利用者:中東紛争に詳しい邏さん/sandbox
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タリバンの思想
[編集]アフガニスタンはターリバーンが統治し、政教一致体制をとるイスラム国家である。
憲法
[編集]ターリバーンの復権にともない、米軍侵攻後の2004年に制定された共和国憲法は廃止された。ターリバーンによると、2004年の憲法では、誰もクルアーン、スンナ、ハナフィ法学に従って導き出された文言を引用できず、問題があった[1]。一時はザーヒル・シャー王在位中1964年に制定された憲法を暫定的に施行すると言われていたが、取り消された[2][3]。一連の憲法問題に関して、ハイバトゥラー・アクンザダは「全ての決定はイスラム教のシャリーアに基づいて行われるべきだ」と述べたとされる[4]。2023年現在、ターリバーンは憲法制定に向けた取り組みを行っている[5]。
法律
[編集]シャリーア施行の厳格さは地域毎に差があり、例えばバーミヤンのようなシーア派住民が多数を占める地域については規制が緩い場合がある[6]。
地方政治
[編集]アフガニスタンの地方行政区分は34の州と、市並びに郡からなる。州知事と州副知事は共にアミール・アル=ムウミニーンから任命される。市長や郡知事、警察署長はアミール・アル・ムウミニーンの命令によって選出される。
近代教育
[編集]イスラム国家においては、近代教育よりも宗教教育が優先され、近代教育は宗教教育の中にあるべきである[7]。 なぜなら、宗教は有益な知識と善行に基づいており、有益な知識と善行は至高なるクルアーンに基づいており、虚偽が存在しないことがすべてのイスラム教徒に証明されているからである。
女性教育
[編集]女性教育女性がどのように学ぶか、あるいは教えるかについては議論の余地がある。まず、法的必要性を除いて女性が家を出ることを禁じているという前提がある。信仰の母として名高いサウダ・ビント・ザムア(ムハンマドの妻)を挙げている[8]。
女性は男性からではなく、女性から学ぶ方が好ましい。もしマフラム以外の男性教師から学ぶ必要があるなら、女性と男性教師の間に障壁がなくてはならない[9]。
男女混合
[編集]男女混合が禁止されるべき事は疑いの余地がない上に、創造主がそれらを法制化したのに学校や職場で見られる男女混合は奇妙である(263)。男女混合を提唱する男は、美しい女性を見て楽しむ淫行・不道徳を目的としている[10]
女性の服装
[編集]女性が教育等で外出するときは、非マフラムの男性に身体を見せてはいけないため、合法的な服装(ヒジャブ)でなければならない[9]。合法的な服装とは7つ条件があげられる。①除外された部分を除いてヒジャブで全身を覆わなければならない[11]。②ヒジャブはそれ自体が装飾品であってはならない[12]。ジャーヒリーヤの無知な女性のように自らの美しさを男性にひけらかしてはならない[13]。③身体を覆うものが透明だったり透けたりするものではいけない[14]。④ヒジャブは幅が広く、ボディーラインを露出するようなきついものではならない[15]。⑤外出する際に香水をつけてはならない。美しい服や宝石などと同じで、情欲を刺激することに関係しているからである。例え夫が許可しても、女性が身を飾り外出するのは大きな罪である[16]。⑥男性と似た服を着用しない。男女共に異性を模倣することは神によって禁じられている[17]。⑦不信者の服装を模倣しない。男女共に服装や飲食習慣などで不信者を模倣することはシャリーアによって禁じられている[18]。
以下は勧善懲悪省の法令である[19]。
- イスラム教徒の女性はヒジャブの着用が義務付けられている。
- 衣服で覆われた身体はヒジャブとみなされるが、身体が見える程薄かったり、タイトであってはならない。
- チャドル(ブルカ)はヒジャブの最良の形態である。
- 「ヒジャブ」と呼ばれる黒い服も、きつすぎなければ(ボディーラインが露出しなければ)許容される。
- 幼かったり年老いていない女性は、顔の部分は目の部分を除いて隠さなければならない
- そもそも家から出ないことが、ヒジャブの規定を遵守するという意味において最善である。
ヒジャブは男性から性的な眼差しを避けるもので、着用する女性自身をそのような視線から守るだけでなく、男性が性的な意識を持つことを防ぐ目的もある[20]。
女性の役割
[編集]神は男性とは異なる特性を女性に与えた。神は女性に家事などの女性同士で作業するように仕向けた[21]。
イスラム教徒の支配者と宗教学者には、扇動的な人々が公職に就くのを最大限の禁止をもって阻止する義務がある。なぜなら、彼らはイスラム教徒の道徳を腐敗させ、イスラム教徒の道徳から逸脱しようとする異教徒の影響を受けているからである。かつてクライシュ族の異教徒はクルアーンに反対する手段が残っていなかった際に、彼らはクルアーンを聞くと周囲を煽動し、教えを混乱させ、拍手を送ったり口笛を吹くなど、軽蔑する行為に訴えた。 「そして、これは常にイスラム教の広がりの前にある無知な人々と愚か者もだ。彼らは、女性と男性が混在するオフィスやバーを含め、さまざまな方法で私たちを妨害してきた。」
制度
[編集]政治体制はイスラム国家。最高指導者(アミール・アル=ムウミニーン)のもと、指導者評議会(ラーバリシュラ)の合議によって意思決定が下される。
主な慣習
[編集]・おもてなし
どのような訪問者に対しても、見返りを求めずにもてなしと深い敬意を示す。
・聖域の提供
「敵から追われている者を、自らの命を懸けて助けよ」という2千年以上続く掟がパシュトゥーン人にはある。たとえ敵から追われている者がどんな人物でも、多大な犠牲を払ってでも保護し、状況が良くなるまで避難所に留めるという。
実例として、ターリバーン政権はこの掟に基づいて、当時アフガニスタンに亡命していた911テロの容疑者であるウサーマ・ビン・ラーディンに対するアメリカ政府の引渡し要求を拒否し、アメリカによるアフガニスタン侵攻に対して徹底抗戦した。この際、ムハンマド・オマル師は「私は客人(ビン・ラーディン)を裏切った人物として歴史に名を残したくない。私自身の人生と政権を喜んで客人のために捧げる。私達(ターリバーン政権)は客人に避難所を与えたので、裏切る訳にはいかない。」といった趣旨の発言した。
また、ネイビー・シールズ史上最大の悲劇といわれるレッド・ウィング作戦においてただ一人奇跡の生還を果たした元隊員マーカス・ラトレル一等兵曹は、異教徒という立場ながら現地のパシュトゥーン人によって匿われたのち、6日後に米軍に救出された。
・正義と復讐
正義の追求と、悪人に対する復讐。
・勇気(トゥラ)
自らの家屋・土地・財産を侵略から守らなければならない。
・信義
家族・友人・同じ部族民に信義を尽くす。・仲裁(ジルガ)
宗教指導者・名士・調停人らが参加する集会。部族間の紛争の仲裁や、中央政府の意向と地元民の要望の折衷など。
・信仰
アッラーに対する信仰。
・尊厳
パシュトゥーン人は命と財産よりも誇りを重んじている。他人に対する尊重も重視されている。
・女性の名誉(ナムス)
いかなる犠牲を払ってでも妻や娘の貞操を守ることは、女性自身、さらには家族の名誉を守ることに繋がる。
他国主力戦車との比較
[編集]10式戦車 | 90式戦車 | 99A式 | 96B式 | T-72B | T-80U | M1A2 Abrams | Leopard 2A6 | Leclerc | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全長(車体長) | 9.88m(6.88m) | |||||||||||||
全幅 | 3.78m | |||||||||||||
重量(全備重量) | ||||||||||||||
主砲(装填方式) | ||||||||||||||
主砲弾 | JM33 | |||||||||||||
副武装 | ||||||||||||||
装甲方式 | モジュール式(複合装甲・爆発反応装甲) | 複合装甲 | 複合装甲+爆発反応装甲 | 複合装甲+爆発反応装甲 | 複合装甲+爆発反応装甲 | 複合装甲 | 複合装甲 | モジュール式(複合装甲) | ||||||
耐弾能力 | ||||||||||||||
エンジン | ||||||||||||||
馬力(出力重量比) | ||||||||||||||
最大速度 | ||||||||||||||
採用年 | 開発形態 | 全長 | 車体長 | 全幅 | 全高 | 重量 | 主砲 | 最大貫徹力 | 装填方式 | 最大
発射速度 |
装甲 | 耐弾能力(APFSDS) | 馬力 | 出力重量比 | 最大速度 | 生産数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
10式戦車 | 2010年 | 新規 | 9.42m | 7.4m | 3.24m | 2.3m | 44± | 44口径120mm滑腔砲 | 距離2000m:548mm(10式) | 自動 | 毎分20発 | 外装式モジュール装甲(複合装甲・爆発反応装甲) | 120mmAPSFDS | 1200hp | 27hp/t | 70km/h
(前進・後退) |
117輌 |
90式戦車 | 1990年 | 新規 | 9.8m | 7.55m | 3.4m | 2.3m | 50t | 44口径120mm滑腔砲 | 距離0m:540 mm(JM33)
距離2000m:460mm(JM33) |
自動 | 毎分15発 | 内装式モジュール装甲(複合装甲) | 120mmAPSFDS | 1,500hp | 30hp/t | 70km/h
(後退50km/h) |
341輌 |
99A式 | 新規 | 11m | n/a | 3.7m | 2.35m | 55t | 50口径125mm滑腔砲 | 自動 | n/a | 複合装甲+爆発反応装甲 | 700-800mm?? | 1,500hp | 27hp/t | 80km/h | 1200輌以上(99式各型合計) | ||
96B式 | 新規 | 10.65m | 6.33m | 3.3m | 2.3m | 42.5t | 50口径125mm滑腔砲 | 自動 | n/a | 複合装甲+爆発反応装甲 | 700〜750mm?? | 1000hp | 23hp/t | 74km/h | 2500輌以上(96式各型合計) | ||
T-14 | 新規 | 10.8m | 8.7m | 3.9m | 2.7m | 55t | 56口径125mm滑腔砲 | 自動 | 不明 | 不明 | 1500-2000hp | 31hp/t | 80-90km/h | ||||
T-90A | 2005年 | 改修 | 9.53m | 6.86m | 3.78m | 2.23m | 46.5t | 55口径125mm滑腔砲 | 距離2000m:740mm(3VBM22) | 自動 | 毎分8発 | 複合装甲+爆発反応装甲 | 正面要部:800mm(T-90、推測) | 1130hp | 24hp/t | 65km/h(後退4km/h) | 1660輌以上(T-90各型合計、、ロシアでは約370輌が現役・約200輌保管中) |
T-72B3 | 改修 | 9.53m | 6.86m | 3.59m | 2.2m | 46t | 48口径125mm滑腔砲 | 距離2000m:740mm(3VBM22) | 自動 | 毎分4-6発 | 複合装甲+爆発反応装甲 | 1130hp | 24hp/t | 75km/h | 20000輌以上(T-72各型合計、ロシアでは約2000輌が現役・約7000輌保管中) | ||
T-80U | 1985年 | 改修 | 9.65m | 6.9m | 3.58m | 2.2m | 46t | 48口径125mm滑腔砲 | 距離2000m:740mm(3VBM22) | 自動 | 毎分4-8発 | 複合装甲+爆発反応装甲 | 砲塔正面:690〜700mm(推測)
砲塔正面の75%が460mm以上、50%が610mm以上(実際) |
1250hp | 27hp/t | 70km/h(後退11km/h)[22] | 5500輌以上(T-80各型合計、、ロシアでは約450輌が現役・約3000輌保管中) |
M1A2 Abrams | 改修 | 9.83m | 7.92m | 3.69m | 2.37m | 62.1t | 44口径120mm滑腔砲 | 手動 | 毎分6発 | 複合装甲(劣化ウラン含)+増加装甲 | 砲塔正面:600mm以上
車体正面:350mm |
1500hp | 24hp/t | 0km/h
(後退0km/h) |
10000輌以上(M1各型合計、、米国では約1000輌が現役・約7000輌保管中) | ||
Challenger 2 | 新規 | 11.55m | 8.3m | 3.52m | 3.04m | 68.9t | 55口径120mmライフル砲 | 手動 | 毎分6発 | 複合装甲+爆発反応装甲 | 砲塔正面:800mm(推測) | 1200hp | 18hp/t | 59km/h | (Challenger 2各型合計) | ||
Leopard 2A6 | 改修 | 10.97m | 7.66m | 3.75m | 3m | 62.3t | 55口径120mm滑腔砲 | 距離2000m:810mm(DM53) | 手動 | 毎分6発 | 複合装甲 | 砲塔正面:817mm
車体正面:670mm |
1479hp | 23hp/t | 0km/h
(後退0km/h) |
3600輌以上(Leopard 2各型合計) | |
Leclerc XXI | 新規 | 9.87m | 6.88m | 3.71m | 2.53m | 57.4 t | 52口径120mm滑腔砲 | 自動 | 毎分10発 | モジュール式(複合装甲) | 砲塔正面:470mm以上(初期モデル) | 1500hp | 26hp/t | 71km/h
(後退0km/h) |
862輌(Leclerc各型合計) | ||
Merkava mk4 | 新規 | 9.04m | 3.92m | 2.66m | 65t | 44口径120mm滑腔砲 | 手動 | 毎分6発 | 1500hp | 23hp/t | 64km/h | (Merkava各型合計) |
対外関係
[編集]主権国家
[編集]日本
[編集]2001年
2008年、ペシャワール会の日本人会員が身代金を目的とするパキスタン系のターリバーン戦闘員に拉致され死亡する、アフガニスタン日本人拉致事件が発生した。当初ターリバーンは当事件に対して情報を持っていないとしたが[23]、後に犯行を認める声明を出した。アフガニスタン国家保安局によると犯人はパキスタンの過激派組織に雇われており、政治的不安感を生み出し、援助プロジェクトの成功を阻止することを目的としていた[24]。
パキスタン
[編集]ターリバーンは1996年の政権樹立前からパキスタンから支援を受けており、米軍侵攻後はターリバーン高官が潜伏していたパキスタンで当局に逮捕されるなどの事件はあったものの友好関係にあるとされる。
パキスタン軍にとり、敵対するインドとの対抗上、アフガニスタンに親パキスタン政権を据え、「戦略的な深み」を得ることは死活的な課題であった[25]。そして「親パキスタン政権」とは、民族的にはアフガニスタンとパキスタンにまたがって存在するパシュトゥン人主体の政権であり、かつ、パシュトゥン民族独立運動につながることを阻止する必要から、イスラム主義を信奉する勢力でなければならなかったという[26]。このためそうした要件を満たすターリバーンはパキスタンの全面的な支援を得て支配地域を拡大していった。 アフガニスタンにパキスタンの傀儡政権が成立することは、中央アジアにおける貿易やアフガニスタン経由のパイプラインを独占するという思惑、またインドとのカシミール紛争で利用するイスラム過激派をパキスタン国外で匿うという目論みにも好都合であった。特にISI長官を務めたハミド・グルと深く関わり、アメリカが支援を絶った以後も、ISIから援助をもらっていたという[27]。
1997年にターリバーン軍がマザーリシャリーフの攻略に失敗し、その主力を一挙に喪失してからはISIはより直接的な関与を深めた。2000年の第二次タロカン攻略戦ではパキスタン正規軍の少なくとも二個旅団以上及び航空機パイロットがターリバーン軍を偽装して戦闘加入したとされている。このため2000年12月にはコフィー・アナン国連事務総長がパキスタンを非難する事態となった。
米軍侵攻後、ターリバーン指導部の大半はパキスタンに身を隠し、クェッタ・シューラと呼ばる指導部を再編成し国境越しにアフガニスタンでの反撃作戦を指揮していたとされる[28]。
デュアランド・ラインと呼ばれるアフガニスタン-パキスタン間の国境は両国の政府の管理が及ばない地域が多く、政府の管理なしに不特定多数の人々が制限を受けることなく国境間を自由に行き来できた。当該国境はターリバーンの主要民族であるパシュトゥーン人(アフガン人)の居住地帯を跨いでいる。デュアランド・ラインを跨いでパキスタン側のパシュトゥーン人居住地域にはトライバルエリアが広がっており、その地に居留するターリバーン司令官らがマドラサを通じてアフガン人のターリバーン戦闘員の採用していた[29]。トライバル・エリアではパキスタンの憲法上の規定から同国の法律は運用されておらず、また、中央・地方政府の実権が及ばない地域が多かった事からパキスタン政府はターリバーン関係者を追跡しきれなかったと言われている。民族分断や歴史問題を孕むデュアランド・ラインを巡ってはアフガニスタンとパキスタンとの間で長年国境紛争になっている。ターリバーン政権の最高指導者オマル師はパキスタンの政治家からデュアランド・ラインを受け入れたか否かを聞かれた際に憤慨したと伝えられている[30]。
アメリカ
[編集]ターリバーンは創設当初、軍事面および資金面でパキスタン軍の諜報機関であるISI(軍統合情報局)を通してCIAの支援を受けていた。また、強力で安定的な政権は中央アジア安定化につながるとして、アメリカ合衆国の支持を得ていた時期があった。当時のアメリカの石油会社ユノカルが中央アジアの石油・天然ガスをアフガニスタンを経由したパイプラインでインド洋に輸送することを計画していたが、これはロシアやイランを避けるルートを取っており、米国政府としては好都合であり、このパイプライン建設計画を支持した。このパイプライン計画実現のためにはアフガニスタンの安定が前提条件であり、米国はターリバーンによるアフガニスタン支配に関心を示した[31]。アメリカ合衆国議会関係者やアメリカ合衆国国務省関係者が和平の仲介を行おうとしたが、和平は成立しなかった。1996年9月にターリバーンが首都カーブルを制圧し、ナジブラ元大統領を処刑した際、アメリカ国務省の報道官はターリバーンの行為を非難せず、むしろターリバーンによる安定化への期待を示すなどアメリカ政府のターリバーン寄りの姿勢を示した[32]。しかし、ターリバーンによる人権侵害、特に女性の扱いに世界が注目するようになり、米国もターリバーンへの姿勢を変化させていった。1997年11月にはマデレーン・オルブライト国務長官がターリバーンの人権侵害を批判し、米国のターリバーンへの反対姿勢を明確にした。1998年8月にケニアとタンザニアのアメリカ大使館爆破テロ事件が発生すると、アメリカは人権問題以上にテロの観点からターリバーンへの敵対姿勢を強めていった[33]。
ロシア
[編集]中国
[編集]アメリカが国際連合にターリバーンの親玉とされるパキスタン軍統合情報局長官ハミド・グルのテロリスト指定を迫った際はパキスタンの友好国として中華人民共和国が拒否権を行使している[34][35]。
インド
[編集]1999年12月、カシミールの独立を目指すイスラム過激派によりインド航空機がハイジャックされ、ターリバーンの本拠地だったアフガニスタンのカンダハールで着陸し、ハイジャックされた飛行機の乗客乗員155人を人質に立てこもる事件があった(インディアン航空814便ハイジャック事件)。その際に、ムタワッキル外相などターリバーン政権幹部の仲介により、インド当局が獄中にいるイスラム過激派(カシミール独立派)の幹部3人を釈放する代わりに乗員155人が解放された。国際的に孤立を深めるタリバン政権が、テロリストの釈放と引き換えにとはいえ、周辺国と連携して人質解放に尽力したことで、日本国内でも、国際社会もターリバーン政権をイスラム原理主義勢力として単純に敵視するのではなく、歩み寄りを行ってもよいのではないかとする論調があった[36]。また、これにはイスラム過激派支援集団とみなされていたタリバーン側の国際社会での汚名返上の思惑もあった。
サウジアラビア
[編集]1990年代半ばにはサウジアラビアはパキスタンを通じてターリバーンに資金援助を行っており[37]、アフガニスタンの安定化に対するターリバーンへの期待は高かった。1979年から2001年までサウジアラビア総合情報庁の長官だったトゥルキ・ビン・ファイサル・アル・サウド王子は、オマル師との対談でオマル師から「サウジアラビアはビンラーディンと話し合うべきであり、彼と戦うのではなく帝国主義者と戦うべきだ」とアメリカとの対決を迫られ、ファハド国王とアブドラ皇太子にサウジアラビアはターリバーンと断交するべきだと忠告した[38]。ターリバーン政権の崩壊後は、サウジアラビア内からターリバーンに対して多額の寄付を行うイスラム主義者の存在が明らかになっており、国連から制裁を受けているターリバーン構成員の資金洗浄場所となった[39]。サウジアラビアはこれらの対応に消極的だった[40]。
宗教面に関する論争については、サウジアラビアのイスラーム法解釈の主流であるハンバル学派に属するワッハーブ派は、ターリバーンのイデオロギーであるハナフィ―学派に属するデーオバンド派をサラフィーにスーフィズムを融合させたものであると批判している[41]。
イラン
[編集]シーア派イスラム神権国家のイランは、スンナ派のターリバーンと敵対関係にあった。一方で2000年に入るとオマル師は対イラン関係を改善しようとしていた[42]。
2007年と2011年にアフガニスタンに駐留していた多国籍軍は、イランのターリバーンに対する武器輸送を傍受した[43]。2012年にイランは同国東部のアフガニスタン国境沿いにあるザーヘダンにターリバーン事務所の開設を許可した[44]。2010年代、副指導者のマンスール師はイランとの関係改善に努め、マンスール師自身がイランを訪問した[45]。2015年、ISKPのシーア派殺害に対してターリバーンは「分断・差別・不寛容を生じさせる」として批判を行った[46]。
2020年1月、バグダード国際空港攻撃事件でイスラム革命防衛隊の特殊部隊「ゴドス軍」の最高司令官ガーセム・ソレイマーニーがアメリカに暗殺された際に、ターリバーンは「私たちは神に、この偉大な戦士に楽園を与え、彼の家族に忍耐を授けるように求めます」と声明で発表した。スンナ派イスラム主義組織がシーア派の要人に対して哀悼の意を表明するのは極めて異例である。
イランはターリバーンに対して親和的になったと考えられてきたが、2021年8月15日のカーブル陥落以後、イランは在アフガニスタン大使館と領事館を閉鎖し、今日に至るまでアフガニスタンのターリバーン政権を国家として承認していない。
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- ^ アブドゥル・ハキム・イシャクザイ『الإمارة الإسلامية ومنظومتها』ダルル・ウルーム・アル・シャリーア、2022年4月、255頁。
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- ^ アブドゥル・ハキム・イシャクザイ『الإمارة الإسلامية ومنظومتها』ダルル・ウルーム・アル・シャリーア、2022年4月、258頁。
- ^ アブドゥル・ハキム・イシャクザイ『الإمارة الإسلامية ومنظومتها』ダルル・ウルーム・アル・シャリーア、2022年4月、258頁。
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