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利用者‐会話:JuthaDDA/弥生時代 編集中ですので、書き込み、修正に問題があるのは理解しています。

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弥生時代 編集中ですので、書き込み、修正に問題があるのは理解しています。[編集]

もう少し、待ってください。 ご指摘のカ所は、以前の版に明らかな間違いがあったので、取りあえず修正しました。

稲の伝来は、過半が大陸から直接来たとしても、考古学の多くの資料は、半島由来を示しています。しかし、この大量の考古学の資料も、問題があります。

どう扱ってい良いか解りません。その為、抉り入り片刃石斧を、反論できない証拠として、稲のDNAと対比させる形で出しました。

あまり論じると独自研究になりますし、苦慮しています。

ただ、私の前の版には、要出典や要ページ数を貼り付けられておられない。ちょっと疑問です。

とにかくもう少しお待ちください。 お願いします。

集落とか、欠けがあり問題です。--列島会話2021年4月20日 (火) 23:57 (UTC)[返信]

返信 (列島さん宛) 弥生時代 での編集、お疲れさまです。要約欄の書き方が少し誤解を招きうるものだったかもと思います。ほかの貼り付けていない無出典箇所に問題がないという意図ではありませんというのには、以前の版にはそれ以上に問題があるという認識を含意したつもりのものです。とくに{{要ページ番号}}の箇所については、以前の版からの問題点であり、この点について列島さんには全く責はないと考えております。ただ、私も当該記事の編集を予定している関係上、列島さんにもう少し細かく出典をつけていただいたほうがありがたいとも考えており、そういった指摘は後になるとなかなかな反映されないと経験上感じていることから、取り急ぎ当該節のみ指摘させていただいたという次第になります。そういった意図であることをご了承いただけましたら幸いです。
コメント ついでになりますが、細かい編集で相当数の版を消費されていらっしゃる点について、版が多いと後々過去の編集の流れを追うのが大変になりますので、利用者サンドボックスである程度編集を進めてからまとめて投稿していただいたほうがありがたいです。誤りがあるのを早く訂正したいという思いもあるのではないかと推測いたしますが、締め切りなんてないという考え方もありますので、そのあたりもご考慮いただけますと幸いです。
コメント わたしも現在縄文時代の改稿作業を少しずつ進めているところで、お互い集めている資料などで協力しあえるところがあろうかと感じておりますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。--Jutha DDA会話2021年4月21日 (水) 03:42 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。了解しました。つっけんどんで突っかかって申し訳ありません。
私が弥生時代に手を入れ出したのは、基本は次の2点です。
1.稲の遺伝子についての記載が明確に誤りである。
2.項目が分かれていず、時代区分から、いきなり炭素年代法が出て来るなど、混乱し、読む気が起きない。
この2点です。
私は、史料は過去に読みましたが、現在は大量の書物の山に埋もれ、探す事が出来ません。従って、本来手を出してはいけないのですが、少しは読みやすくできるかと考えて修正を行っておりました。
改良される方がおられれば、私の出る幕は無く、これで、基本終わりにします。
後は、お任せしたいと考えております。
無責任なようですが、私が独自に書いた部分はあまりなく、その関連は、責任があります。本をひっくり返すのも面倒(いい加減)なので、コロナが収束するワクチン接種があらかた終わる、秋に図書館に行き、該当箇所にページを書き加えます。予定、いい加減で申し訳ありません。
墓制や集落の構造や、環濠集落の構造など、改良点は多くある、まだまだよくなるとは思っております。
しかし、一応これで手を引きます。Jutha DDAさんの、さんづけですみません、改良を期待しております。
どうもいい加減な性格で、すみません。
ご指摘の方法で、ある程度まとまってから、書き込むようにいたします。まあ、1年位先でしょうが。年寄で、その時にまだ生きているか、
丁寧なご指摘、ありがとうございました。
失礼いたします。--列島会話2021年4月21日 (水) 09:02 (UTC)[返信]

意見を翻して申し訳ないのですが、以下を弥生時代につて書きます。[編集]

2~3日して、弥生時代に追加します。 一応、ご指摘のサンドボックスを使用しました。

縄文時代の書き込みでかなり抜本的に書き換えられておられますので、私の書き込みも、よりよく改善されるものと期待しております。

なぜ書くのか、まあ、個人的理由です。 断片的に書き込みましたが、私なりの構想があり、ここで切るのは、不完全燃焼で、ちょっと耐えられません。 そこで書き込み、その後の修正消去を待つことにしました。これについては私は全く気にせず、むしろ期待しております。繰り返しになりますが。

数日したら弥生時代に書き込みます。それまでに、書き込みされてもかまいません。もし、私の予定の書き込み部分が無い場合には、欠けの部分だけを、追加する予定です。

以上です。

なお、支石墓や、前方後円墳に至る墓制の変遷もあります。これについては、まだまとまっておりません。どうするかは分かりません。

いずれにしろ、私よりはるかに完全で、知識も深いようですぅので、最終的なものはお任せいたします。 以上です。

環濠集落と社会[編集]

弥生後期から、特に弥生中期大規模な環濠集落が発展した。 以下、環濠集落のあり様を、小規模を含め見て見る。

環濠集落の構造[編集]

大きさとあり様

発掘遺跡の住居跡の戸数が数十戸と多くても、同時代での生活を共にする戸数は少なく、2~3戸であたり10戸に満たない事が多い。 水田の近くに、住居跡がみられるのが普通で、静岡の登呂遺跡では、水田のそばの土手に、水田に平行に住居が並んで建てられていた。これらも環濠集落として構成され、周りに溝と土手が設けられた。[要出典]

クニの首都としての環濠集落[編集]

これは小規模な例だが、大規模な環濠集落も多くあった。特に前期末から特に中期以後、大規模な構造を持ち、地域の中心と見られる環濠集落が発展した。それは、小さいながらも、次第に発展していくクニの首都の役割を果たしていた。[要出典]

大規模環濠集落の構造と階層の分化

集会所か、宗教儀礼所の役割を果たす、大きな建物が、環濠集落の中心にあり、また、金属器や石器や玉類の手工業者の作業跡が集まる場所も環濠集落内にあった。この様な環濠集落が、北九州では見つかっている。そこでの墓所には、大量の鏡や玉類が見つかる例があり、そこには、王に相当する地位にある者が埋葬されていた。[要出典]

女性首長

この埋葬物から、ネックレスなどの装飾品が多くある場合、この墓制の主は女性であると推定されている。

同一社会からか首長の支配へ[編集]

この様に階層分化が進んでいた。そして、やがてふたつの大きな変化が尾と付れる。 首長の館の出現と、墓が大きな塚となり、一般の覇かとは別の場所に移る事である。これが古墳、特に前方後円墳の前兆となる。[要出典]

首長の館も環濠集落を出て、周りに溝を巡らし、策を設けて、独立して行った。



外部施設 支石墓など[編集]

これは、墓の部分に対する追加です。

縄文時代の支石墓

支石墓は朝鮮半島の墓制で、弥生の開始の前に、九州の北西にまず出現している。この支石墓の主は、漁撈者か、畑作を行う人々と考えられている。

この時代よりさらに遡って、漁業は、朝鮮半島中南部から九州を中心とした西日本にかけて大型の魚を取る漁具が共通して見られている。この様に、大型魚の漁業は縄文時代から発達していた。

この漁具は、縄文時代の初期に、日本の中部地方で発見されているが、それ以後見つからず、やがて朝鮮半島で多く見いだされ、それに続いて九州にも多く出現するようになった。

いずれにせよ、朝鮮半島から西日本からなる、漁業圏があったか、漁業の技術の交流があったとされている。この漁業者が、支石墓を取り入れたと推定されている。その理由は、支石墓だが、その内部に縄文時代の特徴的に甕棺が収められていたからである。[要出典]

弥生時代の支石墓の広がり

--列島会話2021年4月22日 (木) 19:55 (UTC)[返信]

返信 (列島さん宛) 私の弥生時代の編集予定につきましては、おそらく縄文時代が一段落ついてからとなり、先に日本列島の旧石器時代などに進む可能性もありますので、列島さんが先に編集なさることには特に異存はございません。ただ、加筆の際にはしっかりと出典をつけていただくよう、改めてお願い申し上げます。正直なところ、私は縄文時代については全くの素人で、日本史の知識が断片的でしかないとの思いから、石器時代から順に勉強し直しているところです。そのような私でも、無料で公開されている論文などをCiNiiGoogle Scholarで探す手間などを惜しまなければ、それなりに形の整った記事を執筆できるはずだとの思いを持って編集しております。ですので、おそらく記憶ないし覚書のみを頼りに上で示されているような内容をお書きになることのできる列島さんであれば、より適切に出典を用いた編集ができるのではないかと存じます。
コメント なお、こちらのページやノート:弥生時代の方に改訂草案を掲載なさっていますが、議論の見通しが悪くなりますので、利用者:列島/sandbox(別途利用者:列島/弥生時代などの当該記事専用の下書きページを作ったほうが適当かもしれません)にリンクを張るという方法を採られることをお勧めいたします。また、勝手ながら見出しレベルを調整させていただきましたので、ご了承ください。--Jutha DDA会話2021年4月23日 (金) 08:24 (UTC)[返信]

弥生時代で、編集合戦になりそうなので、助けてください[編集]

聖今上氏による消去

1.ページの書き込みを消去   -5825

2.ノートの書き込みを消去  −3,429

どう対処して良いか解りません。

議論はありません。 --列島会話2021年5月15日 (土) 19:54 (UTC)[返信]

書き込みの場所を最後に移動

--列島会話2021年5月15日 (土) 20:00 (UTC)[返信]

私に非があれば、身を引きます。 --列島会話2021年5月15日 (土) 20:14 (UTC)[返信]

聖今上氏による書き込み[編集]

私はブロックされた人ではありませんが、あなたは多重アカウントの不正使用していませんか?在日社会とか青鬼なんとかさんが良く言ってましたけど。私が要請するのでお互い調査してもらいましょう。むしろ出典はない、見たいものだけみる、事実を曲げているのはあなたではないですか。--聖今上会話2021年5月15日 (土) 19:52 (UTC)[返信]

--列島会話2021年5月15日 (土) 20:34 (UTC)[返信]

在日は、雑誌、東洋経済が書いていたものを巣のまま引用しました。 確かにまずかったかもしれません。

失礼します。

今回は、慌てて、下書きは使用しませんでした。他は、下書きを使用しております。

非があれば、止めます。(ブロックを読みました。ブロックされれば、止めるも何もありませんが。)

--列島会話2021年5月15日 (土) 20:38 (UTC)[返信]

Gofukuji氏にもお願いしました。

議論できる相手ではないと、判断しています。 一応謝罪はしておきますが、議論になりません。

判断お任せします。

--列島会話2021年5月15日 (土) 20:59 (UTC)[返信]

ノートは戻されました。ページは消去のまま[編集]

弥生時代のノートに書いていたら、編集競合とあり、この時、聖今上氏が、消したものを元に戻されたようです。

言いたい事はありますが、止めます。

ただ、ページの消去はそのままです。 今のところ。

ノートの消去は話になりませんが、元に戻されたので、一応議論します。私の書いた、1/20です。具体的な指摘0.一切努力しない、この様に見えます。

失礼します。

--列島会話2021年5月15日 (土) 21:33 (UTC)[返信]


--列島会話2021年5月15日 (土) 21:33 (UTC)[返信]

返信 (列島さん宛) 内容について精査する余裕がないので、ひとまず形式的なところについてのみ述べます。ノート:弥生時代とどちらに書くか迷いましたが、記事の主題とは直接関係がないので、ひとまずこちらにて返信いたします。
コメント まず、列島さんのノート・ページ(以下、利用者 - 会話ページも含む)の書き方は、非常に読みにくく、また議論にも参加しにくいです。たとえば、過剰な改行・強調や節を挿入があると読みにくいです(逆にあまりに改行がないのも読みにくいですが)。過剰な見出しの挿入についても、どこに返信すればいいのかわかりづらく、議論の流れを追いにくくなるのでやめてください。前提としてノート・ページは演説のページではなく議論のためのページと捉え、ほかの利用者が議論に参加しやすいよう、要点を絞って書くようにしてください。ほかのノート・ページでは(たとえばかなり議論が紛糾していたノート:Whataboutismノート:河瀨直美でも)、各利用者は議論の流れがある程度追いやすいように形式を守って発言しており、列島さんのように一人で広いスペースを使うような書き方はしていない(一部例外的なケースはありますが)ので、ご参照ください。
コメント また、複数のノート・ページに同じ内容を書き込まれるのもご遠慮いただきたいです。リンクによる誘導で十分に目的は果たせるかと思います。場合によっては不適切なフォーラム・ショッピングであるとみなされることもあるのでご注意ください。
コメント 続いて、これが論点の中心になるかと思いますが、先日もご指摘したように、ちゃんと出典を示したうえで加筆・編集するようにしてください。ノート:弥生時代において要出典とつけるのが筋であるとおっしゃっていますが、Wikipedia:検証可能性では出典のない記述は除去されても文句は言えません出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありませんとされています。Wikipedia:スタイルマニュアルHelp:ページの編集を十分にご理解いただけているとは思えない編集も見受けられますので、再度各種方針・ガイドライン・Helpなどにしっかり目を通されるようにお願い申し上げます。
コメント ノート:弥生時代においては私がこれだけ努力しているのだから、あなたも努力してください。ともおっしゃっていますが、上記を踏まえると列島さんも資料の調査や推敲などにおいて十分に努力なされているとは思えません。あまりこのようなことは言いたくないのですが、十分な調査や推敲を経ていない編集を見ていると、たとえば「議論の決着を見ていない」という一文を探すために複数の文献に当たるような自分の努力が虚しくなってきすらします。ほかの方の編集(こちらについては精査していないので適否の判断は保留しますが)について云々される以前に、列島さんご自身の編集や議論における姿勢を見直されることが必要ではないかと存じます。
ひとまず以上です。--Jutha DDA会話2021年5月16日 (日) 01:47 (UTC)[返信]
項目化しました。可否をお願いします。
0.概要:最近投稿しなかったのは、書く予定の物を下書きに書き、文献も集めていたからです。しかし、今回は、あまりにひどい書き込みで、すぐ直しました、今では。まずかったと考えております。(ご指摘通り、落胆させるものです。)、読みにくいのも、その為です。申し訳ない。
1.ほかの利用者が議論に参加しやすいよう、要点を絞って書く   ノート:Whataboutismやノート:河瀨直美  参考にします とりあえず。
2.過剰な見出しの挿入  弥生時代は、私の編集前は、C14年代法とか、が、年代の中に、見出しもないまま、書き込まれていました。それで、見出しを増やしたのですが、まずかったのでしょうか。
3.リンクによる誘導で十分に目的は果たせるか  その手がありますか、了解しました。
4.ちゃんと出典を示したうえで加筆・編集する 0.概要で書きましたが、まずかったと考えています。
  1,ただ、今回も、出典はきちんと書いております。出典を基に書いております。(今回、文献の調査数が足りないのは事実です。)
  2,概要に書きましたように、今回以外は、下書きで書き、文献を十分に集めています。墓とか、集落とか、ノートで書いたものを集めています。コロナで私は外出できず、老人、当面は収拾は難しいですが。
     Wikipedia:スタイルマニュアルやHelp:ページの編集  そうですね、読んでも良く分からない。ちょっと読む気が起きない。もう一度見て見ます。方針・ガイドライン
  3.列島さんご自身の編集や議論における姿勢を見直される  実行しています。今回は早まりました。
私からの話、1例です。今回問題にした書き込みについてです。
1.佐藤洋一郎の稲の遺伝子は有名です。山東半島など、日本の遺伝子率はA40%、B50%、その他10%です。Aは朝鮮半島には無い。B他は、山東半島にも朝鮮半島にもある。しかし、この残り60%がすべて朝鮮半島であり、山東半島由来は、Aの40%だけだ。あり得ない主張です。
2.さらに、この文に続き、改行なく、農具はすべて朝鮮半島の物で、山東半島からの農具は一切ない。しかし、稲の遺伝子と同じで、抉り入り片刃石斧(正式名称ではない)だけが朝鮮半島で、他の石器は、朝鮮半島と山東半島両方に共通しています。抉り入り片刃石斧以外の石器が、すべて朝鮮半島由来とする根拠は、無いのです。もちろん、考古学会の主流は、朝鮮半島由来としますが、朝鮮半島由来を主張する本を読んでいますと、抉り入り片刃石斧を根拠にし、他の証拠を挙げていません。確かに、
  2.1.大部分の考古学者は、朝鮮半島由来と考えています。しかし、樋口教授などの様に、山東半島から来たとする考古学者も少数ながら、います。
  2.2.同様に、朝鮮半島から来たとする農学者、文化人類学者もいますが、文化的な農学的な観点から、大陸から直接来たとする意見が主流です。
まとめ、言いたい事
A. 根拠ない断言、そこで書くべきでない事を書くプロパガンダ、この人の、書き込みはこれだけです。あくまで私の見解ですが。以下、具体例です。
1と2にある様に、山東半島、朝鮮半島共通は、すべて、朝鮮半島だけで、山東半島からはゼロ、で皆無、こう断言する。他にも目に余る。交易と関係ない土器の系譜を持ちだし、主に西日本に分布する無文土器を全国とし、交易の項目で持ちだす。交易に関係ない土器を交易のところで書く。目に余ります。土器の系譜は土器の系譜で論じる。でないと、まるで全国に朝鮮半島からの交易をおこなう人が来ていたかに読めます。書くべき場所が違います。土器の系譜論で書くべきです。要は、朝鮮半島の文化がいかにすごいかの宣伝をしているだけ。他の弥生時代に関する記述は皆無です。プロパガンダでしょう、プロパガンダ、その内容は、こう言う行為を述べています。
B. 私の側の文献  (墓や種落は文献を集めています、それ以外について)
1.今回の文献は述べました。省略
2.系譜についてだけ述べます。
  2.1.繰り返します。系譜は系譜で独立させる、交易は交易で独立させる。それをゴチャゴチャに書くのは、宣伝でしかありません。系譜その物の問題を次に述べます。
  2.2.系譜についての私の以前の書き込み、まことに不十分です(ただし、弥生時代については、私は見出しを加えた程度しか行っていません)。書いたのは、せいぜい系譜だけです(記憶)。系譜については、藤尾慎一郎の論文しか、挙げていません。もちろん、弥生の書物とかは、読みましたが、一般向けの弥生時代の解説書で、結論があるだけです。分析の根拠となる、事実、論理が解らない。素人向けで、批判に耐える様なものでなく、検証、判断しようがありません。もっともWikipediaは、権威ある人がこう言っている、それがWikipediaであるのかもしれません。しかし、これでは私はウィキペディアで文を書けません。以下、その理由です。あくまで、私見です。
  権威ある人は、大勢います。まったく反対の立場があります。その場合、事実や論理の筋立てを、読み込み、見い出し、その見出した論理で両者を書いていく。両方をその異同を示しながら。これしかないでしょう(あくまで私見です、Wikipediaの方針に反するかもしれません、そうであれば、私は引くしかありません、Wikipediaの基準は不十分であると考えています。私は身を引くべき。私の意見ですが、論理を見極めなければ、Wikipediaを読む人が、理解できない、その違いの根拠が解らないからです、読んでも、結局、理解出来ず、そのうち忘れてしまう。こう言う視点で、もう一度、自分自身(列島)を弁解します。私は、藤井の説をその論文の内容を主に書きました。一方の立場でしかありません。確かに、見解の一方(藤井)だけです。当然、反対の立場も書かねばなりません。反対の立場も読んでおります。ただ、10年くらい前で、メモも取らず、誰の説だったか、どういう事実、論理で書いているか、ほとんど覚えておりません。藤井の論文は、ネット上で見れます。確かに、ご批判の前は、ひとつの文献で書いていました。それが今も残っています。ただ、それで放置するつもりはなかった。前にも述べましたように、反対の立場も、順次書き加えています。(確かに不十分で、消すべきかもしれません、消すべきと判断されるなら消します。それに異存はありません。私が判断すべきことではありません。)(補足、文化圏とかも書いています。藤井の文献です。)
  要は、文献について、ひとつでは足りないとのご批判はごもっともです。私自身も、自覚はあり、順次追加していた。ただ、半年放置する例もあります。確かに問題です。ただ、学問も進歩していく、従来の定説がh帝される事も多々あります。10年もすれば、真逆になる事も多くあります。まあ、弁解にしか過ぎませんが。おっしゃる通り文献は、大量に集め、その上で書く。確認いたしました。
3.系譜についての補足
  私の立場も偏っていますから、不偏不党ではない、それが弥生土器の系譜に現れているのかもしれません。ただ、自分では抑制しているつもりです。基本こうです。抑制の一例が以下です。弁解です。1例を挙げます。水田稲作は、山東半島から、朝鮮半島中部に渡った。それが東と南に延びた。しかし、水田は見つかっていない。すべて畑作とされていました。今は知りません、10年くらい前まではこうでした。そして、炭素年代法がでた(順序は逆)。その年代では、弥生早期の菜畑の遺跡の年代が、朝鮮半島の南岸の遺跡より100年くらい早い(誤差はありますが、あまりにはなれています)。今は解りませんが、当時はこうでした。市囲では、水田は日本の北九州から朝鮮半島に渡った(山東半島→北九州→朝鮮半島南岸)、市囲にはこう言う説もあります。
  この説と同様、わたしも、弥生時代の炭素同位体の本で、この年代差を知った時、日本から渡ったと考えるしかない、そう考えました。しかし、考古学者でこれを主張する人はおられません。まして、考古学の主流では、そんな話は無い。以下、日本から渡ったと考える理由を書きます。なぜ渡ったかと私が考えたかと言いますと、農業は非常に保守的で、環境が変わっても、農業技術を変える事は無い。これは、農学の大原理です。ところが、朝鮮半島では、稲作の南下とされても、見つかるのは、畑しかない、農業技術は保守的である(食べるものを普通は変えない、別の農業技術体系を簡単には生み出せない)。ですから、朝鮮半島での畑作の南下をもって、水田稲作の南下とする説にはもともと疑問を持っていました。そこに、炭素年代法が出て来た。だから、水田は日本から朝鮮半島に伝わったとその炭素年代法の本を読んだ瞬間、考えたのです。この他に、朝鮮半島の地形の問題もあるのですが、止めておきます。
  以上は、あくまで、考古学資料をじかに見ない、また発掘報告書を読まない、私の考えです。そして、考古学者で大陸→日本→朝鮮半島を主張する人はいませんし、まして、主流派は朝鮮から来たの1っ点張りです。2~3割くらい、北九州から朝鮮半島南岸の説があれば、その説を書くことは出来るでしょうが、誰一人、いや反主派となる流れもない、到底書くことは出来ません。一切書いておりません。
以上、私の立場、抑制について書きました。要は、週¥流派だけでなく、反対の核をも書いていくと言う事です。私の立場です、まとめます。
  1,以前は、文献ひとつで書いていた(多く読んではいますが、--Jutha DDAさんに比べれば、一桁少ないでしょうが)。自覚はあり、いずれ複数を書く(いつだと言う批判はあり得ます)
      ただ、論文は、反対の立場にも普通言及します。ですから、ある程度は解りますが、反対の立場の論理や根拠は読み切れません。複数がおっしゃるように必要です。
  2.今はご批判を受け、文献を集めています。、
  3.今回は、あまりにひどく、急いで修正しました。ご指摘に反しました。(書き過ぎた点はあります、ただ、文献は数個ですが、文献を基礎にしています。)
  4,私の私見は、書かない様にしています(例、稲作の伝搬)
  5.補足  私は、一般向けの本はあまり価値が無いと考えています。その理由が以下です。本は、その学者の結論を示すだけです。論理展開が論文に比べあまりに弱い。事実の検証も、素人向けでほとんど価値が無い。これらから、論文を集めた専門書は別ですが、私は本にはあまり重きを置きません。炭素年代法、遺伝子解析は、別です。異論が多く出されていますが、ようは、考古学者と言えど炭素年代法、遺伝子については素人。です。私の文献は、炭素年代法と遺伝子以外は、論文が主です。私以前の書き込みの修正には、以前の本をもちろん残していますが。
4.繰り返しですが、結論  私が批判する書き込みについて
  学術はもちろん、普通の人が絶対やらない、無茶苦茶な議論しかない。(勝手な都合の良い身勝手な解釈、別の論証の筋を都合よく挿入する。)こう言う事です。編集合戦になるので、もう私は手を出さないつもりです。ただ、あまりにひどい。
余分ですが、
1.Wikipediaへの参加
私が過去に弥生時代に手を出したのは、1.明確な誤りがあった事、2.交易、墓制、集落について、大きな欠けが見られた事(政治の流れも、かなり問題があった)、その為、弥生の立体的な像が、Wikipediaの記述では、浮かばない事です。まあ、配列がちょっとおかしいとか、論理が散在しているとか、そう言う修正はしました。しかし、修正し切れておりません。私の書き加えた項目が多すぎる、事実でしょう。
2.項目について
  論文では、項目はそんなに多くありません。ただ、論文の本論では、細分されます。何を言っているかと言いますと、Wikipediaでは、ページが多くの論文の集成、寄せ集めであると言う事です。項目を少ないくすると、読む前も、読んでいても、何が書いてあるか読み終えるまで、わかりません。私はちょっとよ三木が起きませんでした。これが第一点です。
  第二点、以下、提案なのですが、目次を、大項目の目次と、中項目の目次に分ける。中項目の頭に、その項目の目次を置く。
    もしくは、目次を==の数が3個以下にしてしまう。こうすれば、目次は増えません。これは--Jutha DDAさんのご批判とは関係しない事にしか過ぎませんが。
終えるにたたっての、再確認
 1.文献をきちんと調べ、下書きで文を練る。最終の完成形を投稿する。
 2.ぶち切りにしない、間隔を開けない。
 3.文章が読みにくい、これは良く言われます。まあ、私などが、文章下手が書くべきでは無いのかもしれません。
お願い、
 1.この書き方で良いのか、多少は読みやすくなったのかお教えください。ぜんぜんダメ、これでも構いません。その方が私にとってはありがたい。実際には読めたものではないのに、良いと祝えれば、そのままになってしまい、向上は望めません。
 2.--Jutha DDAさんにお願いする事ではありませんが、無茶苦茶な書き込みをどうすべきか、今すぐではありませんが、もう少しして改善が見られないなら、対策の筋道、要はどこに訴えるべきか、お教え願えないでしょうか、あくまで将来です。私としては、これ以上、問題と考える人と、議論しません。行動から判断して、時間の無駄です。打開策は無い。現状の私の立場です。
  文章、構成は、十分練れてはおりませんが、以上です。
  
  
  --列島会話2021年5月16日 (日) 12:41 (UTC)[返信]
ご指摘のサイトを見ました。ご指摘良く分かりました。書き直します,明日か明後日、になるでしょうか。ホント長すぎます。
失礼します。、--列島会話2021年5月16日 (日) 12:48 (UTC)[返信]
やめます。論争になると常に、自己の書いた物を撤去した、
明らかに酷い物ですが、私は止めます。--列島会話2021年5月19日 (水) 09:47 (UTC)[返信]