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集団フォト

1950年、集団フォト結成の会
後列右より、代表の三木淳、山本静夫、樋口進、稲村隆正、石井彰、前列右より、土門拳、木村伊兵衛、大竹省二。銀座「キッチン八眞茂登(やまもと)」にて。
創立者 三木淳(発起人)
設立 1950年(昭和25年)
解散 1961年(昭和36年)活動休止
所在地 日本の旗 日本 東京都
主要人物 代表 三木淳
顧問 土門拳木村伊兵衛
活動地域 日本の旗 日本
主眼 日本写真界の新たなる展開をめざす
活動内容 主に写真展『集団フォト展』の開催
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集団フォト(しゅうだんふぉと)は、報道写真家、三木淳の発案により1950年昭和25年)に創立された日本の写真家組織。

代表は三木淳。 顧問は土門拳木村伊兵衛。グループ写真展『集団フォト展』を毎年開催することにより、日本写真界の向上を目指した[1]

1951年(昭和26年)『日仏米英連合写真展』(『第1回集団フォト展』)で アンリ・カルティエ=ブレッソン1952年(昭和27年))第2回集団フォト展』でマーガレット・バーク=ホワイトの写真を日本で初めて展示した[2]1961年(昭和36年)『第9回集団フォト展』の開催をもって活動を休止した[3]

概要

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創成期

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1950年(昭和25年)秋、三木淳の呼びかけにより結成される。集団フォトの名称は、土門が発意した。

当時の日本写真界は、俳諧的あるいは花鳥風月的といわれる、サロン写真がもてはやされていた。今後の日本写真界の展開を危惧し、新たな道を開拓するための発起であった。[1]。報道写真術を学んできた三木は、報道写真の基礎となる『ライフ』が実践している社会現象と密接なつながりを持つ写真を、日本の写真界も受け入れるべきだと考えていた[4]

顧問は、木村伊兵衛土門拳のふたりに依頼した。個性の強い日本写真界のスーパースターは、集団フォトの結成以前は犬猿の中であった。三木は学生時代からの師匠である土門と、サンニュース時代に指導を受けた木村に声をかけ、ふたりそろって日本の写真界を牽引してもらうために、和解をうながし顧問になることを請うた[1]

会員は稲村隆正大竹省二三堀家康山本静夫樋口進石井彰田沼武能佐伯義勝らがいた。会のバッチのデザインは特別会員のイサム・ノグチが行い、亀倉雄策が写真展の構成やパンフレット、ポスターのデザインなどを担当した[5]

ロバート・キャパアンリ・カルティエ=ブレッソンデヴィッド・シーモアジョージ・ロジャーらによって1947年(昭和22年)に創立された国際写真家集団マグナム・フォトを範とした。彼らの写真を日本に紹介し、彼らとの交流を図るため、日本と海外写真家による合同写真展を企画開催した。第1回集団フォト展は、『日仏米英連合写真展』と銘打ち、1951年(昭和26年)銀座三越で開催された。以降、合同写真展は集団フォトの主たる活動となる[5]

カルティエ=ブレッソンとバーク=ホワイト

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集団フォト展

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『日仏米英連合写真展』(『第1回集団フォト展』)

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  • 1951年(昭和26年)6月2日-10日(銀座三越、東京)[6]
    • ブレッソンを紹介[6]

『第2回集団フォト展』

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  • 1952年(昭和27年)5月30日-6月4日(銀座松坂屋、東京)

『第3回集団フォト展』

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  • 開催年月日:1953年(昭和28年)6月13日-17日(銀座松坂屋、東京)[8]

『第4回集団フォト展』

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  • 開催年月日:1954年(昭和29年)8月6日-11日
  • 開催場所:銀座松坂屋、東京

三木は7月10日に渡米 [10]

『第5回集団フォト展』

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  • 開催年月日:1955年(昭和30年)6月21日-26日
  • 開催場所:髙島屋富士フォトギャラリー

『第6回集団フォト展』

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  • 開催年月日:1956年(昭和31年)11月6日-11日
  • 開催場所:日本橋髙島屋

『第7回集団フォト展』

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  • 開催年月日:1957年(昭和32年)10月5日-24日
  • 開催場所:富士フォトサロン、東京

『第8回集団フォト展』

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  • 開催年月日:1959年(昭和34年)11月18日-24日
  • 開催場所:富士フォトサロン、東京

『第9回集団フォト展』

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  • 開催年月日:1961年(昭和36年)12月13日-22日
  • 開催場所:東京富士フォトサロン

脚注

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注釈

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出典

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参考文献

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  • 須田慎太郎『写真家 三木淳と「ライフ」の時代』平凡社、2017年9月13日。ISBN 978-4-582-23128-1 
  • ニコンサロン50周年記念誌制作委員会『ニコンサロン50周年記念 写真展案内はがきで綴る半世紀』株式会社ニコンイメージングジャパン、2017年12月8日。 
  • 松本清張、三木淳、藤原彰監修『民主主義の時代』小学館〈写真記録 昭和の歴史④〉、1984年10月25日。ISBN 4-09-570004-1 
  • 三木淳『昭和写真・全仕事SERIES 7 三木淳』朝日新聞社〈昭和写真・全仕事SERIES 7〉、1982年。 
  • 『フォトアート』、研光社、1951年9月号。 
  • 『写真の教室』、アルス、1952年8月号。 
  • 『フォトアート』、研光社、1953年6月号。 
  • 『アサヒカメラ』、朝日新聞社、1954年9月号。 
  • 『フォトアート』、研光社、1954年11月号。 
  • 『カメラ』、アルス、1955年9月号。 
  • 『アサヒカメラ』、朝日新聞社、1957年1月号。 
  • 『アサヒカメラ』、朝日新聞社、1957年12月号。 
  • 『カメラ毎日』、毎日新聞社、1960年1月号。 
  • 『カメラ毎日』、毎日新聞社、1962年2月号。 


    • 「紅白歌合戦 紅組」ギャラリーバー最終兵器(2024年12月17日-2025年2月1日)[1]
  1. ^ ギャラリーバー最終兵器 (2024年12月16日). “紅白歌合戦 紅組”. Facebook. 2024年12月16日閲覧。