利用者:Wpb222/sandbox
ここはWpb222さんの利用者サンドボックスです。編集を試したり下書きを置いておいたりするための場所であり、百科事典の記事ではありません。ただし、公開の場ですので、許諾されていない文章の転載はご遠慮ください。
登録利用者は自分用の利用者サンドボックスを作成できます(サンドボックスを作成する、解説)。 その他のサンドボックス: 共用サンドボックス | モジュールサンドボックス 記事がある程度できあがったら、編集方針を確認して、新規ページを作成しましょう。 |
1950年、集団フォト結成の会 後列右より、代表の三木淳、山本静夫、樋口進、稲村隆正、石井彰、前列右より、土門拳、木村伊兵衛、大竹省二。銀座「キッチン八眞茂登(やまもと)」にて。 | |
創立者 | 三木淳(発起人) |
---|---|
設立 | 1950年(昭和25年) |
解散 | 1961年(昭和36年)活動休止 |
所在地 | 日本 東京都 |
主要人物 |
代表 三木淳 顧問 土門拳、木村伊兵衛 |
活動地域 | 日本 |
主眼 | 日本写真界の新たなる展開をめざす |
活動内容 | 主に写真展『集団フォト展』の開催 |
集団フォト(しゅうだんふぉと)は、報道写真家、三木淳の発案により1950年(昭和25年)に創立された日本の写真家組織。
代表は三木淳。 顧問は土門拳と木村伊兵衛。グループ写真展『集団フォト展』を毎年開催することにより、日本写真界の向上を目指した[1]。
1951年(昭和26年)『日仏米英連合写真展』(『第1回集団フォト展』)で アンリ・カルティエ=ブレッソン、1952年(昭和27年))第2回集団フォト展』でマーガレット・バーク=ホワイトの写真を日本で初めて展示した[2]。1961年(昭和36年)『第9回集団フォト展』の開催をもって活動を休止した[3]。
概要
[編集]創成期
[編集]1950年(昭和25年)秋、三木淳の呼びかけにより結成される。集団フォトの名称は、土門が発意した。
当時の日本写真界は、俳諧的あるいは花鳥風月的といわれる、サロン写真がもてはやされていた。今後の日本写真界の展開を危惧し、新たな道を開拓するための発起であった。[1]。報道写真術を学んできた三木は、報道写真の基礎となる『ライフ』が実践している社会現象と密接なつながりを持つ写真を、日本の写真界も受け入れるべきだと考えていた[4]。
顧問は、木村伊兵衛と土門拳のふたりに依頼した。個性の強い日本写真界のスーパースターは、集団フォトの結成以前は犬猿の中であった。三木は学生時代からの師匠である土門と、サンニュース時代に指導を受けた木村に声をかけ、ふたりそろって日本の写真界を牽引してもらうために、和解をうながし顧問になることを請うた[1]。
会員は稲村隆正、大竹省二、三堀家康、山本静夫、樋口進、石井彰、田沼武能、佐伯義勝らがいた。会のバッチのデザインは特別会員のイサム・ノグチが行い、亀倉雄策が写真展の構成やパンフレット、ポスターのデザインなどを担当した[5]。
ロバート・キャパ、アンリ・カルティエ=ブレッソン、デヴィッド・シーモア、ジョージ・ロジャーらによって1947年(昭和22年)に創立された国際写真家集団マグナム・フォトを範とした。彼らの写真を日本に紹介し、彼らとの交流を図るため、日本と海外写真家による合同写真展を企画開催した。第1回集団フォト展は、『日仏米英連合写真展』と銘打ち、1951年(昭和26年)銀座三越で開催された。以降、合同写真展は集団フォトの主たる活動となる[5]。
カルティエ=ブレッソンとバーク=ホワイト
[編集]集団フォト展
[編集]『日仏米英連合写真展』(『第1回集団フォト展』)
[編集]『第2回集団フォト展』
[編集]-
第2回集団フォト展にて。右から、マーガレット・バーク=ホワイト、立っている樋口進、三木淳、横向きの木村伊兵衛。
『第3回集団フォト展』
[編集]『第4回集団フォト展』
[編集]三木は7月10日に渡米 [10]
『第5回集団フォト展』
[編集]『第6回集団フォト展』
[編集]『第7回集団フォト展』
[編集]『第8回集団フォト展』
[編集]『第9回集団フォト展』
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 三木 1982, p. 46.
- ^ 須田 2017, p. 121.
- ^ 須田 2017, pp. 122–123.
- ^ 松本 & 三木 1984, p. 171.
- ^ a b 須田 2017, p. 115.
- ^ a b 研光社 & 1951年9月, p. 102.
- ^ アルス & 1952年8月, p. 55.
- ^ a b 研光社 & 1953年6月, p. 123.
- ^ 研光社 & 1954年11月, p. 175.
- ^ a b 朝日新聞社 & 1954年9月, p. 196.
- ^ アルス & 1955年9月, p. 164.
- ^ 朝日新聞社 & 1957年1月, p. 228.
- ^ 朝日新聞社 & 1957年12月, p. 161.
- ^ 毎日新聞社 & 1960年1月, p. 207.
- ^ 毎日新聞社 & 1962年2月, p. 199.
参考文献
[編集]- 須田慎太郎『写真家 三木淳と「ライフ」の時代』平凡社、2017年9月13日。ISBN 978-4-582-23128-1。
- ニコンサロン50周年記念誌制作委員会『ニコンサロン50周年記念 写真展案内はがきで綴る半世紀』株式会社ニコンイメージングジャパン、2017年12月8日。
- 松本清張、三木淳、藤原彰監修『民主主義の時代』小学館〈写真記録 昭和の歴史④〉、1984年10月25日。ISBN 4-09-570004-1。
- 三木淳『昭和写真・全仕事SERIES 7 三木淳』朝日新聞社〈昭和写真・全仕事SERIES 7〉、1982年。
- 『フォトアート』、研光社、1951年9月号。
- 『写真の教室』、アルス、1952年8月号。
- 『フォトアート』、研光社、1953年6月号。
- 『アサヒカメラ』、朝日新聞社、1954年9月号。
- 『フォトアート』、研光社、1954年11月号。
- 『カメラ』、アルス、1955年9月号。
- 『アサヒカメラ』、朝日新聞社、1957年1月号。
- 『アサヒカメラ』、朝日新聞社、1957年12月号。
- 『カメラ毎日』、毎日新聞社、1960年1月号。
- 『カメラ毎日』、毎日新聞社、1962年2月号。
- 「紅白歌合戦 紅組」ギャラリーバー最終兵器(2024年12月17日-2025年2月1日)[1]