コンテンツにスキップ

利用者‐会話:Non2

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

ウィキペディアにようこそ![編集]

こんにちは。はじめましてSuisuiと申します。ウィキペディアへようこそ!

ウィキペディアで活動する際にはWikipedia:ガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。よろしければ 自己紹介してみてください。執筆の際には中立的な観点および 著作権にご留意ください。何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。

Welcome to Japanese Wikipedia. If you are not a Japanese-speaker and expect further information, visit Wikipedia:Chatsubo for non-japanese-speakers. Enjoy!

なお、このメッセージは主に利用者‐会話ページに何も記入されていない方に投稿しておりますので、すでに活動を開始されてから期間が経っていらっしゃるのでしたら、お詫びいたします。--Suisui 2004年7月25日 (日) 17:17 (UTC)[返信]

ごあいさつとお願い[編集]

こんにちは、aboshiと申します。渥美半島を中心とする地域記事について、またかちあうこともあるかと思いますがよろしくお願いします。
で、さっそくなのですが、お願いと質問したいことがあります。いきなりですがご容赦ください。
1、渥美町

渥美町ノートにも書きましたが、記事を作ってくださったことはありがたいながら、「平坦な地形が多い」「唯一の産業である農業が...」などはちょっとどうでしょうか。私は地元民なので実感で気づきますが、少し調べればわかるはずです。

2、田原町

ウィキのテンプレートにしたのはいいのですが、友好都市の項目など作ったのなら、細目の内容は埋めてほしいです。

3、東三河

えっ?と思うことが二つほどありましたが、ご説明いただきたく思います。
α 「(東三河の地域性)戦国時代には徳川家康が三河国を統一するまでは今川氏の影響下にあったこともあり」
それは長い歴史で見ればほんの一時のことでは?と思いますが、いかがでしょうか。例えば濃尾平野につながって存在する西三河と、三ヶ根などの山々で隔てられた東三河など、地勢的な問題のほうが大きそうに感じますが。出典とかあったら教えてください。
β 「(東三河と西三河では)地域性が異なる」
どのように異なるのでしょうか?いやな質問ごめんなさい。でも、これは地元住民の実感でしか答えられない問いです。私自身もおぼろげに感じはしますが、具体的に書けません。

以上です。全体に、もう少しお調べになってから書いたほうがよいのでは、と思います。yahooのリンクなんかにもひっかかっちゃいますしね。
長々と書いてしまいましたが、おそらく、東三河のかたですよね。自分の近いところにいる方がこうしてこのウィキに参加されていることを、とてもうれしく思います。また、よろしくお願いいたします。--Aboshi 2004年7月26日 (月) 16:38 (UTC)拝(田原市在住)[返信]

初めまして、aboshi様。いろいろとご意見ありがとうございます。まだ初心者ですので、至らない点についてはご容赦下さい。今は東京在住ですが、出身は田原市です。たまたま、アクセスしたウィキで、ふるさとのことを検索したところあまりにも寂しかったので、つい中途半端に出過ぎてしまいました。
さて、質問に答えていきたいとおもいます。
1、渥美町ですが、地形が「平坦」か「山がち」と言うことについては、主観の違いだとおもいます。なぜ、平坦と書いたのかというと、確かに山は多いと思いますが、畑となっている部分については田原市側のように台地の上ではなく、一段低い平らな部分が多いのも事実だと思います。田原市との比較で(本文中明示はしていませんが、)、「平坦な地形が多い」と書いたものです。「唯一の産業である農業が...」については、表現が適切ではありませんでした。渥美町ノートの冒頭に書いてあることももっともで、田原市のものをコピーしてきたのは事実です。ただし、これから作って行くものだと思うので、このような言われかたをされるのははなはだ心外です。(aboshi様も言い方が悪かった事を認めいらっしゃいますが。)
2、田原町ですが、一応スタブであることを断っているので、全て完璧であることを求めるのはいかがなものでしょうか?ウィキはいろんな人が知恵を出し合って作るものではないでしょうか?
3、東三河のα、戦国時代の東三河は菅沼、牧野、戸田氏などの土豪がいましたが、どれも圧倒的な力を持っているわけではなく、隣国の今川氏の影響下にいることで、お互いに件制しあい自分の領地を守っている程度でした。戦国時代は長い歴史からみればほんの一瞬かも知れませんが、現在まで非常に影響力を持っています。なぜ、未だに東三河と遠州が結びつきが強いのかを考えなければ行けないと思います。おっしゃるとおりに地政学の論法で行くと、尾張と西三河が同じで、遠州とはやはり弓張山地で隔てられていますので、東三河だけ孤立していることになりますが、実際は尾張と西三河では、言葉(方言)も文化も違いますし、逆に遠州と東三河は現在においても県境を越えて結びつきが強いです。そうした中での共通項としては、今川氏の影響下にあった時代が長いと言うことです。このような主張をしている文献は多いと思いますので、図書館等で探してみるのも良いかも知れません。ただし、もう少し正確に言うと、吉田宿の遊女は伊勢言葉を話していたという文献もありますので、一概に今川氏だけの影響で東三河の気質が作られているともいえません。ちなみに私事ですが、親戚関係は東三河、遠州にまんべんなく散らばっております。
β「(東三河と西三河では)地域性が異なる」ですが、私の主観では、東「のんびり」西「こつこつ」と言った感じです。あくまでも主観なので書くにははばかると思い本文ではさらっと書いてごまかしているところはあります。2年ほど名古屋で勤務していたこともありますが、同じ三河出身でも、西三河の人のペースには付いていくことが出来なかった記憶があります。もっとも、最近豊田市や岡崎市のあたりまで、名古屋のベットタウンになっていますので、古くから人の移動のない東三河と、拡張された尾張の西三河の違いかもしれません。(このあたりについてはいろいろと議論したいところではあります。)
最後ですが、「全体に、もう少しお調べになってから書いたほうがよいのでは、と思います。yahooのリンクなんかにもひっかかっちゃいますしね。」については、確かにおっしゃるとおりですが、先にも申し上げたとおり、ウィキはいろんな人が知恵を出し合って作るものであると考えていますので、もしこの認識が間違っているのであれば、私は書き込みを控えたいたいと思います。つまらない郷土愛のために、様々な人に迷惑をかけていますから。最初にも申し上げたとおり、そもそも書き込みを始めたのは、遠くにあってなかなかかえることが出来ないふるさとについての記事かあまりにも寂しかったのが動機で、私の書き込みに触発されていろんな人が知恵を出し合っていいものを作ってもらえればと思い、また、実際そうなっていく姿を見てすばらしいと思いやったことです。記事が間違っているのであれば、それを見つけた誰かが直してくれればいいと思っています。ウィキのプロジェクトはそうやっていろんな人がコミュニケートしながらいいものをつくってくのではないでしょうか?もし、最初から正しく完璧でなければならないということであれば、本当にご迷惑ですので、書き込みを控えます。愛するふるさとの記事を充実させていただけることをいのります。

眠れなくてPCを開いてここを見ました。お返事をいただいていましたね。
まず、ご無礼の段お許しください。Non2さんが私の書き込みのために、ここへの投稿を控えられるとしたら、責任を感じます。こうして見識のある方だとわかった今となっては、本当にもうしわけないと思っています。
と、ここで謝って終わっておけばいいのでしょうが、でもちょっとだけ書きます。

1、渥美町「平坦な地形が多い」を私は否定した ご説ごもっともです。私も地図をしっかり見ずに、町の東側、越戸の大山や雨乞山など半島の幅の割に山が連なっているあたりを想定して書いていました。確かに、福江以西、亀山・中山などは田原・赤羽根よりも平地が広がっていますね(田原の中心区域の平地は江戸時代以降の干拓のためなので考慮から外します)。と気づいた時点で表現は直していますが、農業町渥美ですし、地形に合わせた土地利用なども書いていけば面白いですよね。

2、渥美町「唯一の産業である農業が...」を否定
これについては、実は田原にこの表現があること自体も誤りです。越後平野なら8万石は取れる面積を持つ田原藩の実収は6000石程度。相当数の人口は漁業で生活を立てていました。日本一のあさりの産地であった三河湾沿岸、山迫る赤羽根の住民も多くは沿岸漁業で生活を立てていました。『田原藩日記』なんかによると、吉田への流通ネットワークが形成されていたようですが、今の私にはよう書けません。
私どもが思うより渥美半島の住民は海との関係を根強く持っているわけですが...まだ私も勉強中です。

3、東三河と西三河の地域性の問題
もうしわけないです。この件は私の方が勉強がたらないようです。また長いこと田原を空けていたので、この件についての実感はあなたよりもよほど弱いです。

時間が時間だし、この辺で打ち切ります。また頭が回るときに書きます。
正直なところ、渥美かかわりで記事を書いてくださるかたがいたと知ったときにはとてもうれしかったです。ただ、そのうれしかった反面「こうしてほしいなあ」という自分の勝手な願望を書いてしまいました。当サイトの本旨はあなたがおっしゃるほうが正しいかと存します。
ぜひまた、故郷の記事を書いてください。出身者や土地勘を持ってないと書けないことで、ここに載っけて有用なことって一杯あると思います。--Aboshi 2004年8月11日 (水) 19:58 (UTC)[返信]

了解しました。これからもよろしくお願いします。


こんにちは。豊川用水にある議論、もしご意見などありましたらよろしくお願いします。僕は渥美に縁がある人間ではないですが、上記の議論を拝見して、執筆活動を続けていただければと思いました。なのに水を差すようで申し訳ありませんが。どうぞよろしくお願いします。Tomos 2004年10月7日 (木) 12:11 (UTC)[返信]