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利用者:アーテ/sandbox

上田布袋軒の下書き[編集]

上田布袋軒(うえだ ほていけん、1849年-没年不詳)は日本活動弁士である。本名は上田恒次郎。日本における最初の活動弁士のひとりとされる。

生涯[編集]

1849年、大阪船場の大商人の家に生まれる。趣味人で家財を散財した為、勧められて曲馬や奇術の口上役を20年ほど務めていたという。

1896年、神戸においてキネトスコープによる日本初の映画興行が行われたさい、解説役の活動弁士を務めたのが上田布袋軒だった。当時の映画は無音のサイレント映画で、画像が不鮮明で上映時間も短かかったため、上田のような解説役が必要だったのである。これ以降も活動弁士として多数の映画解説を行い、後進の指導も行った。 活動弁士の仕事は1908年まで続けたという。

青春の十字路=の下書き[編集]

青春の十字路(原題:청춘의 십자로)は日本統治下の朝鮮で1934年に公開された無声映画である。金剛シネマ製作、安鍾和監督。日本統治時代の朝鮮における、現存最古の映画とされる。

作品データ[編集]

  • 製作 : 金剛キネマ
  • 監督 : 安鍾和
  • 脚本 : 安鍾和
  • 撮影 : 李銘雨
  • 上映時間 : 72分 (現存54分)
  • フォーマット : 35ミリフィルム、モノクロ、無声映画

出演者[編集]

映画の再発見 [編集]

本作は2007年に韓国でオリジナルネガが再発見された。当時、日本統治時代の朝鮮映画でまとまった形で現存する作品はないとされていた中で大きな発見となった。 大韓民国登録文化財にも指定されている(番号488番)。

昆虫食#日本における昆虫食の下書き[編集]

江戸時代まで[編集]

日本では安土桃山時代までは昆虫食に触れた資料は乏しい。『本草和名』には直翅目(バッタ目)を食用としていたことを示唆する記述があるが、三橋淳は確実なものではないと述べている。

江戸時代に入ると数は多くないが昆虫食に触れた文献が見られるようになり、イナゴはちのこ柳の虫米沢藩で食されていたゲンゴロウ などの記述がある。

明治から終戦まで[編集]

明治以降も昆虫食は行われていた。イナゴは一般に食用とされ、絹糸を取ったあとに残るカイコのサナギもしばしば食べられていた。また、1919年(大正8年)には三宅恒方が初めての全国調査を行い、食用とされる昆虫が55種類、薬用とされる昆虫が123種類という結果が出ている。