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利用者‐会話:Enpiz b

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記事名の付け方について[編集]

Enpiz bさん、はじめまして。妖精書士と申します。Wikipediaへのご参加、歓迎いたします。さて、先ほど作成していただいたタダシンヤ(多田慎也)ですが、記事名の付け方のルールから見て、適切でない記事名となっております。通常ですとページの移動という方法があるのですが、本件では技術上の理由により使用できません。つきましては、初版執筆者のEnpiz bさんのご意見を伺い、「多田慎也」(もしくは「タダシンヤ」)への改名手続きを行おうと思うのですが、ご賛同いただけますでしょうか。また、改名後の記事名は、多田慎也でよろしいでしょうか。(リダイレクトにより、タダシンヤで検索しても多田慎也のページに転送されます)お手数ですが、ご意見をお聞かせください。--妖精書士 2009年4月14日 (火) 04:19 (UTC)[返信]

妖精書士さん、はじめまして。ご意見ありがとうございます。初めて投稿したので、勝手が分からずすみません。記事名ですが、アーティスト名として「タダシンヤ」を認知してほしいのもありますので、カタカナの方でお願いします。投稿者が記事名の変更ができるのでしょうか?変更したかったのですが、どこでしていいのか、わかりませんでした。--Enpiz b 2009年4月15日(水) 09:49--Enpiz b 2009年4月15日 (水) 00:50 (UTC)[返信]
今回のケースでは、タダシンヤのページに編集履歴があるため、管理者さんへの依頼が必要なのですが、Wikipedia:移動依頼で別の利用者さんが依頼してくれているようですね。週明けごろには移動してくれますので、もう少し待ってみましょう。--妖精書士 2009年4月15日 (水) 08:43 (UTC)[返信]
名前も変更されていて、転送できるようになっていますね。どうも、ありがとうございました。私自身は、新しい投稿は滅多にしませんが、いろいろ投稿に関して勉強してみます。--Enpiz b 2009年4月17日 (金) 01:03 (UTC)[返信]


一括投稿のお願い[編集]

こんにちは。Enpiz bさんが同じ記事に対して節ごとに分けて連続して投稿されているようでしたので、一括投稿のお願いに参りました。Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすにあるとおり、同じ記事への連続投稿はウィキペディアのサーバに負荷がかかるうえ、履歴の見通しが悪くなるなど、さまざまな面で支障をきたすおそれがあります。細かい節がたくさんある場合は、節ごとに細かく投稿をするのではなく、上位の節または項目全体の編集を行い、一括して投稿していただきますようにお願いいたします。

投稿時、中央のボタンを押すとプレビューできます。(詳細画像

その際に細かいところでミスを起こすのではないかと心配な場合は、「投稿する」ボタンの右隣にある「プレビューを実行」ボタンを活用されることをお勧めします(画面右側の図を参照)。投稿される前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、成形結果を先に見ることができます。これを使うことで、

などをあらかじめチェックし、修正した上で記事を投稿することができますので、是非ともご活用ください。

また、編集競合を避けたい場合は、Template:Inuseをお使いください。ご迷惑をおかけしますが、ご理解とご協力をよろしくお願いします。--Szk7788 2009年4月23日 (木) 01:18 (UTC)[返信]

こんにちは、Szk7788さん。アドバイスありがとうございます。まだ慣れないものですから、度々更新してしまいました。ガイドなど参考にしまして、よりよいページにすると共に、投稿方法に関しましても勉強させて頂きます。--Enpiz b 2009年4月23日 (木) 04:22 (UTC)[返信]

会話ページへの履歴不継承転記について[編集]

こんにちは、アセルスと申します。

4月30日に当会話ページに『タダシンヤ』の記事を転記されていますが、記事から利用者会話ページへの転記に関しても履歴を継承する必要があります。故に差し戻させていただきましたとともに、利用者ページの削除依頼を提出しますことを報告させていただきます。--AsellusTalk 2009年5月13日 (水) 01:06 (UTC)[返信]

はじめまして、アセルスさん。

自分の会話の中も削除の対象となるのですか?タダシンヤのページは、私自身の履歴が乱立していたため、他の方から注意を受け、とりあえず自分の会話の中でまとめてから、アップしようと思っていたので、勝手に削除されるのは大変困ります。この中だけでも、削除された部分を戻してください。こちらで独自にテキストデータで残しますから。--Enpiz b 2009年5月25日 (月) 00:58 (UTC)[返信]

お騒がせして申し訳ないですが、見直したところ誤爆っぽいので依頼を取り下げてきます。すみません。
その上で一応履歴継承について説明しておきます。WikipediaではGFDLという著作権ライセンスが採用されています。それによりWikipedia内であるページの内容を他のページに移動する場合は、双方のページ間で履歴を継承する必要性が生じます(記述方法についてはWikipedia:ページの分割と統合あたりをご参照ください)。基本的に記事や利用者ページ問わずこれが必要なのですが、同一の編集者による履歴だけである場合は例外としてこの義務は発生しません。
今回の『タダシンヤ』では、Enpiz bさんの履歴がほとんどですが、有意では無い編集(テンプレート貼付と差戻し)以外に1件だけ有意な編集が見当たりました。これにより問題が発生しているのではないかと考えましたが、会話ページにあった記述はその編集が生きていませんでした。たあだ、依頼が終結するまでは復帰することは不適切だと思いますので、それまでは過去の履歴からご参照ください。終了後に責任を持って復帰いたしますので。
加えて一件申し上げたいのですが、記事で過剰な連続投稿を指摘されたために会話ページで編集…とのことですが、会話ページであっても過剰な連続投稿はおやめください。空間が異なるだけであり、サーバにかかる負荷は変わりありません。--AsellusTalk 2009年5月25日 (月) 03:47 (UTC)[返信]
アセルスさん。転載についての記述は、分かりました。今後は、自分のPC内のテキストファイルで編集し、よく見直してから掲載します。--Enpiz b 2009年6月1日 (月) 01:02 (UTC)[返信]
依頼が存続終了となりましたので、以下に下書きを復帰しておきます。お騒がせしました。--AsellusTalk 2009年6月1日 (月) 23:29 (UTC)[返信]
復帰ありがとうございます。今回の件でトラブルの原因となると分かりましたので、自分の会話内では、タダシンヤのページにアップしていない部分以外は削除し掲載します。他は、自身のPCにテキストデータとして保存する事にします。--Enpiz b 2009年6月5日 (金) 01:11 (UTC)[返信]

来歴[編集]

幼少より、ピアノを始める。高校時代から作曲を始めるが、最初はギターによる作曲が中心であった。

KAN山下達郎などから影響を受け、特にKANに対しては「師」と仰ぐほどのファンである。

大学時代から社会人時代に至るまで、多くのバンドを組み、どのバンドでも多田自身が率先して活動していた。ロックバンド「lifetone」を組み、多田は、ヴォーカル&ギターを担当。「lifetone」の由来は、「life=生活」「tone=音」を合わせた「生活音」という造語。「生活の中に自然に馴染んでいく音楽を目指す」という意味を込めた。ソロ活動が活発となり、現在は活動休止となっているが、時々サポートでメンバーが参加する事もある。このバンドで自主制作のCDも出しているが、現在は幻となっている。

2006年にバンドと平行してピアノ弾き語りによるソロ活動を始める。これが現在のスタイルとなる。CDは、自主制作でミニアルバム「DIALOG」をリリースしているが、流通ルートに乗っていない為、事実上のインディーズデビューは、未だ果たされていない。

自身のアーティスト活動に加えて、音楽作家として他のアーティストへの楽曲制作も行っており、HOME MADE 家族などへ提供している。特に嵐への提供曲は通算9曲に上る。

また、ピアニストキーボーディストとして、林明日香、平季唯、村岸カンナ、RUA、小崎広夢、markerなど、他のアーティストのサポート・ミュージシャンとしても活動している。

ディスコグラフィ[編集]

ミニアルバム[編集]

  1. DIALOG(2008年7月25日)
    1. ダイアログ
    2. 二つの影
    3. yesterday
    4. 雨ニモ負ケズ
    5. happy birthday

エピソード[編集]

  • タダシンブログ、ミニアルバム「DIALOG」、フライヤーなど、一連のアートワークは全て、風味堂「sketchbook」のジャケットデザインを手がけた、アートディレクターの良知高行が担当している。多田のアーティスト名をカタカナにするように勧めたのも、同氏である。
  • 多田は、作家デビューするまで、進学塾の講師の仕事をしていた。担当は、英語と数学であった。(タダシンブログ談)
  • コンビーフが大好物である。(タダシンブログ談)
  • 高校時代は、サッカーの名門・船橋市立船橋高等学校に通っていたが、所属していたのはテニス部である。(タダシンブログ談)

--Enpiz b 2009年4月30日 (木) 00:55 (UTC)[返信]