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利用者:小萩きりく/日本刀一覧:実在刀剣の表(案)

日本刀一覧の、実在している刀剣をまとめる表の試案。

案1・2は、

  • 現行の表とは異なり、刀の名前の五十音順ではない。時代区分>国 順である。
  • 現行の表の4項目である分類~備考(概説)の前に、時代区分・国・派・刀工という刀工に関する4項目を追加した。
  • 目標として、時代ごとの主要な鍛冶居住地の隆盛を見せることを試みている。つまり「どの時代に+どこで」が主軸。
  • そのため「国」は刀工の主な活動地の旧国名とする。出張して作られた刀も出張先ではなく刀工の本拠地を書く。

案3・4は、

  • 刀の名前の五十音順である。
  • 検索しやすさを目標にしている。レイアウトはそれぞれ。
  • 「国」は案1・2と同様、刀工の主な活動地の旧国名。


実在 (案1:小節で分けず全て一つの表にする)

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  • メリット:時代問わずソートできるので、たとえば「長船派の有名な刀はどんなものか」「うちの県で作られたのはどれ?」などと調べるのに向いている。
  • デメリット:表が縦に長くなるためモバイルから編集する人にはやりにくいかもしれない。
時代区分 刀工 分類 刀の名前 読み 概略
平安時代 備前国   包平 太刀 大包平 オオカネヒラ 国宝、銘 備前国包平作。東京国立博物館[1]
平安時代 備前国   友成 太刀 鶯丸 ウグイスマル 御物、銘 備前国友成
平安時代 山城国 三条 宗近 太刀 三日月宗近 ミカヅキムネチカ 国宝、銘三条東京国立博物館所蔵[2]天下五剣
鎌倉時代 備前国 長船派 長光 太刀 大般若長光 ダイハンニャナガミツ 国宝、銘 長光。奥平信昌長篠の戦いでの戦功により、徳川家康より拝領した太刀。東京国立博物館
鎌倉時代 山城国 粟田口 吉光 短刀 後藤藤四郎 ゴトウトウシロウ 国宝、銘 吉光。後藤庄三郎光次所持。徳川美術館[3]
鎌倉時代 山城国 来派 国俊 短刀 愛染国俊 アイゼンクニトシ 重要文化財、銘 国俊。法人蔵 [4]
南北朝時代 備前国 長船派 長義 打刀 本作長義 ホンサクチョウギ 大磨上無銘で、堀川国広による「本作長義・・・」の極め銘がある。長尾顕長北条氏康より拝領。その後、尾張藩主である徳川綱誠が買い求め、その佩刀とした。重要文化財。徳川美術館所蔵。
南北朝時代 山城国 長谷部派 国重 打刀 へし切長谷部
(圧切長谷部)
ヘシキリハセベ 国宝。「へし切」の由来は織田信長が無礼を働いて膳棚下に隠れた茶坊主を「圧し切り」(刀身を押しあてるだけで切ること)で成敗したと伝えられることから。引かずとも押し当てるだけで切れるほど鋭い切れ味の刀とされる。黒田官兵衛(黒田孝高)が小寺政職の使者として信長に面会し中国征伐の策を提言した時に、それに対する褒美として信長から黒田官兵衛に与えられた[5]福岡藩主となった黒田家に伝来。

江戸期に安宅切に倣った金霰鮫青漆打刀拵が製作されて附属しており、この拵えはむしろ、へし切りの拵えとして有名である。福岡市博物館[6]


実在 (案2:時代ごとに小節を設けて分ける)

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  • メリット:一見して《案1》より見やすい。横幅に余裕がある。小節ごとの編集ができる。
  • デメリット:「名だけ知っている」という読者には少し探しにくい。長船のように時代をまたがる活発な生産地だと分断される。

平安時代

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刀工 分類 刀の名前 読み 概略
備前国   包平 太刀 大包平 オオカネヒラ 国宝、銘 備前国包平作。東京国立博物館[1]
備前国   友成 太刀 鶯丸 ウグイスマル 御物、銘 備前国友成
山城国 三条 宗近 太刀 三日月宗近 ミカヅキムネチカ 国宝、銘三条東京国立博物館所蔵[2]天下五剣

鎌倉時代

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刀工 分類 刀の名前 読み 概略
備前国 長船派 長光 太刀 大般若長光 ダイハンニャナガミツ 国宝、銘 長光。奥平信昌長篠の戦いでの戦功により、徳川家康より拝領した太刀。東京国立博物館
山城国 粟田口 吉光 短刀 後藤藤四郎 ゴトウトウシロウ 国宝、銘 吉光。後藤庄三郎光次所持。徳川美術館[3]
山城国 来派 国俊 短刀 愛染国俊 アイゼンクニトシ 重要文化財、銘 国俊。法人蔵 [7]

南北朝時代

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刀工 分類 刀の名前 読み 概略
備前国 長船派 長義 打刀 本作長義 ホンサクチョウギ 大磨上無銘で、堀川国広による「本作長義・・・」の極め銘がある。長尾顕長北条氏康より拝領。その後、尾張藩主である徳川綱誠が買い求め、その佩刀とした。重要文化財。徳川美術館所蔵。
山城国 長谷部派 国重 打刀 へし切長谷部
(圧切長谷部)
ヘシキリハセベ 国宝。「へし切」の由来は織田信長が無礼を働いて膳棚下に隠れた茶坊主を「圧し切り」(刀身を押しあてるだけで切ること)で成敗したと伝えられることから。引かずとも押し当てるだけで切れるほど鋭い切れ味の刀とされる。黒田官兵衛(黒田孝高)が小寺政職の使者として信長に面会し中国征伐の策を提言した時に、それに対する褒美として信長から黒田官兵衛に与えられた[8]福岡藩主となった黒田家に伝来。

江戸期に安宅切に倣った金霰鮫青漆打刀拵が製作されて附属しており、この拵えはむしろ、へし切りの拵えとして有名である。福岡市博物館[6]


実在 (案3:一つの表で五十音(行)インデックス付き)

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  • あ行・か行…という見出しの段が挟まれるタイプ。ソートが読み昇順の時以外だと見出し段が最上部や最下部に寄り集まるのがちょっと邪魔。

あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行

時代区分 刀工 分類 刀の名前 読み 概略
あ行
鎌倉時代 山城国 来派 国俊 短刀 愛染国俊 アイゼンクニトシ 重要文化財、銘 国俊。法人蔵 [9]
平安時代 備前国   友成 太刀 鶯丸 ウグイスマル 御物、銘 備前国友成
平安時代 備前国   包平 太刀 大包平 オオカネヒラ 国宝、銘 備前国包平作。東京国立博物館[1]
か行
鎌倉時代 山城国 粟田口 吉光 短刀 後藤藤四郎 ゴトウトウシロウ 国宝、銘 吉光。後藤庄三郎光次所持。徳川美術館[3]
た行
鎌倉時代 備前国 長船派 長光 太刀 大般若長光 ダイハンニャナガミツ 国宝、銘 長光。奥平信昌長篠の戦いでの戦功により、徳川家康より拝領した太刀。東京国立博物館
は行
南北朝時代 山城国 長谷部派 国重 打刀 へし切長谷部
(圧切長谷部)
ヘシキリハセベ 国宝。「へし切」の由来は織田信長が無礼を働いて膳棚下に隠れた茶坊主を「圧し切り」(刀身を押しあてるだけで切ること)で成敗したと伝えられることから。引かずとも押し当てるだけで切れるほど鋭い切れ味の刀とされる。黒田官兵衛(黒田孝高)が小寺政職の使者として信長に面会し中国征伐の策を提言した時に、それに対する褒美として信長から黒田官兵衛に与えられた[10]福岡藩主となった黒田家に伝来。

江戸期に安宅切に倣った金霰鮫青漆打刀拵が製作されて附属しており、この拵えはむしろ、へし切りの拵えとして有名である。福岡市博物館[6]

南北朝時代 備前国 長船派 長義 打刀 本作長義 ホンサクチョウギ 大磨上無銘で、堀川国広による「本作長義・・・」の極め銘がある。長尾顕長北条氏康より拝領。その後、尾張藩主である徳川綱誠が買い求め、その佩刀とした。重要文化財。徳川美術館所蔵。
ま行
平安時代 山城国 三条 宗近 太刀 三日月宗近 ミカヅキムネチカ 国宝、銘三条東京国立博物館所蔵[2]天下五剣


実在 (案4:一つの表で名称が先。五十音(単)インデックス付き)

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1データ2行型

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  • 50音見出しに一行使うと邪魔なので、行頭にしたもの。
  • 概説・作風欄にclass="expand-child"を付与し、ソート時に2行が一緒に動くようにしてある。
索引 分類 刀の名前 読み 時代区分 刀工
概説・作風
短刀 愛染国俊 アイゼンクニトシ 鎌倉時代 山城国 来派 国俊
重要文化財、銘 国俊。法人蔵 [11]
太刀 鶯丸 ウグイスマル 平安時代 備前国 友成
御物、銘 備前国友成
太刀 大包平 オオカネヒラ 平安時代 備前国 包平
国宝、銘 備前国包平作。東京国立博物館[1]
打刀 歌仙兼定 カセンカネサダ 室町時代 美濃国 得永派 兼定(2代)
細川忠興の佩刀。忠興がこの刀で家臣36人(6人とも)を斬った後、三十六歌仙(または六歌仙)にちなんで名付けた、とされるが細川家にそれを裏付ける史料はない。は美的に優れた物で「歌仙拵」と呼ばれる。永青文庫蔵。
短刀 後藤藤四郎 ゴトウトウシロウ 鎌倉時代 山城国 粟田口 吉光
国宝、銘 吉光。後藤庄三郎光次所持。徳川美術館[3]
太刀 大般若長光 ダイハンニャナガミツ 鎌倉時代 備前国 長船派 長光
国宝、銘 長光。奥平信昌長篠の戦いでの戦功により、徳川家康より拝領した太刀。東京国立博物館
短刀 博多藤四郎 ハカタトウシロウ 鎌倉時代 山城国 粟田口 吉光
重要文化財、銘 吉光。福岡藩主黒田忠之が、嫡男の光之小倉藩小笠原家の長女市松姫の婚儀の際、その父忠眞に贈る。博多で発見されたことからその名前が付く。以降、小笠原家に伝来した。現文化庁[12]
打刀 へし切長谷部
(圧切長谷部)
ヘシキリハセベ 南北朝時代 山城国 長谷部派 国重
国宝。「へし切」の由来は織田信長が無礼を働いて膳棚下に隠れた茶坊主を「圧し切り」(刀身を押しあてるだけで切ること)で成敗したと伝えられることから。引かずとも押し当てるだけで切れるほど鋭い切れ味の刀とされる。黒田官兵衛(黒田孝高)が小寺政職の使者として信長に面会し中国征伐の策を提言した時に、それに対する褒美として信長から黒田官兵衛に与えられた[13]福岡藩主となった黒田家に伝来。

江戸期に安宅切に倣った金霰鮫青漆打刀拵が製作されて附属しており、この拵えはむしろ、へし切りの拵えとして有名である。福岡市博物館[6]

打刀 本作長義 ホンサクチョウギ 南北朝時代 備前国 長船派 長義
大磨上無銘で、堀川国広による「本作長義・・・」の極め銘がある。長尾顕長北条氏康より拝領。その後、尾張藩主である徳川綱誠が買い求め、その佩刀とした。重要文化財。徳川美術館所蔵。
短刀 前田藤四郎 マエダトウシロウ 鎌倉時代 山城国 粟田口 吉光
重要文化財、銘 吉光。前田家に伝来。前田育徳会所蔵。
太刀 三日月宗近 ミカヅキムネチカ 平安時代 山城国 三条 宗近
国宝、銘三条東京国立博物館所蔵[2]天下五剣

1データ1行型

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  • 横幅に余裕が少ないが、シンプルなのであとで編集する人には分かりやすい。
索引 分類 刀の名前 読み 時代区分 刀工 概説・作風
短刀 愛染国俊 アイゼンクニトシ 鎌倉時代 山城国 来派 国俊 重要文化財、銘 国俊。法人蔵 [14]
太刀 鶯丸 ウグイスマル 平安時代 備前国   友成 御物、銘 備前国友成
太刀 大包平 オオカネヒラ 平安時代 備前国   包平 国宝、銘 備前国包平作。東京国立博物館[1]
打刀 歌仙兼定 カセンカネサダ 室町時代 美濃国 得永派 兼定(2代) 細川忠興の佩刀。忠興がこの刀で家臣36人(6人とも)を斬った後、三十六歌仙(または六歌仙)にちなんで名付けた、とされるが細川家にそれを裏付ける史料はない。は美的に優れた物で「歌仙拵」と呼ばれる。永青文庫蔵。
短刀 後藤藤四郎 ゴトウトウシロウ 鎌倉時代 山城国 粟田口 吉光 国宝、銘 吉光。後藤庄三郎光次所持。徳川美術館[3]
太刀 大般若長光 ダイハンニャナガミツ 鎌倉時代 備前国 長船派 長光 国宝、銘 長光。奥平信昌長篠の戦いでの戦功により、徳川家康より拝領した太刀。東京国立博物館
短刀 博多藤四郎 ハカタトウシロウ 鎌倉時代 山城国 粟田口 吉光 重要文化財、銘 吉光。福岡藩主黒田忠之が、嫡男の光之小倉藩小笠原家の長女市松姫の婚儀の際、その父忠眞に贈る。博多で発見されたことからその名前が付く。以降、小笠原家に伝来した。現文化庁[15]
打刀 へし切長谷部
(圧切長谷部)
ヘシキリハセベ 南北朝時代 山城国 長谷部派 国重 国宝。「へし切」の由来は織田信長が無礼を働いて膳棚下に隠れた茶坊主を「圧し切り」(刀身を押しあてるだけで切ること)で成敗したと伝えられることから。引かずとも押し当てるだけで切れるほど鋭い切れ味の刀とされる。黒田官兵衛(黒田孝高)が小寺政職の使者として信長に面会し中国征伐の策を提言した時に、それに対する褒美として信長から黒田官兵衛に与えられた[16]福岡藩主となった黒田家に伝来。

江戸期に安宅切に倣った金霰鮫青漆打刀拵が製作されて附属しており、この拵えはむしろ、へし切りの拵えとして有名である。福岡市博物館[6]

打刀 本作長義 ホンサクチョウギ 南北朝時代 備前国 長船派 長義 大磨上無銘で、堀川国広による「本作長義・・・」の極め銘がある。長尾顕長北条氏康より拝領。その後、尾張藩主である徳川綱誠が買い求め、その佩刀とした。重要文化財。徳川美術館所蔵。
短刀 前田藤四郎 マエダトウシロウ 鎌倉時代 山城国 粟田口 吉光 重要文化財、銘 吉光。前田家に伝来。前田育徳会所蔵。
太刀 三日月宗近 ミカヅキムネチカ 平安時代 山城国 三条 宗近 国宝、銘三条東京国立博物館所蔵[2]天下五剣

索引列の案①

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  • 読みが「か」「き」「く」…で始まる刀の一番目にだけ索引を付けているレイアウト。
  • 索引列はソート無し(class="unsortable")にしてある。
  • 上に戻るリンクTopはとりあえず索引列に入れた。

索引 分類 刀の名前 読み 時代区分 刀工 概説・作風
戒杖刀 カイジョウトウ 時代区分 刀工 重要美術品上杉謙信が上洛した際、高野山清胤に教えを受けた時に持って行ったという仕込み杖。備前三郎国宗在銘刀が収められている。個人蔵、上杉神社寄託
Top 籠釣瓶 カゴツルベ 時代区分 柳生厳包の愛刀。肥後守秦光代の作。徳川美術館所蔵。
Top 柏太刀 カシワダチ 時代区分 刀工 日光二荒山神社の神刀。
Top 打刀 歌仙兼定 カセンカネサダ 室町時代 美濃国 得永派 兼定
(2代)
細川忠興の佩刀。忠興がこの刀で家臣36人(6人とも)を斬った後、三十六歌仙(または六歌仙)にちなんで名付けた、とされるが細川家にそれを裏付ける史料はない。は美的に優れた物で「歌仙拵」と呼ばれる。永青文庫蔵。
Top 兜割兼光 カブトワリカネミツ 時代区分 刀工 小笠原長時の愛刀。
Top 瓶通 カメドオシ 時代区分 刀工 三条吉広酒井忠次所用。個人蔵
Top 瓶割 カメワリ 時代区分 刀工 一刀流宗家が受け継いだ刀。福岡一文字という。
Top 太刀 唐柏 カラカシワ 時代区分 刀工 重要美術品、銘 長谷部国信上杉謙信の愛刀の一つとして米沢上杉家の家宝として伝わる。山鳥毛一文字姫鶴一文字高木長光と並ぶ鍔の無い「合口打刀拵(上杉拵)」に収められていた太刀として有名であったが、太平洋戦争後海外に流出し、後に刀身のみ日本に返還されたものの拵は現在でも行方不明である。個人蔵
Top 打刀 観世正宗 カンゼマサムネ 時代区分 刀工 国宝、無銘 正宗観世家より徳川家康に献上された刀。東京国立博物館
Top 鉋切長光 カンナキリナガミツ 時代区分 刀工 大工に化けた妖怪をごと斬ったという伝説から。蒲生家より徳川家光に献上され、徳川将軍家に伝来した。大正時代水戸徳川家に贈られる。
打刀 城井兼光 キイカネミツ 時代区分 刀工 無銘 兼光。黒田家伝来の刀。号の由来は黒田長政がこの刀で城井鎮房を斬ったことから。大磨上。福岡市博物館[17]
Top 紀州来国次 キシュウライクニツグ 時代区分 刀工 国宝紀州徳川家に伝来。個人蔵
Top 希首座 キシュソ 時代区分 刀工 細川忠興がこの刀で大徳寺・希首座を斬ったことがTop由来。この刀の拵は「希首座拵」と呼ばれる。島田美術館蔵。
Top 短刀 京極正宗 キョウゴクマサムネ 時代区分 刀工 正宗。号の由来は京極高次が所持したことから。正宗の稀少な在銘短刀。三の丸尚蔵館
Top 太刀 狐ケ崎 キツネガサキ 時代区分 刀工 国宝、銘 為次。吉川家の重宝。青江為次作。鎌倉時代、吉川家の先祖の吉香友兼が駿河の狐ケ崎の地で、この太刀で梶原景茂を討ち取ったことから名付けられた。吉川史料館蔵[18]
Top 打刀 亀甲貞宗 キッコウサダムネ 時代区分 刀工 国宝、無銘 貞宗。大磨上無銘の相州貞宗と鑑定された刀。由来は茎尻に亀甲紋が彫られていることから。東京国立博物館
Top 切刃貞宗 キリハサダムネ 時代区分 刀工 同名2口あり。ともに現存。
*「刀 無銘 貞宗」(名物 切刃貞宗)[19]東京国立博物館
*「脇差 無銘 切刃貞宗(焼失名物)」大坂の陣で焼身となった。徳川秀忠の形見として水戸徳川家に贈られ、分家の高松松平家伝来となった。香川県立ミュージアム[20]
短刀 九鬼正宗 クキマサムネ 時代区分 刀工 国宝、無銘 正宗林原美術館[21]
Top 打刀 九字兼定 クジカネサダ 時代区分 刀工 銘 和泉守藤原兼定作、裏銘臨兵闘者皆陣烈在前。個人蔵
Top 短刀 九戸来国行 クノヘライクニユキ 時代区分 刀工 井伊直政九戸城攻めでの戦功により、徳川家康より拝領した短刀。井伊家に伝来。
Top 蜘蛛切 クモキリ 時代区分 刀工 膝丸
Top 脇差 蜘蛛切丸 クモキリマル 時代区分 刀工 銘 表 吉光 裏 亀王丸。織田信長が熱田神宮へ奉納したとされる。愛知県指定文化財。熱田神宮[22]
Top 短刀 倶利伽羅江 クリカラゴウ 時代区分 刀工 銘 表 明智光秀の愛刀とされており、山崎の戦いによる坂本城落城により焼失する。
Top 大刀 呉竹鞘御杖刀 クレタケノサヤノゴジョウトウ 時代区分 刀工 正倉院所蔵[23]。→仕込み杖
Top 打刀 桑名江 クワナゴウ 時代区分 刀工 重要文化財、金象嵌銘 義弘本阿(花押) 本多美濃守所持。号は桑名藩主本多忠政の所持による。京都国立博物館
Top 短刀 桑山保昌 クワヤマホウショウ 時代区分 刀工 国宝、銘 高市□住金吾藤貞吉/□亨〈二二〉年〈甲/子〉十月十八日。個人蔵[24]
Top 小太刀 車太刀 クルマタチ 時代区分 刀工 源義経所用と伝わる小太刀。全長が短いが反りが深く、こじりと柄頭の金具以外は欠損しているが小太刀拵も付属している。鞍馬寺所蔵。

索引列の案②

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  • すべての刀に索引を付けているレイアウト。
  • 索引列のソートの動作は「読み」列と同じ。
  • 上に戻るリンク▲はとりあえず概説・作風欄内に埋め込んである。索引列に埋め込むとソートの動作がおかしくなる(セル内文字列が「か」と「かTop▲」に分かれるため)
索引 分類 刀の名前 読み 時代区分 刀工 概説・作風
戒杖刀 カイジョウトウ 時代区分 刀工 重要美術品上杉謙信が上洛した際、高野山清胤に教えを受けた時に持って行ったという仕込み杖。備前三郎国宗在銘刀が収められている。個人蔵、上杉神社寄託Top
籠釣瓶 カゴツルベ 時代区分 刀工 柳生厳包の愛刀。肥後守秦光代の作。徳川美術館所蔵。
柏太刀 カシワダチ 時代区分 刀工 日光二荒山神社の神刀。
打刀 歌仙兼定 カセンカネサダ 時代区分 刀工 兼定(2代)作。細川忠興の佩刀。忠興がこの刀で家臣36人(6人とも)を斬った後、三十六歌仙(または六歌仙)にちなんで名付けた、とされるが細川家にそれを裏付ける史料はない。は美的に優れた物で「歌仙拵」と呼ばれる。永青文庫蔵。
兜割兼光 カブトワリカネミツ 時代区分 刀工 小笠原長時の愛刀。
瓶通 カメドオシ 時代区分 刀工 三条吉広酒井忠次所用。個人蔵
瓶割 カメワリ 時代区分 刀工 一刀流宗家が受け継いだ刀。福岡一文字という。
太刀 唐柏 カラカシワ 時代区分 刀工 重要美術品、銘 長谷部国信上杉謙信の愛刀の一つとして米沢上杉家の家宝として伝わる。山鳥毛一文字姫鶴一文字高木長光と並ぶ鍔の無い「合口打刀拵(上杉拵)」に収められていた太刀として有名であったが、太平洋戦争後海外に流出し、後に刀身のみ日本に返還されたものの拵は現在でも行方不明である。個人蔵
打刀 観世正宗 カンゼマサムネ 時代区分 刀工 国宝、無銘 正宗観世家より徳川家康に献上された刀。東京国立博物館
鉋切長光 カンナキリナガミツ 時代区分 刀工 大工に化けた妖怪をごと斬ったという伝説から。蒲生家より徳川家光に献上され、徳川将軍家に伝来した。大正時代水戸徳川家に贈られる。
打刀 城井兼光 キイカネミツ 時代区分 刀工 無銘 兼光。黒田家伝来の刀。号の由来は黒田長政がこの刀で城井鎮房を斬ったことから。大磨上。福岡市博物館[17]Top
紀州来国次 キシュウライクニツグ 時代区分 刀工 国宝紀州徳川家に伝来。個人蔵
希首座 キシュソ 時代区分 刀工 細川忠興がこの刀で大徳寺・希首座を斬ったことが由来。この刀の拵は「希首座拵」と呼ばれる。島田美術館蔵。
短刀 京極正宗 キョウゴクマサムネ 時代区分 刀工 正宗。号の由来は京極高次が所持したことから。正宗の稀少な在銘短刀。三の丸尚蔵館
太刀 狐ケ崎 キツネガサキ 時代区分 刀工 国宝、銘 為次。吉川家の重宝。青江為次作。鎌倉時代、吉川家の先祖の吉香友兼が駿河の狐ケ崎の地で、この太刀で梶原景茂を討ち取ったことから名付けられた。吉川史料館蔵[25]
打刀 亀甲貞宗 キッコウサダムネ 時代区分 刀工 国宝、無銘 貞宗。大磨上無銘の相州貞宗と鑑定された刀。由来は茎尻に亀甲紋が彫られていることから。東京国立博物館
切刃貞宗 キリハサダムネ 時代区分 刀工 同名2口あり。ともに現存。
*「刀 無銘 貞宗」(名物 切刃貞宗)[26]東京国立博物館
*「脇差 無銘 切刃貞宗(焼失名物)」大坂の陣で焼身となった。徳川秀忠の形見として水戸徳川家に贈られ、分家の高松松平家伝来となった。香川県立ミュージアム[27]
短刀 九鬼正宗 クキマサムネ 時代区分 刀工 国宝、無銘 正宗林原美術館[21]Top
打刀 九字兼定 クジカネサダ 時代区分 刀工 銘 和泉守藤原兼定作、裏銘臨兵闘者皆陣烈在前。個人蔵
短刀 九戸来国行 クノヘライクニユキ 時代区分 刀工 井伊直政九戸城攻めでの戦功により、徳川家康より拝領した短刀。井伊家に伝来。
蜘蛛切 クモキリ 時代区分 刀工 膝丸
脇差 蜘蛛切丸 クモキリマル 時代区分 刀工 銘 表 吉光 裏 亀王丸。織田信長が熱田神宮へ奉納したとされる。愛知県指定文化財。熱田神宮[28]
短刀 倶利伽羅江 クリカラゴウ 時代区分 刀工 銘 表 明智光秀の愛刀とされており、山崎の戦いによる坂本城落城により焼失する。
大刀 呉竹鞘御杖刀 クレタケノサヤノゴジョウトウ 時代区分 刀工 正倉院所蔵[23]。→仕込み杖
打刀 桑名江 クワナゴウ 時代区分 刀工 重要文化財、金象嵌銘 義弘本阿(花押) 本多美濃守所持。号は桑名藩主本多忠政の所持による。京都国立博物館
短刀 桑山保昌 クワヤマホウショウ 時代区分 刀工 国宝、銘 高市□住金吾藤貞吉/□亨〈二二〉年〈甲/子〉十月十八日。個人蔵[29]
小太刀 車太刀 クルマタチ 時代区分 刀工 源義経所用と伝わる小太刀。全長が短いが反りが深く、こじりと柄頭の金具以外は欠損しているが小太刀拵も付属している。鞍馬寺所蔵。

脚注

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注釈

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出典

[編集]
  1. ^ a b c d e 2018年1月10日(水)~2018年4月8日(日)展示案内 東京国立博物館
  2. ^ a b c d e 小和田 2015, p. 30.
  3. ^ a b c d e 小和田 2015, p. 103.
  4. ^ 国指定文化財等データベース”. 2018年2月16日閲覧。
  5. ^ 本阿彌光徳は、長谷部国重の作と鑑定したものの、伝来については「信長から豊臣秀吉に与えられ、秀吉から黒田長政に与えられた」と勘違いしていたらしい[1]アーカイブされたコピー”. 2009年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年9月29日閲覧。
  6. ^ a b c d e 福岡市博物館編 2001, p. 61.
  7. ^ 国指定文化財等データベース”. 2018年2月16日閲覧。
  8. ^ 本阿彌光徳は、長谷部国重の作と鑑定したものの、伝来については「信長から豊臣秀吉に与えられ、秀吉から黒田長政に与えられた」と勘違いしていたらしい[2]アーカイブされたコピー”. 2009年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年9月29日閲覧。
  9. ^ 国指定文化財等データベース”. 2018年2月16日閲覧。
  10. ^ 本阿彌光徳は、長谷部国重の作と鑑定したものの、伝来については「信長から豊臣秀吉に与えられ、秀吉から黒田長政に与えられた」と勘違いしていたらしい[3]アーカイブされたコピー”. 2009年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年9月29日閲覧。
  11. ^ 国指定文化財等データベース”. 2018年2月16日閲覧。
  12. ^ 国指定文化財等データベース”. 2018年2月16日閲覧。
  13. ^ 本阿彌光徳は、長谷部国重の作と鑑定したものの、伝来については「信長から豊臣秀吉に与えられ、秀吉から黒田長政に与えられた」と勘違いしていたらしい[4]アーカイブされたコピー”. 2009年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年9月29日閲覧。
  14. ^ 国指定文化財等データベース”. 2018年2月16日閲覧。
  15. ^ 国指定文化財等データベース”. 2018年2月16日閲覧。
  16. ^ 本阿彌光徳は、長谷部国重の作と鑑定したものの、伝来については「信長から豊臣秀吉に与えられ、秀吉から黒田長政に与えられた」と勘違いしていたらしい[5]アーカイブされたコピー”. 2009年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年9月29日閲覧。
  17. ^ a b 福岡市博物館編 2001, p. 64.
  18. ^ 国指定文化財等データベース”. 2018年2月16日閲覧。
  19. ^ 文化遺産オンライン
  20. ^ 香川県立ミュージアム 収蔵品データベース
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