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イシュタル(イナンナ)
愛、戦争、豊穣
バーニーの浮彫」。紀元前1800年 - 紀元前1750年頃の物と推定。イラク南部出土。テラコッタ製。
信仰の中心地 ウルク; アッカド; ニネヴェ
住処 天国
惑星 金星
シンボル 葦をフック状にねじった結び目、八芒星、ライオン、ロゼット、鳩
配偶神 ドゥムジッド
最も一般的なものとしては、ナンナニンガル。時にアンエンリル。まれにエンキ
兄弟 ウトゥシャマシュエレシュキガル
子供 もしかするとナナヤ英語版
乗り物 ライオン
ギリシア神話 アプロディーテー
ローマ神話 ウェヌス
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イシュタルアッカド語: DINGIR INANNA翻字: DMÙŠ、音声転写: Ishtar)は、シュメール神話に登場する豊穣神イナンナの系譜と地母神の血を引く、メソポタミア神話において広く尊崇された愛と美の女神[1]。戦・豊穣金星王権など多くの神性を持つ[2]

神としての序列が非常に高く、神々の始祖アヌ・神々の指導者エンリル・水神エアを3柱とする、シュメールにおける最上位の神々に匹敵するほどの信仰と権限を得た特異な存在[3]

アッカド語では古くはエシュタル、後にイシュタルと呼ばれるようになった。この語は元来は金星を意味し、明けの明星としては男神、宵の明星としては女神であったが、最終的に1つの女神として習合された[4]。イナンナはニン-アンナ(シュメール語: 「Nin-anna𒀭𒈹)から「天の女主人」の意であると言われる[5]

概要[編集]

イシュタル(イナンナ)は、愛、戦争、豊穣を司る古代メソポタミアの女神である。このほかに彼女は美、性、神の法、政治権力も司るものとされた。もともとシュメールでイナンナとして崇拝されていたが、アッカド帝国、バビロニア人、アッシリア人によってイシュタル(そして時には表語文字𒌋𒁯)として知られていた。彼女の主たる称号は「天の女王」である。

イシュタル(イナンナ)は、ウルク市のエアンナ神殿の守護神として祭られた。ウルク市は、初期におけるイナンナ信仰の中心地であった。初期のウルクでは、イナンナは朝のイナンナ (Inana-UD/hud)、夕方のイナンナ (Inanna sig)、威厳あるイナンナ (Inanna NUN) の3つの形態で崇拝されていた。このうち初めの2つは、彼女を表す惑星である、金星の位相を反映している。イナンナのシンボルとして最も有名なものは、ライオンと八芒星である。イナンナの夫は、ドゥムジッド(後にタンムズとして知られる)である。また、彼女のスッカル(sukkal:従者)は女神ニンシュブルであるが、後に、男性神イラブラト(Ilabrat)やパプスッカル(Papsukkal)と混同された。

イナンナは、遅くともウルク時代(紀元前4000年~紀元前3100年頃) にはシュメールにおいて崇拝されていたが、シュメールがアッカドのサルゴンによって征服されるまでは、その宗教は比較的、局地的なものであった。サルゴン朝以降の時代、イナンナは、シュメールの神々の中で最も広く崇拝されるようになり、メソポタミア各地に神殿が建てられた。イナンナ(あるいはイシュタル)への信仰は、さまざまな性的儀式と関連していた可能性があり、この地域でシュメール人を吸収して引き継いだ、東セム語を話す人々 (アッカド人、アッシリア人、バビロニア人) の間でその信仰は続いた。

イシュタルは、とりわけアッシリア人に愛された。彼らはイシュタルを、自分たちの国家神アッシュルよりも上位に位置する、最高位の神に昇格させた。イシュタルはヘブライ語の聖書の中で示唆されており、ウガリットの女神アシュタルト、そして後にはフェニキアの女神アスタルトに大きな影響を与えた。これらの女神が、ギリシャの女神アフロディテの発展に影響を与えた可能性がある。紀元前においてイシュタル信仰は栄え続けたが、西暦1世紀から6世紀にかけて、キリスト教の影響で徐々に衰退していった。

他のシュメールの神に比べ、イナンナ(イシュタル)は多くの神話に登場する。また、これほどにも多くの形容名と別名を持っていた神は、ネルガルをおいてイナンナ(イシュタル)以外にはいない。

イナンナ(イシュタル)が、他の神々の属性を引き継いだことが、多くの神話において記されている。彼女は知恵の神エンキから、文明のあらゆる肯定的側面と否定的側面を表すメーを与えられたと信じられていた。彼女はまた、空の神アンからエアンナ神殿を引き継いだと信じられていた。イナンナは、双子の弟のウトゥ(後にシャマシュとして知られる)とともに、神の正義の執行者であった。彼女は自分の権威に挑戦したとしてエビ山を破壊し、庭師のシュカレトゥダが睡眠中に彼女を強姦した後にその怒りを爆発させ、山賊の女性ビルルを追跡し、ドゥムジッドを殺害したことへの裁きとして彼女を殺害した。標準的なアッカド語版のギルガメシュ叙事詩では、イシュタルはギルガメシュに夫になるよう誘うが、彼が軽蔑的に拒否すると、彼女は天の雄牛を解き放ち、その結果、ギルガメシュの友人エンキドゥが死んだ。その後、ギルガメッシュは、死すべき運命と闘うことになる。

イナンナ(イシュタル)の最も有名な神話は、姉のエレシュキガルが統治する古代メソポタミアの冥界へ、彼女が降りて再び帰還する物語である。彼女がエレシュキガルの玉座の間に到着すると、冥界の7人の裁判官は彼女を有罪と宣言し、彼女を打ち殺した。3日後、イナンナの従神ニンシュブルは、イナンナを連れ戻すようすべての神々に懇願する。すべての神が拒否する中、エンキだけが協力した。エンキは、イナンナを救出するために2人の無性の人間を送り込んだ。彼らはイナンナを冥界から連れ出したが、冥界の守護者ガルが、イナンナの代わりに夫ドゥムジッドを冥界に引きずり込む。最終的にドゥムジッドは半年だけ天国に戻ることを許されるが、彼の妹のゲシュティナンナは残りの半年間、冥界に留まることとなり、その結果、季節が巡るようになった。

語源[編集]

ウルクの大杯に描かれた、供え物を受け取るイナンナの拡大図。紀元前3200-3000年頃。

イナンナとイシュタルは本来は別々の無関係な神であったが、アッカドのサルゴンの治世中にこれらの神が統合され、2つの異なる名前の下で事実上同じ女神とみなされるようになったと学者たちは考えている。イナンナの名前は、「天の貴婦人」を意味するシュメール語の単語「ニン・アン・アク(nin-an-ak)」に由来しているかもしれないが、イナンナの楔形文字記号 (𒈹) は、女性記号 (シュメール語: ニン、楔形文字: 𒊩𒌆 SAL.TUG2) と空 (シュメール語: アン、楔形文字: 𒀭 AN) の合字ではない。そのため、初期のアッシリア学者の中には、イナンナが元々は原ユーフラテスの女神であり、後にシュメールの神々として受け入れられたのだと考える者もいた。この考えは、イナンナの若さだけでなく、他のシュメールの神々とは異なり、彼女は当初、何を司る神であるか明確な範囲が定まっていなかったことに基づいている。ただし、シュメール語以前にイラク南部にユーフラテス原基質言語が存在したという説は、現代のアッシリア学者にはあまり受け入れられていない。

イシュタルという名前は、サルゴン朝以前とサルゴン朝以降のアッカド、アッシリア、バビロニアの両方の時代の個人名の一要素として現れる。これはセム語に由来しており、おそらく西セム語の神アタールの名前と語源的に関連している。アタールは、後のウガリットとアラビア南部の碑文で言及されている。明けの明星は戦争の芸術を司る男性の神として考えられ、宵の明星は愛の芸術を司る女性の神として考えられたのかもしれない。アッカド人、アッシリア人、バビロニア人の間では、明けの明星の男性神の名前が、最終的に宵の明星の女神の名前も表すようになったが、イナンナとの広範な習合により、名前は男性形であったにもかかわらず、その神は女神とされた。

起源と発展[編集]

ウルクの大杯。イナンナへの供え物を描いている(紀元前3200-3000年頃)。[6]

イナンナ(イシュタル)の守護する領域が他のどの神よりも明確で、かつ矛盾した側面を含んでいたため、多くの古代シュメール学者に問題を投げかけた。彼女の起源については、主に2つの説が提案されている。1つ目の説ではイナンナは、まったく異なる領域を持つ、無関係のシュメールの何人かの神々を混合してできたものと考えられている。2つ目の説では、イナンナはもともとセム族の神であり、シュメールの神々の構成が完成した後に加えられ、他の神々にまだ割り当てられていないすべての役割がイナンナにあてがわれたというものである。

ウルク時代(紀元前4000年頃~紀元前3100年頃)には、すでにイナンナはウルク市と関係するものとされていた。この時代、上部に輪をつけた門柱のシンボルが、イナンナを表すものとされた。有名なウルクの大杯(ウルク第3王朝時代の宗教関係品が埋もれていた堆積層で発見された)には、鉢、容器、農産物の入った籠などのさまざまな物体を運ぶ裸の男性の列が描かれており、支配者の正面にいる女性に羊とヤギを連れてきている。女性はイナンナのシンボルである2本のねじれた葦の門柱の前に立ち、男性は箱と山積みの器を持っている。後者の楔形文字はエン、つまり寺院の大祭司を表している。

ジェムデト・ナスル時代(紀元前3100年~紀元前2900年頃)の印章の印影には、ウル、ラルサ、ザバラム、ウルム、アリーナ、そしておそらくケシュの都市を含むさまざまな都市を表す一連のシンボルが示されている。このリストはおそらく、ウルクのイナンナへの儀式を支援する都市からの寄付を反映しているものと思われる。ウルでは、初期王朝時代の第1期 (紀元前2900年~紀元前2350年頃) の同様の印章が多数発見されており、順序は若干異なるが、イナンナを表すシンボルであるロゼットの模様と組み合わせられている。これらの印章は、イナンナの儀式に用いる物資を保存する倉庫を封印するために使用された。

イナンナの名を冠した様々な碑文が知られている。例えば紀元前2600年頃のキシュの王アガの名前を刻んだビーズや、紀元前2400年頃のルガル・キサルシ王の粘土板などである。

ルガル・キサルシの粘土板
全土の王アンとその女王イナンナのために、キシュ王ルガル・キサルシが中庭の壁を築いた。
ルガル・キサルシの碑文

アッカド時代(紀元前2334年頃~紀元前2154年頃)にサルゴンが覇権を握ると、元来は別々の女神であったイナンナとイシュタルは広範囲において習合し、事実上、同一の女神とみなされるようになった。サルゴンの娘であるアッカドの詩人エンヘドゥアンナ(Enheduanna)は、イナンナをイシュタルと同一視し、イナンナに向けて数多くの賛美歌を書いた。この結果、イナンナ(イシュタル)信仰の人気は急速に拡大した。エブラ島の初期の発掘に携わったアルフォンソ・アルキは、イシュタルは元来はユーフラテス渓谷で信仰されていた女神であったと仮定し、彼女と砂漠のポプラとの関連性が、エブラ島とマリの両方の最古の文書で証明されていると指摘した。メソポタミアや古代シリアの様々なセム族の間では数多くの神が信仰されていたが、共通して信仰されていた神は、イナンナ(イシュタル)、月の神(シンなど)、そして太陽の神(シャマシュ/シャパシュなど様々な性別のものがある)、これら3種類の神のみが、唯一のものと彼は考えている。この3種類の神以外は、それぞれに様々な神が信仰されていた。言い換えれば、彼の説に依れば、イナンナ(イシュタル)は、月の神、太陽の神と並ぶほどの一般性を獲得していたことになる。

信仰[編集]

イナンナのシンボル:輪のついた葦の柱
女神イナンナを表す模様。紀元前3000年頃。
神殿の扉の両側にある、イナンナの象徴である輪のついた柱。裸の信者が献酒をしている。
ウルクの大杯に描かれているもの
イナンナを表す楔形文字
イナンナのシンボルは、シュメールではどこにでもある建築材料である葦で作られた、輪のついた柱である。しばしばそれはリボンで飾りつけて神殿の入り口に置かれ、俗界と神聖な領域の間の境界を示した。紋章のデザインは紀元前3000年から2000年までの間に簡略化され、イナンナを表す楔形文字𒈹となり、通常はその前に「神」を表す記号𒀭がつけられた。
古代シュメールの、ガラ(gala)と呼ばれる2人の祭司の小さな像。紀元前2450頃のものとされる。マリにあったイナンナの神殿で発掘された。

グウェンドリン・レイク(Gwendolyn Leick)は、サルゴン朝以前の時代には、イナンナ崇拝はかなり限定的であったと推測してているが、他の専門家は、ウルク時代のウルクや他の多くの政治の中心地において、イナンナはすでに最も有名な神であったと主張している。イナンナの神殿はニップル、ラガシュ、シュルパック、ザバラム、ウルにあったが、その信仰の中心地はウルクにあったエアンナ神殿であり、その名前は「天国の家」を意味する(シュメール語:e2-anna、楔形文字:𒂍𒀭 E2.AN)。 一部の研究では、紀元前4000年紀におけるウルクの、本来の守護神はアンであったと仮定している。イナンナに奉献された後、この神殿にはイナンナの女性祭司たちが住んでいたようである。ウルクの隣にあるザバラムは、初期のイナンナ信仰における最も重要な場所であった。都市の名前は一般に、それぞれ「イナンナ」と「聖域」を意味するMUŠ3とUNUGの記号で書かれた。ザバラムの都市の女神は、元々は別の神であった可能性があるが、その信仰は非常に早い段階でウルクの女神に吸収された。ジョーン・グッドニック・ウェステンホルツ(Joan Goodnick Westenholz)は、ザメ(zame)の賛美歌の中でイシュタラン(Ishtaran)と関連付けられているニン・ウム(読み方も意味も不明)という名前で特定される女神が、ザバラムのイナンナの起源であると提案した。

古アッカド時代、イナンナはアッカドの女神イシュタルと融合し、都市アガデに関連づけられた。当時の賛美歌では、アッカドのイシュタルをウルクやザバラムのイナンナとともに「ウルマシュのイナンナ」と呼んでいる。イシュタル崇拝と、イシュタル=イナンナの融合は、サルゴンとその後継者によって奨励された。その結果、イシュタルはすぐに、メソポタミアの神々の中でも最も広く信仰される神になった。サルゴンの碑文において、最も頻繁に呼びかけられる神は、ナラム・シンとシャル・カリ・シャリ・イシュタルである。

古バビロニア時代には、イシュタル信仰の主な中心地は、前述のウルク、ザバラム、アガデのほかに、イリップにもあった。また、その信仰はウルクからキシュにも伝えられた。

後の時代、ウルクでのイシュタル信仰が盛んになった一方、上メソポタミアにあったアッシリア王国(現在のイラク北部、シリア北東部、トルコ南東部)でも信仰されるようになり、その中でも特にニネヴェ、アッシュル、アルベラ(現在のアルビル)の都市で熱心に崇拝されるようになった。アッシリア王アッシュルバニパルの治世中、イシュタルはアッシリアの国家神アッシュルをも凌ぎ、アッシリアの神々の中で最も重要で広く崇拝される神に成長した。アッシリアにおける主要なイシュタルの神殿で発見された奉納物は、彼女が女性の間で人気のある神であったことを示している。

また、単なる男女という二つのジェンダーとは一線を画する人が、イナンナ信仰に深く関与していた。シュメール時代には、ガラとして知られる一組の司祭たちがイナンナの神殿で働き、そこで挽歌や哀歌を演奏していた。ガラになった男性は女性の名前を採用することもあった。また、彼らはシュメール語のエメサル方言(eme-sal)で歌をつくったが、通常、この方言は、文学の文章では女性の登場人物の会話のために用いられている。シュメールのことわざの中には、ガラが男性と性交するという評判があったことを示唆するものもある。アッカド時代、クイシュタルの召使いとしてクルガル(kurgarrū)とアシンヌ(assinnu)と呼ばれる男性たちがいた。彼らは女性の服を着て、イシュタルの神殿で戦争の踊りを披露した。アッカド人のいくつかのことわざでは、彼らもまた、同性愛的性向を持っていた可能性を示唆している。メソポタミアに関する著作で知られる人類学者のグウェンドリン・ライクは、これらの人々を、現代のインドのヒジュラになぞらえた。あるアッカドの賛美歌では、イシュタルは男性を女性に変えると描写されている。

20世紀後半を通じて、イシュタル信仰には「神聖な結婚」の儀式が含まれていていると広く信じられていた。その儀式の中では王はドゥムジッドの役割を引き受け、女神に扮したイナンナの大祭司と儀式的な性交を行うことによって自らの正当性を確立することになると考えられた。しかし、この見解には異議が唱えられており、学者たちは、文学文書に記述されている神聖な結婚に、何らかの物理的な儀式の実施が含まれていたかどうか、そして、もしそうなら、この儀式の中には実際の性交が含まれていたのか、それとも単なる性交の象徴的な表現が含まれていただけなのかについて、議論を続けている。古代近東の学者ルイーズ・M・プライクは、今ではほとんどの学者が、もし神聖な結婚が実際に行われる儀式であるならば、それには象徴的な性交のみが含まれると考えている、と述べている。

長い間、イシュタル信仰には神聖な売春が含まれていると考えられていたが、現在では多くの学者がこれを否定している。イシュタリトゥム(イシュタルの女)として知られるヒエロデュレスは、イシュタルの寺院で働いていたと報告されているが、そのような巫女たちが実際に性行為を行ったかどうかは不明であり、現代の学者の何人かは、彼女たちは性行為を行っていなかったと主張している。古代近東の女性たちは、灰の中で焼いた塊(kamān tumriとして知られる)を捧げることで、イシュタルの崇拝を表した。この種の献身は、アッカドの賛美歌の中で描写されている。マリで発見されたいくつかの粘土の塊は、大きな腰の裸の女性が自分の胸をつかんでいるような形をしている。一部の学者は、これらの型から作られた塊は、イシュタル自身を表現することを意図していたと示唆している。

図像表現[編集]

シンボル[編集]

 
 
この八芒星が、イナンナ/イシュタルの最も一般的なシンボルである。 メリシパク2世の境界石に刻まれたこの絵においては、彼女の兄弟シャマシュ(シュメールではウトゥ)を表す太陽と、彼女の父シンを表す三日月(シュメールではナンナ)と一緒に描かれており、紀元前12世紀のものとされている。
 
ライオンもまた、イナンナ/イシュタルの主なシンボルである。このライオンは、バビロン内城の第8の門であるイシュタル門に刻まれていたものである。この門は、紀元前575年頃にネブカドネザル2世の命令により建設された。
 

イナンナ/イシュタルの最も一般的なシンボルは八芒星だが、実際の頂点の数は時々変化している。六芒星も頻繁に用いられるが、その意味するところは不明である。もともと八芒星は、一般的に天と関係するものだったようだが、古バビロニア時代(紀元前1830年~1531年頃)までには、特にイシュタルの星とされた金星と関係づけられるようになった。また、同じ時期から、イシュタルの星は円盤の中に囲まれて描かれるようになった。後期バビロニア時代、イシュタルの神殿で働く奴隷には、八芒星の烙印を押されることがあった。境界石や円筒印章には、シン(シュメールのナンナ)の象徴である三日月と、シャマシュ(シュメールのウツ)の象徴である光線状の太陽円盤と並んで、八芒星が描かれることがある。

イナンナの楔形文字は、葦をフック状にねじった結び目で、多産と豊穣の一般的な象徴である倉庫の門柱を表していた。ロゼットはイナンナのもう一つの重要なシンボルであり、イシュタルと習合した後も使用され続けた。実際のところ、新アッシリア時代(紀元前911年~紀元前609年) には、ロゼットが八芒星をかこうようになり、それがイシュタルの主要なシンボルになった可能性がある。アッシュル市のイシュタル神殿は、多数のロゼットで飾られていた。

イナンナ(イシュタル)はライオンと関連付けられていた。古代メソポタミア人は、ライオンを権力の象徴とみなしていた。彼女とライオンとの関連付けは、シュメール時代に始まる。 ニップルのイナンナ神殿から出土した緑泥石のボウルには、巨大なヘビと戦う大きなネコ科の動物が描かれている。そのボウルには「イナンナと蛇」と書かれた楔形文字の碑文が刻まれており、その猫が女神を表すと考えられていたことが示されている。アッカド時代、イシュタルは重武装した戦士の女神として頻繁に描かれ、その属性の1つとして、ライオンと共に描かれた。

鳩もまた、イナンナ(イシュタル)によく関連付けられた動物のシンボルだった。紀元前3千年紀の初めには、イナンナに関連する宗教的オブジェクトに、鳩が描かれている。紀元前13世紀のものとされる鉛の鳩の置物がアッシュル市のイシュタル神殿で発見され、また、シリアのマリで描かれたフレスコ画には、イシュタル神殿のヤシの木から巨大な鳩が出てくる様子が描かれており、女神そのものが鳩の姿をすると時々信じられていたことを示している。

惑星・金星として[編集]

イシュタルは、金星と関連付けられていた。なお、英語における金星の名(Venus=ヴィーナス)は、 ローマにおける女神ヴィーナス(ウェヌス)に由来するが、そのヴィーナス(ウェヌス)は、イシュタルに相当する女神である。いくつかの賛美歌においてはイナンナの役割を、女神または金星の擬人化として称賛している。神学教授ジェフリー・クーリー(Jeffrey Cooley)は、多くの神話において、イナンナの動きは空の金星の動きと一致している可能性があると主張している。イシュタルの冥界下りの物語においては、他の神とは異なり、イシュタルは冥界に降りて再び天に戻ることができたが、金星も同様に、西に沈んでから再び東に昇るように見える。イシュタルを紹介する賛美歌では、イシュタルが天を離れ、おそらく山を示すと思われる場所クー(Kur)へ向かう様子が描かれており、イナンナが昇り、そして西に沈む様子が再現されている。『イナンナとシュカレトゥダ』という物語では、シュカレトゥダはイナンナ(イシュタル)を探して天を調べ、おそらく東と西の地平線を探索しているように描かれている。同じ物語の中では、イナンナ自身が攻撃者を探している間、空における金星の動きと一致するいくつかの動きをしている。

金星の動きは不連続に見えるため(一度に何日も太陽に近づくと消え、その後、反対側の地平線に再び現れる)、一部の文化では、金星を同じものとしては認識していなかった。代わりに、それが各地平線にある2つの別々の星、すなわち明けの明星と宵の明星であると仮定したのである。それにもかかわらず、ジェムデト・ナスル期の円筒印章は、古代のシュメール人が、明けの明星と宵の明星が同じ天体であることを知っていたことを示している。金星の不連続な動きは、神話とイシュタルの二面性の両方に関係している。

現代の学者は、イシュタルの冥界下りの物語を、金星の逆行に関連した天文現象に関連したものと認識している。逆行する金星が太陽と内合となる7日前に、金星は夕方の空から消える。この消失と合の間の7日間は、冥界下りの物語の基礎となった天文現象とみなされている。合の後、金星が明けの明星として現れるまでさらに7日かかるが、この現象が冥界から上ることに対応している。

アヌニトゥ(Anunītu)としてのイナンナは、黄道十二星座の最後の魚座の東の魚と関連付けられていた。また、彼女の配偶者であるドゥムジは、隣接する最初の星座である牡羊座に関連付けられた。

性格・特徴[編集]

ライオンの背に足を乗せるイナンナと、その前で敬意を払うニンシュブルを描いた古代アッカドの円筒印章。紀元前2334~2154年頃。

シュメール人は、イナンナを戦いと愛の女神として崇拝した。役割が固定的で領域が限られていた他の神々とは異なり、イナンナの物語では、彼女は征服から征服へと移動するように描かれている。彼女は若く衝動的で、自分に割り当てられている以上の権力を求めて常に努力しているように描かれた。

イシュタルは愛の女神として崇拝されていたが、結婚の女神ではなく、母神ともみなされていなかった。アンドリュー・R・ジョージは、「すべての神話によると、イシュタルはそのような役割に対して・・・乗り気だったわけではない」とまで述べている。ジュリア・M・アッシャー・グレーヴは、イシュタルが母神ではなかったからこそとりわけ重要だったのだと提案している。メソポタミアの人々は定型句の中では、イシュタルを愛の女神として祈りを捧げていた。

イシュタルの冥界下りでは、イシュタルは恋人のドゥムジッドを非常に気まぐれな態度で扱っている。イシュタルのこの性格は、ギルガメシュ叙事詩の後の標準的なアッカド語版の物語で強調されており、この中でギルガメシュは、恋人に対するイシュタルの悪名高い冷遇を指摘している。しかし、アッシリア学者のディナ・カッツ(Dina Katz)によれば、冥界下りの物語におけるイシュタルとドゥムジの関係の描写は、珍しいものであるという。

イナンナ(イシュタル)はシュメールの戦いの神の一人としても崇拝された。彼女に捧げられた賛美歌の一つでは、次のように宣言している。「彼女は自分に従わない者たちに対して混乱と混沌を引き起こし、恐るべき輝きをまとって大虐殺を加速させ、壊滅的な洪水を引き起こす。疲れることなくサンダルを履いて、紛争と戦いを加速させるのが彼女のゲームだ。」 戦いそのものが「イナンナの踊り」と呼ばれることもあった。特にライオンに関連した形容は、彼女のこの性格を強調するために用いられた。戦争の女神として、彼女はイルニナ(「勝利」)という名前で呼ばれることもあったが、この呼び名は、イシュタルではなく戦いの神ニンギシュジダと関係する別の女神として機能したことに加えて、他の神にも同様に適用された可能性がありる。イシュタルのこの性質を強調する別の呼び名は、アヌニトゥ(「武人」)であった。イルニナと同様に、アヌニトゥも別の神であった可能性がある。アヌニトゥはウル第3期の文書で初めて言及されている。

アッシリアの王室の呪いの典型では、イシュタルの主な機能の両方を一度に呼び出し、呪いの対象者の力と勇気を同様に取り除くようにイシュタルに呼び掛けている。メソポタミアの文書によれば、英雄として認識される特性(軍隊を率い、敵に勝利する王の能力など)と性的武勇が結びつけられていたようである。

イシュタルは女神であるが、性別が曖昧なこともあった。ゲイリー・ベックマンは、「曖昧な性別認識」はイシュタル自身だけでなく、彼が「イシュタル型」の女神と呼ぶ一群の神々(シャウシュカ、ピニキル、ニンシアンナなど)の特徴でもあったと述べている。後期の賛美歌には、「彼女(イシュタル)はエンリル、彼女はニニル」というフレーズが含まれており、これはイシュタルの賞賛を高める働きに加えて、時に「二面性」のあるイシュタルの性格を表している可能性がある。また、ナナヤ(Nanaya)への賛美歌では、より標準的な様々な説明とともに、バビロンのイシュタルの男性的な側面を示唆している。しかし、イロナ・ジョルナイ(Ilona Zsolnay)はイシュタルを、例えば軍神など、特定の文脈においてのみ「男性的な役割を果たした女性」として描写している。

家族[編集]

The marriage of Inanna and Dumuzid
イシュタルとドゥムジッドの結婚を描いた古代シュメールの絵

イナンナ(イシュタル)の双子の兄弟は、太陽と正義の神ウトゥ(アッカド語でシャマシュとして知られる)である。シュメール語の文書では、イナンナとウトゥは非常に近い存在として描かれている。現代の作家の中には、彼らの関係を近親相姦に近いものと認識している人もいる。冥界下りの物語の中で、イナンナは冥界の女王エレシュキガルを「姉」と呼ぶ。だが、この二人の女神がシュメールの文学に一緒に登場することはほとんどなく、神のリストでも同じカテゴリーには分類されていなかった。フルリ人の影響により、一部の新アッシリア資料(罰則条項など)ではイシュタルもアダドと関連付けられており、その関係はフルリ神話におけるシャウシュカと彼女の弟テシュブの関係を反映し、兄妹のごとく扱われている。

最も一般的な伝統では、ナンナとその妻ニンガルがイナンナの両親であると考えられていた。その例としては、初期王朝時代の神のリスト、エンリルとニンリルがどのようにしてイナンナに力を与えたかを伝えるイシュメ・ダガンの賛美歌、ナナヤへの後期の混合賛歌、ハットゥシャで出土したアッカドの儀式など、多様な史料において確認できる。一部の学者は、ウルクでは通常、イナンナは天空神アンの娘とみなされていると主張しているが、アンを父親として言及しているのは、ナンナの祖先としてであって、アンの子孫であることを比喩的にアンの娘として言及している可能性がある。文学的な文章においては、エンリルまたはエンキが彼女の父親とされることがあるが、主要な神々が「父親」であるとの言及も、これらの神々が年長であることを示す表現でしかない可能性がある。

羊飼いの神であるドゥムジッド(後にタンムズとして知られる)は通常、イナンナの夫とされるが、解釈によっては、彼に対するイナンナの忠誠心は疑わしい。冥界下りの物語の中では、彼女はドゥムジッドを見捨てて、ガラという悪魔が彼女の代わりに彼を冥界に引きずり込むことを許している。その一方で、「ドゥムジッドの帰還」という別の物語においては、イナンナはドゥムジッドの死を悼み、最終的にはドゥムジッドが天国に戻って一年の半分は彼女と一緒にいることが許されている。ディナ・カッツ(Dina Katz)は、『イナンナの冥界下り』における彼らの関係の描写は珍しいと指摘している。ドゥムジの死について書かれている他の物語における彼らの関係とは似ていない。ドゥムジッドの死の責任がイナンナによることはほとんどなく、むしろ悪魔や人間の盗賊が原因となっている。研究者によって、イナンナとドゥムジッドの出会いを描いた愛の詩を集めた大規模なコーパスが編集されている。もっとも、局所的にイナンナ(イシュタル)が取り上げられる部分では、必ずしもドゥムジッドと関係づけられていたわけではない。キシュでは、都市の守護神であるザババ(軍神)は、地元のイシュタルに相当する女神の配偶者とみなされていたが、古バビロニア時代以降、ラガシュから導入されたバウが彼の配偶者となり(メソポタミア神話ではよく見られる、戦いの神と医薬の女神のカップルの一例である)、キシュのイシュタルは単独で崇拝されるようになった。

通常、イシュタルに子孫がいるようには書かれていないが、ルガルバンダ(Lugalbanda)の神話やウル第3王朝(紀元前2112年頃~2004年頃) の単一の建物の碑文においては、戦士の神シャラ(Shara)が彼女の息子であるとして記されている。彼女はルラル(Lulal)の母親ともみなされることもあったが、他の文献では、ルラルはニンスンの息子であると記されている。ウィルフレッド・G・ランバート(Wilfred G. Lambert)は、イシュタルの冥界下りの物語の中では、イナンナとルラルの関係は「密接ではあるが特定されていない」と述べている。同様に、愛の女神ナナヤ(Nanaya)が彼女の娘とみなされているという証拠(歌、奉納式、誓い)は乏しいが、これらの例はすべて、単に神々の間の親密さを示す形容詞を用いているだけであり、実際の親子関係についての記述ではなかった可能性がある。

スッカル[編集]

イナンナのスッカル(従神)は女神ニンシュブルである。イナンナと彼女の関係は、相互献身的なものであった。一部の文書では、ニンシュブルはイナンナの仲間の一員としてドゥムジッドのすぐ後、さらに言えば、彼女の親戚よりも先に記載されている。「ニンシュブル、最愛の宰相」というフレーズが登場する文書もある。別の文書では、彼女の側近の神々のリストの中で、ニンシュブルはナナヤよりも前に記載されているが、これは本来はイナンナ自身の別位格であったかもしれない。ヒッタイトの文書群の中にあるアッカドの儀式文書では、イシュタルのスッカルの名が、彼女の家族(シン、ニンガル、シャマシュ)とともに記されている。

この他に、神のリストに頻繁に記載されるイナンナの側近としては、ナナヤ (通常はドゥムジッドとニンシュブルのすぐ後ろに記載される)、カニスーラ英語版ガズババ英語版ビジラ英語版などの女神があり、これらの女神全員も、さまざまな順番で互いに関連付けられている。

習合と他の神々への影響[編集]

サルゴンとその後継者の治世中に、イナンナとイシュタルが完全に融合したことに加えて、彼女はさまざまな神々と習合した。知られている混合賛美歌のうち最古のものは、イナンナに捧げられており、初期王朝時代のものとされている。古代の筆記者によって編集された多くの神のリストの中には、イナンナと同種の女神を列挙した「イナンナグループ」というものがあり、記念碑的な神のリスト「アン・アヌム」(合計7枚の粘土板から成る)の4枚目の粘土板は、「イシュタルの粘土板」として知られている。なぜなら、その内容の大部分がイシュタルと同じ女神やイシュタルの各種の称号、様々な従者の名前となっているからである。現代の研究者の中には、この類いの一群の神々を定義するために、「イシュタル型(Ishtar-type)」という呼び名を使用する者もいる。一部の文書では、特定の地域の「すべてのイシュタル」という表現さえあった。

後の時代、バビロニアではイシュタルの名は女神の総称として時々使用され、その一方で、イナンナの表語文字がベルトゥ(Bēltu)の称号を綴るために使用され、さらなる混同を引き起こした。このような名前の使用例はエラムからも知られている。アッカド語で書かれたエラム人の単一の碑文には「マンザット・イシュタル」と記されており、この文脈では「女神マンザト」を意味する可能性がある。

具体例[編集]

アスタルト

マリやエブラのような都市では、東セム語形と西セム語形の名前(イシュタルとアスタルト)は基本的に互換性があると見なされていた。しかし、西の女神には、メソポタミアのイシュタルにあったような、星としての特徴が明らかに備わっていなかった。ウガリットの神のリストと儀式文書は、地元のアスタルトを、イシュタルやフルリのイシャラと同一視している。

イシャラ英語版

イシュタルとの関わりにより、シリアの女神イシャラはメソポタミアの彼女(そしてナナヤ)と同様に「愛の貴婦人」とみなされるようになった。しかし、フルリ人やヒッタイトの文書では、イシャラは代わりに冥界の女神アラニと関連付けられ、さらに誓いの女神としても機能した。

ナナヤ英語版

イナンナと独特の密接な関係にある女神。アッシリア学者のフランス・ウィガーマンによれば、彼女の名前はもともとイナンナの形容詞であった(おそらく「私のイナンナ!」という呼びかけの役割を果たしていた)。ナナヤはエロティックな愛と関連付けられていたが、最終的には彼女自身の好戦的な面が発達した(ナナヤ・ウルサバ/Nanaya Eursaba)。ラルサでは、イナンナの役割は事実上、3人の別々の人物に分割され、イナンナ自身、ナナヤ (愛の女神として)、ニンシアンナ (星の女神として) からなる三位一体の一部として崇拝された。イナンナ(イシュタル)とナナヤは、詩の中で偶然または意図的に混同されることがよくあった。

ニネガル英語版

当初、彼女は独立した女神だったが、古バビロニア時代以降、一部の文書では「ニネガル」がイナンナの称号として使用されている。また、神のリストでは、彼女は通常、「イナンナグループ」の一員として、ニンシアンナと並んでいた。形容詞としての「ニネガル」の使用例は、シュメール語電子コーパス(ETCSL:Electronic Text Corpus of Sumerian Literature) で「ニネガラ (イナナD) としてイナナへの賛美歌」と呼ばれる文書の中にある。

ニニシナ英語版

特殊な混合例としては、政治的な理由により発生した、医薬の女神ニニシナとイナンナの例がある。都市イシンは、ある時点でウルクに対する支配権を失い、その守護神であるイナンナとの一体性も失われた(その好戦的な性格を彼女にも割り当てていた)。イナンナは、王権の源としても機能していたが、おそらくこの問題の神学的解決策として役立つことを意図していたと思われる。その結果、多くの史料では、イシンの守護神ニニシナは、ニンシアンナと類似しているとみなされ、イナンナがニニシナの姿を取っているものとして扱われた。また、ニニシナとイシン王との「神聖な結婚」の儀式が行われた可能性もある。

ニンシアンナ英語版

さまざまな性別を持つ金星の神。ニンシアンナは、ラルサのリム・シンやシッパル、ウル、ギルス出土の文書では男性として言及されている(特にリム・シンはニンシアンナに対して「私の王」という表現を使用した)が、神のリストや天文文書では「星のイシュタル」としている。また、これらの文書では、金星を擬人化する際のイシュタルの通り名をニンシアンナに適用している。一部の場所では、ニンシアンナは女性の神としても知られており、その場合、彼女の名前は「天の赤い女王」という意味にも理解できる。

ピニキル英語版

元々はエラム人の女神だったが、メソポタミアで認識され、イシュタルと同様の役割があったことから、やがてフリル人やヒッタイト人の間でイシュタルに等しいものとみなされた。 神のリストでは、彼女は特に星(ニンシアンナ)の面で認識された。ヒッタイトの儀式では、彼女はdIŠTARという記号によって表され、シャマシュ、スエン、ニンガルは彼女の家族とされた。エンキとイシュタルのスッカル(従者)もその儀式の中で呼びかけられた。エラムでは、彼女は愛と性の女神であり、天の神(「天の女王」)だった。イシュタルやニンシアンナとの習合により、ピニキルはフルリ人やヒッタイトの文書では、女性神とも男性神ともされた。

シャウシュカ英語版

彼女の名前は、フルリとヒッタイトの史料では表語文字dIŠTARで頻繁に書かれたが、メソポタミアの文書では「スバルトゥのイシュタル」という名前で記された。彼女に特有のいくつかの要素は、後の時代のアッシリアにおけるイシュタル、ニネヴェのイシュタルに関連していた。彼女の侍女のニナッタとクリッタは、アシュールの神殿でイシュタルに仕えると信じられている神々の輪に組み込まれた。

シュメールの文書[編集]

起源の神話[編集]

エンキと世界秩序の詩 (ETCSL 1.1.3) は、エンキ神と彼の宇宙の設立について説明することから始まる。詩の終わりの部分では、イナンナはエンキのもとにやって来て、エンキが他のすべての神々に領土と特別な力を割り当てたのに、自分には割り当てていないと不平を言う。彼女は不当な扱いを受けたと宣言する。エンキは、彼女にはすでに領土があるので、割り当てる必要はないと伝える。

「イナンナとドゥムジッドの求愛」シュメール語の粘土板のオリジナル

ギルガメッシュ、エンキドゥ、そして冥界の叙事詩(シュメール語電子コーパス(ETCSL)1.8.1.4)の前文にある「イナンナとフルップの木」の神話は、まだ力が安定していない若いイナンナの話を中心にしている。物語はユーフラテス川の岸辺に生えているフルップの木から始まるが、クレイマーは、その木はおそらくヤナギであると推測している。イナンナは、この木が完全に成長したら玉座を彫るつもりで、その木をウルクの庭に移した。木は成長していくが、「その魅力を知らない」蛇、アンズー鳥、そしてユダヤ人の民間伝承のリリスの由来となったであろうリリトゥ(シュメール語でキ・シキル・リル・ラ・ケ)が木の中に住み着き、イナンナは悲しんで泣いた。だが、この物語では彼女の兄弟として描かれている英雄ギルガメッシュがやって来て大蛇を殺し、アンズバードとリリトゥは逃げていった。ギルガメッシュの仲間たちはその木を切り倒してベッドと玉座を作り、イナンナに与えた。彼女はピックとミク(おそらくドラムとドラムスティックと思われるが、特定は困難)を作り、それをギルガメッシュの英雄的な行為への褒美として与えた。

シュメールの賛美歌「イナンナとウトゥ」には、イナンナがどのようにして性の女神になったかを説明する神話が含まれている。賛美歌の冒頭でイナンナは、性について何も知らないので、クル(シュメールの冥界)に連れて行ってほしいと兄のウトゥに懇願する。そうすれば、そこに生えている木の実を食べることができ、それによって性の秘密が明らかになるだろうから、と。ウトゥはそれに応じ、クルでイナンナがその木の実を食べ、知識を得た。この賛美歌は、エンキとニンフルサグの神話、そして後の聖書のアダムとイブの物語に見られるものと同じモチーフを採用している。

『イナンナは農夫を好む』という詩(ETCSL 4.0.8.3.3)は、イナンナとウトゥの間の冗談のような会話から始まる。ウトゥは徐々に彼女に、結婚の時期が来たことを明らかにしていく。 エンキムドゥという名の農夫とドゥムジッドという名の羊飼いが、彼女に求愛していた。最初はイナンナは農夫の方を好むが、ウトゥとドゥムジッドは徐々に彼女を説得し、夫としてはドゥムジドのほうが適しており、農夫がイナンナに与えられるすべての贈り物に対して、羊飼いはさらに良いものを与えることができると主張した。結局、イナンナはドゥムジッドと結婚する。羊飼いと農夫は和解し、互いに贈り物を贈り合う。サミュエル・ノア・クレイマーはこの物語を、後の聖書のカインとアベルの物語と比較している。なぜなら、どちらの神話も、神の恩恵を求めて争う農夫と羊飼いを中心に展開しており、どちらの物語でも、その神が最終的に羊飼いを選ぶからである。

征服と保護[編集]

イナンナ、ウトゥ、エンキ、イシムドの神々を描いた紀元前 2300 年頃のアッカドの円筒印章

『イナンナとエンキ』(ETCSL t.1.3.1)はシュメール語で書かれた長い詩で、ウル第3王朝(紀元前2112年~紀元前2004年頃) のものと考えられている。この物語では、イナンナが水と人類の文化の神であるエンキから神聖なメーをどのように盗んだかが語られている。古代シュメール神話において、メーは人間の文明の存在を可能にする、神々に属する神聖な力や財産であった。それぞれのメーは、人類文化の特定の側面を表している。これらの側面は非常に多様であり、詩に列挙されている概念には、真実、勝利、助言などの抽象的な概念、執筆や織物などの技術、さらには法律、司祭職、王権、売春などの社会構造も含まれている。メーは文明の良い面も悪い面も含め、あらゆる側面を支配する力を与えるものと信じられていた。

この神話の中で、イナンナは自分の都市ウルクからエンキの都市エリドゥまで旅をして、エリドゥで彼女はエンキの神殿であるイー・アブズを訪れる。イナンナはエンキのスッカルであるイシムドに迎えられ、食べ物と飲み物を提供され、エンキと酒飲み競争を始める。そしてエンキがすっかり酔ってしまうと、イナンナはエンキにメーを与えるよう説得する。イナンナは天の船でエリドゥから逃げ、メーを持ってウルクに戻った。エンキは目を覚ますとメーが消えていることに気づき、イシムドに何が起きたのかを尋ねた。イシムドは、エンキがそれらをすべてイナンナに与えたと答えた。エンキは激怒し、イナンナがウルクの街に到着する前にメーを取り戻すため、凶暴な怪物にイナンナを追わせた。イナンナのスッカルであるニンシュブルは、エンキが送り込んできた怪物たちをすべて撃退する。ニンシュブルの援護により、イナンナはメーをウルクの街に持ち帰ることに成功した。イナンナが逃亡した後、エンキは彼女と和解し、前向きな別れを告げた。この伝説は、エリドゥ市からウルク市への歴史的な権力移譲を表している可能性がある。また、この伝説は、イナンナが天国の女王になるための成熟と準備の完成を象徴的に表現している可能性もある。

「イナンナが天の指揮を取る」という詩は、イナンナがウルクにあるエアンナ神殿を征服したことを記した、極めて断片的だが重要な記述である。それはイナンナと弟のウトゥの会話から始まる。イナンナはエアンナ神殿が自分たちの領土内にないことを嘆き、それを自分のものだと主張する決意をする。物語のこの時点で文書はますます断片的になるが、湿地帯を通って神殿に到達する困難な道中と、どのルートを進むのが最適なのかについて漁師が教えているように思われる。最終的に、イナンナは父親のアンがいる場所にたどり着く。アン(アヌ)は彼女の傲慢さにショックを受けるが、それで彼女が成功し、今や神殿が彼女の領土であることを認める。文章は、イナンナの偉大さを説明する賛美歌で終わる。この神話は、ウルクのアンの祭司の権威の失墜と、イナンナの祭司への権力の移譲を表しているのかもしれない。叙事詩のテキストに加えて、天からのエアンナの降臨については、ギルガメシュとアッカの物語(第31行)、シュメール神殿の賛美歌および2つの言語による文書「イナンナ/イシュタルの高揚」でも言及されている。

また、イナンナは、叙事詩『エンメルカーとアラッタの王』(ETCSL 1.8.2.3) の最初と最後に簡単に登場する。この叙事詩は、ウルクとアラッタの都市間の対立を扱っている。ウルクの王エンメルカルは、自分の街を宝石や貴金属で飾りたいと考えていたが、そのような鉱物はアラッタにしか存在しないため、それはできなかった。そして、貿易がまだ存在していなかったため、彼は資源を利用できなかった。両方の都市の守護神であるイナンナは、詩の冒頭でエンメルカーに現れ、自分はアラッタよりもウルクを好むと彼に告げる。彼女はエンメルカーに、ウルクが必要とする資源を求めるためにアラッタの王に使者を送るよう指示した。叙事詩の大部分は、イナンナの好意をめぐる二人の王の間の大論争を中心に展開する。詩の最後でイナンナは再び現れ、エンメルカーに、ウルクとアラッタの間に貿易を確立するように告げて紛争を解決した。

正義の神話[編集]

イナンナとエビの物語が記されている、シュメールの粘土板(本物)。現在、シカゴ大学東洋研究所に保管されている。

イナンナと弟のウトゥは神の正義を分け与える者とみなされており、イナンナはいくつかの神話でその役割を示している。イナンナとエビ(ETCSL 1.3.2)は、恐ろしい神力の女神としても知られ、アッカドの詩人エンヘドゥアンナによって書かれた184行の詩で、ザグロス山脈の山であるエビ山とイナンナの対決を描写している。この詩はイナンナを讃える賛美歌で始まる。女神は全世界を旅してエビ山に行き着き、その輝かしい力と自然の美しさに激怒し、その存在自体が自身の権威に対するまったくの侮辱であると考えた。彼女はエビ山に向かって次のように叫んだ。

山よ、あなたの標高のゆえに、あなたの身長のゆえに、
あなたの善良さのゆえに、あなたの美しさゆえに、
聖なる衣を着ていたから、
アンがあなたをつくった(?)から、
あなたが鼻を地面に近づけなかったから、
あなたが塵に唇を押し付けなかったから。

イナンナはシュメールの天空の神アンに、エビ山を破壊することを許可するように嘆願する。アンはイナンナにその山を攻撃しないよう警告したが、彼女はそれを無視して、エビ山を攻撃して破壊した。物語の最後に、彼女がエビ山を攻撃した理由を説明する。シュメールの詩では、「クルの破壊者」(=冥界の破壊者)というフレーズがイナンナの形容詞として時々使用される。アネット・ズゴルによれば、この文章の中でイナンナは、アッカド帝国の広大な征服政策を表現している。一方、アン神の消極的な行動はシュメールの地とその住民の視点を表しており、彼らはサルゴン朝の侵略で苦しまなければならなかった。エビ山の反乱とイナンナによるその破壊は、讃美歌Innin ša gura(「大いなる心の女王」)でも言及されており、その原因を巫女エンヘドゥアンナによるものとしている。

詩「イナンナとシュカレトゥダ」(ETCSL 1.3.3) は、イナンナを金星として称えるイナンナへの賛歌で始まる。次に、ひどい仕事をする庭師シュカレトゥダが登場する。1本のポプラの木を除いて、彼が世話した植物はすべて枯れた。シュカレトゥダは仕事の導きを神に祈った。驚いたことに、女神イナンナは彼の1本のポプラの木を見て、その枝の陰で休むことにした。シュカレトゥダはイナンナの服を脱がせ、眠っているイナンナと交わった。目覚めた女神は自分が犯されたことに気づき激怒し、自分を襲った男に裁きを受けさせようと決意する。怒れるイナンナは地球上に恐ろしい疫病を引き起こし、水を血に変えた。シュカレトゥダは命の危険を感じ、イナンナの怒りから逃れる方法について父親に助言を求めた。父親は彼に、できれば街に潜り込み、大勢の人々の中に隠れるようにと言った。イナンナは東の山中で犯人を探したが、見つからない。その後、彼女は次々と嵐を起こし、都市へのすべての道路を封鎖したが、それでもシュカレトゥダを見つけることができなかったので、彼女はエンキに彼を見つけるのを手伝ってくれるように頼み、そうでなければウルクの彼女の神殿を離れると脅した。エンキは同意し、イナンナは「虹のように空を横切って」飛んだ。イナンナはついにシュカレトゥダの居場所を突き止めた。シュカレトゥダは彼女に対する罪の言い訳をでっち上げようとしたが、無駄だった。イナンナはこれらの言い訳に耳を貸さず、彼を殺した。神学教授ジェフリー・クーリーは、シュカレトゥダの物語をシュメールの星の神話として引用し、物語の中のイナンナの動きは金星の動きと一致すると主張した。彼はまた、シュカレトゥダが女神に祈っている間、地平線上の金星を見ていたかもしれないとも述べている。

ニップルで発見された詩「イナンナとビルル」(ETCSL 1.4.4)のテキストはひどく切断されており、学者たちはそれをさまざまな形で翻訳している。詩の冒頭部分はほとんど損傷しているが、嘆きについて書かれているようにである。詩のわかりやすい部分では、草原で羊の群れを見守る夫ドゥムジッドをイナンナが思い焦がれている様子が描かれている。イナンナは彼を探し始める。この後、テキストの大部分が失われる。解読可能な部分に戻ると、イナンナはドゥムジッドが殺害されたことを知らされている。イナンナは、盗賊の老女ビルル(Bilulu)とその息子ギルギレ(Girgire)が犯人であることを発見する。彼女はエデンリラ(Edenlila)への道に沿って旅し、宿屋に立ち寄って、そこでビルルらを見つける。イナンナは椅子の上に立ち、ビルルを「砂漠で男性が持ち歩く水袋」に変え、ドゥムジッドの葬儀用の酒を注ぐよう命じた。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 矢島(1998)pp.186,226
  2. ^ 百科事典マイペディアの解説”. コトバンク. 2018年2月4日閲覧。
  3. ^ 池上(2006)p.14
  4. ^ オリエント事典, pp. 55-56. 「イシュタル」の項目より。
  5. ^ 岡田・小林(2008)p. 172
  6. ^ Suter (2014), p. 51.