利用者:㭍月例祭/sandbox/私論/1
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この文書は私論です。一部のウィキペディアンが助言や意見を記したものです。広く共有されている考え方もあれば、少数意見の見解もあります。内容の是非については慎重に検討してください。 |
ウィキペディア内で文書化されているさまざまな方針とガイドライン、さらに草案や私論、井戸端での議論などは、大きく3つぐらいに分類することができます。
実例 | |||
(C) | 厳密な手続きなどを定めたもの。 | Wikipedia:削除の方針#投票資格 Wikipedia:移動依頼などで手続き不備で差し戻される例など。 |
ウィキペディアの中でも特定の場面だけで運用される。 主に手続きなどを事細かく定めている。 解釈の余地は小さいかほとんどない。 機械的に運用されることが期待されている。 |
(B) | 百科事典の指針を定めたもの。 | Wikipedia:検証可能性 Wikipedia:独自研究は載せない Wikipedia:中立的な観点 Wikipedia:出典を明記する Wikipedia:独立記事作成の目安など、多くの文書が該当。 |
ウィキペディア特有のルール。 百科事典ウィキペディアはかくあるべし、を定めている。 事細かに全てを定めるのは労力に見合わないので、基本的な方向性や考え方だけが示されている。 具体的な例示も行われている。 解釈の余地はあり、それをめぐって論争が起きる。 |
(A) | 利用者のマナーなどを文章化したもの。 | Category:利用者の行動のルール Wikipedia:エチケット Wikipedia:合意形成 Wikipedia:善意にとるなど。 |
世の中でも普通に行われていることを明文化したもの。 ウィキペディア特有のものではなく、社会一般での行動規範、道徳、マナーに通じる。 文書の表面的な字義を追うのではなく、基本的な精神を理解し、実践することが期待される。 その精神を実現するのに適うならば、書かれた文章を律儀に守るよりも、融通をきかせてよい。(Wikipedia:雪玉条項/ウィキペディアは規則主義ではありません/Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい) 「社会のマナー」は、時に万人に共通ではない。 |
(X) | 例外的なもの | Wikipedia:存命人物の伝記 Wikipedia:著作権 |
(A)(B)(C)すべての要素を兼ね備えているとともに、「ウィキペディア外」への影響も大きい物。 詳しくは後述。 |
- いずれも「共同作業を円滑に行う」目的を持っていると考えることができます。
- (B)は「用語・手段・目的の共有化」を提供します。ウィキペディアだけで通用します。
- (A)は複数の人が集まって何かをする場合の社会的なマナーです。現実世界では、「遅刻をしない」「身だしなみ」だとかも含まれるでしょうけど、インターネット上ではそういうのはありません。そのかわり、Wikipedia:署名、Wikipedia:多重アカウント、Wikipedia:説明責任などはインターネットならではのものです。
- (A)は、「それがウィキペディア内のルールとして定められているから」守らなければいけないのではなく、当たり前に守るべきことをウィキペディア内でもいくつか文章化している、というものです。いずれにせよその精神は社会のマナーと共通でしょう。
- 「社会のマナー」というものは、どんな社会に属しているかによって個人間の認識の違いが生じます。
リスクは誰のものか
[編集]- これらとはまた別の、例外的なものとして(A2)ないし(X)というのもあります。
- Wikipedia:存命人物の伝記やWikipedia:著作権などです。
- これらは根本的なところで「マナー」であると同時に、マナーを法制化した「法律」にも重大な関連があります。この観点で(A)的です。
- マナーは時として国や文化によっても違いがありますが、インターネット上ではしばしば「どこの国の法律が適用なのか」が問題になる場合があります。ただ、ウィキペディア日本語版に特有の事情としては、「日本語を使う国がほとんど日本だけに限られる」ことから、日本の法律を重要視する必要はあります。(理屈の上では、イタリアやベネズエラの法律は無視して良いということではないですが、現実的にそれらが重大な問題になる可能性は低いでしょう。)
- 権利侵害に伴うリスクは、誰を主体に「リスク」を測るか、考える必要があります。
- (1)ウィキペディアが敗訴した場合のリスク
- (2)ウィキペディアが訴えられるリスク
- (3)ウィキペディアにクレームがくるリスク
- (4)ウィキペディアのせいで嫌な思いをする人のリスク
- 人によっては(1)や(2)あたりを判定基準に置く方もいます。
- しかし私は、本来は(4)であるべきだ、と考えます。Wikipedia:存命人物の伝記は、相手方が存命でなくなってしまえば、(4)に関するリスクは大きく低減する(遺族・関係者などもいるのでたぶんゼロにはならない)よ、ということになります。「自然人」ではないですが、「法人」にも通じる面はあり、現に活動中の法人に関する不名誉記述も慎重に行うべきです。(1)-(3)に関しては、むしろ「自然人」よりも「法人」のほうがウィキペディア側のリスクはいくらか高くなるとさえ考えられます。いまのところ、現実的には、(3)と(2)のあいだで管理者等による対処がなされ、(2)(1)へ進んでいく事例は抑えられているようですが、野放図というわけにもいかないでしょう。
- 実際問題としては(4)から(1)のあいだに線を引くことは不可能で、「相手次第」でもあります。世の中には「こんなことで訴えられるの?」ということもあれば、「こんなことまで許しちゃうんだ」というのもありますから。
- ウィキペディアはインターネット上での検索で上位に来ますし「再利用」も許可していますから、影響力は個人のHP、ブログ、ツイッターより大きいです(たぶん)。なので、ウィキペディア側の損害リスクよりも、相手方を傷つけるリスクを重視し、個人HPやブログよりも慎重で抑制的になるべき、と私は考えています。
- Wikipedia:存命人物の伝記やWikipedia:著作権などは、(A)(B)(C)のすべての要素を含んでおり、とりわけ扱いの難しいルールです。
- それでいて、ウィキペディア日本語版は「サブカルチャー」を中心に存命人物(芸能人)にまつわる編集がめざましく多いという特徴があり、余計に難しくなっています。
(C)厳密な手続き
[編集](B)ウィキペディア特有のルール
[編集]百科事典ウィキペディアはかくあるべし、を定めている。
- 事細かに全てを定めるのは労力に見合わないので、基本的な方向性や考え方だけが示されている。
- そのための手段として、具体的な例示も行われている。
- それゆえに解釈の余地が生じ、それをめぐって論争が起きる。
- 例
(A)利用者のマナー
[編集]世の中でも普通に行われていることを明文化したもの。
- ウィキペディア特有のものではなく、社会一般での行動規範、道徳、マナーに通じる。
- 文書の表面的な字義を追うのではなく、基本的な精神を理解し、実践することが期待される。
- その精神を実現するのに適うならば、書かれた文章を律儀に守るよりも、融通をきかせてよい。(Wikipedia:雪玉条項/ウィキペディアは規則主義ではありません/Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい)
- しかし時として、「社会のマナー」は、万人に共通ではない。
- 例