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利用者:太西/sandbox2

 
御所五郎丸
豊原国周『蝶鵆十番切 御所五郎丸』
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期
生誕 不明(仁安3年(1168年)以前)
死没 不明(建久4年(1193年)以降)
別名 諱:重宗
墓所 御所五郎丸の墓(神奈川県横浜市御所山町
鎌倉御所五郎丸の墓(山梨県南アルプス市野牛島)
主君 源頼朝
氏族 御所氏
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御所 五郎丸(ごしょ の ごろうまる)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将曾我兄弟の仇討ち事件で、源頼朝の危機を救ったとして知られる[1]重宗であるが、通称の五郎丸として知られる。五所五郎丸とも表記する。

生涯

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平安時代末期の京都に生まれ、幼時は比叡山に住んでいた。16歳の時に師匠の仇を討って都を離れる。東国に下って、一条忠頼を頼って甲斐国甘利庄(現韮崎市)に住む。元暦元年(1184年)6月16日に忠頼が源頼朝に討たれた後、頼朝に近習する家臣となった[2]

御所五郎丸と源頼朝歌川芳梅画)

五郎丸は、すぐれた荒馬乗りをこなす荒武者で、75人力の猛者であったという[2]。『十番切』の詞書には更に「十八歳になりけるが、八十五人が力なり」と書かれている[3]

建久4年(1193年)5月28日、御所五郎丸が参加していた源頼朝主催の富士の巻狩りで、曾我兄弟は工藤祐経を殺害する。この後、兄の曾我祐成は駆けつけた祐経の部下の仁田忠常に討たれるが、弟の曾我時致は頼朝の御前を目指して、向かってきた武士たちをことごとく倒して頼朝の館に押し入った。しかし、館の中にいた五郎丸は時致の身を一人で取り押さえ、頼朝の危機を救った[4]

曾我五郎を捕らえる御所五郎丸(東洲斎写楽画)

曾我物語』には、五郎丸が腹巻の上に女物の薄衣を被って女装して時致を油断させたと書かれている。これは武士道に反したとされ、五郎丸は鎌倉を追放され甲斐国野牛島に流されたと伝えられている。しかし、鎌倉時代の『吾妻鏡』や初期の『曾我物語』には女装のことは書かれていないため、後世の脚色である可能性が高い[5]

御所の五郎丸(歌川豊国画)

神奈川県鎌倉市腰越の御所ヶ丘にある御所五郎丸公園には、五郎丸の館があったと伝える伝御所五郎丸屋敷跡があり、石碑と屋敷の庭石と伝える大きな石がいくつか残っている。御所ヶ丘の地名は五郎丸の屋敷があったことに由来する[6][7]。同所腰越御所には、御所たぬき公園もある[8]

墓所

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神奈川県横浜市御所山町には、御所五郎丸のお墓があり、地元の御所山町会に守られている。御所山地区は五郎丸が居住していたと伝わる。お墓の祠は街の人80名で1年かけて作った[1]

山梨県南アルプス市野牛島には鎌倉御所五郎丸の墓がある。お墓の前には観音堂があり、御所五郎丸の肌守りと伝える観音菩薩座像が祀られている。地元の人々は毎年8月末に、五郎丸の慰霊祭を行っている[5]

系譜

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御所氏の発祥の地は大和国葛下郡御所邑(現御所市)であり、ゴセ氏と称し、五所とも記した。孝元天皇の曾孫・許勢小柄に始まる大和国高市郡巨勢郷(現御所市)の巨勢氏に関する氏族とみられる。大和国には楢原氏配下の武将の五所刊部があり、郷士記に見る[9][10]

御所五郎丸の子孫は、豊前国宇佐郡豊川村の名族であり、五郎丸と同じく頼朝の御家人であった大友能直と共に九州に下った。その後、熱田神宮代官を奉じ、熱田宮の御所に住んだ。徳川時代には、一時御の字を五所と改めた。所蔵建武元年文書には、「武蔵権守祭主幡屋大夫殿」と書いてあり、幡屋大夫は五所五郎丸二代目の人であるという[9]嘉吉二年には大内人の職を継いだ守部宿彌五郎丸がある[11]

文化において

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演劇

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御所五郎丸は、歌舞伎の『曽我もの』で曽我兄弟の仇討ちにかかせない脇役として登場する[12]

  • 歌舞伎狂言『曽我狂言』は、曾我兄弟の仇討ちを主題とし、御所五郎蔵が登場する[14]

浮世絵

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御所五郎丸は浮世絵の画題の一つである[12]。以下は、御所五郎丸が描かれた浮世絵である。

画像集

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関連項目

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出典

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  1. ^ a b 御所五郎丸の墓|2020年11月28日|テレビ東京:出没!アド街ック天国”. テレビ東京. 2021年3月6日閲覧。
  2. ^ a b 『扁額規範』津逮堂、1821年。 
  3. ^ 『十番切』明星大学、江戸時代前期、上巻第五段頁。 
  4. ^ 『曽我物語 岩波古典文学大系88』岩波書店、1966年、p 362~363頁。 
  5. ^ a b 鎌倉御所五郎丸の墓”. 山梨県 南アルプス市 -自然と文化が調和した幸せ創造都市-. 2021年3月6日閲覧。
  6. ^ 『時のながれ 津村の流れ』井上六郎、平成3、p 36頁。 
  7. ^ 鎌倉市教育委員会『かまくら子ども風土記 第13版』鎌倉市教育センター、平成21、p 183頁。 
  8. ^ 『鎌倉市緑の基本計画』鎌倉市、平成23、p 196頁。 
  9. ^ a b 『姓氏家系大辞典、第3巻』国民社、昭和17-19、p 41 五所條・御所條、p 43 巨勢條頁。 
  10. ^ 『古事記伝』岩波書店、2003年、孝元天皇段頁。ISBN 4-00-302196-7OCLC 471740290 
  11. ^ 『姓氏家系大辞典、第6巻』国民社、昭和17-19、p 482~483、守部條頁。 
  12. ^ a b コラム4 御所の五郎丸”. 明星大学. 2021年3月7日閲覧。
  13. ^ 『日本大百科全書』小学館、1998年。ISBN 4-09-906721-1OCLC 1150226150 
  14. ^ 歌舞伎作者の精神が透けて見える「御所五郎蔵」の魅力に迫る”. 和樂web 日本文化の入り口マガジン. 2021年3月8日閲覧。