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利用者‐会話:Qje

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ウィキペディア日本語版へようこそ!

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こんにちは、Qjeさん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!

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Qjeさんがウィキペディアにおいて実り多き執筆・活動をなされることを楽しみにしております。--ポピュラーポプラ 2007年9月29日 (土) 06:12 (UTC)[返信]

同じような内容の記事を2つ作成されているようですが、ページを統合しては、いかがでしょうか?「現存天守」の記事を存続させ、「現存12天守」は「現存天守」へのリダイレクトで良いと思います。なお、この場合、統合提案の告知は必要ないと思います。--BoB774 2007年10月13日 (土) 13:19 (UTC)[返信]

  • 現存12天守に関心をお寄せいただきありがとうございます。また、慣れてないものですから、お手数をお掛けいたしております。江戸時代以前に建築された天守が、全国に12箇所しかないことが一般に知られていないことに興味を持ち、まとめられたらなと思い、投稿しましたのが始まりでした。本日、整理をしていただいた中で、表記の仕方が気になった部分がありましたので、お知らせします。間違いということでもないのですが、伊予松山城は、伊予を付けないのが一般的です。これは、現在の都市名が松山市のためで、備中松山城も、地元では「松山城」と呼ぶとは思いますが、一般的には松山城との混同を避けるため、「備中松山城」や現在の都市名である高梁市から「高梁城」と呼ぶこととなっています。松山という名はよく使われているため(東松山市の例もありますから)、「伊予」を付けていただいたのだとは思いますが、いかがでしょうか。また、姫路城の便所は、便所の形態をどう判断するかで意見が分かれるようですので、削除したいと思います(どうも松江城にもあるようですし)。今後ともよろしくお願いいたします。--Qje 2007年10月24日 (水) 13:36 (UTC)[返信]
  • 備中松山城、伊予松山城という記事が存在するものだと思い込んでいましたが、いずれもリダイレクトページでした。
    [[松山城 (備中国)|備中松山城]]、[[松山城 (伊予国)|松山城]]
    に修正しました。--BoB774 2007年10月24日 (水) 14:18 (UTC)[返信]

カテゴリ付与について

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松山城 (伊予国)の編集で、Category:愛媛県の建築物・観光名所を追加付与されていますが、従来より付与されていたCategory:愛媛県の城と重複しています。「○○県の城」カテゴリは「○○県の建築物・観光名所」のサブカテゴリになっているため、前者の下位カテゴリが付与されている場合、後者の上位カテゴリを追加付与する必要はありません。Wikipedia:カテゴリの方針#上位カテゴリとの関係をご参照ください。また、現存天守に追加された「観光」カテゴリも同様です。カテゴリをたどると、観光→観光地→各国の観光地→日本の観光地→日本の城 となります。--BoB774 2007年12月1日 (土) 01:54 (UTC)[返信]

天守の件

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たびたびすみません。天守のノートを拝見しました。「投稿された方の意図が不明」とのことですが、ご本人(天守の初版投稿者のReggaemanさん)にも議論に参加してもらったらいかがでしょうか? 差し支えなければ、「適切な記述ではないような気がしています」という記述を削除してから、お声を掛けてみてください。--BoB774 2007年12月2日 (日) 10:47 (UTC)[返信]

  • いつもお声がけありがとうございます。全く個人攻撃をする意図はありませんでしたので、早速、修正させていただきました。文中にも記載したとおり、そもそも復古型というものの説明が理解し難かったため、投稿をさせていただきました。天守構造に関する記述の場合は、現在もその構造となっているのか、歴史的事実としてそうであったのかは、明記する必要があると感じています。例えば、松山城(伊予国)の場合、加藤嘉明築城時には望楼型の5層であったとの説もあり、いつの時点の天守建築を指しているのか、明確にしなければ正確性を欠くような気がします。特に現存以外の城郭のサイトには、(周知の事実を前提として)「鉄筋コンクリート造」と明確に断ってないものもあり、結果として、鉄筋であっても望楼型や層塔型が存在するかのような誤解を与えてしまう可能性があるのではないでしょうか。その意味で、構造に関する例示城郭は、実際に構造が見れる、現存や木造復元天守に限った方が無難でしょうし、また、復古型という分類は、掲載が必要であれば外観上のものとして、分けた方がいいのでは感じています。いずれにしても、当方の知識では、とても修正する自信がなかったため、ノートへの記述とさせていただいた訳です。今後ともよろしくお願い致します。--Qje 2007年12月2日 (日) 13:37 (UTC)[返信]
    • こちらこそすみません。個人攻撃なんて全く思っていませんので、お気になさらないでください。実は私は城郭については詳しくないのですが、天守の「復古型(復古式)」という語はインターネット検索でもヒット数が非常に少なく(下記検索結果)、一般的な語ではないということがわかる程度です。執筆者に聞くのが一番確実だろうと思い、つい首を突っ込んでしまいました。Reggaemanさんには、こちらからお声を掛けておきましたので、よろしくお願いします。--BoB774 2007年12月2日 (日) 14:24 (UTC)[返信]
      望楼 層塔 復古 -Wikipedia - Google 検索 - 17件
      望楼 層塔 -Wikipedia - Google 検索 - 376件
  • BoB774さん こんにちは。いつもお世話になっています。
仕事が多忙だったので、なかなか家庭でパソコンの前に座ることができず、ノートへの投稿が遅くなりました。いまだにこの事典のルールや技法等を十分理解していないため、ご迷惑をお掛けしています。私の城郭の知識は、「城の鑑賞基礎知識」(三浦正幸署、至文堂刊)をメインとして、学研発行のものなどから得ていますが(ちなみにインターネットでは、「まつみInternet」のサイトが非常に役立ってます)、復古型の解説を見たことがなく、「天守」での説明では理解もできなかったので、投稿をさせていただきました。ただ、構造は建築工学の世界のため、とても修正する能力もなく、どなたかが分かりやすくしていただければなと、勝手な希望をもっています。ところで、BoB774さんにお願いがあるのですが、「現存天守」のところに、松本城や姫路城のところにあるように、12城全てが載っているウィキ座標の日本地図を貼り付けていただくことはできないでしょうか。中段の一覧表に所在地が載っているため、それでも分かるのですが、やはり視覚で見れた方が、理解が深まると思いますので…。勝手なことを言ってすみません。--Qje 2007年12月5日 (水) 13:43 (UTC)[返信]
    • 日本地図の件、了解しました。とりあえず、こんな感じで作成中です。これに 12城全て載せれば良いですかね。少し時間が掛かるかもしれませんが、気長にお待ちください。--BoB774 2007年12月5日 (水) 16:11 (UTC)[返信]


  • 早速、ご返事をいただきありがとうございます。カラーを分けて表示できる機能があるのは知りませんでした。とても楽しみにしていますので、なにとぞよろしくお願いいたします。日本の都市はほとんど、城下町を中心に経済・文化が発達しており、ベルサイユや故宮など、世界的に有名な城(宮殿)にも行ったことがありますが、日本ほどの繊細さや城を中心とした町作りへの情熱をあまり感じることはできませんでした。城はある意味、日本文化の象徴だと思ってまして、いわゆる本物として残っている幸運な12城は、本当に貴重な存在だと感じています。そのことを正確に皆さんに知らせることができればとの思いで、慣れない投稿を始めた次第でありまして、BoB774さんのフォローにとても感謝しています。--Qje 2007年12月6日 (木) 11:56 (UTC)[返信]
  • 地図の件ですが、いろいろ検討しまして 2種類作成してみました。「私の作業場」にアップしましたので、時間がある時にご確認ください。色分けは12城だと12色になってしまい、わかりにくいので中止しました。プロットは縦棒だと位置がわかりにくいのでドットに変更しました。最初に下の地図を作成したのですが、少し見づらいかと思い、上の地図も作ってみました。下の地図の方がわかりやすいような気もしますが、どちらがいいですかね。また、現存天守のページへの貼付位置は、どうしましょうか? 「現存12天守」の節に所在地の記載があるので、すぐ上の「概要」の右側か、あるいは下の「12城の特徴」冒頭文の右側あたりですかね。--BoB774 2007年12月8日 (土) 04:23 (UTC)[返信]
  • BoB774さん、お世話になります。すばらしい地図ですね。私も下の地図方がいいと思います。また、貼り付ける位置は、「概要」の右側でいかがでしょうか。これで、位置関係がすごく分かりやすくなると思います。本当にありがとうございます。--Qje 2007年12月8日 (土) 09:35 (UTC)[返信]

項目「天守構造」について

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お忙しい中失礼します。天守・復古型議論に於きましてはお疲れ様でした。まだ、解決とはなっていないようですが、天守に関してマンネリ化した部分が活性化し、また、より深い考えを得ることができました。個人的にお礼を申し上げます。この議論についてはこのノートにてQjeさんの考えをきっと理解したつもりで行わせていただきました。

ただ、現存・木造復元天守とそうでないものを全く分けるという考え方は、厳密すぎるかもしれません。城郭に関して詳しくない方からしては、城郭に少しでも詳しい者のいう外観上のものと構造上の物との区別が難しいということと反比例して、単純に外観からの区別でしかないのが実際であり、もちろん、こういった構造上や外観上の望楼型・層塔型・復古型・略式等は城郭研究者や歴史家等の後付でしかなく、実際に天守の建築構造での軸組みの基本的な造られ方に大きな変りはありません。ただ、屋根の逓減率や望楼としての機能等によって区別されているということだけでありますので、元来、天守は視覚がメインであり、構造はどうでもいいというのが本当のことかもしれません。

私としては、外観復元天守も復興天守も何で建てられていようとも容姿は、望楼型なり層塔型でありますのでそう区別しても間違えではないのではと本心に控えていましたが、これを申しますと、復古型の区分も難しくなり、また、単純に文章としては読み辛いものとなってしまう気がしまして、結局は、元の曖昧な分類となってしまうのではと思いました。

個人的な見解ですので、これにつきましては、聞き流していただいて結構です。

さて、日本の城のテンプレートの天守構造の項は、主に当時の建築に関して書かれることであると思われますので、一応、区別を付けるために、改行以降復元鉄筋コンクリート造とだけ書かれている部分の冒頭に「現在:」と付け加えています。全てへの加筆は区別の必要があるかを加筆をされたQjeさんより意見を聞いてからのほうがよいと考えましたので、一応熊本城のみにて行ってみました。--ムカイ 2007年12月14日 (金) 14:56 (UTC)

  • ムカイさん、こんにちは。お声がけありがとうございます。また、城郭に関する知識の深さには、いつも敬服しております。さて、鉄筋コンクリート造の表示にこだわったのは、「この城にエレベーターはないのですか?」との質問に、「江戸時代からの建物ですから」と説明すると「へ~本物の城なんですね」と言われたことにあります。三大名城と言われる「大坂城」「名古屋城」「熊本城」も残念ながら、今は鉄筋コンクリート造です。しかも、それらは、エレベーターがあったり、内部でエアコンが効いていたりする。外国人を含め観光客が天下の名城としてよく行くだけに、これが現代に残っている天守構造だという認識の多さに、危機感を抱いて投稿を開始したのが理由の一つでした。もちろん、全ての天守が内部に入場できないのであれば、望楼型や層塔型の説明も、破風の構造説明の一環だけにとどまるのかもしれません。でも、貴重な現存12天守はもちろんのこと、建築技法・材料や建築基準法などの課題をクリアした木造復元もほとんど内部に入れます。また、それを知った上で見てもらえれば、日本の建築文化たる天守構造の理解に相当役立つと考えています。ですから、現状の城(天守)の構造の、正確な知識を提供するのが事典の役割だと思い、加筆させていただいた訳です。もちろん、鉄筋コンクリート造の天守を否定する気は全くありません。城郭の外観を整備することは、城の全体の構成を理解する上で重要なことだと思っています。しかしながら、これらの城郭のサイトを見ても、周知の事実としてか「鉄筋コンクリート造の外観復元」と明確に書いていないものも多いのです。その上に例えば「3重4階望楼型」と説明があったとすれば、木造・鉄筋の区別なく、そのような建築技法があるように誤解されてしまうのではないでしょうか。そのために、まず現在、見えるものを基準として、天守の構造は説明すべきだと思います。なお、テンプレートの天守構造の項が、主に当時の建築に関してのことであるとすれば、例えば、松山城は築城当初は5層でしたが、望楼・層塔の両説があるなど、かなり難しい記述になってしまうかなという気がします。本文中に記載するのであればともかく、やはり、一般の辞書ユーザーは現状の天守構造だと思ってテンプレートをご覧になることが多いと思いますので、現在存在する天守の構造を基準とし、歴史的な説明で必要であれば、当時の構造も簡単に加える方がより分かりやすいのではないでしょうか。ムカイさんの熊本城への加筆は、分かりやすくていいのではと思いましたので、お宜しければ修正していただいたらと思います。お手間を取らせてすみません。今後ともご指導の程、お願いいたします(うまくまとめることができず、分かりづらい文章となったことをお詫びします)。--Qje 2007年12月15日 (土) 04:37 (UTC)[返信]
早速のご返事ありがとうございます。私も厳密であることに反対ではありませんし、事典として当然の記述の行い方だと思います。ただ、過剰になってしまわないようにできるだけ必要な部分を適度にできたらと思います。
松山城(伊予国)の大天守を例に挙げられましたけど、このような例に関しては、
連立式5重(型式は不明・諸説あり)-改行-現在:現存(大天守)・連立式層塔型3重3階(~年建(改・再))
などとして後の分は本文に触れるようにしてみてはどうでしょう。
今後私も、関連する加筆のほうも、すすめて行きたいと思いますが、足らない部分がございましたらご指導のほどをお願いいたします。--ムカイ 2007年12月15日 (土) 10:19 (UTC)
  • ムカイさん、修正のお世話になり、ありがとうございます。また、皆様のご協力により、城郭関係の事典内容が充実してきたのではないかと思っています。さて、現存天守の項目の中で、櫓について触れておられましたが、確かに櫓であっても宇土櫓のように貴重なものがあるのは事実でして、それらを「現存櫓(城郭)」として項目を立ち上げ、解説することができればと感じてしまいました。現存櫓(城郭)や現存門(城郭)で各城郭を列挙すれば、日本の建築文化であるお城の魅力が、より具体的なものとして整理されると思いますし、城郭知識の向上にも役立つのではないでしょうか。なかなか大変な作業になるとは思いますが、ムカイさんの城郭に関する知識をもってすれば、可能かと存じますので、ご検討いただければ幸いです。勝手なお願いをして誠に申し訳ありません。ムカイさんの、ますますのご活躍を期待いたしております。--Qje 2007年12月18日 (火) 09:21 (UTC)[返信]


こんにちは、現存天守は充実した記事になってきたということで、大変、悦ばしく思います。宇土櫓に関しては、そういった見解もあるということだけ触れてみたという程度でした。宇土櫓に関しては、熊本城に特記して見ようと考えておりますがいまいち資料不足で、書き出せずにおります。
さて、私も現存天守を加筆している時にその節に関して考えておりました。ただし、特記すべきもののみとしても城郭建築の文化財は多いですので、一覧になることがあるかもしれません。まずは、Category:日本の城Category:現存建築のある日本の城跡等としてサブカテゴリを造るという方法も考えましたがいかがでしょう。--ムカイ 2007年12月18日 (火) 14:28 (UTC)[返信]
  • ムカイさん、ご連絡をいただきありがとうございます。サブカテゴリの件ですが、できれば「現存天守」の加筆や画面添付でお世話になっている、BoB774さんのご意見も聞いていただければと思います。私は特に異存はないのですが、このノートにありますとおり、カテゴリのことは弱いもので…お手数をお掛けしてすみません。--Qje 2007年12月19日 (水) 10:13 (UTC)[返信]
    • どうも、BoB774です。Category:日本の城のサブカテゴリの件ですが、「現存建築のある」という切り口でのカテゴリ分け追加については賛成です。残念ながら城郭についての知識はあまりないので、カテゴリ分けの際にご協力できることは少ないと思いますが、また何かありましたらお呼びください。--BoB774 2007年12月19日 (水) 11:39 (UTC)[返信]
    • BoB774さんこんにちは、ご意見ありがとうございます。私も、それに賛成します。ただ、私もカテゴリには、あまり知識がありませんので、それの行い方などをマニュアルを読みながら行っていきたいです。ムカイ 2007年12月19日 (水) 14:11 (UTC)[返信]
    • 私もカテゴリを新規作成した経験はありませんし、十分理解しているとは言えません。とりあえず、Wikipedia:カテゴリの方針Help:カテゴリをよく読んで理解するしかありませんが、作成手順について簡単に説明しておきます。カテゴリを新規作成する場合は、まず現存天守のページ編集で [[Category:現存建築のある日本の城跡|*けんそんてんしゆ]] を追加して保存 → 現存天守のページ内に追加されたカテゴリ「現存建築のある日本の城跡」の赤リンクをクリックして新規カテゴリの作成画面を開き、説明文と親カテゴリ [[Category:日本の城|けんそんけんちくのあるにつほんのしろあと]] を入力して保存という手順になります。--BoB774 2007年12月19日 (水) 22:37 (UTC)[返信]

サブカテゴリを以上の手順を元に作成してみました。以降、この件に関しましては、Category:現存建築のある日本の城跡のノートへお願いします。--ムカイ 2007年12月20日 (木) 15:48 (UTC)

  • 皆さん、どうもお世話になっています。カテゴリの件は、よろしくお願いいたします。BoB774さんにまたお願いがあるのですが、現存天守のページへのムカイさんのより詳しい解説文加筆により、文書量が増加しましたので、冒頭部分に姫路城のページにある「姫路城鳥瞰図」を貼り付けることは可能でしょうか。現存天守の代表格が姫路城であることに異論はないと思いますので、昔からあるというイメージではふさわしいのではないかと思いますし、ページが見やすくなるのではと考えました。ご検討いただければ幸いです。なお、当方のパソコンの調子が最近、あまりよくないため、ご連絡をいただいても、返事が遅くなるかもしれませんので、失礼の程、お許しください。--Qje 2007年12月20日 (木) 09:59 (UTC)[返信]
    • 現存天守の冒頭部分に「姫路城鳥瞰図」を貼り付けてみました。--BoB774 2007年12月22日 (土) 01:55 (UTC)[返信]
    • 鳥瞰図を貼り付けていただき、ありがとうございました。より見やすいページになったのではないかと感じています。また、皆さんのご協力により、城郭関係の内容が充実してきたと感謝いたしております。当方のパソコンは、どうもHDの不調により頻繁にフリーズを起こしているようで、問題解決まで、あまり出れないと思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。--Qje 2007年12月23日 (日) 02:28 (UTC)[返信]

写真の張替え等について

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Qjeさん、こんにちは。さて、Qjeさんは、松山城や道後温泉の利用者:Jyo81会話 / 投稿記録さんの写真の張替えが行われると、突然現れて差し戻されていますが、なぜですか?利用者:Qje会話 / 投稿記録さんんと利用者:Jyo81会話 / 投稿記録さんはお知り合いですか? ウィキペディアはフリーといえども百科事典でして、写真も事典としての情報提供にふさわしいものが求められております。あなたが変更された内容は、特定の写真の掲示を目的とした単純な動機によるものと推測され、写真の優劣を全く考慮していないものです。例えば道後温泉本館正面は数年前から車両の通行はできないというとんでもな理由で差し戻されていますが、車はどちらも写っていません。あなたが死守されたJyo81さんの道後温泉本館の写真は変に歪んでいるのです。また、あながた死守されたJyo81さんの松山城天守の写真もクローズアップすぎて情報が足りませんし歪んでいます。あなたはウィキペディアに不要ともいえる写真を死守しているんです。そのような自己中心的な編集は金輪際おやめくださるようお願いします。--Hirdkarry 2011年1月30日 (日) 00:02 (UTC)[返信]

  • Hirdkarryさん、こんにちは。さて、感情的と思える投稿をいただきましたが、私は利用者:Rohadana会話 / 投稿記録さんや利用者:Woanger会話 / 投稿記録さん、また、利用者:Hirdkarry会話 / 投稿記録さんのように、次々突然現われて写真の張替えをしている訳ではありません。しかも、内容的にはなぜか利用者:Rohadana会話 / 投稿記録さんのノートに記載したことへの反論となっていますが、道後温泉の「2010年10月23日(土)14:13時点における版」にあるように、古い写真への張替えについて指摘をさせていただいておりまして、非建設的な内容と思える編集だったため、単にもとに戻しただけです。私の投稿履歴を見れば分かると思いますが、松山城道後温泉に継続的に記事を投稿した者として、その内容にふさわしい写真の添付を望んでいるだけでして、写真も貴重な情報源のため、主に「松山市の画像」のカテゴリから選択させていただいております。また、すべての写真を私が張り付けた訳でもありません。今回、画像が歪んでいるとクレームを付けておられますが、残念ながらHirdkarryさんが張り付けた写真がよりいいとも思えませんし、情報提供にせっかく役立っている写真を削除するのも理解に苦しむところです。ウィキペディアは、いわゆる2chではありません。多数の方が事典として利用されていますので、建設的な投稿にご協力ください。個人攻撃はやめてください。個人攻撃はやめてください。これ以上続ければ、ウィキペディアの編集ができなくなる投稿ブロックの対象となります。ご注意ください。--Qje 2011年1月31日 (月) 09:16 (UTC)[返信]

写真の張替え等についての警告

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他の方々からもいろいろと言われているようですが、Jyo81氏の画像を屁理屈こねまわして張り替えたり貼り戻すのは止めてください。Qje氏がJyo81氏の写真を貼りかえられるたびに現れているのは履歴が証明しています。それを指摘されてカモフラージュに走っているということさえ履歴が証明しています。Qje氏の編集に正統性はありません。画像がBSで使われようが関係ありません。松山城天主の一部しか写っていない画像が百科事典の画像としてベターであるはずもありません。これ以上続ければ、ウィキペディアの編集ができなくなる投稿ブロックの対象となります。ご注意ください。--Kancham 2011年2月5日 (土) 09:49 (UTC)[返信]

この道後温泉の画像もQje氏は貼り戻していますが、これは”白く飛んだ失敗画像”ってやつです。自覚してください。Qje氏は2chに詳しいようですが、ここは2chに慣れていない人や不快感をもつ人は大勢いるのです。2chなどという単語を軽い気持ちで使わないように。これも警告しておきます。

世界はあなたを中心に回っていないのです。--Kancham 2011年2月5日 (土) 10:20 (UTC)[返信]