利用者:古鳥羽護/私家版フィギュア萌え族草稿

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フィギュア萌え族( - もえぞく)とは、大谷昭宏奈良小1女児殺害事件の犯人像を「オタク」だと予想した際に作成した造語であり、また、それに関連する発言の事である。厳密には「フィギュア萌え族」(仮)

大谷は単に「萌え族」という表現もしており、造語のセンスの悪さも相まって、矛先を向けられた筈のオタクたちからの失笑を買っている。

また、ネット上には自らを自虐的に「○○萌え族」と称したり、相手を揶揄する目的で「○○萌え族」と呼んだりする用法が生じた。

概要[編集]

2004年11月17日に発生した奈良小1女児殺害事件に関する報道の初期から、大谷は犯人をアニメ恋愛ゲームに没頭するフィギュアおたくであると想像し、「『フィギュア萌え族』(仮)」という言葉を作って、ワイドショースポーツ新聞などでの発言を続けた。大谷は犯行の動機を、「少女をフィギュア化して犯人の支配欲や所有欲を満たす為」という様に推理したのである。2004年12月30日、被疑者が逮捕され、被疑者が小児性犯罪の前科を持っており充分に更生していなかった事、またフィギュアはおろか成人向け恋愛ゲームに必要なパソコンすら所持していない事が判明し、大谷の想像が誤りである事が判明した。

しかし、大谷は自説を曲げず、自分への批判者を激しく非難し、オタク趣味と事件を関連付ける様な報道を続けた。つまり大谷は、事件を契機に浮上した「日本版ミーガン法」の導入に反対し、その代案として大谷が言うところの「児童ポルノ」である「萌え」を具体化したフィギュアやアニメやゲームを規制するべきだと考えている事になる。

この様な発言は2005年7月28日まで続いたが、8月に入って事件の被告の担当弁護士が大谷の恩師である黒田清の本を被告に読ませて反省を促した事を知って、一時的に発言をやめていた。後に発生した、広島小1女児殺害事件栃木小1女児殺害事件を受けて、大谷は発言を再開し、大谷を含む一部のコメンテーターが、「子供の安全」を論じる際に、一連の女児殺害事件とオタク趣味を関連付ける様な発言を行う様になった。この様に、この発言が残したものはコメンテーターたちの憶測や感情論に基づく「言いっ放し」を容認してしまうメディアの無責任な体質である。

発言の背景となった大谷のオタク観[編集]

大谷はオタクについて必ずしも無知という訳ではない。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件で広まったネガティブなイメージの影響を受けている事は確かであるが、自らが漫画原作者として活動していた事もあり、その後ポップカルチャーとして隆盛していったオタク文化についても充分認識はしている。問題は、それにも拘らず奈良小1女児殺害事件との安易な結びつけを行った事である。

実際の事件を基にした漫画作品での言及[編集]

大谷は、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が未解決なまま続いていた1988年の11月に、原作を務めたフィクションの漫画『獅子のごとく』 にて、警察官である主人公の正義感の強さを示すエピソードの中で、少女への性犯罪を描いている。この話では犯人が大学の助教授という事になっているので、彼は東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人像をその様に想像していたのかも知れない。なお、この話では犯人が少女をかどわかす為に、「カコちゃん人形」という「リカちゃん」をもじったフィギュアを用いている。

その後大谷は、漫画『こちら大阪社会部』にて2件の性的殺人事件の犯人像をストーカー的な意味合いで「オタクっぽい奴」等と表現している。その内1993年に発表された1件は、1976年に発生し、大谷が懸命に取材した未解決事件「シーヤリング工場羽衣女子寮OL殺人事件」をアレンジしたものである。実際の事件と同様に、漫画の中でも事件は未解決である。漫画自体はフィクションなので問題はないが、ここでも犯人像を想像で決め付けている事が分かる。

恋愛ゲームに関する言及[編集]

1997年に、大谷は漫画『こちら社会部』の中で、『バーチャルアイドル編』と題して、「同級生」や「ときめきメモリアル」を模したと思われる恋愛ゲームのマニアが、ヒロインを演じている声優を拉致し、ヒロインの攻略条件に近い状況に監禁するという架空の事件を書いている。つまり、犯人がそうする事でその声優が自分の事を好きになると思い込んで犯行に及んだという筋立てなのである。いわゆる「ヴァーチャルリアリティー」や「擬似恋愛」を批判的に描いたストーリーではあったが、ゲーム自体については典型的な恋愛ゲームを概ね正確に描いており、この時点では大谷が一通りの取材をした上で批判していることが見て取れる。

しかも、作中での大谷の分身でもある主人公の谷一平は、職場のパソコンでこのゲームに夢中になっているのだ。主人公の同僚の中には、このゲームの攻略法に詳しい者たちも居て、主人公は「ふーん、君らも結構オタクだね」と関心を示すのである。つまり大谷は、プレイヤーの選択に応じて恋の相手や結末が変化する、恋愛ゲームの面白みについては充分に理解を示した上で、ゲームに没頭する若者たちを批判していた事になる。

ただし、大谷は声優に対する人気とキャラクターに対する人気を、意図的に混同してしまっている。作中では、演じているキャラクターに対する人気を声優が「自分の人気ではない」と感じている描写があるが、現実は逆であろう。また、作中の犯罪者が、キャラクターに入れ込んでいるにも拘らず、それを演じている声優に対してストーキングや拉致・監禁行為を行っているが、現実の恋愛ゲームのファンのキャラクターに対する恋慕の情が、それを演じている声優に強く向いてしまうというのは考え難い。実在しないキャラクターに対する「叶わぬ恋」こそが、「萌え」の一側面なのである。(「侘び」や「寂び」と並べられる理由はそこにある。)

後の「フィギュア萌え族」(仮)発言の際には、「少女に無垢であってほしいのなら『キスしたい』という呼びかけに『ワタシ、男の人とキスしたことがないから、どうしていいのかわからない』と答えさせ、その答えに満足するのだ」と、あたかもゲームが少女への支配欲を満たす為だけのものであるかの様に述べている。そして、ゲームのキャラクターがフィギュアとして商品化されている事を理由に、奈良小1女児殺害事件との関連付けを行った。この変節ぶりからも「フィギュア萌え族」(仮)発言には悪意がある事が読み取れる。

また、奈良小1女児殺害事件の発生時点では、大谷の批判はゲームの中の「擬似恋愛」に対するものであった。しかし、事件解決後の市井からの批判に大谷が再反論した際には、大谷はゲームの性表現に矛先を向けて、それを「児童ポルノ」だとして非難している。ここにも論点のすり替えが見られる。

事件直前の番組でのオタク特集[編集]

この様に、大谷のオタク観にブレが生じてきたのは、1989年に容疑者が逮捕された東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件以来一部にある「犯罪者予備群」としての「オタク像」に大谷が振り回されているからなのかもしれない。しかし、大谷がメインコメンテーターとしてレギュラー出演している東海テレビスーパーサタデー」では、事件直前の2004年11月13日に『ゲームの美少女に恋・・・ 擬似恋愛に熱中する若者たち』と題して、「オタク経済学者」としても知られている森永卓郎の解説で、いわゆる「萌え産業」の産業規模が1兆円であることを特集している。(番組の公式サイトに放送履歴がある。)

特集が事件の直前だったので、大谷は「萌え」というキーワードを単に連想しただけなのかもしれない。しかし、大谷がオタクに対する知識不足や勘違いから「萌え」と「児童ポルノ」を混同し、奈良小1女児殺害事件と関連付けたわけではないのは、この特集内容からも明らかである。

「フィギュア萌え族」(仮)という造語への失笑[編集]

大谷の発言に対する反発は、何もシリアスなものばかりではなかった。『「フィギュア萌え族」(仮)』という造語それ自体の不完全さや収まりの悪さが、矛先を向けられた筈のオタクたちの失笑を買い、インターネット界隈での話題性に繋がった事も指摘されている。大谷がこの語を作った時には「萌え」という単語の用法を間違えていたという事もあるが、「フィギュア」に対する「萌え」について「フィギュア萌え」と呼称する所までは正しいのに、それに「太陽族」や「竹の子族」等の古い若者集団を示す「」という語を付加してステレオタイプ化している点がおかしい(「おたく族」という表現がマスメディアがオタクを取り上げ始めた時期に使われていた事もあるので、元新聞記者らしいとも言える。また、大谷は単に「萌え族」とも表現している)。さらに、自分の造語であるにも拘らず、あたかも自然発生した言葉であるかの様に「いわゆる」的なニュアンスを持つかぎ括弧(「」)で囲み、その上で自信なさ気に「(仮)」を付けている事が失笑を買った原因であろう。しかも、大谷は事件の犯行の手口から大した根拠もなく「フィギュア」を持ち出しているのに、オタクに対する非難は「アダルトコンテンツ」や「擬似恋愛」について行っている。こうした論理の飛躍が大谷の振る舞いを「電波系」のものに見せている事も指摘できよう。確かに大谷の言説そのものは、当のオタクにとっては不愉快なものである。それにも拘らず、「オタキング」の異名を持ち自らも大谷を批判している岡田斗司夫が第4回日本オタク大賞で「岡田斗司夫賞」を贈った背景には、「オタク」や「萌え」が、当のオタクにとっても半ば自嘲的に用いられてきた事と、大谷の時代感覚のおかしさや電波系ぶりに対する失笑があったと思われる。

なお、『「フィギュア萌え族」(仮)』をきっかけにして、インターネット上では、オタクが自嘲的に自らを「○○萌え族」と称したり、特定の政治家や言論人・政治思想などを応援する者たちを、それに反対する立場の者が「○○萌え族」と揶揄したりする現象が見られる様になった。

大谷がフィギュアを取り上げた背景[編集]

実際には大谷の主張はフィギュアに対してだけではなく、アニメや漫画やゲームの規制にも及んでいる。むしろ、主張の中でフィギュアを持ち出しているのは、キャラクターがフィギュアとして商品化されているアダルトアニメや漫画、恋愛ゲームを批判する為である。被害者が「モノ扱い」された凄惨な事件と関連付ける為には、フィギュアすなわち「人形」が丁度良かったのだと思われる。大谷は被疑者逮捕後には、「極端な形のフィギュア」「一部の変なフィギュア」等と表現を変えており、被疑者から押収された手製のダッチワイフについて「フィギュアが出てきたじゃないか!」と主張している。

有害コミック騒動の流れ[編集]

大谷の主張が実際の被疑者の趣味とは無関係に繰り返された事から考えても、大谷が被疑者のみを非難していると捉える事はできない。この事から、大谷の主張は有害コミック騒動における「有害コミック規制論」の流れを汲んだものだと考える事ができる。よって、これへの賛否の構造も、有害コミック騒動に準じると言えよう。

高崎小1女児殺害事件の報道[編集]

大谷がフィギュアを取り上げた背景には、2004年3月11日に発生した高崎小1女児殺害事件(被害者と同じマンションに住む顔見知りの男性を直ちに逮捕。2005年12月に無期懲役刑が確定)の被告が「フィギュアおたく」だと報じられている事もある。ただ、この事件と奈良小1女児殺害事件との共通点は被害者が小学1年生の女児である点と、犯行が性的な動機によるものとされている点だけである。2004年11月の時点では、この事件の被告の心理鑑定が始まったばかりであり、フィギュアを所有していたという事実以上の事は憶測でしかない。

大谷が主張した犯行の動機[編集]

大谷は「犯人は少女をフィギュア化して性的支配欲や所有欲を満たす為に殺害した」と主張した。

後に精神科医の斎藤環が行った反証と共に、大谷の主張を検証してみる。斎藤が認めている様に、アニメ等のキャラクターのフィギュアには、ファンにとってはそのキャラクターを立体化する事によって所有欲を満たすという意味がある。そして、奈良小1女児殺害事件は大谷自身が主張したように、「識」(顔見知り)による怨恨からの犯行ではなく、異常性愛者による「流し」(行きずり)の犯行とされている。(後に大谷は、同事件に関して怨恨説を唱えた者たちを非難している。異常性愛者による「流し」の犯行であったという点では、大谷の事件記者としての経験が活かされた事になる。)

大谷は一連の発言の中で「萌え」の性的側面を「事件の遠因」として批判している。勿論、行きずりで誘拐した少女を殺害する行為が「犯人の性的支配欲や所有欲を満たすために行われた」と言う説を立てる事はできる。

しかし、その様な欲望と「フィギュア」や「萌え」を関連付ける事はできない。斎藤の反証に添って考えるならば、「行きずりで誘拐した少女」が「好きなキャラクター」の代替になり得るのかという点と、「人間を殺害して人形化する行為」が「絵に描かれたものを立体化して手に取る行為」の延長線上に来るのかという点で、大谷の説には重大な疑問が生じる。

大谷が主張した被疑者の人間像[編集]

被疑者逮捕後、大谷は押収された手製のダッチワイフを指して、犯人の人間像において自説は正しかったと主張した。起訴され被告となった被疑者自身も、第3回公判の中で少女の遺体を「傷ついた壊れたおもちゃとしか思わなかった」と供述している。これらは確かに、大谷が主張した「モノ扱い」という説を裏付けている。

しかし、同時に被告は「殺害は事件発覚を恐れて発作的に行った」と、計画性を否定する供述を行ったのである。この点では「フィギュア化」が目的では無かった事になる。また、公判の争点は「計画性」それ自体の有無であり、「殺害の目的」ではない。

確かに斎藤は「萌え」を深く洞察すれば性欲について語る事は避けられないと主張している。しかし同時に、欲望の代替物であるダッチワイフが持つ意味と、それ自体を愛着の対象とするフィギュアが持つ意味は大きく異なるとも主張している。この点で、実際の被疑者の人間像に関わり無く、「殺害してフィギュア化する事を目的とした」という大谷の説は説得力を欠く事になる。

この様な批判を受けたにも拘らず、大谷は後に奈良と高崎の小1女児殺害事件を「フィギュアとか異常な幼児性愛」という表現で関連付けた。結局大谷は、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件以来一部にある「犯罪者予備群」としての「オタク像」に基づき、被害者の扱われ方が「モノ扱い」である事に着想し、高崎小1女児殺害事件被告のフィギュア趣味に関連付けて、奈良小1女児殺害事件の犯人像を「フィギュア萌え族」(仮)と「プロファイリング」したに過ぎない。この事については、小児性犯罪の加害者像が多様である事を無視した行為であるとの批判がある。

発言の経緯と発言への批判[編集]

被疑者逮捕前の経緯[編集]

奈良小1女児殺害事件が発生した直後の2004年11月19日、大谷は事件の第一報を伝える日刊スポーツの記事に、犯人からのメールの文言「娘をもらった」が「モノ扱い」した表現である事を根拠に、犯人が女児を人形化する為に殺害したと推理し、「人間的感情持たぬフィギュア世代の犯行か」とのコメントを付けた。

そして、2004年11月22日、朝日放送制作のワイドショー、「おはようコールABC」で彼は奈良小1女児殺害事件の犯人を、「いわゆるロリコンではなく、『フィギュア萌え族』(仮)」と主張した。

また翌日の日刊スポーツ・大阪エリア版の連載コラム「フラッシュアップ」では『対話も感情もない「萌え」のむなしさ』(11月23日)を掲載、この中で生身の人間ではなく恋愛ゲームやアニメ等の二次元の(すなわち絵の)少女しか愛せないパソコンオタクや、秋葉原系フィギュアマニアを事件の犯人像として提示した。同日のスーパーモーニングに電話出演した際、大谷は犯人像を「萌えの人」と表現した。また「『私はこれに萌えしてる』などと言う風に使います。」という解説をしたが、これは「萌え」という単語の用法として誤っている。そして一連の発言の中で大谷は、犯人が女児の遺体を傷つけた事について「フィギュアおたくの非常に特徴的なところ」とまでコメントした。

これらに対しインターネット上の電子掲示板ブログが中心になって、大谷が憶測のみで事件とは関係ないフィギュアや萌えを事件に結びつける発言をしたとの批判を行った。

しかし、大谷が出演している報道番組では、事件に関連してフィギュアの販売店(ボークスと思われる)のボカシ入り映像を織り込んだ報道が継続して行われたのである。

被疑者逮捕後の経緯[編集]

結局、2004年12月30日早朝に逮捕された被疑者は、フィギュアなどの趣味を持っていなかった。それにもかかわらず、逮捕直後から大谷は「私は最初からフィギュアオタク的なロリコンが犯人だと言ってきた」と主張を巧妙に変化させて、報道の過誤を認める事をしなかった。それどころか、大谷は被疑者逮捕を報ずる報道特別番組において、捜査情報とは無関係に「被疑者はフィギュア的なオタク」というコメントをしたのである。このためインターネットを中心とした批判が更に高まる事になった。

その後、大谷は2005年1月4日、コラムの続編となる『趣味と犯罪の境界 社会が決めるべき』で、こうした批判に反論した。しかしこれに対しても「プロファイリングは実際には外しているのに、あたかも的中したかのように書いている」など、さらに批判する声もある。

勿論、被疑者の特徴が東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件と共通するという指摘もある。だからと言って、被疑者を「フィギュアオタク的」という事はできない。この様に、湧き上がった批判を「オタクの定義に関わる水掛け論」と見る向きもある。しかし前述した様に、大谷自身が最近のオタク事情について無知ではないことが分かっているため、大谷に真意を問う者が出てくるのは当然であろう。

2005年1月8日、「第4回日本オタク大賞」で「フィギュア萌え族」(仮)が皮肉を込めて岡田斗司夫賞に選ばれた。因みに大谷自身をモデルとした「大谷昭子たん」なる萌えキャラがインターネット上で製作・発表された事もあるが、これも「褒め殺し」ならぬ「萌え殺し」であり、皮肉とユーモアに富んだ風刺である。

2005年1月13日、大谷は朝日放送のワイドショー「ムーブ!」で、「服役している性犯罪者にロリコン雑誌が差し入れられている」という話題について、自分を批判したり公開質問状を送ったりした者たちと服役囚を同一視する発言を行い、「日本の社会は、グダグダ言ってきてるアホたちをそういう所に放り込んで性欲減退の処置を取れる!」と糾弾した。この発言は日本が罪刑法定主義を採用している法治国家である事を無視した不適切なものだが、一切訂正されていない。また放送法第3条の2に抵触している疑いもある。この為、「大谷の論は単なるヘイトスピーチではないのか?」と批判されても仕方がない処である。

雑誌メディアによる批判[編集]

2005年1月25日に発売された扶桑社の週刊SPA!2月1日号が『誤解と偏見の「オタク迫害」に異議アリ!』という特集を組んでこの問題を取り上げた。

この中で社会民主党衆議院議員(記事掲載当時。この後、2005年9月の総選挙で当選し議員に復帰)の保坂展人は、教育ジャーナリストとして、被疑者逮捕前に予断で犯人像について騒ぎ立てたメディアを、「事件とは関係ないところでロリコンやフィギュア好きを迫害する気分を作ってしまう」と批判し、被疑者逮捕後の報道内容については「被疑者が何故犯行に至ったのかという事件の本質を検証しなければ、報道の意味がない」と指摘した。

また、ノンフィクションライターの藤井誠二は、被疑者逮捕前のプロファイリングについて「自分は行わない。当たらないし、視聴者や読者の好奇心を煽るだけ」とコメントし、被疑者逮捕後の朝日新聞の社説などが論点をずらしている事を指摘した上で、「犯罪対策とポルノ規制は次元を変えて議論するべき」と批判した。

市井の者たちからの批判[編集]

2005年2月14日には、東京で行われた公開シンポジウム「おかしいぞ警察検察裁判所」の質疑応答で「『フィギュア萌え族』発言が、権力の腐敗の一因となる『危ない奴へのレッテル貼り』だと批判されている事をどう思うか?」という質問が飛び出した。大谷は事件の凄惨さとそれに対する憤りを強調した上で、「事務所が嫌がらせを受けている」「私は『一部の非常に曲がったロリコンのフィギュアのオタクの中に被疑者が居るんじゃないか』と言った」「犯人はスクール水着に少女の下着を詰め込んでフィギュアを作っていた」等と激しく抗弁し、進行役の二木啓孝に制止された(なお、被疑者の供述によるとスクール水着と下着で「人形」を作ったのは、事件が報道された後の11月20日である)。

2005年2月24日には、大谷はTBSのラジオ番組「アクセス」に生出演し、「子供たちは社会が総力を挙げて守るべき。私が一部の変なフィギュアや児童ポルノやアニメを批判したところ、そういう趣味の持ち主から総攻撃された。ミーガン法では住民がパニックになるだけだ」と主張して、2人の子供を持つ聴取者から「フィギュアやアニメに興味を持つのは、趣味嗜好の問題でそれはそれでいいと思う。ミーガン法で問題になる守秘義務を守る事はできる」と反論された。

また2005年2月28日にはBPOの2005年1月分の視聴者からの意見で、大谷への批判が、傷害事件で謹慎していた島田紳助の復帰に対する批判にダブルスコアをつけていたことが判明した(島田24件、大谷50件)。

しかし大谷は怯まなかった。大谷は2005年3月12日に東海テレビ「スーパーサタデー」で『氾濫児童ポルノ』と題した特集を放送した。そこでは秋葉原で売られている個人製作のパソコン用アダルトゲームの製作元(個人の民家)への押しかけ取材が行われ、また販売店舗の映像と奈良小1女児殺害事件の遺体遺棄現場の映像をオーバーラップさせる等の演出が行われた。(秋葉原の店舗の映像については、盗撮ではないかという指摘がある。また「店員」と称する人物の証言がヤラセではないかという指摘もある。) この際に大谷は「インターネットには自分達の主張が通らないという事で、私を攻撃する者が居る」と、自分の主張の正当化を繰り返した。(なお、この特集はスーパーサタデーの公式サイトの放送履歴から削除されている。)

同じ番組で事件の直前に森永卓郎の解説で「『萌え産業』は1兆円産業」と報道したにも拘らず、大谷は萌え文化を「事件の遠因」とする自らの主張をこの番組で明確にし、「萌え産業」への対決姿勢を示したのである。大谷には、市井から湧き上がった批判に抗い、更なる抗議を受けるリスクを冒してまでその様に主張するだけの強い動機があるのだろう。

団体・知識人からの批判[編集]

だが事件の犯人を「フィギュアおたく」だと想像し、被疑者逮捕後にも「想像上の犯人」に対策する様な規制を主張する大谷の態度は、報道の良心に欠けている。また「児童ポルノ」と「萌え」の混同も問題である。なお、メーガン法に反対して性犯罪者の人権を擁護しながら、何の罪も犯していない国民の人権である趣味や表現の自由を制限しようとしている事は、物事の優先度を弁えない態度であるとの批判も起きている(勝谷誠彦:週刊SPA! 2005年1月11日発売分など)。

このため現在も大谷の真意を尋ねる質問状などが継続して届けられているが、真意が理解可能な文面の回答はされていない。しかも、大谷に質問状を出した人たちに対して、大谷は前述した様な激しい非難を繰り返したのである。当の大谷自身は、過去に佐高信らと連名で幾人かの政治家に盗聴法強行採決に関する公開質問状を送付したこともあり、その行為と今回の件の矛盾を指摘する見解もある(財団法人メディア総合研究所発行「放送レポート 193号」掲載・非政府組織NGO-AMI」による反論記事「「フィギュア萌え族」という“妄言” 問われる“ワイドショー”的メディア構造」等)。(詳細は外部リンクを参照)

2005年7月28日、ワイドショー「ムーブ!」で大谷は、被告がフィギュアマニアだと報じられた高崎小1女児殺害事件に関する話題(検察官が被告にフィギュアの廃棄を求め、それを聞いて被告が号泣しフィギュアの廃棄を止めるように求めたこと)の中で、「フィギュアとか異常な幼児性愛に対して、私は奈良の事件でも厳しい事を言ってきた。子供を殺された親の気持ちが判らないのか? 趣味は自由だが、枠を外している自由に対して、私達は指弾していく」とコメントした。この時共演した若一光司から、「こう言った報道の中で、人形を偏愛している人達はみんな犯罪者予備群であるかの様な見方が広がってしまうのは問題だと思う」と直接反論された。若一は2005年1月20日にも同じ番組で大谷に対して同様な反論を行ったが、この件で他にテレビ放送中に面と向って大谷に反論した者は居ないと思われる。インターネット上で湧き上がった批判に比べれば、共演者からの批判は余りにも少ない。

2005年9月30日、それまで大谷の言説を批判する内容のコメントをしてきた斎藤環が、初めて大谷を名指しで批判した。斎藤は「フィギュア萌え族」について「『ゲーム脳』の様なインチキ」と評した。

発言の一時的な終息[編集]

2005年8月6日、大谷は事務所のホームページのコラム『「会えて、よかった」に会えて‥‥。』を執筆した。このコラムによると、被告の弁護を担当している高野嘉雄弁護士が被告の反省を促すために、被告に大谷の恩師である黒田清の著書「会えて、よかった」を読ませ、それを読んだ被告が徐々に反省の意を表すようになったとの事である。大谷は急遽事務所の吉富有治に命じ、8月4日発売分の週刊フライデーに『奈良女児誘拐殺人被告「獄中で書いた読書感想文」を初公開!』という記事を書かせている。

吉富が「娘はもらった」と表現したにも拘らず、コラムの中で大谷は、被告が被害者の母親に送信したメールの文言を「娘を預かった」と表現している。『モノ扱い「もらった」』との見出しと共に一連の「フィギュア萌え族」(仮)関連の言動を始めていながら、このコラムでは「娘をもらった」という文言を避けた事から見ても、彼は「フィギュア萌え族」(仮)発言を無かった事にしたがっていたと推察される。

また2005年8月5日放送のスーパーモーニングでは、恩師の黒田清について「ジャーナリストの仕事はこの様な形で残さなければならない。高野弁護士と巡り合う機会を作ってくれた事に縁を感じる」、また高野弁護士の姿勢について「『社会がどうしたらこういう人間が出てくる事を防御できるのか学習して欲しい』と仰っている」とコメントし、ジャーナリストとして被告自身に向き合う事の重要性を示唆している。

この点でも、大谷がそれまで事件に関して発言してきた事と異なっている。しかし、大谷自身は「フィギュア萌え族」(仮)発言を撤回してはいない。

2005年11月22日に発生した広島小1女児殺害事件と、2005年12月1日に発生した栃木小1女児殺害事件をきっかけに、大谷は再び同様な発言を再開している。

真の問題点・問われるメディアの体質[編集]

揺らぐ報道の信頼性[編集]

この様に大谷の真意については推し量るより他になく、依然として不明なままである。一連の発言で浮き彫りになったのは、一部のメディアでは、それがどんな暴論や詭弁であっても「知識人」による「言いっ放し」が許されてしまう事である。特にワイドショーや写真週刊誌、スポーツ新聞などの、興味本位で無責任な体質がこの様な問題を生み出していると言える。

しかし今回の場合、テレビ朝日系列では被疑者逮捕時の緊急報道番組でも大谷だけにコメントを求めている。この事で、ニュース番組の質さえもが疑われる結果となったのである。放送法第3条の2には「報道は事実をまげないですること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」とある。大谷は緊急報道番組で被疑者の事を、捜査情報とは無関係に「フィギュア的なオタク」と評しており、事実をまげている疑いがある。

またこの報道番組で、大谷はミーガン法の是非について「日本は児童ポルノをインターネットで全世界にばら撒いている。子供たちを守るには趣味趣向の規制が必要」と発言した。大谷は「ミーガン法の日本への導入の是非」という意見が対立している問題については、「服役後の小児性犯罪者の人権擁護」、「近隣住民のパニック防止」という角度から反対している。しかしこの時はミーガン法の沿革を説明したのみで、「小児性愛者への牽制の為に児童ポルノを規制すべき」といった論評を行ったのである。つまり、週刊SPA!で藤井誠二が指摘した様に、大谷は「ミーガン法」という犯罪対策案に関わる論点を明らかにするどころか、論点を次元の異なる「ポルノ規制」へと摩り替えようとしたのである。

ここで大谷は「児童ポルノ」そのものについても、被写体として被害者になってしまう児童の保護の観点から既に規制されている事には触れず、いわゆる「オタク趣味」との混同を行った。さらに「児童ポルノ」のインターネットにおける日本からの発信量について裏付けの無い発言をしたのであり、これらの点でも放送法に抵触する疑いがある(イタリアの児童人権保護団体「テレフォノ・アルバコーレ」の集計によると、2003年に日本から発信された児童ポルノは全体の0.97%でワースト8位、ワースト1位のアメリカが全体の61.72%であった。また「萌え」などのオタク趣味を「児童ポルノ」だと主張しているのは、日本の一部の市民団体のみである)。

議論を避ける共演者たち[編集]

無論、知識人ごとに意見や主張が異なる事は当然である。発言者が主観で論じる事は避けられないし、過度に中立性を要求するのも現実的ではない。しかし、被疑者逮捕を報じる緊急報道番組において、被疑者の人間像について事件発生直後から想像に基づく発言を繰り返していた大谷だけにコメントを求めた事は問題である。

またそれ以降の番組でも、この事件に触れる際に、勝谷誠彦などの大谷とは意見が異なる知識人を同席させながら、殆どの発言についてブレーキをかける役割を果たさせてはいない。どうしてそうする事で深い議論を導こうとしないのか?

勝谷誠彦は、2005年11月22日に発生した広島小1女児殺害事件について、「やじうまプラス」で慎重なコメントをしていた大谷の共演者として、「犯人は少女をフィギュア扱いした」と、大谷を煽る様に発言した。逮捕された被疑者は、オタク趣味とは無関係な在日外国人であったが、直後の2005年12月1日に栃木小1女児殺害事件(未解決)が発生して、「子供の安全」に関する報道が過熱した事もあって、大谷は再び勝谷らと共に「オタク趣味は性犯罪の原因」という主張を繰り返す様になった。勝谷には何らかの議論の結果として意見を変えた様子はなく、突然に意見を180度変えたのである。

また、共演者として唯一、番組中で大谷を批判した若一光司は、「ムーブ!」の別の曜日に異動になり、大谷の発言に反論する様子が放送される事はなくなった。

求められるメディア・リテラシー[編集]

日本のメディアは、話題をできるだけ沢山詰め込む為に、議論に放送時間や紙面を割くことを避けているのだろうか? それとも「個性的な知識人に言いたい放題言わせた方が、視聴者や読者の関心を惹いて視聴率や発行部数を稼げる」というのが、日本のメディアの本音なのであろうか? 言論を生業とする筈の知識人が、議論の為ではなく、イエロー・ジャーナリズムの為の「芸」として発言を垂れ流す事が日本のメディアの現実なのだとしたら、何と虚しい事であろうか?

真の問題は、大衆の耳目を惹きつける事にばかり注力してしまっているジャーナリズムの現実にこそある。また、おぞましい犯罪への憎しみや不安に駆られるあまり、犯罪への非難と共に述べられるコメンテーターの個人的な意見を無批判に受け止めてしまい、喝采を送ってしまう視聴者側・読者側の意識の低さにも問題があろう。そこには現代の「魔女狩り」に通じてしまう危険がある。不安には理性を以って対処しなければならない。日本のジャーナリズムがまだ死んでいないというのならば、「フィギュア萌え族」(仮)を、ジャーナリズムと認める事はできない。

関連項目[編集]

報道に関するもの[編集]

表現規制問題に関するもの[編集]

オタク文化に関するもの[編集]

「フィギュア萌え族」に類似する言説[編集]

外部リンク[編集]