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利用者‐会話:Yasomononobe

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偽書での常識について[編集]

はじめまして。KurmUmyと申します。Yasomononobe様の偽書の編集について気になったので。コメントアウトで多く書いていましたが、これなら本文に組み込むべきでしょう。また国文学中心に改変を行っていますが、参考文献に追加出典がありません。既存のものに書いてありいままでがおかしかったのでしょうか? 偽書は十分な出典がないように思います。 またこれが主題なのですが、「常識」とかかれています。これはダメです。人文学の常識だろうが、ここwikipediaは「常識」をかけません。記載できるのは何らかの信頼できる情報源に載った情報のみです。「常識」かは理系の人にはわかりませんよね。専門家ではない人が誰でも見て判るようにしないといけません。さらに言えば、wikipediaの発信源になってはいけません。新しい情報をはじめて公開できません。この本にこう書いてあったという紹介で記事が成り立つと言って良いのです。Yasomononobe様の編集では出典追加がありません。脚注や参考文献への加筆を行っていただけないでしょうか。宜しくお願いします。--KurmUmy 2011年8月20日 (土) 08:58 (UTC)[返信]

はじめまして。Yasomononobeと申します。本文に組み込むべきでしょうとのご指摘は確かにそのとおりであると考え、そのように再編集させていただきました。当該記事に限った話ではありませんが、信頼できる情報源でないものがずいぶん参考文献や脚注として扱われまるで信頼できるソースであるかのように貼られている記事が多いように日頃感じています。編集している記事以外でも、マスコミの記事やら雑誌やらがソースになっていたりして、これっておかしいよなあと思いながらもインターネットそのものも出版も何かの意図で成り立っているものだから仕方ない世界だなあと感じているところです。wikipediaの趣旨に添うように加筆したいのですが独自説でも新しい情報でもないところをソースを出せと言われて正直困ることも多々あります。1600年は1500年より新しいというソースを出せといわれてもあなた困りませんか。わたくし自身はとくに何事についてもここでは新説をとなえる気もなく単に知らない人からみたら目新しいのかもしれませんが。

>「常識」かは理系の人にはわかりませんよね。専門家ではない人が誰でも見て判るようにしないといけません。

そのように思います。でも、間違ったことが書かれていてもそのままであるので、理系の人はそれを受け入れていたということですよね。wikipediaの存在意義ってなんだろうなあと思います。誰の検証も経ないで記事が成り立ち公開され、それがあたかも万人の手によってつくられた辞書であるかのように刷り込まれる。実際には数名の手によって都合よく書き換えられ編集履歴でさえも数名によって消すことができるインターネットサイト。検証というのは、ペタペタとリンクの貼られたネットソースやセンセーショナルに書かれた一般書籍でもって行われるわけですよね。正直自分がこのサイトを見ない、利用しない、それが一番の解決方法かという気がしています。ここに何が書かれていてもわたくし自身にはなんの利益も不利益もないからです。まあインターネットで調べた気になって適当に記事書いててメシ食ってる人がいるとすればその人は楽するためあるいは自身の給料のために自分が既にメディアに書いた記事のソースとしてのウィキペディアの記事を死守し正当性を主張しまた参考文献なども自分で一万冊の中からどれが参考文献になるかの段階から検討したりもせずにうわずみだけを掬えて便利だと思っているのかもしれませんが。--Yasomononobe 2011年8月20日 (土) 09:25 (UTC) 追記します。膨大な先行研究があるもののそのすべてを載せるというのは不可能に近いことです。しかし、そうしなければ結局のところは「偏った」もの、特定の方向性を志向するものにしかなりえない。しかし古事記などを例にとれば研究書から宗教書から一般書籍や流通書籍になっていない論文からオカルト書籍からすべてを網羅したいという欲求にかられますが正直だれひとりとしてこの世に存在あるいは消失したもののすべてを読破している人はいないでしょう。文系理系という問題ではなく、たとえば単なる国語辞典そのものにしても実は出版会社と編纂者のカラーが入っているわけです。マスコミは広辞苑大好きですけども研究者からは広辞苑は実はまったく日本語研究辞書扱いされていないことなどは面白いですね。理系にしても、じゃあ解読されたヒトゲノムが本当に正しいというソースを出せといわれたらあなた困りませんか。塩水を蒸発させて得られる結晶は白い、そのソースを出せと言われても困りませんか。十進法における1+1=2であるソースを出せといわれたらあなた困りませんか。検証や判断というのは、己で調べつくして初めて可能になるものと考えますが。参考文献や脚注がいくらあってもそれがあることによって検証や判断ができて信頼のおける記事になるというものではありません。信頼のおけるソースでないものをペタペタ貼ることでどうして信頼性が高まるのでしょうか。たとえば、“「偽書」とは、『日本の偽書』という書籍にこう書かれているものである”とあった場合、そのことが示すのは“『日本の偽書』という書物に書かれていること”であって「偽書」の普遍的定義ではありません。参考文献や脚注は“『日本の偽書』とは、「偽書」についてこう書いてある書物である”ということがわかるだけものであり、「偽書」についてわかるものではありません。もしwikipediaが参考文献とソースアドレスさえあれば信頼するということなのであれば、wikipediaは辞書ではなく、文献あるいはサイトアドレスを紹介するサイトであるべきではないですか。すなわち、たとえば「偽書」という項目建ては不適切であり、『日本の偽書』という書籍の項目建てのみがあるべきサイトではないですか。 この書籍にはこう書いてある、この新聞記事はこう書いた、このサイトはこう書いていると紹介するサイトがwikipediaであるならば、この世のすべての書籍・記事・サイトを網羅することができない以上、限られたソースをもって定義を書いてさも信頼できるかのように装うのではなく、単にこの世のあらゆる書籍を見出しとする書籍内容を紹介するサイトとあるべきではないですか。 ——以上の署名の無いコメントは、Yasomononobe(ノート履歴)さんによるものです。--KurmUmy 2011年8月20日 (土) 10:45 (UTC)[返信]

「wikipediaが参考文献とソースアドレスさえあれば信頼するということなのであれば、wikipediaは辞書ではなく、文献あるいはサイトアドレスを紹介するサイトであるべきではないですか。」> はっきり言えばその通りです。それにその内容説明が付属したものです。
「参考文献や脚注がいくらあってもそれがあることによって検証や判断ができて信頼のおける記事になるというものではありません」> いいえ、それがここの基本理念です。「参考文献や脚注があって誰でも後から出典を確認して内容がそこに書いてあることが正しいと検証が出来ればよい」(検証可能性)のです。査読制度が無いwikipediaのシステムですね。ただし、この出典は信頼できる情報源に基づくべきです。
いわば偽書というテーマについて色々な書物の内容を紹介していく感じで文章を構成するものでしょうかね。ただし全文引用の必要はありません。文献に基づいて文章を書けばよいのです。独自研究に注意してですが。
「単にこの世のあらゆる書籍を見出しとする書籍内容を紹介するサイトとあるべきではないですか」> あらゆるは言いすぎです。Category:秀逸な記事でも出典は多いのでたくさんあることに越したことはありませんし、一つだとが。まあ内容の重複もありますし、マイナーすぎる場合は特筆性で引っかかるでしょう。
「解読されたヒトゲノムが本当に正しいというソース」> 「本当に正しい」は無理です。書いてありません。「”解読されたヒトゲノムは正しい”というソース」はそう書いてある書籍があるので出せます。本当に正しいか論じるのはwikipediaの役目ではありません。
「塩水を蒸発させて得られる結晶は白い、十進法における1+1=2であるソース」> 理科の教科書や算数の教科書でも可能です。ある分野の常識は分野の概説書を追加しておけば結構カバーできます(教科書は極論ですが、検証可能は可能です)。
大体「完成された百科事典」ではなく、「百科事典をめざすプロジェクトの途中」ですからね。特に出典に細かく指摘が入るようになったのはここ2,3年ですし。まあ情報を仕入れるのには使えても、絶対に論文・大学のレポートには使えませんよね。見た目は知っていることを書けるようにみえるんですが、実際は専門書に基づくのがよいですし。
また出典の一般書籍は仮のもので、専門書に置き換えるべきでしょうね。専門書は一般には見つけにくいですから。Category:秀逸な記事に近いレベルで出典があればよいのですが。Yasomononobe様は専門書をご存知のようなので、出典追加すればよいと思いますよ。専門書の出典を付けて書き換えれば問題ないです(私も貴殿の編集が筋が通った文章なのに出典がなく勿体無いと思ったから参上しました)。逆に除去するときも出典が無いことを理由に出来ます。大量除去や長く放置されていたら、ノートに一言添えたり、除去前にノートで告知すると、摩擦回避になりますので使ってください。

また出典の質を気にしておられるようなので、テンプレートを案内しておきます(Template:出典の明記より引用)。

それからこれは忠告ですが、「wikipedia:」で始まり「方針・ガイドライン・草案」と冒頭にある記事は、記事ではなくここのルールで、勝手に変更できません。のーとの合意が必要です --KurmUmy 2011年8月20日 (土) 10:45 (UTC)[返信]


>出典を確認して内容がそこに書いてあることが正しいと検証が出来ればよい

それは検証とはいわないのではないでしょうか。それは単なる確認です。参考文献とは、論を展開するうえで参考にしたもの。参考文献に書いてあるからといって論が正しいというものではないので、論に書いてあることが正しいという検証はできません。すなわち、ウィキペディアのページに書かれたことがその本に書いてあるということが確認できるのみであって、ウィキペディアに書かれたことすなわちその書籍に書かれたことが正しいと検証できるものではありません。信頼できるソースについてですが、日々改正するのがよいのかというとまたそうともいいきれず、完成されたものを発表したならば改定は行われないかもしれないということもできますし、新しく出た書物ほどありとあらゆる立場や資料を網羅しつくして書かれた信用できる最終結論になっているかというと必ずしもそうではないということです。

>「本当に正しい」は無理です。

に尽きるのでしょうね。ご忠告とご教鞭ありがとうございます。Wikipediaがどういうものを志向するかを理解しました。次に編集することがあるならば、そのようにいたします。現時点で既に独自研究とお思いになられた部分に関しては削除していただけたらと思います。それがWikipediaにおける精査ということだとも考えますし、同意いたします。いろいろと目につくことがおありだったことと思います。にもかかわらず懇切にいろいろとご教示いただいたこと、お礼申し上げます。Yasomononobe 2011年8月20日 (土) 12:50 (UTC)[返信]

「検証とはいわないのではないでしょうか。それは単なる確認です。」>まあその通りなんですが、ここではその確認作業を「検証」と呼びます。「編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。」(検証可能性より)と言うように。ただし特筆性や中立的な観点Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかなども関わってくるのですが。出典がまず出され、それは信頼できないとか中立性に問題があり表現を変えるべき(両論併記など論争になりやすい)、特筆がなく載せるべきではない(程度が判りにくく些細な情報も現在は多い)という段階へ進みます。wikipediaの論争はこれです。また独自研究になりやすいのは、歴史分野だと1次史料からの推察ですね。古文書に書いてあるからこの説はおかしい」>>誰かがその史料で否定しないとダメ、矛盾する史料を提示しておくくらいでしょう。「A文書に○○は豊臣に仕えたとある。B文書に○○は小田原落城で捕虜になったとある、つまり落城後に豊臣に仕えたのである」>>出典にかいていないと落城後に仕えたは書けない(さらに本当に文書にあったのかされ確認できない) または新説です。「非常に論理的な新説・異説(ただしマイナー・発表されたばかり)に**は△△だったと書いてある>**は△△と判明した」>>研究者が肯定したなら兎も角、執筆者の判断なのでダメ。あくまで研究者(出典あり)の裏づけ必要。
こんな感じでしょうか。Yasomononobe様は豊富な知識をお持ちのようですので、ご存知の専門書を噛み砕いて書き、脚注に示して書いてみてください。--KurmUmy 2011年8月20日 (土) 13:39 (UTC)[返信]

検証ではなく確認なのですね。 ならば、そのように言葉を使うべきと考えます。 嘘の書物を参考であげれば検証したかのようにとれるというのは百科事典を名乗るうえでとてもおかしなことと考えます。 それと、先に書いたもの勝ちということですね。それを違うと書くことはゆるされず、矛盾する資料をあげるのみで嘘は際限なくそこに存在し続ける。

裏付けというのは、信用できない書物や信用できないサイトをペタペタはって、そこにウィキペディアと同じことが書いてあるのを確認して悦に入ることではありません。

正直どうでもいいですwご存じの専門書を再び学術図書館から手元にそろえて手間暇かけて編集してもわたくしには何のメリットもございません。おばかなマスメディアの「インターネットで『調べた』」のお手伝いをしても何の意味がないと思うようになりました。非常に斬新な考え方である、は皮肉ですよwありえないことをよく×なあという意味の皮肉。それと、研究者が何をさすのかわかりません。ノンフィクションライターは研究者とはいいません。研究者というのであればノンフィクションライターの一般書などもってのほかですし、人脈のみで実質的に試験はなしで入れて博士号論文を書けないものをさす修士などは研究者とはいいがたい。信頼できる博士号をもつものに限るべきです(博士号があるからといって信頼できるとは限りません。誰とはいいませんが電波系の学者なども資金人脈の関係で博士号を得ることができます)。

また、出典とは、引用する書物のことです。参考文献と混同していますね。

正直、このウィキペディアというサイト自体が「信頼できない」ものであるという結論に達しました。

論文を書くのでもないのに時間をかけて三流にあわせてご存じの専門書をかみ砕いて脚注を書いてさしあげる気はとうていございません。気に入らないのであればアカウント排除でもなんでもしてくださって結構です。もうかかわることはありません。専門家なら脚注なんかなくても文献名あげれば代表的な書物読んで代表的な説は頭に入っていてこれはどこの説だってわかっているものなんですけどね。そういうひとが「精査」して「検証」するのではないのに辞典を名乗るっていかがなものでしょう。--Yasomononobe 2011年8月20日 (土) 14:23 (UTC)[返信]

書いてみてくださいとかいわれても慇懃無礼に書いた皮肉が通じなかったんだなあとしか思えない。一次資料と二次資料の定義もおかしいし。二次資料のみから孫ひきする辞典ですって言い切ったじゃないですか。参考文献とサイトをペタペタ貼って紹介する辞典であるとあなた言いましたよね。今度は一次資料からの推測はうんぬん、一次資料をみてもいない二次資料からの孫引きを重んじろってそんなアホなこという人が歴史についてあちこち編集しているとか本当にあきれ返ってものもいえません。インターネットなんてなくなればいいのに。嘘ばら撒きたい人には本当にすばらしいツールなんでしょうけどね。--Yasomononobe 2011年8月20日 (土) 14:23 (UTC)[返信]

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