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利用者‐会話:Yatobi/過去Log20090803

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伊豆大瀬埼灯台の画像提供依頼に関して[編集]

Nice to meet you. Thank you for your supporting the image of Izuosezaki Light(伊豆大瀬埼灯台). And, I appreciate your enthusiastic working on Japanese Wikipedia. Everyone for Wikipedia, and Wikipedia for everyone. Thank you. --Cuaxdon 2009年1月30日 (金) 14:58 (UTC)[返信]

確認しましょう。[編集]

「国語辞典に書いてある」と示してあるのだから、ちゃんと国語辞典を確認しましょう。以下、丸ごと引用。(MSオフィスに付属の国語辞典です。)

かとうどうぶつ【下等動物】 進化の程度が低いと考えられる動物。脊椎動物では、爬虫類、両生類、魚類など。

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)小学館 1988

追記。 さらに、平凡社世界百科大事典の「動物」という項目から部分引用。

「原生動物,細菌など,単細胞の下等生物」

http://www.kn-concierge.com/netencyhome/

また、大辞林から引用すると、次の通り。

かとう_どうぶつ【下等動物】 進化の程度が低く、体制の単純な動物の総称。⇔高等動物

また、マイペディアの「動物」から引用すると、次の通り。

「単細胞の原生動物から人間まで,さまざまな段階」

また、大辞泉(Yahoo辞書にある)から引用すると、次の通り。

1. かとう‐どうぶつ【下等動物】 体の器官が未分化で体制の簡単な動物のこと。⇔高等動物。

--219.98.102.190 2009年3月19日 (木) 07:55 (UTC)[返信]


お誘い[編集]

こんにちは。アンサイクロペディアで活動している泡沫利用者の一人です。夜飛さんはアンサイクロペディアに戻ってくる気はございませんか?というのも、現在アンサイクロペディアは黎明期からの管理者方の活動頻度が下がっており、Torノードを利用した荒らしなどが横行し、議論も紛糾していて猫の手も借りたい状況なのです。勿論無理にとは言いません。お返事を頂けるようでしたらアンサイクロペディアの私の会話ページにお願いします。ウィキペディアと無関係な話題を持ち出してすみませんでした。--極楽丸 2009年4月9日 (木) 06:57 (UTC)[返信]

最近は、私事にもより余り時間と気力がアンサイクロペディアでの活動にまわせず、同方面に関しては停滞中です。余り期待しないでくださいませ…--夜飛/ 2009年4月9日 (木) 08:44 (UTC)[返信]

どうしましょう…[編集]

こんにちは。私は、Imuzakという者です。質問なのですが、
井戸端で荒らしをおこなったCstmNさんとCstmMさんが、見たところソックパペットのようなのです。でも、ちょっとどうしたらいいかわかりません。どうしたらよろしいでしょうか?--Imuzak 2009年5月25日 (月) 08:07 (UTC)[返信]

はじめまして。今回、その両者が明確な荒らし行為を利用者登録直後から行なっていたため、荒らし目的アカウントとして即時無期限ブロック(CstmNCstmM)されたこともあり、「忘れちゃって問題ない」案件だと思います。
なお、ある行動の似通った複数の利用者を見かけたとしても、それらがソックパペットかどうか、ひいては問題のあるソックパペットかどうかを判断するのは(今回のようにのっけからブロックを喰らうような荒らしアカウントのようなケースを除けば)、一種独特の判断もありますが、場合によっては一部管理者らの権限で技術的にも確認する方法もあり、その一方で必ずしも「ソックパペットを使うこと」=「問題行為」というわけでもなく、その扱いは熟考を必要とします。確定的な状況証拠があり、かつ決定的にそれら利用者が問題行動を起こしていなければ、ソックパペットかどうかとは切り離して扱ったほうが良いと思います。--夜飛/ 2009年5月25日 (月) 13:24 (UTC)[返信]

ありがとうございます。以後、そうします。--Imuzak 2009年5月26日 (火) 09:44 (UTC)[返信]

記事「虚言癖」の編集について[編集]

こんにちは。私は「虚言癖」の削除的編集でお叱りを受けたCoffeecakeと申します。Yatobiさんが、記事「虚言癖」のことを仰っているのだと編集履歴から判断しましたが間違いないでしょうか? Yatobiさんは出典なしの記述であっても必ずノートで合意を取った上でないと削除するべきでないと仰います。それは編集作業が活発なページや、しごく真面目書かれたような記述については仰るとおりです。しかし、私が削除したページは、履歴やノート、本文の品質を見る限りでは、あまり編集密度が高いとは言えない状況でした。削除した内容については、流暢な文章ではありますが、その内容は酷い。出典なしで残しても良いと判断できるような真っ当なものではないと判断しました。

私が削除した部分 その1

詐欺師は、これを職業(?)としているケースであるが、詐欺罪が存在する以上、日本を含む多くの国では犯罪と見なされるものである。詐欺師の中には、自身の述べる嘘にリアリティを持たせようと、自分でもそれを信じようとする傾向も見られる。中には余りに熱っぽく嘘を語ったがために、自己暗示によって当人すら信じる事もある模様で、結婚詐欺師の中には、とてつもなく荒唐無稽な嘘を並べる者すらいる。ただ、これらでは騙される側も「騙されたがっている」とみる向きもあり、この荒唐無稽さが一種の娯楽として受け容れられている傾向も指摘できる。

私が削除した部分 その2

嘘が他人にとって娯楽の範疇にある分には、虚言癖も娯楽としてビュルガーの著したほら吹き男爵の冒険(ただしミュンヒハウゼン男爵ドイツに実在した貴族である)のように、大いに歓迎される所では有るが、自己保身のためや、無意味に膨れ上がった自尊心(自惚れ)を満たすための嘘は、聞く側にとっては不快な傾向を持つこともある

これ、百科事典の「虚言癖」を説明する文面には相応しくないと思います。その1は見解がユニークすぎますし、その2は、現実の事象の説明とフィクションの話がごっちゃごちゃになっていますでしょう?--Coffeecake 2009年6月4日 (木) 10:39 (UTC)[返信]

何か重大な誤解か、小生が伝え切れていない部分があるようです。まず、全ての記述除去を対象としてノートでの問題提起を必須条件に挙げている訳ではなく、記事の体裁を崩すほどの記述除去(まあこれは大幅な編集行為にも言えますが)には、それに先立って問題提起したほうが良いと言う勧告であり、それは無闇に自身だけで判断して記事を損なう独善に陥らないよう注意すべき側面があることをお伝え申し上げた次第です。
虚言癖における記述除去部分は、「見解がユニーク(英語的原義ではなく『独創的』と言う意味か?)すぎます」と述べておられるのですが、これは出典として後対応で付与した文献に述べられていることに違うところではなく、その意味で小生の独創に基づくものではないと考えております。また、「百科事典の『虚言癖』を説明する文章に相応しくない」や「現実の事象の説明とフィクションの話がごっちゃごちゃに(以下略)」との部分も、小生としては首を傾げます。というのも、フィクションに描かれたものを例示して読者に所定の状況を想起させ、それと対比させる意味で「実際にこのような方向性は(フィクションに示されたものとは)同一視できないだろう」という説明の方向性であり、それはフィクションを一種の説話として一連の説明を切り出しているに過ぎません。そういう、記事に何が書かれているかを省みず、その相手の表現レベルを論拠(足掛かり)として我論を擁護しようとする姿勢は、申し訳ありませんが問題視できると考えます。--夜飛/ 2009年6月4日 (木) 10:58 (UTC)[返信]
>フィクションに描かれたものを例示して読者に所定の状況を想起させ、それと対比させる意味で「実際にこのような方向性は(フィクションに示されたものとは)同一視できないだろう」という説明の方向性であり(後略)
貴方の御意見の中で、この部分はちょっと納得できません。なぜなら、本文には以下のように書いてあるんですから。
>嘘が他人にとって娯楽の範疇にある分には、虚言癖も娯楽としてビュルガーの著したほら吹き男爵の冒険(ただしミュンヒハウゼン男爵はドイツに実在した貴族である)のように、大いに歓迎される所では有るが、(後略)
虚言癖が娯楽として楽しめるですって?冗談はよして欲しいと思います。確かに、ほら吹き男爵の冒険は魅力的な物語だと思いますよ(実際に読んだことはありませんけど。あらすじしか知りません)。でも、この文章でほら吹き男爵に言及しなくてはいけない必然性がないように思えます。書き手が自分の知識をひけらかしているだけにみたいな気がします。これが、新聞の文化面に載っているエッセイなどだったら、味わい深い良い文章かもしれませんけれど、百科事典で脱線した文章を書くべきではないでしょう。微妙にTPOがずれていると思います。--Coffeecake 2009年6月4日 (木) 11:26 (UTC)[返信]
「ほら吹き男爵」を引き合いに出した部分に関しては、同記事で後述するミュンヒハウゼン症候群に引っ掛け、前フリとしている所は否定しません。しかしフィクションのモデルとなった実在の人物としての「ほら男爵」(ミュンヒハウゼン男爵)がその嘘話を実際には虚構の物語として周囲を楽しませる娯楽に供していたこと、また前述の結婚詐欺師が虚構を構築するために挙句、自身でも嘘と現実の境界を求めず突っ走ってしまうこともありうること、そして騙される側も結婚詐欺師の途方もない虚構を「信じたがっている」(その虚構に参加することを求め楽しんでいる)側面があることは『犯罪の心理学―なぜ、こんな事件が起こるのか』(講談社ブルーバックス:ISBN 978-4061328167)に示されるところであり…と、それぞれがビュルガーの創作上の人物を一つのポイントとして巡っている構造になると考えてのものであり、それは文章全体をそれぞれの方向性にある断片を重複して押し止めるピンの代わりにしているものです。嘘の娯楽性に関しては、反駁の余地のないものでしょう。そして(やや意地悪くも言えば)虚言が病的な状態にある虚言癖であっても、それを聞く側は自身に害が及ばない限りにおいて、それを楽しむこともまた可能なのです。なおCoffeecakeさんが「この部分はちょっと納得できません」と述べられている部分は、Coffeecakeさんの価値観の上で理解を示せない(示せば何かを失う?)だけなんじゃないかと感じる次第です。脱線と述べられておりますが、程よく脱線することで周辺事象に言及できるなら、そしてその主題を見失うでもなければ、問題はないと考えております…知識は、相互の関係性において補強されるのですから(記憶と理解の基本原則ですね)。--夜飛/ 2009年6月4日 (木) 12:11 (UTC)[返信]
話が飲み込めました。ほら吹き男爵(私が削除した部分 その2)は貴方の文章だったのですね。色々失礼なことを申し上げて申し訳ありません。ブルーバックスに書かれている内容を記事に反映なさったと言うことでしょうか? ぜひ出典をつけていただきたく思います。もしかして、詐欺師の本質が「虚言癖を職業としている」であると論じた上で、結婚詐欺師は娯楽を提供していると結んだ文章(私が削除した部分 その1)も、貴方が執筆された部分なのでしょうか?--Coffeecake 2009年6月4日 (木) 12:26 (UTC)[返信]
出典としての文献明示は対応済みです。件の書籍は犯罪を心理学の方面から捉えた一般向け書籍であり、その意味において読者の興味を引くよう、そのテーマの選択、説明の構成、考え方をより一般に判り易くまとめることに注意が払われており、その上において詐欺師は自身をも騙す(つまり事実と自身の発した虚構の区別が付かない病的な状態と同質)という視点が示されているのですが、それはある意味で誰でも本気で嘘を付こうとした場合に、その嘘をもっともらしく脚色するために自身のついている嘘を事実として扱おうとしている時点において近しいものであり、こういった「必死になって付く嘘」なんてものは、自我が芽生えた人間になら普遍的な現象に過ぎず、そこに一般の読者が自己の体験として内在している記憶に接点を発生させうる訳です。百科事典の記事としては「(少なくとも分別のある大人には)理解できるよう事物を説明する」必要があり、その意味で多方面に概念を広げつつもその総体として事物(この場合は「虚言癖」というもの)を説明することは、合理的と考えます。なお、あなたの上の発言を見るに付けても、件の編集行為が記事を良く調べて、また自身の行為の結果として意見が付いたことに返事をする上で、果たして自身の行為を妥当かどうかを熟考した上で行なわれたものではないことが感じられます。そのような慎重さに欠く態度で方々の記事に係わることは、他の利用者の迷惑になると考えます。--夜飛/ 2009年6月4日 (木) 12:52 (UTC)[返信]
失礼しました。削除した文章について独自研究に違いないと偏見がありました。ブルーバックスならちゃんとした研究者によって書かれた本が多い上に誰でも簡単に理解できるということから、検証可能性という視点から見てもすばらしいです。出典にぴったりですね。ぜひ出典明記してください。
さて、最後に少し言わせてください。
貴方が「ヨシダプロ」の編集についてに何も検証していらっしゃらないとは、少々驚きました。貴方が仰る私の編集の「全般的なこと」の中には最新の編集は含まれていなかったということですね?貴方は「虚言癖」しか見ていなかったのでは?それならそれでかまいませんけど、全般的な編集が云々と話を大きく見せるのは止めて頂きたかったです。
貴方は無自覚かもしれませんが、脅迫のテクニックを駆使していらっしゃるような気がします。改めて私のノートにおける最初のコメントを拝読しますと、記事に異論があるならWikipedia:連絡先/記事の問題を読めと(最初から)仰ってますよね。私、最初は珍しい提案をされた…もしかしてヨシダプロ関係者だと思われたのかな?と、特にショックを受けることもありませんでしたが、よくよく考えてみるとひどいじゃないですか。普通はガイドラインを読め!とか言うものじゃないんですか。Wikipedia:連絡先/記事の問題って最終的な手段でしょう?
以上です。「虚言癖」の文章はなにひとつ削除せずに、替わりに「要出典タグ」を付けておこうとおもいます。貴方は出典を明記をして記事を完成させるますよう。では、ごきげんよう。--Coffeecake 2009年6月4日 (木) 13:30 (UTC)[返信]
今さっき、私のノートにおける貴方の加筆を拝読させていただきました。
はっきりされておきたいことがあります。私の編集方針の全般を5件チェックして、私の編集のすべてに問題があると判断したと仰ってますが、その5件とはどの記事なんですか?貴方の仰ることがもっともならば、すぐに心を入れ替えて編集方針を抜本的に見直すつもりです。
それから、なぜ、私のノートで、私が出典のついた記事であっても削除するだろうとか、嘘をおっしゃるのですか? ノートの記録はずっと残りますから、嘘を書きっぱなしにされると大変困るんですけど。この件については(できれば)私のノートに一言訂正を入れて頂きたく思います。よろしくお願いします。--Coffeecake 2009年6月4日 (木) 14:46 (UTC)[返信]

(インデント戻します)貴方の新しい編集[1]を拝見しました。あの、言いたくないんですけど、出典に付記されているコメントが、ぜんぜん本文と噛み合っていないと思います。この件については、記事のノートを書いておきます。それから、手元に資料があるのでしたら、該当箇所が書いてある頁(ページ)も明記されますよう。よろしくお願いします。--Coffeecake 2009年6月4日 (木) 15:07 (UTC)[返信]

すみません、自分の勘違いに気が付きました。貴方は私の編集を消したときに、既に出典をひとつ付加していていらっしゃったのですね。そのことを見落としておりました。大変失礼しました。--Coffeecake 2009年6月4日 (木) 15:11 (UTC)[返信]
私の問題点とされることについて具体的にご指摘くださってありがとうございます。貴方の「~である模様。」という表現を直すのは間違いであるとする御意見についての反論は、私のノートに書きました。
貴方の書いた記事ついて失礼な言い方をしてしまって大変申し訳ありませんでした。しかし、貴方もWikipedia:連絡先#記事の問題を会話の最初から私にお勧めになるなど、色々酷いと思いました。
あなたに、ふたつだけお願いがあります。
ひとつは、貴方の本心が、御自分の編集に対するさらなる編集に対する意義異議であるならば、そのような方針であることを最初からはっきりさせてください。
御自分の執筆が削除・書き換えられることへの不満と、無法者を処罰することを混同しないでください。
もう、ひとつは、初めての会話でいきなり「Wikipedia:連絡先#記事の問題をご覧ください。」などと威圧的にやるのは止めてください。これからは相手の問題点を具体的かつ手短に述べた上で、その行為がなぜ許されないのかガイドラインの該当箇所を具体的に示してあげてください。
(注:私にそうしろと言っているのではないです。不慣れなipユーザの方などに対して。)
では。失礼します。--Coffeecake 2009年6月4日 (木) 16:43 (UTC)---Coffeecake 2009年6月4日 (木) 18:40 (UTC)[返信]
(インデント戻し)出典に関して、それに連なっているのは、件の書籍に実際の例として扱われたある事件に関する記述の要約であり、小生のコメントではありません。また件の書籍は以前に購入して読み手元(少なくとも小生の所有物)にある筈ですが、暫く前に別件で書籍を整理中に拾い読んだ覚えもあるものの、本日30分ほど捜索した限りでは見当たりませんでした。おそらく何処かに紛れ込んでいるのでしょう。なおページに関しては斯様な理由により原状で示すことができません…が、少なくとも件の書籍において結婚詐欺のケースは一節にまとまっているので、書籍実物を手にすれば検証可能性はページ数を一意指定するまでもなく満たせるでしょう(というか子供の口喧嘩における「そんなの何時何分何秒に言った!」と聞き返すような実のない態度もどうかと思いますけどね)。
なお記述除去警告はテンプレート{{test2a}}ですが、それを指して威圧的だとか「何故許されてないのかガイドラインを示せ」(挙句「法的脅迫」?)などという指摘をされる態度にも首を傾げます。少なくともWikipedia:荒らしをご覧いただければ、妥当性のない記述除去も記述除去荒らしとして問題視されるところであり、何等説明も無く「ボクが拙いと思ったから消すんだ」的に即興で消す行為が共同作業を旨とするWikipediaでどれほど拙いのかは考えれば判りそうなものですがね。その程度にも考え至らず反発するような態度に終始する(残念ながらCoffeecakeさんの態度は相手の述べていることを理解もせずに反論している辺りでその域にあります)のも十分問題のある態度です。少なくともテンプレートTest2aだけでも必要を満たすだけの説明が盛り込まれているところを、無言で記述除去する行為は荒らしと同一視される可能性がある旨を補記しましたし、それだけでも分別のある利用者には(IPユーザー・ログオンユーザーの別なく)通じますがね。--夜飛/ 2009年6月5日 (金) 12:31 (UTC)[返信]

外部リンクの除去[編集]

テキストの除去はおやめください。 こんにちは。記事からテキストを除去するのはおやめください。こうした編集は荒らし投稿とみなされます。テキストを除去した記事に問題等が有りましたらWikipedia:連絡先/記事の問題をご覧ください。もしテスト投稿がしたければ、テスト専用ページWikipedia:サンドボックスの使用をおすすめします。あなたのウィキペディアでの活動が充実したものでありますように。--119.244.146.252 2009年6月17日 (水) 10:32 (UTC)[返信]

具体的にどの編集のことでしょうか。IP:125.194.240.19会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois編集分を含むBIGLOBEサービス経由で熊本県内から投稿された、コメントアウト状態の外部リンクに関してのことであれば、それらが宣伝行為の可能性がある・加えて記事事物に対してさほど説明的ではないものであり、また同時に「コメントアウトで追加される」という意味不明な編集であったため、これを一律差し戻しました。Wikipediaは宣伝目的での利用を許容していません。詳しくはWikipedia:外部リンクの選び方を参照してください。--夜飛/ 2009年6月17日 (水) 11:14 (UTC)[返信]

差別はいけません[編集]

利用者‐会話:ErectricWire#ネットブックに関して”における夜飛さんのご発言で、以下の件についてだけは看過できません。

乳母心ながら一連のErectricWireさんの態度を見るだけでも、Wikipediaの記事に本格的に係わることは難しいのではないかと思います。アニメやゲーム・マニア分野なんかのサブカルチャー分野でお気楽に記事に係わっているならその水準でも問題ないでしょう。しかし十分ではない理解のまま、科学や技術・学問など理知的な分野に手を出すことはお止めになられたほうが宜しいかと存じます。

あなたの履歴を拝見しましたが、多くのユーザにウィキペディアのいろはを御指導され、「サブカルチャー」の記事の編集にも多数かかわっていらっしゃるご様子。そのようなお立場でありながら「アニメやゲーム・マニア分野」ならお気楽に係わっても良いと公言されるのは宜しくないと思います。改めてください。--ErectricWire 2009年6月22日 (月) 12:58 (UTC)[返信]

それを「差別」と認識すること自体にも異論を挟みたいところですが、それはさて置いてもサブカルチャー分野の、こと単一作品に関する記事においては、その作品自体を出典とみなすことで(拙い部分を含んでいますが)その解釈を等々と述べ立てる記述すら(ある程度は)容認されており、その意味では「(科学・技術・学問分野の記事ではまず見られない)お気楽な内容」と判ぜられるために斯様に申し上げたまでです。まあ、酷いケースでは余りに自分の解釈を記事に盛り込もうとして、トラブルを起こすケースすらある訳ですが。とはいえ、それをあたかも全てのサブカルチャー記事に出鱈目を書くことすら許容しているかのように受け取られるのはお門違いと言うものです。ErectricWireさんの態度はもはやWikipediaが百科事典であるとか、事物の説明を正確性を持ってあたるとか言う以前の、単に相手の発言の一部にでも反論できそうだと感じたから文句を言ってみるような、芳しくないものだと感じられます。そのような態度に出る前に、まずErectricWireさん自身の行為を内証していただきたく。--夜飛/ 2009年6月22日 (月) 13:32 (UTC)[返信]
反論できそうなことだから反論したなどと曲解なさいますか。残念です。--ErectricWire 2009年6月22日 (月) 14:44 (UTC)[返信]
曲解だなどと言う認識でしかないのであれば、話にもならないため、もはやあなたに内証を期待するつもりはありません。--夜飛/ 2009年6月22日 (月) 15:53 (UTC)[返信]
内証を期待とは、何を意味していらっしゃるのか?ネットブックの件のことをおっしゃっているのですか?あれは、あなたが一方的に議論を打ち切ったと理解しています。なぜ話がすりかわるのでしょう。しかし、そのことについては、もう敢えて問題にしたいとは思いません(あなたが議論をお続けになりたいのでしたら続けますが)。今は別の話をしています。あなたは御自分の発言の問題点をまるでわかっていらっしゃらないようですから、説明しましょう。
あなたは、私を最悪と評価なさった。頭が悪いようだから編集は自粛せよとおっしゃる。その私に「アニメやゲーム・マニア分野」ならどうぞとおっしゃる。「アニメやゲーム・マニア分野」の記事はどうなっても良いとでも?個人的には「サブカルチャー」を公然と馬鹿にする態度も気に入りませんが、百歩譲ってアニメは一ランク低い分野であるとしても、あなたの発言は適切ではありません。あなたは「アニメやゲーム・マニア分野」すら私には相応しくないと言うべきでした。あなたは10,000回以上も編集を重ねながら、なぜそんな基本的なことが分かっていらっしゃらないのですか?敷居の低い分野であり、現実にさまざまなトラブルが起こっているならなおさら、いい加減な態度を取るべきではないでしょう?あなたは、薄汚れた路地ならゴミをポイ捨てしてもかまわないという意味のことを言っているのですよ?わかりませんか?ここまで書いても、きっとあなたは「自身の所業を棚に上げて自己正当化も甚だしい」というような返答をなさることが目に浮かびます。それがわかっていながら、私はここに何を書いているのでしょうか。まったく時間の無駄です。さようなら。--ErectricWire 2009年6月22日 (月) 17:40 (UTC)[返信]
(インデント戻し)本当に理解できてないようですね。反論のための反論(しかも的外れ)でしかないので話になっていません。堂々巡りの応酬に付き合うつもりはありませんよ。少なくともWikipediaはどこぞの益体無いネットコミュニティみたいに、無制限に議論を引っ張って、相手に呆れ果てられ放置されたことを持って「議論(正しくは応酬)に勝った」と思い込めて、そこで済ませられるような場ではありません。いずれにせよ、「さようなら」。--夜飛/ 2009年6月22日 (月) 22:29 (UTC)[返信]

「長岡鉄男」の件[編集]

長岡鉄男のノートでの議論にご参加頂けると幸いです。--PATMAN 2009年7月10日 (金) 09:52 (UTC)[返信]

すみませんが、該当人物を存じ上げないため、双方のやり取りの妥当性を判じられません(というか、フツーなら知らん事物の記事の記述を如何こう論じるほうがどうかとは思うが)。ただ、現状では建設的な方向から完全に逸脱して出典が如何とか言うレベル以前で記述の除去と差し戻しが繰り返されている様子が記事内から読み取れます。除去された記述がややビミョーな記述者の見解レベルに達していた半面、要出典付与箇所に関しては出典として既出の書籍を参照したとは考えられない箇所にまで羅列されており、まあ記事対象人物が執筆業と言うこともあり自著多数なのが「当たるべき資料がかなりの量になる」ため全体的に薄められる格好で検証性が低くなる部分もあるが、結果的に「スッゲー無駄な応酬」になっている感じです。
小生が思うところの落とし所としては、要出典が羅列された箇所のうちかなりの部分は<ref>~</ref>的なもので対応するのではなく「雑誌『××』の連載では、斯く斯く云々なことをしばしば述べている」のような文中に織り込む形でどの分野を当たれば検証可能かを記述中に明記してブラッシュアップする方向があると思うのですが、現状では記述除去を繰り返す側が過去からしばしば見せた(著しく問題を起こす)傾向として「記述の内容が掛かる部分が全般的で、その一部からも通して俯瞰しても一様に検証可能である」事柄に対して逐一出典を求めたがり、結果的に単一資料に拠れば特筆性に疑問を抱かせかねないような矮小な現象を扱ったかのような(事実に基づかない)説明となり、その全般的な事柄を示唆する資料を範囲で示せば大抵はその方面を読み進める内に検証可能とはいえ、その各々の何処を参照すればよいか指定しようが無いという論理構造上の限界を無視した態度に出る部分があると考えています。さらに言えば、出典を求めるという態度以前に、独自判断で記述を(記事の論説の流れを無視して)即興で削りたがる傾向も、後対応を困難なものとさせ、ノートでの問題提起と平行して記事内容を自分の推進する形に置き換えたがるのは、(3RR未満でも)編集合戦に至る問題のある態度だと思います…それは現状のPATMANさんにも言えることでは在りますが。
いずれにしても、小生は該当人物に対する記述の妥当性を評価検討することができませんし、既にコメント依頼を提出しているようなので、そちらからの参加者をお待ちいただければと思います…ご希望に添えず申し訳ありませんでした。--夜飛/ 2009年7月10日 (金) 11:27 (UTC)[返信]

DeadLink(リンク切れ)への対応について[編集]

Yatobiさまの福岡猫虐待事件における2009年7月11日 (土) 15:54時点における版[2]について苦情を申し上げます。
  • リンク切れしてしまった出典については、コメントアウトで隠すのではなく、{{リンク切れ}}を付加するようお願いします。{{リンク切れ|date=2009年7月}}などと日付を明記する形式にするとさらに望ましいと思います。詳しくは、Wikipedia:ウィキプロジェクト 外部リンク/リンク切れをご覧ください。
  • 「産経新聞 http://www.sankei.co.jp/chiho/saitama/070209/stm070209000.htm 」を、「産経新聞2007年2月9日報道」と置き換えていらっしゃいましたが、紙面を確認なさいましたか? ウェブ上に掲載された記事は、紙面においては一日遅れの掲載になることもあります。(珍しいことではありません。夕刊の配達に間に合わない時刻にアップロードされた記事は、確実に翌日の朝刊以降での掲載となります。)新聞を出典として明記する形式については、Wikipedia:出典を明記する#書誌情報の書き方(新聞)を参考にしてください。
--ちぇろ 2009年7月12日 (日) 03:44 (UTC)[返信]
補正ありがとうございます。小生としてもニュース記事のデッドリンクは心苦しく思っておりましたが、そのようなウィキプロジェクトによる対応が進行していたのですね。教えていただき感謝です。--夜飛/ 2009年7月12日 (日) 03:48 (UTC)[返信]
賛同して頂き、ありがとうございます。--ちぇろ 2009年7月12日 (日) 09:14 (UTC)[返信]

ノート:トイレットトレーニング関連のYatobiさんの一連の奇行について[編集]

こちらで回答をいただけるということなので、こちらに転記いたします。

子供っぽく表現したとか「その程度」の人でも判り易いようにといった表現についてもよく分からないのですが、相手の意見が合理的で無いとしても、論理と無縁な暴論がまかり通って良いわけではありません。子供っぽい表現かどうか以前にYatobiさんの発言の多くは、理と無縁と思います。非論理的な主張では却って判りにくいだけでしかないと思います。他のページに移動した本人がノートへの誘導を行ったり、行動自体が理とかけ離れたYatobiさんが、何故ご自分が高い視点に立っているかのような幻想を抱き続けているのか謎です。非合理・でたらめの塊でしかないような方が何故この期に及んで自らが相手と異なる大人の視点であるかのような幻想を抱き続けているのかよくわかりません。少なくとも今回のYatobiさんの言動は不可解なものばかりであり、到底大人と呼べるものではないと考えます。今回の疑問点をまとめておきます。

  1. 「じゃあ、それら前開きは何でついてんのさ」と問われただけで崩壊するような個人的視点
    → 前開きが付いている理由を論じることと、トレーニングで使われるかどうかは別の問題なのに崩壊するという詭弁
  2. 使うという人もいるんだから、使わないことが一般的だと主張すること自体意味がありませんね
  3. 掲示板利用者らなどが自由参加した結果によるアンケート結果はWP:V#SPの上から言っても、合理的な資料とはいえません。
    → 残す事の意味・出典については無視し、一方の立場の出典だけを要求している点(ダブルスタンダード)
  4. 本項の性質は「トイレットトレーニング」に関して説明するものであり、パンツの用法を論じること自体が合理性を欠いているる、それにもまして出典に拘泥して記事の主体を見失っているサハラ山脈さんの態度に、問題を感じます。
    →Yatobiさん自身がパンツの用法(前開きが付いている理由)に言及している点(ダブルスタンダード)
    →Yatobiさん自身が各種方針文書を上げ出典に拘泥していた点は棚上げ(ダブルスタンダード)
  5. ご意見などありましたらノート:トイレットトレーニングでお願いします。
    →他ページに移動している本人がノート:トイレットトレーニングへ誘導している点(意味不明な奇行)
  6. 論理性?合理的に説明したはずですがね。
    →以上のように合理性とは無縁でありながら、自らは合理的に説明したと強弁(自画自賛?)している点
  7. 子供っぽく表現したのは、言ってしまえば「その程度」の人でも判り易いようにと言う理由によるものです。
    →大人にはとても思えない非合理な言動を連発されている方が、相手を子供とか「その程度」と見下している点
  8. トイレットトレーニングの趣旨としては「前開きから出すこと」を第一として、
    →この期に及んで第一としたがる理由が不明
  9. Wikipedia:礼儀を忘れないを貼る一方で下品な揶揄[3]を行う点
    →礼儀という言葉を持ち出している上で下品な揶揄を行うというYatobiさんにとっての礼儀とは自分に対してだけのもののように思います。転記する気にもならないほど下品な内容で、TPOをわきまえることのできない自称大人と考えられます。Yatobiさん自身が一般常識的にも考えられない問題利用者の一人と考えられます。

以上の点を指摘してもその点についての反論は出さずに次から次へと他の点で反論しようとする事自体が謎です。何故疑問点について毎回まっすぐ向き合うことができないのか謎です。とても大人の態度とは思えません。

以上こちらに転記いたしました。--サハラ山脈 2009年7月22日 (水) 08:37 (UTC)--1つ追加サハラ山脈 2009年7月22日 (水) 12:55 (UTC)[返信]

Res.[編集]

奇行だなんだと明確な悪意すら感じますな。で、本来であればこのような態度での呼び掛けにはWikipedia:礼儀を忘れないの上でも応答せずに問題利用者として対応すべき段階にあるのですが、敢えて応じましょう。

  • まず「その程度の人でも判るように」は、文字通りどんなに一般論と主観の区別が付いていない人でも、誰でも検証可能な事実としてのパンツの穴が存在していること、そしてその用法は「他に何か使い道がありますか?」というほど明白な(流石に特殊な性癖の持ち主が考え付く用法があったとしたら、それは衆人のあずかり知らぬところですが)論理的帰結であり、それは一々要出典を求めなければならないことなのか?と考えた場合、「分別ある大人なら要出典を付けようとも思わないほど明白な事柄」(所謂「アップルパイ」)であり、それでもなお出展が必要だと主張するのは、消去法から言えば分別の無い子供か、分別の無い大人(後者のほうがより悲惨な気がする@漏電中)くらいしか無い訳で、それを理解できないのはサハラ山脈さんの資質の問題なので、小生の責任の及ぶところではございません。

それ以外の箇条書き(?)に関しては、小生の回答ないし説明を求める形式ですらないので答えようがありませんね。指摘と言うよりも第三者への演説でしょう。

なお小生は「君の股間のジョージ」ではないので、思い付き程度でつつかれることは好みません。つつくのはご自身の股間のジョージだけで済ませてください(著しく漏電中)。--夜飛/ 2009年7月22日 (水) 09:07 (UTC)[返信]

  • すみません。ちょっと話がややこしくはなりますが、この言動についてはどうしても必要性を見いだせなかったもので、というか、Yatobiさん、あなたならもう少し冷静に話せるんじゃないですか? あなたがこんなこと言う必要はないでしょう?  私はこの議論については知りませんが、この言動が議論に必要ないことぐらい第三者としてわかります。この言動については、改めてください。--Imuzak 2009年7月23日 (木) 00:35 (UTC)[返信]
7に転記されています通り相手をその程度の人として見下している方がWikipedia:礼儀を忘れないを持ち出すというのはこれまたダブルスタンダードといったところでしょうか?今の書き込みでもYatobiさんは自らが大人であり、相手は分別を持たないといったような強い立場を出されているようですが、私には未だにYatobiさんは合理的とは正反対の方にしか見えていません。自分がされるのは嫌で、自分がするのはいいというのは子供そのものかと思います。該当箇所については論理的帰結でもなんでもなく、単に他の使い方が無いということからそのように使われているという論理的帰結は得られません。要出典を求められている内容を理解できずに応対していたということになると思います。その点でもYatobiさんは論理的ではありません。Yatobiさんの考える消去法には自らに都合のいい選択肢だけが用意されていただけということになるでしょうか。
こちらからYatobiさんに求める事を述べます。
上の箇条書きが事実であるならば事実であると認めてください。ダブルスタンダードや意味不明な奇行に事実と異なる等の明確な反論があるのであれば反論を求めます。そしてそれらの内容を認めるのであれば、Yatobiさん自身が合理的に考えることができない方という事を確認することになります。今後、自分の書いたことが合理的だとかいうような第三者の評価を経ない自画自賛的な評価を持ち出す事もやめてください。
さらに、大人として十分な中身の無い方ということにもなります。他の利用者に対して「分別の無い子供」「分別の無い大人」「その程度の人」といった態度で応じるのはやめてください。そんな態度の方がWikipedia:礼儀を忘れないを持ち出すというのはまずあり得ません。何様のつもりかは知りませんが、今回の数々の奇行からYatobiさん自身が合理的でない「その程度の人」であり、他人より高い立場にはいないという事をはっきりと確認しておきたいと思います。--サハラ山脈 2009年7月22日 (水) 10:58 (UTC) 微修正--2009年7月22日 (水) 11:31 (UTC)[返信]


やれやれ、「その程度の人でも」と書いた意味が解らないようですね。まあいいでしょう、それが見下した態度だと感じるのだとしたら「それはすみませんね、ただしこちらからはあなたの程度が解りませんでしたので、考えられる最低水準に合わせてより理解しやすい卑近な表現をさせていただきました、あしからずご了承ください」と申し上げる次第です。もっとも、それですら通じないで在ろう状況が痛し痒し。
箇条書き部分は、サハラ山脈さんの認識レベルにおける真理でしかありませんので、コメントしようが無いんですよね…もう有体に言えば。事実とか何とかとは別の概念に属していて、話にすらならないのです。ダブルスタンダードなどと申されても、それが程度問題を無視していたりやら細部のディティールが似ているとかの主観的同一視レベルの話でしかなく、サハラ山脈さんの欲求にはお答えいたしかねます(なお「要求」ではなく「欲求」と書いたのは誤記ではありませんので念のため)。まあ小生としては「そんな偉いもんじゃない」と思っているので、自画自賛しているという主張にも苦笑を禁じえないところではありますが、それはさておきサハラ山脈さんの態度は恣意的な域に達しているとだけ申し上げておきます。--夜飛/ 2009年7月22日 (水) 12:14 (UTC)[返信]
対話拒否ということでよろしいでしょうか?--サハラ山脈 2009年7月22日 (水) 13:01 (UTC)[返信]
話にもならないと言うだけ。というか、論点をまとめてから一括投稿してくれませんか。ダラダラ連投されてもコメント返しにくいだけ。まあ、それ以前に質問なら質問、批判なら批判、きちんとまとめからにしてもらえませんか。サハラ山脈さんの徒然なるポエム集(断片的な思い付きの集合)を書き綴られても困ります。--夜飛/ 2009年7月22日 (水) 13:14 (UTC)[返信]

論点は上にまとめた通りです。答えやすいように番号も振ってありますが、事実としてわかりやすい5番から行きますか。一つのノートで済んだことを会話ページに飛ばし、さらに意見はノートへとその会話ページでは回答させないような誘導を行った意図はなんだったのでしょうか?お答えください。--サハラ山脈 2009年7月22日 (水) 13:28 (UTC)[返信]

羅列に番号振っても、羅列ですよ…しかも未整理でちっともその各々が独立していない。結局はその全体でしか主張が成り立っておらず、まとまってすらいません。解らないかなあ…
なお当初、利用者会話ページにもメッセージを入れたのは、サハラ山脈さんがあからさまな捨てアカウントで、そういう論者の常として食い付き逃げする傾向にあるから、加えてそのアカウントの行動に固有のテーマであるから、意見を申し上げ呼び出したまで。次いでサハラ山脈さんの論点がトイレットトレーニングの記事がどうとかそっちのけで小生への批判に堕しはじめたため、それらならと利用者ページへ誘導しただけのこと。…ごめん、マヂでこんなことが言われなきゃ(それとも「言ってなお」になるか?)判らないんじゃ、話にも成りません。既に言った筈なんだがな、利用者会話ページに場を移すように述べたときにその理由は。理解力を示さない相手に、繰り返し同じことを言うのは趣味じゃないんだが。--夜飛/ 2009年7月22日 (水) 13:46 (UTC)[返信]

呼び出したというのは意味不明ですね。私は既にノート:トイレットトレーニングにいてそこで書くのをやめたわけでもない。しかも捨て垢と考えているのなら、会話ページに書いて呼び出す意味はないでしょう。最初から逃げるつもりの人なら会話ページに書いたとしても徒労に終わるでしょうから。ノートで要出典を戻すと宣言すればいいわけで会話ページで隠れて宣言する意味がわかりませんのでその点をもう少し詳しくお願いします。Yatobiさん自身は会話ページなどに意見を書くことは自由で、私の意見はノート:トイレットトレーニング限定なのかということはまだ分かりません。--サハラ山脈 2009年7月22日 (水) 14:01 (UTC)[返信]

いやまったく、理解できないのか・するつもりもないのか。逃げるつもりかどうか、あの時点では判りませんし、またあの会話ページへの呼び掛けはサハラ山脈さん宛であると同時に、客観的に参照可能な記録として第三者に向けたものでもあったのですがね…実際に差し戻す場合には、その妥当性を説明するための。もし、一連の事柄を理解するつもりが無いのであればご表明願います。理解できないのだとしたら…いやもう、話にすらならんと言うことです。ノートページや会話ページの用法に関しては、Help:ノートページを参照してください…というか、今更こんな話をしなければならない時点で、サハラ山脈さんの態度は、方針文章への無理解(利用者の態度として著しい問題がある)の域にありますよ。--夜飛/ 2009年7月22日 (水) 14:29 (UTC)[返信]

何を言われているのかよくわかりませんが、ここで会話ページに対比されているのはノートページです。私宛であると同時に、「客観的に参照可能な記録として第三者に向けたものでもあった」という内容であるからこそノート:トイレットトレーニングに最初から最後まで書き続けることが妥当であるし、かつ、その該当記事のノートに近日中に戻すといったことが書かれていれば、その言葉には利用者全員に向けて力を持つと考えられます。会話ページではそこまでのメッセージにはならないわけです。何故会話ページを選んだのかということを聞いています。その目的ではノートが妥当でしょう。会話ページをわざわざ選ぶ理由にはならないと思いますが?--サハラ山脈 2009年7月22日 (水) 14:37 (UTC)[返信]

どうやら「理解することが出来ない」のほうのようですね。もはや対話は無理でしょう。サハラ山脈さんの理解力では、Wikipediaに参加することは困難だと思います。--夜飛/ 2009年7月22日 (水) 14:39 (UTC)[返信]

かつてWikipedia:コメント依頼/ish-ka,Maris stellaというコメント依頼があり、自分の書いた事は明快で読み手の読解力に問題があるのではないかというような発言を繰り返す利用者がいるという内容のものですがYatobiさんはこちらのMaris stellaさんに似た方かなと思います。最終的にはMaris stellaさんの書かれていることが理屈が無いということになっていますけれども。私としてはどう考えてもノートで続けることの方が妥当で会話ページに書く必要性が全く見出せなかったわけですが次の件に行きます。

最初の1に行きますか。「じゃあ、それら前開きは何でついてんのさ」と問われただけで崩壊するとはどういう意味なのでしょうか?「じゃあ、それら前開きは何でついてんのさ」と問われただけでそれら前開きが使われているという結論には至りません。形状により性別が分かりやすいので惰性でついているだけかもしれないし、使われているとも使われていないとも明白ではない部分に対して、徹底的に要出典を回避しようとした理由を教えてください。言っておきますが、全てに要出典を貼る必要は無いと思います。しかしそれは当たり前だという絶対的な自信がある方がいる場合と思います。その方に聞けばどのへんのテキストを読めば分かるなどの助言がいただけるはずです。でもYatobiさんにはそのような知識はなく詭弁以外に出せるものが無かったと考えています。--サハラ山脈 2009年7月22日 (水) 15:04 (UTC)[返信]

一つの客観的事実により「前開きは使わない」という主張は一般論化できない性質のものだということです。それも「子供でも考えれば判りそうな」客観的事実によって。これは最初の要出典付与理由に対する見解であり、その程度の理由付け(つまり思いつきの)に基づいて要出典を付与する妥当性が見出せないというのことです…これも何処かで言ったな。なおish-ka/Maris stella氏の件は、それ自体では一つの興味深い案件ではありますが、小生がその人物で無い以上、サハラ山脈さんが似ていると主張しようとも、小生としては「ふーん?」としか答えようの無い事柄だと申し上げておきましょう。--夜飛/ 2009年7月22日 (水) 23:06 (UTC)[返信]

そして私は「じゃあ、それら前開きは何でついてんのさ」という本論とは無関係な疑問によって「前開きを使う」という主張は一般論化できず記事に出典無しに書けることではないということを述べています。書いてあることが当たり前の事だとはっきりと言える人でないYatobiさんが何の考えもなく表面的な争いのためだけに要出典に反対しているということは分かりました。要出典を貼ることに反対することはかまわないですが、反対する前に記事に書いてある事の真偽について目を向けず闇雲に反対している人がいると要出典に反対することが難しくなります。これがYatobiさんがよく知っている範囲の話であって書いてあって当然だと言い切れるんでないなら、Yatobiさんは積極的に要出典に反対しないように求めます。なおコメント依頼の件で私が述べようとしたのは相手の読解力が無いという前に自分の意思を伝える能力・書く能力の低さについて自問していただいた方がいいのではということです。自分の方がダメなのかなと悩むことが礼儀の第一歩ではないでしょうか?会話というのは言葉のキャッチボールと言われます。受け取る側の能力もありますが、投げる方の暴投も成り立たない原因の1つです。Yatobiさんの礼儀の無さについては第三者からも指摘されています[4] [5]。今一度、Yatobiさん自身の一般常識の無さについて再考されることを求めます。他人に「Wikipediaに参加することは困難だと思います」という前に、自分がWikipediaに参加し続けることがWikipediaにとって良いことなのかどうか?といったことを再考していただければと思います。古参で多く活動されていた方でもブロックされるときはブロックされます。長くやってきたことはWikipediaに参加する能力があるということを必ずしも示しません。--サハラ山脈 2009年7月23日 (木) 03:33 (UTC)[返信]

多分意識できずに居るんだとは思いますが、小生が言っているのは
  • 「前開きを使わない」ことを一般論化できない・故にそれを論拠とする要出典の付与は妥当では無い
であって、対してサハラ山脈さんの認識は
  • 「前開きを利用することは一般論である」と利用者Yatobiは主張している
    • 「前開きを使うこと」を好む利用者Yatobiはこれに要出典を付与することに反対している
    • 「前開きを使うこと」は一般化できないので、要出典を外すことは出来ない
というもののご様子。なんか今更なんですけど、埋めようのない隔たりは誰が作っているのか…果てさて。そもそもその付与理由が妥当性がないので編集を差し戻したことと、その是非を別として「付けるべきだ」という段階をすっ飛ばして「(既成事実として)付いているものを外すべきではない」のあいだにも、論点の飛躍が見出せます。そんな結果から理屈を導出するようなやり方もどうかと思いますけど、更には主張がどうだとか論点がどうだとかと言う以前の、問題利用者との同一視にいたっては、なんか本件以前の理由に基づく作為すら感じられますね。なお自分が拙いのか相手が拙いのかの内証なんていうのは、もとより対外的に逐一発表する性質のものではありませんから、サハラ山脈さんほかの利用者の目に触れようはずもなく、その目に触れないことをもって相手が内証をしていないと決め付けるのは、地下水脈が目に見えないからといって、水の存在を疑うようなものでしょうね。--夜飛/ 2009年7月23日 (木) 08:22 (UTC)[返信]

「「前開きを使わない」ことを一般論化できないこと」から「故にそれを論拠とする要出典の付与は妥当では無い」は出てこないと私は考えています。これはノートでも既に書いていることですが、隔たりというものは要出典というものに対する考え方の違いがあると考えられます。私の立場でいえばYatobiさんは飛躍しているように見え、Yatobiさんの立場から見れば私が飛躍しているように見えるかもしれません。Yatobiさんの見えていない部分なのかわざと見ないようにしているのかは知らないですが、「故にそれを論拠とする要出典の付与は妥当では無い」を結論とするためには、本文に書いてある事がほぼ確実に間違いであるという証拠がある場合に貼る物と考えていないと出てこないような気がするわけです。しかしながら私はそこまでしっかりした証拠があるならば、要出典ではなく本文の書き換えによって編集対応するのが普通だと思っているわけです。状況証拠などによって疑わしいから要出典として情報を募るわけです。Yatobiさんの立場は疑わしいという段階では要出典を貼るべきでないといったような事になると考えていますが、私はそういうのは要出典の使い方としては合理的ではないと考えているわけです。問題利用者との同一視というのは、同一人物というわけではありませんが私はYatobiさんに同じ問題を感じているのでそれを出しました。Yatobiさんがもし内証をしていてそのように第三者から指摘を受けているのなら、Yatobiさんの内証の方法・精度にはかなり問題があるのではないでしょうか。内証をしていてこのような状況ということならば自己診断能力自体に問題があるかも知れません。そのあたりの指摘は謙虚に受けられた方がよろしいのではと思います。論争の初期段階から当事者がブロック依頼を行うなどといった点をみても、Yatobiさん自身が到底方針文書を理解している方とは思えませんので、Yatobiさん自身が問題利用者としての性質をかなり濃くもたれているのではと思います。--サハラ山脈 2009年7月23日 (木) 09:26 (UTC)[返信]

すみませんが、なんかだんだん申されていることが当初の言動と噛み合わなくなってきてませんか?サハラ山脈さんの差し戻し理由として要約欄にかかれた文言とか。というか、行動には必ず理由・ないし理由付けがあるわけで、結果はともかくとして、こと要出典の付与では出典を求めるという行為において、果たしてどのような資料を求めるのかと言う説明責任が付与した側には発生し、更には何らかの資料が示された折に妥当性を判じてそのタグを外さなければならないが、付与した側が合理的理由付けもなくともすれば個人的価値観から付与しても混乱を招くだけで益がありません。故にその付与理由は合理的であるべきと考えています。まあ、その意味でサハラ山脈さんの視点は、出典なく主観記事を書いちゃうアンチテーゼ的に、主観的理由で要出典を付与することを許容しているようなところかもしれませんが、その実としてこの双方は共にWikipediaに混乱しか与えないという意味で同質の行為でしか無いように思いますね。ちなみに「記述が疑わしい」とみなすのも、それなりに精妙な観点を必要とし、第三者に説明可能な合理性が無ければ拙いでしょう。「ボクがボクの価値観で拙いと思ったから出展を求めるんだ」なんてのは下の下、一見して矛盾している理由付けなんてのは第三者に混乱を与えるだけで問題があり、少なくとも赫々云々の理由からこの記述は疑わしいと客観的に見ても合理的な理由付けが無いと共同作業で問題を解決することも出来ませんね。ちなみに現在論争を招いている(!)パンツの穴に関してですが、2005年7月27日利用者:211.2.65.184会話 / 投稿記録さん編集分でズボンの穴とされていたのが紆余曲折を経てパンツの穴に摩り替わってしまったわけですが、ちょっとここでもう一つの視点「そもそも男児のトイレットトレーニング段階においては学齢期に言及していない資料がある」を示してみたいと思います。--夜飛/ 2009年7月23日 (木) 10:06 (UTC)[返信]

私の言っているのは当初の言動の通りですよ。記事にその表現が何の典拠も無くまた何の疑義もないという状態で一般的であるかのように書かれている事に対して私は出典を求めたわけですから。要出典が貼られているつまり疑問視されている状態から、出典無しに一般に正しいかのような状態に移行するという行為は主観の押しつけに他なりません。説明責任の発生関連については文書を示していただけますでしょうか?Yatobiさんの個人的な俺様ルールの運用ではなく明示されているものをお願いします。主観記事であることを示すために出典が必要と考え、要出典を貼っていますしノートで対話も始めています。したがってその行為がなにかの方針文書に書かれている説明責任を果たせていないということなら私の方から謝りますが、Yatobiさんの個人的な俺様ルールの運用によって発生した責任を果たせていないということなら私の方ではどうすることもありません。ここでノートの私の主張が精妙かどうかもまた主観の入るところでYatobiさんの判断が客観的かつ合理的という保証は全くありませんので、もう少し客観的なものを求めます。一方、その編集を残すことを希望する方今回でいえばYatobiさんが出典を示す責任はWP:Vに明記されている通りです。その責任を無視して要出典をはがすと私の会話ページに宣言されたわけですから、Yatobiさんの俺様ルールではない方針文書がどこかにあってそこに書かれた責任についての話と思います。結果的に言えばYatobiさんが当初目指した要出典無しであの記述を残すという方向は、他の方々を見てもあまり無いようです。--サハラ山脈 2009年7月23日 (木) 10:38 (UTC)[返信]

????…本気で言ってます?じゃあこの発言における小生を「窓から押し出したい方かも」とか勝手に憶測したり「その苦しさの中での放尿が一般だと主張するのは早い」と小生があたかも前開きを使うことが一般的だと主張しているかのように発言しているのは誰でしょう。まあ、その意味ではもはやサハラ山脈さんに期待するところではありませんがね。小生としては、「ブリーフやトランクスの「前開き」? あれを使う人がいるのか? 少なくとも使わない人が一般的だろう」というような一般論化できない(合理的ではない)ことを、端的に「使われていない」と主張することが出来ない論拠として一つの例を示したんですけどね。それを誤解するのはサハラ山脈さんの自由ですが、そこから他者に働き掛けをした時点で、今更「無かったこと」には出来ませんね…取り下げることは出来ても。いずれにしても、反論のための反論に堕そうというなら、お話になりません。--夜飛/ 2009年7月23日 (木) 11:00 (UTC)[返信]
ああ、それとWikipedia:説明責任は読んでおいてくださいね…いや、読まなくても良いです。サハラ山脈さんには今更なにも期待していないので。--夜飛/ 2009年7月23日 (木) 11:17 (UTC)[返信]

私は何も無かったことにはしていませんが?要出典をはずした状態で出典無く一般であるかのような状態への移行自体を一般だと主張しているのと変わらないと言いました。その記述が一般であるということの後押しをしているわけですから。そしてその何故付いているのかという問いかけは、使わないことを否定していません。それとこれは別の問題です。崩壊すると言い切るからには「何故ついているのか」という問いかけの答えが「使う方が一般的」などの崩壊させるのに十分な答えがないといけません。その答えがあって初めて崩壊すると言えるわけですが現時点でもYatobiさんの中にも第三者の方々の中にもそれだけの確信を持っている方はいないように思います。私が状況から考えるのはどちらとも言えないというだけであり、崩壊するなどとはとても言える段階ではないと思います。つまりYatobiさんが持ち出した一つの例は論拠としてズレていると思いますと言ってきました。私はその記事のその部分を一般であるかのような記述で残そうとしていた方に出典を求めました。それとYatobiさんはWikipedia:説明責任は本当に読まれたでしょうか?意見の相違が出たときにノートページで合意形成を目指すのが目的で、説明責任を果たすことが望まれているというわけです。私は意見の相違が発生した後、会話ページでこそこそやることなく、記事のノートページで対話を開始し意見の相違点と思われる場所を考えた上で説明を行っているわけですが、私の行動はこの文書に反していますでしょうか?そしてYatobiさんの俺様ルールのような部分である

「こと要出典の付与では出典を求めるという行為において、果たしてどのような資料を求めるのかと言う」説明責任

こちらについては全く書いてありません。「こと要出典の付与では」というのは俺様ルールの私論でしかないということでよろしいのでしょうか?俺様ルールではないというのなら要出典の付与が別格に扱われた説明責任が書かれた文書をお願いします。合意形成の過程において相違点がそこであるということになってくれば、そのやりとりが行われるということはあると思います。争点でもなんでもないところについて、無駄にいきなり切り出したりはしないでしょうね。何を書いたら説明責任を果たしたことになるかはそれこそ場合によりけりとしか言えませんし、1度の説明で全てがクリアになることを求めているわけではないでしょう。クリアになったと認めるかどうかも参加者次第でしょうね。要出典の付与における説明責任についての文書の提示を引き続き求めますが、文書の内容を理解した上で適当なものを提示していただければと思います。--サハラ山脈 2009年7月23日 (木) 12:49 (UTC)[返信]

代名詞が異様に多くて、微妙な文章だが…それにしても何処をどう転がせばそういう解釈が出てくるのか不思議不思議。タグの付与理由の是非を論じているのに、のっけから除去理由に摩り替わってますね。それも言葉の解釈レベルで「そうでなければおかしい」という主張交じりの。ところで3文目の「その記述」は何に掛かるのでしょうねえ…「ブリーフやトランクスの「前開き」? あれを使う人がいるのか? 少なくとも使わない人が一般的だろう」に掛かるのだとしたら、それこそ無茶な一般論化といわざるを得ないし、また2009年7月23日(木)10:38の発言ともかみ合わないからそんなことしないだろうけど、だからといって「パンツの前開きから出すこと」に掛かるのだとしたらなお不可解、さあ不思議不思議。また別の問題に言及したとする主張もさあ不思議、これは議論の撹乱を狙って挿入したということであれば「成功したね、GoodJob!」と言うべきところかもしれませんが、意図せず入れたとしたら、もう何をいわんや。また「Wikipedia:説明責任」は行為に対する説明責任という観念がその前提として存在し、その上で説明責任を果たすための考え方が述べられているわけですが…やれやれ、申し訳ありませんが、説明責任の説明は辞書などを参照願います。まあ、合意形成をする上では、合理的に説明しなければならないなんていうのは、前提段階の話なんですけどね。合理性の無い主張なんぞにサハラ山脈さんは合意できちゃうってんなら、もう申し上げることも在りません(話通じなさ過ぎて)。--夜飛/ 2009年7月23日 (木) 13:15 (UTC)[返信]

その記述とは本文にあった要出典を貼られていた記述のことを言っています。本文の記述および要出典の是非についての話ですから。そして私は夜飛さんの除去に対して付与を行っているわけですから、私の付与理由に夜飛さんの杜撰な除去の是非は当然入ってきますね。出典のタグがある場合と無い場合についての比較を行っています。説明責任については夜飛さんが個人的に合理的だと思うことを並べたてただけということでよろしいでしょうか?合理性というのはその場その場で変わります。要出典を貼るならこうすべきといったような定型的なものではないでしょう。独善的な主張としてはそういった定型文もあるとは思いますが。夜飛さんがその説明を欲するなら一番最初に夜飛さんがそのように他人に通じる表現で繰り返し質問すべきでしょうね。--サハラ山脈 2009年7月23日 (木) 14:08 (UTC)[返信]

いや、話が摩り替わってます。付与理由(要約欄に示された文言)の話をしているのに、その記述内容に要出典を付与すべきかどうかを論じる時点でどうかしてるでしょう。それはもはや別の話であり、少なくともサハラ山脈さんが小生の除去を差し戻した際の要約欄に書かれた内容とも合致しません。少なくとも「(RV:Yatobi (会話) による個人的趣味の押しつけ・一般化。」という理由付けは無関係ですね。小生としてはね、付与理由が妥当性を持つなら、別に反対していませんよ。問題は「どう見ても合理性の無い付与理由」です。「ブリーフやトランクスの「前開き」? あれを使う人がいるのか? 少なくとも使わない人が一般的だろう」という理由付けは、一般的とみなすだけの論拠もないし、まして青少年の観点で前開きを使わないこととトイレットトレーニングでどうかも別の問題。それを履き違えちゃあいけません…あ、履き違えてたら2009年7月23日(木)10:38(UTC)分のサハラ山脈さんの発言ともかみ合わないか。さてはて?--夜飛/ 2009年7月23日 (木) 14:20 (UTC)[返信]

要約欄だけを判断材料としているようですが、私は要約にも書いたとおり付与された状態が妥当であることをノートに書いています。要出典がついているべきところだという事を述べています。自然な状態から不自然な状態に無理に戻すことに反対をして戻しました。付与理由を要約欄に限る理由はなんです?Yatobiさんは記事自体をどうするかという視点を全く持たずbotのように表面的な活動をしただけということでよろしいでしょうか?--サハラ山脈 2009年7月24日 (金) 02:45 (UTC)[返信]

相変わらず、ずれてますね。あの時点(要出典付与の差し戻し編集時)で要約欄以外に利用者:113.34.170.58会話 / 投稿記録 / 記録さんの編集理由をあずかり知る資料となるものが他にありますか?と。せいぜい、それ以前の113.34.170.58さん編集分をそれぞれ確認し、一定の印象を抱くことはできるでしょう。ただし、それらはあくまでも印象論の話であり、例えそういう印象を加味して判断したとしても、どうも芳しからざる印象しか受けないため、差し戻した訳です。それをbotのように戻したと認識すること自体、相当に恣意的な態度といわざるを得ません…その脳内誰かさんと議論して勝手に結論出す癖はおやめください。
その一方、サハラ山脈さん…ご自身で「私はそのIPの方ではない」と表明されている訳ですが、どうも上の発言では要約欄云々と言う話がサハラ山脈さんの要約欄の話に摩り替わってるのは不思議な世界ですね。
まあそれはいいでしょう、最初の要出典付与差し戻しの後の話であり別の部分ではありますが、サハラ山脈さんの要約欄において「RV:Yatobi (会話) による個人的趣味の押しつけ・一般化。」と発言、更にはノートページでの最初の発言にしても「一般に男性は下着の窓を使ってない人が結構いるようです。(中略)(意訳:前開きからの)での放尿が一般だと主張するのは早いのではと思います。」というサハラ山脈さんの付与差し戻し理由を示した発言もあり、それがどうにも合理性の無い「特定視点に誘導的」な論説を展開しており、その示されたもの(外部リンク)にしても一瞥するだけの参考程度にしかならず、これを論拠とするのもズレまくりな雰囲気を醸しております。そして更に、あたかも相手が「パンツの前開きを使用することが一般的である」と主張しているとみなすような態度では、妥当性を論じる以前の段階でしょう。そんな論外な態度で妥当性を主張するのもいかがなものかと考えます。--夜飛/ 2009年7月24日 (金) 09:04 (UTC)[返信]

YatobiさんはIPの方と私のと両方の要約欄を写していますから、私が私の要約欄の意図を説明することはそのIPの方の要約欄からのすり替えにはならないと思いますが。ズレていると思うならば話題を特定して述べてください。IP113.34.170.58さんの編集と理由がいかなるものであれ、単に自分と意見が異なるからタグを外すというのは私からみたら単なるbot、スクリプトでしかないということを述べました。その意図がなんであれ私はその記事にそれがあることが妥当かどうかという記事を自然な良い方向にするために編集することがWikipediaの目的に沿っていると思いますから、そういった判断と編集を行いました。タグが気にくわないから記事として悪い方向へ行くとしてもタグを外すだけというのは何を目的とした「合理性」なのやらと私は思います。Yatobiさんは合理性といいますが、合理性というのは場合や何を優先するかで変わるものです。Yatobiさんはノート:トイレットトレーニングにおいて

合理性以前の個人の感覚的なもので一々要出典など付与して回られていたらたまったものでは無いと考え

ということを言われていますが、要出典を貼る条件を高くした場合そこまでクリアできれば記事自体を修正するということもありますが、Wikipedia:投稿ブロック依頼/大王町観光中心の一連の利用者のような問題利用者を保護しかなり被害が広がるまで放置されやすくもなります。この手の問題利用者を守る事が最優先もしくはYatobiさん自身が同じような編集をされてきた方であれば、要出典を貼るハードルを高くすることには合理性はあると思います。ただ私はそういうのは合理性とは思いません。ある種の編集が感情で行われたとしても、要約欄が感情で書かれているから戻す、無効にするということには意味がないと考えています。Yatobiさんは合理という言葉をよく使いますが、Yatobiさんの独善的合理性は他人にとっても合理とは限りません。そのあたりから認識がずれているのかと思いますが。--サハラ山脈 2009年7月24日 (金) 09:58 (UTC)[返信]

いやあ、小生としては小生が問題視していると表明しているIPユーザー氏の要約欄を前提としており、サハラ山脈さんの意見も同IPユーザー要約欄の話かと思って読み進めていたらサハラ山脈さんの要約欄の話だったので、果たしてサハラ山脈さんは書く段階で区別してたのか?と疑念を抱いたのが発端なんですがね。もし区別して無いんだとしたら、これはもはや相手の発言を理解したうえで対話するという根源的な態度がサハラ山脈さんには無いことになってしまいますし、主語が欠落した文章で相手に通じると思っているサハラ山脈さんの態度も(議論を投げ掛けてきた側の態度として)どうかとは思いますが、それは「面倒くさいしどうでもいいこと(相手が議論の水準を満たして無くてもこちら側でフォロー可能な範疇)」なので捨て置きます。
なお要出典の付与する条件を引き上げ…などと申されていますが、そもそも自身の行動に責任ももてない・更に言えば合理性すら示せないような態度で付与する行為が妥当かといえば、この例のみによらず問題視された事例は方々に存在し、それは「Wikjpediaコミュニティに混乱を発生させる性質」を持つために程度問題によっては荒らしと同一視される訳で、その意味では件のIPユーザーの付与理由には問題事例と同等な域にあることが感じられ、それは「引き上げ」ではなく「無条件に付与が妥当だとみなすことはできない」ための最低限度の対応でしかありません。まあ、サハラ山脈さんは、付与理由とは別に自分自身の判断において付与すべき理由が見つけ出せたなら妥当だと考えているようですが、それならサハラ山脈さんが改めて妥当な付与理由を提示すればよく、少なくとも「前の付与行為を差し戻した利用者の行為に妥当性が無い」と主張するのは本末転倒と言う以前に、意味を成さない視点に他なりませんね。--夜飛/ 2009年7月24日 (金) 10:56 (UTC)[返信]

そもそも大元はYatobiさんを含めて要出典の前に自身の行動に責任ももてないような態度で記事に思いつきを書き散らした人々がいた結果こういった問題が起きているわけですが、それはそれとして私はそのIPの方の付与理由を繰り返したわけではないし、私なりに理由を提示しています。そこへYatobiさんが返してこうなっています。この状態はYatobiさんの望んだ結果でもあると思います。私は無条件に許せと言っているわけではありません。1か0かの話ではないですから。しかし同時にそれが貼られた場合にbotのように無条件にはがし続けることもまた意味のない行為であるということは言っています。いずれもあくまで程度問題です。なんでもかんでも躍起になって感情的な編集だから全て戻せという意味のない編集をすればいいというわけではありません。それはそれで荒らしとなんら変わるところはありません。濫用した人がいるからといって、個々のタグ貼りにおいて意味のない応酬ではがし続けていいというわけではありません。--サハラ山脈 2009年7月24日 (金) 13:29 (UTC)[返信]

(コメント)要約欄をいったん度外視するとこれだけであれば、トイレトレーニングにおいて実際に前開きを実践している文書を請求していると考えます。ふつうはこのような疑問をもつのは「自分は上から出すというふうにトイレトレーニングを受けた(とか、なにかしらのメディアで聴取した)」というのか理由だと考えますが、要約欄には理由ではなく、(ipなので誰の見解かは特定できませんが)見解が述べられています。(わたくしあら金も)この要出典時の説明は私も納得できません。なぜならば「大阪では赤信号のうちでも横断歩道を渡る人が多いので、大阪の交通安全教育においては『赤信号のときに横断歩道を渡ってはいけない』と世間とは乖離した具体的指導をすべきではない」といっているのとロジック的には同じです。これの要約欄は私が見ても「個人的見解の表明」にしか見えないので、利用者:YatobiしをミスリードしたのはIP氏の要出典時の説明不足に起因していると考えます。(ipなので誰は特定できませんが)要出典をはるのであれば、他人をミスリードしないようにノートで要出典を張った理由を説明する責任を果たすべきであったと考えます。([これ]以外の人のご意見についてはこのノートにて前述したとおりです)。ふつう「あらし」というのは行為と目的とが食い違っている場合をさすのであって、今回のYatobi氏のRVについては行為と目的が合致しているので「あらし」ではなくWikipedia:編集合戦の範疇と考えます。(IP氏の要出典時の説明不足に関連しない私への反論は私の会話ページにて承ります)--あら金 2009年7月25日 (土) 00:39 (UTC)[返信]

Yatobiさんの言動の礼儀について[編集]

  • すみません。割り込みする感じになりますが、Yatobiさんに、ちょっと言っておかなきゃいけないことがあるので、言わせていただきます。
    わたしはあなたの言動の礼儀について注意しているまでで、それ以外の議論に関わっているつもりはございません。ただ、(漏電中)などといったよくわからない言い訳?と共にふざけた、人を見下したような言動があったため、それについて気をつけてくださいと言っているまでです。ですから、当然「本件以前の理由に基づく作為」になります。だって、違う話題なのですから。
    あなたはそれを理解し違えてしまったようですので、議論の区別をするために、この形で改めて注意させていただきます。Yatobiさん、2009年7月22日 (水) 09:07 (UTC)及びその他の暴言について、改めるなり、ご対応ください。--Imuzak 2009年7月23日 (木) 13:18 (UTC)一部訂正--Imuzak 2009年7月23日 (木) 13:20 (UTC)[返信]
えー、まず確認までにこの発言のことで宜しいでしょうか。一点釈明させていただきたいのですが、文中にある「その程度の人でも判るように」は、いうなれば「どんな人であろうとも(例え主観しか無い子供であってすらも)通じるだろう」という仮定の上での観点に立つものであり、これは113.34.170.58さん投稿分の要出典付与理由を示した要約欄の書き込み内容から想定される最低水準に併せてのことを指しており、その趣旨としてはサハラ山脈さんに対して(同人物の侮辱を意図して)発した言葉ではなくこの発言で、利用者‐会話:113.34.170.58への呼びかけに際し「「じゃあ、それら前開きは何でついてんのさ」と問われただけで崩壊するような個人的視点に基づく要出典の付与はおやめください。」と発言した理由を、より端的に述べた際に使われた文言であります。なお「それを理解できないのはサハラ山脈さんの資質の問題なので、小生の責任の及ぶところではございません。」という発言については、「奇行」だの「暴論」だの「謎」だの(羅列は不毛なんで中断)なんだとサハラ山脈さんが表現されたことに不快感を示す意図があってのことですが、それらを第三者視点で見た場合にImuzakさんが不快感を抱かれたのだとしたら、その不快感にはお詫び申し上げます。ただしサハラ山脈さんに対しては、勝手な想像に基づく決め付けなど余りな態度に終始されているため、真面目に対応することを諦めております手前、不真面目な言動が混じるのも、不快感をオブラートに包んだ表現と認識していただきたく…まあ、自分自身でも勝手な言い草だとは思いますけどね。--夜飛/ 2009年7月23日 (木) 14:06 (UTC)[返信]
なお「君の股間のジョージ」に関しては、サハラ山脈さん曰く「つついてみた」繋がりの連想に立つジョーク(「ジョージ」に関しては「ジョーク」の駄洒落・ユーモアの決定的欠落#症状つながり)で、元がパンツの穴繋がりでサハラ山脈さんが小生が前開きから「棒を出す」などと言うもんだから、てっきりその手のジョークを欲しているんだと解釈して「敢えて書いちゃってみた」ところではありますが、その含意としてサハラ山脈さんの態度が(百科事典がどうとか合理性がどうだとかとは無関係に)ナニ的な自己満足のためだけのものでは無いかと疑っていることにも関連しています。流石に疑いを抱いていることをサハラ山脈さんの態度を糾弾するために有体に書いてしまったら角が立つと考え、含意に留め(下品な想像を掻き立てる可能性のある)ジョークに託した所でもありますことを付記しておきます。少なくとも「全く議論に無関係に書かれた内容でもない」ことをご理解いただきたく…既存記述に挿入されていたため、この箇所の発言を見落としお返事が遅れましたことをご容赦ください。--夜飛/ 2009年7月23日 (木) 14:56 (UTC)[返信]
  • 確かに、「全く議論に無関係に書かれた内容でもない」ことは認めます、ただ、私が問題だと思っているのは、その発言が、「相手の反感を買って、議論を延ばす結果になっている」ように見えることです。実際、そのようですし…。--Imuzak 2009年7月23日 (木) 23:05 (UTC)[返信]

(コメント)「さまざまな(漏電中)」は拝見しています。が、ご自身の見解の範囲で「漏電」ならば自虐で済みますが、他人の行為にまで通電すれはそれは事故としか言いようがありません。今回も前者の漏電のつもりだったのでしょうが、相手(というか、第三者に対してどうのように映るかという点でも)「要約欄」はそれを識別するにはあまりにも語数が短すぎです。人に意見するのであれば「藪をつついてコブラを出す」くらいの慎重な心持ちがあっても過少ではないのですが、まあ…それを含めて(漏電中)と私は理解しましたが。(たしかに藪をつつくのは面白いのですけどね…)--あら金 2009年7月24日 (金) 04:10 (UTC)[返信]

Imuzakさん、確かに小生が端書に書いた言葉遊びに相手が反応しているという部分についてはその通りでしょう。しかしサハラ山脈さんの一連の態度では、論えるものだったら好き嫌いしないという(挙句自身の述べるところを曲げようと気にしない)ところがあり、果たしてそういう遊びを入れなかったとして自体が好転したかどうかといえば、疑問視するところです。小生としても聖人君子では在りませんので、のっけからおかしな決め付けで切り出されもすれば、相手の態度を探る上でもお遊びを挿入することもあり、他方真っ当に対応する姿勢のある方であれば、往々にしてお遊びはお遊びとして適当に読み飛ばし、テーマに忠実であると考えています。それを言葉遊びの尻尾を掴んで論おうとしたがる態度は、言葉遊び自体を問題視している第三者(今回はImuzakさんらのこと)においては正しいことですが、それ以外に本筋のある事柄を話し合っている側の態度としては、目的が議論による模索や合意といったものとは別のところに目的がある気がします。--夜飛/ 2009年7月24日 (金) 09:31 (UTC)[返信]
あら金さん、小生にはアースは付いて無いので、漏電箇所を触ると危ないです…というか、漏電してんのに敢えて触ってみようとするチャレンジャーがどうなるかには責任もてません(漏電気味)。…冗談はさて置き、小生個人としては体調如何でこと機嫌と言うか意識レベルにまで影響を及ぼすような体調不良の際には、「漏電中」と『言わなくても良いような私的な考えがダダ漏れる』傾向があります。まあこれは利用者ページで予め表明したうえでの「勝手にやってる芸の一種」だと思ってください。とはいえ、Wikipediaは芸を披露する場ではありませんから、これもほどほどにすべきだという自覚はあります。このため、冗談で済むとか、逆に恣意的な議論だとか妥当性も無く真面目に取り合うほうが間違っているように感じる状況では、有体に不快感を示すよりも冗談をクッションにして感情的対立を回避するような場合に使っている次第で、ともすれば頭痛がするとかなんとか対話相手に責任の無い不快感でボロっと暴言かますことを積極的に回避しようともしていたり。
なお要約欄で編集内容の妥当性を判断するという部分に関しては、一般論から言えばある程度まとまった編集の要約欄だけで判断するのは無茶があり、実際の編集内容のほうが重点を置かれるのですが、今回の発火点となった編集では、編集内容よりも遥かに長い要約欄の内容が、百科事典の記事に係わる態度として問題を感じさせるものであったことが、対応を図った理由でありますので、こと今回の案件に関しては短過ぎるというほどのことも無かったかと思っています。--夜飛/ 2009年7月24日 (金) 09:31 (UTC)[返信]

芸だと思えとかジョークと思えと本人が言わないといけない状況というのは、それらが一般常識からずれた所にあることを示していると考えます。何も言わずに笑ってもらってユーモアになり、何も言わずにそういう人だと思ってもらった上での芸風でしょうから。それは今回に限ったことであれば私の方の問題とも言えると思いますが、他の場でもそうだということであれば芸風というより迷惑なだけのコミュニケーション能力の欠如でしかないように思います。普通の人がYatobiさんはこういう方ですねと軽く受け容れてくれるような芸風を選んで欲しいところですね。--サハラ山脈 2009年7月24日 (金) 10:19 (UTC)[返信]

  • 私は、あなたが"漏電"さえしなければ、事態は好転しなかったにしても、悪転する可能性も減らせたのじゃないでしょうか?と申しているつもりなのですが…。つまり、私が言いたいのは、「相手の反感を買いそうな冗談は、言っても議論の泥沼化に近づくだけで、得はないですよ」ということなのです。あなたの精神衛生上 良くはないのでしょうが、「大人として、我慢してください。」 少なくとも、その方が良い結果が見込めるでしょう。
    それと、サハラ山脈さん、もはや元の議論と関係ないことに言及しないことを推奨します。(この対話は、Yatobiさんに私がした助言及び注意でして、あなたが関わっても良いことはありません。)--Imuzak 2009年7月24日 (金) 11:44 (UTC)[返信]

(コメント)夜飛氏のいわゆる芸風も、サハラ山脈氏のあまりきいたことがない面白いご意見も、すなわち思想信条を含めての人格ですからそれを否定しても意味がありません。意味がないというのは、他人に指摘されたからといって人格を変えることができるわけはないから、ひとつのことについての二度目以降の指摘は無駄だという意味です(一度目は見解の表明という意味があります)。お二方ともご自身の見解の表明は十分になされているとお見受けいたします。とりあえずは向こう二週間はそれそれの人格に関する論評やすでに表明した見解の繰り返しは、これ以上は(ノートでも会話でも)追加しないというのがよろしいように考えます(いずれの論も、皆まで言わなくても第三者にはわかるほどには繰り返されています)。ご賛成ならば返事は特にいらないと存じますので即時ご実践ください。Imuzak氏も異存がなければ同様に二週間待ってみることをお願いします。--あら金 2009年7月24日 (金) 12:07 (UTC)[返信]

Imuzakさんへ;可能性について論じれば、確かにそういう可能性もあったかもしれません。件の彼にしてもいちいち構わず、問題行動とみなした時点で相応の対応をしておけば、その後の結果が違ったかもしれません。まあ可能性レベルの問題なので、同時により長期化する懸念もあったわけですが。こればっかりはなんともいえないと思います…他人に対して何気なく発した言葉を、自身への中傷だと受け取るような不可解な人もいたりするわけですし、せめて余りにおかしな人は突っつかないよう気を付けたいと思います。--夜飛/ 2009年7月24日 (金) 14:13 (UTC)[返信]
あら金さんへ:小生としても人格の糾弾が目的ではないし、今更述べるべき新事実もないので、特に異論はありません…お返事無用ということでしたが、一応の礼儀として簡単ながら。--夜飛/ 2009年7月24日 (金) 14:13 (UTC)[返信]