利用者‐会話:El2l2
記事「神武景気」の編集について
[編集]標記の記事における貴殿の編集(差分)ですが、「独自研究(WP:V、WP:NOR)」として、いったん全て除去させて頂きました。
理由については、まず上記の2つの文書をよくお読み下さい。また、2019年1月に「ノート:加藤一二三#「神武以来」の読み方について」で貴殿に申し上げたことを今一度お読みください。
下記は補足です。
(1) 「独自研究(WP:V、WP:NOR)」という概念はウィキペディア独特のものです。私も当初、この概念が良く理解できずに多くの方にご迷惑をおかけしてしまいました。これは一言でいうと「学者が論文を書く場合に必ずしなくてはいけないことが、ウィキペディアでは『独自研究』として排除される」という概念です。
(2) 貴殿が言語学の研究者、もしくは歴史学・社会学の研究者で、「神武以来」というコトバについて研究した経過を論文として発表するのであれば、恐らく貴殿のやり方で正しいのでしょう。 また「ネット上のまとめ記事(外部リンク)」は貴殿が書いたものの由ですが(「ノート:加藤一二三#「神武以来」の読み方について」を参照)、そちらでは何をされようと貴殿のご自由です。
(3) 今回の貴殿の加筆のうち、「『独自研究(WP:V、WP:NOR)』に該当せずにウィキペディアに書けること」は、恐らく下記だけです。
流行語としての「神武以来」の「以来」の部分の読み方については、大久保忠利が「イライ」と発音して広まったと書いており(大久保忠利 「1957年の流行語覚え書」『婦人公論』12月号、中央公論社、1957年、p.125。)、
ただし「ノート:加藤一二三#「神武以来」の読み方について」で既に申し上げましたように、それは記事「神武以来」に加筆するのではなく、記事「神武以来」を立項し、そこに書いてください。記事の主題が「神武景気」であり、「神武以来」ではないからです。
なお、現状ですと、仮に貴殿が記事「神武以来」を立項したとしても、国語辞典の記載内容に上記の大久保氏の見解を書き加えただけになるでしょう。その場合は「ケース E: 百科事典的でない記事」として削除依頼が提出されることは避けられません。--Pooh456(会話) 2020年1月3日 (金) 01:51 (UTC)
- どうもこんにちは、お久しぶりです。まず、初めにお尋ねしたいのですが、今回僕がおこなった改稿の全部が独自研究に当たると思われますか?それとも「神武以来」という言葉に関する部分だけでしょうか?よろしくお願いします。--El2l2(会話) 2020年1月5日 (日) 09:22 (UTC)
なお、ネット上で妙なものを発見しましたが、これはEl2l2さんが書かれたものでしょうか?仮にそうだとすれば、これに書かれている要領でウィキペディアに記事「神武以来」を立項なさると、大部分がWP:NORに抵触してしまうと思われます。お気をつけください。--Pooh456(会話) 2019年1月20日 (日) 16:18 (UTC)/(修正)--Pooh456(会話) 2019年1月20日 (日) 16:38 (UTC)
と申し上げました(差分)。その時は、私の申し上げたことにご納得頂いたようで安心したのですが、結果として「ウィキペディアの三大方針を全く理解せずに、記事「神武景気」に、「神武以来」について大幅に独自研究を加筆する」行為をなさったのは甚だ遺憾です。
さて、貴殿の質問への直接の答は次のとおりです。「貴殿の『改稿』の中で、『神武以来』と関係ない部分では、特に問題ないものもあるかもしれません。」
ですが、ウィキペディアの編集に手をつける前に、最低でも三大方針は理解して下さい。事前に注意喚起を受けていたにも関らず、三大方針を全く理解せずに、他の多数の編集者(私は含まれておりません)が書いた記事を「改稿」しようなど「僭越極まりない」行為です。「コミュニティを疲弊させる利用者」と看做される可能性もありますので、厳にお控え下さい。
(1)「貴殿の編集を取り消すにあたり、貴殿の会話で根拠を詳細に説明したこと」、(2)「貴殿のこの質問に対し、根拠を明確に示して答えること」のいずれの手間も、貴殿が「事前に注意喚起があったように、少なくとも三大方針を理解してから、ウィキペディアの編集に手をつける」ことをしていれば不要でした。
ウィキペディアの方針文書を全く理解しない貴殿が、既に、他の利用者を疲弊させていることを認識して下さい。--Pooh456(会話) 2020年1月5日 (日) 11:12 (UTC)
- どうもありがとうございます。この件に関しては僕とPooh456さんの2人でしか会話してきませんでしたね。他の人の意見も聞いてみたいです。--El2l2(会話) 2020年1月5日 (日) 16:31 (UTC)