利用者‐会話:Nekosuki600/削除依頼に対する存続意見について

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削除依頼に対する存続意見について[編集]

最近(もしかしたらずっと前からかもしれませんが)、よく削除依頼に対して「せっかく作った記事なのに削除するのはもったいない」という理由で存続意見を出されているのを見かけますが、例えある定義未満の記事が著作権違反でもなく他人の名誉毀損もしていない、一見無害なものだと思われても、定義未満かつ発展性のない記事が多数放置されると、積もり積もってサーバーへの大きな負担になり、それがエラーなどの原因として、結果的に有害なものとなってしまいます。なので、削除依頼にコメントされる場合は、「著作権違反・名誉毀損がないからいいじゃないか。半年様子を見ましょう」といった消極的存続意見ばかりでなく、その記事を必要としている人が一定以上いるかどうか、などを考えた上で賛否を出していただけないでしょうか(削除に賛成しろと圧力をかけているわけではありません)。--Yen80 2005年11月30日 (水) 02:21 (UTC)[返信]

まず、(1) 全ての記事について存続票を投じているわけではなくいちおう選別はしています。その閾値が、削除要請をたくさん出す方々とは多少異なっているということはあるかもしれません(念のためですが、Yen80さんがその系列に連なるユーザであるとは認識していません)。それから、(2) 全ての記事が百科事典的重厚長大記事に育つ必要があるとは思っていません。他記事の補助的な項目といった位置づけのものもあっていいと思います(もちろん、削除のほか、統合やリダイレクト化などの対処も視野に入れて、適切なものを選択すべきでしょう)。また、(3) サーバ負荷については「どんな記事でもサーバの負荷にはつながり、その負荷寄与分についての詳細な評価は不可能である」と考えます。これはまあ、Wikipediaではありませんがいちおうサーバ管理にもかかわっているので、特定の要因に責めを負わせるのは困難だなあというのが実感。
削除意見のかなりの部分が、速報厨と通底するものを持つような、なんかしら競争的なものであるように見受けられます。少なくとも初登録後数時間で「成長の見込みなし」と断定するような削除要請は、ちょっとこう短兵急に過ぎるのではないかと思います。削除要請を出しまくるよりは、どうすれば加筆がなされるかなどに重点を移してフォローをする方が、Wikipediaの基本的な考え方との整合性が高いのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
--Nekosuki600 2005年11月30日 (水) 02:38 (UTC)[返信]
記事が新規作成されてから数時間での削除依頼は確かに早すぎるかもしれないですが、現在依頼が出ている、3ヶ月以上も加筆がなく発展する可能性も低いような記事まで存続意見を出されたり、ある削除依頼に対して「削除するよりは放置のほうがまだまし」と発言されたりするのはどうかと思いました。発展する可能性がある記事へのフォローについては必要だと思いますが、そうでないものについては思いきって削除するのも一つの手だと思います。--Yen80 2005年11月30日 (水) 02:53 (UTC)[返信]
Wikipediaの記事が育つプロセスにはいろいろあると思うんですね。
基本的には、なんかのきっかけがあって誰かが注目し加筆が行われる、というプロセスなんだと思います。で、その「なんかのきっかけ」ですが、ひとつに「新規での立項」があり、新規記事は比較的加筆される可能性が高い(とはいっても大半が放置されていることに変わりはありませんが)。その後は、何がきっかけになるかわかりません。誰かがたまたま加筆し「最近更新されたページ」に登場して他のひとも気づくなんていうプロセスもありますが、そのトリガ(引き金)を引く「誰かのたまたまの加筆」なんかはいつどういう事情で起きるかわかりません。
このあたりは、感じ方の問題もあるかと思いますが、「新規記事を立ててやる」という勢い込んだひとがいるだけではなく、「たまたま見かけた、自分が知っていることについての、やせた記事」に加筆するという方が気軽だというひともいると思います。特にビギナーですと、新規立項よりは加筆の方が敷居が低いでしょう。「加筆を促すベース」としてのスタブ記事には、一定の存在価値があると考えます。
それから、すでに述べたことですが、「全ての記事が重厚長大なものである必要はない」と考えています。必要最低限のことは書かれていることが望ましいんですが、調べもののヒントになるという程度でも十分に役立つ場合がある。誰がどういう理由でその項目の情報を必要としているのかはさまざまであり、ある意味想像もつかないことも多い。「そんな情報は必要ない」というにはかなり慎重でなければならない、と思います。
--Nekosuki600 2005年11月30日 (水) 03:05 (UTC)[返信]

競馬のレースに関する削除議論におけるYen80さんの論調を見ていて気づいたのですが。

「○○というもっと重要なものについての記事がないのに、△△の記事があるのはおかしい。△△の記事は削除するべきだ」という主張があったように思います(簡略化してます)。しかしこれは、Wikipediaの特性上、成立しないと思います。たまたま「△△」の記事を書いたひとがおり、「○○」の記事を書くひとがまだ登場していない、というだけの話ですから。重要なものから順々に記事を書いていくといった調整機能は、Wikipediaには存在しません(まあ、それでも重要なものから書かれる傾向にある、くらいは言えると思いますが)。

バランスがおかしかった場合、その調整方法には「すでに記述がある下位項目を削除する」「いまだ記述のない上位項目を執筆する」の2通りがあります。個人的には、後者が望ましいと考えます。いつか、いまだ執筆されていない上位項目が執筆され下位項目が必要になったときに、改めて執筆者が登場するのを待つというのは、あまり賢い選択肢ではないように思うからです。今あるんだったら取っておけばいい。また、「下位項目があるのに上位項目がない」ということに気づいたひとが執筆しようと思い立ってくれるかもしれませんし。

このあたりはいかがでしょう?

--Nekosuki600 2005年12月1日 (木) 06:43 (UTC)[返信]

該当する文は「削除する理由はない」といった方に「では存続を主張する具体的な理由を挙げてください」といった「コメント」であり、それだけを理由に削除すべきだといった「削除意見」ではありません(「削除意見」はその前に述べてあります)。それに、削除対象になっている競走の記事内容は開催競馬場とレース名の由来の説明でしかなく、一覧や由来となった事柄へのリダイレクトで十分事足りる内容です(個人的には一覧にするとしてもウィキペディアでなく、競馬に関する個人のホームページなどで記すべきだと思います)。これは列車の記事についても同じで、「Wikipedia:削除依頼/あきた (列車)」でも述べましたが、すでに運行実績がある単独記事ではなく路線の記事の中で記述されている例が多い中、運行実績がほとんどない列車の記事が単独で存在する必要があるとは思えません。「既存の記事の一部に記述すれば事足りる内容で、単独記事としては不要なもの」であると考えます。なお、「あきた」に関しては秋田新幹線で、「もみじ」に関しては秋田内陸縦貫鉄道の車両を使用していたことなどから秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線で、それぞれ記述すべきかと。ついでに後者について、Nekosuki600さんはWikipedia:削除依頼/もみじ (列車)にて「リダイレクトするとかくらい、簡単にできるでしょ」とおっしゃってますが、そう思うのなら他人任せにしないでNekosuki600さんがやればいいと思います。この件以外でも、内容が希薄な記事の削除依頼に対して、存続意見の中で「加筆を待てばいい」などとおっしゃってますが、存続すべき記事だと思うのなら、他人任せにばかりしていないでNekosuki600さんが積極的に加筆すべきだと思います。削除依頼が出ていても加筆によって削除意見が撤回されて存続した例は最近のものも含めていくらでもあるのですから。
ついでですのでもう一つ。最近出ているブロガーやパソコン通信のシスオペに関する記事の削除依頼にも存続意見を出されてますが、他国(ほとんどイコールアメリカ)ではともかく日本では両者とも百科事典に掲載すべき重要な人物という扱いにはなっていないと思います。特に後者はあなたにとっては馴染み深いから残してほしいということもあるでしょうが、そういう個人的な思いがあるのなら個人の責任において個人のホームページにて記述すべきであると考えますがいかがでしょうか。--Yen80(Talk)(Rec) 2005年12月16日 (金) 16:14 (UTC)[返信]
まず第一項。
「○○がないのに、それより扱いが小さいはずの△△があるのはおかしい」というのは、すでに12月1日に述べたとおりで、Wikipediaにおいては失当と思います。そのあたり、既存の百科事典であれば調整がなされるものなわけですが、Wikipediaにはそういった調整機能はありません。「○○がないのに、それより扱いが小さいはずの△△があるのはおかしい」と思ったら、「○○」を書けばよいのです。
また、しばしば実社会でもネット上でも泥沼の議論に発展するケースとして、「どっちでもいいのだが、どちらかを選ばなければならない場合」というのがあります。「あきた (列車)」を単独の項目に書くのと、どこか適当な項目に繰り入れてあわせ技にするのと、どちらがいいのか。どちらの方法もあり得るでしょう(そして、どちらかが決定的に良いという理由は見当たらない)。たまたま独立項目として出来てしまったらそのままにしとけばいいし、たまたまあわせ技で執筆されてもそのままにしとけばいい。ただし、「自分にとって理想の状態でないからという理由で、せっかく記述された情報をなきものにしてしまう」ことには、もっと慎重であるべきです。ぼくは別に独立項目として存在しても不都合はないと考えていますのであのままで良いと考えますが、それがあなたの美学に合わないというのなら、闇雲に削除しようとするのではなく、そこに記された情報を救うための手間をかけるべきでしょう。削除要請者が、「記された情報をなきものにすることの意味をどの程度わかってやっているのか」を、あの提案を通じて、ぼくは観察させてもらうつもりです。
それから、加筆をしているかどうかについては、ユーザの投稿履歴でも見てから言ってくださいね。
第二項。
ブロガーやパソコン通信のユーザについてですが、ぼくはNIFTYを拠点にしていた者ですので、悪魔と神氏とも魔女氏とも面識はありませんし、接近遭遇暦もありませんね。というわけで、ちからいっぱい邪推です。ブロガーの方も同様。
ただし、悪魔と神氏やアキツアルファ氏(こいつの項目はないが面識はある)などは現在のにちゃんねるなどにも続くある種の流れを作った者だとは思いますし、魔女氏は「ニューメディアはエロから普及が始まる」という大原則の日本のコンピュータ通信界における実証者でもあると考えています。従って、十分に記載しておく価値があると考えています。
まとめて。
神は細部に宿るという格言があります。もちろん百科事典ですからある程度以上まとまった情報があるのが望ましいのは確かです。とりあえず辞書を引いてそこに記されていることで満足する程度の用途ならば、それだけしかない方が便利かもしれませんね。しかしながら、へたに項目数を削減したり断片的な情報を排除したりした場合どうなるかというと、「誰かの取捨選択の結果」あるいは「誰かの理解に基づく記述」のみが集積されてしまうという危険性が高いのです。ある程度は細かくなるべく一次資料に近いものも集積されていることの方が、より深く突っ込んで調べたいひとにとっては便利です(ただし一次資料そのものはWikipediaの担当範囲ではない)。
この手の議論をするとまいど思うのですが、ひとりひとりのユーザは「自分の百科事典観」のようなものを持っています。しかしながら、それを無批判に信じるあまり、無造作に他者の百科事典観や他者にとって使い勝手のいい百科事典のあり方を否定してしまうことが多いように感じます。Yen80さんのご意見を読んでいても、同じようなことを感じております。
正直なところ、あまり項目が多くなく、定評ある項目が過不足なく存在している百科事典をお求めであるならば、市販のDVD百科事典あたりをお買い求めになる方がずっとよいのではないかとも思うのですが。
--Nekosuki600 2005年12月16日 (金) 16:40 (UTC)[返信]
↑で"「○○がないのに、それより扱いが小さいはずの△△があるのはおかしい」というのは、すでに12月1日に述べたとおりで、Wikipediaにおいては失当と思います。そのあたり、既存の百科事典であれば調整がなされるものなわけですが、Wikipediaにはそういった調整機能はありません。「○○がないのに、それより扱いが小さいはずの△△があるのはおかしい」と思ったら、「○○」を書けばよいのです。"とおっしゃられましたが、Wikipediaでは実際に○○より扱いが小さい△△が削除されています(最近の例ではWikipedia:削除依頼/メイセイユウシャWikipedia:削除依頼/テラミスの2004)。また、過去にNekosuki600さんが「あって困る記事ではない」「存続して加筆を待つべき」などの意見を出して存続を主張した記事の多くが「削除すべきとする意見多数」により削除されています(もちろん「存続すべき」が多数となって存続した記事も少なからずありますが)。このことから、Nekosuki600さんが「あって困らない」と思われている記事について「あったら困る」人が少なからずいることがわかるわけですが、こういった事実をすべて「一部の削除厨による戯言に過ぎない」と片付けられてしまうのでしょうか。理想を唱えることだけなら簡単ですが、現実をそれに近づけるのは大変なことです。何度もいいますが、「書けばよいのです」というのなら、言うだけだけでなく、Nekosuki600さんも実際に書いてください(少なくとも関越ステークスなど競馬の競走についてはそれをされていませんよね)。"--Yen80(Talk)(Rec) 2005年12月18日 (日) 14:10 (UTC)[返信]
もうひとつ、列車名の記事についてですが、Wikipedia:削除依頼/あきた (列車)でいったように、これが存続してしまうと元日にしか走らないような「○○初日の出号」「○○初詣号」の記事が乱立してしまう原因となります。もしそうなってしまって、それらの記事が全て削除依頼に出された場合でもNekosuki600さんは「たまたま独立項目として出来てしまったのだからそのままにしとけばいい。」といって存続意見を出されるのでしょうか。「自分は別に独立項目として存在しても不都合はないから」という自己中心的な理由で、不要な記事情報まで存続させてしまうことには、もっと慎重であるべきです。--Yen80(Talk)(Rec) 2005年12月18日 (日) 14:10 (UTC)[返信]
えーと。
「○○より小さい扱いでしかるべき△△があるのはおかしい」という理由で削除されたものが皆無だとは言いませんが、そういう事例があったということをもって定量的に「多くが削除されている」と言えるかどうかは別論だと思います。Yen80さんは過去に遡り定量的な測定をなさっておっしゃっているのでしょうか? もしなさっているのでしたら、ぜひその測定結果をご開示いただけると幸いです(=^_^=)。また、Wikipediaにおいては、大項目から中項目へ、中項目から小項目へ、という記述の流れがあるわけではなく、そういう意味では各所にバランスの悪いところが見られます。そういうのは、おいおい「上位にあるべき大項目が執筆されれば良い」のです。実際にバランスが悪い項目は大量に存在しますから、「順番が間違っているから、下位にあるべき小項目は削除すべきである」という合意があるとは思われません。
さて。全ての削除要請に出された記事を救済しようと思っているわけではありませんし救済を目指した項目についても全ての救済に成功しているわけでもありませんが、しかしそのわりのかなりの打率で救済はできていると考えております。そもそも救済が軒並み失敗しているのであればYen80さんがこのような意見をこのノートに書いたりするはずがないと思うわけですが(ここまでは「無力感を抱かせて存続意見の表明をやめさせよう」というYen80さんの戦略への「それは失敗しているよ」という表明にすぎず、この段落のキモはここから後のところなんですが)。力及ばず救済できなかった項目につきましても、「あっては困る」という理由が説明されたことがあるという記憶がありません。「存在すべきではない」という何らかの力説がなされたことはありますが、「存在したら困る」という理由の説明はされたことがないのです。もし「これが『存在したら困る』理由である」というものがございましたら、ご教授いただけると幸いです(プライバシー侵害などの、おれも救済を目指さないような記事を除く)。
念のためですが、「あっては困る理由」というのが「システム負荷」などを理由とした推測のみを根拠とするものでは説明になりません。日によって重さに大きな違いがあることからわかるように、システム負荷の問題は記事数などの問題ではなく、なんらかの別の事情によるものでしょう。また、百歩譲って「システム負荷による。そしてそのシステム負荷を引き起こしているのは無駄な記事があるからだ」という理由であるとしても、それは「自分が必要としない分野の記事をたたき出す」といったたいへんに不毛な削除合戦になるのがせいぜいでありましょう。「なにをもって無駄な記事であるか」についての全体的合意など成立するわけがないのですから。
列車名の記事ですが、別に「○○日の出号」や「○○初詣号」の記事が書き起こされたとしても、それが乱立であると思うのはYen80さんのご感想にすぎません。それらを独立記事として執筆するか、まとめて執筆するか、あるいは独立記事として立てられたものをまとめるひとがいるかどうか、そのあたりはどうなるかわかりませんが、別にあっても困らないでしょう。繰り返しますが、「あっては困る理由」があるのでしたら、ご説明いただけないでしょうか。
それからもうひとつ。前回問題を指摘しておきましたが、それについてはきれいにスルーされておりますので。
Yen80さんにとっては気にいらない記事が執筆されたとします。しかしその記事にはなんらかの情報が含まれていたとします。Yen80さんは、削除依頼を出す前にその情報をどのようにすれば残せるかを検討なさっておられるのでしょうか。別の項目に合流させるのが適切だと思うならば、削除依頼を出す前に合流させ(もちろん履歴を引き継いだ上でです)リダイレクトにするといった方法もあるはずです。削除要請に出す前に加筆を検討するのもいいでしょう。そういった努力をせずに、せっかく記述された情報を削除依頼に出しておられるのでしたら、Wikipedia上から抹殺することについて、どのようにお考えになっておられるのかをご説明下さい。また、もし「統合してリダイレクト化」「加筆しての存続」などの「記された情報の救済作業」をなさったことがあるようでしたら、その事例をお知らせ下さい。あなたがそういった努力をした上で存続意見に対して批判的であるのならば、その実績をふまえた上で、あなたに対する認識を再検討することがあるかもしれません。
--Nekosuki600 2005年12月18日 (日) 15:28 (UTC)[返信]
回答です。
まず削除依頼うんぬんについてですが、言っておきたいことがあります。私はこれまで数多くの削除依頼に対して意見を述べていますが、私自身がウィキペディアにおいて削除依頼を出したのはたった1件しかありません(それも自分の投稿したみなとみらい線のサイン画像がGFDL違反だと指摘されたために依頼→結果即時削除となったものです。詳細は私の会話ページを参照してください)。もし単なる「削除意見」の間違いというのならいいですが、本当に私が多数の削除依頼を出しているというのなら証拠を出していただきたいです。削除依頼に対する意見についても、投稿履歴だけだと削除への賛成意見ばかりのように見えますが、それは存続してもよさそうなものについては意見を出さない場合が多いためであり(最近は削除すべきと思う項目でも削除で決しそうなものについては意見しないことが多いです)、削除依頼に出されている項目全てが必要でないとは思っていません。また、削除依頼のログを見ていただければ分かると思いますが、「(削除)」で書いている意見の中には「単独記事としては不要。どうしても内容を残したいのなら○○へ統合すべき」などというように、情報を残したい人へのアドバイスのようなものを記している場合があります。不要としか言っていないのは、ウィキペディアの規定に違反している記事や、私が本当に百科事典たるウィキペディアには必要と思えないマニアック過ぎる記事、それに極極一部にしか知られていない人物(前述のブロガーやパソコン通信のシスオペなど、特定のネットワークコミュニティの住人でないと知らないような人物)の記事くらいです。削除依頼前のリダイレクト化や加筆については、前述の通り私は1件を除いて削除依頼を出しておらず、賛否をつけている項目のほとんどは(某掲示板にもかかれていましたが)削除依頼に出されてはじめて存在を知ったものであります。「統合してリダイレクト化」「加筆しての存続」などの「記された情報の救済作業」については、削除依頼が出ていた段階での作業ではありませんが、建築に関する賞が単なる賞の羅列だったのを授賞対象ごとに分類しました(11月20日)。それでも、以後加筆する人が現れず内容は希薄なままであり、現在は建築との統合提案が出されています(私はもちろん賛成。私以外は意見表明されていません)。Nekosuki600さんにとってこの程度では努力とはいえないのかもしれませんが、少なくとも削除意見だけ出してあとは見向きもしないという無責任なことだけはしていないということはご理解頂きたいと思います。--Yen80(Talk)(Rec) 2005年12月18日 (日) 18:25 (UTC)[返信]
列車名について。とりあえずあっては困る理由を挙げておきます。<まず「○○初日の出号」「○○初詣号」(頭に何もつかない「初詣号」という列車もいろいろな路線で運転されるため「初詣号 (○○線)」という記事まで作られる可能性も十分ある)が濫造される。→それらが軒並み日本の列車愛称一覧や[Category:日本の列車]に入れられる→同一覧やカテゴリの使い勝手が悪くなる>。さらに「Category:初詣列車」なるカテゴリまで作られることになるかも。ここまでくると百科事典ではなく鉄道事典になってしまいます(芸能関係の記事についてはすでに[Category:芸能プロダクション]などもあり、まさに芸能用語事典と化してますね)。Nekosuki600さんが常々言っている「全ての記事が重厚長大なものである必要はない」はある程度同意します。例えば同姓同名は、内容こそ十数行ですが、かつて同姓同名の例が羅列されているだけの頃に比べればまとまりがあってよい記事だと思います。しかし、曖昧さ回避でもないのに2・3行しかなく、市販の辞書と同等あるいはそれよりも劣るような内容の記事はここではなくウィクショナリーに載せるべきですし、百科事典は「(法令・規則に触れない限りにおいて)あらゆる分野について」を網羅するのが理想ですが、各分野についてどれだけ深く掘り進めるかについては(サーバーの関係もありますし)ある程度の限度が必要だと思います。必ずしも全ての分野が「マニアックである」必要はありません。「鉄道事典」など、各分野についてのマニアックな用語集を作りたいのなら、ウィキペディアではなくライブドアなどのウィキで作った上でウィキペディアの鉄道関連項目から外部リンクとして張れば事足りると思います。ウィキペディアはあくまで「百科事典」であり、ドラえもんひみつ道具「宇宙完全大百科」のような「なんでも事典」ではありません。--Yen80(Talk)(Rec) 2005年12月18日 (日) 18:25 (UTC)[返信]
「無力感を抱かせて存続意見の表明をやめさせよう」これについてははっきりいって邪推です。Nekosuki600さんがそのように感じた部分で私が言いたかったことは「あって困る記事じゃなし。」という「消極的な存続意見」や、先日削除された桑田某などのところで述べていた「チーフプロデューサーは権力者だ」といった独自の説を語っているような意見ではなく、(ウィキペディアンには小学生や中学生もいるようなので、その人たちも含めた)できるだけ多くの人に分かりやすい理由でもって「○○だからこの項目は是非ウィキペディアに残しておきたい」という、説得力のある存続意見を出して欲しいということであって、Nekosuki600さんの存続意見自体を封じようという意図ではありません。--Yen80(Talk)(Rec) 2005年12月18日 (日) 18:25 (UTC)[返信]
最後にちょっとした蛇足。私自身、私生活ではいかにも要らなさそうなものをずっととっておいたりすることが多々あります。なので、せめてこちらでは、存続していても誰にも見られないような項目が削除依頼で出された際には削除意見、必要だと思われるのに削除されそうな場合は存続意見を出して(こちらのケースは些少ですが)、少しでも皆が使いやすい百科事典にしようと思っているわけです。以上、長文乱文失礼いたしました。--Yen80(Talk)(Rec) 2005年12月18日 (日) 18:25 (UTC)[返信]
とり急ぎ。「削除要請」ではなく「削除要請における削除賛同投票」です。この点については訂正し、お詫び申し上げます。--Nekosuki600 2005年12月18日 (日) 18:53 (UTC)[返信]
さて。
マニアックすぎるものは百科事典にはいらないのかという点についてです(たぶんこれが一番大事な論点でしょう)。紙の百科事典の場合ですと、紙幅の制限というものがあります。百科事典にもいろいろあって、3巻くらいのものから数十巻くらいのものまでさまざまであり、それぞれの当初の設計に従って取捨選択がなされます。また、執筆はプロに依頼し査読もするわけですから、そのヴォリュームに従って原稿作成のコストもかかってきます。ですから、「この百科事典はこのくらいのものを目指す」ということにして切り捨てる部分がどうしても出てきます。百科事典とはいえ森羅万象を本気で網羅しようとするものは、これまでに存在しませんでした。
しかしながら、Wikipediaは、そういった既存の百科事典には等しく存在した限界というものが、ありません。紙の百科事典ではありませんし、DVDなどのメディアに依存した百科事典でもありませんから、ヴォリュームの制限はありません(厳密には、無限なわけではないにせよ)。また、執筆者は無給で書いているわけですから、記事作成のコストもかかりません。それが良いことかどうかは、査読がなされないということも含めて微妙なところではありますが、ここのところは「Wikipediaはそういうものだ」と割り切るしかないでしょう。
というわけで、Wikipediaには、既存の百科事典がひとつ残らず抱えていたそういう限界がないわけです。となりますと、「それはあまりにマニアックだ。別のシリーズを立てろ」という話をする必要もなくなります。Wikipediaは、鉄道百科の要素を持っていてもいいし、ガンダム百科の要素を持っていてもいい。法律学百科の要素があってもかまいませんし、建築学百科の要素があってもかまわないんです。本格的に森羅万象を網羅することを目指すことが許される環境を、ようやくわれわれは手に入れたのですよ(今さら言ってもしょうがないが、「百科事典」「辞書」「リソース類」などの区別もする必要はなかったと思っている。ただし全部を並列に並べていいわけではない。次段落参照。ついでなのだが、現状「ニュース」だけは分けておいたのがいいと思っている)。
さて、現状では、確かになんでもかんでも並ぶと使い勝手は悪くなる場合はあります。このあたりは、「当初設計段階で想像が及んだ項目数をとうの昔に越えている」とか、「既存の百科事典を想定してシステムを組んでしまったので、想定外の使い方が開発された」とか、そういった事情によるものではないかと思います。しかしですね、いずれにせよそういう問題点はいつかは解決せにゃならんわけです。別にマニアックな記事があろうがなかろうが、項目数は増えていくわけですから、今のシステムのままでやっていけるわけがない。どーせ後追いでの開発になるでしょうし、開発途上でとてつもないウィキスローが起きて頭を抱えることも多々あるでしょうけど、「項目数が多すぎることによる使い勝手の悪さ」は徐々に解消される方向に行くでしょう。
で、です。現在のシステムのままでは確かにマニアックなものや細かな項目は目障りになる場合があるかもしれません。しかしWikipediaはどーせ森羅万象を網羅するという方向に進むしかないのです。システムだって改善されるでしょう。そのとき、今書かれていて、「マニアックにすぎる」「些細な情報にすぎる」としてめのかたきにされているような情報が貴重なものになる可能性はとても高いと思うのですね。速報的な未整理な記事を容認するわけではありませんが、たとえばパソコン通信史における事件や人物などは今をおいて記録を残すチャンスはないのですし(たとえばこのあたりの点について、いまだ本などにはまとめられておらず、かといってWeb上にもあまり情報がない「1980~1990年代後期くらいまでの出来事」が、今いかに調査しづらいものになっているかを思い起こしてみればわかりやすいかと思います)。しょーじき、ガンダムネタなんか全部まとめて削除しちまってくれと思わないではないですが、あんなんだってそのうちに貴重な資料になることは間違いないだろう。念のためだが、書き散らかしにに近いかたちで量産されている記事がそのまま時間経過に伴って優れた記事になると思っているわけではないが、しかしそこには絶対に情報は残されていくのだから、その「残されていく情報は、なるべく蓄積しておくべきだ」と思います。
なお、「チーフプロデューサは権力者だ」というのは、現状でもそう思っていますし、実際連中はそんだけの権力を持っておりへたすりゃ新聞の論説委員なんかよりよぉっぽどでかい声を張り上げられる立場にいるわけですが、削除要請はそういうことを議論する場じゃないので遠慮したまでです。ま、おれの専門は映像関係だったりするわけですが、確かに現状のWikipediaの映像関係はたいへん弱く(アマチュアのテレビ視聴者レベルの書き散らかしがほとんど)、プロデューサがいかなる意味で権力者なのかなどの説明はありません。そういった大部の議論を削除要請でやるわけにはいかないのですよ。要するに「現状ではまだ理解を得るには時期尚早であり、ここでごり押しをするのはマナーに反する」と考えたため引いたということです。
最後に、もう一回伺うのですが、「細かい項目があると、どのように百科事典として使いにくくなるのか」が、いまひとつよくわかりません。検索対象にならないような記事があっても、そんなものは目にとまらないのですから、使いにくくなるということには結びつかないのではないでしょうか。「内容が間違っている」のは困ります(それは削除対象じゃなくて編集対象だけど)。「名誉毀損を引き起こしかねないような攻撃的な記事」も困ります。演説会場と勘違いしているような主義主張の押し付けも困ります。でも、「細かい項目」がいっぱいあっても、(現状のシステム上の制約などは置いておくとして、原理的には)誰も困らないのではないでしょうか。
--Nekosuki600 2005年12月18日 (日) 19:22 (UTC)[返信]
まあ、誰も困らないのなら削除依頼の対象になるはずがないのですが。「原理的には誰も困らないのでしょうか」といわれても、Wikipediaは理想の百科事典ではなく、日本の法令や利用者の間で決められたルールに縛られているわけですから、ここで理想の百科事典について語られてもそれこそ私が困ります。--Yen80(Talk)(Rec) 2005年12月18日 (日) 23:36 (UTC)[返信]
「細かい項目があると百科事典として使いにくくなる」というより「細かくされると使いにくくなる」例としては、JR東日本E231系電車を挙げておきます。記事を見れば分かるとおり、E231系は大きく通勤型と近郊型に分けられ、さらに通勤型は0番台・500番台・800番台・900番台に分けられます。これをタイプ・番台ごとに記事を独立させると、もとの記事と合わせて6つに分かれてしまいます。現状ではE231形の情報を得るには1ページだけ見ればよいのが、分割してしまうと合計6ページ見ないといけなくなります。また、各番台の違いを比較するにも、現状では同じページで見られるのが、分割してしまうと別のページになってしまうため比較がしづらくなります。Nekosuki600さんはそれでも分割すべきだとお考えでしょうか。--Yen80(Talk)(Rec) 2005年12月18日 (日) 23:36 (UTC)[返信]
ひとつめ。
困るというのがどういうことなのか、ですね。「目障りだ」ということだけでも十分に削除要請には出されているように思いますし、また「この項目を『些細なもの』として削除要請に出したらそれは無知を晒しているだけであって恥をかくのはあんたですよ」みたいな削除要請まであります。「あったら有害」という理由によらない、「あったら気分が悪い」という程度の理由でも、十分に削除要請が出されています。「困るというのがどういうことなのか」というあたりから論じる必要がありそうです。
ふたつめ。
削除要請の件に限らず、「理想の百科事典像」のことは、けっこう対立の原因となっているように思いますね。たとえば「一覧の扱い」などがその事例として挙げられるでしょうか(一覧の扱いあたりは、紙の百科事典とディジタル百科事典の性格の違いあたりが大きいような気がする)。「Wikipediaは何を目指すのか」は、じっくり考えてみる価値があることではないでしょうか。
みっつめ。これがけっこう重要だな。
E231の項目が番台ごとにわかれているのが望ましいかどうか。望ましくないとしたとして、それは削除の理由とはなりません。統合の理由にはなるかもしれませんが、統合というのは、削除要請上では存続扱いになり、いずれにせよ削除の話にはなりません。
細分化が望ましいかどうかは、「全体のヴォリュームがどの程度であるか」と、「その時々のWikiSlowがどの程度のひどさであるか」にかかわってくるでしょう。全く同じ構成であろうとも、システムが軽ければストレスにはならず重ければストレスになるなんてのは、簡単にわかることかと思います。また、細分化をする場合には、全体の構成についても熟慮の必要があるでしょう。しかしいずれにせよ、それらは「削除」の対象になる話ではないのです。
--Nekosuki600 2005年12月19日 (月) 07:28 (UTC)[返信]
ちょっと見落としがありましたので(上の6インデント以降の議論は、それはそれで続けてください)。
記された情報をなるべく生かそうとし、統合をはかろうという場合について。
その場合、まず、削除依頼での投票は「存続」になるはずです(最近「統合」という投票が頻発していますが、それについては井戸端でも議論になっていたような)。統合をはかろうという場合には「削除」で投票することはあり得ないわけです。
それから、その場合はそもそもが削除依頼で議論をする必要などなく、削除依頼が出されていようがなんだろうが気にせず統合してリダイレクトにしてしまえば良いのですね。まあ、削除依頼を出すひとがそこまで考えてやっているかどうかは微妙ですが、「統合して内容は存続」の場合にはそもそも削除依頼に出す必要すらないんです(リダイレクト化したあとのそのリダイレクトの削除は、「リダイレクトの削除」に該当しますから、削除依頼の担当範囲ではありません)。
というわけで、「削除依頼における削除票の投票(削除の意思を伴う削除依頼への提出を含む)」は、上記理由から「そのテキストがWikipedia上にあることを許さぬという意思表示」に限られると思います(そうではないのに削除票を投票するとしたら、それはどこかになんかの間違いがある)。ということをいちおう指摘しておきます。
--Nekosuki600 2005年12月19日 (月) 18:12 (UTC)[返信]

文体がくだけすぎでは?[編集]

上記とは別件でちょっと意見が。削除依頼の存続意見に限らず、ノートで行われている議論や投稿ブロック依頼に対するあなたのレスの文体がくだけすぎではないかと思います。削除依頼や投稿ブロック依頼・議論の場などでくだけた文体を使うと、例えあなたが正しいことを言っていたとしてもそれが正確に相手に伝わらない(こいつまじめに議論するつもりあるのか、などと思われて意見をまともに見てもらえない)虞があります(私も削除依頼へのあなたのレスを見てそう思ったことが少なからずあります)。Wikipediaは馴れ合いの場ではないので、特に各種依頼のページや議論の場では不真面目と取られかねないような文体は慎むようお願いいたします。--Yen80(Talk)(Rec) 2006年5月28日 (日) 07:33 (UTC)[返信]

そういうご意見があったことは承りました。--Nekosuki600 2006年5月28日 (日) 07:47 (UTC)[返信]