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利用者‐会話:Toki-ho/おやんずさんとの対話

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ノート:ヌーディズムノート:ヌーディズム#「採決にしたがってもらえるかどうかのToki-hoさんからの疑念」に、おやんずさんが書かれた、ご意見に対して、私が自分のノートでおこたえしようといった経緯から、こちらに対話をうつしました。Toki-ho 2005年12月15日 (木) 01:46 (UTC)[返信]

対話 その1[編集]

この対話は2005年12月15日にToki-hoによってはじめられました。

はじめに[編集]

おやんずさん。 わたしの問いに対して、真剣にご自身の立場を説明してくださいまして、ありがとうございます。 それに対するおこたえをこの一週間ばかり、おりにふれて考えていたのですが、なかなか、上手にまとまりません。でも、思い切って書いてみます。どうかお読みください。まずおやんずさんの立場にたって、私がどういうふうに経緯を認識しているか書きます。あくまで、「私」という人間の目からみたことがらですので、それが「事実」であると、いっているわけでないことをお含みおきのうえ、ご覧ください。そのあと、それについて私がどういう意見をもっているか書いてみます。最後に、わたしがどうするべきか考えたことを書きます。うまく書けないかもしれませんが、どうか、よろしくお願いいたします。

toki-hoの理解しているいままでの経緯[編集]

注)以下の項目中末尾の○とか△については小野田(おやんず)による追加

1)おやんずさんが、ヌーディズムに真剣にかかわっておられ、そこに、お考えのちがうNudite d'Europeがはいってこられた。(○)
2)そして おやんずさんの ホームページで、Nudite d'Europeさんは、おやんずさんの言葉を借りると「あらし」をされた。(○)
3)それを おやんずさんは削除もせず、改変もせず、ゆるしておられた。(○)
ここまでがWikipedia外部のことです。
4)ある時、wikipediaのヌーディズムのリンク位置が、Nudite d'Europeさんの手でかえられていることに気がつかれた。(○)
5)そこで、ノート:ヌーディズムでの論争がはじまった。(△ 始まったのは外部リンクの編集合戦です。保護措置後論争が始まります。)
6)おやんずさんはその場で、Nudite d'Europeさんのハンドルネームを、ご自身がご存知のハンドルネームで呼ばれた。(△ ここと次の2つについて事実経過がピントを外れています。)
新6)おやんずさんは、Nudite d'Europeさんの加えた外部リンクの所有者の公にされているハンドルネームを文章中で使って発言を書き込んだ。--おやんず 2005年12月16日 (金) 08:12 (UTC)[返信]
7)Nudite d'Europeさんは、その名前をWikipediaでつかっているハンドルネームに書き換えられた。
新7)Nudite d'Europeさんは、彼自身の独断専行で、発言者に一切同意を求めることなくその所有者のハンドルネームを伏字に書き換える操作を行った。--おやんず 2005年12月16日 (金) 08:12 (UTC)[返信]
8)それをおやんずさんが指摘すると、Nudite d'Europeさんは、「wikipediaでは、記事を自由に編集することができる」という趣旨のことをいわれた。(○)
9)そこで、おやんずさんはNudite d'Europeさんの利用者ページにご自身が「正しい」と思っておられる情報を書き込まれた。(○)
10)ところが、wikipediaでは、他人の利用者ページの改変は特別なことがないかぎり、ブロック対象になるので、miyaさんが警告された。(○)
11)それをおやんずさんは警告ではなく脅迫ととられた。(○)
12)miyaさんは、脅迫ではないことを説明され、「ご自身はブロックしない」とおっしゃった。(○)
13)そのあとにKMTさんが、一週間のブロック措置をとられた。(○)
14)おやんずさんは、抗議のメールを送られたが、そのメールは、他の利用者に公表された形跡がなかった。(○)
15)ブロック期間がおわっておやんずさんは、帰ってこられた。(○)
16)Nudite d'Europeさんのブロック依頼をなさったが、誰の賛成意見もつかず、不成立となった。(△ これを行ったのは10と11の間です。)
17)ふたたびノート:ヌーディズムの論争に参加された。(○)
18)私toki-hoは、その議論を追うなかで、おやんずさんのブログを見て、KMTさんの措置に納得されていないことを知った。(○...ですよね)
19)そういう経緯から、私toki-hoはノート:ヌーディズムの議論のなかで、おやんずさんの意見が多数決で採用されない場合、納得されないのではないかと、疑義を呈した。(○)
20)それに対して、おやんずさんは、おやんずさんの言い分(wikipediaへのメールに書かれたこと)を聞いていない 私toki-ho、及び他のwikipedianが おやんずさんの行為を正当に評価できるだろうかということを、ご自身のメールも引用して説明してくださった。(○)


以上のような経緯であったと私は認識しております。もちろん、わたし自身の思い違いや、また先入見などがあって、事実をゆがめて認識しているところもあると思います。しかし、これがおおむね、わたしの理解できる事実です。(これからお話するうえでかわっていくこともありえます)

toki-hoの考えたこと[編集]

Wikipediaには、毎日多くの方が参加され、膨大な量の記事がかかれます。ボランティアの管理者の方の仕事は膨大です。多くのwikipedianは、なるべく、管理者の仕事をふやさないように(つまり、削除依頼されるような記事をつくらないように、とか、自分がブロックされるような事態にならないように とか、そのほか、いろいろときまりごとを、まもっていけるように)努力しています。もちろん、なかには、こどもさんがいたずら書きをしたり、おもしろがってあらす人がいたり、「共同で百科事典をつくる」作業にはふさわしくない行為も散見されます。

おやんずさんは、ご自身で決して「あらそう」という意識はない(Nudite d'Europeさんによっておとしいれられ、KMTさんによって不当にブロックされた被害者)とおっしゃっているので、この「いたずら」や「あらし」といわれても、あてはまらない と 思っておられると思います。しかし、おやんずさんの日常や、Nudite d'Europeとの確執をよく知っている方からみれば、「正当行為」であったとしても、存じ上げないわたしのようなwikipedianからみれば、おやんずさんの ノートでの言葉づかいをみるだけで、「この人お行儀わるい!=あらし」と思ってしまうのです。miyaさんのノート・ページに書かれた「脅迫」云々の言葉もそうです。それが、私の「悪さ」(=人の事情をよく知りもしないでWikipedia上に書かれた言葉だけを見て判断する)です。こういう行為(ことばづかいの荒さ、他の利用者ページの改変)がこのコミュニティーでは「あらし」と見られることはご理解いただけると思います。<そのことがおやんずさんからみれば、閉鎖的で不当と思われても。たしかに、そう見る人がいても不思議ではないと存じます>

「理解」はしておりません。それは、ひとえに誤解を与えるようなシステム設計になっていて、誤解から起こる事故によって悪者にされたと主張しているにもかかわらず、管理者は得体の知れない「コミュニティー」なる存在(この括弧内の項目についてウィキペディアに検索をかけても項目としてまったく出てこない)からの支持という権力を傘にして、弁解の機会も与えない一方的判断で「IPブロック」という報復的制裁をかける。本来、こういう処分対象者にとって致命的打撃を与えるような重い処分を与える際には、その意思決定の責任体制を通じて、事前に反論者の意見を聴取する制度を設けるべきであります。そして、それに対して閉ざされたメーリングリストにてこそこそと意見を戦わせるのではなく、ML外の万人が見ることができるページにて堂々と管理人の主張するべきであります。本来、そういう正々堂々とした態度が管理人の側にあれば、私が荒らしを目的としていないことは「話し合いにてわかること」だったはずと私は見ているのです。私は今回の管理人の専制体制を見るにつけ、五・一五事件での逸話「話せばわかる」「問答無用。撃て」のシーン(実際はこのようなシンプルな会話でなかったようだが)が頭をフラッシュバックします。一体にして管理人を負かされている人間は、こういうdebateの訓練をしっかりつんだ素養を持ち合わせているのでしょうか。KMTにしろ、Miyaにしろ、本名も連絡先も明らかにせず、きわめて無責任の権化の人間のくせに、こうして名も住所も明かして公で活動している人間に対して権力を振りかざして「はらいせ」としての報復を行いっている。ウィキペディア内で皆の目の届くところで議論しようとしても、論議拒否としか受け取れない「黙殺」によって返事が返ってこない。対話をそちらが拒む以上、こちらは不当な制裁について、国家が用意した法廷という場でKMTやMiyaの行った人権侵害の是非を争うしかないと認識している次第であります。--おやんず 2005年12月16日 (金) 09:05 (UTC)[返信]

さて、KMTさんも、そう判断されたひとりだと思います。そのタイミングが、おやんずさんが、利用者ページの改変をなさらなくなったあとであったとしても、この行為や、miyaさんの会話ページの書き込みなどを見て、頭を冷やしていただくために「対話のためのブロック」をされたのだと思います。そして、誰からも反対はなかった。ということは、コミュニティーが、KMTさんの行為をみとめているのだということです。そのことが、おやんずさんのお心を大変傷つけたことは、説明を読ませていただいて、ほんとうによくわかりました。ご自身が「正当」であるのに、「不当(それもさきにホームページや、ヌーディズムの理念をあらした)」なNudite d'Europeさんは、ブロックされない、ということ。それが納得いかれない一番の理由だと思います。

さて、ここから、わたしの意見を書きます。わたしは、なぜ、「あらしにみえる行為」をしないのでしょうか。わたしだって、自分のかかわっている分野で、どうしても納得のいかない編集があります。ノートでさんざんに悪態をついて、リバートを繰りかえし、多くのWikipedianに不快な思いをさせて、自分の思うことをすれば、どんなにすっきりするでしょう!(申し添えますが、おやんずさんが、そのように「すっきりするために」議論していらっしゃるのではないことは、重々承知しています。でも、外からみると、そういうふうに楽しんでいる人と「同じ」ように見えてしまうこともたしかなのです。そしてそういうふうにみてしまうことは、私がかたよった目をもった悪人である由縁です)でも、そうして存分に楽しんだあとは、孤独がまっています。Wikipediaから追い出され、自分の好きな記事も書けない、結局、「納得のいかない編集」にもどされて手がだせない状態になることを恐れるからです。それよりも、現時点では、その納得のいかない編集に目をつむり、「いつの日にか」正しい記事になることを待つことのほうが、よりいっそう自分の目的に近くなると思っているからです。それに、待っているうちに、自分の意見のほうがかわっていくこともあるかもしれません。

これが、わたしのいまいえることです。うまくつたわらないかもしれませんが。。。おやんずさんが ヌーディズムを愛しておられるように、そしてそれがゆえにご自身の正当性、主流性を主張されるように、Wikipedianも、自分たちのWikipediaを愛しています。KMTさんしかり、miyaさんしかりです。その愛し方が多少激烈で、そして、その激烈さが、人の心を傷つけることもあると思います。わたしも、自分では人を傷つけまいとおもいつつ、ものごとへの執着が、結局は他者を傷つけていることがあると思っています。ごめんなさい。わたしは、ほんとうになんべんもいいますが、おやんずさんの、ヌーディズムに対するまじめな取り組みを尊敬しています。そういう真摯さを見習いたいと思います。

そして、願わくば、わたしたちWikipedianのwikipediaに対する真摯さにも、温かい目をむけていただきたいと思うのです。その真摯さが、おやんずさんのお心を傷つけたのであるとしたら、わたしはあやまります。それは、wikipediaを愛することにともなう「悪」の部分でしょう。そして、同時に、そういう「悪」の部分をもってしか、「愛」もなりたたないのです。自分が愛するWikipediaを守るために、たとえそれが、他の人にとっての「悪」であっても、するということ。それしか手がないということ。おわかりいただけないでしょうか。では、そんな「悪」をしてまで、どうしてwikipediaを愛するのか、と、お尋ねになったら、わたしは「好きだから」としかこたえ様がないのです。おやんずさんが ヌーディズムを「好き」なように。

管理者だけがWikipediaに関わる人間ではありません。管理者だけが愛をもっていてそれ以外の人間の思いはそれに比して劣ると言いたいのでしょうか。愛あれば免じられる「必要悪」として今回の私への不当な報復制裁が正当化されると言いたいのでしょうか。KMTやMiyaが謝罪してウィキペディアとして公式謝罪文を掲載するなら決着は可能ですが、あくまでも私への報復を正当化して論議拒否を続けるのであれば、こちらも淡々と法的被害救済機関への提訴の作業を進めるしかありません。米国のウィキメディア財団がすべての責任を背負って受けてたつのか、KMTやMiyaたちに限定して提訴可能であるのかはこちらも弁護士と相談が必要でありますが、そちらがあくまでも管理者には一切落ち度がないと言い放つなら、別の公の場(法廷)で議論を戦わせましょう。--おやんず 2005年12月16日 (金) 09:05 (UTC)[返信]

そして、わたしのできること[編集]

こんな 逆説的に聞こえるようなことをいって誤解されるかもしれないのですが、おやんずさんが「全会一致」に意見をかえられたことに、とても感謝しています。おやんずさんの、ヌーディズムの愛し方を見るかぎり、Nudite d'Europeさんの意見に同調することは、できないと思うのです。また、同じ意味でNudite d'Europeさんも、同調なさらないでしょう。議論は平行線をたどるでしょう。つまり、当事者同士では、どうにもならないのです。そして、なんべんもいいますが、それはそれでいいのです。「お互いにゆずれない」ことで、同意が成立したのですから。このあとは、将来のWikipedianにまかせればいいと思います。いま生きている人のせいいっぱいの努力で、記事はこの状態であるけれども、また新しい知恵が、Wikipediaをなんとかしてくれと思います。

さて、おそまきながら、お役にたつかもしれないページをリンクしておきますね。

最後に、おやんずさんご指摘の「利用者ページに他者が書き込めないようにする」案ですが、以前もどこかで議論になったことがあるのですが、利用者自身による非常に不適切な書き込みがあった場合(猥雑や他者に対する誹謗中傷、プライバシー侵害など)、見た人がすぐに対処できるように、「だれでも編集できる」という機能は保障されていなければならないと思うのです。しかし、「このページは◎◎(猥雑な書き込みがあった場合白紙化するなど。)の場合以外は利用者本人しか書き込まないでください」という注意書きをいれることは、可能かもしれません。というのも、わたしはWikipedia:あいさつ同好会 (仮)の会員なのですが、いままでに2回ほど、ノートページと利用者ページをまちがえて、利用者ページに書き込んでしまい、管理者の方に、削除してもらったことがあるのです^^;; この件、いつか、どこかで提案してみます。

いろいろ申しました。わかりにくいところ、つたわらないところ、また、間違ったところがあると思います。質問や、お叱り、それからほかに、なにかありましたら、この下にお気軽にお書きください。このページ内では、わたしの発言をご自由に引用してくださってけっこうです^^。ただ、ここでのお話を拡散させないために、おやんずさん以外の方からのお返事は、ここにはご遠慮いただきたく、どうかよろしくお願いいたします<(_ _)>。また、おやんずさんからのお返事がここになくとも、「対話拒否」とは思いません。ただし、おやんずさんが、ほかのところで、このページの話題をなさるときは、お手数ですが、そのことを、こちらに書いていただきたいです。よろしくお願いいたします。今回、おやんずさんにあてて書くことで、自分自身のwikipediaに対する思いや考え方も検証できたことを大変ありがたく存じております。それと、それと、この長大な文を(たぶん15kbくらい)のっけてくれているWikipediaのサーバーに感謝です。いつの日かおやんずさんとの対話がおわったら、削除依頼だしますので、もうちょっと、ゆるしておいてください。ありがとうございました。Toki-ho 2005年12月15日 (木) 01:46 (UTC)[返信]

対話 その2[編集]

おやんずさん、事実の認識のちがいなどを、訂正してくださり、ありがとうございます。ちょっと、いま他に時間がとられています。また、ゆっくりお返事書きますので、今週の週末ごろ(12月25日ごろ)までお待ちください。それと、メーリングリストのことですが、こちらで、公開されています。もし、公開されていないと勘違いされているようでしたらいけませんので、一応、URLをあげておきます。:http://mail.wikipedia.org/pipermail/wikija-l/

上の*Wikipedia:メーリングリストにも、リンクされていますが、ご覧になっていなければと思い、書いておきました。Toki-ho 2005年12月18日 (日) 11:51 (UTC)[返信]

こちらも数日風邪でダウンしておりました(仕事は休めませんでしたが)。管理者のMiyaは利用者‐会話:Miya/ヌーディズムにても私を批判し続けております。弾圧の現実を語ること自体を不穏当というなら、ヌーディズム・ナチュリズムの歴史自体を不穏当と言うに等しく、各種社会運動を取り上げたサイトは軒並み語ることを禁止されることでしょう。極最近、みっちという人物が怒りに満ちた文章をぶつけてきております。御一読くださいませ。--おやんず 2005年12月21日 (水) 01:26 (UTC)[返信]

対話その2 本題[編集]

こんにちは。おやんずさんお風邪だいじょうぶでしょうか。お大事になさってください。さて、お返事を書こうと一週間おりにふれ考えていたのですが、これは、すごく難しい問題だということがわかってきました。難しいというのは、解決が難しいとか、関係がややこしいとかいうのではなく、一種の哲学的な問題なのかなーということです。ですので、ちょっと、そっちの方面からアプローチしてみます。つたない論ですが、お読みください。

まず、おやんずさんがNudite d'Europeさんの利用者ページに書き込みをなさったのは、元をさかのぼれば、ひとえに「ヌーディズム本流」をまもるためでしょう。Nudite d'Europeさんは、おやんずさんの目からみれば「ヌーディズムの権利獲得をじゃましている」人です。それに対しておやんずさんは「ヌーディズムの権利獲得のために活動」しておられます。おやんずさんが Wikipediaでブロックされたことによって、いわばWikipediaが「ヌーディズムの権利獲得のじゃまをしている人に加担した」というかたちに 見えるのだと思います。そう「見えてしまうこと」はどうしようもないことなので、そのことに深くふれるのはやめます。

Wikipediaがブロックをおこなうことは、きわめてよくあることです。それは特別ページをご覧になれば、おわかりになると思います。WikipediaのブロックはWikipedia内のルールはありますが、外からみれば、きわめて恣意にみえるのかもしれません。そしてそれを名誉毀損とおとりになることも、故のないことではないかもしれません。ただ、わたしたちはもちろん、そのような「見方」をしていません。たんに「おだやかに対話をしていただくためには、時間をおくためにブロックが有効」としているにすぎません。しかし、認識のちがいをもって訴訟をされることも、わたしたちにはとめることはできません。もし、そうなさることが、おやんずさんの目的「ヌーディズム」の権利獲得につながるならそれも仕方がないだろうと私は思います。

しかし、いまそのことに時間をとられるよりも、もっとほかのところで、お時間をつかわれるほうが、ヌーディズムにとっても、そしておやんずさんご自身にとっても、得策だと 思うのです。もちろん、そうしてくださればWikipediaにとっても、ありがたいです。WikipediaにはWikipediaの言い分がありますが、おやんずさんに、その言い分を納得していただくのには、果て知れぬ努力が必要です。また、おやんずさんが、Wikipediaのシステムや運営にかかわってくださることを拒むものではありませんが、多分、そのためには、ものすごいリソースをお使いにならなくてはならないと思います。互いに、そのような力をつかうより、互いにすみわけて、おやんずさんはおやんずさんの世界で、ヌーディズムにかかわり、Wikipedianは「共同で百科事典をつくる」ことに専念する、いまのところ、それくらいしか、私にはいえないのです。

さいごに、「得体のしれないコミュニティー」のことをご指摘いただき、ありがとうございました。それを拝読して、いままで気づかなかったことに気づきました。Wikipediaは誰にでもひらかれている百科事典です。しかし、「誰にも」というのは、これは閲覧者に対していえることです。ですから、閲覧者全員をさしてWikipediaのコミュニティーということはできません。では、コミュニティーとはなんでしょうか。執筆者のことでしょうか。しかし、何千人もいる執筆者全員がコミュニティーを形成しているとは、言いがたいでしょう。それでは、Wikipediaとコミュニティーとコミュニティーの構成員の定義とは なんでしょうか。わたしはこうではないかと考えます。「wikiというシステムをつかって『共同で百科事典を作りたい』と思っている執筆者のうち、継続して参加している人たちの集まり」といえるのではないでしょうか。コミュニティーのなかにいれば、たとえ本名はしらなくても、HNの後ろに「得体」はみえているのですが、コミュニティーの外からはたしかに「得体がしれない」かもしれません。

そして、ぜひ付け加えたいところは、「ヌーディズム」について権利獲得しようというのも、「インターネット上にみんなの知恵を集めた百科事典を作ろう」というのも、世間一般から「見れば」奇妙な行為です。やっている人にとっては、それは素晴らしいことですが、よそから見れば「オカネにもならへんのに、かわったことやってはる」といわれるかもしれない行為です。その同じところで、つまり世間からみれば、奇妙なところで、わたしも、おやんずさんも、なんらかの生命の燃焼をおこなっているのではないでしょうか。もちろん、おやんずさんの燃焼力のほうがずっとずっと大きいとは思います。だから、わたしは、おやんずさんの「ヌーディズムを愛する気持ち」を尊敬します。


以上、おやんずさんのひとつひとつの、文章にお答えしたかたちにはなっていませんので、ご不満はたくさんあるかと存じます。ですので、ここにこういう答えをしろ、と おっしゃれば、また改めてお答えをいたしますし、間はあくかもしれませんが、対話を重ねていきたいと存じます。ただ、わたしがWikipediaにいるかぎり、KMTさんやMiyaさんがなさったことを是としているという状態にかわりありません。それがおやんずさんのお気持ちに沿わないということは、よくわかっておりますが、どうしようもありません。ごめんなさい。今回はこんなところです。どうか 年末お忙しいと存じますが、お体大切に、よいお年をおむかえください。Toki-ho 2005年12月25日 (日) 04:22 (UTC)[返信]

直接こちらにご返事しないまま長い時間をおかけしたことは申し訳ありません。この記事をいただいた頃、仕事場も裁判の準備も修羅場の時期に入り、本編の話題にさえ充分に対応できない状況でした。今年(2006年)の後半に入ってやっと休日を休日として過ごすことが出来るようになり、色々溜まったものを優先順位に従って処理しながら、そろそろこちらにも本腰を入れて復活できるところまで来た次第です。決してウィキでの編集が重要でないという意味ではありませんが、裁判も未だに続いておりまして、証拠書類として提出したフランス語のpdf文献を日本語に訳さないと証拠としての力が無いとか裁判所が言い出すもので、英検2級程度しか外国語能力の無い私にとって、外国語pdfの編集環境や情報の乏しい中、それを取り揃えるのに結構ハードルの高い作業などを休日を使って取り組んでおりました。
さて、Toki-hoさんは「wikiというシステムをつかって『共同で百科事典を作りたい』と思っている執筆者のうち、継続して参加している人たちの集まり」のことが一番のメインとしてお考えでしょうか?「wikiというシステムをつかって『共同で百科事典を作りたい』と思っていた執筆者のうち、管理者の介入によって不当に排除されて継続して参加することを断念している人たちの集まり」がその後ろでウィキに背を向けてしまっているだろうことはお考えになりませんでしょうか?私が誠実な対話を求めても、管理者の中に黙殺という形で返答を帰さない人間が何人もヌーディズムに入り、ヌーディズムを性欲と不可分と主張する一人の人間を管理者が応援したりしていましたね。殊更に繰り返されるのは、ウィキが何でないかという話における「独自の調査結果の発表の場ではありません。」ということですが、それは、「日本においてインターネット上でヌーディズムに関連する活動家が小野田一人だけだから」という決め付けに起因していると見るのが的を得ていると思います。あまりにも安易な編集妨害としか私には映りません。彼らからのこの指摘には何度も同じようなことを繰り返しいたしましたが、「私の調査が正しくないかどうか、反対者の人たちはしっかり出典となる報道機関の記事、出版社からの書物に実際に目を通して、真偽を確かめたことがあるのですか?」ということです。図書館に何度も通って、本屋、古本屋を歩き回り、交通費も書籍購入費も文献複写費も自腹でまかなって、出典を明らかにする形で情報公開している私が、なぜに一度も文献を読みもしない管理者たちから編集者としての資格を剥奪されなければならないのでしょうか。私には、現状のウィキが未来永劫もっともベストなシステムであると過信する管理者には異議を唱えます。だから、私は従わないのです。あくまでも、ウィキが賞賛に値される存在であるなら、システムの不備でもらい事故的にウィキの慣例を外れてしまうような被害者を糾弾するのではなく、技術的に事故回避を可能とする的確な指摘を真面目に討議して、現在よりもより良いシステム構築を目指すべきではないのでしょうか。未だに私からのシステム不備の問題指摘は放置されているわけでありますし、管理者選挙に先立っては管理者のえり好みで管理者選挙に立候補するよう促される執筆者もおります。反対者をブロックして排除し、賛同者をどんどん管理者に加えていけば、ウィキが権力を笠に政治的に偏向していると映っても、そしりは免れないでしょう。
Toki-hoさんはヌーディズムのノートの現状をご覧になっておられますか?「出典にしっかり目を通してそこでの記述を引用してから反論してください。」と私が引導を渡して以後、執拗に反対記事を書き続けていた特定個人はそれまでの書き込みペースが嘘のようにぱったりと書き込みしなくなりました。ノートのそれ以外の人が書くことも無く、これに基づいて、編集保護を解除してはどうかと私が提案したノートにも誰も意見を書きません。あれほど介入に積極的だった管理者たちは、これだけ介入して混乱させた落とし前をとらず、この期に及んで逃げ出したのかと、憤りさえ感じます。如何でしょうか?Toki-hoさんはまだ真摯に言論に参加される方だと感じてましたので、上記の表現は腑に落ちないかもしれませんが、そもそも一時の感情論で熱くなって制裁を発動するような管理者が特権を持っていては危ないと私は感じましたので、良識ある人だと(私は)感じているToki-hoさんには、是非もう一度議論をさせていただきたくコメントした次第です。--おやんず 2006年10月29日 (日) 11:50 (UTC)[返信]
こんにちは、おやんずさん。ここのページを忘れずにいてくださってありがとうございます。そして、裁判など、いろいろなご活動、おつかれさまです。(夏ごろまではブログを拝見していました。)いま、少し、体調をくずしていて、ちゃんとしたお返事ができないのが残念なのですが、ひとつだけ。おやんずさん、どうかどうか、がんばって、裁判で勝利してください。そして、「世間」でおやんずさんの(私にはたったおひとりの孤独で、そして孤高の闘いとみえる)お考えを、みとめさせてください。Wikipediaは、たぶん、おやんずさんから見れば、欺瞞の場であると思います。それは、Wikipediaで「記事」としてふさわしいとされるためには、他の場所で、多くの人とか、「えらい(といわれている)人」に認められたものでないと、記事にならないからです。たとえば、たったひとりの研究者が、タイムマシンを発見したとして(それが事実としても)、その証拠が多くの人にみとめられ、たとえば雑誌ネイチャーとかに肯定的にとらえられないかぎり、Wikipediaには、その研究者の書いたタイムマシン発見の記事はのせられないのです。つまり、、、いってしまえば、「真実」ではなく、「真実だと多くの人がみとめたもの」しかWikipediaにはのせられないという、不文律があるのです。ですから、お願いです。おやんずさんのお考え(詳細な調査にもとづく考え)を、まず、このWikipediaの外で世間にみとめさせて、それをもって、堂々とここにかえってきてください。おやんずさんには、そのお力がおありです。ですから、力をつくしてください。管理者は決して「ヌーディズムを性欲と不可分と主張する一人の人間」を支持しているのではありません。いわば、より交際上手な人をWikipediaにふさわしいとしているだけです。そして、私も多分そうなのかもしれません。ここにいま私が書いていることは、おやんずさんからみればずるいことかもしれません。でも、私が私自身に正直になって、Wikipediaのことを考えれば、こう書くよりほかにはないように思います。ヌーディズムの記事は、わたしは、おやんずさんやもうおひとりのお方が参加される前の記述のほうが、実はWikipediaにふさわしいのではないかとおもっています。(日本の現状については足りませんでしたが、足りないなら足りないなりに、争いになるよりはいいというのが私のおもいです。)でも、この考えは私個人のものですので、ノートなどでは述べません。以上、ひどく、力弱く、たよりなく、そしてことなかれ主義の考えで申し訳ありません。今夜かけることはここまでです。また、少し元気になりましたら考えもかわるかもしれません。ごめんなさい。おやんずさん、どうかどうか、ご自愛のうえ、ご自分の信念を実現してください。わたしは、応援しています。ひとりの人間として。Toki-ho 2006年10月30日 (月) 13:22 (UTC)[返信]
おはようございます。お互い色々事情もあって大変ですが、それぞれがんばりましょう。
ただ、引っかかることがあります。出版社の出す百科辞典であるなら、しっかりと責任を持ってあたる「監修者」と「監修者の選任に基づく編集者」が記事の一字一句に責任を負って世の中にリリースするわけですが、ウィキにそれが存在していますか?それがないまま、とりわけ「ヌーディズム」の記事において「査読」を必須とする根拠はどこにあるのでしょうか。私だって日本の国立大学(弘前大学)の理学部で修士論文を書いて修了しているのですから、科学の世界で一つの真実を世界に認定してもらうに当たって査読が大切なことは、上記のような赤子に説明するような丁寧な説明をしてもらわなくても充分知っております。そして、かつて勤めた民間研究所(八ヶ岳南麓天文台)の所長が高らかにかざす「査読済み」の論文が、実はしっかりとしたデータによらず、研究所にてデータの改竄が所長によって指示され、逆らうと解雇されるということが、私の確認した事実として私のHPで証拠つきで掲載されています。これを踏まえた上で、ウィキについてのToki-hoさんの上記記述に何らかの矛盾をお感じになりませんでしょうか?--おやんず 2006年10月30日 (月) 22:30 (UTC)[返信]
まず、申し訳ないです。赤子に説明するようなくだくだしい説明をしましたことおわびします。いまちょっと、自宅ISPがレンジブロックされていて、外で書いておりますので、後日お返事いたします。Toki-ho 2006年10月31日 (火) 02:34 (UTC)[返信]
レンジブロックはまだ続いているのでしょうか。私自身も昨年末から長くアクセスに間が開いたこともありますから強くは言えませんが、対話がブロックで物理的に阻害されているのか、ご返事する言葉が無いのか、気にはなっています。ウィキのブロック処置の矛盾についても議論で出していますが、まともに返事を返す人も無く、管理人たちが真面目に議論する気があるのかどうか、かなり懐疑的になっています。--おやんず 2006年12月5日 (火) 11:03 (UTC)[返信]