金) 05:38 (UTC)[返信]

メッセージを頂戴し、ありがとうございました。Eggoftenrikyotheologianと申します。再度にわたるメッセージに気づかず失礼いたしました。大幅な書き換えの際にノートに一度あげるというルールについても了解しました。Tendarasさんのお書きになった項目、ならびに論争に関して、よく理解できる部分もあるのですが、やはり考え方のスタンスで異なる部分もあろうかと思います。特に、ウィキペディア内の類型はあくまで類型にすぎないかもしれませんが、その類型がときに大きな議論や論争になることはご承知のとおりです。「新宗教」という分類は一般的に用いられていますが、あくまでも誰かがそのように区分したいだけの話です。本来は、既成の宗教があっての「新」宗教で、仏教と神道諸派が差異化を図りたかっただけのものです。それに、各研究者が加担したことは間違いありません。ですので、私が書きましたように日本の複雑な宗教的・政治的状況から「新宗教」と呼ばれてきただけの話です。欧米では「新宗教」にあたる"new religion"という英語はあくまで日本のこのような状況を指して作られた言葉です。ですので、1970年代以降のヒッピー、スピリチュアル・ムーブメントという新しい宗教運動という別の文脈で用いられるようになりました。ですので、ウィキペディア内の項目を書く際に、分類や他の項目とのつながりは大事ですが、ミスリーディングということにもなりかねません。 また、例えば主祭神ですが、この考え方は明らかに神道研究者の間で用いられてきたものです。八百万の神々への儀礼(祭)と言う前提があって、はじめて中心的な神(主祭神)という考え方が登場します。ですから、キリスト教、イスラームなど一神教内にあっては主祭神という考え方自体がないのです。翻って、天理教の場合はいかがでしょうか?教祖の生まれ変わり、もしくは月日両神と捉えている人々の間に立てば、主祭神という考え方を無理やり持ち出すことは可能ですが、彼らの中では「主神」という考え方はあっても、それ以外に特に神もいないわけですから「主祭神」は不適当です。いわゆる「狭義」のという形で述べているのであれば、この書き方は議論の前提からも妥当ではありません。 近日中に友人たちと作成チームを立ち上げ(大学教員でも本部職員でもない、ただの若者の集まりです)、時間をかけて、天理教教典を中心に各項目の確認、各会組織の沿革なども含めて大幅な加筆修正を行ないたいと考えています。その際の表記に関しては、私が文章の統一も含めて責任を負います。日本の新宗教研究に携わる宗教学者(宗教学者たちから「宗教学者」とみなされていない「売れる」本を書きたい作家、すなわち島田裕巳や小滝透[彼は天理教道友社から書籍を何冊も出していますが、我々の議論の参照にはなりません]などの著書は除きます)や民俗宗教の歴史学者たちの議論(小栗順子なども読んだうえでです)、また各種宗教学事典を十分に参照した上で、彼らに最大限譲歩した書き直しを行ないます。また、必要に応じて天理教の研究を行なっている外部研究者にも議論にチェックをお願いするつもりでおります。その際には論争等で問題となっていた信者の統計に関する天理教側の取り決めなどについて、教内誌を使用しながら取り上げる予定でおります。少なくとも正確さや起源の点では、現在のページよりも信頼のある根拠を提示することが可能であると確信しています。 ノートにアップした後には、Tenderasさんにも議論に加わっていただければ幸いです。どうぞ宜しくお願いします。--Eggoftenrikyotheologian 2011年10月28日 (金) 11:26 (UTC)[返信]

もし議論される場合は、ノート:天理教でお願いします。あと、Wikipedia:自分自身の記事をつくらないWikipedia:中立的な観点などもよく御読み頂き、執筆頂きますようお願い致します。--TENDERAS 2011年10月28日 (金) 12:18 (UTC)[返信]

両者の注意事項については、承知しました。記事を確認した際、「主祭神」を「主神」に書き換えてくださったのでしょうか(そうであれば、ありがとうございました)。ただし、この表現でも、「主な神」(暗に他の神々を意味するため、こうした表現方法はギリシア神話や神道の研究に用いられてきましたが、現在ではあまり使用されていません。また、この言葉は「かんづかさ」という別の読み方があるのをご存知でしょうか?こちらは1500年程前の大宰府で祭祀を勤めた人間を指します)を意味しており、不適当です。客観性という点では、「崇拝対象」あるいは「礼拝の対象」という表現が適当でしょう。「新節」というものを設けて誰かの了解を得るまでもないと思います。Tenderasさんが「天理教」の項目を監視されているのであれば、現時点での書き換えをお願いします。 また、最初の「定義」に関する部分ですが、例えばキリスト教イスラム教の項目をご覧ください。彼らの方が信者数も多く(確認ですが天理教内にも統計上の信者数という言葉は存在します)、分派もそれぞれの思惑が絡んだ書物が大量に出版されているにも関わらず、問題なく項目の執筆がなされています。「事典」という項目上、執筆者によって見方が異なるのは仕方ありませんが、「概して」(一般的に言って)という点で折り合いをつけざるをえないというのが正直なところでしょう。その際に、多数派を占める天理教信者への最大限の配慮は、アンサイクロペディアや批判書を除く事典では、執筆者(紙媒体では主に研究者が担っていますが)の義務です。法律のレベルで理解するのか(近年の名称権裁判を意味します)、教義・教理という点から判断するのか、あるいは宗教学・歴史学という観点から理解するのかは非常に重要です。一般的には、教義・教理上の判断で執筆されるものです。その上で研究上の分類方法を付け加えたいのであれば、宗教学者からは「創唱宗教」、「新宗教」、「啓示宗教」、「世界宗教」と呼ばれており(天理教はこれらのいずれもにも該当します)、歴史研究者からは「民俗宗教」あるいは「民衆宗教」と呼ばれている、という説明をすることで、読者が理解できる手順が取られます。こうした呼び方は、パソコン内でファイルを整理するのと同じく、大体の意味でどういうカテゴリーに入るかという分類上の問題ですが、時に悪意をもって利用されてきたのです。例えば、「論争」内でもあった「新興宗教」という呼び方です。現在では使われなくなりましたが、明治・昭和の時代では、「擬似宗教」(宗教に似ているが違うもの)や「邪教」という呼び方も存在しました。キリスト教ではそういう呼び方はしないのに、天理教になった途端に勝手にレッテルを貼ってしまう、あるいは貼りたいという問題点は、近年の研究上では問題視されてきました(現在でも、研究者が自分をどう位置づけたいかという思惑で「新宗教研究者」と呼ぶことがあるのですが、それはあくまで学問上の分類を基準に呼びあらわしているだけです)。最初から「新宗教」だという見方や分類では、wikipediaでは天理教をキリスト教やイスラームとは「宗教」という点で同等とみなしていない、すなわち客観性を欠いているということになります。そういう理由から、私が最初に投稿した記事では、「宗教学では新宗教に分類される」と書いたのです(その際に、教祖は宗教団体を作ることを良しとしなかったと言い出しては、事典として折り合いがつきませんし、論点がずれています)。「論争」の中でも、それぞれの論者が自らの主張したいことを前面に押し出す(その結果、議論が「荒れる」)という状況も起きていたようですが、論点がずれていく様子も散見されました。事典という性格を考えるのであれば、法曹上で問題となった議論は近年の出来事として取り上げたとしても、「近年では、○○という問題も生じた」くらいが妥当です。もし取り上げたいのであれば、名称権の問題というページを作って取り上げればよいだけのことです。wikipediaは、ゴシップ的なネタを自由に議論する2ちゃんねるではないのですから。私は判決が確定されているのか知りませんが、事典としてこぞって取り上げる項目としては細部すぎます。 最後にですが、現時点で中山家の家紋を削除あるいは変更をお願いします。本田総一郎『日本の家紋大全』という本に家紋の一覧が載っています。ただし、これは現在の天理教教旗とは異なるもので、現在の教旗は紫地に白です。また、実際のところ家紋それ自体も違います。梅鉢と言っても複数種類あり、天理教で用いられているのは「剣梅鉢」というものです(天理教の英語版Tenrikyoにはそちらが掲載されております)。また、こちらで示されているマークと色が反転したものは、天理教の祭典にて着用するおつとめ着、ならびに本部神殿の中庭に白地に黒の模様として用いられております。正確を帰すということであれば、そちらから転載していただければと思います。こうした点を踏まえて書き直したいと考えており、写真等も新しく撮りなおす予定でおりますが、Tenderasさんが撮られた写真があれば、ぜひ利用させていただきたいと思います。その際には、ご連絡ください。--Eggoftenrikyotheologian 2011年10月29日 (土) 04:32 (UTC)[返信]

再度お願いです。ここの会話ページは、利用者間で個人的な対話するために使うためのものです。天理教の記事について対話される場合は、ノート:天理教でお願いします。仰せられていることに関しての賛否に関しては、ここでは言及しかねますのでお願いします。また、論点が多くありそうなので、できるだけ論点を絞って提起してもらえれば議論しやすいかと思います。よろしくお願いします。--TENDERAS 2011年10月31日 (月) 00:24 (UTC)[返信]

ご連絡ありがとうございました。論点は3点(主神、定義、写真)に絞られているはずです。段落ごとに表示されなかったのが、見落としや誤解の元かもしれません。ただ、「論争」で扱われてきた議論を踏まえるという手続きを経て詳細に説明したので、長くなりました。ですから、「論争」上でのやり取りを確認になったうえで、再度、私の文章をご覧ください。私が文章を書く際には、明治から現在までの様々な議論や情報を総動員していることをお忘れにならないでください。ノートに記事を提出しないとTenderasさんの評価対象にならないということであれば、特に賛否について仰っていただかなくても結構です。「論争」で行なわれた編集者同士の意見交換以前に、検証や議論のレベルに少なくとも問題があることと、本当の意味での文献の参照や議論の組み立て方を指摘したかっただけです。私が現時点で気にしているのは、私たちが記事を書いた際に旧態で議論を進めてこられた方々から、リバートを受け続けないかどうかだけです。どうぞ宜しくお願いいたします。--Eggoftenrikyotheologian 2011年10月31日 (月) 08:46 (UTC)[返信]