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利用者‐会話:MANAM

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MANAMさんがウィキペディアにおいて実り多き執筆・活動をなされることを楽しみにしております。--ロボットAlexbotAlexshによる自動操作 2010年8月5日 (木) 14:26 (UTC)[返信]

 朝日新聞 [編集]

MANAMさんは、以前のIP編集者の修正部分をそのまま維持しようとする編集に見えますが、同一人物ですか?大量編集を理由無くやれば、リバートせざるをえません。継続して編集されるなら、IPを含めて同一性を宣言し、議論に加わってください。Nakata88 2010年8月5日 (木) 14:35 (UTC)[返信]

大量修正を理由無くやればリバートするというのはウィキペディアの方針ですか?完全に無関係の修正個所の方が多いのに、全て差し戻すのは乱暴だと感じました。あと、そのIP編集者は私です。--MANAM 2010年8月5日 (木) 14:41 (UTC)[返信]

大量修正を理由無くすればリバートも許容されやすくなります。IP編集者ならなおさらです。理由を説明しない編集は荒らしと区別できません。IPで編集される場合も、基本的に編集理由を書いて編集してください。なお、冒頭の説明ぶんについては、朝日新聞をリベラル派だとする主張は、独裁国家である中国との蜜月関係からいって、大きく毀損されてます。一方だけ残すことはすでにNPOVではないので、反対です。他についても、大きく移動する理由が不明です。編集理由を明示してください。Nakata88 2010年8月5日 (木) 14:49 (UTC)[返信]

リバートについては承知しました。編集理由は欠かさないようにします。
リベラルに並列させる言葉が「反日ファシズム」や「媚中」とはまた穏やかではありませんね。これは誹謗中傷のレベルですよ。まぁ、あなたの言いたいことも分からないではありません。いっそのこと、「左派」だけにしたらどうです?--MANAM 2010年8月5日 (木) 15:00 (UTC)[返信]
  • リベラルを削った編集をしたことがあるんですけど、ソースがあると削れないといってだめでした。したがって、ソースがある文章を付け加えることで中立性を確保せざるをえなかったのです。実際問題、現状では朝日新聞をとうていリベラル派とは呼べないと思います。むしろ独裁派と呼ぶべきだと思いますが、そういうソースは未だないようですので、ああいう文章になってます。その他の編集についても大規模に一挙に理由を明示せずされるのは判断がオールオアノットになってしまいますので理由付きで厳密にやってもらうとありがたいです。Nakata88 2010年8月5日 (木) 15:06 (UTC)[返信]
なるほど。あなたのご意見にも一理あるように思います。ただ、さすがにリベラルを打ち消すために反日、ファシズム、媚中はちょっと行き過ぎかと思うので、もう少しやわらかい感じにできないでしょうか?
大規模編集については了解です。小分けにしてやってみます。--MANAM 2010年8月5日 (木) 15:13 (UTC)[返信]
  • もう少し軟らかい表現にソースが付いているなら、それで編集していただければ問題ない場合が多いと思います。ただ、ウィキペディアはソースが必要で主観では編集できません。日本では敗戦国であることからも保守派の議論が歴史的に弱く、特に戦後は左派が強かったために、ソビエト崩壊後もまともな左派批判が生まれていないので、なかなか難しいです。東アジアにのこる、中国の独裁とか、北朝鮮の独裁とか、朝日新聞とかは一種のアンシャンレジームだと思うんですが、朝日新聞は未だに部数は一千万部近くありますし、なかなか難しいです。どうしても批判している人たちの言葉は罵倒的なのが多くなるのはそのような現状をばかげてると思ってるからでしょうし、それはある程度仕方ないのではともおもいます。いずれにしろ同じ意味でソースがあれば異論はあまり生じないと思います。ソースを探していただけるとありがたいです。Nakata88 2010年8月5日 (木) 15:22 (UTC)[返信]
あなたのお考えは承知しました。ただ、やはりリベラルに対応するのは保守であり、反日・ファシズム・媚中で打ち消し合う関係にあるとは思えません。この場合のNPOV云々は「朝日はリベラルじゃない、保守だ」という議論だと思います。保守・リベラルはただの政治的姿勢・思想であり、それら自体は本来、ポジティブな意味もネガティブな意味も持っていないはずです。そのため、かみ合っていない2つの文章(朝日は左派・リベラルだが反日・ファシズム・媚中)が1つの段落に並列している状況に違和感を感じたのです。そして、反日云々は誹謗中傷の類なので、「批判」の方が相応しいと考えたのです。「朝日は左派だとされている。リベラルとの評価もあるが、異論もある」くらいの表現にして、反日云々は「批判」に移動するというのは納得頂けませんか?
ソースは探してみます。ただ、あまり期待しないでください。--MANAM 2010年8月5日 (木) 15:45 (UTC)[返信]
  • 「朝日はリベラルじゃない、保守だ」と書かれていますが、リベラルの対義語は保守ではありません。自由主義(リベラル)の反対語は独裁主義です(ちなみに、保守の反対は革新です)。また、リベラルもかなりの様々な概念を含んでいて簡単ではありません。この間違いはちょっと大きすぎるので、MANAMさんの編集能力がかなり疑問です。また、リベラルという評価がおかしいというソースを加えるのは、NPOV(中立的)な表現にするならリベラルを本来削除するべきだったがソースがありできないからという趣旨だというのは前述しました。独裁国家と蜜月関係にある自由主義新聞なんてものが欧米とかにあると思いますか?形容矛盾ですよね。あるいみ。まあ、敵の敵は味方みたいなことはありそうですが。したがって、そのような記述は了承できません。また、すでにいったことを無視されてしまうと、MANAMさんの論理能力もちょっと疑問符が付きます。なお、別に疑問符がついてもソースある記述なら削除対象じゃありませんのでソースを探してくることをお願いします。Nakata88 2010年8月5日 (木) 16:06 (UTC)[返信]
自由主義の反対語が独裁主義であるというソースを提示してください。
繰り返しますが、かみ合っていない2つの文章(朝日は左派・リベラルだが反日・ファシズム・媚中)が1つの段落に並列している状況がおかしいのです。あなたは自由主義の反対語は独裁主義だと仰いましたが、そうであるなら、文章の中立性を保つためには独裁主義について言及するのが筋ではないでしょうか?上で述べられているように、そのソースは無いようですから、ここではあなたの言うところの中立性は確保できないでしょう。--MANAM 2010年8月5日 (木) 16:26 (UTC)[返信]
  • いいえ、ソースがある文章はそれぞれが一つの立場を表しており、それぞれが矛盾していてもそれは多数の見方を紹介する点でウィキペディアではよりよいことだとされています。あなたは、ウィキペディアの編集原則を理解されていません。特にWP:RSを読んでおいてください。また、自由主義の反対は独裁主義だと言うことについては、常識ですし、ノートではソースは要求されません。辞書をひかれることをおすすめします。必要なのは本文についてのソースです。また、独裁主義の記述を朝日新聞について展開されているソースがあるならそうしています。ないからああなってるわけです。Wikipedia:独自研究は載せないの項も読まれることをおすすめします。Nakata88 2010年8月5日 (木) 16:34 (UTC)[返信]
>ソースがある文章はそれぞれが一つの立場を表しており、それぞれが矛盾していてもそれは多数の見方を紹介する点でウィキペディアではよりよいことだとされています。
この部分について、どこに書いてあるのですか?
また、それぞれが矛盾していても複数の意見を載せるのは、ある物事(今回はリベラルの是非)について多面的な見方ができるということを説明するためでしょう。今回は朝日がリベラルだという記述に問題があって、その中立性を確保するためにリベラルの反対語(だとあなたが仰る)の独裁主義とは直接関係無い記述を持ってきていることに問題があります。
>ノートではソースは要求されません。
これについても、どこに書いてあるのですか?
自由主義の反対語が独裁主義なのは常識とのことですが、あなたがご自身に都合の良い解釈をされている可能性を否定できません。リベラルの概念と同等かそれ以上に複雑な関係ではありませんか?他人の編集能力と論理能力に疑問を投げかける前に、ご自身の理論武装の背景を証明してください。--MANAM 2010年8月5日 (木) 16:45 (UTC)[返信]
  • まず、全部読んでください。その上でお話ししましょう。あなたはまだ読んでいないので本来、ウィキペディアの編集能力がない状態です。なお、リベラルだろうとなんだろうと本文はソースがあれば書けますし、ソースがなければ書けません。そのことはWP:RSに書いてあります。また、ノートには議論ですからソースはいりません。それは要求されていないことから当たりまえです。ウィキペディアの編集原則については私が付け加えることは本来妥当ではありません。少なくとも該当箇所を読んでから対話を呼びかけてください。では失礼します。Nakata88 2010年8月5日 (木) 17:00 (UTC)[返信]
書いてないから尋ねているのに、その捨て台詞はあんまりですね。それでは、議論は終了ということで。--MANAM 2010年8月5日 (木) 17:04 (UTC)[返信]
Wikipediaの編集方針は既に読んでいます。ただ、どうもその解釈の仕方があなたとは決定的に違うようです。
それぞれが矛盾していても複数の意見を載せることの意義は、とある論争ある物事について多面的な見方ができるということを示し、中立的な観点を確保するためでしょう。今回の論争は朝日がリベラルだという記述の是非です。そこに何故、リベラルと対になるという独裁主義と直接関係無い記述を持ってきて、それによって中立性を確保しようとするのですか、できると思えるのですか。反日・ファシズム・媚中といった「冷静で、公正で、分析的な描写」とはかけ離れた誹謗中傷の言葉を並べて、本当に中立的な解説ができているのですか?--MANAM 2010年8月5日 (木) 17:30 (UTC)[返信]
  • 朝日がリベラルだという記述は残ってますよね。また独裁主義だという記述はありません。あるのは反日ファシズムなどの記述だけです。また、それぞれが矛盾する見方を提示すること自体が中立的な観点を表しているのです。
「矛盾する見方」の捉え方を決定的に間違っておられます。リベラルとも独裁主義とも直接関係無い反日や媚中という言葉を持ってきて中立性が保てるとお考えの時点で問題ありです。
  • 現実の事物については様々な観点が存在し、どれか一つのみを提示することとが中立的ではないということがWikipedia:中立的な観点の、「特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い」というところに明白にかかれています。やっぱり、MANAMさんの読解はちょっと問題があると思います。よく読み直してみてください。現実はつねに新たな問題が生じていきますから、そのどれか一つが定説になる時間と、それを考え抜く能力は一般には与えられません。ですから、このような状況は当たり前のことです。では。Nakata88 2010年8月5日 (木) 17:37 (UTC)[返信]
>現実の事物については様々な観点が存在し、どれか一つのみを提示することとが中立的ではない
全くもって同意です。だから、私も記述を削除するようなことはせず、妥当な項目である「批判」に移動させたのです。なぜ紙面・論調に相応しくないのか、なぜ「左派・リベラル~」の段落に併記すべきでないのかは、このページに何度も書いているので省略します。--MANAM 2010年8月5日 (木) 17:48 (UTC)[返信]
  • 全体についての概論で、なぜリベラルだけ残して他は批判に移動するのが中立的なのか説明してください。なお、批判にリベラルを移動するのも同様に可能なはずです。それはなんでしないんですか?
  • なお、「反日ファシズム」や「媚中」というのを誹謗中傷だからというあなたの決めつけがその理由ならまったくそれは独自研究です。そのような編集は、ウィキペディアでは排除されるのが原則です。
  • 中立とは、全体レベル、個別レベルのそれぞれについて、中立的である必要があります。あなたの編集はそれに反しています。説明お願いします。Nakata88 2010年8月5日 (木) 17:51 (UTC)[返信]
リベラルという言葉自体はポジティブな意味もネガティブな意味も持っていません。一方、反日・ファシズム・媚中は明らかにネガティブな言葉で、参考文献でも批判の文脈で使用されています。あなたがこれらを同列視されるというのなら・・・そろそろこの議論も終了の時ですね。なぜ紙面・論調と批判が分けられているのかお考えになってはどうでしょう?
「朝日はリベラル」という解説について、異議ありということで中立性を保とうとするなら、朝日は非リベラル(あなた曰く独裁主義)という意見を付加すべきでしょう。反日・ファシズム・媚中なら独裁主義ですか?争点となっている物事について異なる立場の意見を併記することには意味がありますが、「朝日はリベラルだ」「いや、非リベラル(独裁主義)だ」と論争しているところに「反日・ファシズム・媚中だ」と見当違いの意見を突っ込んでどうするのですか。--MANAM 2010年8月5日 (木) 18:12 (UTC)[返信]
  • 争点となっていなければ異なる見解を記述できないならリベラルという記述自体維持できません。ソースがあれば記述が維持できるというのがウィキペディアの原則です。あなたの言うような基準はどこにも存在しません。MANAMさんはちょっと、中立的な見方ができない人だと思います。立場を入れ替えてみる練習をされることをおすすめします。
  • なお、「リベラルという言葉自体はポジティブな意味もネガティブな意味も持っていません」と書かれてますが、自由主義体制下では、これはポジティブな意味をあきらかにもっています。この点の主張もかなり偏ってます。Nakata88 2010年8月5日 (木) 18:33 (UTC)[返信]
>争点となっていなければ異なる見解を記述できない
論点のすり替えをしないでください。ここで言う「異なる見解」とは、「朝日はリベラルではない(あなた曰く独裁主義)」という見解です。それがどうして反日・ファシズム・媚中に相当するのですか。
リベラルはポジティブなのですか?要出典ですね。まぁ、あなたがそう感じるならそうなのでしょう。--MANAM 2010年8月5日 (木) 18:54 (UTC)[返信]
  • 朝日がリベラルではないという主張などまったく本文ではかかれていません。かかれているのはソースある記述だけです。
  • また、リベラルが自由主義体制と合致する思想である以上、この体制下では体制擁護的つまり、ポジティブになるのも自明です。ノートにはソースは必要ありません。
  • あなたのリベラル「だけ」が、「ポジティブな意味もネガティブな意味も持っていません」という主張もかなり奇妙な主張だとおもいます。それもいわゆる独自研究です。あなたの編集はそのような独自研究に基づいて総論の編集を行い、その他の記述を総論から排除するとすることなのでNPOVに反すると言うことです。Nakata88 2010年8月5日 (木) 19:03 (UTC)[返信]
>朝日がリベラルではないという主張などまったく本文ではかかれていません。
その通りです。しかし、中立性を確保するために書かれるべき記述は「朝日はリベラルではない」という旨のものであるべきです。しかし、現実には反日・ファシズム・媚中といった直接関係無いことが書かれているため、意味不明で、総論となっていないのです。ソースある記述(反日・ファシズム・媚中)を削除しろなどと、一言も言っていません。書く場所が違うだろうと言っているのです。
政治思想の大枠としてのリベラルと、自由主義体制を同一視するのはやめた方が良いですよ。
あなたは否定されましたが、リベラルは近年、保守の対義語として使用されている言葉です。右派・左派、保守・革新・リベラルなどは、個々人でイメージは違うでしょうが、それ自体がポジティブかネガティブかなんてナンセンスでしょう。反日・ファシズム・媚中などとは明らかに方向性の異なるものだと思うのですが、あなたにとっては違うのでしょうか。--MANAM 2010年8月5日 (木) 19:19 (UTC)[返信]
  • 「中立性を確保するために書かれるべき記述は「朝日はリベラルではない」という旨のものであるべきです。」という主張が、すでにPOVなのです。総論部分は全体のエッセンスになっていなければなりません。朝日新聞のように批判の多い、過去に過ちをしていると批判されてる点の多い新聞が、その点を総論で全くふれていないことはNPOVにならないわけです。あなたの勝手な論理で総論の議論の幅を狭めることはウィキペディアの記述原則から許容できません。また、リベラルが中立的であるまたは非中立的であるというのは完全に、独自研究で編集理由にはなりません。わたしはあなたのリベラルが中立的記述だという主張を否定しているだけでそれで編集しているわけではありません。単にソースがあるかどうかだけで判断してるのです。MANAMさんの編集には非常に、非中立的バイアスを感じますがそこら辺は本文に反映させたらアウトなわけです。よろしくお願いします。Nakata88 2010年8月6日 (金) 05:45 (UTC)[返信]
言葉が通じないとは正にこういう状況を言うのでしょうね。ウィキペディアの中立性に関する捉え方が決定的に異なります。私もあなたの編集は非中立的に感じています。
ただ、そのことで論争しても意味がありませんし、100年経っても終わりそうにありません。該当箇所の編集は新たなソースを発見できれば行うことにします。--MANAM 2010年8月6日 (金) 13:22 (UTC)[返信]
  • そうですね。MANAMさんが自己を客観視できないなら、認識は異なり続けるでしょう。中立的立場は現実の中では新たな情報をもたらす状況の中で常に動き続けますから、いつでも動揺し続けます。しかし、そのばあいでも、総論部分は全体のエッセンスになっていなければならないという原則は変わりません。本論に、批判が多ければ総論も批判が含まれることが要請されます。MANAMさんは新しいソースが必要だとかかれていますが、あなたに求められているのは全体の構成から見て必要なソースがある文章を「総論から」削除しないことです。それが中立性の要請です。よろしくお願いします。Nakata88 2010年8月6日 (金) 14:18 (UTC)[返信]
自己を客観視できていないのは果たして私だけでしょうか?ご自身の履歴と会話ページをよくご覧になることをお勧めします。それでは。--MANAM 2010年8月6日 (金) 14:31 (UTC)[返信]
  • もちろん、自己を客観しするのはむずかいしいです。何しろ人はある種の利害関係にとらわれて生きていることが多いですからそこから生じるバイアスを常に受けます。しかし、ここで要請されている原則は、総論が本論のエッセンスになっていなければならないという至極当たり前のことです。朝日新聞を批判する文章がこれほど載っていたら、それを総論でかかなければPOVになるのは立場を離れても宣言できるでしょう。そのいみで、MANAMさんが自己を客観視するために必要な認識のチェンジは至極簡単なはずです。逆に言えば、それを破れば誰から見てもおかしいと思われることになります。Nakata88 2010年8月6日 (金) 14:35 (UTC)[返信]