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おやんずのプロフィール[編集]

公式ホームページは[小野田 英(おのだ たけし)のホームページ](ASKネット。2008年11月30日まで。) → [小野田 英(おのだ たけし)のホームページ](OCNのPage ONサービス。2008年12月1日~2015年2月28日。Page ONサービスの終了通知による停止。) → [小野田 英(おのだ たけし)のホームページ](NTTコミュニケーションズの「メール&ウェブ ビジネス」サービスで提供中の独自ドメイン配下に引っ越し。2014年8月19日のOCN「Page ON」サービス提供中止通告による。)というように変遷があった。

昭和42年4月28日、岩手県盛岡市日赤病院にて誕生。北国の桜はまさに満開であった。 3~4歳のころ英語教師兼[エスペラント運動家の父親]の転勤にともない、岩手県久慈市に転居。小学一年生までを過ごす。この頃の婚約者は隣家のよしこちゃん。おきまりのように、ままごとやお医者さんごっこで毎日をすごす。小学校の授業中はもっぱら机の上に置いたハンカチを様々に折りたたんで新作紙飛行機の研究に没頭し授業はほとんど上の空であった。紙飛行機が飛ぶのも空の上であった。この頃の呼び名は「紙飛行機博士」。

小学校2年生で父親が同県一関市に転勤転居となったため、久慈市での幼い恋物語は終焉を向かえることになった。小学校4年まで同市に居住したが、特定の誰かを好きになることは無かったものの、クラスの女子を引き連れて学校の裏山探検をして遊ぶことがしぱしばあった。一関市は宇多田ヒカルの母親藤圭子の生まれ故郷である。冬でも半袖半ズボンで生活することはこのころから始まった。「しけた」という愛称が使われるようになったのはこのころからである。

小学校5年から親の購入した松園ニュータウンの一軒家に転居。青春に入ってからの最初の恋をする。片思いで、お相手は「ゆさ」さん。これは中学の卒業とともに届かぬ思いを抱えてジ・エンド。いまでも村下孝蔵の「初恋」のなかの一節 「放課後の校庭を走る君がいた~♪。遠くで僕はいつでも君を探してた~♪。」 を聞く時に、あの卒業式であの子の姿が視界から消えるまで見つめ続けた思い出がくっきりと思い出すのである。

高校受験は本来何の問題もなく通るほどの学内成績であったが、試験当日に極度に緊張したため周囲も驚く不合格。中学校を卒業後、一年間予備校で楽しく過ごす。このとき同級生だった「かなこ」さんにまたも片思い。(しかし高校合格後に告白したところ見事に振られる。)

2度目の受験は無事クリアし、岩手県立盛岡第一高等学校普通科に進学。蛮カラとよばれる古風な風貌を好み、山岳部に所属して山歩きを楽しむ。しかしそれも高校2年になると、水と油のように反発しあう父親に住居も食費も学費も依存している自己矛盾にとうとう耐え切れなくなり、数度にわたって家出をして自らのありようを見つめなおそうとする。しかし独りで悩みたいところを早々に捜索隊に発見され連れ戻されることなどしたことから消化不良のまま悶々と悩みが深まり、とうとう手首を切って自殺を図る。母親に発見されて未遂に終わったが、以後不登校になり一年以上休学。親は不登校を解決するために精神科病棟へ入院させたため、鉄格子の檻の中の人権の剥奪された拘禁生活を経験。『ルポ精神病棟』の世界が現実にあることをまざまざと体験することに。一年遅れて高校3年生から復学し20歳になったが、実家に住む苦痛から幾ら食べても朝食を吐き戻してしまう症状に苦しむ。吐き戻しは大学進学して実家を離れたとたんに治癒する。

(つづく)