コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

祭主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

祭主(さいしゅ)は、伊勢神宮にのみ置かれている神職の役職である。「まつりのつかさ」とも読む。現任は黒田清子である。

概要

[編集]

古は令外官のひとつであったもので、神祇官に属し伊勢神宮の神官の長官であった。中央官であり、通常はに居住して神宮関係の行政に従事した。

推古朝に中臣御食子鎌足の父)が祭官となったのが初代とされ、天武朝に中臣意美麻呂が任じられた際に、祭官を改め祭主と称したという[1]。以降、明治以前までは、代々中臣氏大中臣氏)、特に二門の者が任じられ[2]、神祇官次官である神祇大副あるいは神祇権大副が多く兼任した。

伊勢神宮祈年祭・両月次祭神嘗祭の4度の大祭に、奉幣使として参向し、祝詞を奏上して、天皇の意思を祭神に伝えることを主たる役目とする。式年遷宮に際しては、造神宮使奉遷使を務めた。

伊勢神宮のほかにも同名の役職が置かれる場合があったが、それらとは明確に区別される。

近代

[編集]

近代以降、社家の世襲が廃止されると、藤波家 (大中臣氏)の世襲は廃されて、華族をもって神宮祭主に任じた。のち皇族又は公爵をもって任じる親任官となり、勅令である神宮司庁官制で法制化された。

戦後は神道指令及び日本国憲法により、国家の手をはなれ、宗教法人としての神宮となってから、現在は宗教法人としての「規則」により、祭主は「勅旨を奉じて定める」こととされ、もっぱら女性の元皇族が就任している。

近代最初の皇族祭主が久邇宮朝彦親王香淳皇后の祖父)であることから、その子孫が就任していることが多い。熱田神宮にも祭主を置く動きがあったが、実現しなかった。

戦後は皇族出身の女性が就任していることから斎宮と混同されることもあるが、斎宮は神宮に仕えた未婚の皇族女性のことで南北朝時代に廃絶した。

歴代祭主

[編集]

世襲祭主時代

[編集]
人物 在任期間 門流 続柄 備考
1 中臣御食子 推古元年 - 推古16年 一門 可多能祜の子。
2 中臣国子 ? - ? 二門
3 中臣国足 大化元年 - 国子長男。
4 中臣大島 天智元年 - 三門 許米長男。
5 中臣意美麻呂 天武元年 - 二門 国足の子。
6 中臣東人 和銅元年 - 和銅元年09月 意美麻呂長男。
7 中臣広見 和銅元年09月 - 意美麻呂三男。
8 中臣人足 天平03年 - 一門 島麻呂長男。
9 大中臣清麻呂 天平12年10月 - 二門 意美麻呂の子。
10 中臣益人 天平19年01月 - 一門 人足長男。
11 大中臣清麻呂 天平21年03月 - 二門 意美麻呂の子。 在任中大中臣に改姓。
12 大中臣子老 宝亀04年04月19日 - 清麻呂次男。
13 大中臣諸魚 延暦05年03月 - 清麻呂四男。
14 大中臣諸人 弘仁元年07月05日 - 宿奈麻呂三男。
15 大中臣淵魚 弘仁04年01月 - 継麻呂三男。
16 大中臣礒守 天長元年04月 - 出雲守全成三男。
17 大中臣毛人 天長05年 - 長人の子。
18 大中臣国雄 承和元年 -
19 中臣薭守 承和07年03月 - 三門 清山の子。
20 中臣逸志 嘉祥02年09月 - 益継長男。
21 大中臣豊雄 貞観09年02月28日 - 貞観12年 二門 木村の子。
22 大中臣有本 貞観14年 - 雄良の子
23 大中臣安則 寛平06年04月18日 - 道雄六男。
24 大中臣奥生 延長06年02月 - 真広四世孫。
25 大中臣頼基 天慶02年10月07日 - 輔道の子。
26 大中臣公節 天暦10年05月29日 - 利世の子。
27 大中臣元房 応和02年01月26日 - 高基長男。
28 大中臣能宣 天禄03年04月10日 - 正暦02年08月 頼基長男。
29 大中臣永頼 正暦02年11月 - 長保02年09月22日 茂虫三男。
30 大中臣輔親 長保03年02月28日 - 長暦02年06月22日 能宣長男。
31 大中臣佐国 長暦02年08月29日 - 茂生八男。
32 大中臣兼興 長暦03年06月23日 - 長暦03年08月07日 一門 理平の子。
33 大中臣永輔 長暦03年12月26日 - 二門 宣輔の子。
34 大中臣元範 治暦04年06月21日 - 公範三男。
35 大中臣輔経 延久03年08月24日 - 輔隆三男。
36 大中臣頼宣 永保元年06月01日 - 守孝五男。
37 大中臣親定 寛治05年08月06日 - 輔経長男。
38 大中臣公長 保安03年05月28日 - 公定七男。
39 大中臣清親 保延04年12月29日 - 輔清長男。
40 大中臣親章 保元02年08月13日 - 親仲長男。
41 大中臣為仲 永暦02年01月30日 - 仲房長男。
42 大中臣師親 応保元年09月19日 - 親定五男。
43 大中臣親隆 長寛03年05月06日 - 親仲三男。
44 大中臣能隆 文治元年11月25日 - 建暦02年11月 親隆次男。
45 大中臣隆宗 建暦02年11月07日 - 能隆長男。
46 大中臣能隆 承久04年02月26日 - 寛喜02年03月17日 親隆次男。 病のため子へ譲任。
47 大中臣隆通 寛喜02年03月17日 - 能隆七男。
48 大中臣隆世 宝治02年05月21日 - 隆通長男。
49 大中臣隆蔭 正元元年07月15日 - 隆通次男。
50 大中臣定世 文永06年04月12日 - 隆世の子。
51 大中臣為継 文永10年05月01日 - 為茂の子。
52 大中臣隆蔭 文永11年02月18日 - 隆通次男。 還任。
53 大中臣定世 弘安03年03月24日 - 隆世の子。 還任。
54 大中臣隆直 正応元年12月19日 - 隆蔭長男。
55 大中臣為継 正応02年12月24日 - 為茂の子。 還任。
56 大中臣定世 正応04年12月27日 - 隆世の子。 還任。
57 大中臣隆相 永仁05年09月25日 - 隆蔭の子。 還任。
58 大中臣為継 永仁06年12月29日 - 為茂の子。 還任。
59 大中臣定忠 永仁07年02月18日 - 定世長男。
60 大中臣為連 正和元年06月28日 - 為継の子。
61 大中臣経蔭 正和02年03月28日 - 正和02年11月09日 隆蔭三男。
62 大中臣定忠 正和02年11月09日 - 正和05年01月17日 定世長男。 還任。
63 大中臣蔭直 正和05年01月20日 - 隆直の子。
64 大中臣隆実 文保03年02月19日 - 隆蔭四男。
65 大中臣親忠 元徳03年03月11日 - 定忠長男。
66 大中臣隆実 元弘03年04月09日 - 建武02年01月 隆蔭四男。 還任。
67 大中臣蔭直 建武02年01月28日 - 隆直の子。 還任。
68 大中臣親忠 延元元年06月26日 - 定忠長男。 還任。
69 大中臣隆基 延元04年 - 隆実の子。
70 大中臣親直 正平03年07月06日 - 蔭直四男。
71 大中臣親忠 正平05年12月05日 - 定忠長男。 還任。
72 大中臣親世 正平07年07月28日 - 定忠四男。
73 大中臣忠直 正平09年11月15日 - 親直長男。
74 大中臣実直 天授03年08月29日 - 蔭直の子。
75 大中臣親世 天授03年05月22日 - 定忠四男。 還任。
76 大中臣基直 天授05年04月14日 - 忠直長男。
77 藤波清世 明徳05年02月03日 - 応永16年11月05日 親世の子。
78 大中臣通直 応永16年12月09日 - 応永35年04月 基直の子。
79 藤波清忠 正長元年 - 嘉吉03年09月03日 清世の子。
80 大中臣宗直 嘉吉03年09月03日 - 嘉吉03年09月20日 通直の子。
81 藤波清忠 嘉吉03年09月20日 - 文安03年04月16日 清世の子。 還任。
82 大中臣宗直 文安03年04月16日 - 宝徳02年02月05日 通直の子。 還任。
83 藤波清忠 宝徳02年02月05日 - 応仁03年? 清世の子。 還任。
84 藤波秀忠 応仁03年04月11日 - 清忠長男。
85 大中臣輔直 延徳02年09月25日 - 宗直の子。
86 藤波伊忠 明応2年閏4月11日 - 大永02年09月02日 秀忠の子。
87 藤波朝忠 大永02年09月02日 - 元亀元年11月23日 伊忠次男。
88 藤波康忠 元亀03年02月01日 - 元亀03年05月18日 朝忠の子。
89 藤波慶忠 元亀03年09月16日 - 慶長03年03月29日 康忠の子。
90 藤波種忠 慶長04年02月27日 - 慶忠の子。
91 藤波友忠 元和10年01月06日 - 種忠の子。
92 河辺定長 承応02年09月10日 - 一門 河辺徳長の子。 大宮司から転任。[3]
93 藤波景忠 万治04年03月12日 - 二門 友忠の子。
94 藤波徳忠 正徳04年08月30日 - 景忠の子。
95 藤波和忠 享保12年閏1月21日 - 徳忠の子。
96 藤波季忠 宝暦12年01月22日 - 和忠の養子。
97 藤波寛忠 安永07年09月26日 - 和忠の子。
98 藤波光忠 文化03年08月11日 - 寛忠の子。
99 藤波教忠 天保10年08月11日 - 明治04年01月28日 光忠の子。 明治政府により罷免[4]

親任祭主時代

[編集]
人物 在任期間 続柄 備考
1 近衛忠房 明治04年(1871年)01月29日 - 明治06年(1873年)07月16日 後陽成天皇十世皇孫 神祇大副兼職[4]
(祭主心得)三条西季知 ? - ? -
2 三条西季知 明治07年(1874年)01月13日 - 明治08年(1875年)07月12日
3 久邇宮朝彦親王 明治08年(1875年)07月12日 - 明治24年(1891年)10月25日 後伏見天皇十八世皇孫
4 有栖川宮熾仁親王 明治24年(1891年)12月30日 - 明治29年(1895年)01月15日 霊元天皇五世皇孫
5 賀陽宮邦憲王 明治29年(1895年)02月10日 - 明治42年(1909年)12月08日 後伏見天皇十九世皇孫
(臨時祭主)多嘉王 明治42年(1909年)09月23日 - 大正08年(1919年)09月06日 後伏見天皇十九世皇孫
(臨時祭主)久邇宮邦彦王 大正04年(1915年)11月04日 - ? 後伏見天皇十九世皇孫
(臨時祭主)鷹司煕通 大正05年(1916年)10月20日 - ? -
6 多嘉王 大正08年(1919年)09月06日 - 昭和12年(1937年)10月01日 後伏見天皇十九世皇孫 臨時祭主から昇任。
(臨時祭主)梨本宮守正王 昭和12年(1937年)10月14日 - 昭和20年(1945年)12月08日 後伏見天皇十九世皇孫 A級戦犯指定に伴う辞職。

女性祭主時代

[編集]
人物 在任期間 続柄 備考
1 北白川房子 昭和22年(1947年) - 昭和49年(1974年)08月11日 明治天皇第七皇女 女性初。
(臨時祭主)鷹司和子 昭和48年(1973年)03月28日 - 昭和49年(1974年)10月11日 昭和天皇第三皇女
2 鷹司和子 昭和49年(1974年)10月11日 - 昭和63年(1988年)10月28日 臨時祭主から昇任。
3 池田厚子 昭和63年(1988年)10月28日 - 平成29年(2017年)06月19日 昭和天皇第四皇女 第62回神宮式年遷宮斎行。
(臨時祭主)黒田清子 平成24年(2012年)04月26日 - 平成25年(2013年)10月06日 上皇明仁第一皇女 祭主の補佐。
4 黒田清子 平成29年(2017年)06月19日 - 在任中 退位及びその期日奉告祭、即位礼期日奉告祭斎行。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『二所太神宮例文』第八祭主次第、意美麿条「始為祭主。改祭官字為主者也。」とある。
  2. ^ 『官職秘抄』神祇官、祭主条「大中臣二門流中居副祐為祭主。」とある。
  3. ^ 大宮司には同日、河辺精長が就任した。
  4. ^ a b 新田均 1994, p. 68.

出典

[編集]
  • 新田均「明治時代の伊勢神宮」『皇学館論叢』第27巻第2号、皇学館大学人文学会、1993年4月、61-76頁、ISSN 02870347NAID 120006881955 

関連項目

[編集]