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1950年、『集団フォト』結成の会。 後列右より、代表の三木淳、山本静夫、樋口進、稲村隆正、石井彰、前列右より、土門拳、木村伊兵衛、大竹省二。銀座「キッチン八眞茂登(やまもと)」にて。 | |
創立者 | 三木淳(発起人) |
---|---|
設立 | 1950年 |
所在地 | 日本 東京都 |
主要人物 |
代表 三木淳 顧問 土門拳、木村伊兵衛 |
活動地域 | 日本 |
主眼 | 日本写真界の新たなる展開をめざす |
活動内容 | 主に写真展「集団フォト展」の開催 |
解散 | 1961年活動休止と推測 |
集団フォト(しゅうだんふぉと)は、報道写真家、三木淳の発案により1950年創立された日本の写真家組織である。代表は、三木淳。 顧問を土門拳と木村伊兵衛とした。グループ写真展「集団フォト展」で、アンリ・カルティエ=ブレッソンやマーガレット・バーク=ホワイトらの写真を日本で初めて紹介した。1961年、活動休止と推測される。
概要[編集]
1950年(昭和25年)秋、花鳥風月的なサロン写真がもてはやされる日本写真界の現状と将来を危惧し、新たな道を開拓するために、三木淳の呼びかけにより「集団フォト」が結成された。名称は、土門が発意した。ロバート・キャパ、アンリ・カルティエ=ブレッソン、デヴィッド・シーモア、ジョージ・ロジャーらによって1947年に創立された国際写真家集団マグナム・フォトを手本とし、彼らの写真を紹介するため、日本と海外写真家による合同写真展を企画した。
顧問には木村伊兵衛と土門拳の二人を迎えた。個性の強い日本写真界のスーパースターは、犬猿の中であった。三木は学生時代からの師匠である土門と、サンニュース時代に指導を受けた木村に声をかけ、日本の写真界を牽引してもらうため和解をうながした。
創立メンバーは稲村隆正、大竹省二、三堀家康、山本静夫、樋口進、石井彰、田沼武能、佐伯義勝であった。また、会のバッチのデザインは特別会員のイサム・ノグチが行い、亀倉雄策は写真展の構成やパンフレット、ポスターのデザインなどを担当した。
活動[編集]
グループ写真展「集団フォト展」の開催が主な活動内容であった。第1回集団フォト展でブレッソンの写真を紹介。第2回集団フォト展では、マーガレットバークホワイト の写真を紹介。
集団フォト展[編集]
『日仏米英連合写真展』(『第1回集団フォト展』)[編集]
『第2回集団フォト展』[編集]
『第3回集団フォト展』[編集]
『第4回集団フォト展』[編集]
『第5回集団フォト展』[編集]
- 開催年月日:|1955年(昭和30年)6月21日-26日
- 開催場所:髙島屋富士フォトギャラリー
『第6回集団フォト展』[編集]
『第7回集団フォト展』[編集]
『第8回集団フォト展』[編集]
- 開催年月日:1959年(昭和34年)11月18日-24日
- 開催場所:東京富士フォトサロン
『第9回集団フォト展』[編集]
- 開催年月日:1961年(昭和36年)12月13日-22日
- 開催場所:東京富士フォトサロン
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- ニコンサロン50周年記念誌制作委員会『ニコンサロン50周年記念 写真展案内はがきで綴る半世紀』株式会社ニコンイメージングジャパン 、2017年12月8日。
ニッコールクラブ設立[編集]
1952年(昭和27年)、朝鮮戦争が膠着状態になると、日本光学の長岡正男社長から将来の方策を相談されていた三木は、ニコン製品の愛用者のクラブを作ることを提案した[1]。長岡はじめニコンの幹部は、三木に人選を任せた[2][3]。
。
集まった発起人は三木淳、木村伊兵衛、土門拳、亀倉雄策、早田雄二、林忠彦、西山清、尾崎三吉、彫刻家のイサム・ノグチその妻の山口淑子(李香蘭)、女優の高峰秀子、山田五十鈴、映画監督の溝口健二、作家の檀一雄、日本初のノーベル賞受賞者湯川秀樹、海外からはマーガレット・バーク=ホワイト、カール・マイダンス、デイヴィッド・ダグラス・ダンカン、マイケル・ルージエ、ハンク・ウォーカー、アンリ・カルティエ・ブレッソンなど国際色豊かなメンバー50余名であった[2][3]。
9月、ニコンのカメラやレンズ愛用者の相互親睦と国際写真団体との交流を目的に、長岡を会長としてニッコールクラブ[注釈 2]が設立された[2][3][5]。
- ^ 三木淳 1989, p. 155.
- ^ a b c ニッコールクラブ 1992, p. 8.
- ^ a b c 須田慎太郎 2017, pp. 150–157.
- ^ 三木淳・渡辺良一・渡辺澄晴 共著 1983, p. 239.
- ^ “ニッコールクラブとは”. ニコン. 2020年4月14日閲覧。
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