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利用者‐会話:Xmas steps

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ウィキペディアにようこそ![編集]

こんにちはXmas stepsさん、はじめまして!Mint22と申します。ウィキペディアへようこそ!

  • ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
  • よろしければ自己紹介してみてください。
  • お隣の利用者ページは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。
  • 執筆の際には中立的な観点および著作権にご留意ください。
  • 何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。

あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。

Welcome to Japanese Wikipedia. If you are not a Japanese-speaker and expect further information, visit Wikipedia:Chatsubo for non-japanese-speakers. Enjoy!

なお、このメッセージは主に利用者‐会話ページに何も記入されていない方に投稿しておりますので、すでに活動を開始されてから期間が経っていらっしゃるのでしたら、お詫びいたします。--Mint22 2005年5月17日 (火) 12:59 (UTC)[返信]

こんにちは[編集]

今回の件でXmas steps氏のルールに対する関心の深さや理路整然とした文章、公平な観点には大変感銘をうけました。今後、機会があれば、管理者になっていただきたいと思う位です。とろこで Xmas steps氏が提示されたネチケットに完全に違反する事例があるのですが、よろしければノート:大韓民国>技術の項にコメントをいただければ幸いです。Trek011 2005年5月20日 (金) 11:06 (UTC)[返信]

個人攻撃[編集]

コメント依頼における根拠のない誹謗中傷はWikipedia:個人攻撃はしないに違反する行為なので、抗議します。Trek011 2005年5月24日 (火) 21:10 (UTC)[返信]



なでうこともないのですが。Xmas steps さんのような穏健な方がおられることをうれしく思うものもいることを知っていただければと思います。会計学関係はあまりかきてが多くないようですので、ご活躍には期待しています。

これからもよろしくお願いします。--Aphaia 2005年5月27日 (金) 09:59 (UTC)[返信]

お返事をありがとうございます。メールアドレスを登録していればパスワードの再発行ができますので、次回からはご考慮ください;-)
偶然のきっかけで話題にしておられた件をみかけたので、少し気にしておりました。さしでがましいかなとも思いましたが、あのようにおっしゃっていただけると声をおかけしてよかったなと思います。
私はXmas stepsさんのように温良なたちではないので、結構人と意見がぶつかることも多いのですが、お互い悪気があってしているのではないのだから、ということを前提にするように心がけています。それでも喧嘩するときには派手にやりますが;-) 論争の渦中にいるとつい忘れがちですが、相手が善意でやっていると仮定して動くのがこうしたプロジェクトでは一番実は効率がいいのだという気がします。お互いが善意でやっていてうまくいかないのなら、たぶんそれはご縁がなかったので、お互いの道をいくほうがいいのでしょう。
まれにこれは絶対に悪意に違いないと直感することもあります。あるいはそこで問いの中心となる価値観を相手が故意にか理解できないでかともかくも踏みにじっている場合。ですが不思議なもので、そういうのと「これはひょっとして悪意なんじゃないだろうか」というのとは微妙な温度差があって、前者はほぼ絶対的な明証性をもって迫ってきます。そういうときにもやはり対話というのはその人との関係を考える上ではあまり役にはたちませんので、ご縁がないのだと割り切ることにしています。
ですが、その確信がないなら対話をして溝をうめよう、あるいはもつれたものを調停しようというのは、やはりする価値のある努力でしょう。そして私自身は自分の選択肢とはしませんが、縁がないであろう人にむかって語りかけるというのは(それを他の人に要求しないのならば)優れて人間的で尊い努力だとも思います。なので、結果がどうあれ、Xmas steps さんが試みたことは意義のあることだったとも。
いただいたメッセージのお返事になれば幸いです。改めて今後ともよろしくお願いします。

書き込みありがとうございました。パスワードの件はまったくもって私のケアレスミスですから、次回以降は気をつけます。さて今回、仲裁役からいつの間にか論争の渦中に入り込んでしまうという、希少な経験を通して考えることは実にたくさんありました。まずは、インターネット上でのコミュニケーションがいかに難しいかということです。面と向かっての対話と違って、顔も見えず、声も聞こえない状態で、基本的には知らない人と不特定多数の人たちを前にしてのコミュニケーションですから、普段の仲間内の会話とはまったく別物と考えた方がいいのでしょう。さらに悪いことに口頭の会話でできる「聞き流す」という行為がほとんど不可能なほどに難しいということです。どうしても発言が文字として残ってしまう訳ですから。

「相手が善意でやっていると仮定して動くのがこうしたプロジェクトでは一番実は効率がいい」というAphaiaさんの言葉からある本について思い出しました。「利己的な個人の間に協調関係を生成するための戦略」に関するものです。アメリカのアクセルロッドという人が書いた本で、有名な本なのでご存知かもしれませんが。その中にある「しっぺ返し」戦略という戦略が長期的、進化論的に優れた戦略であるということです。「しっぺ返し」戦略とは、「最初は協調し、次回以降は相手の取った戦略を模倣する」という、専門的には「繰り返し囚人のジレンマゲーム」というゲーム理論の中でされてる議論です。

Aphaiaさんのおっしゃる、「相手が善意でやっていると仮定」することは、おそらく「しっぺ返し戦略」で言うところの、「最初は協調」ということではないでしょうか。その後に関しては、相手が善意に基づくと思われる行動を取れば善意で返せばいいのですが、やはり問題は相手の言動に悪意を感じたときですよね。僕はそんな時、議論をストップして、「言動に悪意を感じる」旨を表明するようにしています。「問いの中心となる価値観に相手が反している場合」は、まずはその価値観を表現を変えて説明することから始めます。ひょっとしたらただの誤解かもしれませんし。

アクセルロッドは本の中で協調関係を生成しやすい戦略の特徴を4つ挙げられてたんですが、うろ覚えです。とりあえずいくつか。

  • 裏切られたらすぐに怒る。
  • 怒りを長引かせない。
  • 分かり易い戦略をとる。

あとひとつは確か、最初は協力する、ということだった気がしますが。結構日常生活にも参考にできるものだと思いました。ご意見頂けると幸いです。Xmas Steps 2005年5月31日 (火) 00:30 (UTC)[返信]

お返事、大変興味深く読みました。アクセルロッドという方は存じませんでした。ゲーム理論のほうでは著名な方のようですね。おっしゃっていた本はこちらでしょうか(ISBN4623029239)。
囚人のジレンマ(正確には繰り返し型囚人のジレンマ)をネットコミュニティでの行動に応用するというご指摘は大変興味深く思いました。実空間や他のネットコミュニティとの関係があるとはいえ、全体的な傾向としては閉鎖されたコミュニケーション空間とみるのが妥当でしょう。とすると、囚人のジレンマが考える局所的閉鎖系での行動モデルとはかなり親和性が高いだろうと思います。こうした視点は私にはありませんでしたので、いろいろと考えさせられました。
アクセルロッドが指摘した「最初は協調」とわたくしが述べた「善意を仮定する」ということとの連関を指摘しておられましたが、確かにそうだろうと思います。どのような場面でも善意を仮定できるわけではないので、まさに初期条件として相手の善意を仮定する、そしてそれですむ間はその仮定を維持するということなのだろうと。だとすると「次の行動は相手の出方を見る」というのもあてはまりそうです。
裏切られたらすぐに怒るというのは、なかなか難しいのですが、適切な戦略だろうと思いました。ドメスティックバイオレンスなどにいたる過程で、暴力を許容するひとほど犠牲者になりやすい、ということをきいたことがありますが、不当な扱いをされたと受け止めたときには、どのような形であれ怒りを表明するというのは正しいだろうと思います。どうもこのコミュニティではそれを大人気ないであるとか、過剰反応だとか、スルーできないなどと内外で揶揄する人が数の多寡はともかく後をたたないのですが、やはり相手に対して過度に受容的になるのは、協調を長続きさせるという点からは逆に望ましくないだろうと思います。逆に早めに怒りを表明することは、「怒りを長引かせない。」ということと対で考えるべきではないだろうかとも思います。
もっとも何もこちらが約束していないのに、勝手にいろいろ想定して、たとえばある価値観を当然に共有しているものだと仮定して怒る人もいますが、そういう方に対して、あなたの怒りには正統性がないとこちらは考えるということをきちんと伝えることも、こうした多文化コミュニティでは大事だろうと考えます。これは自戒の意を込めてですが。たとえば方針にかなわない行為などは度重なればつい相手も知っていて意図的に違反をやっているのだと考えがちですが、相手にはそれなりに通った理屈がある場合もあります(それが認められるものかはまた別)。そうした場合にはきちんと説明した上で、これこれの点を残念に思う、ということを伝えたほうがいいように経験からは思います。
怒りが昂じると、相手を屈服させることが主な目的になり、自分がそこで達成しようとした目的がなおざりになることがあります。戦略の成功自体が目的化するといいましょうか。それはつまらないことで、そうした戦略の衝突にあっては、目的行動自体の反省が有効だというふうにも思います。
わかりやすい戦略というのは^^: 確かにそうなのでしょうが、ちょっとおお返事に困りました。というのは、これは私に一番欠けている点かもしれません。晦渋を好む風があるというのは人にもいわれ自分でも自覚があります。ある意味わからない人にはそれでいいとも思いますが、それで損をしているとも人にはいわれます。それは協調ということと自分の趣味のどちらをどこまでとるかということとかかわるような気がします。協調するために自分にストレスがたまるのではたぶん協調もいつかは破綻するだろうとも思うのです。それこそ「ご縁がない」ということになりましょうか。あえて争いを好むものではありませんが、自分を殺すというのは長続きしないことを知っていますので、そこでオープンソースでよくいわれる「楽しいことだけをしろ」という原則によってたつわけです。しかしこれはいいわけだな。
つい個人のことに脱線しましたが、プロジェクトの運営のような系を維持する見地からは戦略のわかりやすさというのは重要だと思います。シンプルな戦略のほうがかえって堅牢だというのは歴史の教訓でもあります。
せっかくまとまったお話をいただきながら、とりとめのないお返事になり恐縮です。こういうしだらのない奴ですが、今後ともお付き合いをいただければ幸いです。--Aphaia 2005年5月31日 (火) 14:56 (UTC)[返信]
アクセルロッドの本はご指摘通り、『つきあい方の科学』です。ちなみに原題は、The emergence of cooperationです。繰り返し囚人のジレンマゲームで難しいのは、やはり相手に裏切られた時の反応です。裏切られても協調し続けるというのは、自分が相手にとって与しやすい人もしくはカモにしやすい人であるという間違ったメッセージを与えかねません。怒りをためて爆発させるというタイプの人は結構いますが、ゲーム理論の観点からは得策ではないということでしょう。
また、「すぐに怒る。」と「怒りを長引かせない。」というのは確かに対となっている考え方ですね。逆に、怒って許さないと、逆に相手の反省を引き出せなくなってしまい、将来の協調関係を自ら壊してしまう、ということになりかねません。先日の調停でも「水に流す」ことを説得したのですが、もう既に怒りが長引いている状態でしたので、そうなると非常に難しいですね。
分かりやすい戦略というのが、実は一番分かりにくかったりするのは確かかもしれません。逆に分かりにくい戦略を正しく理解してもらうのはこれまた困難で、そう考えると、戦略は分かりやすいに越したことはない、位のニュアンスでしょうか。「わからない人にはそれでいい」という考え方は、特に自分が渦中にいる時にはそう思いたくなるのも山々なんですが、結果的には協調関係の成立にはマイナスなんでしょうね。ただ、相手の理解力を向上させることは誰にも不可能なので、私は、「4歳の子供に説明しても分かるように話す。」ということを頭の隅において置くようにしています。
「シンプルな戦略のほうがかえって堅牢」というのは、先のアクセルロッドの研究にも出てきます。コンピュータ・プログラムで繰り返し囚人のジレンマゲームを実行して、一番成績の良かった例の「しっぺ返し戦略」は他の戦略よりも短く単純なプログラムであったという話です。(一番短いのは、「全面裏切り」、「全面協調」です。当然ながら。)
ストレスを抱えた協調関係は確かに長続きしません。だからこそ、基本的に利己的でありながら協調関係が成立するというある意味パラドックスに価値があるのだと思います。様々な言動に感情が揺れ動くのは人間ですから仕方のないことです。問題は、生じた感情に基づく自分の言動からいかにして「感情的」な要素を排除するかだと思います。感情を感情的でない方法で表現するというのはとっても難しくて、私も完全にはできません。まあ、できたら気持ち悪いような気もしますが。
「とりとめのないお返事」とのことですが、まったく問題はないと思います。ゲーム論の方に話を振ったのは私ですし、そこからWikipediaを効果的に運営するのに役立つアイディアがあればそれでいいですし。また、異なる発想なり思考回路の持ち主とのコミュニケーションはある意味では頭の体操のようなものです。Xmas Steps 2005年6月1日 (水) 00:56 (UTC)[返信]

デチェン州について[編集]

Xmas Steps様。先日はお手をわずらわせていただき、ありがとうございました。いささか遅くなりましたが、デチェン州のノートにご返事申し上げたので、ごらんください。記事の修正については、まったく異存はありません。ありがとうございました。--Dalaibaatur 2005年6月5日 (日) 18:07 (UTC)[返信]

中国の民族自治州その他の表記方法について[編集]

ノート:自治州 (中国)において、自治州をはじめとする、中国の「少数民族」の自治行政単位全般の表記方法

  • 記事名をいかなる原則によって表記するか
  • 記事の文面中で列挙提示する場合にいかなる原則によって表記するか

などについて行われてた議論について、あとから参加する人々にわかりやすいよう、整理、要約を作成いたしました。ここで何らかの合意を形成し、中国の民族自治行政単位を表記する際の統一フォーマットが確立できれば、と希望しています。デチェン州の項の編集に参加し、意見を表明してくださったXmas Stepsさんにも、全般にかんしてご意見をいただきたく、ご案内もうしあげます。お手数とは存じますがよろしくお願いいたします。--Dalaibaatur 2005年8月11日 (木) 08:21 (UTC)[返信]

投票のコメントでの返事をいたします。[編集]

長くなりますうえ私信的内容なのでこちらへ返事致します。
投票ページでの消去は投票の指針を私が誤解していた事に起因する事が判明しましたので素直に反省の意を表したいと思います。ですが前にも述べた通り、問題はDalaibaatur氏の言い分なのです。実際に何が気に入らないのか訊ねましたが彼は関係の無い如何でもよい事ばかりを言い、必要な答えを返そうとしませんでした。その様子を見てあなたがどうお思いか想像はつきませんが、的外れの返答ばかりを返されて苛立ちを覚えるのは尤もではございませんでしょうか。最終的に彼が出した言い分は私の提案を理解せずに出したものでした(詳しくはWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 中華人民共和国の行政区分#(繰り返しますが)変更案に問題がない理由をそれ以前の話し合いと合せて御覧下さい)。ページの保護以降、彼が自分の過ちを認める様子は今の所ない様に見受けられます。
次に中立性が万能たるかについてですが、ウィキペディアの特性上、中立性が不可欠なのは記事に限ると考えられます。もし中立を神の様に崇め称えて何事にも適用した場合、かならずそれを悪用する輩は登場するのです。相手が歩み寄りの努力をしているにも関わらずそれを全て否定し、自らの過ちを認めず、自分の意見を変えない様な人間が争いの片方にいる時、無闇に中立をとろうとすると必ずその様な人間を有利にしてしまう事になります。世界的な思想の中には本当に邪悪な人間は絶対にいないという考えがあると思いますが、しかし時と場面を限ればあのように邪悪な行動をとる人は世間に普通に暮らしているんです。(邪悪と言う言葉をきいてこの人は突然他人になんつー評価を下すんだとお思いになられるかもしれません。この場合の邪悪とは別に私自身が考えた概念ではなく心理学で言う邪悪性でして決して主観的なものではありません)
確かにウィキペディアは民主主義の場ではないと方針が定められておりますが、システム上記事名が1つしかなくてあとはリダイレクトにせざるを得ません。その時に中立性に基づいて決定されるべくは決して書籍に出てこない形の独自の基準により決定された名前ではないでしょう。変更に反対する一人の人が拒否をしているからと言って拒否組へ加担されるなら彼の思惑通りとなりかねません。どうか投票にご賛成ください。Sionnach 2006年1月30日 (月) 15:01 (UTC)[返信]

代替ページでの問題提起に答えていただきたい。[編集]

Wikipedia:保護中の代替記事/Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 中華人民共和国の行政区分に問題点を幾つも示した。Dalaibaatur氏が保護中のノートの事についてひどく拘泥しているが、それに構ってばかりではウィキペディアに本当に大切な事を見逃してしまうだろう。そのため貴殿にも問題点を理解していただき考えを共にしたい。Sionnach 2006年2月17日 (金) 00:58 (UTC)[返信]

人物記事の性別記入について[編集]

こんにちは。突然のメッセージをお許しください。

以前、Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/人物伝で人物記事に性別を記入するべきか否かに関する議論に参加しておられたので、よくご承知のことと思いますが、現在もなおその議論は続いており、具体的な答を出すべく語り合っております。

議論は結論が得られず行き詰まっている感があります。あらゆる視点から議論をしていき良い答が出せればと願っております。Xmas stepsさんにも是非また議論にご参加いただき、ご意見を頂戴したいと思います。

そもそもきっかけは、私があらゆる人物の記事に無条件に性別を記入していったことにあります。私自身はスタイルマニュアルの規定に反する編集を行っており、本来はこのようなお願いする立場にはないと思います。しかしながら、色々な方からご意見をいただき、それによって解決に至ることが出来ればと考えて、このようにメッセージを送らせていただいている次第です。

突然の依頼で恐れ入りますが宜しくお願いします。失礼しました。行動で挽回するしかない 2006年2月25日 (土) 16:12 (UTC)[返信]

もし、いらっしゃるか?[編集]

結局Dalaibaaturという人が心を閉ざしたままでしかも今度は問題行為を繰り返し始めた。包頭を勝手にボゴト市へ移動させたり、西双版納へ勝手に作った読みを付したり、例のポータルページからの儂の作った代替ページへのリンクを削除したりと次々に合意を得ない行動を起こしている。本当に貴殿はあの人をなんとかできようとお考えか?そして何とかしようとお考えか?

もしこれ以上お考えになるのが困難であるとお感じならWikipedia:保護中の代替記事/Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 中華人民共和国の行政区分#フォーマット2-5-2削除に関しにて問題となっている項の削除への賛否署名を行っているので意見を表明していただきたい。Sionnach 2006年3月4日 (土) 00:37 (UTC)[返信]

返事[編集]

Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 中華人民共和国の行政区分/投票に関する決定事項について で質問なされたようだが儂はそこを使うべきではないと考えている。/refだが話がこじれそうなので塩菜っ葉という方に保護中のノートの処理を任せる。ところでDalaibaatur氏が勝手に彼のレスを移動させているがあれはGFDL違反ではないか?Sionnach 2006年3月13日 (月) 00:50 (UTC)[返信]

なぜあの様な人の肩を持つ?[編集]

ウィキプロジェクトに拘束力はない、参加者へ名を連ねている儂にも。なんら管理者の保護を受ける訳はない。単なる投稿者間の取り決めなのだ。wikipedia:ウィキプロジェクトにもそれを裏付ける文面がある。

Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 中華人民共和国の行政区分/保護解除議論で貴殿は投稿方針に関して文句を付けたな。だがそれは保護の解除とはなんら関係はない。重要なのは当該ページでの編集合戦を行わないと誓えるかであり、他のページでは関係ない。そしてDalaibaatur氏本人がそれに関しイエスかノーかを待つだけだ。第三者が私情で賛否を付けても今後編集合戦へ関与するという意思表示でない限りは信頼すべきではない。もしDalaibaatur氏がその意思を表明せずに自らの編集方針へ反した項目へ編集を加えるのならそれは対話拒否と看做さねばならない。 もし彼に味方するというのなら論理的な理由を述べるのが礼儀だ。

ところで失礼ながら貴殿の投稿歴を拝見するとソックパペットの虞がある。まるで邪悪な人が自分の行為を正当化しようとして作ったアカウントだと疑いたくなってくるのだ。前にも言った様に邪悪な人とはたとえ間違っていても自分の行為を正当化させる為にどんな手段も辞さないもの。他人を信用できないウィキペディアである事が非常に遺憾だ。Sionnach 2006年3月22日 (水) 07:03 (UTC)[返信]

議論をするにも順序がある。[編集]

Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 中華人民共和国の行政区分/保護解除議論/mlはお読みになったか? Tietew氏も言っておられるぞ、「元のノートの続きの議論」をするなと。それでも「元のノートの続きの議論」をするつもりならば問題解決の意思は無いとしか言えぬ。Sionnach 2006年3月23日 (木) 02:12 (UTC)[返信]

あなたは何者ですか?[編集]

あなたの投稿記録を見ると不自然な空白があります。そして長期ブロックされた利用者とやけに親しげです。あなたは何者ですか?どうしてSionnach氏やAphaia氏に悪意があるかのように(あなたにその意図がなくともそんな風に見えます)ふるまうんですか?一体あの人とどんな関係ですか?個人情報保護に障らない程度に教えてください。--CatLover 2007年9月9日 (日) 21:36 (UTC)[返信]