利用者‐会話:Kybuno
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賀茂氏項目の著作権侵害懸念について
[編集]賀茂氏#備前鴨(加茂)氏における、Kybunoさんのこの編集ですが、内容が「玄松子の記憶」に酷似しています(わずかに改変されていますが)。ひとまず著作権侵害懸念として、著作権問題調査依頼に諮ってみる予定です。何か問題などありましたら、当ページにご回答ください。--Snap55 2010年6月2日 (水) 15:27 (UTC)
- 当該部分の出典を明示頂きましたが、著作権侵害の懸念を払拭できませんでしたので、著作権問題調査依頼に諮っております。ご確認ください。--Snap55 2010年6月4日 (金) 16:12 (UTC)
宇喜多一ケイについて
[編集]宇喜多一ケイにSDを貼られていますが、理由が「漢字表記人名の姓名間の空白」になっております。空白がないように見えるのですが。--竹麦魚(ほうぼう)(会話) 2016年9月16日 (金) 10:48 (UTC)
質問です
[編集]宇喜多秀規の記事の内容を更新されてますが、『宇喜多秀家年譜』(大蓮寺所蔵)という史料をKybuno氏はどうやって閲覧したのでしょうか?? 寺に行って現物を見てきたということなのでしょうか。それが一般公開されてるのかどうか知りませんが、検証可能性を一旦不問にするとしても、Kybuno氏が書かれた初版の内容と180度異なる内容(要するに説明が別人になってる)への変更なので、どういう経緯で最初の情報が間違ってると気付いたのでしょうか? 内容が変わったのに参考文献を同じ『系図纂要』としているのも不適切です。記事の内容が変わったのに同じ文献を参考資料とできるはずはないのですが・・・。
仮にですが、書籍資料を見て書いているがその書籍に原典が『宇喜多秀家年譜』と書いてるからそういう風に表記しているなら、出典の表記方法が間違っています。出典には記事の内容を裏付ける実際に参考にした文献の書籍情報を書く必要があります。その書籍が参照する原典情報ではなくて。(Wikipedia:出典を明記する)
--Quark Logo(会話) 2016年11月6日 (日) 05:12 (UTC)
史料の内容と異なる件
[編集]『系図纂要』には「秀規 八郎 従五下侍従 慶長八年同父配流ニテ八丈島」とだけあります。これで全文です。越中浮田氏だというのなら、Kybuno氏が挙げている『宇喜多秀家年譜』の内容とは矛盾しているはずです。
『系図纂要』の内容は、『岡山市史』に八丈年代記に「秀矩」、海島誌に「家矩」、或誌に「家親」、古文書又系図には「孫九郎秀高」としてると書いてあり、同一人物だと考えられる。
- 岡山市 編「国立国会図書館デジタルコレクション 宇喜多秀家史料」『岡山市史. 第2』岡山市、1922年 。
Kybuno氏が新たに書いた越中浮田氏が、誰で、『宇喜多秀家年譜』になんと書いてあるかですが、『系図纂要』で書かれている人物は秀高のことと推認され、島に行ってないということなら、越中浮田氏とは関係ないと考えざるえません。史料の合成は、独自研究にあたります。越中浮田氏の人物が「秀規」と書いてあるのか怪しいところですが、それはそれ、これはこれで分けて考える必要があり、『系図纂要』を用いたと思われる部分は削除します。--Quark Logo(会話) 2016年11月7日 (月) 04:44 (UTC)