利用者‐会話:Hareno

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ウィキペディアにようこそ![編集]

こんにちは。はじめましてSuisuiと申します。ウィキペディアへようこそ!

ウィキペディアで活動する際にはWikipedia:ガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。よろしければ 自己紹介してみてください。執筆の際には中立的な観点および 著作権にご留意ください。何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。

Welcome to Japanese Wikipedia. If you are not a Japanese-speaker and expect further information, visit Wikipedia:Chatsubo for non-japanese-speakers. Enjoy!

なお、このメッセージは主に利用者‐会話ページに何も記入されていない方に投稿しておりますので、すでに活動を開始されてから期間が経っていらっしゃるのでしたら、お詫びいたします。--Suisui 2004年7月15日 (木) 10:50 (UTC)[返信]

月間新記事賞[編集]

Harenoさんが執筆された仮想水が10月投稿分の月間新記事賞に選ばれました。おめでとうございます。合計2ウィキが投票者および Tsubefund から贈呈されますので、よろしければページでご確認の上、ウィキバンクへ口座開設の上ご入金ください。

なお月間新記事賞のページでお名前を誤記してしまいました。この場をかりてお詫び申し上げます。--[[利用者:Aphaia|Aphaea*]] 2004年11月17日 (水) 07:44 (UTC)[返信]

ウィキバンクへ口座を開設し、2ウィキを入金しました。ただ、仮想水に関しては何の貢献もないので必要な方に差し上げたいと考えております。

サルスエラ[編集]

Harenoさんヒメネスの執筆お疲れ様です。テンプラニーカのサパテアードはやけに有名ですが、全曲を聴いたことが無くて...一度きちんとした舞台をみてみたいものです。ところで、もし時間がとれるようでしたら、サルスエラについてオペラの国民楽派のところへの加筆か、独立項目で書いてくださるとさらにありがたいです。お願いだけで恐縮ですが、今後ともよろしくお願いします。sphl 2005年3月8日 (火) 04:03 (UTC)[返信]

sphlさま,とりあえず独立項目で書いてみます。ヒメネスは参考になる資料が少なかったため,まだまだ加筆する余地があると思われます。Hareno 2005年3月8日 (火) 16:12 (UTC)[返信]
ご賛同ありがとうございます。私も資料は無いのですが、スペイン音楽には興味があるので、できたら調べてみますね。sphl 2005年3月8日 (火) 23:37 (UTC)[返信]
英語版からの翻訳にごく簡単な二次文献の調査を反映させました。スペイン語版はかなり情報がありますね。私が訳すと辞書を引きながら意味を捏造するのがやっとなので他の方にお任せします。さらに実際の作品に関してほとんど何も触れていません。Hareno 2005年3月9日 (水) 18:35 (UTC)[返信]
さっそく執筆ありがとうございました。esは私も全然です(^^;; いずれにせよ、徐々に充実させていきたいですね。それでは。sphl 2005年3月10日 (木) 11:05 (UTC)[返信]

イシク湖について[編集]

はじめまして。議論なしで記事を移動してしまいまして申し訳ありません。気分を害されたら、お詫びいたします。イシク湖に関する資料ですが私も大したものを参考にしているわけではありません(苦笑)。

  • ブリタニカ大百科事典-日本語版
  • 平凡社の百科事典(正式名忘れました、湖水の塩分濃度はここに記述されてました)
  • 地球の歩き方 シルクロードと中央アジア(湖底遺跡に関してはこれ)

0.6%の塩分濃度を淡水と見るか否かの基準が分からなかったので、キルギスタンの塩湖の記述を取った次第です。と3つとも,図書館で調べた資料です。ご参考になれば幸いです。これからもよろしくお願いします。Yosemite 2005年3月14日 (月) 23:08 (UTC)[返信]


タイ王国について[編集]

こんにちは、タイ王国については元々{{stub}}がついていたのをスタブカテゴリで張り替えただけです。ですから、直前の執筆者までの判断によっているということになります。竹麦魚(ほうぼう) 2005年3月16日 (水) 13:52 (UTC)[返信]

なるほど。竹麦魚さんに問い合わせたのは私の見当違いですね。失礼しました。Hareno 2005年3月16日 (水) 15:05 (UTC)[返信]

ドンキホーテについて[編集]

住所の修正は私の一つ前の、2005年3月26日 (土) 09:57の版のIP、218.110.117.127氏によるものです。--Snow steed 2005年3月26日 (土) 18:06 (UTC)[返信]

これは失礼しました。Hareno 2005年3月26日 (土) 18:29 (UTC)[返信]

執筆コンテストのエントリー記事(塩酸)について[編集]

こんにちは。執筆コンテストにご参加いただきましてありがとうございます。実行委員のLigarと申します。残念ながらHarenoさんがエントリーされた塩酸は、コンテスト開始3月1日時点で、すでに2,586バイトでした。エントリーの条件である執筆開始時点で1,000バイト未満のルールを満たしていませんので、申し訳ないのですがエントリーからはずさせていただきます。--Ligar 2005年3月29日 (火) 09:57 (UTC)[返信]

あわてて,Wikipedia:ページサイズを読みにいきました。私の考えていたサイズの測り方は全く間違えておりました。どうもあわてもので申し訳ありません。色々と調べ物をしたので今後の執筆に生かすことにします。Hareno 2005年3月29日 (火) 15:31 (UTC)[返信]

カメルーンの歴史について[編集]

わたしの利用者ページに丁寧にメッセージありがとうございます。ナイジェリアなら書きやすいのですが、カメルーンについては、考古学的にもあまり成果があがっていないとフィリップソン自身が書いており(Phillipson,D.W.1985African Archaeology,邦訳『アフリカ考古学』学生社版)、グレアム=コナーは無視しています(Connah,G.1986 African Civilization,邦訳『熱帯アフリカの都市化と国家形成』)。世界の歴史教科書ナイジェリアにも目を通しましたが隣国にもかかわらずカメルーンに関する記事は見当たりませんでした。まあ、苦労して情報が得られるなら何かを発見した喜びを追体験できるからそれもいいかなくらいに考えています。siyajkak2005年3月29日 (火) 16:35(UTC)

カメルーンの地形に問題があるのかもしれませんね。アダマワ高地はカネム・ボルヌ帝国も越えられなかったと聞きますし。書籍を紹介していただいてありがとうございます。2冊ともさっそく注文しておきました。Hareno 2005年3月29日 (火) 16:52 (UTC)[返信]

カメルーンの歴史、立派な記事になりましたね。コンクールで入賞すればいいですね。siyajkak 2005年4月7日 (月) 15:29 (UTC)[返信]

うーん、校正だとか図表だとかに時間をかけられなかったのが残念ですね。一応現代まで埋まっていますが、カメルーンの歴史になっているかというとさらに調査が必要でしょう。教えていただいた書籍はまだ届いていません。論文を斜め読みしていると、ボルヌ帝国や、まったく触れていないバカ族、ポルトガル以前の奴隷貿易やあたりはそれなりに拡充できそうな気がしてきました。ベヌエ川のジュクン王国とサンガ川のバムン王国についても言及できそうですが、苦しんでおります。西アフリカ史はフランス語ができないとダメなのかもしれません。Hareno 2005年4月7日 (木) 17:05 (UTC)[返信]

>西アフリカ史はフランス語ができないとダメなのかもしれません。

そのとおりかも知れません。少々脱線しますが、コローシャントルイユなどすきな画家がいた国で、自分にとってメソアメリカの次くらいに関心のある西アフリカの考古学的成果を知るにはフランス語は避けて通れないのだろうと感じています。カメルーンの歴史は推薦があったようで努力が評価され、よかったですね。実は、テモセイとマウニーの報告書がほしいのですが手に入れていません。雑誌論文のようで150ドルくらいしそうだという情報をなんとか得ましたがボーナスまでどうしようか考えています。不愉快なことはいろいろありますが、Harenoさんのような熱心な勉強家に出会えるとwikipediaは本当に楽しいなと感じます。siyajkak 2005年4月9日(土)18:58(UTC)

すみませんm(_ _)m 。前レス訂正です。ノク文化の記事が掲載されたWest African Journal of Archaeologyのバックナンバーでした。検索したけど入手しようがなくて挫折したのでした。しかし、1997年にクンビ=サレーの発掘調査成果が集成された本が刊行されていたようです。フィリップソンの『アフリカ考古学』は入手できそうですか?どこかでused booksが手に入ったらいいですね。自分はかなり昔に神保町で手に入れましたが...。siyajkak 2005年4月16日(土)11:32(UTC)
『アフリカ考古学』はまだ手に入っていないのです。古書の在庫確認中です。私の方も迷路に入ったような状態になってきています。最近も、カメルーン固有のバムン文字 ([1] )について資料を集めているのですが、20世紀初頭に作られた文字なのになかなか見当たりません。これは長期戦ですね。siyajkakさんが固めている地域とも合わさって最後にはアフリカ史が完成すればいいなと考えています。Hareno 2005年4月17日 (日) 17:02 (UTC)[返信]

ごあいさつ[編集]

コメント依頼でお言葉をいただきありがとうございます。世界の旅での本項目の充実など、細かいところの作業を丹念にいつも堅実にしていただき、わたくしのほうこそ助けていただいていると思っております。また蜂蜜もいろいろと加筆をいただき、読み応えのある項目になったと思います。ありがとうございます。

コンテストのほうも、推薦があったとのこと、おくればせですがお祝いを申し上げます。

最近は世界の旅は幽霊部員で大した貢献もできませんが、今後ともおつきあいをいただければ幸いです。

なお上でお話しておられるアフリカ史のことですが、全体にアフリカ関係はウィキペディアが弱いところのようです。フランス語版でも「アフリカに在住のフランス語版の執筆者をいかにして獲得するかが課題だ」というようなことをいっていました。あちらでは昨年二ヶ月ほど今週の強化項目をじゅんぐりに西アフリカ・中央アフリカの国をまわるということをしていたようですが、あるいはプロジェクト世界の旅でもそうした地域に絞った強化を中期的にしてみるというのはアイディアかなとも思います。これはいろいろと抜けが多い地域全般にいえることなのでしょうが。。このあたりも世界の旅でアイディアをお寄せいただければと思います。

大した能力があるわけではありませんが、自分のできる範囲で貢献していければと思っております。どうぞ今後ともご厚誼のほどお願い申し上げます。--Aphaea* 2005年4月21日 (木) 12:26 (UTC)[返信]

日本語版以外の情報ありがとうございます。他言語版を調べてもアフリカの情報が目に入りにくい、とはうすうす思っておりました。フランス語版の件は参考になります。他国語版では井戸端やプロジェクトに相当する場所の議論についていけなくて。状況を教えていただいて助かりました。
読点の件は口にだされませんでしたが、やはり気に障りますか。Wikipediaの規則でも「、」になっていますし。ふだんは必ず「,」を使っているため、注意していても記事本文に混ざってしまうことがあります。個人ページでは読点の区別はほっておいてもいいかと思っておりましたが、いつも気をつけていないとだめですね。Hareno 2005年4月23日 (土) 17:52 (UTC)[返信]

こんばんは[編集]

マラケシュの加筆ありがとうございます。ここ数週間のマイブームはモロッコ史で、図書館からビデオを借りてときどき眺めます。モロッコの建築とアルハンブラ宮殿は似ているところがあるなあと感じました。やはり、ムラービト朝ムワッヒド朝の征服などがあった影響もあるのでしょうか...。マラケシュのあの広場は、世界無形遺産だったのですね。勉強になります。おそくなりましたが、「カメルーンの歴史」が審査員賞獲得おめでとうございます。Harenoさんのこれからの活躍も期待しています。アフリカ関係充実していきましょう。siyajkak 2005年4月29日(金)12:58(UTC)

ありがとうございます。私の方は歴史を勉強しながら、アフリカの地理を充実させようとしています。壁じゅうに地図を貼って眺めています。さすがに50枚はありませんが。モロッコの地殻構造はアフリカ大地溝帯の次に興味深く思っています。日本と似ていて、地殻の割れ目からマグマが貫入して珍しい鉱物が採れるところとか(が、書けていません)。予備知識がないためイスラム圏の歴史にはあまりお手伝いできませんが、仲間も増えてきたことですし、アフリカも何とかなるでしょう。Hareno 2005年4月29日 (金) 15:12 (UTC)[返信]

大地溝帯は、これから誕生する中央海嶺、大陸の分裂が開始される生きた見本なので本当に興味深いですね。大陸移動関係(プレートテクトニクスプリュームテクトニクス丹沢)関係の本が自分の書棚にも何冊かあります。地質専攻で院を出た友人が返してくれと言わないのをいいことに返してないものもある(汗)。日本国内の地質も三つのプレートがぶつかっている場所で地学的には面白い場所なので、なにかのきっかけではまったらたいへんなことになるかも(苦笑)。siyajkak2005年4月30日(土)0:46(UTC)

グレート・ジンバブエ遺跡について[編集]

私のノートにご来訪いただきありがとうございます。遺跡位置図は吉國さんの本とコナーの訳書に国境線のある図版があるのでいいところをとって作成すればできそうだと思います。遺構配置図もR.サマーズの図版が『ユネスコアフリカの歴史』にあるので、それを参考にオリジナル図版をつくればいいかなと思っています。ただいつになるかは保障の限りではありません。ご容赦ください。図書館から借りてる本だからコピーしてから返さねばなりませんね。吉國さんの本は、最新の研究成果を分かりやすく解説した本で、さすが名著の多い講談社現代新書だと思いました。もう少し考古学用語を使ったほうが誤解されないで読めたな思ったくらいです。siyajkak2005年5月6日(金)16:17(UTC)

グレート・ジンバブエ遺跡の遺構配置図と遺跡の位置図をアップロードしました。わたしの今年のゴールデンウィークは、グレート・ジンバブエ一色でした(爆)。疲れたあ~。遺構配置図は、参考にしたのが北が上でなくてフィート表示で、細かいところが分からないものだったので、いろいろ継ぎ足して新しい図としてつくりました。しかしほんとに疲れた。siyajkak2005年5月8日(金)14:44(UTC)

いろいろとアドバイスありがとうございます。たねさんが世界遺産プレートを移動してくださったようです。ところで吉國さんのグレート・ジンバブウェの復刊運動始めました。よろしければ1票をm(_ _)m。siyajkak2005年5月10日(火)13:09(UTC)

火星人……[編集]

フォローありがとうございます.イタリア語はわかりませんが,違うということはわかりました.ちゃんと確認すべきでした.反省. - Marsian / talk 2005年6月8日 (水) 17:58 (UTC)[返信]

ご挨拶[編集]

何時もお世話になっています。突然ですが、あるトラブルに巻き込まれまして、世界の旅の方の活動を止めることに致しました。Harenoさんとの共同作業ができるようになって楽しみが増えた矢先でしたが、残念です。一応、ご挨拶まで。Yosemite 2005年6月10日 (金) 23:07 (UTC)[返信]

編集は続けられているようなので安心しました。また同じ記事を育てることがあるかもしれませんね。イタリアの世界遺産をYosemiteさんがすべて引き受けるということでしたら、私は植民地や地理に手を入れます。Hareno 2005年6月16日 (木) 12:14 (UTC)[返信]

アップロードのお願い[編集]

お早うございます。お願いがあるのですが、よろしいでしょうか。下記の二つの画像:

de:Bild:Skyline travemuende.jpg
de:Bild:Lage der kreisfreien Stadt Lübeck in Deutschland.GIF

を、コモンズにアップしていただきたいのですが… ゆっくりで構いませんから、ぜひお願いしたいと思います。トラブルからは解放されそうですが、私は当分画像にかかわることができませんので。 --Wacsorabeszélés 2005年6月21日 (火) 21:47 (UTC)[返信]

Vacsoraさんは、利用者:Sheynhertz-Unbaygさんですね。最近ウィキペディアにあまりアクセスできていないので、状況が飲み込めていません。それはそうと、リューベックは私も旅行で滞在したことがあり、美しい街だと思いました。当時は東ドイツとの国境の町になっており、後背地を失った結果衰退が進んでいると聞きました。現在は再び活気を取り戻しているのかもしれませんね。
コモンズに画像を上げたことがないため、手続きにあまり自信がありません。とりあえず、Commons:採用基準を読み、この通り実行したつもりです。2番目の画像についてはいったん保留します。画像のライセンスはGFDLになっていますが、ドイツ語版にアップロードしたユーザーのノートページを見ると、別件で新聞の画像を上げたのではないかという問い合わせがあり、ユーザーはこれに回答していません。画像は削除されてはいませんし、とりあえず問題にはなっていないようですが、コモンズの基準はたぶんドイツ語版よりも厳しいと思われるため、用心深くしようと考えております。Hareno 2005年6月22日 (水) 16:22 (UTC)[返信]

返信:画像:植民地主義国.PNGについて[編集]

はじめましてHarenoさん。ご指摘ありがとうございます。Harenoさんの指摘されたとおり複数の時代の植民地が合成されているようです。他にも満州国(1932年成立)とブラジル(1822年独立)の間に至っては110年ものずれがありますし、誤解を受けないように画像の説明を記述しておくべきでした。

ということで画像には注釈をつけました。よろしければ画像の説明文の推考をお願いします。--139 2005年6月25日 (土) 13:24 (UTC)[返信]

すばやい対応ありがとうございます。説明文にどの程度の情報を盛り込むかを考えるためには、とりあえず全世界の植民地の簡単な推移をおさえないといけないでしょうね。アフリカについては調べて連絡いたします。Hareno 2005年6月25日 (土) 15:46 (UTC)[返信]

ビオコ島について[編集]

大幅な加筆ありがとうございます。初版執筆のWaza fireと申します。初めまして。ただいま赤道ギニア関連の記事を充実させようと頑張っておりますが、なにぶん力不足感は否めず…。よろしければ、今後とも赤道ギニア関連の記事の執筆・加筆に参加して下さいね。ではでは(^∀^) --waza fire 2005年7月19日 (火) 03:06 (UTC)[返信]

こんばんわ![編集]

ホットスポット (地学)のノートにコメントありがとうございます。私も地図を見て大地溝帯については知っていましたが、スーダンダルフールとか表題のビオコ島やアンノボン島の記述、そして他言語版というかコモンズから引っ張ってきた分布図にもカメルーンにホットスポットの印があって驚きでした。ホットスポット=ハワイ天皇海山列とばかり思い込んでいたので執筆中にいろいろ発見があって楽しかったです。Siyajkak 2006年5月10日 (水) 14:48 (UTC)[返信]

Aug 2005[編集]

感謝賞で言及していただきありがとうございます。秀逸選考周りは今月特に力をいれていたので、それを認めていただいたのがうれしかったです。Harenoさんも「ルーマニアの経済」をありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。--Aphaia 2005年8月27日 (土) 12:12 (UTC)[返信]

スロベニア[編集]

スロベニアの経済の大幅な加筆ありがとうございます。Harenoさんの加筆に補足する形で、少し経済を加筆しました。Transpassive 2005年10月26日 (水) 16:19 (UTC)[返信]

もう1カ月も前の書き込みに対するお返事になりますが、こちらこそ頭が下がります。スロベニアはWikipedia:ウィキプロジェクト 世界の旅で立ち寄った国です。今回読んだ本の中では『スロベニア』ISBN 456005827X がよくまとまっていました。世界の旅ではどの国にも悲惨な歴史がありましたが、スロベニアは読んでいて感心しました。見習いたいものです。--Hareno 2005年11月20日 (日) 18:07 (UTC)[返信]

Wikipedia:執筆コンテスト[編集]

どうもご無沙汰しています。ほぼ1年前に行われた、Wikipedia:執筆コンテスト第弐回目を開催しようと思います。協力者(運営委員と審査員)の募集やルール決め等で、ご意見を伺いたく思います。(このメッセージは、前回の執筆コンテストでお名前のあった方に差し上げています)。よろしくお願いします。Yosemite 2006年1月28日 (土) 04:41 (UTC)[返信]

わざわざのご返事ありがとうございます。力作のエントリー楽しみにしてます。世界地理関係も何とかしたいとは思っているのですが・・・、落ち着きの無いたちなので、なんか面白い企画でもあれば考えてみます。--Yosemite 2006年3月27日 (月) 16:51 (UTC)[返信]

執筆コンテスト受賞おめでとうございます[編集]

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Harenoさんのボツワナの歴史が見事、分野Aで1位となりました。謹んで、メダルを贈呈いたします。LonelyPlanet 2006年4月20日 (木) 14:51 (UTC)[返信]

ありがとうございます。-Hareno 2006年4月22日 (土) 08:27 (UTC)[返信]

おめでとうございます!Siyajkak 2006年5月10日 (水) 14:49 (UTC)[返信]

P:SLMよりご案内[編集]

どうも、はじめまして。Tantalと申します。

Harenoさんが投稿して頂いたブルネイの歴史をPortal:イスラームの特集項目として紹介してありますので、ぜひ、ご覧になってください。--Tantal 2007年4月3日 (火) 21:09 (UTC)[返信]

ありがとうございます。ですが、イスラームについてはまだあまり触れておりません。ブルネイの歴史をどうまとめたらよいのか、依然、考えております。Hareno 2007年4月7日 (土) 07:18 (UTC)[返信]

暫定ルール[編集]

第3回執筆コンテストでご迷惑をかけています。審査員Tantalです。

一応、暫定ルールを作成しましたので、コメントお願いします。--Tantal 2007年5月12日 (土) 04:02 (UTC)[返信]

第3回執筆コンテストの講評/反省会のお知らせ[編集]

いつもお世話になります。Tantalです。

Wikipedia:執筆コンテスト/第参回執筆コンテスト/反省会Wikipedia:執筆コンテスト/第参回執筆コンテスト/講評において、皆様の意見を募っていますので、ご連絡まで。--Tantal 2007年5月26日 (土) 00:48 (UTC)[返信]

ボツワナの歴史・秀逸推薦に付いて[編集]

こんにちは、初めまして。らりたです。今回、Harenoさんが執筆されたボツワナの歴史を秀逸な記事に推薦させていただきました。Wikipedia:秀逸な記事の選考/ボツワナの歴史に於いて審議が行われていますので、ご一覧いただけると幸いです。それでは短いですが、これで失礼いたします。らりた 2007年5月27日 (日) 05:44 (UTC)[返信]

おひさしぶりです![編集]

Harenoさん、ブルネイの歴史月間新記事賞受賞とボツワナの歴史・秀逸候補へのノミネートおめでとうございます。 セネガンビアの環状列石を加筆したくて、amazon.frで本を注文しました。 Senegalia:Etudes sur le Patrimoine ouest-africain Hommage à Guy Thilmans(セネガリア:西アフリカの文化遺産についての研究/G.ティルマン博士記念論集)です。届いたら、『クラウン仏和辞典』片手に挑戦です。訳すのはもちろん関係部分だけですけど(汗)。今後ともよろしくお願いします。Siyajkak 2007年5月27日 (日) 11:39 (UTC)[返信]

ありがとうございます。ただ、アフリカ関連の歴史書は少なく、最近は東南アジア史全般しか追えていません。セネガンビアの環状列石(この遺跡についてはまったく知りませんでした)は着実に加筆されていますね。見習いたいものです。Hareno 2007年8月11日 (土) 17:21 (UTC)[返信]

お誘い[編集]

9月いっぱいご休養されていらっしゃったので、気づいていらっしゃるか分かりませんが、お誘いです。Wikipedia:秋の加筆コンクールを開催いたします。ぜひ、Hareno様には、審査員として参加していただければ幸いです(執筆コンテスト1位入賞者は、今回は、加筆側に回らないようにお願いしてありますので、第3回執筆コンテストで優勝した私とKs aka 98さんは、審査員として、参加します)。--Tantal 2007年9月30日 (日) 13:54 (UTC)[返信]

お久しぶりです。ノートページのみポーリングしていたので気がつきました。宿題(ボツワナ、ブルネイ)が残ったままでつい腰が重くなっていましたが、よい機会ですので参加いたします。Hareno 2007年9月30日 (日) 14:49 (UTC)[返信]


秋の加筆コンクール関連/最終選考[編集]

どうも、こんばんは。コーディネーターのつもりのTantalです。コンクールもいよいよ佳境に入ってまいりました。レイキャビクさんの危惧に関して、コーディネーターなりの回答を書いておりますので、ご意見をお待ちしております。Wikipedia‐ノート:秋の加筆コンクール#最終選考をご参照くださいませ。--Tantal 2007年11月13日 (火) 13:55 (UTC)[返信]

ご連絡ありがとうございます。Hareno 2007年11月13日 (火) 14:08 (UTC)[返信]

こんばんわ。運営委員の末席を汚していますSiyajkakと申します。1次選考の時はお分かりになっていると思いかえって失礼かと思い、呼びかけをしませんでしたが、どうか最終選考については明日が最終日なのでお越しくださってお選びくださいますようよろしくお願いいたします。私事ですが、Journal of African Archaeology Vo1.3(1),(2),Vol.5(1)を頼んでついこの間届きました。いつになるかわかりませんが、キンタンポ文化ノク文化セネガンビアの環状列石を加筆したいとおもっています。Siyajkak 2007年11月23日 (金) 09:42 (UTC)--リンク貼り付けSiyajkak 2007年11月24日 (土) 13:10 (UTC)[返信]

17日の一次選考の際はどうしてもこちらに書き込むことができませんでした。皆さんには悪いことをしてしまいました。アフリカ研究、私もゆっくりとですが続けています。ボツワナの歴史の選考の際にS Kitahashiさんからコメントをいただいて、その方向で調べ物を続けています。イギリスの植民地行政などを見ております。Hareno 2007年11月24日 (土) 14:43 (UTC)[返信]

Image:Annobon island.PNGには著作権上の問題があります[編集]

著作権の状態が不明です

こんにちは。Image:Annobon island.PNGをアップロードして頂き、ありがとうございます。しかし、この画像(ファイル)には著作権の状態またはライセンスが明記されていないため、著作権上の問題があります。出典とライセンスのないファイルは、1週間後(2004年10月以前にアップロードされたメディアについては2008年3月1日以降)に削除されます。

ウィキペディアにアップロードされるすべてのファイルは、画像利用の方針に従っており、かつ詳細な出典とライセンスが明記されている必要があります。画像の著作権表示タグを参照し、適切なライセンスを表すタグを貼付してください。どうぞよろしくお願いします。

出典とライセンスを明記する際は画像ページにアクセスし「編集」タブをクリックして記載してください。同画像を再アップロードしても記入した内容は反映されません。

重要: あなたがこのファイルの他にもファイルをアップロードされているならば、あなたのアップロード記録を見て、他のファイルにも同様に出典とライセンスが明記されているかどうか今すぐ確認してください。それらのファイルや、今後あなたがアップロードされたファイルに出典やライセンスが記載されていなければ、同様に削除されますWakkubox 2008年1月1日 (火) 07:07 (UTC)[返信]

Image:Bioko island.PNGには著作権上の問題があります[編集]

著作権の状態が不明です

こんにちは。Image:Bioko island.PNGをアップロードして頂き、ありがとうございます。しかし、この画像(ファイル)には著作権の状態またはライセンスが明記されていないため、著作権上の問題があります。出典とライセンスのないファイルは、1週間後(2004年10月以前にアップロードされたメディアについては2008年3月1日以降)に削除されます。

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重要: あなたがこのファイルの他にもファイルをアップロードされているならば、あなたのアップロード記録を見て、他のファイルにも同様に出典とライセンスが明記されているかどうか今すぐ確認してください。それらのファイルや、今後あなたがアップロードされたファイルに出典やライセンスが記載されていなければ、同様に削除されますWakkubox 2008年1月1日 (火) 07:07 (UTC)[返信]

国歌の日本語訳について[編集]

こんにちわ。ノート:ブルネイの国歌での議論の際に、国歌の資料を収集されているとのことでしたので、少し待っていました。 参考文献については、Wikipedia:検証可能性を満たす文献でそれなりに妥当だと思える文献ならば一つあれば十分です。複数の文献を比較検討して最善の訳を決めることは相当大変ですし、一つと言えどちゃんと資料を参考にしたのなら独自研究よりは better ですから。 文献を元に国歌の国歌一覧を修正して、参考文献の節に文献名を書いていただければありがたいです。それを元に個々の国歌の記事を修正したいと思います。Anton21 2008年3月15日 (土) 02:17 (UTC)[返信]