利用者:メリース/試作/野田川 (京都府)

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野田川
水系 二級水系 野田川
種別 二級河川
延長 15.5[1] km
流域面積 99.2[1] km²
水源 大江山連峰 与謝峠[1]
河口・合流先 阿蘇海宮津湾
流域 京都府与謝郡与謝野町宮津市
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野田川(のだがわ)は、京都府北部の与謝郡与謝野町および宮津市を流れる、延長15.5 km、流域面積99.2 km²の二級河川)。野田川水系の本川であり、与謝川とも呼ばれる[2]

概要[編集]

野田川は京都府北部にある川。
野田川は京都府北部にある川。
河口近くにある岩滝橋(与謝野町岩滝)の位置
野田川[注釈 1]・概略図
J000s
与謝峠
Normal
与謝郡与謝野町加悦地域)
jbkoku
国道176号標識 国道176号(加悦大橋)
Normal
(ここから二級河川指定区間)
jbkoku
国道176号標識 国道176号(段ノ坂橋)
AffluentR
山河川
AffluentR
平林川
AffluentR
桜内川
AffluentL
滝川
AffluentR
温江川
AffluentL
加悦奥川[座標 1]
Normal
(ここから野田川地域)
AffluentL
奥山川
AffluentL
岩屋川
AffluentL
水戸川[座標 2]
AffluentR
新川
jbkoku
国道312号標識 国道312号
AffluentR
香河川
Normal
(二次支川 奥山川)
jbkoku
E9 山陰近畿自動車道
borderRDown
与謝野町(岩滝地域)・宮津市
jb002
T 京都丹後鉄道宮豊線
borderRUp
与謝野町(岩滝地域)
jbkoku
国道178号標識 国道178号
estuary
阿蘇海

野田川は大江山連峰の与謝峠を水源とし、与謝野町の田園地帯を北流する。岩屋川との合流点付近で北東に向きを変え、天橋立の内海である阿蘇海へ注ぐ。流域は、与謝野町の加悦地域・野田川地域の全部と岩滝地域の南部、宮津市吉津地区の西部にまたがる。流域の北側で竹野川水系と男山川、東側で大手川水系と宮川、南側で由良川水系との境界をなす。また西側の円山川水系との境界は兵庫県との境でもある。

野田川の整備計画では加悦奥川合流点で上流工区と中流工区を、水戸川合流点で中流工区と下流工区を分けており、上流・中流・下流の境界もその地点としている[3]。上流部は標高600 m以上の山地に囲まれていることから勾配が急である。中流部では本流と支流に沿って「加悦谷」と呼ばれる沖積平野扇状地性の低地)が形成され、勾配は緩やかとなる。平野部を中心に農地が広がり、平野の西部、国道176号旧道沿いに市街地が形成されている。野田川地域にある「堂谷狭窄部」の少し上流には遊水地の性質を持つ後背湿地がある。下流部では三角州性の低地を形成している[1][4][5]

阿蘇海には野田川の流入に起因する沿岸流(東流)があり、宮津湾西岸の沿岸流(南流)とぶつかり、砂の堆積が始まった。天橋立観光協会は、天橋立の歴史について「野田川からの砂と外界からの砂がぶつかり合って砂州が成長していったのではないか」と述べた[6]。ただし、野田川の河口付近には阿蘇海へ向かって砂が凸状に堆積した地形が見られることから、阿蘇海の沿岸流が砂を運ぶ量は限定的である。つまり野田川は天橋立の形成には関わるが砂の主たる供給元ではないとされる[7]

水系における既得許可水利権は、農業用水として2.19 m³/sが設定されている他、慣行水利権もあり750 haの農地に利用されている。工業用水としても0.322 m³/sが設定されている。京都府によると、渇水による大きな被害は報告されていない[4]

気候は冬に雨が多い日本海側気候であり、宮津観測所の1979年(昭和54年)から2006年(平成18年)の観測では年平均気温14.4℃、年平均降水量1,770 mm程度である。晩秋から冬にかけては「うらにし」と呼ばれる北西季節風が吹く[1][4]

貴重な動物は、香河(かご)川の支流奥山川の右岸山地にギフチョウが、岩屋川上流部にオオサンショウウオが、野田川・岩屋川両源流部にヒダサンショウウオが生息する。またスジシマドジョウ類、アカザメダカゴクラクハゼ、シモフリシマハゼなどが確認されているほか、シロザケが遡上する(#サケの繁殖の節で詳述)。さらに野田川下流部ではカイツブリやチョウサギが確認され、河口部にはコハクチョウが越冬のため飛来する。「オオサンショウウオの生息する岩屋川」と「コハクチョウの飛来する阿蘇海」はそれぞれ「京都の自然200選」に選ばれた[1][4][8]

江戸時代の俳人・与謝蕪村は1754年(宝暦4年)の春から3年半の間、宮津の見性寺に滞在し、そこを拠点として丹後各地を訪ねた。滝村の施薬寺へ向かう道中「夏河を越すうれしさよ手に草履」の句を詠んだとされ、この「夏河」は野田川または支流の滝川と言われている[9]

1983年(昭和58年)6月、京都府内では25年ぶりとなるツツガムシ病患者が当時の岩滝町で発生し、患者はその後死亡した。以来1999年にかけて府内で27人の患者が確認されているが[10]、いずれも野田川下流域(岩滝地域、野田川地域、宮津市)に限定されている[11]。与謝野町は時折、ツツガムシ病に対する注意を呼びかけている[12]。日本ダニ学会の中嶋智子、足立雅彦、降井佐太郎は1994年から97年まで、下流域に生息するネズミ4種からツツガムシ12種を回収し、寄生ツツガムシの季節消長を調べた[13]。その後も調査研究は続けられ、1996年から99年[10]、2009年[14]、2010年[15]の調査によって、この流域におけるツツガムシ病媒介種はフトゲツツガムシと確認された。

地質[編集]

丘陵から山地にかけては花崗岩質の岩石で構成され、大江山周辺には蛇紋岩、平野部には礫、砂、泥が分布する[4]。大江山北西山麓にはかつて大江山鉱山が存在し、ニッケルなどが採掘された。この地域には崖錐堆積物層が発達し、かんらん岩や蛇紋岩の風化分解によりニッケルの品位が増したと見られる。ニッケル含有率は1%程度である[16]

水質[編集]

野田川の水質[17]
調査地点 75%BOD値(mg/L)
環境基準 平成18 19 20 21 22 23 24 25 26 27
六反田橋[座標 3] 2.0以下 1.6 1.8 1.2 0.8 1.1 0.7 0.7 0.6 0.5 <0.5
堂谷橋[座標 4] 2.1 2.3 1.4 0.9 1.3 0.9 0.8 1.0 0.7 0.9
備考:1か所でも基準超過(赤の網掛け部分)している年は未達成扱い。
国の認定する「水質が最も良好な河川」の条件は0.5以下[18]

野田川のBOD(生物化学的酸素要求量)は1982年に4.0 を記録し、1990年代に下水道が整備され始めてからも2000年代にかけて高い状態が続いていたが[18][19]、その後は低下し基準を満足している[1]。流域のほとんどを占める与謝野町の下水道普及率は高いものの、下水道幹線への接続率が低く、普及率の高さが水質改善に貢献していない。結果として栄養に富んだ河川水が阿蘇海へ流入し、阿蘇海のCOD(化学的酸素要求量)が高止まりするなど水質に影響を与えている[20]

土木学会の佐藤浩一、佐藤圭輔、清水芳久は2011年、ノンポイントソース[注釈 2]を構成する土壌の河川への流出について、河口(阿蘇海)が閉鎖性水域である野田川を対象として研究した。この研究においても、河川水のサンプリング箇所の近くに民家の屎尿などが排出されるポイントソース[注釈 2]が存在したことで結果に影響した[21]

また佐藤圭輔は2015年、阿蘇海・天橋立・野田川流域にわたって、閉鎖性海域における汚濁負荷の観測手法を確立することを試みた。ドップラー流速計[注釈 3]を応用した濁度観測手法の提案には至らなかったものの、阿蘇海における物質収支を解明することに成功した。また野田川から阿蘇海への流入量が15.6千万m³/年と推定された[22]

流域の歴史[編集]

  • 1889年4月1日 - 町村制の施行により流域に9町村が発足する。
  • 1894年10月12日 - 流域北西部の市場村より岩屋村が分立する。
  • 1926年12月5日 - 全線にわたって野田川と並走する加悦鉄道が開業し、舟運に代わり貨物輸送の主役となる。1985年5月1日に全線廃止。
  • 1954年、55年 - 昭和の大合併により流域が1市3町に再編される。
  • 1964年 - 野田川広域河川改修事業が着手される。2033年に完了予定[23]
  • 2006年3月1日 - 平成の大合併により流域が宮津市と与謝野町に再編される。
  • 2007年8月3日 - 流域を囲む山地部が丹後天橋立大江山国定公園に指定される[24]

舟運[編集]

流域は古くから稲作が盛んであり、農閑期には機業が行われた。収穫された穀類を宮津まで川舟で運んだ。大正末期まで舟運が流域の交通の主役であった[4]

水害[編集]

野田川流域の主な洪水の記録[注釈 4]
発生年月日 発生要因 浸水面積
浸水戸数
1970年6月10日
〜7月18日
梅雨前線台風2号 14.9 ha
0棟
1974年8月17日
〜9月10日
台風14号・16号・18号 31.5 ha
0棟
1975年9月16日
〜9月24日
豪雨 0.5 ha
0棟
1979年9月13日
〜9月23日
豪雨 0.3 ha
0棟
1982年7月5日
〜8月3日
豪雨・台風10号 81.3 ha
54棟
1983年9月24日
〜9月30日
台風10号 128.3 ha
0棟
1984年7月4日
〜7月22日
豪雨 1.0 ha
68棟
1987年10月15日
〜10月17日
台風19号 18.0 ha
99棟
1988年8月9日
〜8月31日
豪雨 180.7 ha
135棟
1990年9月11日
〜9月20日
豪雨・台風19号 35.3 ha
9棟
1998年9月18日
〜9月26日
豪雨・台風6号・7号 130.2 ha
180棟
1999年6月22日
〜7月4日
梅雨前線 0.3 ha
36棟
2004年9月28日
〜10月1日
台風21号 29.0 ha
3棟
2004年10月18日
〜10月22日
台風23号 342.3 ha
241棟
2009年8月8日
〜8月11日
台風9号 0.9 ha
24棟

野田川では水害が頻発してきた。当時の岩滝町石田の記録では宝暦から明治20年ごろにかけての約130年の間に14回[25]、すなわち10年に一度のペースで洪水が発生した。1961年(昭和36年)から72年(昭和47年)にかけて、当時の野田川町石川や下山田では毎年1回か2回、田畑が冠水した。稲が病気になり減収の原因となったことから、治水と河川改修は農民の懸案であった。野田川地域は水害の被害が最も大きかったが、改修効果により徐々に軽減されていった[5]。既往最大の洪水は1988年8月に発生した[1]

1907年8月26日、二つの台風に刺激された秋雨前線[注釈 5]により流域各地で山崩れが続発するとともに、野田川などが氾濫して流域の低地が湖と化した。宮津気象台で3日間雨量597.9 mmを観測した[26][27]

1998年9月18日から26日にかけて、台風6号と7号により水害となり、農地115.1 haと宅地など15.1 haが浸水、家屋180棟が床上または床下浸水した。下流の堂谷橋雨量観測所で総雨量127 mm、最大1時間雨量44 mmを観測した[23]

2004年10月18日から22日にかけて、台風23号により水害となった。京都府によると流域全体で342 haが冠水、241棟の家屋浸水が発生した[23]。日本自然災害学会の論文では浸水面積299 ha、浸水家屋475棟としている[5]。滝川流域の滝(奥滝)雨量観測所で総雨量312 mm、最大1時間雨量54 mmを観測した。野田川地域では後背湿地を中心に浸水面積が140 haに達したが、住民が当地を居住地として利用していないため家屋浸水は32棟、うち床上浸水は1棟だった。加悦地域では滝川合流点-温江川合流点付近の5か所とそのすぐ下流の順気橋付近の1か所で堤防が決壊し、当時の町役場で20 cmの床上浸水となるなど中心部のほとんどが浸水した。なおこの2年前、町役場は浸水域となる沿岸部に移転していた[5][23]。増水した用水路に転落した一人が死亡した[28]

その後、2009年8月8日から11日にかけて、台風9号により水害となり、加悦奥川流域で宅地など0.9 haが浸水、家屋24棟が床下浸水した[23]。2013年9月16日早朝、台風18号により京都府などに大雨特別警報が発表された。滝雨量観測所では2004年の台風23号時に匹敵する最大24時間雨量217 mmを観測し、堂谷橋では避難判断水位を上回った。しかしながら、最大1時間雨量が比較的少なかったため大きな被害は回避された[29]

水源林[編集]

野田川の水源、与謝峠と大江山の間にある造林地は2012年(平成24年)、国立研究開発法人 森林研究・整備機構の森林整備センターによって「水源林50選」に選ばれた。

与謝野町の山地部では第二次世界大戦の頃から松根油の採取などの目的で森林が伐採されたため荒廃していた。豪雨時に土砂災害が多発し、山の水源涵養機能[注釈 6]も低下していた。野田川はしばしば渇水に悩まされ[注釈 7]断水や農業用水争奪が発生した[30]

1961年(昭和36年)より旧加悦町域で水源林造成事業(契約面積1,574 ha)が行われた。1979年(昭和54年)から1988年(昭和63年)にかけて、スギヒノキアカマツなどの苗木34万本を120 haの範囲に植林するなどし、1998年(平成10年)には造成面積が1,000 haに達した。山は治山治水機能と水源涵養機能を取り戻し、1979年の大渇水を最後に野田川の水量は安定した。この造林地を水源とした簡易水道施設が8か所建設され、生活用水の水量も安定するようになった。造林地付近の農業用水には希少なモリアオガエルが生息している[30]。また水源林を通る赤石(あかし)林道は、与謝野町観光協会によって「与謝野自然風景10選」に選ばれた[31]

サケの繁殖[編集]

サケは本来、日本では北海道本州北部に生息し、野田川はその生息域の南限に近い[注釈 8]新潟市にある日本海区水産研究所は、野田川流域ではサケが人と共存しており全国的にも貴重な環境であると述べた[3]

奈良時代、野田川で獲れたサケは天皇に献上されており、そのことを示す木簡平城宮跡で発掘された。2015年、上流域の後野地区の住民が平城宮跡資料館の木簡を見学した[32]奈良国立文化財研究所が所蔵する3点の木簡には次のように記されている[33]

丹後国 鮮鮭御贄 雄腹
与謝川
[注釈 9] — 丹後国与(與)謝川の鮭を贄として貢進する荷札の木簡 1
(二条大路木簡、735-736年ごろ)
丹後国 鮮鮭御贄 雌腹「□」
与謝川
[注釈 9] — 丹後国与(與)謝川の鮭を贄として貢進する荷札の木簡 2
丹後国 鮮鮭御贄 雌腹
〔与謝川ヵ〕
[注釈 9] — 丹後国与(與)謝川の鮭を贄として貢進する荷札の木簡 3

流域では2009年よりサケが目撃されている。野田川では稚魚の放流を行っておらず、東方の由良川では放流しているものの、入口の狭い阿蘇海の内部に稚魚が侵入することは考えにくい。それでも河口の阿蘇海で地元住民が稚魚を確認していることから、サケは上流域で自然孵化している可能性が高い。平成21年台風第9号による浸水被害を受け、取水堰を固定堰から可動堰へ変更したことによってサケが遡上しやすくなったと考えられている。サケは2015年時点における河川改修施工区間のすぐ下流まで遡上し、その付近で産卵していることが確認された[3]

河川改修計画は、2013年の新聞報道[34]で取り上げられたことを契機に見直された。具体的には、床止めを直壁型落差工から緩傾斜落差工へ変更した[注釈 10]。また魚道整備においてはアイスハーバー式を採用した。この方式は床止めに並行する隔壁の一部を非越流部とするものである。遡上するサケが非越流部の裏側で休憩できるほか、越流部の水深を確保でき、サケとともに野田川に生息するコイナマズなどの大型魚類も遡上できる。下流域においてすでに整備されており、サケの遡上が確認された実績を評価して選ばれた。これらの河川改修は2015年時点も完了していない。より上流域の整備によってサケの遡上範囲が拡大するかどうか、確認する必要がある。また改修工事はサケの遡上、産卵、孵化の時期に配慮して行われ、濁水の流下防止策が講じられることとされている[3]

後野地区では例年「川の学校」が開かれている[35]。サケの遡上は地域の住民に見守られている[36][37]

主な支流[編集]

野田川水系の本川と支川[注釈 11]
本川 延長(km) 流域面積(km²)
一次支川
二次支川
野田川 15.5 35.2
山河川 - -
平林川 - -
桜内川 01.2 02.0
滝川 04.4 14.3
温江川 02.4 05.8
加悦奥川 05.1 10.8
奥山川 - -
岩屋川 05.0 12.5
水戸川 01.4 02.0
新川 - -
香河川 04.8 14.4
奥山川 02.8 02.2
合計 42.6 99.2

観測所[編集]

野田川の観測所[38][39]
管理者 観測所名 観測種別 所在地 零点高(T.P.)[注釈 12]
丹後土木事務所 雨量 与謝野町滝小字下河原3223[座標 5] -
寺田橋 水位・流量 与謝野町算所[座標 6] 5.7 m
堂谷橋 雨量・水位・流量 与謝野町下山田小字タイト田 0.2 m

関連項目[編集]

脚注[編集]

座標[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 平成25年度の再評価について(京都府)のPDFファイルに記載されている支流を掲載。河川を管理する機関と河川一覧(PDF、一般財団法人 河川技術者教育振興機構)には「野田川、与謝川」から「家の奥川」まで47本が記載されている。
  2. ^ a b ポイントソースは、流域から流れる汚濁源のうち発生源・移動経路・公共用水域への流入点が明確であるものをいう。ノンポイントソースはこれ以外の汚濁源である。非点源汚濁源(ノンポイントソース)とは(PDF、公益財団法人 日本下水道新技術機構)より。「非特定汚染源負荷」の項目も参照。
  3. ^ ドップラー流速計は、ドップラー効果に基づき、流体に含まれる個体粒子などの流速を測定する計器をいう。超音波流量計の原理(ドップラー式と伝搬時間差方式の違い)(オメガエンジニアリング)より。「レーザドップラー流速計」の項目も参照。
  4. ^ 野田川水系河川整備計画について平成25年度の再評価について(ともに京都府)のPDFファイルに記載されている水害を掲載。
  5. ^ 2017年8月の周年災害(防災情報新聞)には「梅雨前線」と記載されているが、立秋より後の前線は秋雨前線と呼ばれる。昭和26年以降の梅雨入りと梅雨明け(気象庁)によると史上最も遅い梅雨明け(確定値)は8月14日であるが、立秋を過ぎても引き続き前線が居座っている場合、原則として梅雨明けは発表されない。「梅雨」の項目も参照。
  6. ^ 森林の土壌が洪水緩和・水資源貯留・水質浄化の働きをすること。水源涵養機能(林野庁)より。
  7. ^ 流域3町の合併協議会において、野田川地域の上水道の水量について問われた会長太田貴美(当時の野田川町長)は「石川の場合には今まで渇水がございましたので」と述べた。第13回加悦町・岩滝町・野田川町合併協議会 会議録(PDF、加悦町・岩滝町・野田川町合併協議会)より。
  8. ^ 太平洋側のサケの遡上南限は利根川付近であるが、日本海側の南限は諸説あり、侵入生物データベース(国立環境研究所)によると在来分布の南限は佐賀県とされる。
  9. ^ a b c 「 」〔〕は釈文中で用いた記号である。使い方・凡例(奈良文化財研究所 木簡庫)より。また原文は縦書きである。
  10. ^ 床止めは、河床の洗掘を防いで河道を安定させ、河川の形状を維持するために、河川を横断して設ける施設。落差がある床止めを落差工という。直壁型は床止め本体が直立して両側に不連続の高低差があるものをいい、サケの遡上にとって障害となる。緩傾斜型は床止め本体が緩やかな傾斜となり両側を滑らかに結ぶ。河川構造物設計要領 第2編第10章(PDF、国土交通省 中部地方整備局)より。
  11. ^ 支流は平成25年度の再評価について(京都府)のPDFファイルに記載されているものを、延長と流域面積は野田川水系河川整備計画について(京都府)のPDFファイルに記載されている支流のものを掲載。
  12. ^ 水位標の零点高は、水位を観測するための基準となる高さで、本表においては東京湾の平均海面からの高さ(東京湾平均海面または東京湾中等潮位)としている。河川の水位(国土交通省)より。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 野田川水系河川整備計画について”. 京都府. 2018年10月27日閲覧。
  2. ^ 河川を管理する機関と河川一覧 京都府” (PDF). 一般財団法人 河川技術者教育振興機構. 2018年10月10日閲覧。
  3. ^ a b c d シロザケが還る川づくり” (PDF). 京都府 丹後土木事務所. 2018年10月2日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 野田川水系河川整備基本方針” (PDF). 京都府. 2018年10月3日閲覧。
  5. ^ a b c d 平成16年豪雨による土砂災害” (PDF). 日本自然災害学会. 2018年10月10日閲覧。
  6. ^ 歴史と文化”. 天橋立観光協会. 2018年11月1日閲覧。
  7. ^ 天橋立の形成過程について” (PDF). 京都府埋蔵文化財調査研究センター. 2018年10月31日閲覧。
  8. ^ 京都の自然200選”. 京都府. 2018年10月3日閲覧。
  9. ^ 句と絵の世界を行き来した芸術家の彷徨 蕪村の旅”. 西日本旅客鉄道(JR西日本). 2018年10月10日閲覧。
  10. ^ a b 高橋守ほか「恙虫病の新しい流行地京都府北部でのベクター」『Journal of Medical Entomology』第41巻、2003年、108-114頁。 
  11. ^ No.104 京都府北部におけるつつが虫病患者の発生”. 国立保健医療科学院. 2018年10月17日閲覧。
  12. ^ 広報よさの 2016年7月号” (PDF). 与謝野町. 2018年10月24日閲覧。
  13. ^ 京都府野田川下流域における野鼠寄生ツツガムシ種の季節消長” (PDF). 独立行政法人 科学技術振興機構. 2018年10月15日閲覧。
  14. ^ 京都府野田川流域のつつがむし病患者発生地における媒介種の分布構造の変動(2009)”. 科学研究費助成事業データベース(国立情報学研究所). 2018年10月17日閲覧。
  15. ^ 京都府野田川流域のつつがむし病患者発生地における媒介種の分布構造の変動(2010)”. 科学研究費助成事業データベース(国立情報学研究所). 2018年10月17日閲覧。
  16. ^ 大江山ニッケル鉱山各種二次鉱物”. 京都府. 2018年10月14日閲覧。
  17. ^ 水質調査結果” (PDF). 京都府 丹後広域振興局. 2018年10月15日閲覧。
  18. ^ a b うちのまち第9号” (PDF). 与謝野町. 2018年11月3日閲覧。
  19. ^ 主要環境基準地点の水質年次推移グラフ” (PDF). 京都府. 2018年10月15日閲覧。
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  26. ^ 『野田川町誌』野田川町、1969年、335頁。 
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外部リンク[編集]