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利用者‐会話:Ironlucky-

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Ironlucky-さんがウィキペディアにおいて実り多き執筆・活動をなされることを楽しみにしております。お互い良い活動をできるようがんばりましょう!--ゆうくん 2008年1月15日 (火) 10:13 (UTC)[返信]

簡単な質問は私の会話ページにしてくださればできる範囲でお答えします。--ゆうくん 2008年1月15日 (火) 10:13 (UTC)[返信]

飛鳥II での差戻しについて[編集]

まず、差戻しにあたりコメントを加えなかったことはお詫び申し上げます。

しかし、貴編集後の文章は、事実に反する(大きな誤解を招く可能性あった)ため、差戻したものです。 事実関係を見ていきましょう。

横浜市港湾局による飛鳥・飛鳥IIの寄港実績を拾ってみました。

  • 1998 - 23
  • 1999 - 17
  • 2000 - 23
  • 2001 - 23
  • 2002 - 30
  • 2003 - 28
  • 2004 - 29
  • 2005 - 33
  • 2006 - 飛鳥 3、飛鳥II 34
  • 2007 - 27

2002年を境に明らかに寄港回数が増えており、これは同年の大さん橋新客船ターミナル供用開始と共に、Ironlucky-さんのおっしゃる優遇措置の効果でしょう。

2006年は突出して寄港回数が多いですが、これは飛鳥II就航に際し、3月に短期のテストクルーズを繰り返したためで、例外と扱うべき年。事実、2007年は2003~04年のレベルに戻っています。

一方、飛鳥の就航末期に於ける東京港寄港回数は年2~3回でした。

2001年以前の23回(1999年の少ない寄港回数の理由は不明ですが、2006年と同様に例外年として扱う)が、2002年以降概ね30回。7回増えたものが全て東京港から移ったものと仮定すると;

  • 2001年以前 横浜 23:10 東京
  • 2002年以降 横浜 30: 3 東京

…となります。(実際には売上の見込める関東発着クルーズの増加傾向あり、神戸・大阪の寄港回数も減っており、7回分全てが東京から移ったものではありません)

このように、2001年以前も横浜が主たる寄港地であったが、2002年以降、更に回数を増やした、というのが実情です。

しかしながら、貴編集のように『着岸料金の半額を横浜市が負担して以降の「旧『飛鳥』の発着港の多くが横浜港であること」』(太字及び下線部分が貴加筆部分)とすると、優遇措置導入後に初めて横浜が最多寄港地になったように読めてしまい、事実と反することになります。

従い、これらの事実関係に基づき、再び貴編集部分を削除しました。

しかしながら、旧飛鳥の横浜寄港回数が増えた、ということは事実ですから、このことを加筆することを妨げるものではありません。

但し、横浜の寄港回数が増えたのは旧飛鳥だけではなく「全体の傾向」であること、そのことは既に同段落冒頭の「2000年代に入って(中略)クルーズ客船の寄港数が大幅に増加した」という記述にて反映済であることは十分ご留意下さい。--なおぞー 2008年1月18日 (金) 01:43 (UTC)[返信]