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浄満寺(佐賀市)[編集]
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
光寿山 浄満寺(こうじゅざん じょうまんじ)は、佐賀県佐賀市にある浄土真宗本願寺派の寺院。
浄満寺 | |
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所在地 | 佐賀県佐賀市高木瀬町長瀬909-1 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 1633年 |
開基 | 明覚 |
法人番号 | 9300005000650 |
歴史[編集]
鍋島茂忠(茂賢)の家臣広松源之焏重政が開基と伝わっている。
重政は文禄・慶長の役で朝鮮半島への出兵の後戦死者の遺骨を埋葬し、そこに仏閣を建て光寿廟と称したのが寺の始まりとされる。
その後寛永10年(1633年)重政は出家し、本願寺第十三代門主良如上人より釋明覚の法名、浄満寺の寺号、阿弥陀如来像を賜る。
境内 [編集]
本堂 [編集]
本堂内には光寿廟と記された額がある。
天保3年(1683年)仏閣を再興す。
明治38年改築
昭和7年屋根替え 萱から瓦へ葺き替える。
平成14年屋根替え 本瓦へ葺き替える。
納骨堂 [編集]
昭和43年完成 名称光壽閣と称す。
平成15年改修
門徒会館 [編集]
昭和62年新築
平成23年台所改築
その他 [編集]
- 寛文8年(1668年)七高僧・聖徳太子・准如上人絵像を安置。
- 享保11年(1726年)ご門徒の喜捨により寺鐘を鋳造。
- 明治9年(1876年)ご門徒の喜捨により喚鐘を鋳造。
- 平成30年(2018年)ご門徒の喜捨により蓮如上人絵像を安置。
- 明治8年(1876年)坪上小学校設立。現在山門付近に坪上小学校跡の石碑がある。
- 手切れキンニョン。
- 沼の橋(ノマン橋)。
- 大楠(樹齢約200年)
住職[編集]
開基 釋明覚(広松源之亟重政)
二代 釋淨縁
三代 釋雪岩
四代 釋雪堂
五代 釋雪門
六代 釋昌瑞
七代 釋春江
八代 釋仁猷
九代 釋雪道
十代 釋僧暎
十一代 釋春江
十二代 釋蓮乗
十三代 釋義照
十四代 釋正義
十五代 釋静道
十六代 釋宏之
十七代 釋思音
交通[編集]
- JR長崎本線佐賀駅よりバスで16分
- 佐賀大和ICより車で8分
参考文献[編集]
『高木瀬町史』224頁~231頁