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利用者‐会話:Toppa 0911/過去ログ1

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編集参加へのお礼と編集についての説明及び質問[編集]

この度は「山城」のページの編集に参加頂きありがとうございます。さて、今回編集された部分に関してですがまず一つ目の山城の要目については()で捕捉していたように「海軍軍戦備<1>付表一」の大正9年3月31日調を基準としていますので兵装の表記もそれに準した形となっております。そのため、まずはそちらを確認した上で出典明記(ムック本以外の一次資料)の上で変更して頂かないと大変困ります。次に、英語表記に関しては日本語表記とした場合翻訳者によって表記が異なり統一性がないという問題があるため、原書の「HISTORY OF UNITED STATES NAVAL OPERATIONS IN WORLD WAR Ⅱ|VOLUME12」、及びACTION REPORTを基準に変更していますので、そちらをご確認いただけますと幸いです。また、私事で大変申し訳ないのですが「山城」の捷一号作戦の項目は無秩序に加筆が行われた結果、現状ではやや煩雑とした印象を受ける物となっておりますので、日本側の記録については各艦・戦隊・艦隊の戦闘詳報、各艦生存者の証言・手記・個人記録、戦史叢書を基準とし、米軍記録に関しては前述のモリソン戦史、ACTION REPORTと艦船識別帳を基準に改訂作業中となっておりますので、その点もご留意下さい。


話は変わりますが、改名告知後に祥鳳型航空母艦のページの一部を切り取り他のページに張り付けたのにはどのような意図があったのかご説明いただけますと大変助かります。また、祥鳳については戦時日誌の記述を元に記事を書いている部分もありますので参考文献から戦時日誌を取り除かれると不都合があるのですが、その点についてもどのようにお考えなのか回答をお願い致します。尚、改名告知中は議論が纏まるまでページの編集は行えませんので、告知時とページ内容が変わっているにも関わらず何ら修正を施す事が出来なくなってしまい難儀しておりますので、この2点については早急にお返事頂けますと幸いです。最後に、厚かましいお願いとなってしまいますが、何分私も不勉強なもので一次資料の戦時日誌以外に祥鳳の実際の搭載機数が明記された資料を知らないのですが、宜しければ祥鳳の実際の搭載機数が明記された一次資料についてご教授頂けませんでしょうか?--Syhinapj会話2014年11月22日 (土) 05:06 (UTC)

メッセージありがとうございます。編集した意図を説明させて頂きます。要目に関しては、他の日本海軍の戦艦記事を確認し、あえて山城のみ口径を注釈にする必要はないと考え、他の戦艦記事の記述と合わせる形で名称を編集したものです。海外艦の名称に関しても前後の文章で艦名のカタカナ名と英語名が混在していたので、分かりやすくwikipediaの海外艦名を参考に合わせた次第です。
祥鳳型のページに合った艦載機数を祥鳳のページに移した件に関しては、他の空母記事で各艦ごとの艦載機数を載せている記述を参考に移した次第です。が、今考えるに移す必要もなかった記述と反省しております。その際に戦時日誌の参考文献をも持って行ってしまった事、改名提案中に編集禁止というルールがあることを知らず大きく編集してしまった事等、軽率な事をしてしまい申し訳ありませんでした。また、艦載機数に関しても明記された一次資料を調べようとは思っていますが、私も不勉強であり「珊瑚海海戦」のページの記述と差異があるに気づいていたのにも関わらず、そのまま載せてしまいました。合わせて申し訳ありません。--toppa会話2014年11月22日 (土) 15:20 (UTC)

記事「伊良湖 (給糧艦)」の艦名由来について[編集]

こんにちは。早速ですが、貴殿の伊良湖 (給糧艦)2015年9月6日 (日) 13:19‎編集についてお尋ねします。片桐大自著『聯合艦隊軍艦銘銘伝』のどの箇所に、給糧艦としての伊良湖の艦名由来が「愛知県の「伊良湖岬」および「伊良湖水道」にちなむ」旨が明記されているのかご教示ください。私も『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(昭和63年6月発行)を持っておりますが、伊良湖の項では以下のように書かれています。

伊良湖(いらこ)
愛知県渥美半島西端の伊良湖岬、およびその先の伊良湖水道。神島との間のこの水道は、瀬戸内海の音戸瀬戸、鳴戸海峡とともに、わが国三大海門と称される航海の難所である。
運送艦「伊良湖」は、昭和十六年十二月五日、太平洋戦争開戦の三日前に、神戸川崎で竣工した新式大型の給糧艦である。
ちなみに、開戦に最も近い竣工は十二月六日の「第六号魚雷艇」であるが、・・・(以下、艦の艤装や特徴、沈没に至る経過説明のため略) — 片桐自著『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(昭和63年)575ページ

『聯合艦隊軍艦銘銘伝』は、浅井将秀による『日本海軍艦船名考』とは異なり、「何々から採る」との表現を用いている箇所は非常に限られます。少なくとも伊良湖については、安芸の記述にある

したがって「安芸」の国名は、海軍には特に縁の深いものがある。わが国最初の国産戦艦の一隻に、この国名が選ばれたのも当然といえよう。 — 片桐自著『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(昭和63年)28ページ

や、瑞穂の記述にある

この名は、艦名としては当然古くから用いられてしかるべきものなのに、実際には以外に新しく、昭和十三年に初めて用いられている。水上機母艦「瑞穂」がそれである。 — 片桐自著『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(昭和63年)58ページ

といったような明言はしていません。『聯合艦隊軍艦銘銘伝』内で明記しているのであればWikipedia:検証可能性を満たします。以上です。115.176.140.187 2015年9月7日 (月) 06:28 (UTC)

メッセージありがとうございます。編集した意図を説明させて頂きます。元々片桐大自氏が書かれている『聯合艦隊軍艦銘銘伝』は、艦名に関する説明の書き方は様々ではありますが、本の全般的な内容や帯の解説文から、艦名の由来を解説する本だと認識しております。国名や山岳名など、由来を大分類して、その中で艦名に採用されてる言葉の解説と艦名の解説をされています。なので伊良湖についても、他の物と同じく由来として書きました。公文資料を参照したわけではなく、あくまでこの本での解釈なので、断定口調に書いてしまったのは早計でした。申し訳ありません。ただ、記述的に明言しているかしてないかで、由来かそうではないかを決めるのは本の性質を考えるに違うのではないか?と思います。--toppa会話2015年9月7日 (月) 12:58 (UTC)
こんばんは。お返事ありがとうございます。貴殿は私が求めた明記されている箇所を提示できないということで理解します。貴殿は本の内容や帯について述べておられます。私自身、当該書籍は艦船名の元ネタが何であったのかを解説する本だとは思っています。ところがWikipediaの世界ではWikipedia:独自研究は載せない#資料にあるとおり、「情報源によって直接的かつ明示的に支持されない観点を推し進めようとした場合」は独自研究とみなされます。それと帯ですが、帯は販促のために発行所が付している物品であって本の本体ではありません。仮に私が、学研歴史群像太平洋戦史シリーズVol.64『睦月型駆逐艦』の記事を執筆するとして、「この本は史料の精査によるリサーチ決定版である。出典:帯」と書いても鼻で笑われるだけでしょうね。また本の性質について述べておられますが、それはWikipediaでは扱えない話です。記事を執筆する側は、そこにあるか無いかだけを判断材料とすべきです。あれば書くことができ、無ければ書くことができない。これだけです。他の箇所がどうであっても、「そこ」に「それ」明記されていない以上、Wikipediaの執筆者が情報源の著者の意図を汲み取り「直接的かつ明示的に支持されない」部分まで執筆を行うのは独自研究に該当します。私が例として挙げた安芸や瑞穂ではご納得いただけないのでしたら、伊良湖の直前にある椅子山がどのような記述になっているのかご確認ください。以上です。115.176.140.187 2015年9月8日 (火) 20:14 (UTC)

モンスーン戦隊の記事への加筆分について[編集]

2015年11月23日の、‎モンスーン戦隊のページにおける貴方の加筆による艦名の修正について意見があります。 貴方は例えば「U 200」から「U-200」のように、「U」と番号の間にハイフンを追加されましたね。 実は私が当初、これらの艦名からハイフンを除いていたことには、それなりの理由があるのです。

まず、デーニッツ提督の戦時日誌をご覧下さい。そこには艦名を記す際、上記の位置にハイフンがありません。また現存するU 453U853の戦時日誌を確認する限り、これはドイツ海軍における正式な書式であったと言って間違いなさそうです。この点を反映してか、例えばU 47のようにドイツ語版でもこの位置にハイフンは付いておりません。このため、私もそれに倣ったのでした。

そこで、貴方の2015年11月23日の加筆分(ハイフン)を再び2015年10月23日の状態に戻そうと思うのですが、いかがでしょうか?この点について、事前に合意を形成したいと思います。ご意見を頂ければ幸いです。--Schaluppe会話2016年1月16日 (土) 10:42 (UTC)

初めまして。今回、Schaluppe氏の資料を見てUボートの艦名にハイフンを用いない書き方があるということを初めて知りました。教えて頂きありがとうございます。自分としてはSchaluppe氏が仰られた件については意義はないのですが、いくつか気になった点もあります。例えばデーニッツ提督の戦時日誌でも極初期にはハイフン付けで艦名表記されているところがあり「表記が固まっていないのでは?」と思った点、現状数多くある日本語版wikipediaのUボート個別記事は艦名ハイフン付きで表記されている点です。今回修正した後、繰り返し誰かが修正する自体が起こるのではないか?ということも頭をよぎりました。以前、ページごとの表記ゆれに関する編集合戦を目にしたことがあったので気にしているのですが、その点に関しては大丈夫でしょうか…?考え過ぎだというのならば、すいません。--toppa会話2016年1月16日 (土) 11:24 (UTC)
確かにデーニッツ提督の戦時日誌にも表記ゆれがありましたね。私こそ、ハイフンの有無について気にし過ぎだったのかも知れません。また、日本語版記事における艦名表記についてのご意見も、尤もだと思います。それゆえ、記事の差し戻しはしないことにします。ご意見とご指摘に感謝します。--Schaluppe会話2016年1月16日 (土) 13:17 (UTC)
いえ、こちらこそ重箱の隅をつつくような意見で失礼致しました…了解致しました。--toppa会話2016年1月16日 (土) 15:46 (UTC)