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利用者‐会話:O^tsuka/archive2

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Template:新規リダイレクトについて[編集]

subst展開ではテンプレートの中身がそのまま展開されてしまいますからね。展開されない方法があればいいのですが。--端くれの錬金術師 2006年4月24日 (月) 17:35 (UTC)[返信]

反映された分についても訂正いただいたようで、申し訳ありません。O^tsuka 2006年4月24日 (月) 17:39 (UTC)[返信]

荒らし行為について[編集]

荒らし行為をやめろとのメッセージが届いているんですが、具体的に何が荒らし行為なんでしょうか?--真実を追究するもの 2006年5月24日 (水) 21:27 (UTC)

小泉純一郎の履歴を見れば明らかだと思いますが。あと、署名には利用者ページへのリンクをお願いします。O^tsuka 2006年5月25日 (木) 14:41 (UTC)[返信]
すみません、そのどこが「荒らし」に該当するのでしょうか?--真実を追究するもの 2006年5月25日 (木) 18:30 (UTC)
Wikipedia:荒らし#荒らしの類型と、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかをご覧ください。前職の欄を「無職(NEET)」と書き換える行為は荒らしと捉えられても仕方ないでしょう。O^tsuka 2006年5月26日 (金) 12:52 (UTC)[返信]

BMWで[編集]

BMWのノートで、私は誤解に基づき発言をしておりました。確かにO^tsuka様がかかれたものではなく、復帰をされただけでした。この点、お詫びいたします。--DeleteLover2006 2006年6月9日 (金) 08:13 (UTC)[返信]

ノートのアーカイブ化について[編集]

嫌韓流のノートをアーカイブ化されてますが、それほど情報量が多くなかったのでアーカイブ化は 不要だと思います。何か基準でもあるのでしょうか?Amechan 2006年7月1日 (土) 07:39 (UTC)[返信]

まだ議論を継続したいのですか?[編集]

O^tsuka さんの発言によって、Wikipedia:独自の調査というページの存在に初めて気がつきました。しかも、「ウィキペディアの三大コンテンツ方針の1つ」などと書かれているので2度ビックリ。何で今まで気がつかなかったのだろう?と思い履歴を見ると、なるほど、まだ新しい文書なのですね(しかも、Wikipedia:プロジェクト関連文書からはまだリンクされていません)。

あちらのノートでこれ以上突っ込んだ内容に踏み込むのは間違っているものと思われますし、かといって議論の場を別のノートへ移動してまで深く掘り下げるべき事柄とも思えませんので、失礼とは思いましたが、こちらで説明させて頂きます。

JWICの文中にある「非戦闘代替勤務」という見慣れない語は、「非戦闘要員(工兵衛生兵)への配置転換」を意味しているようです。一方、参照されている『ものみの塔』96年5月1日号20ページ「カエサルのものはカエサルに返す - 一般市民的奉仕」にて挙げられているのは、井戸掘り、道路建設、道路・学校・病院などの清掃、といった活動であり、戦争とは全く関係ありません。O^tsuka さんの語る代替公務の「代替」という概念をその雑誌の内容に当てはめると、「戦闘の代替」ではなく「投獄の代替」ということになります。つまり、「近年になって兵役拒否者への一律的な投獄に代わる、社会奉仕への参加という代替手段が用意されるようになった国家においては、エホバの証人は投獄と社会奉仕のどちらかを自らの意思で選択しなければならない」、という意味のことを同雑誌は伝えているわけです。もちろん、未だこうした代替処置が用意されるに至らない国家も存在します。

しかし実際のところ、JWICが情報源を示しているわけですから、JWICの主張の正誤については、同雑誌を調べるだけで判断できるはずです。私の「自身の調査」とうい発言は、O^tsuka さんがそうした調査さえ怠っているのではないか?との疑問を投げかけたものです。

JWICに関してさらに言及するなら、JWICに代表されるような、ウェブ上での情報発信を個人運営で行っているページというのは、Wikipedia:独自の調査#何が信頼のおける出版物とされるのか?で定義されるところの「信頼のおけるソース」に該当しないようにも思うのですが、私のこうした解釈は O^tsuka さんの理解と同一でしょうか?。Rigel 2006年7月8日 (土) 19:07 (UTC)[返信]

節タイトルの意味もイマイチ分かりませんが、それ以上に仰っている意味がよく理解できません。代替公務とは軍務に就く代わりに与えられる役務のことであり、兵役拒否を認める国では兵器を持たない兵役活動や社会奉仕への従事が代替役務として義務付けられています。ですのであなたが挙げた機関紙の記述(「非軍事の国家奉仕について自分で決定できる」)は、代替公務に関する組織の方針が変わったとするJWICの解説となんら矛盾していません。
またこのことは、JWIC以外にもレイモンド・フランズ著の『良心の危機』で取り上げられていますので、検証可能性は十分に満たしていると言えるはずです。O^tsuka 2006年7月9日 (日) 14:47 (UTC)[返信]
  1. 「代替公務」という言葉はJWICにも同雑誌中にも出現せず、一般的な国語辞典にさえ存在しませんので、この言葉を上記のように定義することは不可能です。
  2. エホバの証人は「兵役拒否」で知られていますので、標準的な信者は「兵器を持たない兵役活動」についても当然ながら拒否することでしょう。
  3. 同雑誌で言及されている活動は上記の3つのみであり、「兵器を持たない兵役活動」には一切触れていません。
  4. JWICは「方針が変わった」ではなく「ラッセル当時の聖書解釈に戻った」と主張しております(「非戦闘代替勤務の解禁」の項)。
  5. O^tsuka さんご自身も「元のラッセル時代の解釈に戻っています」と主張しております(ノート:エホバの証人とホロコースト)。
  6. 『良心の危機』の日本語版の出版社が「せせらぎ出版」[1]で、オリジナルの英語版の出版社が「Commentary Press」[2]のようです。せせらぎ出版の会社概要を見る限り、日本語版は「信頼のおけるソース」に該当せず、このページを見る限りでは Commentary Press はキリスト教関連の出版社であるようなので、とても中立的な第三者機関であるとは考えられません。従って、『良心の危機』は「信頼のおけるソース」に合致せず、検証可能性も満たしていないように思われます。
Rigel 2006年7月10日 (月) 09:33 (UTC)[返信]
代替公務、代替業務、代替勤務、代替労役、代替役務等は意味としては同じだと思います(代替公務という言葉は良心の危機で用いられていた表現でしたので、その表現を尊重しました)。論っても仕方ないので柔軟に解釈してください。
利用者:Rigel会話 / 投稿記録さんの発言では相変わらず何を論点にされているのかつかめませんが、代替役務として何を与えられるかは、兵役拒否を認めるか否かと同じくそれぞれの国の政府が決めることであり、それをどう受け入れるかと言うのもまた個人の決定でしょうから、ここで議論しても仕方ないと思います。ただ、何らかの軍務に代わる国家奉仕が課せられている場合、96年からはそれを受け入れることができるというふうに指導部の方針が変わったと言うことです。
学会誌などが存在しない分野の場合、信頼できる情報源とは何かというのは難しい問題ではありますが、そのような場合はノートでの合意形成によって判断されるべきです。また少なくともその分野で著名な人物の著作は情報源として認められています(英語版でもソースとして挙げられています)し、中立的な第三者機関でないから信頼できず、検証可能性を満たしていないと言う発言であれば、Wikipediaの基本方針をご理解なさっていないということが明らかですのでもう一度よく方針文章をお読みになることをお勧めします。
そもそもこの手の少数派分野で、大手マスメディアからの情報を多く期待するのは難しいと言う現実もあります。それでも絶対に良心の危機以外のソースをと仰るのでしたら、三一書房から出版された『エホバの証人 カルト集団の実態』にも同じ事が簡潔にではありますが書かれていますので参照してください。
自分の解釈と異なるからといって、示された出典にけちをつけるばかりではなく、ご自分で「信頼できる情報源」から示して反論して頂かない限り、不毛なやり取りになってしまうでしょう。O^tsuka 2006年7月11日 (火) 14:01 (UTC)[返信]
  • 私が議論を続ける必要性を感じているのは、明確な間違いを O^tsuka さんが頑ななまでに認めないからです。「間違っているかもしれない」という発言は間違いを認めたことと同義ではなく、単に結論をぼかしたにすぎません。後になってから別の書籍に言及し、その書籍の信頼性に疑問を投げかけるとさらに別の書籍を持ってくる、こうしたことを行わずに最初から全て列挙してくれればこんなに議論が長引くことはなかったことでしょう。間違った内容は掲載すべきではない、というのは「検証可能性」以前の問題です。
  • 私が示したのは一次資料ともいえるもの(問題とされる『ものみの塔』誌そのもの)なのですが、これ以上のものを示す必要があるとでも言うのでしょうか?。「指導部の方針が変わった」というのは完全なる虚偽の推論です(正確には「元に戻った」でしょう?。表現を勝手にすり替えないように、これで何度目でしょう?)。もしそれが真実であるならば、「その記事を目にして動揺が広がった」との報告がネット上で、しかも世界規模であってもおかしくはないはずですが、そうしたものを見出すことは出来ないことでしょう。いや、今から急いで作れば見つけることは可能かもしれませんが、私は O^tsuka さんがそうした裏工作をしてまで事実を捏造するような人物とは思っていませんので、やはりきっとそうした情報に出会うことはないでしょう。
  • 『エホバの証人 カルト集団の実態』に「同じ事が書かれて」というのは、『良心の危機』を二次資料として参照する三次資料である可能性が高いのですが、執筆者は全く違った切り口から出発して同じ結論に至っているのでしょうか?。もしも何の根拠も示さずに同じ結論に至っているのであれば、それは単なる無責任であり、とても「信頼に値する情報」とは言えません。
  • レイモンド・フランズ氏は「エホバの証人の反対者」という意味では確かに著名な人物かもしれませんが、「その分野で著名な人物」というのはちょっと意味が違うでしょう?。著名なエホバの証人なのですか?。それとも著名な証人なのですか?。英語版でソースとして挙げられている、というのは信頼に値することの証明にはなりません。それほど自信がおありなのであれば、信頼性の是非についての問題を英語版にて提起すると良いでしょう。場所はen:Wikipedia talk:WikiProject Jehovah's Witnessesあたりが適切です。
  • Wikipedia:検証可能性によれば、たとえ著名な専門研究者であっても、その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるならとの条件付きなのですが…。一方、Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源:公式サイト文中にあるそれらの情報源自身に関する記事においては、情報源として使用することができます。の適用である、「レイモンド・フランズ」という記事内での言及については何の問題もありませんので、そのことまでも否定しているわけではありません。そして、エホバの証人の関連項目としてレイモンド・フランズへリンクすると良いでしょう。むしろ中立的な観点からは、そうしたリンクが存在したほうが望ましいものと私は考えます。いや、この場合ものみの塔聖書冊子協会からかな?。両方の記事からリンクするのはくどすぎると私は感じるのですが、それは私の主観であるのかもしれません。

最後に、私が単なるとち狂った狂信者ではないことを、以下の内容によって納得して頂けますならば幸いです。

  • ホロコーストエホバの証人とホロコーストの両記事ですが、いつまでも「統合の提案」を貼り付けたままでいるのは良くありません。このテンプレートを貼り付けた当事者として、統合に賛成意見が得られなかった結果をもって、自らの手でテンプレートを撤去する潔さが必要でしょう(ホロコースト側はIPユーザーによって撤去されていました)。これをこのまま放置し続けることは、周囲のあなたに対する信頼を失墜させかねません。
  • ノート:エホバの証人のサブページである、GFDL違反記事群に対する善処、これもあなたが行うべき仕事です。
  • エホバの証人関連の記事を減らしたいのであれば、ものみの塔目ざめよ!の両記事をものみの塔聖書冊子協会へ統合すると良いでしょう。十分な加筆がなされていない現時点での内容であれば、統合するのが妥当であると私は考えます。
  • 利用者の会話ページの扱いについては、利用者自身の裁量に任されていますので、この内容を項目ごと全撤去することもあなたの自由です。わざわざ過去ログとして参照可能な形で残さなければならないという義務はありません。ただし、利用者自身の裁量に任されているとはいえ、他者の発言を勝手に改竄するような悪質な行為までは許容されていませんので、その点のみご注意を。ついでに申し上げると、このページへのリンクがノート:エホバの証人とホロコーストから張られていますので、そちらの私の発言についても撤去したいとお考えであれば、その撤去を許可する旨、ここに宣言します。

以上、これでご理解いただけましたでしょうか?。Rigel 2006年7月13日 (木) 11:42 (UTC)[返信]

申し訳ありませんが、相変わらず具体的に何を主張されたいのか理解できません。私はノート:エホバの証人とホロコーストで、間違っていることが明らかなら正しい内容に直すことに賛成する旨の発言をしました(当たり前のことですが)。間違いだとお考えならRigelさんご自身で、出典を明記した上で「正しい記述」に直せば(加筆すれば)いいだけのことでしょう。私の12月の編集ではその記述に出典がなかったこと、および以前からその教義が存在していたとする情報を聞いた事があったため削除しましたが、半年も経った後で難癖をつけてこられるような覚えはどこにもありません。「ラザフォード体制になってから兵役拒否の教義が確立された」とする出典を示して本文に加筆されれば何の問題もありませんし、私が反対する理由も反対できる理由もありません。
なお、私は96年のものみの塔なら持っていますが、ラッセルの時代までさかのぼってまで機関紙を調べることはできないので、もしもRigelさんが仰るものみの塔がラッセル時代のものならば私は検証できていないことは申し上げたいと思います。

間違った内容は掲載すべきではない、というのは「検証可能性」以前の問題です。

具体的にどの部分について仰ってるのか分かりませんが、あなたが問題とされる内容について、私は「間違った内容を掲載」したでしょうか。あなたが問題とされているのは、記述の除去なのではないですか。

「指導部の方針が変わった」というのは完全なる虚偽の推論です

もしそれが真実であるならば、・・・

この点が、私が検証可能性の方針を正確にはご理解いただいていないのではないかと発言した根拠です。(既にWikipedia‐ノート:検証可能性でもKanjyさんから指摘があったと思いますが)Wikipediaでは、それが真実であるか否かと言う点は問われません。それが、「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」ということの意味です。複数の本が「方針が変わった」と指摘している以上は、Wikipediaには書くに値するものとなります。当然、教団側の文章として反論があれば、それもまた載せられるべきです。しかし、一編集者が完全なる虚偽の推論ですと主張したところでオリジナルリサーチに過ぎません。

とても「信頼に値する情報」とは言えません

この点についても同じです。なぜ方針文章に、「この文脈における「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。」とあるのかよく考えてみてください。

レイモンド・フランズ氏は「エホバの証人の反対者」という意味では確かに著名な人物かもしれませんが、「その分野で著名な人物」というのはちょっと意味が違うでしょう?

フランズ氏はものみの塔の最高幹部にいた人物ですから、エホバの証人という宗教団体を語る上では非常に重要な情報源と言えます。もしも氏の本が信頼できないと仰るのでしたら、まずはあなたがノートで根拠を提示して議論を起こし、合意を得るべきでしょう。
なお、このような議論は記事のノートで行うべきであり、明らかに個人の会話ページの用途からは逸脱していますので、以降は記事について議論する場であるノート:エホバの証人にてお願いしたいと思います。ここまでのやり取りは全てに向こうにコピーさせていただこうと思います。O^tsuka 2006年7月13日 (木) 17:41 (UTC)[返信]

以降、この話題はノート:エホバの証人でお願いいたします。O^tsuka 2006年7月13日 (木) 17:49 (UTC)[返信]