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利用者‐会話:Wpb222/sandbox

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年譜などの検証[編集]

『昭和全仕事 三木淳』(朝日新聞社、1982年刊)に掲載されている、岡井輝雄氏作成の「年譜」[1]は、最初に作られた三木淳の詳細な年表で大変有用なものです。これより後に書かれた文献で、参考にされることが多くみられます。しかし、初版のみの出版で誤字等を訂正する機会がなかったこともあり、一次資料と一致しない記述が見受けられます。

また、これとは別に誤植、記憶違い、言い間違え等と思われる逐次刊行物の記事やインタビュー等も存在しています。以下の箇条書きリストにまとめました。何かご存知の点があれば、ご指摘いただけると嬉しい限りです。--Wpb222会話2020年6月19日 (金) 17:27 (UTC)[返信]

  • 1937年、「名取洋之助が、(『ライフ』の)第2号の表紙を撮っている」[2]は、第2号ではなく、1937年1月11日号の表紙「日本の兵士」のことと推測。2号にあたる1937年11月30日号の表紙は、アイゼンスタットの撮影した「West Point cadet」である[3]
  • 1941年、(『写真文化』に「声と顔」のタイトルで)「金丸重嶺、木村伊兵衛などを(掲載)」[2]とあるが、金丸重嶺を掲載した号はない。「声と顔」の連載は『写真文化』1941年9月号から1942年1月号までの5回であった。
  • 1941年、「亀倉にすすめられて、土門拳に弟子入り[2]の個所。三木が土門に初めて会ったのは『写真文化』の取材の時である。『写真文化』の記事中、「六本の手が、小さな瀬戸の周りをぐりる(原文のまま)と取り巻いた。炭火の懐かしい季節が来てしまった。(中略)冷たい夜気が、かすかにポンポン蒸汽の発動機の響きを冷々と私達の耳元に送りとどける」とあるので、1月号掲載していることも考慮すると、1941年の12月頃に取材と推測できる。そして、『カウパアプ・タワンオーク』の創刊は1941年12月である。同誌の撮影を何度かこなした後、亀倉から土門のもとへ弟子入りを薦められたとすると、弟子入りの年は1942年の可能性もある。しかし、準備段階から三木は『カウパアプ・タワンオーク』の企画を手伝っていたので、『写真文化』の取材で土門に初めて会ってから間髪入れずに弟子入りしたとすると、1941年弟子入り説も考えられなくもない。いずれにせよ、弟子入りした時期は、1941年の年末から1942年の頃で、土門が「文楽」を撮影した時期であることは間違えない。
  • 1957年、7年半務めたライフを退社[4]は、間違え。三木がライフを退社した年は、1956年が正しい。タイム・ライフ社の在職期間は1949年8月入社、1956年6月退社である。フリーになって最初の仕事は『週刊東京』1956年7月28日号の「苦闘のジェット機初同乗記」である。また、1956年の写真雑誌『フォトアート』11月号に「本年(1956年)6月退社」と記したインタビューが掲載されている[5]。他、複数の資料に1956年退社とある。
  • 1952年、日本写真批評家協会作家賞を受賞[4]は誤り。1952年に日本写真批評家協会は、まだ存在していない。日本写真批評家協会の前身である日本写真評論家クラブの創立は1955年。2年後の、1957年から日本写真批評家協会作家賞の第1回授賞を始めた[6]
    --Wpb222会話2020年7月10日 (金) 08:50 (UTC)[返信]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 三木淳 1982, pp. 158–159.
  2. ^ a b c 三木淳 1982, p. 158.
  3. ^ Philip B.Kunhardt Jr. 編 1987, p. 312.
  4. ^ a b 三木淳 1982, p. 159.
  5. ^ 三木淳他「連載座談会9 新しい報道写真の考え方」、『フォトアート』研光社、1956年11月号、160-165頁。
  6. ^ アサヒカメラ編集部 1980, pp. 307–308.

--Wpb222会話2020年7月10日 (金) 06:45 (UTC)[返信]

主な写真集など[編集]

主な写真集[編集]

  • 三木淳『写真 メキシコ―遺跡の中の青春―』社会思想研究会出版部〈現代教養文庫〉、1961年。 
  • 三木淳『サンバ・サンバ・ブラジル』研光社、1967年。 
  • 三木淳『写真創価学会』河出書房、1968年。 
  • 三木淳『三木淳写真集 慶應義塾』美術出版社、1979年。 
  • 三木淳『昭和写真・全仕事SERIES・7 三木淳』朝日新聞社〈昭和写真・全仕事SERIES・7〉、1982年。 
  • 三木淳『宮中歳時記』中央公論社、1984年。 
  • 三木淳『三木淳写真集 LIFEのカメラ・アイ』小学館、1989年。ISBN 4096804711 
  • 三木淳『英国物語』グラフィック社、1990年。ISBN 4766105648 
  • 三木淳『蘭嶼』ニッコールクラブ〈ニコンサロンブックス20〉、1993年。 

関連図書など[編集]

ー撮影、執筆をしている図書ー

  • 三木淳撮影・佐和隆研編著 他『講談社版世界美術大系 インド美術』〈第7巻(第3回配本)全24巻〉1962年8月10日。 
    • 「美術風土記 インド・東南アジア」79-172頁、撮影。文は佐和隆研。白黒写真約70点、カラー6点掲載。
  • 三木淳撮影 他『別冊キネマ旬報 赤ひげ -二人の日本人・黒澤と三船-』(初)キネマ旬報社、1964年9月15日。 
    • グラビア頁撮影。「レンズでとらえた二人のグレート」128-131頁、執筆。1965年5月1日、再版。
  • 朝日新聞社編『アサヒカメラ教室3 スナップ写真』朝日新聞社〈アサヒカメラ教室3 全7巻〉、1966年8月31日。 
    • 「組写真の撮り方」127-142頁、執筆。「蘭嶼」の作例写真14点掲載。
  • 朝日新聞社編『アサヒカメラ教室 第2巻 風景写真』朝日新聞社〈アサヒカメラ教室 第2巻 全7巻〉、1970年5月25日。 
    • 「風景写真とは」5-17頁、執筆。ブラジル、ローマなどの作例写真19点掲載。
  • 三木淳撮影 他『野生時代 独占特集・野生号 邪馬台国への道を行く』角川書店、1975年10月臨時増刊号。 
    • カラーグラビア「邪馬台国への道踏査船<野生号>波濤万里を越える」9-28頁、撮影(斎藤勝久と共同)。カラーモノクロ約計25点掲載。「韓伝の世界」205-220頁、撮影。カラー写真約30点掲載。
  • 三木淳撮影 他『別冊旅 アメリカ』日本交通公社、1981年7月1日。 
    • 「ニューヨーク」139-190頁、撮影。文は田中小美昌。カラー写真約90点掲載。
  • 三木淳・渡辺良一・渡辺澄晴 共著『ニコン党入門-英知と技術の結晶ニコン・カメラのすべて-』池田書店〈実用新書 カメラ〉、1983年11月25日。ISBN 4-262-14455-0 
  • 三木淳 写真『THE GALLERY企画展 生誕100年記念三木淳写真展 Happy Shooting Every Day of Your Life!』チームPack8〈THE GALLERY 企画展 生誕100年記念三木淳ブックレット〉、2019年9月10日。 

--Wpb222会話2020年7月10日 (金) 09:04 (UTC)[返信]